副担任制度の導入は一学級に一人の担任制の壁を壊した快挙と捉えられるかもしれないが、良く考えると企業の経営の失敗の基本である2頭体制とどう違うのか疑問に思った。教室に二人の担任がいると言うことは、成長過程の子供達が二人の先生と向き合うことになり、二人に教育方針の違いがあった場合の事を考えると副担任制度は正しい選択なのかと思ってしまう。この様に書くと正と副であるので副は正に従うから問題ないと反論がでると思うが、副担任制度の導入は教師の側からのもので子供達のためのものでないのが気になるのである。私の子供時代には一クラスの人数は45~50名であったが、今は多くても一クラスは30名前後と思われる。この人数を二人で授業しなければならないほど教師のレベルが下がったのかと思うと情けないのひと言である。もちろん、教育に情熱を持った多くの教師がいると思うが、最近の教師を見ていると威厳が感じられない。これは単なる生活のために教師の職業を選択した者が多すぎると言う事とであろう。個人のリスクばかり考えて子供と接しているから子供達にそれを見抜かれ教室内の子供を制御できないだと思われる。私の時代にもダメな教師はいたが、多くの教師は教育と言う職業を自覚して真剣に子供と向き合ってくれた。私などはやんちゃだったので大分教師には迷惑を掛けたが、当時の先生方は子供達を決して見捨てたりしなかった。子供達のための副担任なら未だしも教師のための副担任制度の導入は情けない大人を見せるだけとなり、教育にプラスにはならないと考える。私の母方は母を始めとして教育に携わった家系なので余計に今の教育の有り方を考えてしまう。
心眼を持つ
現代社会の情報の氾濫の中にあって心眼を持つこと必要であると思う。新聞の記事ひとつとっても誰が何の意図を持って記者に書かせたのかを読み取れなければ新聞を読むことは害になるだけである。知人に日本の新聞は判断を間違うからと読まない方がおり、彼は専ら海外の新聞を読んでいる。勿論、海外の新聞も意図を持って編集されているので基本的には変わらないと思うが、日本のマスコミは酷すぎると言う事であろう。中国は共産党一党支配で報道に制限を加えているのが誰にも分かるから良いが、日本や欧米諸国などの法治国家では報道の自由が許されているので中国の様な事はないと多くの人が思っていることが問題なのである。尤も、マスコミが流すニュースは論説でもない限り時間に追われて検証する暇がないので間違いが多いのは当然である。このため、心眼を持つ事が如何に大事かである。多くの人とお会いして驚くのは殆んどの方が新聞・TVで流した内容をそのまま信じて話すことである。相当に社会的の地位が高い人でも同様である。米国が日本のマスコミを通して世論を誘導してコントロールしていると言う話を聞いたことがあるが、普天間基地移設問題などの報道を見ると正にはその裏づけが取れた思いがする。この様に書くと被害妄想の類と非難する人が出てくると思われるが、記事を書いた本人さえも分からない位に海外の情報機関は巧妙だということである。況して、今日のマスコミに従事する人達には愛国心がある人物が少ないと思われるので尚更である。そう言えば、平成ミニバブルの頃は電車で若い男女が日経を読んでた姿を見かけたが、最近は少なくなった様な気がする。先人の言葉に「書物に書かれた事を全て信じるなら読まないより害となる」があるが、正に新聞報道にも言えることである。
今は地方自冶体が面白い
大阪府の橋下知事、名古屋の河村市長、鹿児島県阿久根市の竹原市長など中央の多くの政治家と違い直接行政を執っているいる分、面白い人物が出てきている。この面白い人物に宮崎県知事を入れないのは、彼に関しては宮崎県産の産物を知らしめた成果は認めるが、政治家としては古い枠組みから出ていなく、創造的な改革を期待できないからである。この方々以外にも全国の市町村には名物首長がおり、気骨がある町長としては福島県矢祭町の根本町長などは群を抜いている。また、同じく福島県双葉町の井戸川町長などは財政難から給与を一時的に無給にする議案を議会に提出した。翻って、国はどうかと見れば800兆円もの赤字国債を抱えているにも拘わらず誰一人として議員定数の大幅削減や公務員の大幅削減、議員報酬の返上などの意見が聞かれず、聞こえるのは消費税などのアップばかりである。マスコミまでも官僚の宣伝に乗って消費税率を「上げなければ国が滅ぶ様な報道ばかりである。もちろん、地方自冶体の首長経験者の中には前横浜市長や前宮城県知事の様な市民や県民の期待を裏切ったにも拘わらず、政治家の野望を捨てず未だ税金を食い物にする様な輩もいるので、玉石混交を承知で頑張っている地方自冶体の首長を評価しているのである。鹿児島県古久根市の竹原市長などは孤軍奮闘で頑張っており、今の常識からすればとんでもない事を行っていると見えるのであろうが、本当にそうなのかと言いたい。今の無責任な世の中に一石を投じているドンキホーテの様な姿は貴重である。名古屋の河村市長も財政難を立て直すために正論を吐いているのである。政治家など無給の覚悟がなければ立候補する資格はないのである。田中角栄と言う馬鹿者の出現以降、世の中金が全ての物差しになってしまったが、お金は後から付いてくる物なのである。先に金がありきで物事が良くなった例がない。地方自冶から真の改革が起こり、国の改革に繋がる動きを期待したい。
物件キャッチボールの不動産リート
全く驚く話だが、森トラスト総合リート投資法人が森トラスト所有の東京汐留ビルディングを取得し、逆に同リートが保有する赤坂見付MTビル(ビル名からリート取得前は森トラスト所有と考えられる)を森トラストに売却する記事が掲載されていた。本物件の賃貸収入から得られるNOIが昨年9月の同リート全体の利回りを下回るとのことであった。更に、その日経の記事には取得に伴って負債比率が上昇するため公募増資で財務内容を改善する公算が大きく、そうなれば分配金が希薄化する可能性が高いと書かれていた。上場している不動産リートが同リート立ち上げ会社の新旧の物件をキャッチボールする様な行為は利回りが向上したり負債率が下がるのなら兎も角両方ともマイナス要因なのだから物件自体が入れ替えで良くなったとしても世間で言う利益相反以外の何物でもないのではないか。そう言えば、兄弟会社の森ビルの森ヒルズリート投資法人も同じ様な自分の所有物件を同リートに売却するなど不透明な行為があった。不動産リート自体がもともと不良債権の処理容器として立ち上げられたことを考えると他の不動産リートも似たり拠ったなのであうと推測される。新興の不動産会社が同じ様なことを行なうと叩かれるが、大手不動産会社などは問題化されもしない。この様な不動産リートを購入する一般投資家は馬鹿を見るだけである。市場万能主義の政治家や学者にこの様な行為が当然であるのかと聞きたい。尤も、資本主義社会では騙されるのが悪いと言う格言もあったのを思い出した。インサイダー取引は禁止されているが、実際には見つからなければ良いと言う考えで動いている現実を見ると社会が悪くなるのは当たり前と思われる。
日本経済の低迷は創造力を貧困にする教育制度にあり
平成ミニバブルで破綻した不動産会社のひとつの特徴は、企業規模の拡大により有名大学出身の社員が多くなって他の会社との事業の差別化がなくなったことである。事業の着想は経験知に基づくものであるが、それ以上に重要と思われるのは自由な発想や創造力である。今の社会を見ると学歴社会なので当然ではあるが、有名大学出資者の社長や社員の会社が目立っている。不動産業界などは不動産の証券化もあり、金融技術を駆使できる高学歴の社員が集中した。この結果、金太郎飴的な会社となり事業の差別化もなくなり、机上の空論のプロジェクトを推し進めて破綻した。不動産業界だけではないが、日本の有名大学出身者の多くは創造力や自由な発想に関して貧困であり、然も同じ様な発想しか出来ない。更に、大企業に入ると必要以上にリスクに敏感となり、能力を半減してしまう。日本の教育はふり返ってみると、同じ様な人間を育てる事に注力しており、個性的な生徒の出現は望んでいない教育システムである。このため、中卒より高卒、高卒より大学卒と上の教育を受けた人ほど発想が似ると同時に創造力が貧困になってしまうと思われる。勿論、学校教育の他、家庭教育の影響もあるが、日本人は農耕民族であるので本質的に他人と別な行動を取ることを避けるDNAがあるので、殆んどの家庭が学校教育の範疇にあり、個性的な性格は変わり者扱いされてしまう。今の日本経済に求められている人材は変わり者なのだが、折角変わり者が成功しても有名大学出身者を幹部に登用して他社と変わらない道を歩み始めてしまう。これは日本社会では変わり者が企業を大きくして行くのには限界を感じて方向転換するのであろうが、殆んどの会社はこの方向転換で失敗する。マスコミや学者などは創造力を求めた経営努力を促すが、それが出来ない原因が教育制度などにある事に触れないので解決しないのが実情である。この様に書くと「ゆとり教育」を取り上げて反論するであろうが、押し付けたゆとり教育では人材が育たない事を知るべきである。学ぶ場所は、「常在社会」である。
全くナンセンスな日本と新興国との比較
日本経済に対する多くの論調が日本経済を立て直すには海外からの投資が必要不可欠であるとしているが、本当にそうかと疑問が湧いてくる。新興国に流れるマネーに負けないように日本企業もアジアで見劣りしない収益力へ経営を立て直す考え方は一見正しいように見えるが、新興国と先進国の日本とは経済成長率一つとっても同じではなく、幾らグローバル経済と言っても投資効率から見たら新興国の方が良いに決まっている。投資家とすれば日本はリスクマネーの投資先ではなく、逆にリスクをヘッジする資金の投資先としてのポジションではないかと考える。リーマンショック以来円高になっているのはリスクヘッジの期待度が高いことを証明している。もちろん、日本企業に株の配当や株価の上昇を期待できる経営内容がなければ問題外だが、日本の株式市場が規制緩和以降の安易な企業の上場推進と上場企業の倒産の増加で新興国と同様のリスクマネー対象の市場に変貌してしまったことにも問題があると思われる。日本人や日本企業がリスク投資を好まないのは国民性もあろうが、それ以上に政治を信頼していないことが最大の原因である。世界に類を見ない金融資産を国民が保有している日本においてリスクマネーを導入しなければ世界の中で日本が沈んでしまうなど論説はナンセンスである。日本が経済も含め国民が内向きになったのは20年前の経済バブルの後遺症もあるが、それ以外にも教育や行政の腐敗、政治の貧困さに大きな原因があり、国民が将来に不安を覚えているからである。アジア各国が成長してきている今こそ日本が主体的にアジア各国にリスクマネーを注ぎ込んで日本とアジア諸国が一体化する経済の構築を推進することが大事なのである。リスクマネーを日本に呼び込んで経済を活性化するなどは時代遅れの発想である。グローバル経済の本質を見誤った論調など百害合って一利なしである。
与謝野・平沼の新党は高齢者を代弁する政党となれ
自民党執行部に若い人を起用しろと言って受け入れらずに党を割った与謝野議員だが、与謝野・平沼新党の発足を見ると、正に高齢者党に相応しい陣容である。良く考えると高齢者が増加する中で高齢者を代弁する政党がないことに気づいた。選挙民は自分達の考えを代弁する政党を選ぶ儀式なのだから高齢者の意見を政策に反映してくれる候補者は高齢者ではないかと考える。若い人に高齢者の問題が理解できるとは思えないし、今は鎖国後の明治維新ではないのだから全て若い人に託せば良いと言う考え方がそもそも間違っている。与謝野・平沼新党も若い人に媚びず、自分達が培った経験と知識をフルに活用して新しい日本を造る気概を持って欲しい。逆に、50才以上の候補者しか擁立しない政党でも良いと考える。若いから全てが良いなどは幻想である。特に、経済成長を遂げた後の世代の教育を受けた人達は政治家の適性を持っている人は少ないと思える。もちろん、利権三昧の高齢な政治家や候補者を指して高齢者政党を造れと言っている訳ではない。高齢者でも若い人が適わない頭脳と斬新な考え方を持っている人はいるのである。高齢者が全て時代遅れの考え方を持っていると決め付けるのは間違っているし、その反対に若い人でも保守的な考え方であれば期待できるわけがないからである。TVや新聞では明治維新期を殊更取り上げて社会を鼓舞しているが、あの世代と今の若い世代は似て非なる存在と気づかないと日本の先行きは悲観的に成る。
閑話休題
不動産の仲介や開発などで多くの人達とお会いしたが、初めてお会いする人を判断するのに今でも役に立っているのは先代の教えです。先代も誰かから教えを受けたことかどうかは知りませんが、少なくても人生を長く生きて来ないと出ない知恵です。科学的な根拠はありませんが、顔の似た人は考え方が似ていると言う人生観です。閑話と言いながら何故今頃になってblogで書くのかといいますと、最近の出来事でその教えが蘇えったからです。その出来事とは、今後の展開の予測はつきませんが、現状ではビジネスのパートナーとして歩む方向で協議している人を観察した結果です。二人とも営業力は抜群であるが、専門家と呼ばれる人を直ぐ信用して過大な評価をしてしまう。又、セッカチであると同時に気に入らない話は聞かない。人情味があるので部下には慕われるが、結構人の好き嫌いが激しい。人間的な長所は沢山あるものの、経営者として見た場合には重要な判断に専門家の意見を聞きすぎると言う致命的な欠点を持っています。また、一度自分の中に築き上げた人の評価はどんな事があろうとも変えない。この欠点は優れた営業マンに多く、頭は良いのだが、大手会社のサラリーマンの如く専門的な知識を自ら勉強するのではなく、専門家を信頼過ぎて任せてしまうことです。若くして経営者になった人は専門家を余り信用しません。その理由については本blogでは言及せず別な機会に述べることにします。この様に書き進めてきて気が付いたが、二人に大きな違いがありました。それは一人は酒が強く毎晩晩酌を欠かさないタイプだが、もう一人は余り好きではないとのことであった。勿論、車の運転が好きな事やゴルフの腕前が違うことなど枝葉末節なパートナーとしての評価には関係ないことでの違いはあります。一番重要な事は、思考能力において似ていることなのです。そう言えば、人を褒め上げる事も上手ですが、仕事が上手く行かないと直ぐにけなす癖もあります。一人の方は他界しましたが、その方は私にとっては仲人であり、後年はビジネスパートナーであった恩人です。新たなパートナーなる人は既に私の恩人ですが、気になるのは余り性格が似ているので錯覚しそうな事です。
ダムと河川堤防と将来の災害リスク
日本人はと言うより世界はと言った方が良いかもしれないが、人は河川の洪水を防ぐために堤防を構築して災害を防いできた。自然からすれば大きな迷惑だが、人は水資源がなければ豊かな生活が得られないので水をコントロールすることが重要な事であった。しかし、自然から見れば河川が洪水して土砂が四方に散乱するのは土地の豊饒さの上で良い事であった。自然のシステムでは山の恵みが河川を通して海に流れ魚が育つサイクルがある。この自然のサイクルをダムや河川堤防、更に海岸堤防などを構築して壊しているのが人間である。以前、元長野県知事の田中康夫がダムを造らず河川堤防で自然を守ると宣言し、民主党の国土交通省の前原大臣が別な視点ではあるが、ダムを造らず河川堤防で対応することを同様に説明していた。確かに、ダムは水をコントロールするには役に立ったが、その反面海資源に対しては大きなマイナスを生み出した。田中氏と前原氏が口を揃えて河川堤防で自然災害に対応する方法は大丈夫なのかとは一般国民は誰も考えていないと思われる。都市部の公共事業の減少に伴って国土交通省などは20年以上前から上部に建物を構築出来るスーパー堤防の築造計画を推進しているが、正にこの様な堤防の建設計画は河口付近に堆積した河川土砂の捨て場に利用すると言う代物であった。殆んどの人は知らないのだが、ダムの影響で河川の土砂が問題になってきており、その土砂の捨て場に困って堤防付近に浚渫土砂を積み上げているのが現状である。近年は首都圏に大きな台風が到来していないので現時点では問題になっていないが、河川土砂は大きな災害リスクを孕んでいると言われている。また、堤防の巨大化は堤防周辺の地下水にも影響があると言われており、知らずにいるうちに災害リスクを大きくしている可能性が高い。良かれと思ってきた事やそれに伴うマイナス部分の対策が結果的に別な大きな災害リスクを造ってきていることを考えると従来の国土改造の遣り方は人間だけしか見ていない方法であったために問題が生じてきたと断言できるので、今後は自然と人間の両方を考えたバランスが取れた対策が必要と思われる。しかし、行政の都合の悪い事は国民に明らかにしない考え方は国を滅ばすことになると改めて思料する。今回のblogは長く民間の立場で活躍してきた技術士の方との雑談で教えて頂いた事柄である。
郵貯限度額の引き上げに反対
狙いは国債購入資金であろうが、海外にも郵貯の資金運用先を求めるとのことに関しても大きな疑問を持たざるを得ない。何故今、郵貯限度額を引き上げる必要があるのかは冒頭に述べたように国債の購入が目的なのであろうが、この決定は赤字国債の更なる拡大を招く愚策としか言えない。今年度の予算が92兆円と大きくなったが、この予算は参議院選挙を考えてのもので、日本や国民のためになるものではない。確かに、郵政民営化の過程では不正があり、貴重な資産が投売りされたのであるが、体質的には今も変わらないので資金運用においてアドバイザリーを介在した同じ様な不正が起きないとは言えない。日本国中、インサイダー紛いの行為が行なわれており、不正など意に関しない輩が横行している現在、郵貯限度額の引き上げなど持っての他である。郵政関係が小泉・竹中以降、政治家や悪徳官僚や政商に食い物にされてきているが、民主党政権になってもその図式は変わらない様だ。今夏の参議院選挙で鉄槌を下したくても受け皿となる政党がいない現状は本当に憂慮すべきものであり、鳩山邦夫ではないが新党結成大賛成である。既成の政党の流れを汲む自民党や民主党の政治を吹っ飛ばす新党に期待したい。