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建物の老朽化には①税務的老朽化、②物理的老朽化、③社会的老朽化の3通りの考え方があります。①は償却費の計上に係わるものであり、②は建築物その物の寿命であり、③は科学の進歩等により機能的に時代に合わなくなったものです。過去の建物の老朽化による建て替えは殆どが①を理由によるものでしたが、過去30年は阪神淡路大地震と東日本大地震により行政の誘導もあり、旧耐震(1983年以前の建物)の建物を主として建て替えて来ています。しかし、ここ数年は旧耐震以上に③の機能的に時代と合わなくなったことによる大規模開発が推進されてきています。今から約40年前頃にインテリジェントビルの概念を有した建物の建築が計画され始めました。インテリジェントビルとはビルの運営管理にコンピュータ制御システムを取り入れたものです。この時代の建物はテナントに対するよりはビルのオーナーに対するシステムでした。インテリジェントは1年から2年間の推移で第一世代、第二世代、第三世代と進化して行きました。第三世代は電話機能のPBXをビル内に設置して運用管理システムを構築し、尚且つ電話システムの収益で管理費の一部の負担を軽減する仕組みでした。インテリジェントビルはwindowsの歴史とマッチングします。windows1.0が1985年リリースされ、windows3.1が1992年にリリース、そして社会に大きな影響をもたらしたwindows95が1995年にリリースされ、インターネット通信が社会に一般的となったwindows98が1998年にリリースされました。当社ではこの時期にインターネットサーバーを社内に設置し、大企業でも未だ余り普及していなかった社員一人にPC一台を与え、会社のメールアドレスの取得とホームページの開設を行いました。その後は共同開発後に運営管理を受託した管理組合のHPを作成し、地権者に対するサービスを開始し、更にネット上でテナントに対するお知らせやビルに係る届け出等を行えるシステムを構築しました。このシステム開発は2000年前後でしたので先駆的な事でした。海の向こうの米国ではITベンチャー企業が勃興し、色々なシステム開発の最盛時期でもあります。当社が先駆的に取り組めたには偶然が二つ重なった為でした。一つはリース会社に勤務する友人からリース契約流れのPCがあるので使わないかと言う相談でした。もう一つは学生時代の友人が商社の電子機器の部門に勤務していて虎ノ門で酒を飲んだ時に米国製の安いインターネットサーバーがあることを聞いたことでした。後年、リース会社に勤務していた友人の家族と海外旅行をした時に友人が自分の子供たちに彼は日本のスチーブジョブスと言って持ち上げてくれました。話は大分脇にそれましたが、現在のビルの再開発は社会的老朽化によるものですので、未だ十分に使える築30年前後でもどんどん壊しています。勿論、全てのテナントが最先端の機能を有する高い賃料の建物に入れるわけでもなく、築古小型ビルは依然として税務的老朽性や物理的老朽化、更には旧耐震を理由に建て替えを計画するものと推定されます。なお、社会的老朽化には環境に対する地球温暖化に関するものも含まれますので、大企業に関しては社会的老朽化による建て替えのビルに入ることは必要になると思われます。

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海軍大将の山梨勝之進の名前は知らなかったが、海上自衛隊幹部学校での講話を編集した本で有り、サイレントネービー伝統に生きた提督のタイトルに惹かれて購入した。山梨勝之進は日本帝国海軍の創成期の海軍兵学校の出身であり、日清、日露の各戦争を経験し、第一次世界大戦に係る出来事にも関係し、更に軍縮会議のスタッフとして正に戦前の日本帝国海軍の生き字引の様な人で有ることが分かった。太平洋戦争には退役していたので蚊帳の外に置かれているのだが、現役の上級幹部が山梨勝之進から助言を受けていたならば違った展開になったかとも思われた。尤も、山梨自身が現場の操艦経験が少なくて大将になった珍しい経歴のために太平洋戦争には縁がなかったのが惜しまれる。戦史に精通している他、歴史的な内外の軍人たちの交流を通した講話は本当に勉強になった。私のブログで詳細を紹介することは無理なのでご興味があれば是非お薦めしたい一冊だ。英語に精通していたので米国の戦史や軍人・政治家の評価に関しては私の知らなかったことが満載だ。特に、米国成立経緯や国家国民を分析した個所は驚くべき発見だ。ビジネスマンにも非常に参考になる内容が多く含まれている。昨今、第一次世界大戦前の様な世界情勢が起きているので、今後の日本が道を誤らないために必須だ。戦いに必要なのは孫氏や呉氏やクラウゼビッツの戦略や戦術ではなく将卒に対する道徳であるとの説明や強い相手には先に攻めないなどは剣法の達人の境地と似ているのかと思った。山梨提督は中国の清の時代の軍人政治家である曽国藩を評価している。戦争に勝つのは克己心であることを唱えた人物であり、克己とは道徳の範疇と山梨提督見做している。良い戦略戦術でも戦争をするのは人で有り、その人が弱ければ戦略戦術、更に武器なども効果が発揮できないと指摘している。有能な軍人でも慢心すれば敗者になる実例も示している。昭和の日本帝国陸海軍の軍人などは正に慢心の極致であったと見れる。台湾海峡や朝鮮半島、更には北方領土周辺で戦争が発生するリスクが高まってきた今、山梨提督の講話を読む必要が痛感される。特に、ロシアと言う国が歴史的に北海道を狙っている歴史を忘れてはならない。戦後の日本は非武装中立など理想論が独り歩きをしているが、国家を守るには強い国民の意思が必要であり、それが侵略を防ぐことになると言う言葉を噛み締めるべきだ。手を出すと痛い目にあうことを相手側に思わせることが唯一国や企業を守る要件だ。肝に銘じなくてはならない。

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沖縄返還の密約が話題になり、その後にスクープした毎日新聞の西山記者が外務省の嘱託職員の女性と不倫による情報入手と言う事で幕切れした事件だ。この時に思ったのはマスコミ業界人の言論の自由には何でも許されるのかと憤慨したことだ。この時には不倫だが、殺しも正当化されるかだ。それ以前に密約の中身が沖縄返還時に国民に知らせないで米軍に多額の資金を出したことについて疑問があった。戦争以外で失った国土が戻った例がなかったのに沖縄は米国から日本に返還された。米国がベトナム戦争で疲弊し沖縄を管理するのが負担で戻したとしても返還された事実は重い。そのことはソ連時代に不法に占拠した北方領土を見れば一目瞭然だ。戦争時に取られたものは戦争でしか戻ってこない。韓国と争っている小さな竹島でさえ外交などでは戻らない。当時の自民党の政権がなぜ返還に必要な資金として国民に知らせなかったのかも理由が分からない。疑えば切りがないが、米国に渡したのではなく、国内に還流したかもしれないと思われないこともない。戦後の占領時期に多くの謎の事件が起きたが、松本清張張りの推測では全て米国の陰謀となる。しかし、当時の日本人の政治家が米国の指示としているものには自分たちが作り上げた虚像も多いと言われている。この様な権威を利用しての工作は日本が古来より行ってきた手法だ。天皇然り、将軍然り、大名然り、権威者を床の間に座らせて執行者が好きに政治を行ってきた。当時のマスコミの馬鹿さ加減は沖縄が戻ったことに対する価値より米国に見返りに支払った金を問題にしたことだ。この様な国だから、ソ連が崩壊してロシアになった時にドイツは支援金の支払いで東ドイツを取り戻したのに、北方領土を金で戻せなかったのだ。その新聞も記者クラブの発表記事と税の優遇策で真実を掛けない事が国民に分かったことと情報化時代で嘘を書いていたこともバレてしまって凋落の一方だ。勿論、新聞に同情しないでもないのは日刊紙であるので、記事の裏を取る時間的な余裕が少ないことだ。この為、記事の信用性は週刊誌、月刊誌と取材時間がない出版物の方が信ぴょう性が増すのは当然だ。古い話題を今頃取り上げたのは西山本人の死ぬ前の自己弁護の書物は評価されているからだ。尤も、沖縄返還の米軍に渡ったとされる金が自民党に還流していると言った内容ならば価値があるのだが。私は読んでいないので詳細はしらないが、過去のスクープの域を出ていない様だ。事件や歴史を知らない若い人た達に誤解を与えるのが怖いと思ってブログを書いた。

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老後は新NISAでお任せと言った類の広告記事が目立つ。新NISAは一石何鳥かを狙った政策と思われる。年金が減少する分新NISAで手当てしろとの事だが、現状の株価がバブル期の株高を超えた状況で始めるのは無謀と見るのは私だけであろうか。NISAで1億円を稼いだ記事を見ると株価が低い時期に積立投信を行った先見性に脱帽するが、株高になった現時点では幾ら新NISAで課税面で優遇されようとも始めるにはリスクがあると思われる。私自身は投信に関してはバブル経済における株価暴落で大損した記憶があるので、新NISAを否定はしないが株高の時期に始めるのは愚の骨頂ではないかと考える。しかも、日銀が日本株の主要株主であるので、その出口に関して如何なる考えを持っているかを推測すると余計に積立投信を始められない。過去に大蔵省(現財務省)の役人の考えがバブル期に10万円の記念金貨を発行したことがある。金貨発行には意味があり、一つには金保有量が少ない日本が金を保有する手段であり、もう一つが金貨発行に相載って財政の改善を考えたことだ。当然に後者の意図により10万円の金貨が実質的に金としての価値は7万円位になった。国民に金を保有させる意図が重要であったのに財政の健全化の資金をねん出しようとして失敗したバカな事例だ。当時は大蔵省と言った官庁の中の官庁の時代だが、周知の諺の"二兎を追う者一兎も得ず"を知らなかったのかと思った。今回の新NISAも日銀が保有する投資信託の出口に新NISAを利用する考えが裏にあると見るのは穿った見方であろうか。折角、国民に年金の減少を補う救世主の様に謡っているが、裏には日銀の過剰に保有している投資信託の出口に利用する狙いがあるとしたら太平洋戦争で嘘八百を国民に告げて無謀な戦争を推進した軍部と国民をだます行為は変わらない。戦後80年近く経つと干支の周期の60年を上回り愚かな考えに戻るのかとため息がでる。

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三題噺の様な標題になったが、11月の旗日に藤井総太の師匠が書いた「藤井総太はこう考える」を読んだ。その後にアマゾンのビジネスモデルが中国のECサイトに押されているとの記事を目にした。ご存じの通り、アマゾンは欲しい物を検索して購入するシステムだが、中国のECはインフルエンサーの商品を消費者に提示するシステムだそうだ。AIと一般人の間に藤井総太を入れたのは、将棋界で主流になっているAI活用に関して藤井は必ずしもAIの推奨手を好んで打たないと言う事を書きたかったからだ。逆に、藤井はAIが薦めない打ち方を選ぶ傾向があると師匠は書いていた。更に、藤井は将棋士に多い、先入観や固定観念を持たない打ち手とも書いている。この様に書き進めるとお前は何が言いたいのかと短気な方はしびれを切らして謗ると思われるが、AIを使うことは人間に頭で考えさせないことになる事の懸念を抱いたからだ。その傾向は既に中国版のECサイトがアマゾンを押しのけて来ている事実だ。確かに、人は選ぶと言う行為を苦手としている。売り場などでは同じ商品の選択肢を増やすと迷った末に買わないで帰ることをデジタル社会以前から指摘されていた。この現象は人が欲や間違いをするリスクを避けたい意志が働くためと思われる。尤も、今の若い人たちは類似商品を閲覧して一番価格の安い商品を購入する術を心得ている。自分でその様な術を行使しなくても良ければそちらを選択するのは自明だ。しかし、AIとインフルエンサーは似て非なるものだ。インフルエンサーによっては企業から報酬を受けて行っている人もいる為だ。AIは過去の膨大なデータから最適な解をを提供するのであるから間違いはないとの考え方はあるものの、藤井総太の八冠を見る限り、勝負事は単なる最適な解だけでは通用しない事が分かった。勿論、一般人は藤井総太とは違うので勝負事でも十分に利用価値はあると思われるが、問題は哲学的な思考で発展してきた人類がその頭を使わなくなるデメリットだ。安直に答えが得られるのは受験勉強時代に準備された答えが書かれた安直な問題集を思い出す。問題が解けなくて直ぐに回答を見てしまうと力が付かない苦い記憶だ。AIに関しては正に安直な問題集と言えるが、要は使い方次第であろう。藤井総太はAIの研究も行ってる上での対応を行っているからだ。グーグルなどが出現してから物を調べることに関しては楽になったが、果たしてそのれが人にどの様な悪影響が出るのかであるが、既に出て来ているのではないかと懸念される。

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私が建物の管理業務の部門を立ち上げた時に大手のビルメンテナンスから移籍して協力してくれた方が会社に来たことを社員のラインの通知で知った。私の自宅に電話を掛けたが、現在使われていないとのアナウンスを聞いて心配しての来訪だった様だ。ラインの通知では持参したお菓子の件と訪問者の方の自宅の電話番号が記載されてあった。この為、翌日に自宅に電話を掛けたらアナウンスで録音するとの後で呼び出し音がなって本人が電話に出た。録音のアナウンスはオレオレ詐欺を警戒しての措置と推定され、現役時代の技術者の姿が蘇った。電話口には80才後半になるのに現役時代と変わらず元気の良い声が聞こえて来た。当社に勤務していた時に親しかった社員の消息を聞いてきたが、二人とも既に亡くなっていることを告げたら驚いていた。特に、事務方の窓口として接触が多かった若い社員が58才で亡くなったことを告げると余りも早いのに嘆いていた。私の事を聞かれたので5年前に後継者に経営を譲ったことを知らせた。久し振りに訪れた虎ノ門周辺が高層ビルに囲まれて大分様変わりをしたことに驚きの感想を述べたので、私も30年前には現在の光景は想像できなかったと答えた。私に関して何処にいるのか聞いてきたので同じ住所であるが、携帯電話がメインになったので固定電話を解約したことを話し、心配をかけたことを詫びた。私が部長時代にビルのメンテナンス部門を立ち上げる以前に本社ビルの現場管理設備要員としていた方だが、当社に移籍してから私が常務取締役、代表取締役社長に就任した中で一生懸命働いてくれた。今の若い人たちにとっては経営者と従業員の関係が退職後も会社や経営者を心配することには理解が出来ないかもしれない。昭和、平成、令和と元号が移ってきたが、正に昭和の時代に生きた人達の運命共同体の姿と言える。何度も若くして亡くなった事務方の社員の早世を悼んでくれた。私の年齢にももう少し若いと思っていたらしく何度も聞き返された。若しかしたら、ある時点で私に対する記憶が止まっているのかもしれないと思えた。家庭の事情で辞めた後に再度復帰を要請したらビルシステムのバージョンアップについて行けずご迷惑を掛けたくないからと丁寧に断られた。プロの仕事師と理解した。その事を記憶していたのかもう少しお手伝いが出来れば良かったと話された。"老兵はただ去るのみ"の言葉が頭に浮かんだ。母が先月に99才で亡くなったこともあり、老兵の訪問には感傷的になった。

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イーロン・マスクに関する本を読んだ。IT業界出身なので当然かもしれないが、経営に関してプログラムを自ら書き上げる様に全てに関与しなければ我慢が出来ない手法に興味を持った。理系の頭脳と自ら理解し納得しないとダメな性格が強烈な現場主義の経営を生んでいるが、更に既成概念や先入観に対して全て疑う姿勢は生い立ちや遺伝の結果と本には書かれているが、創造的な事を起こすには否定から入るのは当然とも言える。尤も、イーロン・マスクの下で働く人は使い捨てを覚悟で働く必要があり、安らぎが欲しい場合には退職するしかないが、若い時ならば苦にならないとは思われる。イーロン・マスクに関しては別な本(創始者たち)でIT業界における起業の時の仕事ぶりを知っていたので、今回の本では電気自動車に取り組む姿勢、ロケットの開発、衛星通信への進出に興味があった。最終章ではTwitterの買収が語られており、未完成の物語として扱っている。イーロン・マスクはアップルのスチーブ・ジョブスやマイクロソフトのビルゲイツと同じ評価があるが、イーロン・マスクは生産現場の作業まで自ら体験して判断する稀有な持ち主なので、デザインに終始したジョブスやソフト開発に止まったビルゲイツとは根本的に違うと思われる。イーロン・マスクはアスペルガーと言われており、確かに人との付き合いなどや社員の扱いを見るとその傾向にあるかもしれないが、天才に良く見られる様なとことん突き詰める性格が彼を成功に導いてると思われる。翻って、イーロン・マスクと同様な人物が日本にいるかと言えばNOと言わざるを得ない。しかし、イーロン・マスクにも中国に対する市場を考える余り、自らのアイデアを盗まれるリスクは考えなかった様だ。中国の電気自動車は今や上海のテスラ工場の電気自動車を模倣して世界に打って出ている。日本では今、工業専門学校の生徒に注目が集まっているのは正にミニイーロン・マスクの様な人材が求められているのと思われる。勿論、イーロン・マスクにも弱点はあり、それは人文系の知識の分野と見られる。更に、電気自動車でもトラックに関しては未だに完成しないと言われているが、その失敗はトラックの使う人達や業界を省みずに設計したからの様だ。ロマンを追求するあまり、現実とのギャップがトラックに関しては起きてしまった様だ。少ない失敗の一つだ。イーロン・マスクの信条は出来る迄遣り続ける事であり、然も短期間に行うことが他者との大きな違いだ。何れにしても、イーロン・マスクについて書かれた本は一読に値する。

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新型コロナ以前にWeWorkのレンタルオフィスが世界中で拡大していた。日本にも上陸しレンタルオフィスを展開している。今、WeWorkが新型コロナ後に発祥の地の米国で凋落している。日本のソフトバンクも大株主として投資している会社だが、日本においてはレンタルオフィスの歴史は長く、WeWorkのビジネスモデルに関しては日本のモデルにIT化とベンチャー企業用に入居者同士のコミュニケーションの場を設けているのが特徴的であった。それ以外には世界中に展開しているのでグローバル企業にとっては最小コストでオフィスを開設出来ることも利用者にとってはメリットであった。日本のレンタルオフィスとしてはWeWorkを参考にして各地の都市にレンタルオフィスを展開し、一か所で申し込むと他の地域のレンタルオフィスを使えるサービスが出て来ている。三井不動産や日本経済新聞などが展開している。過去の日本のレンタルオフィスはブース貸しが一般的であり、秘書サービスやポストサービスや会議室を提供し、レンタルオフィスに会社の住所を使うのを認めたものであった。山京の様に秘書サービスとポストサービスと会議室だけでブース貸しがないシステムもあった。バブル経済崩壊後には空きオフィス対策としてレンタルオフィスを計画した貸しビル業者もいた。変わり種としては、日本の行政が関わったレンタルオフィスがあり、外国の企業の進出準備を提供する場であった。高層ビルに期限付きで低価格で提供したもので、結構外国企業は利用していた記憶がある。日本ではコロナ以後はレンタルオフィスを勤務のサードパーティとして位置づけようとしている。勤務形態を①本社勤務、②テレワーク、③レンタルオフィスの3方式にすることだ。米国はモノづくりの企業が少ないために新型コロナ後はテレワークが減少せずに一挙にWeWorkのビジネスモデルが危機に陥っている。日本はまだ多くのメーカーが国内の生産を行っているので、米国とは異なり本社に出社してフェイスツーフェイスの必要性が浮上している。有名企業のホンダの"ワイガヤ"が創造的な活動に欠かせないと言う認識があり、テレワークではワイガヤは難しいと言うのは当然と思われる。尤も、車でもソフトがメインになる時代なので、日本も今後は変わる可能性は高い。日本人は意外と理解していないが日本のアイデアが海外に移って様相を新たにして逆輸入してくるケースは多い。携帯のネットなどはドコモのアイデアであり、携帯電話の音楽配信もソニーのウォークマンにルーツがある。誰も言及していないが金融危機で問題となったサブプライムローンの仕組みも日本の5年元本返済据え置きローンを参考にしたものだ。尤も、サブプライムローンが問題になったのは住宅ローン債権として分割して多くの債権と合体させて販売させた手法にあり詐欺師の商法だ。日本のオフィス需要もWeWorkのビジネスモデルが後退すると影響が出ることを指摘したかったのだが、途中で横道に逸れてしまった様だ。

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今、歌謡曲で鳥羽一郎の息子が"二代目"との曲名を歌っている。一般的には徳川家康の徳川家で二代目、三代目について模範的な家継承を伝えられているが、悪い意味では二代目は"二代続いての長者なし"、三代目は"売り家と唐様で書く"との格言は有名だ。二代目も三代目も初代と比較するとは当然の言葉だが、二代目に関しては初代の苦労を見てきているので散財して家を潰す例は少ないと見られている。三代目は初代の孫なので厳しさより甘やかされて育っているのは確かなので、能力が相当に秀でていないと初代が起こした事業を継承するのは難しいのかも知れない。しかし、過去に不動産開発でお会いした京都に本社がある二代目と三代目は一般的な事例と違い、二代目は派手な人であったが、三代目は初代の祖父の血を引いたらしく堅実な方で有った。確か、学歴的にも優秀で京都大学を出ていた。この為、二代目、三代目の評価に関しては必ずしも答えがなく、その人物を見ての判断が重要と思われる。二代目と称してブログを書いたのは、ビックモーターの二代目に関して疑問を持ったからだ。グローバル経済とデジタル経済、デフレ経済に見舞われている日本において過去の二代目、三代目の議論は意味がないのかもしれないが、私が若い頃に都市銀行の子会社が主催する後継者研修に参加していた時に事業継承者の先輩から聞いた話に納得感があったので、その意味でもビックモーターの企業姿勢に関しては不思議な感がした。先の事業継承者の話は、長男が継承者として位置づけられると、父親と事業方針で意見を異にして継承者に残れないと言うものであった。その時に父親が65才以前か以後がで後継者の位置づけが異なり、多くの企業の後継者は次男となっている理由になっている。ビックモーターの二代目は早稲田大学卒とMBAも取得し、損害保険会社に勤務してから父親の会社に入ったとの報道であった。ビックモーターの親子の年齢から見て息子に全権を渡したとは思えないが、二代目に経営を任したとすれば事業の存続に対する危機感があり、若い世代に事業を任した方が良いとの判断があったかもしれない。過去の2代目の二つの経験則に該当しないビックモーターの二代目に関しては違う見方が必要なのかもしれない。26年前にバブル経済が崩壊しても自動車産業に関係する企業は不景気などないと謳歌していたが、2000年以降のテスラの電気自動車の出現とテスラ創業者が唱える自動車保険のデータ採用による保険料金の引き下げは、自動運転の出現と相俟って損害保険会社にも脅威を及ぼしている。損害保険会社の稼ぎの60%が自動車保険でカバーされている現実は将来の事業に危機感を持たせている様だ。ビックモーターの事件も背景は複雑と思われる。翻って、米国のIT企業を見ると二代目、三代目など身内を後継者に選ぶなどは眼中にないし、身内が事業を継承できるなどとは考えていない。確かに、米国のIT企業を創業した人達を見ると頭が極めて良い。頭が良いから技術開発と経営の区別も理解しているので、創業した会社をプロの経営者に任せる考えが強い。私自身も従業員を考えれば後継者を身内に限定した考えはなかった。能力があれば継承すれば良いし、能力がなければ継がない方が幸せだと思ったからだ。そう言えば才能を必要とする職人の世界には身内を積極的に後継者とする習慣がないように思われるが、歌舞伎の世界などは幼い時から芸を身につけさせて後継者に育てている。スポーツの世界は一代で終わるのか、幼い時から学ばせても親を超える才能を持った二世は見かけない。勿論、経営は技術と言うよりは感性に近いのかもしれない。後は運が必要と思われる。今回は二代目の標題だが、取り留めのない話に終始してしまった。

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デジタル社会になり音楽の世界では現在過去未来の区別がなくなったとの声が聞かれるが、最近は消齢化と言う言葉がメディアで見かける。過去より年齢による区分が無くなってきている様だ。バーチャル世界では年齢を偽ることが出来るのでその事がリアル世界に反映されて来ているのかと考える。確かに、デジタル社会では幾つもの自己を創出が可能であり、バーチャル社会でリアル社会で出来なかったこてを実現させることも可能だ。脳がバーチャル世界とリアル世界とを異なる世界と認識出来にくくなることが指摘されている。音楽の世界に時の境が無くなり、消齢化が起きているのはバーチャルとリアルとの境が未来社会では無くなることを暗示しているのかもしれない。現状でもデジタル技術が人の脳に影響を及ぼしているので、更に科学が進むと如何なる世界が現れるのだろうかと思ってしまう。翻って、最近の歴史小説ひとつとっても過去に考えられない斬新な発想で書かれている。これもデジタル社会で人の脳が影響を受けていることならば確かに人が課題解決に一歩進められるのかと期待できる。ミクロ世界の量子力学が開いた扉は人類が経験したことがない世界に連れて行ってくれると思われるが、それは明るい未来になることを祈りたい。