過去の交通戦争の時代から見れば事故による死亡率は大きく減少しているが、最近のニュースで事故死の原因が大きく変化していることを指摘していた。それは運転者と同乗者と対向車の運転者と同乗者の死亡ではなく、部外者の歩行者が増大していることだ。ニュースなどで事故の報道に接すると不可思議な事に気付く。交差点で信号待ちしていた歩行者に車が突っ込んだ事例があったが、対向車の車を避けようとしてハンドルを切った場所に歩行者が居たという事故だった。歩行者にとっては何秒かの違いで事故にあった訳だが、その時に祖の場所にいたのは偶然と言え、数秒の違いで事故を避けられた可能性もある。偶然ではなく必然が起こした事故ともいえる奇妙な事例もある。東名高速でトラックの補助タイヤの落下物に乗用車が衝突してエンストした車から降りて高速道の反対側に避難していた母娘が、後続のトラックが補助タイヤにハンドルを取られて横転し、道路の反対側に避難していた母娘を直撃して死亡させた事故だ。子供の頃に見た米国映画の死神のストーリーの様に、最初の事故で死ぬ運命にあったのに生き延びた為に更なる事故で亡くなった。今更の自動車事故に関して話題に取り上げたのは、先日の滋賀県で起きた保育園児童の死傷事故で過去の幾つかの事故の情報と事故寸前の体験を思い出したからだ。二つの事例は、信号機がある十字路と丁字路で起きた自動車事故である。二件とも一方の車が赤信号を無視して交差点で事故を起したものだった。この種の事故の時には目前の信号ではなく、先の信号を見て錯覚した事故とその原因を科学的に分析した報告もあるが、2件ともその錯覚が起しようもない田舎の交差点で起きている。事故を起した人達はなくなっているので赤信号を青信号と錯覚した理由は不明だが、滋賀県の事故も右折車の無謀な運転が原因と指摘されたが、対向車が見えなかったとしたら無謀などではない。私が経験した事故寸前の経験、今でもぞっとする事例は正に車が見えなかったからだ。それは、茨城県内のメンバーコースのゴルフ場の早朝ゴルフをプレーしてコースのアクセス道路から国道に左折しようとして起きた。信号のない丁字路で左折する為に右方向から車が来ないのを確認して国道に入った瞬間に対向車線を後ろから来た車が通過して私の前方で急停車した。私の感覚では存在しなかった車が空間から突如として出てきたと思われた。この時には私のワイフも助手席に同乗して二人とも車が居ないことを確認している。当然に危機一髪を避けた車の運転手は怒って降りてきたので事情を説明して平謝りしたが、相手は納得できない顔であった。長年車を運転しているので色々な事を経験しているが、都内で運転中に先の信号で停車してしまった錯覚も経験している。しかし、車の見えなかった事例と同様に正にオカルト的な経験もしている。それは祖母の危篤の知らせを受け社用車に乗って帰郷する為に常磐高速道路を夜の8時頃に走行していた時だった。常磐高速道路を時速110km位で走り、石岡市地域を過ぎて小美玉市エリアに入っていた時に突然車の前方に狐が横断したのであった。夜間走行で遠目でライトを点灯していたとは言え、視覚の範囲は数十メートルであったと思うが、その中で起きた光景だった。この時には、運転手と私とワイフの三人が見ているので、錯覚でも幻でもなく、少なくてもその空間だけは真実であった。その時には祖母の危篤に駆けつける為だったので深く考えることもなく一瞬で忘れ去ったのだが、後から思い起こすと時速110kmで走行中の車と狐の距離感が変わっていなかったのに悪寒が走った。見ると言う科学的な現象は、目から光が入り、脳が映像を作り上げるシステムなので、実際の光景とは違うものが現出することも理解はしているが、今でも高速道路の狐の光景は理解の外である。事故には物理的な事故と人の視覚の不完全さから起きる事故、更には死神の存在が否定できないオカルト的な事故に大別できるのではないかと思われて仕方がない。自動運転の世界が目前だが、車をコントロールするAIが人間の不完全さを補ってくれるのか、それとも不完全さも継承して進化するのか興味がある所だ。
循環経済
サブスクリプションと言う言葉を良く見かける。ITのソフト商品などの販売で使われていたが、今では健康サプリメントの定期販売などにも使われている。所有から利用の時代になり、モノ系でも使われ始めているが、良く考えると先送り経済の様なもので、基本的には分割で購入しているのと同じことになる。勿論、メンテナンスの故障時の取り扱いや機器の入れ替えなどの経費を何れが負担するかは明確な基準はない様だ。ソフト系の場合には性能が日進月歩であるので、サブスクリプションにした方が常に新しいソフトを使う事が出来るので便利だが、モノ系の場合のメリットは低額の毎月支払いで商品を利用できること以外にはメンテナンス費用と思われる。尤も、モノ系に関しては既にリースとレンタルがあり、サブスクリプションとの違いは見いだせない。リースに関しては会計基準の改正でファイナンスリースなどは購入と同じと見做されて資産の繰り入れとなる見通しだが、一般の機器のリースは月々の支払いが経費扱いは変わらないので、個別性から言えば残価の設定で月々の支払額が変わることである。一方、レンタルはリースより長期契約となり、メンテナンス費用も含まれるし、更新に際しては既存設備の残価を新規の契約に上乗せて処理することも可能であるが、その分月々の支払いは高くなる。モノ系のサブスクリプションはレンタルと似ているが、現時点では単体の低額商品レベルの取り扱いの様なので、「リース」、「サブスクリプション」、「レンタル」の棲み分けは可能かもしれない。しかし、何れにしても新規商品とは思われず、名称を変えて新規さをアピールしているのに過ぎない。この様に周辺の商品やサービスを眺めると、働き改革で注目を集めているシェアオフィスなどは、過去にはレンタルフィスとして同様のサービスが存在した。ちなみに、レンタルオフィスの前は秘書伝言サービスがあり、オフィスを持たない会社の為のサービスもあった。今の言葉ではバーチャルオフィスというサービスである。勿論、同じ利用でも今日の物はITなど設備したスマートな運用がなされており、新規ビジネス開発のプラットフォームなので利用価値は様変わりだ。レンタルと言えば、弊社も過去に大型ビルの建築時、いわゆるインテリジェントビルと呼ばれた時代に中央監視システムにレンタルを導入したことがある。切っ掛けは、コンピューターが急速に進化している時代であったので、システムの更新を償却前に出来る様にするためにレンタルを選択した。しかし、その後のIT機器の発展を見ると、発想は間違いではないが、デフレ経済もあり、仕組み自体が変わり、商品の低額化までは誤算であった。何れにしても現代の商品の多くは過去の模倣が多く、新しいアイデアとは言い難く、電気自動車もガソリン車より早く提唱されていた。問題は導入コストであり、一般化するには時代を待たなくてはならないビジネスモデルもあるので循環するのは必然なのかもしれない。社会経済環境も閉鎖系か開放系かで大きく違い、会報系のグローバル経済は世界を均等化する流れとなったが、一方では貧富の差が拡大し、豊かな社会の実現とは乖離してきている。今後はAIなどの活用で人の業務の多くが機械に代わることが予想されており、人間自体の存在が問われて来ることになりそうだが、AIの導入が一般的な時代になっても循環的な商品・サービスが維持されるのかは難しい問題だ。尤も、5月1日から新元号の令和が始まり、今回の変更が天皇の生前退位によるので注目されているが、過去には元号は天変地異による災害などを乗り越えるために元号を新たにしたことが指摘されており、人は何かを乗り越えるために名称を変えることで切り開いてきた歴史がある。先祖がえりのような商品・サービスも基本的には現状を打破する為の行為かもしれない。それが循環経済となる理由かは不明だが、世界は周期的に動いているので、循環は必然の要素なのかもしれない。今回は科学的ではなく、哲学的なブログになった様だ。
自動車暴走事故の懸念
最近自動車の暴走による痛ましい事故が起きている。最近も高齢者の運転する自家用車が池袋で暴走し、母子2人が亡くなり、8人が負傷した。自動車事故で家族を亡くした遺族は不条理に際して持って行き場がなく、慰めの言葉もない。暴走事故に懸念とした理由は、高齢者の運転ミスとして報道されることに違和感を覚えたからだ。現代の車は制御装置に電子機器が多く用いられているが、電子機器は電磁波や暑さに弱いことが欠点でもある。勿論、自動車メーカーは当然に理解している事なので、その対策は十分に取られていると思われるが、過去の出来事が私の脳裏から離れず、最近の車の自動運転の良さばかりが報道されることには違和感がある。その出来事とは、1件目は父の自家用車の故障に関係するものである。父が帰郷し、地元のゴルフ場でプレーした後に事件が起きた。帰りの車の運転中にアクセルが勝手に動いてスピードが上がり始めた。この為、父はブレーキを踏み制動したが、ブレーキを緩めるとスピードが高まるので、ブレーキを踏む行為を繰り返し、更に胴体を障害物に擦らせてスピードを落として漸く自宅に帰りついた。父は未だ車が日常的でない時代から乗っており、運転技術にも卓越し、然も田舎であったので機転を聞かして帰宅できたが、運転に未熟で都会での出来事ならば暴走していた可能性も否定できないものであった。2件目は私自身の体験であった。高速道路から降りて側道を走り、主要道路に位置する丁字路で信号待ちし、青信号で左折した時に事件は起きた。主要道路に入った途端にエンジンが空回りして車が動かなくなった。ギアを見るとニュートラルに入っていた。この為、後続車が来ていなかったので、落ち着いてギアを入れなおしたら動き出した。オートマチックの車なので、通常はブレーキとアクセルだけの走行であり、事故の時も赤信号時にブレーキを踏んで青信号でアクセルを踏んだ。丁字路を左折して正面を向いた時にエンジンの空回りが起きた。不安を持ちながら30分程走ってその後は何事もなく無事に帰宅できた。ギアがニュートラルになった理由が不明だったので、帰宅後に自動車販売会社に連絡し、点検に持って行ったのだが、整備担当の連絡で異常が記録されていたことが分かった。しかし、異常の原因は不明との回答であった。上記の2例は機械式の制御時代には想定されない故障であったと思われ、電子制御になって起きた故障と思われる。昨年などは異常な猛暑であり、屋外で屋根がない駐車場の場合には自動車の制御機器にも相当負荷がかかったと推定される。センサーやカメラやAIを搭載した自動車の自動試験運転が世界中で行われているが、世の中は全てトレードオフなので、最近の暴走事故を高齢者による事故としか捉えない風潮は危険と思わざるを得ない。池袋で事故を起した高齢者は通産省の工業技術院の元役人であったそうなので、技術系の人と思われ、アクセルが聞かなくなったと言う発言は高齢者と一言で片づけるには無理があると思われる。SNSなどでは元上級役人なので逮捕されないのは可笑しいと発信しているが、逮捕しない理由は簡単ではないかもしれない。今後、自動運転に向けて電子制御機器に関しては電磁波に対する防御の容器、熱に対しては冷却装置の設置などの対応が進められるかもしれない。何れにしても、自動運転装置は企業秘密でありブラックボックスとなり、事故が起きた時には隠される可能性が高いと思われる。未来が全て過去より良くなると言うのは幻想であり、社会は全てトレードオフなのを心すべきだ。
メディアの”正義”とは何か
米国の大学の講義の様な表題だが、昨今のマスコミ報道で感じる"正義"に対する疑問だ。桜田五輪担当相の発言が切り取られた内容であり、正しく意味を伝えてないと指摘されたが、正に正義を振りかざすメディアの報道が何を意図したものかを考える必要がある。レオパレス事件も同様かもしれない。同社はサブリースの条件変更から端を発したオーナー裁判で騒動が始まったが、サブリースの条件変更はレオパレスの専売特許ではない。バブル経済崩壊後に大手不動産会社と貸し手側の企業との間でサブリースに関する裁判があり、この時に悪例となるような緊急避難的にサブリースに対する条件変更を認める判決が出たのである。レオパレスは判例を踏まえての対応と推定できる。今回の報道で気になるのは国の仕様と違うと何度も言及している点である。建築基準法の改正で基準が仕様から性能に変更されたのを知らないのかと言いたい報道だ。勿論、今回のレオパレスの施工不良に関しては会社も認めている様なので、直接的に同社の施工不良問題に言及するつもりはないが、正義を振りかざすならば建築基準法の改正推移や消防法の改正推移に照らし合わせた書き方が必要ではないか。目まぐるしく法律や制度が変わっている今日では知識の更新が必要以上にスピードアップしてるので、間違った正義の報道もあると推測できる。同時に、一つの企業が必要以上に叩かれる時には、別な動きがあるときである。私にもバブル経済崩壊後に不条理な大企業の攻撃を受けたことがある。その攻撃とは、メインバンクからグループ会社の大手不動産会社に弊社が所有・管理するビルのテナントの契約情報が洩れ、テナントの引き抜きにあった事である。メインバンクに抗議したが、当然にメインバンクはその様な事実はないし、あり得ないと反論したので、私は弊社も大手不動産の所有ビルのテナントの引き抜きと賃料引き下げ交渉のコンサルタントを受けて徹底的に戦う事をグループ会社の不動産会社の伝えることを要請して辞去した。その後に、弊社ビルのテナント引き抜きがピッタリ止まったのは言うまでもない。レオパレスの事件は不動産業界のおけるパイの奪い合いに入ったことを予期されるものと言える。東京オリンピックで世間は湧いているが、業界は一歩先を読んで戦いを仕掛けたのかもしれない。特に、オフィスがシェアオフィスやサテライトなど多様化するに際して居住との関連もこれまで以上に強くなる可能性があり、大手不動産会社などでは全部賃貸しするシステムの構築に動き始めているかもしれない。この構築に会員制システムで居住者を囲い込んでいるレオパレスの存在は邪魔な存在に映ると思われる。映画のタイトルの様だが、"邪魔者は消せ"で動いていることを否定できない。特に、メディアが"正義"を振りかざす時には要注意だ。国民は利用される。
飲食テナントビル ”イータス新橋”のグランドオープンを祝して
東京都港区新橋3丁目13番4号に飲食ビル「イータス新橋(www..ateatus .com)」がオープンした。当該ビルの所有会社はアドバイザリー先という事もあり、プレオープンに内覧会の案内状を頂いて参加した。ビル自体ははJR新橋駅徒歩2分の柳通りに面した好立地に建設されている。この為か有名店舗が入居しているが、特に目を引いたのが2Fの「広島 お好み焼き みっちゃん総本店」だ。私のパートナーが広島県の尾道出身なので、お好み焼き、特におたふくソースを使った広島のお好み焼きが大好きだ。フェイスブックにみっちゃんの事を掲載したら広島の義兄から超有名店ですと"いいね!"で返ってきた。この他に、地階と1階にバルトワインバーが入り、韓国焼肉、ジンギスカン料理、横浜中華街の中華料理店、魚料理店もあり、変わり種は青森県連携協定店と銘打った「青森ねぶたワールド」で、店内に青森ねぶたと五所川原ねぶたのミニチュアが展示されている。取引先のビルなので今後は接待等に使わせていただくことにしているが、店舗には隠し部屋風の個室の店もあり、色々と食事以外でも楽しめる様だ。写真の通り、ガラス張りのビルで色彩豊かな外観になっており、周辺でも分かり易い。所有会社は脱住宅でホテルなど造っているが、イータス新橋はJR恵比寿のアトレ西館に次いでオープンさせた所有案件だ。尤も、過っては秋葉原や渋谷に飲食ビルを建築した経緯もあり、その他にも多くの異業種的な展開を図っているので、不動産に係るアドバイザリーとしては最近相談事が少ないが、会社が成長発展することは喜ばしい限りだ。機会がありましたらイータス新橋を思い出してご利用ください。

石蔵拓氏の最新作「北高フェイドアウト」
石蔵さんから最新作「北高フェイドアウト」が贈られてきた。帯には俳優の佐野史郎の推薦文が載っていた。石蔵さんと佐野さんを結んだのは、彼が早稲田大学の1年生の時に加わったロックバンドの仲間達が島根県の松江出身であり、佐野さんと高校時代から見知っていた人達の縁だそうだ。石蔵さん曰く、「この本は自伝」だそうで、若き青春時代の一コマを描いている。同時代を生きた私にとっても本に書かれている内容は懐かしいものであり、石蔵さんと私の縁を繋いだ広告マンの竹田俊一さんも僅かだが登場している。石蔵さんを知ったのはIT技術者として社会人生を歩んだ物静かな人柄なので、早大時代のロックバンド時代の姿には驚かされる。石蔵さんの美人な奥さんは早世し、本の書き出しも奥さんとの夢の中の会話から始まっている。プレボーイだった石蔵さんが音楽を専攻していた奥さんと知り合って結婚し、お子さんにも恵まれて幸せな一生だったが、作家になった理由の一つは奥さんの早すぎる死だった。この本で人の不思議な縁と結びつきに関して改めて思い知らされた。後書きで佐野史郎氏や松江のロックバンドの仲間たちがそれぞれ書いているが、私の高校の先輩も登場しているので驚いた。先輩の名前は、遠藤賢司で、「カレーライス」、「東京ワッショイ」などの代表曲がある。フォーク系ともロック系とも言われているが、迫力ある歌い手であるのは間違いない。惜しくも2017年に他界した。松江で思い出したが、過って出雲大社の一族の方と飲食を共にしたときのことである。茨城人は絶対無音感の地域で発音が苦手と話したら、島根県の出雲地方も同様に絶対無音感で発音が識別できないと聞き、正に同族の思いを感じた。先輩も松江の人達と交流を持って親しくお付き合いしたのは無意識の同族から来る親しみだったかもしれない。遠い昔に日本列島に渡ってきた祖先の血が現代の我々にも影響してるのかもしれないと考え、石蔵さんは福岡県大牟田市の出身であるが、石蔵さんの祖先とも古代で遭遇している可能性もあり、古代の浪漫に思いを寄せる2019年新年です。 
友人の会社のナスダック上場を祝して
師走に高校の同窓でもあり、業界の取引先でもある香陵住販株式会社の薄井社長がアポなしで来社した。近くに用事があり時間が早かったので立ち寄ってくれた様だ。彼は1981年に故郷の水戸市で不動産会社を起して今年で37年だが、念願かなって9月にジャスダックに上場を果たした。薄井社長は大学卒業後にマンション販売の大手であった大京に入社し、トップ営業マンとして活躍し、その後地元の茨城県で不動産会社を立ち上げた。高校時代は彼は柔道部、私は応援指団、大学受験で彼は文系、私は理系とそれぞれ歩む道は違っていたが、私が家業を継いだこともあり、30代になり同業者として付き合いが始まった。彼の特徴は業界流行のゴルフを遣らず、日本茶を飲み、冬にコートを着ないことであった。しかし、ゴルフに関しては聞き忘れたが、コーヒーを飲み、コートも着る様になった。年を取って丸みを帯びたそうだ。誠実な人柄が茨城県ナンバーワンの不動産会社を作り上げたことは確かだ。上場しても何ら変わることがなく、驚くことに会社に親族を入れていない。子息を後継者に育てないのかと聞くと親族は扱いが難しいと一言だけ。私が執拗に他人の後継者に会社を潰されたら悔しいだろうと水を向けると、更に仕方がないの一言。達観した生き方には脱帽だ。経済の大変動の中で企業を成長させて上場にまで漕ぎ着けた友人の苦労は計り知れないが、30代に再会した時と何ら変わっていない。彼の会社も顧客に投資案件を販売しているので、スルカ銀行絡みの投資案件に話を向けると、嘘を付いてはダメだと強調し、更に不動産を知らない人達が業界に多すぎると嘆いていた。大学卒業後に不動産業界に入り、40年以上も業界を見てきた人の言葉だけに重みがある。昔から不動産業界には一攫千金を狙った連中が多く、詐欺的な事件も多いが、今の様に表面だけで仕事が出来る業界ではなかった。何時の時からか、知ったかぶりの連中が業界に多くなり、更に金融機関の質も下がり、スルガ銀行の様な事件が増えてきた。私も不動産開発を通して言葉の重みを嫌と言う程体験してきた。中身のないプレゼンテーションなど出来ない世代だ。地道に不動産会社を経営してきた友人の上場は社会からのご褒美なのだろう。会社経営の重みを知った人の言葉はベンチャー企業で安易に起業した連中の何倍もの価値がある。
日産のゴーン問題
日産自動車の会長であるゴーン氏が金融商品取引法等の不正で逮捕された事件が世間を賑わしてるが、今回の問題は日産の救世主と持て囃した日本のメディアなども一因として上げられる。何故ならば、日産の急激な業績の回復は自動車販売の増加ではなく、資産リストラと日産を食い物にしていた古参の社員・OBの排除であったからだ。私が断定的にその事を言えるのは、三つの出来事からである。一つは、不動産ファンドのアドバイザリーに就いて日産の子会社の管理する不動産の売買に何度か立ち会った時の事である。都内の売却物件のデューデリジェンス(DD)の時に、築5年位しか経ていない建物の屋上を見た時に防水修繕工事を行っている異常さに先ずは驚いた。精査すると何も問題が起きていないのに行った修繕工事なのを理解した。日産所有の売却物件を数棟見たが、何れも不可思議な修繕物件ばかりで、本社の担当か管理子会社の社員の指示かは知らないが、建築工事で利権が横行していたのは事実であった。二つ目は、高校の後輩が経営していたIT関係の会社に日産自動車の子会社の役員をしていた人物が常務取締役についており、その役員と独身社員社宅用ワンルームマンション20室の賃貸借契約を進めた時の事だ。物件は勝鬨橋近くにあり、内見を午前10時30分に設定して貸主側管理会社と私と借主のIT会社の総務担当とが時間通りに到着していた。しかし、IT会社の担当役員の常務が到着したのは待ち合わせ時間の1時間後であり、遅れてきた第一声が来るときの電車で知り合いにあって話し込んだとのことで、遅刻に対する詫びの一つも出なかったのである。しかし、物件は気に入った様であり、借りるので抑えてくれとの言葉があったので、時期的に申し込みを入れないで抑えるのは難しかったが、貸主側の三井系の管理会社では、三井銀行系の室町不動産会社に勤務していた銀行出身のOBの紹介だったので、私を信用して20室を抑えてくれたのである。この結末は書かないでも分かると思うが、賃借は社長が賃料が高いと言ってダメになったとの一言でキャンセルになった。私は道義的な責任を感じて貸主の管理会社にペナルティとして100万円の身銭を切ったのである。三つ目は、高校の同窓会の時に同窓が話したことである。同窓の子息は20代半ばで自動車の購入に日産の販売店を訪問した時のことである。20代の若者が購入するには価格的に高いと思われる車の性能や仕様を店内の販売員に聞いた時に、どうせ購入しないだろうとの態度で説明もしてくれなかったそうだ。子息は日産自動車が好きだったが、仕方なくトヨタの販売会社に行って同じように高級車について性能などの説明を求めたそうだ。その時にトヨタの販売員は丁寧に説明してくれたそうだ。この為、子息は俺はこの車を購入する金がないかもしれないよと試しに言ったら、その販売員は将来のお客様になって頂ければ良いですのでと答えてくれたそうだ。子息は感激して即座に購入したとのであった。確かに、日産自動車は労使一体となって経営をしてきたが、何時の間にか経営と言う感覚がなくなり、無責任な会社になっていた。しかし、技術には優れたものがあり、資産も相当あったので、悪習を無くせば再生できる内容ではあった。しかし、内部からでは出来ないので黒船であるゴーンを招聘して改革を断行できたのである。ゴーンは日産の社長になり最初は驚いたと思われる。この会社が何故不振に陥っているのかと。彼の感覚からすれば再生しやすい会社と映った筈だ。それが、ゴーンに植民地意識を芽生えさせて今回の不正に陥ったのと推測できる。ゴーンを誤らせたのは、救世主の如く持て囃した日本のメディアであり、大衆だ。本当に罪作りな事をしたと思われる。
交声曲「海道東征」の東京公演開催について
知人の石川裕一氏が経営する株式会社ぷらう主催の交声曲「海道東征」の東京公演が、東京芸術劇場コンサートホール(東京都豊島区西池袋1-8-1)」で開催される。昨年は共催であったが、今年は単独開催である。株式会社ぷらうは北海道を主たる地盤に活動する企業である。石川氏は学習院時代は故高円宮とご学友でもあった育ちの良い方で、その上学んだ北海道大学で培われた豪放磊落の気性なので、誰からも好かれる人物だ。海外生活も長く、語学も流暢なのだが、最近は国士的な言動が目立ち驚かされることも多い。私に対しては右翼的な考えの持ち主の同類との誤解があり、海道東征の作曲家の信時潔に関しても既知として話されので戸惑った。しかし、今の世の中にあって"言行一致"、"知行合一"の人生を歩んでおり、それが故に詐欺師に騙されたこともある。今回の公演も単独開催になった経緯は知らないが、多分梯子を外された感もあるのではないかと推測する。チケット販売に苦戦していると支援を求められたので、私のブログなど読む人は少ないと思うが、掲載した次第である。
(書きアドレスはチケット購入関係)
「イットと、まちがわれて:石蔵拓著作」について
知人の石蔵氏が上梓した書籍の電子版「イットと、まちがわれて~元首相はITのことをイットと言った~」がこの程出版された。私は電子出版に際して石蔵氏から後書きを依頼された。IT業界で仕事をした訳ではないのに後書きを書いた理由は、石蔵氏が本書を書く動機となった秋葉原通り魔事件で被害者と成った故宮本直樹君との関係からだった。秋葉原通り魔事件は正にカミユの不条理を思わせる出来事であったが、知人が犠牲となった事件として今でも私の脳裏に深く刻まれている。平成も来年で終わるが、31年の間はバブル経済の崩壊と資産デフレから生じたデフレ経済、情報化の急速な普及によるグローバル経済と雇用形態の変化など社会的経済的に大きく変容した。戦後のインフレ経済の待てば全てが解決した時代と異なり、平成のデフレ時代は先に動いて対応しないと損をする時代となった。急激な社会の変化に際しては過去の経験などが役に立たず、一方では従来には考えることが出来なかった無名の個人のソーシャルネットワーク(SNS)を通しての社会に対しての影響力の行使がクローズアップされた。新しい時代に順応できる者とそうでない者とが凌ぎ合う社会になって格差社会となり、能力と関係なしにその時点で置かれた立場によって勝ち組と負け組になる不条理な現象が生じ、その不満が一般市民に対する刃となって降りかかっている。この現象は昭和の時代は社会的不満が為政者に向く政治的テロであったが、平成の時代は格差社会に対する不満が為政者に対してではなく、個人レベルの問題として矮小化して見知らぬ一般人に矛先が変わっている。個人に矮小化した理由は職場のリストラと陰湿な苛め、更には過剰な競争社会が齎したものと推測される。本書はノンフィクションとしてIT業界を書いているが、情報化社会で必要な人材が派遣と言うシステムで動いており、社会福祉や国防など国家的な作業部分も無知な管理者の存在やセキュリティ軽視に驚くと同時に、業界に巣食っている裏社会、オウム教信者の技術者、統合失調症の技術者のチェック機能が働いていないのも懸念される。今後もAIを含め一層役割が重要視されるIT業界で、本書は日本が如何にセキュリティ対策などで遅れているのかを警告する書籍としても有用と思われる。興味のある方には一読を勧めたい。