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安倍ノミクスに対する評論は様々だが多くは未だ結果が出ていないという事だ。しかし、私は一般的な評価と異なり成功していると思ってる。理由は大企業が高利益を上げ、地銀は合併を進め始めた。勿論、安倍ノミクスはデフレからインフレに移行し、経済成長に向かわしめることを唱えているので、その点から結果が出ていないと言われているだけだ。日本と同じ経済先進国がグローバル経済の中で苦闘している中で簡単に日本だけがデフレから抜け出して適度なインフレを起こし、経済成長など出来ると考えるのは幻想だ。

消費増税の先送りの選挙など初めから想定していたものと考えられる。安倍ノミクスなど幻想に過ぎないことは、円安ひとつとっても自明だ。過去や歴史を知らない若い世代が今度の円安を歴史的な円安と言った表現をしているが、1ドル360円から今日の円高を見ている世代にとっては馬鹿ではないかと思ってしまう。今から20年前の事だが、円高から円安になり、1ドル145円前後になった時に多くのマスメディアがこれ以上円安が続くと日本経済が吹っ飛ぶ様な見方をとった。しかし、誰もが分かっている様にその様な結果には到らなかった。

さて、安倍ノミクスの正体はと言うと、大企業支援と福祉切り捨てである。女性の活用と言いながら保育所建設などの資金2500億円をねん出できずに欠陥品の軍用ヘリコプターであるオスプレイ導入1800億円ひとつ見ても国民向けの顔と実態は違うのである。今後は国の借金を理由に年金、医療など国民にとって重要な予算が削られることである。然も、それらを守る為と言って増税を断行してである。何処の国にも生活必需品に消費税を課しているくにはないのにマスメディアも余り言及しない。何故なら、メディアは軽減税率で懐柔されているからである。政治家やマスメディアは国民の事など念頭にない。この事実だけは明瞭だ。

それでは安倍ノミクスにおける今後を考えると、消費税税増税、相続税の強化、年金・医療切捨てと格差社会による犯罪の増大など国民にとっては好ましくない未来だ。勿論、表面的にはロボット技術や多くの新技術の実用化でバラ色の未来が待っているかのような幻想を持たせながらその恩恵は一部の人達に集中することになると推測できる。この為、余計な税金は支払わない取り組みで自己防衛が必要になる。国に金を持たせると無駄使いするだけだ。政治家や官僚などは人の金を自分お金の様に使う人種だ。しかも、その金は知恵がないからどぶに捨てる様なものだ。国の借金を削減するには国有地や米国債などの資産を売却することだ。増税ではない。増税を唱える政党には投票しないことが重要だ。

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11月初旬の三連休には広島に法事で行く予定があり、折角交通費を使って遠出するので有効にお金を使う事を考え、今まで行った事がない場所として高知県を選択した。何故、高知県かは二つ理由があった。一つは、瀬戸内海大橋を鉄道で渡ることであった。二つには、高知県はビジネス的にも行く機会がありそうもないことであった。しかし、高知県の小旅行を計画して困ったのは一泊目は岡山から高知に行く鉄道利用なので時間的に高知市内ですぐ決まったが、問題は以外と横長なので、足摺岬方面か、室戸岬方面の何れかに決める必要があったことだ。

熟慮の末に室戸岬方面に決めたが、室戸岬地域には宿泊したいホテルが1軒あったが、予約出来ずキャンセル待ちなのが痛かった。兎に角、旅程を決めないと移動関係の予約も出来なくなって仕舞うので、一泊目のホテルを高知市内の高知城近くの三翠園に決め、新幹線、在来鉄道、そして帰京の航空チケットを予約した。交通とホテル以外は何も決めずの小旅行だったが、初日の高知市には夜の9時到着であり、それを憂慮した義兄が高知市に行くときに良く使う家庭料理の「京や」に急遽予約入れてくれた。義兄からホテルに付いたら直ぐに行くように指図を受けたので、到着後慌ただしく"京や"飛び込んだ。

お店はカウンター席が5席、他にテーブル席ひとつの小さなものだった。切り盛りしているのは年配の女将さん一人であった。予約を伝えると義兄の事は良く知っているらしく、何か月か前に義母を連れて店に来ていたことを知った。難しい女将さんと聞いてたが、実際は笑顔が素敵な聡明な女性だった。お任せ料理で最初から日本酒を注文した。出されたおすすめの酒は辛口の美味しい酒だった。高知は西の方は甘口で、東の方が辛口の酒であることを教わった。高知が初めて来たことを告げ、若い時に勤務した会社の先輩が高知県出身で、卒業した高校が高知県立高知追手前高校といったら、偶然に女将さんとご子息が同窓であった。女将さんの話ではお店は今年で50周年を迎えるとの事で、高知出身の漫画家が常連との事で、はらたいらの色紙などが飾ってあった。義兄から紹介された店だが、高知市内では有名な店らしく、多くの著名人が女将さんを慕って来店するらしいことが分かった。

元の職場の先輩が同窓なのが分かった女将さんは特に親切に料理を出しながら色々な面白い話を聞かせてくれた。御年はお店の長さから言っても80歳前後と推定されたが、元気で頭の回転が良いのには驚いた。先客の若い方と高知について話していた時に、元NHKアナウンサーの松平定知さん一行が入ってきた。一行は常連らしく、一挙に賑やかになった。一行はお店が開いていたのを喜んでいたが、その理由は私が遅く予約したためと分かると、松平さんの同伴者が高知県観光特使の松平さんの名刺を差出し、この名刺を見せると県内の主要な観光施設が1回5人まで無料になると教えてくれた。義兄の予約が正に幸運をもたらした瞬間だった。

しかし、直ぐに疑問が湧いた。何故、高松藩の領主の末裔の松平さんが高知県の観光特使なのかと。それを質問すると、松平さんは入社後高知県に転勤し5年間を過ごしたことと、それ以外には本社勤務であったことを聞いて納得した。松平さんにとって高知県は良い思い出の地だったことを理解した。

又、酒の勢いで名刺を頂いた方に皿鉢料理について聞いたところ、女性が酒以外の用事がない様に工夫されたもであったことが分かった。正に、男女平等のお国柄が高知県そのものであった。南国特有のおおらかさが根付いた文化なのと思われ、私の故郷の茨城県とは大分違う事と思われた。勿論、女性の強さは同じだが、表面的には男尊女卑の考え方が根強い茨城と比べると雲泥の差がある。

松平さん一行が帰ったので、私たちも帰ろうとしたら女将さんが観光タクシーを頼んだ方が良いと教えてくれて予約まで請け負ってくれた。翌日に手配のタクシーが定刻に到着し、先ず桂浜に行くことにしたのだが、運転手さんの話だと私たちが室戸岬方面に行くので、市内観光を終える15時頃に室戸方面のバスの時刻を調べて伝えてくれることまで手配していたことが分かった。"京や"さんおおもてなしは年季が入っており、さり気無い気配りには感謝であった。首都圏の高速道路網に囲まれた生活をしていると距離感が失われることが今回の旅行で痛感した。室戸岬まで市内から60~70kmと高を括っていたが、高速道路がないので一般道路の走行に時間が掛ることを失念していた。市内の観光案内の時に運転手さんに勧められてバスでなく、そのままタクシーを延長して移動したのだが、提案を受けいていなければ重い荷物でバスを乗り換える必要があり、2日目のホテル到着は予想以上に遅くなったと思われた。幸運の連鎖が起きて翌日は予想以外に快晴になり日の出も見られた。京やさんのおもてなしから頂いた幸運の連鎖を噛みしめた小旅行であった。

帰京後に件の先輩に高知県を観光したメールを送ったら、「日本最僻地、日本経済の足を引っ張り、工業生産額全国最低の高知県を訪れて頂き感謝申し上げます。今頃は、天気さえ良ければ小春日和ではなかったでしょうか。暑いくらいでしたか?まあ、のんびりした県が一つくらいあっても良いかな、と思っておりますが。」とメールが返ってきた。成る程、先輩は高知県の人だなと改めて感じた。

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世界中の先進国では経済成長率による国家経営を考えているが、多くは計画通りに行かずに政権交代の繰り返しである。何処の国でも新たな政権が発足すると、景気刺激策を打ち出し、経済成長による国民の所得向上を約束する。この為に、政権は学者・経済評論家以外に企業経営者をブレーンやアドバイザーに就任させて経済対策を模索する。確かに、何十年か前は成功したモデルではあるが、昨今は成功していない。マスメディアや経済対策に参加した企業経営者は一様に役所の既得権の壁が厚く、更なる規制緩和をしなければ経済を成長させることは難しいと喧伝する。その議論は一面的に見ると正しいので、国民の多くが既得権と言う利権に対し憤りを持つことになる。

この様に書くとお前は既得権を擁護するのかと反論が出ると思うが、グローバル経済になった現在において企業経営者を政府の経済対策のアドバイザーに相応しいのかと言う議論がなされていないのに憂慮するからである。その理由としては、政治はローカルなのはご存知の通りだが、大企業はグロール経済では正にグローバルなのである。上場企業は多くの国の投資家や会社を株主としており、然も株主に対する高い配当を実現するために効率経営や資本回転率が求められれているので、ローカルな政治など考えていないのである。その様な企業経営者に経済対策のアドバイスを受ければ企業にとってはプラスになるが、国家と国民にとっては必ずしも良い結果を生むとは限らない点を理解していないことだ。

ひとつの実例としては、非正規雇用者の増加の問題だ。輸出企業は為替変動による需給バランスと国内に工場を残すためには、非正規労働者が必要と政府に求めたのである。しかし、輸出企業は過去の様に多額の内部留保金が生じても正規雇用を拡大する訳でもなく、国内に投資する訳でもなくなっている。多くの企業経営者は、国内に魅力的な投資案件がないからだと言ってるが、グローバル経済となり開かれた市場では人件費や物価が安い所に移動するので、人件費や生活の維持に費用が掛る日本では、投資する場所ではなくなっている事実だ。特に、グローバル経済となり世界共通語として英語が一般的になっている現代では、日本は不利な経済環境にある。安倍政権は法人税を引き下げて海外企業の進出や企業の投資拡大を期待しているが、グローバル経済では税収不足に追い打ちを掛ける愚策だ。企業経営者やグローバル経済を評価する学者や評論家の意見を聞いていたのでは経済政策は上手くゆくわけがない。今や政府と企業は利益相反の関係になってきている。勿論、国家は国民を雇用し、税金を支払ってくれる企業の存在なくして成立しないのは事実なので、企業を無視しろと言うことではない。グローバル経済では企業経営者は過去の様に国家感を持った経営者などいないと言う現実を見る必要があると言たいのである。正に、非正規雇用者などは企業にとっては利益を生み出す存在だが、国家を考えたら結婚も出来ない低所得者層を大量に生み出し、高齢化社会と相まって衰退させる原因になっているからだ。

この為、新しい時代における国の在り方を考えると、今の規模の国家が必要かに突き当たる。スコットランドが英国から独立する住民投票が行われるのもその流れである。明治維新が起きた理由はひとつである。藩単位では外国の侵略者に対抗できないと分かったので、日本と言う国家が必要になったのである。しかし、グローバル経済になり、EUの出現は国家単独の防衛ではなく集団自衛権に向かう事になり、国家の大きさは必要なくなってきた。国防の観点から国力が問われた時代と現代は大きく様変わりしている。逆に、国防の為に犠牲を強いられてきた地域格差の問題が集団自衛権に移行する過程でクローズアップされる可能性が出てきた。情報化の時代には世界が狭くなり、大きな国家の存在は邪魔になってきた。特に、日本の様な細長い国は国防の観点がなくなれば、国家でいる必要がなくなるのである。尤も、現在は中国や韓国が国家を維持する為に国民を反日に煽っているが、日本もお蔭で国が壊れないでいるだ。日本経済を良くするには、再度、国家のあり方を変えが得る必要があり、それには企業経営者のアドバイスは不要だし害になる。中央官庁は東京都や大阪府を直轄とし、地方の県は自治権を拡大し、江戸時代の藩に近い独立した存在が機能的には情報化には相応しいと考えられる。

 

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建築会社に設計施工で発注することが主流になった理由には幾つかあるが、大きく流れが変わったのは1998年(平成10年)の建築基準法改正からと思われる。この時の改正で建築審査の民間委託が決められ、確認申請時の資料が簡素化された。この改正は建築審査のスピード化で景気回復を狙ったものと思われるが、拙速極まりない民営化であった為に構造偽造事件が起きて建築に対する不信感を招くことになった。事件が起きた背景は一般には容易に理解できない事であったので、事件以降は小規模な設計事務所にとっては非常に不利な結果となった。然も、この事件が設計施工の発注を増加させたと思われてならない。

この様に書くと設計施工の発注で何が悪いと反論が出ると思うが、例えて言えば設計施工とは、"泥棒に鍵を渡して家を守らせる"と同じであるからだ。勿論、発注者側に建築の専門家がいて施工監理できる体制があれば設計施工でも問題はない。問題なのは、工事を監理するのは設計をした設計会社であるが、設計施工は造る側とチェックする側が同一なので、現実的にはチェック機能が働くなるリスクが内在していることだ。スーパーゼネコンなどは、施工の品質を守る為に社内検査を実施しているのだが、工事進行中のチェックは行っているケースは少ないので、設計施工を分離する程厳格ではない。

最近の事例では、一つは工期の遅れに対してチェック機能が働かずに青田売りの契約で買主からペナルティが課せられた問題だ。勿論、発注者の体制にも欠点があることは確かなので、余計に発注者側では設計と施工を分離することが重要となる。もう一つは設計会社を選んでおきながら設計施工で発注し、わざわざ建築会社の下に入れた事例だ。小規模設計事務所の悲哀だが、耐震偽造事件の影響で設計事務所がミスを犯した場合の責任能力が問われたケースと言える。私から言えば、構造偽造事件は意図的な犯罪であり、設計ミスではない。PCが普及する前の手計算時代なら兎も角、現在のPC普及の時代には計算ミスは考えられない。過去には小規模の設計事務所では構造計算を大手の構造設計事務所に依頼するなど建物規模によって発注者の信頼を得る方法を採用していた。しかし、現在は先ずはコストありきなので、大手構造設計事務所に外注することが厳しくなっているのも確かだ。設計施工の発注も始まりはと言えば、建築工事費を安く抑える為なので、今では大手デベロッパーも設計施工の発注が多い。

設計施工費が安くなるのは設計計画の費用が工事費の中に含まれている為に安くなるのであり、建築会社の殆どは設計を外注にしているのが実情だ。この為、本来ならば設計など工事費と比較して金額的にはプロジェクト経費の中では小さいので、もう少し設計費に予算を付けて設計会社に工事費の積算を行わせた方が工事費が安く付くと思われる。建築確認申請の民営化で建築確認資料が簡素化された時には必要最低限を設計事務所に委託し、その後は建築会社に設計の不足部分を遣らせる変則的な設計施工が見受けられた。日本人は右倣え国民なので、直ぐに業界全体の方式となった。愚かな選択と言えよう。逆に、今では構造偽造事件が起きたので、設計の資格の強化や建築確認資料の必要以上の提出が2004年(平成18年)から始まったので、設計事務所にとっては費用が増すことになり、設計施工の発注方式に費用的に対抗できなくなった。改悪の典型的な事例だ。

建築業界は手書き設計からCADに移り、今では立体化設計のBIMに移行してきている。設計施工現場では別な次元での間違いが発せいし、完成まじかのマンションの解体なども起きている。その他にも、大手デベロッパーが分譲したマンションでも工事上の欠陥が見つかり、購入者とデベロッパーと建築業者との間で裁判事件まで起きている。信頼関係がなくなった現代において何が必要かが問われる時代にあっては、再度原点に戻り、足元を見直すことが重要と考えられる。30年前には考えられない技術により考え方が変わってきたが、それと比例して物づくりの現場やメンテナンス現場は多くのリスクを抱えているかのように見える。データー主義が効率とコスト削減をもたらしたが、データ解析が万能薬ではないことに気付くべきだ。特に、物づくりの現場では、多くの視点に曝してこそミスが防げる。

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33年の長きにわたり開催されて来た㈱ユーハイムの"ゲーテの詩の朗読コンテスト"が今年で閉幕することになった。閉幕の理由は27年間コンテストに使用してきた千駄ヶ谷の津田塾ホールが建て替えられることになったからとのことであった。1982年に始まったコンテストは第7回から津田塾ホールを利用することになったが、1階にはユーハイムのレストランもあり、コンテストの開催には便利であったのだろう。時間軸が早くなった現在で企業の文化貢献としては異例の長さであった。

私自身のコンテストとの出合いは、不確かな記憶では、ユーハイムの河本社長ご夫妻とゴルフを通して親しくなり、コンテストの一般審査員としてチケットが送られ来るようになった第13回か14回目であったと思われる。その後は毎年チケットを頂き、用事がない限りは夫婦で参加してきた。河本さんとは家が近いこともあり、時々路上や電車のホームなどでお会いする。今回の大会前にも偶然お会いして閉幕を事前にお聞きした。確か、閉幕は来年の予定だったが、津田塾ホール側の都合で今年の第33回で閉幕を余儀なくされた様だ。企業の文化活動としては、経済バブル崩壊のデフレ不況も乗り切り、永久に開催すると宣言していただけに今回の閉幕は突然の出来事だった。

若しかしたら、開幕からコンテスト委員長として協力してきた名物の宮下慶応義塾大学名誉教授が2年前に亡くなくなったことも影響があるかもしれないと考える。本当に故宮下名誉教授のコンテスト参加者に対する洒脱な評論はコンテストが長く続いた理由の一つとも思われる。私も早すぎる逝去を惜しんだ一人である。

河本社長は東京教育大学(現筑波大学)のご出身で、聞いたところでは若い時には企業家ではなく学者を目指していたそうだ。それを一転してご尊父が経営していたユーハイムに入社したとのことだが、経理部に配属されれば税理士の資格を取得し、お菓子作りとしてはドイツに留学してマイスターの資格を取得するなど経営者として実践的で質が高い人物である。何かの雑談の時に社員教育には、ルソーの"エミール"と言う教育論を利用していると聞き、一読することを勧められた記憶がある。また、ゲーテの詩の朗読コンテストの司会は入社2年目の社員を使うなどコンテストを社員教育にも活用していたのは参考になった。

河本社長を判断する限り、ゲーテの詩の朗読コンテストは形を変えて復活するのではないかと思われて仕方がない。私としては、美味しいユーハイムのバウムクーヘンを食したり、贈答品として使ったり位しか応援が出来ないのだが、今後も復活を願って手作りバウムクーヘンを使い続ける心算である。

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石破自民党幹事長が来年9月の総裁選を睨んで下野するニュースが流れているが、消費税アップ後の消費落ち込みやアナウンス効果による人件費や資材高騰でが裏目に出て企業倒産が増加してきている現況を捉えて勝機があると読んでの事だろう。確かに、安倍政権は金融政策以外に効果は出ていなく、次の一手も即効性のある施策は少なく、経済の政策に疑問が出てきた。実際に、人件費の高騰と人手不足、それに追い打ちを掛ける資材費の上昇で住宅関連の企業の倒産も目立ってきた。人件費アップは安倍政権の政策の一つだが、当初から懸念されていた様に、経済が動いている認識が少なく、机上の理論で決めたことが企業に負担を強いている。インフレを起こすことが日本経済再生の道かもしれないが、同時に勤労者の収入が増えないと消費が下がるのは自明の理だ。円安は輸出企業に恩恵をもたらすと言う一点で円安を決めているが、グローバル企業となった日本企業に昔の様な円安効果は生まれない。逆に、エネルギーや農産物の多くを輸入に頼っている現在では、円安政策は両刃の剣だ。況してや、部品を海外の工場で生産している現状では完成品が必ずしも安くはならない。東日本大地震の復興に関しても進んでいない無能な国家組織には、複雑化した経済などに有効な手が打たれるわけがない。東京オリンピック誘致で喜んでいるが、最初から絶対的な労働力が足りないことを考えない部分最適な思考の官僚組織には国難を乗り切る力はない。

然し、小選挙区制にしたツケが回ってきたと思われて仕方がない。官僚組織は結果責任を取らない無責任組織ゆえに政治の働きが重要なのであった。中選挙区制度の時には、選挙民に媚を売らない政治家がいたが、小選挙区制度に変わった途端に天下国家を考える国会議員はいなくなった。選挙に落ちることを心配するだけの政治家は官僚の頭脳に頼り切っているが、優秀な日本官僚は死語に近い位に絵に描いた餅ばかりの経済政策の連発だ。それ以上に酷いのがマスコミだ。思考する頭がないくらいに大衆に迎合し、国民を間違った方向に導こうとしている。

単なる批判だけしても意味がないので、何が今の日本経済に必要かを考えてみると、国民の安心感だ。安倍経済が成功しないと思われる最大の理由は、社会医療の不足に使うと言って消費税を値上げしたにもかかわらず、簡単に反故していることがひとつだ。20年前に日本経済が失速した以降、バブル経済の責任は企業と個人に課せられ、官僚や政治家は何らの責任を取らなかった。然も、その後は不良債権の処理の過程で不条理な社会が出現し、約束を平気で破る連中が勝ち組と称して跳梁跋扈した。国家や企業に対する不信が消費の停滞を招き、国民を自己防衛に走らせている現実を考えないと日本再生など出来るわけがない。扶養手当を減らさないと主婦が必要以上に働かないと言った考えを持つ官僚や政治家がいる安倍内閣の周りにはいる様なので、それだけでも既にダメだ。しかも、共稼ぎは必要だと言いながら保育士の増加に消極的な官僚がいるなど政治の機能が働いていない。一事が万時なのが、安倍政権の経済政策が。日本再生の切り札にカジノ誘致と言った時点で利権しか匂いわない。IRを標榜した観光立国には別にカジノがなくても良いのである。家族旅行にカジノは不要だ。日本の観光に必要なのは、土日祝日に偏った観光客の分散と地域に適ったコストの考え方だ。中央基準のコストの考え方を改めない限り地方再生は出来ない。

なお、地方再生にコンパクトシティなど打ち出しているが、机上の理論で作った街づくりでは成功しない。赤字国債の解消が必要な時にコンパクトシティで新たなインフレを造るなど愚の骨頂だ。一事が万事であり、過去の手法を変えなければ何も変わらないのだが、これ規制緩和の問題とは別次元の話だ。

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会社案内の表紙に「いつも"日本一の豚肉"をめざして」を掲げているグローバルピッグファーム株式会社を訪問した。本社は群馬県渋川市北橘町上箱田800に所在し、立地的には赤城山の麓の山林の中にあり、羨ましい程の環境の良い所にあった。

訪問の理由は、伊香保カントリー倶楽部で弊社が主催するゴルフコンペに対して同社が協賛会社に応じてくれたからである。訪問前から伊香保CCの田中社長は車の中で美味しい豚肉を絶賛していたが、私は車外の風景を見ながら聞き流していた。協賛してくれた会社に対して失礼と思われるかもしれないが、会社自体ではなく、同社がクラブ側の主催するオープンコンペのスポンサーなのを知っていたので、田中社長の得意の宣伝と穿った見方をしたからである。

しかし、会社の立地や敷地内に併設したショップを見てゆくうちに、会社の特異性を感じる様になった。この様に書くと、お前も田中社長と同じかと言われそうだが、その後本社家屋に入り、取締役副社長の樋田さんから会社について説明を受けて独特の経営哲学を持った企業なのが分かった。会社設立が昭和58年(1983年)であり、この社歴で無借金経営と聞いて驚いた。私も経営者の端くれであり、無借金経営は何代もに渡って経営が上手くいった会社にだけもたらされる恩典と理解していたからである。ちなみに、私事で恐縮だが、昭和58年は私が結婚して所帯を持った年である。その年に生まれた会社という事で親近感が増した。

樋田さんから提携している養豚農家の後継者を会社に預かって研修させるシステムや新卒獣医も現場で何年も働いた後に初めて評価されるシステムなど参考になった。同社の社員は一定の資格を持った専門家集団であり、一人前の専門家になって初めて評価されるシステムは正に品質を重視する会社と思われた。樋田さんの話を聞いているうちに私の頭の中にデジャビの様に浮かんだことがあった。それは未だ30才前後の頃に取引先の金融機関の子会社のコンサルタント会社の会員になった時の研修会でのことであった。新潟から参加した養鶏場経営の2代目の方が父親から言われた話であった。2代目の彼は養鶏場の将来を勉強するために東京に頻繁と出かけて経営セミナーに出ていた時に、父親から"鶏の事は鶏に聞け"と言うわれ、その後漸くその意味が分かったとの事だった。

昨今は情報化が進み、データ分析手法などが重視され、現場軽視の風潮があるが、現場を知らない経営者や社員は役に立たない。情報とは経験知と相まって初めて有意義なものが生まれるのである。久し振りに、本物の会社を見た思いであった。帰りに、ショップでしゃぶしゃぶ用のもちぶたなどを購入したが、協賛用の商品まで頂いているのに社員割引にしていただき恐縮してしまった。

田中社長から購入を大分勧められたのだが、ワイフがあまり肉を食べないので困った事は確かであった。しかし、会社で聞いた事を実際確認するには商品を賞味することなので、何種類かを購入したのである。早速、帰宅した翌日に豚しゃぶにして食べたのだが、肉を余り食べないワイフまで絶賛するほど美味しかった。肉の事など余りわからない彼女が、今まで食べていた豚肉はもう食べられないと言い出す始末だ。確かに、本当に掛け値なしで美味しかった。ゴルフコンペの協賛会社だから称賛するのではなく、立派な経営哲学を持った会社が地方に存在したことに驚き、更に言葉に違わぬ品質の良い豚肉を提供している姿勢に学ぶべき点が多いからである。この様な会社に勤務する社員は幸せであり、翻って経営者の責任の重さを痛感した次第だ。

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NCM_0255.JPGハンナ・アーレント生誕100年だそうだが、彼女ほど人間が思考しなくなる危険性を説いた人はいない。ユダヤ人として生まれ、第二次世界大戦時はフランスで収容所に入れられた経験を持っている。また、哲学を専攻し、師と仰いだ哲学者のハイディガーは、戦時中にナチスに対し共鳴するなど複雑な人生を歩んでいる。ハンナを有名にしたのは"全体主義の起源"の著作であるが、最も人口に膾炙したのはイスラエルで行われたナチスの親衛隊であったアドルフ・アイヒマン裁判を取材して書いた「イェルサレムのアイヒマン」である。この本ではアイヒマンの死刑判決に対しては当然との受け止め方であったが、多くのユダヤ人を収容所に送った張本人である裁判中のアイヒマンを見て愕然としてのである。悪の確信犯と呼べる男は、実際は結果など考えない命令を単に実行する忠実な役人であった事実に気が付かされた。この様な小市民的な男が大それた歴史に刻む大量殺人の当事者になったのかをハンナは考え続けた。一方、イスラエルの国に対しては、アイヒマン裁判をショーとして一個人の裁判でなく世界中に大量虐殺の悲劇を宣伝する事に対しても、亡くなったユダヤ人に対する冒涜と批判したために、イスラエルの国家からの反発と同胞のユダヤ人からも攻撃された。ハンナは同胞の悲劇を蔑にしたのではなく、人間が思考しなくなることの恐ろしさをアイヒマンから見せられ、大量虐殺が命令に忠実な多くの行政的な思考しない人間を介して行われた事実を喚起したかったからである。

現代社会においてもその危険性は内在しており、思考しない人間が増加すれば全体主義が出現し、悪が出現することになる。情報化社会だから過去と異なり、一人一人が多くの情報によって判断できると言われているが果たしてそうなのだろうか。逆に、情報量の過多が情報量の少なかった時代より多くの人の思考を奪っているのではないかと最近の社会の動向を見る限り思われてならない。一人の平凡な人間が歴史に残る大犯罪の片棒を担う姿は、IT社会になり、人々の判断が不確かな情報や偽造された情報の真偽が確認できなくなりつつある時代には、思考しない人達が増え、他者を攻撃する存在が顕著になり、正に政治と考えていることが少しも政治でないと言うことを理解しないと間違った方向に行ってしまう恐れがある。ハンナは大衆社会を批判し多様性を擁護しているが、IT社会のグローバル化による多様性の出現がハンナが期待したものであることを願うばかりだ。

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オオカミ協会会員証.pdf

知人から一般社団法人日本オオカミ協会への加入依頼があり快諾した。日本オオカミ協会とは絶滅した日本オオカミを研究する会かと思ったら、
想像と異なりオオカミ復活運動であった。会の趣旨は明治時代に絶滅させたオオカミの復活によって食物連鎖を修復し自然生態系を守ることだった。

弊社もゴルフ場のコース管理の業務を行っており、増えすぎたシカ、イノシシなどの被害で現場が対応に苦慮しているのでオオカミ復活には賛成の立場だ。しかし、増えすぎたシカやイノシシに責任はなく、生態系を壊す原因となった日本オオカミの絶滅は人間が関与しているのでその反省なくしてオオカミの復活はないとも考える。会員になって協会から送られてきたフォレスト・コールと言う会報(NO.19)の冒頭に足尾銅山の公害に対して一生を捧げた田中正造翁の「真の文明は   、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」の言葉が掲載されていた。明治以降の欧米を模倣した近代化が自然破壊を進め、日本オオカミなどを絶滅に追い込んだ。日本は地方が疲弊し人口の流失と減少に歯止めが掛らない。又、猟友会も少子高齢化社会の到来で若い人が少なく先細りの状況である。この為、増え続けるシカなどの被害に対してはますます対応が困難となってきている。

弊社も管理しているゴルフ場に関しては多くの鳥獣の被害に悩まされているが、シカやイノシシに関しては被害が大きい上に強力な対策が取れないので困っている。確かに、オオカミの復活には賛否両論があるのだろうが、現状を考えると復活後の懸念より、復活させた方が自然にとってはメリットがあると思われる。話は変わるが、故郷の実家の氏神様の守り本尊はオオカミだと曾祖母に聞いたことがある。その為か、私の実家と犬と相性が悪く、犬を飼っても事故(私が幼き頃に顔を飼い犬に噛まれた)が起きたり、短命(事故死など)で終わることが多かった。しかし、父が亡くなった後に母が飼ったハスキーは長生であった。ハスキーはオオカミと似ている面もあり、当家の氏神様も勘違いしたのかもしれない。(笑)

自然の均衡を壊したツケが回ってきているのかもしれないが、シカが増えすぎて森を破壊する現状を放置するのは昨今の天候不順に際して更に大きな被害をもたらす原因にもなる。同様にイノシシの増加も看過できないほどであり、従来はそれほど大きくないイノシシであるが、先日狩猟で獲れたイノシシは250kgもあり、大人4人で漸く車に乗せたとのことであった。それを聞いて、スタジオ・ジブリの"もののけ姫"の映画で森を守る精霊として大きなイノシシが描かれていたのを思い出した。

ゴルフ場のコース管理でイノシシ対策に悩まされていた時に知人から日本オオカミ協会の誘いを受けたのも何かの縁と思うが、実家の氏神様はオオカミであると曾祖母が言った事まで思い出した。ゴルフ場のコース管理をする上で鳥獣類と如何に共棲するか、又コース内の草木も自然の恵みとして感謝の気持ちを持って行きたいと思っている。自然の感謝には、管理棟に神棚を設置して祀っている。自然の神々に感謝である。

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中小企業の末席、と言うより零細企業の経営者の私が、過去だけでなく現在進行中もあるが、多くの経営者を見てきた中で大企業のサラリーマンとして長年勤務してきた方が中小企業の経営者や役員になった場合には、考えさせるられケースが多い。一流大学を出て大手企業に勤務したホワイトカラーの人達は、中小企業の経営者を馬鹿にする傾向が強く、特に従業員に関しては能力の低さを指摘して不満が多い。ここでホワイトカラーと言ったのには理由がある。同じ様なサラリーマン人生でも理工学部出身のブルーカラーは工場勤務などで現場経験が豊富な為か中小企業の実情に融け込めるのか、不満より前に現状の戦力で前に進む工夫をする傾向が強いと思われることだ。勿論、全てに当てはまる訳ではなく、飽く迄も私の経験の範囲と独善的な見方である。

零細企業の経営者は先ず人を大事に考える。大企業や有名企業の様な生活が安定する会社ではないから必要な人材の確保には年中苦労しているからである。翻って、大手企業出身者の人達は優秀な人材が揃っているのは当たり前の感覚であり、指示すれば従業員はそれなりの答えを出すのに慣れているので、期待に応えない従業員に対しては冷たくなる。ブルーカラーも同様だが、ホワイトカラーと違う点は、ブルーカラーの場合には工場を動かすのには最低限の人数が必要な事を知っているので、従業員が反感を持って辞めてしまう愚は犯さない。

尤も、ホワイトカラーでも労務を経験していたり、多くの部署を経験している者は組織を動かすには何が必要なのかを理解していると思われ、従業員に無茶な要求はしない様だ。何れにしても、大企業出身者が請われて中小企業経営者に就任すると、現場の状況を理解せずに机上で人事を考えてリストラを断行し、、目先の収益改善を目指す傾向が強い。これが何をもたらすかは一目瞭然だ。中小企業や赤字体質の会社の従業員は給与などの待遇に恵まれていないケースが多いので、不条理な経営者が現れたら簡単に会社を去ってしまうことだ。この事は何も従業員に限ったことではなく、取引先も同様だ。将来性があるなら我慢して取引先として残るが、将来性もないうえに、経費節減でコスとカットを強いられたら取引を止める選択をする。

兎に角滑稽なくらい判で押した様な結果が出ているのに、それを大企業出身の中小企業経営者は理解できないのを良く見る。大企業出身者が中小企業の経営を任されるのは、その企業が不振である場合が多い。その為に無駄な費用の削減は必要だが、長く不振である場合は遣れることは既にやっている場合が多い。この様な会社の経営を引き受けるには、経費節減より前にやる気を失っている従業員の士気を高め、業務を超えた協力関係を構築するのが先決だ。後先を間違えると一時的には成功したかの様に見えても先行きは失敗することになる。会社はやる気のある従業員がいなければ成り立たない。どの様な時代になっても本質は変わらない。勿論、人間に変わってロボットが登場すれば別だが、私が経営者の時代には考えなくても良いことだろう。

経営が厳しい会社を引き受けるには単身で乗り込んでも難しいと思われる。以前聞いた話だが、三井住友銀行の元頭取の西川さんが日本郵政会社で思う様に経営の改善が出来なかったのは、連れて行った部下が少なかったとのことだった。あれ位の規模の会社だと100人を引き連れて行かないと指示が行き渡らないとのことであった。この話は真実思われる。幾ら優秀な人でも中小企業の経営を任されたら信頼できる部下や知人が何人かは必要になる筈だ。上に立つ人物は頭が良いだけではないのである。上に立つ器量と言うものが必要なのである。特に、中小企業の経営者になるには、カリスマ的な要素が必要な場合もある。振り返ると、亡父が若い時に田舎で経営していた事業の従業員は亡父の事を親分と言っていた。親分が世間から評価されると子分の従業員も喜ぶと同時に誇りに思っていたのが分かった。私は二代目の経営者だが、先代の社長が作った社是には「会社の経営理念を家族主義を最良とする」が最初に書かれている。二代目の無能さゆえに理念を全うする力はないが、出来るだけ理念には近づきたいと思っている。"事業は人なりである" 幾ら能力の低い集団の零細企業でも皆が力を合わせれば能力以上の力を発揮できるのである。

最近の中小企業に請われた大手企業出身の経営者は自己利益だけしか考えない者が多くなり、経営のリスクも負わなく、ダメなら何時でも逃げ出すと従業員に思われているケースが目立つ。零細企業の経営者として従業員が、私をどの様に思っているのかその様な会社を見るにつけて気を引き締める。特に、新規事業所の開設で中途採用の従業員も多くなり、初心忘れずの必要性を考える。