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日本のバブル経済崩壊後の中でも生き残ってきた不動産会社が、世界的な住宅ローン債権に対する信用不安から発生した金融収縮で破綻寸前である。不動産証券化が不動産市場を活性化させたのだが、現物売買では考えられないリスクが内在していた事に気付いた経営者はいなかった。不動産の証券化は金融機関の不動産貸付リスクを分散するために開発された手法の面が強く、決して不動産業者の保有リスクを軽減する目的で開発されたものではない事に早く気付くべきであった。不動産業者にとっては不動産の現物が証券化の手法によって新しい金融商品になると言うマジックが、不動産業に精通した人ほど大きなチャンスが到来したと感じたと推測される。しかし、バブル経済時に金融機関から長期資金を借り入れ、そのローンが抵当証券であった経験があれば不動産証券化に対して絶対的な信頼を置く事はなかったと思われる。誰も今は言わないが、日本にもバブル経済時に「不動産抵当証券」と言うリスク分散型の商品があったのである。現在の不動産証券化商品は単なるペーパーだが、日本の不動産抵当証券は購入者が持分に応じて不動産に抵当権を設定したので米国の不動産証券商品より遥かにリスクが軽減されたものであった。この商品が何故葬り去られたかと言えば、バブル経済後半にはこの抵当証券の発行を引き受ける金融機関がなくなり、中に浮いた形で崩壊したからである。実は今回の危機に苦しんでいる不動産会社はバブル経済当時、住宅産業に従事していた会社か或いは新興会社である。もちろん、新興会社の大半はマンション開発・販売で急成長した会社である。賢明な方は既に気付かれたと思うが、住宅産業は土地を購入して建物を建てて販売するので、資金需要の大半は短期資金の借り入れである。先に説明した抵当証券は貸しビルなどの建築資金の借り入れに必要な長期資金の範疇である。バブル経済時にビルの開発を推進した会社は殆んど消えたのだが、住宅産業に特化していた不動産会社は不動産の長期保有と長期資金の借り入れの必要がなかったために生き残れたのである。今回はそれが裏目に出たのである。不動産証券化商品は引き受けてがいないと成立しない事と、不動産の現物取引と異なり、他の金融商品と同様にクレジットクランチによってマーケットが収縮するということである。不動産証券化商品の登場で不動産取引が半永久的に続くと錯覚した会社は厳しい時期を迎えることになる。高校時代に暗証させられた「平家物語」の冒頭部分の下り「祇園精舎の鐘の声~」が聞こえてくる。

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2大政党政治、大連立が必要だとと言った言葉がマスコミ人からも良く出る。良く考えると、戦前の日本は2大政党が政権を奪い合っていたのを思い出した。また、マスコミ人が大連立は世界の流れと言っているのを聞いて大政翼賛会と言う政党の結集した歴史を忘れたのかと思う。勿論、戦前と現在は政治システムが違うと言うのだろうが、問題は日本人の頭の中味が大きく変わったのかと言うことと、歴史の反省なくして前進は出来ないと言う現実である。自民党の単独政権が長かったので政治の腐敗が起きたこと、及び適度な政権の交代がないと民意を反映した政治が行われないなどの理由によって2大政党政治を目指し、選挙制度を小選挙区制度に変更した事は記憶に新しい。しかし、戦前も小選挙区制であったが、その弊害も大きかったことに対しての検証が抜けていたように思われてならない。中選挙区制の良さは、地元利益中心の政治家でなくても当選する可能性があり、その事が国際社会の中で日本の姿などの大きなテーマで選挙を戦えた政治家を育んだ。日本の高度経済成長は戦後の多党連立の混乱期から単独政権になって開始したことを忘れてはならない。多くの政治家とマスコミ人は55年体制はアンシャンレジームと言って簡単に葬り去ったのだが、世界で最も安定していた日本の政治体制を評価し、恐れていたのは日本と競合していた国々であった。工業社会から知的財貨社会に変化してきた事に対する対応の緩慢さを槍玉に挙げて日本社会に最適なシステムを自ら壊してしまった愚を犯した。小選挙区制度は目先しか考えない政治家達を生み出し、マスコミは混乱した政治を憂いて大連立の結成を促している。大連立よりは55年体制の自民党単独政権の方が、野党の批判勢力がいて社会のセーフガードが有効に働いた筈である。歴史を学んでいれば今日のような愚は犯さず、55年体制を刷新する方法が幾らでもあったと思われる。米国の改革が何のために行われてきたかは為替の変動相場制に移行せざる得なかった歴史から多くのことを学べた筈である。企業人となった学生時代に優秀な友人達も歴史となると皆お粗末くらいの認識しかないのが今の日本人である。

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田中角栄は功罪相半ばする政治家と言える。しかし、官僚に餞別等の名目で金銭を与えた事によるお金に対する官僚の堕落と教育行政にお金で解決する政策を齎した事に関しては、「罪」の最たるものと言える。尤も、新潟県人にとっては、特に田中角栄の選挙区の人々にとっては今でも雪国を豊かにしてくれた感謝すべき人であるので、私の田中角栄批判には反発するであろう。今回のタイトルで"田中角栄の亡霊"としたのは、今日の日本人の金権主義や教育現場の退廃が"田中角栄"と言う人物を介在して起きているからである。田中角栄と言う男は、「人は金で動く」を信条として実践してきたと思われる。他人が形成した人生観を批評する立場にないが、田中角栄に限っては政治家であり、然も総理大臣にまでなった人物だから批判する権利が私にはあると思う。日本の官僚は一部を除き表面的には金銭的な価値観とは無縁を装うって来た種族である。それが田中角栄が「禁断の実」のお金で官僚を操縦法したことによって官僚のお金に対する執着が一挙に噴出してしまった。その後の官僚については、大蔵省(現財務省)の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」の通り、お金に堕落した姿を見るだけである。この官僚の堕落以上に深刻になっているのは教育行政現場である。先頃、大分県の教育現場での不祥事が報道されているが、この種の話は今や何処の県にも起きていると思われる。田中角栄は高度経済成長期の日本で教育現場に質の高い教師を得るには高額の給料を支給する必要があると誤解したことである。戦前に教育された師範学校出身の教師が立派だったのは国の費用で教育を受けたことに対する恩返しの意味があったからである。高い給料に引かれて教師になった者に高い教育の理想を求めるのは間違いである事に誰でも気付く事である。質の高い教師を育てるのは高額な報酬でなく、人を育てると言う高邁な理想を持って教育現場に立つ者を育てる制度を作ることである。その後の教育現場は政党の離合集散の影響を受けて更に間違った方向に流されてしまったのは悲劇と言うしかない。最近、日本にいながら日本の教育を受けず、インターナショナルのスクールで学んだ若い経営者にお会いしたが、素晴らしい考え方の持ち主であった。改めて教育とは何かを考えさせられた。ちなみに、私の母は戦前に教師の道を選んだ人ですので、今の母親のようには子供に甘くはなかった記憶がある。

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ジュネーブで開かれていた世界貿易機関(WTO)によって世界共通の貿易自由化ルールを定める閣僚会合の決裂が報道された。私の島国根性から言えば歓迎すべき事と思った。このルール作りを協力に進めたのは米国であるが、自分達に有利なルールを発展途上国に押し付ける姿勢は当初から無理があったし、我が国の農業にとっても歓迎すべき事である。輸出優先で農業が犠牲にされ、多くの農民は生産の喜びさえ失っている。インドの外相が、国民を犠牲にしてのルール作りは受け入れられないと言ったのは正論である。今回の原油高においても米国の代替エネルギー政策の補助金制度によって食糧高を招いているのである。マスコミはイランの核問題に対して米国やフランスの主張が正しい様に論じているが、子供でも思うのは米国とフランスが何故核を放棄しないのかと言う点である。持っている者が、持とうとしている国に対して持つなと言う論理は通用しないと考えるのは私だけであろうか。尤も、保有国である米国などは、開かれた民主国家であるから保有が許されると言うかもしれないが、それなら日本の保有については反対しないかと言うことである。また、核保有に既得権などはない事は自明の理である。自由化ルールや基準と言ったものは全てはある国やエリアに有利な様に作られ様としている。強大な米国や多くの国が参加するユーローに対し、アジアは共同歩調を取れないでいるので、常に不利であった。もちろん、今回の貿易自由化ルール作りははインドと中国を押さえ込もうとする米国とユーローの思惑であったので、決裂は歓迎すべきものと考える。魂を失った豊かさなどは意味がなく、貧しかったが心の豊かな時代に回帰すべきと考える。

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今の政治家の発言を聞いていると行政マンと同じ発想であるのに驚く。政治家が行政マンと思考や方法論が同じならば存在の意味がない。検証した事でなくて恐縮だが、若いときに「東海道新幹線の建設」に絡んだエピソードを何かの本で読んだのだが、それには当時の日本の財政では建設に際して世界銀行(WD)から資金を借り入れる必要があり、借金返済に対しての考え方について行政マンの限界と政治家の発想の違いが際立っていた事が書かれていたので今でも鮮明に記憶している。世銀の借り入れに対し「東海道本線を担保」にしなければならず、万一にも想定している経済成長の予測が狂い、財政的に返済が出来なくなったら「東海道本線」が取られてしまうとの懸念で行政マンは建設計画に反対した。それを当時の建設大臣が、「東海道新幹線」を造るのだから「東海道本線」を取られる心配をする必要があるかと言って建設計画を断行したとの事である。この結果については謂わずものことである。東海道新幹線の建設がその後の日本経済の成長に如何に貢献したかは論を待たない。然るに、今の政治家の議論は行政マンの域を出ないのには情けない。この原因は色々あると思うが、一つには実社会の経験が乏しい者が政治家(2世議員)になっていること、二つには行政マンとして教育された者が政治家に多いこと、三つにはインフレ成長時代に長くサラリーマンとして生きてしまった者が政治家になっていること、などが上げられる。何れにしても、この範疇に入る政治家は行政マンの限界かその議論に反論出来ない輩なので何も期待できない。森、小泉、安倍、そして福田の全員が行政マンを越える経験者でないのが分かる。尤も、民主党の小沢代表も然りであるので、今の政治の貧困さが分かる。

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日中韓の接近を警戒する国々が存在する。これ等の国の代表は米国であろう。中国の胡錦濤政権と韓国の李明博政権は日本が過去に例を見ないほど多くのことを話し合える相手である。しかし、この事が欧米諸国、特に米国にとっては好ましくない事は明らかである。このため、米国にとっては北朝鮮を存続させる事が軍事的にも政治的にも重要となり、今回のテロ指定国家の解除に繋がったと見るのは穿った見方であろうか。イランと北朝鮮の核を巡る対応には大きな差異がある。イラクの時にも同様であったが、各国の対応はそれらの国に対してどの程度の利権を有しているかである。イランは日本にとって原油の供給国であり、長い年月を経て信頼関係を気付いてきた大事な国である。ドイツとフランスはイラク侵攻には反対したが、イランに対しては米国以上に強硬姿勢なのはイラクには多くの利権を有していたが、イランには有していないためである。日本が欧米諸国と同様な行動をイランに取るのは愚の骨頂であると言える。もし、どうしてもイランに対して歩調をあわせなければならないなら北朝鮮に対しての強硬姿勢を条件にするべきである。此れが国益を守ると言う事である。拉致問題に対して政治家の山崎拓や加藤紘一は北朝鮮シンパの様な発言をしているが、過去に自民党の「金丸信」と言う北朝鮮に友好的だった政治家を思い出して欲しい。彼は北朝鮮から金の延棒を貰っていたのが検察庁の捜査で発見されたのである。山崎拓を北朝鮮利権と言った安倍前総理は正しかったのである。加藤紘一は外務省役人上がりの米国追従派であるからブッシュ政権のお先棒を担いだのであろう。ここで思い出して欲しい。何故、安倍前総理がマスコミに年金問題で叩かれて選挙で大敗して退陣したか。ブッシュ政権にとって北朝鮮のテロ指定解除に邪魔だったのでマスコミを使って退陣させたのである。特に、安倍前総理はインドのパール判事の子孫に会ったりと米国の虎の尾を踏んだことも怒りを買ったのかもしれない。小泉元総理の様な日本人としての価値観を持たない者が米国に歓迎され、国富の流失に一役買ったのであろう。戦前には多くの中国人が日本に学ぶため留学し、中国の近代化に大きな力となった。戦後の日中国交回復後に再度日本に多くの中国人学生が日本に学ぶために留学してきている。日本は戦前の過ちを繰り返すことなく、アジアの一員たる自覚で日中韓の提携を進めるべきであろう。

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国家間の農業生産物の輸入関税率を決める協議が進められており、日本の主張より低い税率で決定される状況となって来ている様だ。グローバル経済の進展を目指して国家間の障害を少なくすると言う大義名分の下で農産物の関税引き下げ率の作業が進められているが、ユーローの様な運命共同体に参加した国々の中なら分かるが、グローバル経済と言いながら、国家間のエゴがウエイトを占める今日の状況において世界的な食料不足になった時に輸入できる保証がない国連の理想主義に意を唱える私は時代遅れなのであろうか。米国の大豆・トウモロコシなどが原油高に伴う代替エネルギー政策によって食糧としてでなく代替エネルギーとして使われる事になり、輸入量が大幅に減少し、大幅な値上げを引き起こした。関税率の引き下げを議論する前に、米国の代替エネルギー政策の様な原油1バーレルの価格が75ドル以上になったら代替エネルギーのしての利用に供すると大豆などに補助金が出る政策を先ず撤廃させる必要がある筈だ。確かに、グローバル経済は国家間の分業体制を構築する意味があるのであろうが、果たして構築できるのであろうか。日本の様な国家と同様に農業国家が豊かになれないのは自明の理であり、豊かさを追求してゆけば1次産業でなく2次産業にシフトしてゆく筈である。勿論、農業生産技術の向上により、面的な生産から立体的な生産へと移り、遺伝子組み換えやロボットなどにより飛躍的に生産率が上がることも予測されるが、問題は今は過渡期で今回の資源高騰の中でミーイズムの台頭を見る限り、自由化には現時点では限界があることを認識しなければならないという事である。尤も、私の自説に対しては、輸出で豊かになっている国が相手先の農産物などを輸入しなくて豊かさを求めることは出来ないということも十分に理解できる。問題はバランスが崩れた時の保証の問題である。日本の政策は、農業を犠牲にして輸出を推進し、その結果が自給率39%となっているのである。若い人達は、貿易収支が黒字なのは当たり前でお金を出せば何時でも何でも買える豊かな時代に育っているから、自給率39%のリスクに気付いていない。もし、今後、貿易収支が赤字になったら先進国では見られない巨額な財政赤字との双子の赤字となり、これが円安を引き起こし、国民は大変な生活難に陥ることは目に見えている。この事は決して夢物語でないのである。私は特別に悲観論者ではない。私は、茨城県の田舎に育ったためと、亡父が県の農業委員などの要職にあったので、子供の頃から農業生産と言う現場を知っているからである。一人でも私の考えを理解し日本の今日的なリスクを考えてくれればと思う。

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現代の様な複雑系の社会で成功している会社の特徴は、1.偶然が重なり合って成功している会社、2.宗教的な雰囲気で社員のやる気を引き出している会社、3.江戸時代の5人組制度を組織に導入して連帯責任性で奴隷化している会社の何れかの範疇に入っている。"企業は人なり"と言う言葉があるが、創業時には何れもこの言葉を大事にしたので成功会社は発展してきたと思える。しかし、社員も多くなり、組織も拡大すると多くの社員にやる気を出させるには、カリスマ的な経営者による宗教的な指導が必要だが、似非カリスマ経営者は5人組の連帯責任制度で組織を維持することになる。尤も、大半は偶然が重なり合って成功している会社なので、経営者や組織や社員について語れる事は少ない。私が何故この様なことを書いたのかと言うと、戦後の混乱期から1970年代までの大企業経営者は一企業の経営だけでなく天下国家を考えていた人が多かったからである。最近、読売新聞に毎週土曜日に元セゾングループの堤清二氏が自伝とも言うべきエッセイを書いているが、その中にも当時の財界人の凄さが述べられている。しかし、最近の大手企業の経営者は自分の会社だけしか考えられない人物が就任し、日本と言う国や国民が眼中にない。情けない話である。もちろん、インフレ成長の中で減点主義に変わった組織が大人物を排除し、参謀クラスの資質の者が経営者になった背景はある。特に、経済バブル以後の日本企業の経営者は特にその様な小人物が目立つ。本当は今こそ戦後に活躍した様な企業人が望まれるのだが、どうも経営者の後継者の選択にも"平均化の法則"が働いている様で期待出来ないかもしれない。

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20年前の経済バブル時の東京の地価の上昇と今回の地価の上昇について見ると大きな相違がある。前回の時は都内の全ての地価が上昇したのだが、今回の上昇は値下がり過ぎた地価に対する反動的側面を持つ上昇であると思える。尤も、銀座の一部や青山・表参道エリアに関しては前回のバブル時以上の価格となったが、大部分は土地バブルとは言えない程度の上昇である。銀座や表参道の土地の上昇の原因は有名ブランド品の会社の出店に伴ったもので、その出店がその後の不動産会社による思惑投資へと拡大した結果の上昇と言える。しかし、単なる物販業者が借りられる賃料設定の土地価格でないので、限定的な土地バブルで済んだと言える。ちなみに、マンションの販売価格で見ると、前回のバブル時は西麻布で1坪2,500万円の高値まで上昇した。しかし、今回の販売価格を見ると、都内の一等地で1坪当り450万円程度である。尤も、10年前は1坪当り250万円であったので80%も上昇していると指摘する人がいるかもしれないが、この250万円の販売価格はバブル経済前の今より低い所得水準であった1980年頃と同じである。下がり過ぎた分を考慮しないとバブルであるかどうかの判断は出来ないのである。では事務所賃料の方はどうかと言えば、この場合も丸の内・八重洲・赤坂などの新築高層ビルの賃料が大幅に上昇して前回のバブル経済時点と同様な賃料水準となったのは確かである。しかし、既存ビルや大部分のエリアでは前回のバブル初期(1987年)の賃料水準まで上昇したのは少ない。特に、大手企業はリストラを含め固定経費の削減に邁進してきたので、前回のバブル時と比較にならないほど高い賃料を吸収でき事を考えると賃料バブルとはなっていないと言える。このため、今回は金融庁が土地バブルを懸念して不動産に対する融資規制をするレベルではないのに行なった事に疑問を持たざるを得ない。翻って、住居地区は兎も角、商業地区の土地価格に関しては行政が介入すべきでなく需給に任せるべきである。前回のバブル時もそうであったが、規制のタイミングの悪さで全てを駄目にしている。景気回復の遅れも含めてここ20年は政冶・行政の失政で苦しめられている。今回も然りであるので、地価は今後下落するなどの虚言に振り回されないことである。

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通り魔的殺人がまた起こった。日本社会はDNA的に見ると世界でも稀な出アフリカの全てのDNAを有する民族と書かれた本を読んだ。これを意味するのは大陸の種族争いを避けて日本に来た子孫が我々であり、基本的には競争を好まない遺伝子を持った種族か、或いは争いに疲れて共存する道を選択した種族と推測される。もちろん、日本の歴史を見ると争いがなかった訳ではないが、負けた相手を皆殺しにする大陸種族とは異なるから、それぞれのDNAを有する人々の子孫がいる訳である。この事実は、聖徳太子が制定した17条憲法の第1条に「和をもって貴し」と定め、種族間の争いについての愚を指摘したことでも分かる。20代の頃、雑誌の編集記者として韓国経済の担当となり、韓国経済の強さと弱さを調査していた時に多くの韓国人が指摘した事は、日本人の労使交渉は会社の利益が損なわない段階で双方の妥協によって決着するが、韓国人の労使交渉は対決のまま平行線となり、会社を潰すまで終わらないと言う国民性を懸念していた事である。この様な特質を持った日本人をグローバル経済の御旗の下に格差社会を無理やり導入し、今日の混乱を引き起こした小泉元総理の責任は重い。小泉政権時に多くの改革を行ったと指摘するが、その成果は一つも挙がっていないのが実情である。今も赤字国債は増え続け、規制緩和した建築基準法では構造偽造事件が起き、必要のない独立行政法人を多く設立して国費の浪費を助長させているなど新たな問題を起こしているだけである。小泉は不条理な社会を造って日本人が長い歴史を通して作り上げて来た良さを壊した張本人である。国民に痛みを説いた小泉が何の痛みなども受けず、然も年金問題の責任は厚生大臣経験者の一人である小泉の責任でもある。小泉の改革を弾劾せずして日本の将来はない。