取引先の設計事務所の所長さんから廃業のお知らせが届いた。先代社長の時に専ら取引していた事務所であるが、当社の社員旅行やゴルフコンペに参加していただいていたので、仕事以外の相談事などで私の代になってからも所長さんが時々訪ねてきてくれた。10年以上前にお会いした時に事務所を閉める話をしていたが、その後も仕事を続けていた様だ。私が20年以上前に外貨取引ファンドを行った都市銀行のOBの人にオフィスの一角を提供していたので、当社の取引先にもファンドの案内状を送付していたからか、私も外為に詳しいのではないかと勘違いしての外貨預金の信託投資の相談であった。相談事は円高になると投資が損する仕組みが分からないと言った内容と記憶している。外貨ファンドの投資と輸入の円高有利が区別付かない質問であったが、私の知識も相談を受けるには不足していた。所長さんは年齢とともに仕事量も減少してきたので留保している資金を投資に回したい意向であった。81歳まで仕事を続けて来たのを思うと投資も成功したのかと推測した。お知らせには1979年に事務所を開設して42年が経過し、年齢も81歳になり知力体力とも衰えを感じたのでと書かれていた。昔ならば引退していた年齢だが、高齢化社会と医療技術の発達で81歳まで仕事が出来たのは幸せで喜ばしい事だと思った。私の若い頃、取引先銀行のコンサル会社の研修で、後継者の問題が取り上げられたことがある。この時には、65歳が経営者の衰えの境であり、その前に意見の対立は避けた方が良いと指摘していた。確かに、当時は65歳になると記憶が弱くなり、役員同士で同じ話を何度もしていた記憶がある。健康は個人差があるが、今の高齢者は元気なのは確かだ。私も生涯現役を唱えているが、伴侶の介護もあり、先行きは不透明だ。人の賞味期限は声を掛けられる内は大丈夫な様なので、知識の更新をしながら知力体力の維持を続けたいと思う。
成功した指導者は危機意識が高い
企業経営も政治家も官僚も成功した指導者は危機意識が高い人だと言われる。危機意識が直面する難題に対して克服するエネルギーを生み出すのかもしれない。確かに、事業における創業時は何時倒産かと言う環境の中で危機意識があり、その危機エネルギーが不可能を可能にする力になると思われる。勿論、新規事業などのすべてが危機意識で成功する訳ではないが、楽観視した意識では何事も成功に結び付くことはないと断言できる。ある企業の監査役が若い取締役に対して必要以上に大騒ぎすると指摘していたが、これも危機意識の差であると思われる。何処の企業も監査役には現役を終えた経験者を迎えるのだが、業務執行から離れると危機意識が少なくなり、若い業務執行の取締役が意識した問題案件の将来に及ぼす影響に対する懸念を理解できなくなるのかもしれない。翻って、日本国の菅首相について指導者としての危機意識を見てみると、新型コロナ(COVID-19)対策や横浜市長選で判断する限り、現役を退いた経営者と思われるほど危機意識が低いと思うのは私だけであろうか。私が学生時代に社会人の方と将棋を指したことがあった。私が将棋に強いわけでも好きな訳でもなかったが、お互いに時間があったので将棋を指すことになったのである。この将棋は私が完敗したのだが、この時に社会人から私の敗因を指摘されたことを菅首相の新型コロナ対応で思い出した。正に敗因の理由は攻めと守を中途半端にして臨んだことであった。新型コロナで難しいのは経済対応と言えるが、新型コロナの沈静と経済に対する影響を出来るだけ少なくすることは、二律背反なのは誰でも分かることだ。新型コロナに対する楽観論が中途半端な対応になり、結局は両方とも叶えられない結果となる。菅首相は若くして政治家の秘書となり、その後地方議員から国会議員になった人であるので、事業化の様な危機意識はないと思うが、政治家は選挙に落ちたらタダの人になるので、危機感は少なからず醸成されたと推定される。尤も、何回も当選を重ね、政治家としても要職に就けたので、上記の監査役の様に金銭的にも恵まれて危機意識が希薄になったのかだ。馬齢を重ねても金銭的に不安定な場合には危機意識はなくならないと思われるので、最近の政治家や官僚や企業経営者が危機意識が少なくなったのは恵まれている為かと考えて仕舞い、それ以上に国家観がないのかもしれないが。
空の文化
近年の政治家・官僚の劣化、情報化時代のSNSの虚偽情報、研究者の論文偽造、学者の補助金横領など一般人から相当の地位のある人達のインテグリティの欠如は枚挙にいとまがない。新型コロナ下での東京オリンピック開催は国民を無視したばかりではなく、感染対策に知恵も出ない無能さには呆れるばかりだ。尤も、菅首相は息子が利権の真っ只中にあるのに国会で知らぬ存ぜずで押し通せる政治を見るにつけ、社会倫理の喪失は25年前のバブル経済崩壊後の後遺症と思われる。金融機関などは最たるもので、お客に無理やり貸し付けた資金を鬼の様に回収した姿は社会全体に不信を拡散させた。真面目に対応した会社は潰され、嘘八百で押し通した会社は生き残った。バブル経済崩壊後に米国から導入された金融資本主義とグローバル経済、更に経済界の経営者の劣化による非正規雇用制度の受け入れは今日の少子化を加速させた。この様に書き進むと悲観的過ぎると言われそうだが、日本人と言う民族を振り返ると、日本人が変質したのではなく、本来持っている資質ではないかと思われる。仏教伝来の前は神道が日本人の魂の源である。その神道の御霊は空なのである。空とはある意味後出しじゃんけんが出来る存在なのだ。DNAの解析が進み、日本人の源流を探る書物も多く出て来ているが、それと別に言葉体系から探る研究も進んでいる。日本語は最後に結論を出せる言語で、その様な形式は韓国語も似ている。しかし、学者の研究では日本語は何処の系統にも属さない為に言語からでは源流をたどれない様だ。勿論、半可通の私の見解は間違ってる可能性もあるのでご承知願いたい。そのことを付け加えないと虚偽情報の発信者の類に分類されてしまう。しかし、伊勢神宮の社殿から市中に祭っているお稲荷さんの祠まで中は空なのである。私が指摘しているのは祠に収まっている御霊のことでお札の類ではない。御霊は空なのである。日本の文化は内と外があるが、内の御霊は空であり、外は無駄がない引き算された様式美である。前者は何にでも変わることが出来ることを意味し、後者は何を意味するのだろうか。自然風土の厳しい中で培われた文化であるので、表面的には情けなく見えるが、実際にはどの様な逆境にも生きる力を持った国民性かもしれない。新型コロナに対しても無能な政治に期待することなく、自身で克服する知恵を持っと居ると思われる。それが空の文化・・・・・・・。
自然の摂理
新型コロナウィルスが変異種の出現で沈静の兆しが見えないが、変異種の中でもデルタ株は感染力が強く、然もワクチン接種者の罹患率が高いと言う情報に驚くと同時に、近代農業における害虫との戦いに見る自然の摂理と同様なのかと考える。近代農業における害虫との闘争は最初は害虫を全滅させる強力な農薬の開発で幕を開けたが、その結果、害虫は農薬に負けない強力な害虫となって人と対峙した。翻って、江戸時代の前近代の農業においては、経験の知恵で害虫に一部の棲み処を与えて共棲することで害虫の被害を防いだ様だ。勿論、大群のバッタの出現は害虫の絶滅対策から生まれたのか全く違う理由で発生したのかは浅学の身であるので分からないが、米国などで起きる蝉の異常発生などを見る限り人間とは関係ない自然の摂理かもしれない。しかし、此度の新型コロナウィルスは地球における人間の急激な増大とは無縁とは思われない。細菌やウィルスは近代になって公衆衛生の成立のよって克服されてきたが、細菌やウィルスは本来はローカルに影響するものであった。それが今から400年以上前の大航海時代によりグローバルに拡散した。コレラ菌、ペスト菌がインド、インフルエンザなどが中国などに人口の多いエリアで出現したのも自然の人口抑制とも言えなくもない。顕著なのは梅毒などは太平洋の島の風土病であったのがマゼランの世界一周の船旅で乗員がり患した結果グローバルの病気となった。島の風土病の理由は過剰な人口の増大を防ぐ意味があったと推定される。何れにしても、ローカルの風土病は人の行動により移動させられて世界中に拡散し、地球規模で人口抑制が働いた。それが現代では食糧生産が増大し、医療技術や医薬品の開発が進んだこともあり、地球の人口が冷戦後のグローバル経済によって急速に増大し、今や75億人になった。その結果、グローバル経済活動を一時的にも減少させる新型コロナウィルスの出現であり、自然の摂理が働いた結果と思わざるを得ない。何時の時点で人間は自分たちが地球の創造主の様に思いあがったのであろうか。尤も、進化続けて他の生物と異なり、地球の支配者となり得たのは自然の摂理とは違うのだろうか。新型ウィルスの被害は文化(含む宗教)の違いの公衆衛生の考え方で大分異なる様相になっているが、それもデルタ株の出現で被害の平等化の減少が起きつつある。大規模戦争がなくなって久しいが、その代わりに異常気象と感染症によって人の淘汰が行われていると言ったら顰蹙を買うのであろうか。アマゾンやテスラの創業者が宇宙に飛び出し、短い時間だが宇宙旅行を経験している。マイクソフトの創業者のビルゲイツは今回の感染症について予測していた。鋭い感性でベンチャー企業を成長させた人達は地球の未来に悲観的なのだろうか。今回の新型コロナで生活が一変するアフターコロナを指摘されていたが、アフターコロナよりウイズコロナの生活が長く続くと推定され、職場もファースト、セカンド、サードの三か所になり、新生活と言われる価値観が変わった社会の出現で感染症を克服すると思われる。
アートの出会い
昨今のビジネス書にはアート思考やデザイン思考が取り上げられているが、私がアートを意識したのは結婚後と遅咲きだ。大学受験の時に父が経営に参加していた会社に建築設計事務所があったので、建築学部でも受けてみようかと考えたことがあった。余り自分の事で父に相談したことがなかったが、建築学部受験の時には理由は思い出せないが意見を聞いた。すると即座に、俺と同じでお前は絵が描けないからやめた方が良いと指摘した。。一度たりとも父兄参観日に来たこともなく、学校の成績などに関心がない父と思っていたので、私の絵の才能がないことを見抜いていたことには驚いた。確かに、絵心どころか絵を最後まで描けた記憶がない。美術と音楽はテストで100点でも実技で並の成績にされたので、余計に嫌いになった。大学は理系に進んだのだこともあり、アートに関しては接点がないままに社会人となった。それが、偶然に結婚相手が美術系の才能がある一家で、次兄が一級建築士で、ワイフはデザインを専攻していた。仲間と脱サラして専門誌を立ち上げた時に、ワイフに出版物の表紙の絵をデザインして貰い、初めて絵を描く才能を見た。ワイフは結婚後にデザインの仕事を辞めて専業主婦になり、その後は女子寮の食事を作る仕事に就いた。デザインを学んでいたためか先天的かは知らないが、料理の盛り付けは実に見事であった。女子寮の経営者にも評価された様だ。一流シェフと言われた人でも盛り付けが下手な人がいるが、味は良くても盛り付けが良くないと旨くても感激がない。見た目だけで不味ければ詐欺にあった様な気がする。ワイフは美術館に行くのが好きで、最初は一人で行っていたが、その内に私も同行するようになり旅先でも美術館に必ず立ち寄った。様々な作家の作品を鑑賞している間に不思議とアートに対する理解が深まり、脳の働きも創造的な面が強化された様な気がしてきた。今はコロナで自粛しているが、沈静化すれば美術館で芸術作品を見て回りたいと思っている。アートは見るだけでも効果があるので、自分で描ければ更に創造力が増すのかもしれない。残念ながら手先が不器用なために鑑賞専門であるが、ワイフとの結婚でアートに出会い、仕事に良い影響をもたらしていることに関しては、私にとっては幸運であった。「東京芸術大学美術学部(究極の思考)」の本を読んで自己を振り返った次第だ。
風邪に効く薬はない
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最近まで風邪に掛かり医師の診断を仰ぐと必ず風邪に効く薬はないと判で押したように言われた。そして処方箋は対処療法の熱を下げる薬のみで、助言は身体を休めて自力(免疫効果)で治すというものであった。新型コロナウィルスに対するワクチン接種が始まったが、本当にワクチンは効くのか過去の事例を考えると疑心暗鬼だ。勿論、遺伝子操作などのない時代の言葉だったので、現代は風邪に効く薬も出来るのかもしれないが。風邪のコロナウィルスは変異が激しいので、経済的に合わないので作られなかった可能性もある。何せ医学薬剤的な知識を持たない者が考える類なので、真実とは程遠い推論かもしれないが、新型コロナウィルスワクチンは従来の風邪には効かないことはNY在住の知人の報告で分かった。知人は白内障の治療を受けるために新型コロナのワクチンを接種し、猛威を振るった感染症が収まりつつあるNY市内の眼科を訪れた。また、知人の奥さんも不要不急な用事でNY市内に出かけたとのことだが、知人は咳の酷い風にり患してしまった。知人は奥さんからうつされたと主張してるが、奥さん自身は別に体調は悪くないそうで、感染経路は不明だ。咳の酷い風邪で思い出したが、2年前の年末から年初に掛けて咳の出る風邪を引いた。熱は出ないが、咳がひどく、治ったと思ったら直ぐに戻り、感染力が強く、会社の近くの人達に感染した。知人にも同様な症状なので再発するから気を付ける様に電話で話をした。何故、この様な事を書くかと言えば、ワクチンを接種した高齢者が俺は大丈夫とばかりの振る舞いをしているとの話を聞いたので、通常の風邪には効果がなく、風邪は万病の本なので、ワクチンを接種したからと言って全てに安全ではないことと変異種には効くかどうかは未だ分からない状況を理解した方が良いと思ったからだ。感染症が鎮静していないのに東京オリンピックが開催されそうだが、結果次第では歴史に残るオリンピックになりそうだ。過去の東京オリンピック中止後には大きな戦争が起きたので、その轍を踏まない為に是が非でも東京オリンピック開催に邁進するのかどうかは分からないが、太平洋戦争と同様に誰もが否定的であったのに止められなかった太平洋戦争の二の舞にはなりたくないものだ。菅総理は耳順の年齢を10歳以上越えているが、仄聞するところでは未だその域には達していない様だ。
決められない日本
民主主義は第二次世界大戦後に日本に導入されたと理解している人が多いと思われる。しかし、民俗学者の宮本常一「代表著書(忘れられた日本人)」は足で全国を調査して回った時に集落の人々が民主的な手法で物事を決めている事実に驚いたそうだ。最近読んだ「経済学者達の日米開戦」では日本が勝ち目のない米国との戦争に何故突き進んでいったのかを説明している。その中で軍人達は陸海軍を問わずに米国の経済力を把握しており、その研究も進められていたのだが、問題は明治憲法にあったと指摘している。明治憲法は首相に権限を与えていない合議制の仕組みであり、強力なリーダーシップを持って政治を動かすのが難しかったとのことだ。勿論、天皇制なので、天皇が拒否権を使えば戦争を止めることはできるのだが、天皇制は基本的に追認するシステムであり、拒否した場合にはクーデターによる天皇を変えることも可能性としてないわけではなく、事実、昭和天皇はそのことに怯えていたことが宮内庁の側近の記録によって証明されている。誰もが戦争に消極的だったが、結果的に開戦を決めたのは、民主的な手法の合議制と言えるからだ。何故、この様なことを書いたかと言えば、新型コロナの感染症の対策、東京オリンピック1年先送りの現状について、何も決めてこれなかったと思われて仕方がないからだ。大阪府知事がパチンコ店のクラスター危機を叫んだり、東京都知事が飲食店の運営にだけ強調してクラスターのリスクを指摘するが、1年後の現在でも感染経路に関しては不明確であり、科学的なデータを駆使しての説明が皆無だ。日本が重傷者が少なく、感染拡大も欧米ほどではなかったのでワクチンの供給に関して後回しになったのは当然なので、本当に東京オリンピックを開きたいならば、中国からワクチンを大量に買い付けて早くから国民に摂取すれば、現在の状況にはなってはいなかったと思われるからだ。開催2か月前になって感染症の拡大にストップが掛けられない状況下では、国民の東京オリンピック開催中止もやむを得ずとの声も大きくなって来ている。しかし、ここでも違約金4000億円の支払いが発生するので、誰も積極的には中止を言わない。正に決められない政治だ。残念なのは、大会委員長の森元首相がいないことだ。彼は千駄ヶ谷の新国立競技場の建設に対して金額的に高いと指摘されたときに、高々4000億円と言った人だから中止の時の金額も4000億円で国民の安心を得られるなら安いものだと発言する可能性があったと思われる。尤も、先を見据えての辞任劇かもしれず、真相は藪の中だ。日本社会は外見的に同族と見えるが、実際には多くの地域から渡来してきた人達の集団なので価値観が人によって大分異なる。この為、争いを避けるために聖徳太子は、"和を持って尊し"を前面に掲げたと推定され、近代的な組織の労働組合でも物事を決める際には根回し、「雄弁は銀、沈黙は金」と言った格言が重要視されてきたのだと思われる。一見合理的な民主主義的な合議制の決め方は、非常時には決められない問題が生じるマイナス面もある。決められない日本を卒業しないと世界から取り残される。
犯罪者を美化する昨今
表題の対象者は田中角栄と江副浩正の二人である。田中角栄の場合はロッキード事件で有罪判決を受けたのだが、田中角栄は米国に逆らったので葬られたのであり、えん罪との見方を主張している人達がいる。この議論に百歩譲って米国に仕組まれたことを認めるにしてもロッキードから金を受け取ったのは事実であり、何の為に受け取ったかは議論の余地がない。尤も、法的な問題に言及すると、贈収賄的な行為に直接結びつく具体的な証拠があるのかと言われそうだが、総理大臣の権限は大臣や無任所の国会議員とは違うのである、日本独特の忖度は暴力団に関しては厳しく処罰される法律があるのに政治家に適用されないのもおかしな話だ。話は横道にそれたが、ロッキードから金を貰った事実から目を背けて米国の支配から脱する英雄として評価するのは片手落ちである。過去に聞いた話として新潟県内の工事に関しては民間の工事にまで金を請求する田中角栄と言う人物だ。政治に金が掛かる時代だから仕方がないと犯罪を認めたら法律など誰も守らない。確かに、田中角栄と言う人物は政治家として抜き出ていたのは確かだが、私見では功より罪の方が多かったと思われる。罪は何でも金の世の中にしたことであり、官僚に金を覚えさせた張本人だ。中国の鄧小平が白でも黒でもネズミを捕る猫は良いと言ったが、その結果中国は経済成長を遂げたが、一方では汚職が続出し、見えないリスクを抱え込んだ。田中角栄と言う行動力抜群の政治家を今の時代に望む人達には金融資本主義の時代に金権主義の弊害が見えてないのかと憤りを感じる。次に、江副浩正については、現代のデジタル社会を予測した人物として再認識されており、リクルート事件として世間を騒がせた新株ばらまき行為はえん罪と言わないまでも今なら無罪になったと主張している人達がいる。私は江副は成功した人材広告業に関しては門外漢なので分からないが、多額の借財を抱え江副が居なくなっても会社が存続し借金も返済して事実を見る限り、起業家としては評価できると思われる。しかし、私の事業である不動産業に関して言えば、江副が造ったリクルートコスモスは不正で大きくなったのを見ている。リクルートコスモスの錬金術は簡単な手法だ。高い価格で土地を買っても容積率の緩和を受けて購入以前以上の価値を生み出していたのである。時には、容積率緩和を受けるのを失敗して2層分の空間があるビルも見ている。容積率緩和を受けるには行政側に対して見返りが必要であり、賄賂性が高いビジネスだ。森ビルの2代目社長が東大時代の先輩で知り合いだったので、不動産に対する価値の生み出し方を教わったか見たと推測する。そういう意味で田中角栄も江副浩正も刑務所の壁の上を歩いていた男だ。その事実に目を瞑り、事件に巻き込まれなかったら日本は失われた20年もなく、デジタル社会で世界に先駆けていたと夢想するのは間違った考えと思われる。勿論、二人が逸材であったことは否定しないが、死んだ子の齢を数える様な訴え方は無意味と言わざるを得ないし、良い推定ばかりでなく、もっと悪い事件を起こしたかもしれない。何れにしても犯罪者を美化する風潮は終末論の類だ。
日本人に欠ける科学的な思考
読書は専らAmazon kindle をタブレットとスマフォで行っているが、過去には家やオフィスに読むスピードに追い付かずに積読だったが、最近はAmazon kindle ライブラリに保管している状態だ。読書が購入に追い付かないのだが、登山に係る本は興味が強いのか速読出来て滞留がない。今年に入って二人のプロ登山家に関する本を読んだ。一人は遭難して亡くなったので、その登山家と縁が深い人の書いた本と、もう一つの本は、8000m級の14座を全て登頂した登山家が書いたものだ。後者の方は書名が"登山の哲学"であったのに興味が引かれて購入した。両方ともkindle版だ。最初に読んだのはヒマラヤの無酸素登山で遭難した方の伝記的な本だ。他大学の登山クラブに入り山行を経験し、南米の高峰の登山に成功したのを切っ掛けにプロ登山家になり、SNSを駆使した実況登山の草分けの人だった。私は他大学のクラブに入れるとは知らなかったが、コンサルタントをしている会社の女子社員と早稲田大学のクラブの話をしていた時に、彼女は私はクラブだけですと言った意味がその時には分からなかった。後で他大学のクラブには入れること理解したのだが、確かに入学した大学にないクラブに入りたい時には便利だとは思うものの、変わった考え方でなければ無理ではないかと思った。その記憶があったので、多少変わった人であったのかと思いながら本を読み進めたのだが、遭難した登山家の方は演出的な才能が有り、物語を作るのに長けた人と思われた。一方、日本人で初めて8000m級の14座すべての登頂に成功した方は、低学年で祖父の影響で登山を始め、高校、大学の登山部で経験を豊富に積んだ人だ。大学時代からヒマラヤの遠征隊に参加し、登山経験に関しては申し分にない経験者だ。その上、欧州の登山家に誘われて少数グループの登山を経験した事が当時の8000m級の登山を目指す上で欠かせない技術と医療的な知識を得ている点だ。更に、その技術は天気予報に及び当時の最先端の登山技術を取得するチャンスを得たことだ。遭難した登山家は無酸素登山を標榜してエベレストなど8000m級の登山を目指したのだが、14座登頂に成功した登山家の方と比べて無謀と言える登山技術だけで挑戦を続けた姿を理解できなかった。著者もそれを知りたくて伝記的な作品を書いているが、最後に自殺的な登山で遭難した理由に関しては当然に推測の域を出ていないので、謎を遺した結末にならざるを得なかった。正に、科学的な思考がない典型的な日本人のカミカゼ登山と言える。一方、科学的な思考で14座の登頂に成功した方も山頂途中の脳梗塞や雪崩に巻き込まれての遭難も経験しており、科学を持ってしても避けることが出来ない自然の怖さを表現している。彼より先に14座の登頂を成功できる二人の方が遭難死しているとのことで運の良さを指摘する人が多いそうだが、彼自身は運を否定している。8000m級の14座の登頂成功の過程では運などで片付けられない要件があると思われる。それが日本人の欠ける科学的思考だと推定する。今回の登山の本を読んで、以前に知人から聞いたアフリカでの鉱山開発を思い出した。知人はフランスの会社と合同でアフリカのウラン鉱山の開発に参加したのだが、その時に思い知らされたのはフランスの会社の植民地経営の知識を生かした計画だそうだ。彼の属した日本企業は食料などは現地調達条件でで現地に送られたそうだが、鉱山から近い村まで200km以上もあるので到底無理な事だった様だ。日本人には科学的な思考に欠けると言ったが、置き換えると想像力の不足ともいえる。科学的な思考(=想像力)を駆使しても襲い掛かる自然の驚異は運などの一言で片づけられない深い問題が横たわっている。太平洋戦争で想像力の欠如がもたらした犠牲を戦後も同様に継承している姿を見ると余りにも強大な自然の力を知るゆえに科学的な思考が発達しなかったのかと天を見上げるしかない。
COVID-19の第三波に思う
感染と経済の両方を考慮しての舵取りは難しいのは分かるが、最悪を想定して物事を進めるのは苦手な国民と今更ながら思う。実際の問題として感染拡大すれば一般病院での対応は困難になることは承知の事実なのだが、大都市に臨時的に必要なスタッフを集めて行う専門病棟に関しての準備が出来ているのか出来ないのかも不明だ。NHKの朝の番組でCOVID-19に感染したNHKスタッフがり患した後の事で大変な思いを2日か続けて説明したが、そこには政治不在が起きており、何でも自分が遣らなくてはならい悲惨さが出ていた。このスタッフは介護要4の母親と同居していたので普通にり患した人より数倍大変だったのだが、全て民間任せの実態が浮かび上がった。財政難の状況から行政に依存せずに自立することを政治がアピールしてきたが、その自立は平常時のことであり、非常時の事ではない。常時と非常時の区別も分からない政治家と官僚が政治を行っているのでは、税金を納めるのが嫌になる。今でも改善されていないとして推定されるが、海外からの入国者に対して発熱がある場合は公共交通の利用をせずに他の手段を考えろと言っているだけで、行政側は何も対応していない。自立対応で感染が防げると誰が言ったか分からないが、第三波の拡大が止まらないのは、経済優先でGO TO トラベル・飲食を進めるのに際してそのことにより感染が拡大した時のことを何も考えていなかったことに対する憤りと思われる。都道府県の感染状況を見ると、今春の感染で苦しんだ所は第三波を大分抑えているが、軽くて済んだ所は夏以降に感染者が拡大し、沈静化の兆しがない。勿論、GO TO の対象となる観光地を有する所は、人の移動が多くなったので仕方がないが、その観光地がある所でもリスク管理の差が出ていると思われる。何れにしても、重症化の割合は欧米と比べて少ないのでパニックが起きていないが、PCR検査で拡大を防ぐ仕組みは事実上機能しなくなっており、幾らワクチン開発が進んで海外で接種を開始している方と言っても楽観視は出来ない。古来、日本は感染症などを鬼に例えて精神面での対応が主なもので、それが日本の神の存在と相俟っている。日本の神は基本的には空っぽなのだ。空っぽな存在を有難がってお参りしている。誠に稀有な民族といえる。尤も、空っぽならば後付けが可能であり、日本語と同じで結論の先延ばしが可能だ。その様に考えると、国家を信じないことが身を守る事と理解できる。