未分類

築年の経過したマンションをリノベーションして新築マンションと比べ低価格で販売している業者が増えてきた。地の利の良い場所で安く購入できるメリットを強調するリノベーションマンションだが、問題はリノベーション対象のマンションが新耐震前か後かで大きな違いがある。新耐震のマンションならば当面は問題ないが、新耐震前の場合には①建替えについて居住者がどの様に考えているのか、②販売時に耐震に対する説明を十分おこなっているか、更に③躯体や外壁などの劣化度合いについて十分説明しているかが重要な点である。現行法ではリノベーションマンション販売に対する規制がないので販売業者は低価格を強調して販売しているが、購入者は内装が現在のマンション仕様と変わらないと言っても老朽化した建物である事を十分に認識して購入しないと将来にトラブルに巻き込まれることになる。勿論、環境的な面などから古い建築物の再利用は否定しないが、地震国の日本において耐震技術に関して大幅な改良が加えられる以前のマンションなどのリノベーションは基本的には問題と思われる。特に、最近では震度7以上に耐えれる住宅の研究も進んでいるので新耐震以前のマンションは出来るだけ建替えを誘導した方が良いと考えられる。少なくてもリノベーションマンションに関しては新耐震制度が適用された1981年以降の建築物かかどうかを見極める必要がある。

未分類

建材メーカの不正にまたかと思う。一連の事件は2000年に行われた建築基準法の改正(仕様規定から性能規定に変更)に端を発したものである。建材メーカーの不正は許せるものではないが、法律改正にも問題があったことも事実である。確かに仕様規定に比べ性能規定の方が建築には工夫出切る余地が広がりメリットは大きいが、問題は性能について誰がチェック出来るかであった。最近の世の中を見れば性善説を前提にした制度など不正の温床になることは予測できた筈である。特に、資本主義では騙されるのは馬鹿との言葉が一般化しているので、尚更である。小さな政府と規制緩和を全て同一次元で考えるのは間違っている事に気づくべきである。この様な事件は消費者に損失を与えるのは自明だが、実際の問題はこの種の事件が起きると逆に規制が強化され、業界の費用負担が大きくなる現象をもたらすことである。何のための規制緩和かと言いたくなるからである。責任を取らない現行の官僚制度の下で全ての法律や制度が決定されているシステムではチェックが機能しなくなっている現実に目を向ける必要がある。

未分類

日本国民は今年行われる衆議院選挙に期待している様だが、民主党が政権を握っても何も変わらない。何故なら日本は米国の属国なのだからである。此れに反論する輩には経済指標の全てを観察してみろと言いたい。株価を始め多くの指標が米国と殆んど連動している。日本の政治家は米国の意向を無視した政策など出来はしないことは自明の理である。今年初めてのブログでこの様な事を書いたのは、世界同時不況にあって日本の今後の経済動向は国内政治を見ていても意味がなく、米国の動向を見ていれば間違いない事を言いたかったからである。今回のサブプライム問題で多くの日本企業がリスクに対して誤った判断を行ったのは日本のメディアの情報に頼ったからである。尤も、メディアの報道はバイアスが掛かっていると言う事は何も日本だけでなく世界中で同様である事が今回のイスラレルのガザ攻撃で確認した。理由は、イスラレルが今回のガザ攻撃に対して正当性を訴える手段を従来の様な方法でなくインターネットを通して直接世界中の人々に映像を流したからである。勿論、今回のガザ攻撃に正統性などないのだが、情報戦で世界のトップクラスのイスラレルが行った事に対する意味は大きい。そう言えば、米国のオバマ新大統領もインターネットを通じて支持者を広げ、予想を覆しての勝利であった。2009年は政治経済とも"CHANGE"する年になる可能性は高いと思われる。故に、米国の動向を今以上に注視する必要がある。

未分類

リーマン・ブラザーズが破綻した9月以降に日本の経済活動が30%ダウンしたと思われる。しかし、多くの業界で一様に30%ダウンの声を聞くと奇妙な符号の様に聞こえてしまう。最も早く影響を受けたのはタクシードライバーの様だ。勿論、リーマンショックによる株価などの暴落の影響で10月、11月の2ヶ月は消費マインドが冷え込んで手の打ちようがなかった様だ。12月は忘年会のシーズンであるので幾らか消費が戻ってきたが、皆が期待していた様な展開までには到らなかった。ここで考えるのは日本経済の縮小規模が30%で安定するのか、それとも来年は更に需要が落ちて更に縮小するのかは現時点では分からない。ひとつ確かなのは日本のバブル経済破綻後の経済状況以上の衝撃が企業を襲うと言う事である。何れにしても今回の世界的な不況に関しては、今でも潜在能力では群を抜いている米国の動向如何としか言いようがないのが事実である。考えれば規制緩和による小さな政府を掲げて米国はベトナム戦争で受けたダメージを長い時間を掛けて回復してきたのだが、規制にも良い規制と悪い規制があるのに気づかず進めてきた結果が金融破たんであった。レーガンから開始した規制緩和には歴史観を持った大統領とスタッフがいなかった悲劇かもしれない。世界を巻き込んだ金融詐欺事件の結末は、新しい秩序の確立しかないが、現時点では各国のエゴが先行してパラダイムシフトの姿が見えてこない。2009年は新しい仕組みが確立されるまで試行錯誤を繰り返すと言う前提に立てば、全ての価格が小さな現象で振り回されて不安定な市場で上下変動する可能性が高いと推定される。この様なときには絶対的な価値観を持って経営に臨む事が肝要と考える。

未分類

2000年以降に小泉政権によって国民の目線でない規制緩和が行われ、不動産市場などには規制緩和を利用したインチキ企業や素人集団が参入し、金融の量的緩和もあって多くの企業が急成長したが、サブプライム問題以前に国内の金融の量的緩和の解除などや構造偽装事件の影響もあって新興の不動産の多くが経営難に陥った。規制緩和が企業経営の急成長を促したが、問題はこの規制緩和であった。建築基準法の改正により、建築の確認申請・通知の手続きが簡素化され、着工に到る期間が短くなったが、反面需要とのバランスを欠くマイナス面があった。しかも、実物不動産取引から不動産証券化の取引に変化し、投資家の多くがファンドとなり、このファンドのリスクを軽減するために貸室の入居者の事故による賃料を保証するする会社も出現するなど、何時の間にか仮想需要で舞い上がっていたのを忘れてしまったのである。今回の不動産業界で成功した方々は、不動産業界の経験があったとしても若くして独立して成功したか、金融業界、若しくは物販関係の会社の出身であろうと推測される。その理由としては、多くのプロジェクトの内容がユーザー目線でないからである。不動産業界に長く従事するとユーザー目線が重要なのが痛いほど理解している。しかし、物販などの営業を積み重ねた人たちは、価格的にも取り扱う物が安いためなのかもしれないが、尊大にも自分達の流儀でユーザーが動くと勘違いしている。私の思い違いかもしれないが、今回のミニバブルの原因を考えると勝手に造り上げた仮想需要で崩壊したと思えるからである。黒字倒産が多い理由は、金融機関が会社を存続させるほどノウハウがないと判断したから見捨てられたのである。不動産開発に他の会社にないスキルがあれば銀行の利益のために救済する筈である。尤も、最大の罪作りは規制緩和であろう。身の丈で行っていた不動産会社まで自分を見失ってしまったのだから。

未分類

私の住んでいる築32年の賃貸マンションが老朽化してここ数年は賃借人が50%前後であった。オーナーはこの地域の地主さんであるので、地元の不動産業者に任せて老朽化しても余り修繕などを行わなかった。それが、突然、今年の夏に空室の居室と外部周りについて修繕工事を行う旨の簡単な知らせがポストに入り、入居中の住人に対する工事説明会も行わないで大騒音を発する改修工事を開始した。このため、住んでいる住人の一部と工事会社との間で揉め事が起き騒動に発展した。その後、工事を開始して1ヶ月以上経過してから漸く工事説明会が開かれ、工事の騒音は相変わらずだったが、騒動は次第に沈静化した。今回の改修工事では空室が当世風のデザイナーズマンションとして生まれ変わることになり、従来管理をして来た地元不動産会社に代わって今回の改修工事を提案したサブリースの会社が工事終了1ヶ月前になって姿を現してきた。私も建築・不動産業界で長い間関係してきたが、今回の改修工事に偶然に遭遇して新興不動産会社のやり方と言うのを改めて思い知らされた。この会社のホームページを見ると、新興不動産会社と金融機関系列との出資会社で、若い設計士によるデザイナーズマンションの新築や改修工事を歌い文句に活動している。確かに、作品を見るとデザインは奇抜で、一見すると若い人達が興味を引く様に思える。然し、改修工事の当事者として経験したこの会社の遣り方は無責任としか言いようがない代物であった事に気づいた。先ず、旧耐震のマンションであるのに改修工事では何等その事に配慮しない改修工事であり、居室については生活感のない仕様である。若い未熟な設計士の設計コンセプトを反映していると思われるのが、外周工事である。エントランスは従来と異なり、入り口を東側から北側に変えてエントランスを単なる入退室の空間からオシャレな空間に変えたのまでは良かったが、北側に入り口を変えた事が、冬には風によってエントランス内に落ち葉などのゴミが入り込んで汚くなることに思いが及ばなかった様だ。また、エントランスから2階、3階に上がる階段の絨毯を壁に使用した色に合わせて濃紺色を使用したのだが、直ぐに汚れが目立つ様な代物であった。TVのトレンディドラマに使われる仮設の建築物ではないので、生活を考えると先ずは選択しない色であり、外部に遮断された空間でないので、外からのゴミについても全く配慮していない設計コンセプトには驚いたとしか言いようがない。その上、予算が少なかったかどうかは知らないが、外部の非難階段や外部通路に関しては殆んど改修工事を行っていない。今回の改修工事を見ると、「頭隠して尻隠さず」と言った諺を思い出した。建築・不動産業界に見せ掛けだけの業者が最近は多いことは認識していたが、これ程酷いとは思わなかった。豊かな社会になると虚構を造り上げるのが上手い会社が反映すると言う現実に直面すると暗澹たる思いになる。

未分類

最近、来春卒業の学生に対する採用内定を取り消した会社に対して非難の声が聞かれる。確か数年前迄は就職が卒業までに決まらない学生の比率が高かった時には企業に対して雇用を確保しろと言う声はなかった様に思われる。実際の所、就職が決まっていない学生自体もいると思うが、それ等の学生に対しては一顧さえもしない。グローバル社会と言われてから多くの学生が卒業までに就職できずにフリーターとなったケースは珍しくなくなったのにである。今風に言えば、採用取消になった学生は企業の見る目がなかったと言う事で自己責任の範疇である。マスコミからすると、早く企業から内定を取り付けていない学生など眼中にないということであろうか。我々の就職活動時にも第一次、第二次オイルショックの波に襲そわれ、自宅待機を余儀なくされた仲間が多くいた。自宅待機といえば期待が持てそうだが、実際は採用内定取り消しと同様であった。此れに対して当時は何の支援もなかった。何も就職難は今に始まったことではない。非正規労働者に対する問題も然りである。グローバル社会では欧米諸国と同様に非正規労働者制度を拡充しないと輸出競争力が落ちてしまうと騒いだのはマスコミであろう。それが一転して非正規労働者の契約打ち切りに対して声を上げて非難している。この非難はまともな様に聞こえるが,円高と需要減に対応しての企業行動に対して非難することは此れまでの主張とは相容れない。日本のマスコミは日本及び日本人のためでなく、海外のインテリジェンスから日本弱体化の広報を受託した存在であるとしか思えない。"勝ち組"などと言う最悪な言葉を生み出したのもマスコミであった。負け組みの親を持った家族を考えた事があるのかと言いたい。景気の変動は資本主義社会である限り否定できない事実であるので、問題は不況時に対する国家の弱者に対する保護機能であろう。更に言えば、不況時こそ新しい政策を実施できる機会であるので、大胆な政策転換を図るのが政治の責任と考える。しかし、それを行うような政治家がいない今の日本は悲劇である。

未分類

日本の世界的なメーカーは金融危機と円高に対してリストラと生産調整に着手した。この対応に対してリストラは当然なのだが、マスメディアは一斉に非難を開始した。利益を追求する企業に公共的な性格の会社と同様な雇用維持の要請を求めても仕方ない。馬鹿な政治家も手ぶらで企業に雇用の維持を要請しているが、そんな理屈が通る分けもない。今回の様な金融危機に対する世界同時不況に対しては、企業に雇用維持を要請するなら租税特別措置法によって雇用を維持する企業に何らかの優遇策を与えるべきである。また、政治家としてはその政策でも救われない失業者に対して公的な事業を起こして職を与えるべきである。日本の各メーカーは今回の金融危機に伴う需要減と円高に対して強い危機感を持っているが、国内で活動している企業や政治家と官僚は危機感に温度差がある。来年は間違いなく世界同時不況になると予測されるが、その様な世界経済は戦争時を除いては約100年前の大恐慌時だけだと言うことを認識し、輸出企業の様に取り組むべきである。極論から言えば、戦争時の様な統制経済が必要になるかもしれないのである。日本の社会は何時頃からか対応型の社会と言われ、先んじて何かを行うシステムでなくなっている。今回の様な不安定な世界経済に対応型の政策を踏襲したら破滅に突き進む事になる。何れにしても、今回の危機を乗り越えるには国内の富の活用は必須であるので、政治家は国民の信頼を取り戻すべく先駆けて今回の不況の痛みを受ける対応を促したい。また、個人の資産を狙った詐欺紛いの存在に対する取締りを徹底して規制緩和によって悪質化した社会の風紀を改善し、個人投資家が安心して投資できる環境を構築することも必要と思われる。

未分類

最近、無農薬でリンゴの栽培に成功した人物の本を読んだ。リンゴ栽培には農薬が必要と言う定理を覆して見事に無農薬のリンゴ栽培に成功した人の我が闘争を書いたものであった。この本で改めて自然界が摂理でコントロールされており、人間の歴史はその摂理に挑戦し続けてきた存在ということであった。リンゴの無農薬栽培は自然界の摂理との戦いを人間に影響が少ない材料で行うことであるが、その方法で生産者として生活出来る水準までにリンゴを大きくする事は労働力の掛け方ひとつ取っても並大抵の事では出来ない。特に、自然界は多くの要素で形成されており、常に予測しがたい環境が発生すると同時に総ての生き物には耐性作用の進化が起きるために、それ等の現象に対応するためには長年のフィールドワークによる経験しか方法がないのが現実である。然も、その積み重ねを続けても克服ではなく共生でしかない。今回の世界的な金融危機も自然に反したからなのではないだろうか。私は何も宗教論を語る考えはない。狩猟民族と農耕民族との文明の違いを論ずる考えはないが、間違いなく言えるのは狩猟民族は自然を克服する行為を前提とし、農耕民族は自然との共生を前提としてきたことである。日本の構造改革では規制緩和が経済の活性化を促進すると考えられているが、規制緩和によって自然界の変化の流れ以上の現象が生じると反動が起きるのではないかと思えてならない。建築基準法における規制緩和などが良い例である。尤も、現在の様な縦割り行政は自然に反した組織であるので、その決定が誤った方向に向かうのは当然なのかもしれない。なお、グローバル経済が自然の摂理に反しているかどうかは分からないが、少なくても人間が作り出した時間が地球と言う天体の持つ時間を越えた場合には大きな反作用が起きる可能性は否定できない。企業も然りであろう。自然の摂理に反した行動を選択すると淘汰される。

未分類

効率の良い経営と言う事で、ここ数年は会社経営において「事業の売却と集中投資」を行った会社が業績を伸ばした。しかし、この手法は一定の条件でしか通用しないことが今回の金融危機で思い知らされた。確かに、企業にとっては、余り利益を生んでいない事業に投資を続けることは、経済合理性の観点から見ても良い判断とは言えないかもしれない。しかし、現時点で考えた事業が企業の将来を支えてゆけるかどうかは過去を見れば一目瞭然である。経営には経済合理性も必要だが、未来を予測出来ない中で、過度な事業における選択と集中はリスクを抱えることになる事に気が付いた人は少ない。グローバル経済が金融経済の短期的な収益を重視して行われたことに問題点があった様に思える。この問題点と、金融経済は短期的な視野で物事の判断を行っていることである。メーカーの経営には短期的な視点も大事だが、中・長期的な視点とのバランスが欠かせない。特に人材育成を考えると金融機関の様に必要に応じて人材を市場に簡単に求めれらないからである。どの事業が会社の将来の大黒柱になるかを予想するのは難しい。金融機関と違って物づくりの現場には色々な経験を有した人材が必要であり、その人材を確保してゆくには事業が必要なのである。どうも近年の経済合理主義には、中国の荘氏の「無用の用」の考え方が不足していると思われてならない。