今更指摘する事ではないが、会計はその国の税法に対応するのが当たり前だが、グローバル会計基準では無視されている。此れの意味する所は、会計上と税法上に不整合が起き、企業は会計での償却を税法上で処理できないという馬鹿げた現象が起きるということである。何故、この様な事が起きるかというと、グローバル会計基準と言いながら、一定の地域や国の会計基準を他の国が導入するからである。では、この問題を百歩譲って会計基準に税法を整合させると言う議論は起きているかというと、税収入の観点から減収になる様な改正は行われていないのが実態である。国際競争にさらされている企業にとっては、グローバル会計基準に合わせるとすれば日本国内に本社を置く事は不利益となるので、この様な馬鹿げた事が続くと有力企業の日本脱出が増えるのではないかと心配する。一事が万事であるが、今の政治は"木を見て森を見ず"類の輩が多い。これは社会実務の経験が少ないところから起きる弊害であろう。以前にも指摘したが、不動産の棚卸資産を時価で評価する愚も同様である。固定資産でない棚卸資産は、企画力で付加価値を与えて販売するのが当たり前だから、購入価格が各社で差が付くのは当然である。それを一定基準の時価評価の考え方を導入したのでは、企業活動の差別化など出来なくなるのである。会計についても税法についても理論の解釈次第で異なる見解もあるので、硬直した考えしか出来ない監査法人については別な監査法人に変更することを一般化する必要があると思われる。
公共投資以外で地方経済が良かった時期があったのか!
地方経済は低迷した状態を抜け出せないでいる。その理由は色々と指摘されるが、良く考えるとその時代その時代の企業の立地の恩恵を受けた地域以外は、公共投資による財政で景気が良かったのではないかと思われる。過去も現在も農魚業が地方経済をリードして豊かであった記憶は少ない。造船業が盛んだった頃は、造船所を抱える市町村は景気が良かった。企業城下町と言われる地域は、輸出が好調で生産が拡大している時は雇用を含め地域経済に恩恵をもたらした。しかし、日本全体を見ると、企業の直接的な恩恵を受けたエリアは多くないように思える。特に、東日本は西日本と比較して企業の立地や工業地帯が少なかったので工業立国の恩恵はタイムラグがあった様に思える。この隙間を埋めたのは、企業の輸出によって財政にゆとりが出来た国が行った公共投資事業であった様に思える。ここで何を述べたいかと言うと、グローバル経済の中で企業の工場は人件費が安い海外と移転し、国の財政難から公共投資予算が削減された今、何を持って地方経済が活性化するのかと言うことである。地方経済を立直すと言う事は、これまでの生活システムを全く変えないと無理である事に気づくことが必要である。特に、地域経済には大型ショッピングモールはいらない。便利さと安さを追求した結果、地域の農漁業や地方の製造業が破綻したのである。地方経済を立直すには、地産地消の考え方を中心に効率の良い地方都市の再構築が必要と思われる。高度経済成長時代の様な豊かさはないが、少なくても誰もが人間らしい生き方が出来る社会を作り出すことを考える必要があると思う。再構築は、皆が物欲でなく、心の豊かさを大事に考えるようになれば不可能ではない。
「私立為業」の言葉
最近、"私立為業"と言う言葉を知った。この言葉の意味は、「官に頼らず、私立でできることは私立で行うことが、独立した個人を形成し、ひいては独立した国家を実現できる」と言うことである。明治時代の書物を読んでいた時に出会った言葉であった。日本と言う国は何時から官に依存して独立不羈の精神を忘れてしまったのであろうか。消費税の税率アップの議論が出て来ているが、官に余計なお金を渡さず、民間活力を出す様に国民をリードするのが政治の本来の姿であろう。小さな国家と言いながら、官は利権を手放さないので、税金を少なくして官が何も出来ないようにする事が改革に繋がると思われる。小さな国家とは議員の数も少なくする事だが、この種の議論は後送りされているのが現実だ。税金を多く納めて税務署から表彰されている会社を訪問する度に、この様な経営者がいるから官が堕落するのだと思う。お金が無かった明治時代は、お金の換わりに知恵を使った。今は誰も知恵を使わず、お金の事ばかり言う時代である。これでは改革など出来るわけがない。マスメディアも直ぐに財政的な事を言って批判するだけである。金がなくても近代国家を造り上げた明治時代を再度学ぶべき時である。金がなければ知恵を出せである。
独立行政法人はいらない!
驚いたTVニュースが流れた。埼玉県所沢市に所在する防衛医科大学病院が独立採算制の行政法人になるので不採算部門の産婦人科・救急医療などを廃止してしまう計画を進めているとの事であった。この様な病院なら要らないと言うべきであろう。この病院関係者は全く独立行政法人化を進めている基本的な考えを理解していないと思われる。多分、他の独立行政法人も同様な理解の仕方かもいしれないと思うと情けないほど日本と言う国は駄目になった様だ。独立行政法人化の目的は官にもコスト意識を持った運営を行わせようとのことであり、従来の親方日の丸意識の改善と考える。それが今回の防衛医科大学病院の対応の仕方を見ると、自分達の雇用しか考えていないことが良く分かる。そうであるならば、独立行政法人などにしないで完全なる民間病院とすべきである。職員を食わすために税金を投入されたのでは話にならない。江戸時代の上杉鷹山の言葉「なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の通り、国民のために何もやる気がない職員ばかりが集った職場と言える。独立行政法人に変えたから行政改革が進んだと考える国会議員は馬鹿ばかりと言える。行政サービスを低下させるだけの独立行政法人化など言語道断である。
博打経済の末路と今後
本来の博打は胴元が負けない様に仕組まれている。一番良く分かるのは公営ギャンブルである競馬であろう。最初から胴元分(国)取り分約25%が引かれており、馬券を購入した者が受けられる配当資源は約75%である。単純に考えると100円投資で75円しか戻らないのである。理屈が分かればギャンブルなど遣らないのだが、今回の金融危機の不可解さはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)と言う金融商品の引き受け手である胴元の保険会社AIGまでも危機に陥ったと言えば分かり易い。世界的な投資ファンドを動かして多大な利益を上げたソロスによれば、今回の金融危機は金融工学を駆使してもリスクの計量化は出来ないと言う事を知らしめたとのことである。しかし、良く考えれば、人口30万人足らずのアイスランドと言う国の銀行が発行した何百億円もの債権をデフォルトの不安なく購入したのは格付けの信頼性とCDSと言う保険が存在したために成立していたと思える。不思議と思えるのは誰も疑いもなく金融化商品を信じて購入したことであるが、これは先に述べた手品の種があったということと、世界的に実体経済と懸離れた金融の過剰流動性の問題に帰結している。確かに、今回の金融危機で世界中で株価や資源価格の大幅な下落が続き、何百兆ドルもの資産が消失したと言われているが、この過剰流動性を起こした種銭の過剰さは消失した訳ではないので、機会を見て再度有利な投資先に対して動き出すことは疑いのないことである。良く考えると分かることだが、資本主義の成立過程で分かる様に投資とは元本の保証のないギャンブルなのである。特に、昨今は投資先が少ないのに金融が過剰なために預金金利が低いのであるから、高い配当を得るにはリスクを取る心構えが必要なのである。新しい技術開発に資金は必要だし、環境保全に対する代替エネルギーの投資や暖冬化の影響による食糧難に対するバイオ開発などに対する資金などの資金需要は今後増えてくると思われ、この様な資金はギャンブル投資と考えれば間違いはない。そして投資する場合の重要な事は、投資先の会社などが行っている事業と経営者のキャリアを十分に確認することである。
IT社会が生み出した総アマチュア化の危険性
今のIT社会は総て分野で過去のデータに対する確率統計的な手法による分析結果によって判断・決定がなされている。この世界では人間の曖昧な記憶による経験など信用されていない。このIT化が企業の年功序列制度を壊し、多くの若い人たちが高い役職と高給を得ている。確かに、現代の世の中は何かアクションを起こすと類似例から次の行動や興味に対する分析がなされて有効な提案が何処からともなく舞い込む。この手法は特に物販などで有効な手法であろうと思われるが、所詮は類似例からの推測であるので例外に対する配慮はなく、全く期待しない勧誘が続く事がある。これに対しても何回か続けて反応がない場合のアイテムをシステムにデータ化していれば、最初の情報はクリアされるので長く不愉快なセールスを受けることはないのかもしれない。この様なITの高度化は人間の曖昧な経験や勘に頼るのではなく、然も専門家を育てる時間と手間が必要なくて便利とは思える。しかし、私はこの様な高度IT化は業種によっては金太郎飴の社会を構築し、様々なリスクに対して懸念すべき落とし穴があるように思える。この良い事例としては、日本の不動産業界に起きたミニバブルであろう。日本の不動産業界は金融危機が起きなくても仮想需要の崩壊によって混乱したと思われる。顕著なのは金太郎飴現象とも言うべき何処の不動産会社も同じ事を目指して走ったことである。これはIT社会が生み出した典型的な総アマチュア化の現象と思える。実務は経験を通してしか学べない。特に物づくりの世界は経験の継承が必要な世界であり、経験者を疎かにした会社は今は隆盛でも最終的には没落するであろう。
何も遣っていない政治家と思考停止の官僚
病院を盥回しされた妊婦の死亡事件は、政治家が多くの給与を得ていながら何も行ってはいない証と、縦割り行政の中で思考停止に陥っている官僚の見事な図式である。先ず、公国立大学の医学部を管理している文部省は産婦人科医の不足の予測に対して何の手を打ってきたのか。また、厚生労働省は産婦人科医不足の予測の中で逆に安全を理由に産婆制度を実質的に崩壊させた責任は重い。納税者として公国立の医学部出身の卒業生を地域医療に貢献させないで、然も偏った学科専攻をや自由にさせている制度を取り続けるならば公国立に医学部などいらない。世の中には美容整形の医者が多すぎる一方、産婦人科医が不足しているなど教育行政に大きな誤りがあることは直ぐに分かる。しかし、マスメディアも明確に指摘しないのは何故か。憲法問題を盾に言い訳をするなら、政治家も役人もいらない。個人レベルでも地方医療や社会に貢献したくない医者の卵は私大の医学部で学ぶべきである。私大での医者に対しては教育費の自己負担比率が高いので苦情は言わない。一方、公国立大学の医学生は多額の教育費を納税者から得ているのである。国民に恩返しをする義務があるのである。少なくても一定期間は国の指定する医療現場に従事する義務を設けるべきである。また、文部科学省は不足している医師の専門を専攻する受験生を優先する様に大学に指導すべきである。縦割り行政やそこまで指導できないと言うならば役人の人数を大幅に減らすべきである。働いている振りをしている役人はいらない。また、本当に政治家は与党も野党も何百人もいるのに何もやっていないのには驚く。今度の衆議院選挙では何をやるのかでなく何を行ってきたのかで選ぶべきである。これまで出来なかったのに今後出来る保証などないのだから、その様な嘘を言う政治家を選ぶべきでない。
欧米諸国が一番恐れている事!
日本国内の不動産に対する金融規制による価格下落と株式市場の大幅な下落は何を意味するのか。世界中が日本は世界で最もサブプライム問題に対して被害を受けてない国との認識で一致している。尤も、農林中央金庫の様な例外はあるが。それなのに、株式市場の大幅な下落と不動産に対する金融規制は何故なのか。有識者は、ファンドが投資家から資金の返還を求められたので、株式や不動産が現金化するために売られていると得意顔で説明するであろう。しかし、本当に全部がその理由なのであろうか。穿った見方をすれば、欧米がサブプライム問題で金融危機に対処しなければならず、この事が企業の経営にも影響して経済が落ち込むとすれば何を恐れるかである。答えは簡単である。日本企業の欧米有力企業の買収である。今回の金融混乱でもなかなか円高にならなかったが、漸く急激なユーロー安と円高が始まった。これは日本企業の脅威がなくなったと見たからではないか。日本のマスメディアは連日連夜不動産大幅下落の大合唱である。笑いが止まらないのは欧米諸国であろう。今回の大恐慌時に匹敵する世界的な金融混乱とその後の経済不況を乗り切るには欧米有力企業の買収である事が分からないほど日本の金融界も財界にも人がいなくなった。日本から富を削ぐために米国はアフガン問題などで日本に多額の拠出金を強請するであろう。これに抗することが出来る政治家は残念ながら今の日本には見当たらない。今回の欧米の金融危機の千載一遇のチャンスを逃す日本は世界から馬鹿にされるだけである。
金融危機後の世界経済
日本の新聞は米国の景気が相当悪くなっているかの様に書いているが、多くの州で未だ不況感はない。不動産価格にしてもサブプライム問題で住宅地は下がっているが、ホテルやオフィスビルなどは大きく値下がりしている訳ではない。日本のバブル経済崩壊時を思い出せば分かるが、受注残を抱えているので2年間位は大幅な不況には陥らないのが現実である。問題は、その間に資産デフレが生じないように経済対策を打ち出させるかどうかで決まる。ご存知の通り、日本では最悪のシナリオであったために資産デフレの罠に陥って失われた10年となったのである。今回の金融危機で問題なのは米国より欧州であろう。通貨統合のために自国通貨の切り下げによる景気対策が打ち出せないので、金融に対する資本注入後の対策が見えてこない。米国の場合、サブプライム問題による住宅地の価格が大幅に下がって消費の減少による景気後退は避けられないが、今回の金融危機で分かった事は、欧州は張子の虎であり、米国が世界経済の中心である事に変わりがないということである。今回の金融危機で世界中で多額の投資資金が損失した様な報道をマスコミが行っているが、この損失は飽くまでペーパー上の損失で、投資家の投資資金の多くは債券市場や現金化されて避難しているのである。世界中に過剰にばら撒かれたドル紙幣が減った訳ではないのである。ドルの過剰流動性が消失したわけではないので、今回の金融危機後の世界経済の回復は現在評論されている様な悲観的なものではないと考えられる。尤も、今回の金融危機を招いたのはリスクを避ける保証商品のリスク管理が杜撰であったことにあるので、当然に金融商品に対する新たな枠組みの構築が必要であり、その成果を見届ける必要はある。また、欧州がECの拡大と通貨統合で自信を深めて米国離れが進んでいた時に起きた金融危機は、ユーロー通貨の暴落を招いているが、この通貨暴落は欧州の今後の景気回復にどの様に影響するのか見守る必要がある。日本は円高傾向にあるが、この円高については輸出の減少と言う側面だけで悲観的に見るのではなく、通貨の強さは国民にとっては必ずしも悪い事ではないので、冷静に円高メリットを考えて行動すべきと思える。
日本経済新聞の恐れ入ったコラム
10月21日(火)の日経の夕刊にコラムと言えるかどうか分からないが、1面の「波音」に"金解禁と日雇い派遣"について書かれた記事を見た。内容は日本が大恐慌時に誤った金解禁でデフレを引き起こしたが、日雇い派遣法の規制も今回の金融危機に際して同様の間違いとなる可能性があると言うものであった。記事は実名でなく「都」なるものが書いたと無記名だが、この作者の見識には恐れ入った。企業利益(=株主利益増大)のために導入した無茶な日雇い派遣がどれだけ社会に悪影響を齎したかこの記者は認識がないようだ。人件費が高くて成り立たない工場は既に海外に移転しているのではないか。企業に必要以上に利益をもたらす日雇い派遣は金融資本主義の最たるもので、内需にシフトしなければ限界に来ている日本経済の消費を減少させている大きな要因になっていることも分からないのであろうか。多分知った上で暴言を吐いているのだと推測する。日本経済新聞はもともと業界新聞である。記事の大半が企業と官庁の発表記事で構成されており、発表者を代弁している新聞である。特に、海外の記事は専ら海外の新聞記事を翻訳しているだけであるのは自明である。この様な企業、官庁や政治家の言う事を無批判的に代弁している業界新聞が何故評価されているのか分からない。尤も、企業経営者や上司に若い社員は日経を読むように勧められるとの事だが、この新聞を読んだ社員が多い企業ほど今回の金融危機に翻弄されているのではないか。輸出と内需のバランスの取れた社会を作るために構造改革があるのであり、日雇い派遣社員を使わないと成り立たない建設業や農業に認めていない制度など初めから間違った政策なのである。金融資本主義の手先になって亡国の宣伝紙になっている日経などは読まないのに限る。