構造改革ばかりが話題になっているが、企業の活動や個人の事業活動に関して現在の日本の税体系はインフレ経済前提と徴収面のウエイトが強く害となってきている。況してや、国際会計基準と税体系の不一致による企業が受ける不利益は話にならない。企業や個人の活動によってもたらされる税金なのに国家は当然の如くに会計基準やデフレ経済に合っていない税体系下で強引な徴収を行なっている。今年は予算に税収入の見込みが追いつかないので必死になって税収を高める行為を行なっているが、この事柄も本末転倒である。予算などは税収に合わせて立てるもので、先ず予算ありきなど聞いたことがない。今年の税収見込みが大きく違っているとすれば、金融危機に対して何も考慮していない能天気な馬鹿野郎どもが日本の舵取りを行っていることになり、許せないことである。行政現場では担当者レベルで色々と判断して決定していることを聞いているが、その決定事項に企業や個人が異議を唱えて裁判になるケースの場合、役所だけでなく担当者の個人にも結果に関する賠償責任の責めを求めるべきと考える。この国はそうでもしないと良くはならない。税収不足だから予算に合わせるために赤字国債を発行するなど本末転倒である。また、現在の状況にあっていない税体系を放置している行政に対して「無作為の責任」で賠償責任を負わせることも必要と考える。行政の自分達に都合の良い学者で構成された委員会や審議会に対しても同様に何らかの法的責任を取らせることが必要である。マスコミ同様無責任な連中に鉄槌を下すべきである。
故安岡正篤氏の東洋的な考え方が必要な時代
最近、故安岡正篤氏の著書を手にする事が多い。安岡氏の著書に触れるに付け、生前にお会いしたかったと思う。世界的な金融危機が起きている今こそ、安岡氏の著書から今後についてのヒントを得るのは有意義と思っている。安岡氏は東洋民族の先覚者には"思考の三原則"とも言うべき共通の考え方が見られることを指摘しており、その三原則とは「目先でとらわれないで、できるだけ長い目で観察する」、「一面にとらわれないで、できるだけ多面的、できるならば全面的にも考察する」、「枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察する」ことの様だ。特に、事業の問題や困難な問題などを目先で考えたり、一面的に捉えて観察したり、枝葉末節をとらえて考えるのと、少しながい目で見る、多面的・全面的に見る、あるいは根本的に見るということでは非常に違ってくる。ことによると結論が反対になる場合もあることを指摘している。多くの著書のホンの一部を例に上げると、安岡氏の偉大さが消え、名声を失わせる行為となってしまうかもしれないが、今の日本人の多くがお金亡者になり、今回の金融危機による不況で先が見えない時に安岡氏の著書は読むのは有意義と考える。戦後の日本は米国の寛容な占領政策によって親米的な国民・国家になったわけだが、米国の良い面だけでなく悪い面も多く学んでしまった。特に、バブル経済崩壊後の20年は「倫理観の喪失」、「拝金主義」が横行し、米国の短期利益主義の社会経済システムに追随して"砂上の楼閣"造りに走ってしまった。この米国至上主義はマスコミが煽ってポピュリズムを助長し、政治家も企業と同じように短期的な成果が求められて長期的な政策が打ち出せない状況で政治も混乱している。米国のオバマ大統領はIT社会のポピュリズムを利用して当選したが、今後は逆にポピュリズムによって自縄自縛に陥る可能性も予想される。現に、ポピュリズムを意識して政府スタッフに多くの大物を起用しているが、日本の格言(?)の「船頭多くして船進まず」の状況になっている。更に、新ニューデール政策を掲げて全米の橋梁の更新や環境・省エネの推進を謳っているが、この政策を実施するには海外から資機材を多く輸入することになり、結果は貿易収支の赤字を拡大してドル安を招いてしまう危険性を孕んでいる。勿論、ドル安は景気対策の財源である米国債離れの原因となるので絶対に阻止する必要があり、オバマ大統領の手腕が問われることになる。米国民はオバマ大統領はハーバート大学ロースクールの教授まで勤めた天才だから、金融危機で危機に陥った米国を救ってくれる事を期待しているのだろうが、忘れているのは米国を危機に落としたのは天才と称された人達であったことである。長い歴史を持つ東洋文明は多くの危機を克服してきた知恵を持っていることを思い出し、再度東洋的な考え方で問題を処理する事は如何であろうか。
破綻した日本住宅金融専門会社の元社長の自伝を読んで
最近、バブル経済で破綻した日本住専の元社長の自伝とも言うべき"懐旧九十年「燃える魂の告白」"を読んだ。東大法学部卒の大蔵官僚出身者である著者の"庭山慶一郎氏"の実像と古巣の大蔵省の政策の数々の失敗が述べられている。今の若い人達は過去を振り返っても仕方ないが言い分であろうが、歴史を知らずして今日の世界的な金融危機は乗り切れないと考える。責任を取らない行政マンが多くの政策を実現させている事や、法律以上に行政指導で民間企業や金融経済をコントロールしている日本の姿を危険として何度も指摘している著者の言葉には重みがある。また、マスコミの無責任さも事例を上げて指摘しており、此れに関しては私も再三ブログで指摘している事なので、同士を得た様な思いがした。庭山さんは大蔵省や日銀などがマスコミを過剰に意識して不動産バブルに対する誤った金融政策や土地に対する課税を実施したことを指摘しているが、全くその通りと当時不動産業界で仕事をしていた者として共感した。フィールドワークの情報でなく、ペーパー類での情報によって行なった政策はタイミングを見誤ったものであることも指摘している。更に、政府に関わる学者や弁護士についても碌な人間がいないことも整理回収会社(RCC)の中坊弁護士を事例に上げて指摘している。100年に一度の金融危機に見舞われた最悪の状況にあって庭山氏の本は一読に値するものと思われる。
実名を拒むネタで騒ぐマスメディアの信憑性
良く政府高官筋とか、政府筋とかと言うニュースが流れるが、読者を愚弄するのも甚だしい。新聞は匿名の情報に対しての信憑性など確認する暇はないだろうからそのまま報道するのだろうが、恰も真実の様に流すのは言語道断である。日本の大手の報道会社は全て記者クラブで配布された記事を掲載するだけだから、匿名の情報なども同様に何等信憑性を考えないで載せる習慣が出来たのであろう。日本のマスコミは海外のインテリジェンスに思うように操られているのが現状であろう。今回の小沢一郎の事件も、オバマ政権にとって邪魔な政治家と位置づけさせられた結果、日米の利害が一致して近年は某宗教団体の子弟が増えていると言われる日本の検察が動いたのであろう。今回の様に日本のマスコミが動かされた図式は枚挙に暇がない。小沢一郎も過っての親分「田中角栄」が石油資本の逆鱗に触れて失脚した事を記憶していたと思っていたが、馬齢を重ねて忘れてしまったのだろうか。尤も、田中角栄の事件は笹川良一の船舶振興会を田中角栄が後藤田正治と共謀して乗っ取ろうと画策したことが、田中角栄を危険視していた米国と笹川の利害が一致して起きた事件であったと言われている。日本は学生時代にCIAの手先だった亭主のクリントンに遣られ、今度は国務長官になった女房に翻弄されるとは本当に情けない。今回の事件で分かった事は、オバマ政権は日本の政治的混乱を望んでおり、更に小泉の様な中国を牽制する様な首相を求めており、麻生首相は小泉の代わりを期待されている節がある。何故今頃に白州次郎が浮上してきたのかと思っていたら、麻生の爺さんの吉田茂が間接的に評価される図式は、今後麻生の支持率アップに貢献するのであろう。小沢事件は、今後の日本経済を動向を考えある上で大きなヒントがあるかもしれない。
日経の「大磯小磯」コラムについて
3月5日(木)の日経新聞「大磯小磯」欄に掲載された匿名(吾妻橋)の意見には呆れた。匿名で書くのだから小泉インチキ改革に加担した者かもしれないが、全くナンセンスな意見である。構造改革は現在の仕組みで恩恵を受けているもの以外は誰もが望んでいる事である。小泉インチキ改革で一番許せないのは、米国の圧力とそれを利用した財務省の財政再建を優先した間違った改革であったために、真の改革が出来なくなってしまったことである。以前にもブログで書いたが、日本道路公団の民営化を行なうなら首都高速道路公団なども含めて行い、すっきりした組織にするのが国民のためには当然である。しかし、日本道路公団の民営化は、石油特別会計の財源を一般会計に簒奪するためだけに行なったことなので、国民の利益にならない改革となってしまった。建築基準法改正然りである。米国の圧力で準備も出来ていないのに建築確認申請手続きを民間に委託したことから、構造偽造事件が起き、逆に建築設計の自由度と行政の規制が強化されてしまった。その上、民間委託の建築確認申請手続きの会社に関しては審査能力に疑問を残したままである。郵政の民営化に到っては、ブログに書ききれない程の間違った民営化を促進した。「大磯小磯の吾妻橋」の指摘では郵便貯金や簡易保険が巨大化したと言っているが、原因は財務省が郵便貯金を予算に利用したからであり、その責任を追求しないで破綻の矛先を民営化で誤魔化すのは言語道断である。吾妻橋は色々な分野で政府の保護や規制に縛られて効率が悪い社会となっていると述べているが、机上で物を見て現場を見ていない者であることが直ぐ分かる。小泉の行なった構造改革は財政再建と言う観点から全て行なった改革であるので、国民のためになった改革はひとつもない。現場に行けば改悪ばかりであるのが分かる。介護サービス現場でインチキが横行しているのは、今の制度では成り立たない地域が多いからである。吾妻橋は余程小泉インチキ改革の恩恵を受けた者と予想が付く。郵政民営化など多くの規制緩和の中でで起きた小泉と竹中の秘書達の利権に絡んだ動きを検察は捜査すべきである。民主党の小沢一郎の比ではないダーティな姿が現れる筈である。
マスメディアの定額給付金報道のインチキ
定額給付金を必要ないと言う恵まれた人々は公務員か高給取りのマスコミ関係者だろう。米国と違って才能がなくてもコネクションが通用する日本の社会は、地位に相応しくない親の七光りの人々が多い。2世・3世の国会議員を非難しているマスコミ人の中にも親の七光りで入社している社員が多い。尤も、最初からコネクションがなければ優秀でも役員面接迄行けないのが、日本の社会である。そうは言っても、偶に実力で入社した社員も自分の立場を勘違いしてしまって尊大になるケースが多い。大体マスコミのアンケート調査などは誘導尋問で行なわれるケースが多いので信憑性にかける。今の日本で定額給付金を欲しくないと言うのは、少数意見の筈である。景気対策の効果として考えると色々な意見が出るのであろうが、一部に反映する様な対策より、誰もが貰える定額給付金の方が公平である。定額給付金が要らないというお金持ちは、資金を必要としている孤児院や片親の家庭に寄付をすればよいのである。格差社会の上位に位置するマスコミ関係者などの意見は「百害合って一利なし」である。
百年住宅の実現
デフレ経済が日常的になると必要になるのは長持ちする住宅であろう。尤も、デフレ経済が長かった江戸時代には庶民は持ち家に住むと言う考えはなかったので、長屋と言う便利な賃借の共同住宅が多かった。一部の金持ちは別として明治時代・大正時代・戦前の昭和時代迄は、長期間の借り入れで家を買う考え方はなかったのだろう。企業は長屋の代わりに社宅を社員に提供したと思われる。戦後の高度経済成長によるインフレ経済で先見の明があった人は借金して家を購入したが、それでも大手企業に勤務していないと銀行からお金が借りられず簡単には家など買えなかったのが実情であった。それが1970年頃から個人が自動車を購入出来る所得水準となりモータリゼーションが起き、その後は持ち家購入出来る所得水準となっていった。勿論、国による政策もあって住宅ローン会社の設立が認可され、持ち家の人が年々増加した。1994年位迄はインフレ経済であったので、10年位で住宅を買い替える事を念頭に置き、2度目で終の棲家の戸建を購入するのが一般的な考え方であった。このため、供給者の住宅販売会社も耐久性のない安普請の住宅を造り続け来た経緯がある。然し、1996年以降はデフレ経済で住宅価格が上昇しない前提での購入のため、一生に一度の買い物として住宅を考えるように変わったので、購入者はインフレ経済時代と比較すると住宅の品質を重視するようになって来た。インフレ経済時代より品質は良くなっても近年の住宅は設備的な面で建築コストが掛かるようになったために躯体的には耐震基準をクリアしているが必ずしも長期的に耐えられるとは言えない見掛けだけの住宅も多いのが現状である。21世紀に入り、グローバル経済による格差社会の中で住宅、更に今回の様な大きな経済変動が周期的に起きる事を考えると親子三代が使える様な頑丈な住宅の建築であり、この住宅に付くローンの実現を提案したい。100年の耐用年数の住宅の建築となれば、現行の様な人に貸す住宅ローンでなく、建物に付帯するローンにすれば、中古住宅として次の購入者に自動的に安いローンを提供することが出来て理想的と考える。環境的にも住宅資材を消費財として浪費することがなく、住む人にも負担が少ない「百年住宅」の普及を考えようではありませんか。
短期利益の追求がすべての分野に弊害を与えている
金融的な発想である短期的な利潤の追求の考え方が経済を破壊した。先輩から聞かされてきたのが、金融機関の企業の再建手法は縮小均衡方式であるので真の企業の再建にはならない。確かに、「人員削減」、「不採算部門の切捨て」などを行なうと短期間に会社は再生した様に見えるが、会社の再生は「経費節減」や「赤字部門の切捨て」だけでは直ぐに経営に行き詰まる。本当に重要なのは組織の活性化である。今回の金融危機でホンダの福井社長の言葉に胸を打たれた。世界的な経済不況で売上げが大きくダウンしたのに伴って人員の削減に多くの企業が踏み切る中でホンダは先ずF1レースからの撤退を決断したと言う。人を大事にするホンダの創業者の精神が生きている。物つくりの現場で一番大事なのは人である。我々の不動産業界でも同様である。建築物を造ると言う事は、金融機関の様に中途採用の人材で通用する様なことではない。最近、ファンド事業に携わっている方の話を聞いて考えさせえられた。今回の金融危機で収益物件の買手はファンドでなく個人が多くなったので建物の評価が厳しいとのことであった。確かに、ファンドは短期所有であるので厳しいように見えても表面的形式的だが、個人の所有者は中・長期的に所有するので建物に対する評価の仕方が違うのであろう。不動産業界にも金融機関出身者が多くなり、短期利益を追求する余り物づくりの姿勢を失っている会社が多くなった。建築物は40年~60年は風雪に耐えるのである。いい加減なものを造れば長く恥を晒す事になるのである。何時の間にか建築業界と不動産業界にも短期利益の嵐が吹き荒れ、物づくりの精神を忘れた会社が多くなった。一度信頼を失うと回復するには多くの時間が掛かる。物づくりの経営者は企業価値とは何かを考えるべきである。人財が企業価値を造り、信頼と言う財産が会社を助けてくれるのである。
国民と乖離した公務員の存在に対して抜本的な行政改革が必要
最近、鹿児島県阿久根市の市長が公表した市職員の給与に驚いたのは私一人ではないだろう。田舎の市役所の職員の54%が700万円の報酬を得ている事は尋常ではない。バブル経済崩壊後はデフレ経済なので一般企業は社員の給料は増加していなく、逆に正社員を減らし派遣社員制度の導入で固定費を下げているのが実情である。勿論、給料に恵まれた大手企業に勤務できる者は全体の30%であるから70%の中小企業に勤務する社員の平均給与は400万円以下であろう。尤も、公務員給与の高さに対しては一公務員の責任でなく、人事院の世間離れした感覚であろうと思われる。先般も内閣に公務員の人事権を移そうとしたら人事院総裁が反対しているとの報道を目にしたが、選挙に選ばれてもいない役人が政治家に反旗を翻すなどは以ての外である。政治家も嘗められた話であるが、碌に政策の勉強もしてないで選挙の事しか考えていない政治家だから仕方ない。しかし、国民と乖離した行政組織は百害合って一利なしと思われるので、過って行われた行政改革などインチキであるので、税収に合わせた組織に縮小すべきである。税収が足りないのに、予算を赤字国債の発行で対応する今の政治は完全に狂っているのである。特に、ここ数年の中央官庁の建て替えを見ると、数百兆円もの借金がある国とは思えない。そう言えば、御用学者の元慶応大学教授の加藤寛が政治家や官僚の報酬など削減しても大した金額ではないと言って増税を唱えていたこと思い出した。この馬鹿学者は国民の意識と乖離した公務員の姿を見てどの様に思っているか聞いて見たい。税調の会長を長く務めた御用学者だから当然と思っているかも知れないが、この様な官僚の代弁者となって利用されている学者に対しても国民は糾弾すべきである。省庁の審議会などは官僚の作文を鸚鵡返しに言っているだけなので、マスコミがニュースに流しても信用しない方が良い。今回の世界的な不況を契機に抜本的な行政改革を行う政治家を支持するべきと考えるが、残念ながら見渡しても渡辺義美代議士位しかいないのは情けない。
株式市場はインターネットを通した「風説の流布」で混乱
困ったものである。1919年の大恐慌時には情報が少なくて経済が混乱したが、今回の金融危機では情報過剰によって経済が混乱している。特に、インターネットを利用した悪質な「風説の流布」で株式市場を混乱させている売りの仕手筋がいる様だ。インターネットの掲示板は情報の真偽に関わらず掲載出来るのが問題であろう。尤も、総会屋類の村上ファンドが企業価値の向上を促す行為と評価された現代では何でもありなのかもしれない。企業もインターネットの掲示板などを常時チェックするセクションを置いてスピーディに対処する事が必要になって来た様だ。企業は多くの社員の生活の場である。それが投機の対象となり、企業存続の危機を齎すまでに影響力を持つに到ったインターネット利用については何らかの規制が必要だろう。しかし、悪質な利用者によってインターネットに対して国家権力の規制が入る前に業界自体が自主規制を行うべきと思われる。