日本の最高峰の大学と米国のアイビーリーグの大学のMBOを取得し、日本の大手不動産会社と外国の投資会社を経て不動産リートの立ち上げの経験を有する方と新年の挨拶を兼ねた情報交換を毎年行っている。年齢は未だ50才半ばなので今年も威勢の良い話を期待していたが、どうも勝手が違った。アセットマネジメント会社の代表として預かり資産残高は多く保有しており、遣ろうと思えば世界中にいる彼の人脈で投資資金を日本に持ってくることが出来る人の言葉なので実務経験がない人達とは言葉の重みが違う。その方が「今は私の経験など役に立たないと言った言葉」は衝撃的だった。大分前にブログで"人の賞味期限"についてやはりアセットマネジメント会社の代表が書いた投資家に対するレターに言及したが、今年早々の"過去の経験など役に立たない時代"を聞いた時には衝撃的だった。しかし、良く考えると経験が邪魔する時代と読みかえれば、現在の時代を考える上で参考になる。不動産ファンドなどは5年を目途に出口戦略を考えての投資を行い一定のリターンを実現してきた。昨今を見ると、出口戦略など先を考えていない投資が行われており、全く無責任と言わざるを得ないものが横行している。今の日本はグローバル経済的には世界の投資家にとって不動産の資産ポートフォリオに入っていない地域らしく、その気になれば3%位の利回りでも投資家はいると言われている。しかし、少子高齢化社会で先が見えない中で東京だけを見た投資戦略では遅かれ早かれ運用が行き詰ることは目に見えており、詐欺師でもなければ投資に躊躇するのは当然の成り行きだ。日本の経済は正に今は目先だけで動いており、"後は野になれ山となれ的な投資"が横行している。金融庁がリスクを回避させる為に金融機関に貸し出し抑制を指導した「相続対策用のアパートローンの過剰貸し付け」など典型的な目先しか考えなくなった愚かな行為だ。勿論、目先にしか考えない無責任な社会を憂いているだけでは何の解決先にもならないし、ビジネスマンはやはり無責任な学者とは違うので、現在の社会で何が起きているのかを分析し、何が今後事業として成立するかを考える必要がある。昨今はデータ主義が持て囃されており、更にデータ分析や対応にAIを導入する動きも出てきており、過去の経験が役に立たないと言わしめた背景の一つの現象が起きている。データだけで事業の課題が解決するなら人間は必要なくなるが、逆説的に考えると誰もが同じことをしたのでは利益を生ませることが出来ないという過去の経験は生きる。情報過剰の時代には信号と雑音を区別することが難しくなると言われており、更に人は情報過多に際しては気に入ったものしか興味を持たなくなるそうだ。時代の変化の時にはチャンスもあることは確かであり、目先経済が横行するならばリスクも並行して起きているので、過去の経験はリスク対策に生きてくることは確かだ。
曹洞宗 薬王寺 田中住職の賀状について
毎年、北海道札幌市の曹洞宗 薬王寺の田中住職の賀状を楽しみにしている。お会いする機会が少ないので賀状にて教えを乞うているのだが、今年は昨年12月に和尚が正当法要の導師を勤めた全日本仏教会会長を務めた高階瓏仙大禅師の五十回忌法要後に百人近いブラジルの参禅者を前に法話した内容が書かれていた。
『見えているのに観ていない世界がある。見ようとしなければ観えてこない心の世界がある「見る・視る・観る」 仏道は菩薩行の実践「思いやりの行い」「優しい言葉」「支え合える事」そして「気づく事」 この四つの行いをする人を菩薩と云う。今年は貴方の心に何が観えるでしょうか?』
昨年末に長く務めてきた社員が病に倒れた。私がその会社の社長を引いた後であったので、新社長の対応がどうなるか気になって越年した。この為、今年の賀状は特に心に沁みた。
合掌
つけけんちんそば
日経新聞夕刊の食ナビに「茨城県北 つけけんちんそば」について書かれた記事を見た。田舎の年越しそばは"つけけんちんそば"であったので懐かしく読んだが、記事を見ると常陸秋そばをつけけんちんで食べるのは茨城県北の風習だったのかと改めて思った。東京都港区愛宕地区に小さな木造建物で営業していた蕎麦屋では、うどんとそばの合わせ盛りのメニューがあり、これにけんちん汁を別途に注文して食べると格別に美味しかった。残念ながら環状二号線の工事で立ち退きエリアであった為に現在は閉店してしまった。尤も、店の従業員は男女とも全員が創業時から働いていると思われた高齢者であったので、道路工事の立ち退きが無くても閉店していたと思われる。この店は知る人ぞ知る店で昼時には容易に席が取れない程の繁盛店だったので閉店が惜しまれたが、仄聞したところでは従業員全員が親戚で栃木県の益子出身と聞いた。けんちん汁自体は確か鎌倉のお寺の由来と聞いたことがあるので、つけけんちん汁でそばを食う仕方が茨城県北の風習と思われる。我が家のけんちん汁とそばは祖母が作った味なので、祖母が亡くなった今ではけんちん汁は作れてもそばの打ち方は誰も継承していないので二度と味わえない代物となった。そばの打ち方は子供の頃からと大人になってからは年末に帰郷した時に見たものだが、祖母が亡くなった後に見よう見まねで作っても同じ様なそばが作れなかった。新聞で書いていた常陸秋そばを使用した店の様な硬いそばではなく、逆に言えばやわらかいそばであったが、このそばがけんちん汁に良くあった。今思えば少なくてもレシピを聞いておくべきだったと後悔している。そば粉と小麦粉とつなぎに何を使ったのか。体重を掛けて踏んだのは覚えているが、その割にはやわらかいそばだったのも今となっては不思議だ。私のパートナーが打ち方を教わりたいと言った時に出来ないから遣らない方が良いと言ったらしい。推測だが、聡明な祖母だったので私のパートナーが覚えたら祖母に変わって毎年多くのそば打ちを遣らざる得なくなることを慮って教えなかったのかと思われる。今回のブログは日経の記事を見て年末でもあったので、懐かしい祖母の"つけけんちんそば"を思い出しました。
「海道東征(信時清作曲、北原白秋作詞)」のコンサートのご案内
ブログで書くのも相応しくないかもしれないが、チケット販売が苦戦している様なので掲載した次第です。標記のコンサートは12月19日(火)19:00開始でミューザ川崎シンフォニーホールで開催されます。株式会社ぷらうの代表である石川裕一氏が協賛しているコンサートです。彼から電話でいきなり「信時潔」を知っているだろうと聞かれ、「海道東征」の作曲家だよとダメ押しされたが、教養のなさが露呈して知らないと答えるしかなかった。彼も私が興味がないと思ったか第九も演奏することを強調して要件を終えた。彼は私の事を右翼的な思想を崇拝していると誤解しており、且つ必ずしも間違いではないが、同好の士と考えている様だ。海外勤務が長く、英語も達者な人だが、近年日本を憂いる言動と活動が著しい。正に、王陽明の知行合一を実践してる生き方には敬意を表するが、育ちが良すぎるのと言動が飛躍しがちなので誤解も受けやすい面を併せ持っているのが心配でもあります。しかし、多才であり、面倒見がよく、憎めない人柄なのは確かです。私も東京での開催ならもう少しチケット販売に協力できるのだが、川崎なので最小限の協力を行いたいと思っています。
お騒がせいたしました。
「大惨事と情報隠蔽」を読んで
建物管理を受託している会社としては、世界中で起きた惨事を分析した本を読むことは大事と思った。今回の本の事例で最も多かったのはロシア(旧ソ連を含む)であったが、米国との競争を第一義に捉えていた為に検証して臨むのではなく、走りながら物事を進める習慣が大惨事を招いた一因でもあった。同書では日本の福島第一原子力発電所の事故に関しても取り上げており、余り報道されていない事実にも言及していたので事故の全貌が理解できた。大惨事は予兆や技術的な問題が当初からあり、小事を軽視したり、縦組織の為に折角の情報が埋もれていたりと殆どの大惨事は似た要因が共通であったのが印象的だった。特に、同書では、昨今の資本主義の経費節減と短期的な利益を追求する姿勢が必然的に惨事を招く原因と断定し、今後も起きるであろう大惨事を警告している。勿論、大惨事になると思えば誰しも対策を考えるだろうが、大惨事を招く要因として組織的な問題より人そのものに問題があると言う事実には驚かされる。その点から言えば、神道を敬う日本人は形式主義的な発想を持っているので、福一事故の時に日本人は哲学がないから原発など持つべきではないと言う言葉と関係があるのかと思ってしまう。しかし、西田幾太郎などは、現代の哲学はプラトン以降実体主義に陥っており、その間違いも指摘しているので、組織ではなく人が惨事を招くと言う分析(情報隠蔽)に対する解決策は欧米の主流な哲学では出来ないと言う答えでもある。結論的には、哲学など大それた思想ではなく、情報の共有化や小事を大事の予兆と捉える現場の意見を経営に携わる人達が取り上げることであると分析している。短期利益主義が大惨事の原因と指摘されてしまうと、先行きが絶望になって仕舞うが、AIなどを人に置き換えることで情報隠蔽を防ぐこと出来ればと思った次第だ。AIを如何に活用するか模索しているが、人の心の弱さをAIでカバーすることが大惨事に対する当面の課題かもしれない。それでも、最後には経営者や上級者レベルの人達の判断が問題になるので、AIを何処まで活用すれば大惨事を回避できるかはメビウスの輪だ。
若い清掃スタッフに脱帽
1年前にオフォスビルの清掃スタッフとして20代の若い男性が応募してきた。過去に専門学校に通いながら夢を実現するために20代の男性がスタッフとして働いてくれた事があったものの、弊社の清掃現場では少ない事例であった。二人目となる今回の方は東京の北部の多摩地域の職場で働いていたが、千葉の実家の都合で帰ることになり、午前中だけの仕事を求めて応募してきた。交通費が月額3万円以上になるが、清掃業界は近年慢性的に人手不足になっているので、直ぐに現場に入って貰った。清掃の仕事は以前に従事した経験があるとの事で、1週間後には一人で清掃作業を行っても大丈夫であった。主としてトイレと通路を専門に清掃する担当になったが、前任者と比較して丁寧な仕事ぶりであった。経歴書を見ると、建築的な技術も習得しており、本人が希望すれば正社員になって欲しいとも考えていた。しかし、彼を面接した担当者から彼が童話作家になる夢を持っていることを聞いていたので、敢えて正社員の話は出さなかった。その消極的な対応に反省させられることになるのだが、ガラス製造会社の面接で正社員としての採用が決まり辞職願が出た。確かに、彼の見えない所でも一所懸命に働く姿を見ていたので、ガラス職人として頑張る姿も思い描けた。仕事の最終日に鍵の返還とともにお菓子を持参してきた。短い期間であったが、ビル内の従業者に評価される仕事を行ってくれた事に頭が下がる。最近特に思うのだが、年配者は不満ばかりが多く、その割には仕事を手抜きする人が多い。若い清掃スタッフが惜しまれて去って行く姿を見ている時に、新たに設備スタッフとして雇用した年配者が現場の迷惑を省みずに現場に出ると言いながら休み続けている。何が問題なのか理由が分からない行動と設備責任者は困惑している。退職は1か月前の予告の制約があるので、会社から辞めさせられるのを待っているのではないかと推測もできる。この人物は大学卒業後に名の知れた専業企業に技術者として定年迄勤務した経歴である。年配者の無責任極まりない行動を見ると、礼儀正しい若い清掃スタッフに脱帽だ。
言語と思考の関係
世界には色々な言語があり、その言語のルーツを遡ると同じ言語起源に繋がるケースも多い。創発グループ代表として初めて書くブログには相応しくないようなタイトルと思われるかもしれないが、最近になって言語が人の思考に影響を及ぼすのではないかと考えるようになった為だ。中国語には時制がないと言われるが、中国人にとっては過去も現在も未来もなく全てが一緒だとすれば、時制を駆使する言語の民族とは時空軸が事なってしまう可能性も否定できない。勿論、ブログで指摘している言語と思考の説に関しては極論の域をでないが、共通言語を有していないと本当には理解できない現実を考えると、あながち当たらずとも遠からずかもしれない。最近、知人から知人の知人がオープンしたスペインバスク料理に誘われた。スペインのバスク地方は独特の文化を持つ人々が住んでいることは知っていたが、知人の話ではバスク語は欧州言語の共通祖先のラテン語に属していないもので、何処で発生した言語かルーツが分からないと料理店に着く前に歩きながら説明してくれた。然も、料理に関してもミシュランの三ツ星を獲得する店が多いと言われ、舌の味が肥えた民族である様だ。この為、バスク地方には世界から料理を学びに来る料理学校があり、私もTVで見たことがあるのを思い出した。東京都港区新橋の烏森神社に近い路地にオープンした小さなバスク料理店は、ベトナム系米国人の若い方がオーナーであり、日本語は喋れないので会話は専ら英語になったが、私のブロークン英語では料理が不味くなるので、誘ってくれた知人が通訳をしてくれて美味しく料理を堪能できた。確かに、バスク料理は常識に捉われない発想で基本的には成り立っている様で、美味しい上に楽しかった。店名は「TXIKI PLAKA」で、新橋2丁目の路地に所在する。オープンして未だ1ヶ月なので試運転中とのことで、現時点では広告宣伝は行っていないとのことだった。なお、言語が通じないと理解できないと言ったが、実はそうでもない経験をしている。タイに旅行した時に仕草だけで会話が出来た。その場に同席した友人は驚いていたが、岡倉天心の「アジアは一つなり」を彷彿とさせる出来事だった。言語以上に相手に対する思いやりがあれば、理解しあえると言う経験を得た。言語により思考は変わるが、互いに理解し合うと言う意思があれば、世界中の人達と仲良くなれると思われた。
正しいマンション管理!!
標題を見て何で今更と思われる方も多いと推察するが、マンションの所有者の方とお会いすると本当に知識不足を痛感する。多数の所有者の方の集まりであるマンション管理組合は殆んどが管理会社に業務を全部任せているのが実情と思われる。
マンション管理に関しては区分所有法による法的な整備が主たるもので、マンションの維持修繕などの現場管理に関しては行政的には対応して来なかった。しかし、管理会社の管理費流用事件や管理組合の役員の業者との癒着や管理費の横領などが生じたことにより、行政では管理組合をサポートする専門家として国家資格の「マンション管理士」創設や、管理会社に対しては国家資格者の「管理業務主任者」制度の導入で不正などを排除する体制を整えている。
一応、マンションを維持管理するための法的な整備は十分かと思ったが、今度は修繕工事などで設計コンサル会社と管理会社や建設会社との癒着が指摘されている。癒着の原因は修繕工事を建設会社に一括して発注しているから起きるので、工事単価が明確となるコンストラクションマネジメント(CM)方式を導入すべきだと主張し、行政側が従来CM普及に注力してこなかったので、今後は取り組むことを促している内容の記事も目にする。弊社も管理組合業務や設計コンサル会社としてマンションの運営や修繕工事に携わってきたので、CM方式の問題点も熟知してきており、それ以前にマンション管理士を無視した専門家と言われる人達の言動には疑いの目を向けざるを得ない。
弊社の行っている管理組合業務代行サービスの業務は未だ認知されてなく、殆どが管理会社と混同される。その理由は管理会社が日常のマンション管理業務の中に管理組合業務を含んでおり、業務が一体化していることにある。本来は管理組合と管理会社とは区分する必要があるのだが、その指摘をしないで業者同士の癒着を囃したてるのは論理のすり替えを目的としているからだ。上記の設計コンサル会社が建設会社と癒着して法外なバックマージンを得ているなどの指摘は設計コンサル会社に失礼な話だ。修繕工事に関して設計コンサル会社に委託して適正な発注価格で業者を選定するのは妥当な事例であり、設計コンサル会社に成功フィーを支払えば不正など起きる訳がない。CM方式を普及させるために設計コンサル会社に対する不正疑惑を取り上げる行為は正しいマンション管理に水を差すものと言える。ちなみに、CM方式で発注するにはCM会社の能力が問われるものだが、日本で普及しないのは理由があり、行政が導入に前向きで無かったからとの指摘は全く当たっていない。翻って、不正や知識の欠如を補う存在としてマンション管理士の国家資格を導入しており、管理会社もマンション管理士と同格の国家資格の業務主任者を置いているので、癒着をチェックできる体制になっている。
それでは"正しいマンション管理"とは何かと言えば、管理会社から管理組合業務を切り離し、利益相反体制を無くすことに尽きる。マンションの管理は従来の様に管理会社にお任せでは修繕積立金が幾らあっても足りなくなる。建物の管理は日常的な修繕を細目に行う事で、大規模修繕の支出を下げることが可能となる。特に、マンションの運営は駐車場の外部貸出し、携帯用アンテナの収入など税金問題もあり、会社経営的な考え方も必要な状況が生まれている。最近はマンションの管理会社を変えると費用が削減できるとの広告が目立つが、マンションはオフィスビルや商業ビルとは違い費用の節減規模は限られているので、目先の事に惑わされずに長期的な視点で資産価値を減少させない事に目を向ける必要がある。更に、正しいマンション管理に付け加えると「所有資産価値の維持」と言える。
西五反田の土地で起きた詐欺事件
積水ハウスが西五反田の土地購入で詐欺にあって60億円もの大金を搾取された事件のニュースを見てやはりそうだったのかと言う思いであった。詐欺の舞台になった当該地には古い木造の旅館が建っている。ニュースでは4~5年前に営業を止めたと報道されていたが、最近まで営業を遣っていたのかと感慨深いものがある。当該旅館は親から相続した女性が経営しており、当社は今から37~38年前に向かい側の角地で共同開発を進めていたので、当該旅館に関しても共同開発を提案した経緯がある。当社は都心を中心に共同再開発事業を展開し、西五反田の共同マンションが開発案件の第1号であった。
地権者との面談で頻繁と当該地に行き来したので、目黒川を背にした古い旅館は共同開発に最適と思われた。しかし、何度も訪問しても現状を維持したいと言う所有者の気持ちを共同開発に切り返ることがかなわず断念した。当社は多くの開発案件を進めたが、多くは実現に到らないで終わった。その後年月が経ち、開発案件の場所に行くと全部と言って良い位に再開発されていた。当社の再開発の提案が呼び水になったのは確かであり、当社の手でなくても街づくりの切っ掛けになったことで社会に貢献できたと思ったものである。しかし、西五反田の木造旅館だけは当社が訪問した状態で年月が推移し、周辺の景観と時代に取り残された様に存在していたのには驚きもあり、感心もしていた。
当該旅館に関して再度当社が動いて見ようかと思ったのは、赤坂でゲストハウスを運営している知人が当該旅館に関心を持っており、彼の手法は外観を温存してゲストハウスに利用することでもあったので、売買や共同開発ではなく、現状を維持する利用の賃貸しなら可能性があるかもしれないと考えたからであった。後から思うと昨年に動けばよかったが、他の仕事が忙しくて動けたのは漸く今春だった。今年4月に土地建物謄本を取り付けたら直近で積水ハウスの売買予約の仮登記が記載されていた。遅かりしと昨年に動かなかったのを後悔したが、謄本を見ると仮登記には所有者から直接ではなく、間に会社が介在しており、然も当該敷地の一部には仮登記がなされていないのが不自然だった。勿論、所有者名義が同じ一族でも違っていたので、その一部に関しては同意が取れていない為に合意した大部分の土地にだけ売買予約の仮登記を付けたのかと推測していた。しかし、不動産に係る仕事に長年携わってきた私の直観では何か不自然であったが、一度に取引出来ないように仕組んで、時間稼ぎをする必要があったのかもしれない。当事者にしか分からない理由があったのだと思われる。
今回の詐欺事件で分かったことは所有者の女性に成りすました女を含む一味がパスポートを偽造して所有者本人になりすまして印鑑証明など公的書類を作成したことであった。所有者の女性が病気で入院していることの間隙を突いた詐欺事件だと推測するが、今日の科学技術の発達で容易くパスポートが偽造され、所有者本人に成りすますことが出来ることが分かり、今後は公的書類と言えども信用できないのかと思うと同時に取引には司法書士など多くの人達が絡んでいる事件なので、社会の正義に関しても希薄になりつつあるのかとも思った次第だ。何れにしても地面師の犯罪は科学技術と伴に本物と偽者が判別しにくくなってきたので、基本に戻り現場調査を行うと同時に、初心に帰って旨い話には気を付けることだと思った。当社案件は所有者の女性が亡くなり、相続が発生した様なので、相続税から考えると今回は売却になる可能性が高く、当社にとっては二度目の敗戦になると思われる。
「消えたヤルタ密約緊急電」を読み終えて

日本のエリートと言われる人達が国民にとって信頼できない存在だと言う事実を突き付けられた本だ。書かれているのは戦前の出来事だが、著者は東日本大震災時の二次被害となった福島原子力発電所の事故対策にも相似した現象を見て相も変わらない日本人のインテリジェンス欠如を憂いている。否、日本人にも外国のインテリジェンス・オフィサーに負けない人材がいたのだが、日本の危機的状況時に指導者として地位にいる人達が臨機応変に対応できないと言う現実だ。確かに、福島原子力発電所の事故は人災と言われるほど思い込みで対処した結果がメルトダウンを引き起こし、今でも故郷に帰れない多くの人達を作った。その反省も誰も責任も取らないないままで原子力発電所を再稼働させる日本人は馬鹿と言っても良い民族と世界から嘲笑される存在だ。知人の会計コンサルタントがフランス人に日本人は哲学を知らない国民だから原発など持つべきではないと言う屈辱的な言葉を吐かれたと言っていた。
掲題の本では正に的確な情報を入手しているにも拘わらず不都合な真実ゆえに葬り去られた結果、太平洋戦争で防げたかもしれない沖縄戦以降の無謀な戦いと被害を拡大したと指摘している。本の中で「ヤルタ密約緊急電」を握りつぶしたと推測された元大日本帝国陸軍大本営参謀であった瀬島龍三のことが取り上げられている。瀬島龍三は陸軍大学をトップで卒業した軍刀組の一握りのエリートだった。このエリートは戦後ソ連に10年以上抑留されて帰国した為に山崎豊子の小説「不毛地帯」のモデルと言われて戦後英雄視された。伊藤忠商事で出世を遂げて財界人の仲間入りをし、政府の委員会の要職も歴任している。瀬島龍三の実像は抑留時代にソ連のスパイとして教育されたエリート軍人の一人であったのは今では承知の事実だ。その様な人物が戦後の日本で政府の要職に就いていたのだから山崎豊子に「不毛地帯」の題材を与えたのもソ連の協力者だった可能性も推測できる。ソ連は大物スパイとして瀬島龍三を育てて日本に送り込んだのに日本人は能天気に何らの疑いもせずに瀬島を英雄視して政府の秘密にまで近づける存在にした。中曽根康弘元首相はその一人だ。
翻って、今の日本を見ると本で指摘している日本人エリート層の欠陥を倍増している安倍お友達内閣と人事で動かされている官僚の姿を見ると国家に生命財産を預ける状態にはないと思われる。特に、安倍内閣に呼応して突っ走る日銀の姿を戦前の大本営発表と二重写しに見えるのは私だけではないと思いたい。戦後70年を経て日本人のエリート層が間違った選択を只管変えないで国民を奈落の底に引きずり降ろそうとする図は見たくないものである。特に、戦前の軍人達が国家社会主義に憧れを抱いたことがソ連と言う信頼できない国家を盲信し和平交渉を委ねた訳だが、現在は新自由主義と言うグローバル経済主義を信奉する経済産業省の官僚が似たような盲信する姿を見ると慄然とする。掲題書は正に憂国の本であり、是非一読をお勧めしたい。