NY在住の知人から日本に居るご子息が不動産管理のプラットフォームの立ち上げに関係しているメールが入り、私に意見が聞きたいと言うものであった。今流行りの直接業者とユーザーを繋ぐプラットフォームだが、登録業者の与信管理や修繕工事のチェックをどうするのか気になった。その様な中で不動産仲介業にもプラットフォームの構築が進んでおり、既存の仲介業者を除いて取引コストを安くすることを謳い文句にしている。このプラットフォームで評価したのは、物件の室内にAIセンサーロボットを配置し、「騒音」や「日照」について環境データが取れることだ。不動産業者として物件を視察する際には騒音と日照が気になるので何度か現地に赴いたものだが、AIセンサーロボットが代行してくれるので買い手や借主は現地に何度も足を運ぶ必要がなくなる。更に、ロボットにカメラをつけて室内を見ることが出来ることも可能としている。今でも物件にWEBカメラを設置して室内を遠隔地から見ることが出来るサービスがある。借り手や書い手は時間が取れる時に物件内を視察できるので相当に便利と言える。物件の内覧に関しては仲介業者が不要と言えるが、残るは物件自体の調査と言える。重要事項に記載する事項に関してはデータ化出来るのはAIによって可能と思われるが、想像力が必要な事項に関しては当面は人の力に依存するしかないと思われる。AIに関しては専門分野の単独の問題は可能だが、総合的なAIの出現の目途はたっていない。この為、現在では、それぞれの専門的なAIを複数設置して統合的な活用を模索している。何れにしても仲介業務の多くが人の手から離れると思われるが、不動産仲介業務がなくなるかどうかはデジタル社会で育った世代が必要と考えるかと思われる。
サービス業の究極的な顧客対応
ホテルなどのサービス業は今回の新型コロナ感染で大きな影響を受けたのだが、その中でも流石に帝国ホテルは顧客の情報を大事に取り扱っていると改めて再確認した。今から34年前の先代社長時代にアーバン虎ノ門ビルの落成式祝賀と開発会社の創立8周年を兼ねて帝国ホテルで式典を開いた。この時は私は取締役統括部長の職責にあり、壇上で出席の方々に会社の後継者としてお礼のご挨拶を述べた。バブル経済の真っ只中であったので、多くの方々の出席を得て盛大に行うことが出来た。しかし、その後はバブル経済の崩壊や先代社長の早い永眠もあり、帝国ホテルで宴を開くこともなかった。当時は開発会社として宴会を開いたので、持株会社である親会社に関しては帝国ホテル側ではあまり認識はなかったと思われる。しかし、現在親会社の後継者になっている甥が子供時代に参加した帝国ホテルでの式典に強い印象を受けていたのか分からないが、この度帝国ホテルで記念式典を開く計画を立案し帝国ホテルに打診した所、34年前の式典の内容を持参して営業マンが来社した。当時の統括部長の私が現在会長になっていることも確認しての資料で、甥の社長は感激していた。正に一期一会の再来だ。確かに、帝国ホテルではないが、同様の格式のあるホテルに先代社長と一緒に車で行ったときに、ホテルのドアマンが私に先代社長の姓を聞いてきたことがある。帰りにドアを出た時にドアマンが名前を告げて運転手を呼んだのを聞いてサービスの仕方に一流は違うと思ったのを思い出した。その後、そのホテルに再度行った時にドアマンは名前を記憶していて再度聞かなくても運転手を呼び出した。新型コロナでサービス業が大きな影響を受けたので、アフターコロナの社会変化でホテルのサービスも変わる可能性もあるかと思いを巡らした。帝国ホテルは建て替え計画が予定されていることが新聞記事に出ていたので、現行の建物で式典が行えれば先代社長に良い土産話になると思った次第だ。
日本語は高文脈言語
日本語は高文脈言語だそうだ。それに対してグローバルな言語としての英語は低文脈言語と言われている。日常使う言語で思考も形成されるので、言語文化の違いで意思疎通が図れない場合も起きそうだ。日本では"忖度"が話題になるが、英語の言語を使う人にとってはではありえない世界だ。もっとも、日本語を使う日本人でも地域差があるのは確かだ。それを理解したのはパートナーとの出会いだ。私は出身が茨城県北部だが、パートナーは広島県出身だ。茨城県に北部を加えたのは茨城県の中でも違いがあるからだ。実は茨城県北部の人達は、明後日のことを明日明後日と表現する。当然に一昨日を昨日一昨日と表現する。この表現は正に英語の表現と同じだからだ。明後日は英語で「The day after tomorrow」、同様に一昨日は「The day befor yesterday」、英語圏の人と同様に茨城人は忖度しない県民でもある。反対に広島県人は忖度の典型的な県民だと思われる。以前に、一級建築士で故郷の建設会社に転職した人から聞いた話では、「のう↗)」、「のう→」、「のう↘」の3通りの言い方で通じるらしい。その知人は転職前に長く東京の会社に勤務していたので、転職して最初は戸惑ったらしいが、改めて余計なことを言わずに通じる文化を思い出したらしい。勿論、広島県人は比較的に口数が少ないが、上記の3通りで全てが通じるわけではない。私の経験では、義兄と義姉の会話で尾道ラーメンが食べたかったのに日本蕎麦屋に連れられてしまった出来事があった。然し乍ら、日本人は古来「沈黙は金」、「雄弁は銀」の表現があるので、私の様な茨城人は日本人としては少数の部類かもしれない。過去に米国人の女性と結婚し米国から帰国していた秋田出身の知人に、関さんと出会って「沈黙は金」と言うのは間違いだと気が付いたと冗談で言われたことがある。知人は米国人の女性と結婚して口数が少ないから大変ではないかと思っていたら、知人の奥さんが彼の事を余り話さないので困ると言っていた。英語圏の人は無口ではないのだと思った次第だ。そう考えると、中国人は良く喋るので、英語圏の人達とは相性が良いのではと思ったが、中国語自体は饒舌な言語ではないと思われる。ビジネスでは互いに理解しないと商談にならないが、茨城人は忖度も出来ない上に媚びないので生き方は下手で、事業家としては大成した人は少ない。英語圏に生まれたら成功していたかもしれないが。
行政の財政問題に会計学を持ち込むのは正しいのか
中央官庁や地方の自治体に財政検証に関して会計学を採用する事例が多くなった。会計学といってもBS(貸借対照表)・PL(損益計算書)を予算の中に取り入れろと言う主張だ。この主張は借金ばかりを強調するのではなく、資産も公表して財政の健全化を見るべきとの事なので、一見すると正しいように思ってしまう。しかし、文芸春秋に矢野財務次官がばらまき政策を批判した投稿に対して元財務官僚の高橋洋一と言う人が"矢野財務事務次官は会計を知らない"と言って投稿記事をメディアで非難した。高橋洋一は会計上で見ると国には膨大な資産があるので1000兆円などの赤字国債は問題ないと発言した。これに対して、メディアのMCの方が資産と言っても道路など直ぐに換金できないものが多いのではないかと意見を述べた所、高橋洋一は金融機関から資産を担保にして借りれば良いとの回答であった。確か、高橋洋一は日本維新の会のアドバイザーとして有名な方で、その他の地方自治体のアドバイザーにも名前が出ていたことを思い出した。財政検証に行政が破綻するかどうかの目安に資産を確認しておく必要はあるかもしれないが、一つ大きな誤りを犯しているのが分かった。それは資産があれば金融機関は金を出すと言う昔の時代の考え方で話していることだ。バブル経済までは担保主義で金融機関は貸し出していたが、現在はその反省を踏まえてキャッシュフロー重視になっているのにである。日本国は収入約50兆円に対して支出は100兆円と言うサラ金財政を行っている。企業で言えばキャッシュフローが大幅なマイナスであるので、もし資金を借り入れたとしても金利と元本返済には資産を食いつぶして凌ぐしかないのだ。高橋洋一は更に財政投融資にも言及していたが、過去の財政投融資の資金源は郵便貯金であったことを忘れているのかと思った。郵政民営化で財政投融資の資金は何処から出ているかだ。維新の会は明治維新の再生を狙ってのネーミングなのだろうが、明治期は民間資本が少なかったので国家資本が事業の本を作り出して民間に払い下げたのだが、令和の時代に国家の資産を売却すると言うことは国民の生活に負担を掛けることだ。明治時代とは全く状況が異なる。行政は赤字でも金融機関は金を貸すだろうが、それは甘えに過ぎない。1000兆円の赤字国債発行に問題ないと言うならば、企業と同等の目線で物事を判断するべきだ。話にならない議論で国民を騙すには国家反逆罪だ。
財務官僚の政党ばらまき政策の批判は正しい
財務省の矢野事務次官の文芸春秋に寄稿した与野党のばらまき政策の批判は正しい。日本の国家予算は税収の倍の予算を組んでおり、いわゆるサラ金財政だ。これが通用するのは貿易収支が長年黒字だったからでもある。新型コロナ対策で財政負担が大幅に増えている中で予算のばらまきをされたら国家財政は破綻する危機に直面する。勿論、赤字国債など日銀が買い取れば良いとの議論もあり、一般国民にばらまき政策に対して楽観視させる輩が財務省OBにもいるので、そのリスクは見えなくなっている。矢野次官の発言はウィズコロナとアフターコロナで経済を回復して行くには財政出動はやむ得ないと見ていると推測するが、今牽制して置かないとその金額が膨大になると懸念したからと思料する。自民党の高市政調会長は矢野事務次官の発言に激怒したらしいが、確か高市議員は松下政経塾出身の政治家であり、その点から言えば同時に発言した企業預金に課税を含めて松下幸之助の意図に反した政治家となっている様だ。高市議員の様な政治家を憂いて松下政経塾を私財を投じて作ったのに、"親の心子知らず"に成長して松下の顔に泥塗ったのでは幸之助も浮かばれまい。松下電器もパナソニックになったので、松下幸之助の恩顧に報いる人達は少なくなったと思われるが、それでも志がある人がいれば高市早苗を今回の選挙で落選させるべき行動を取るべきと思われる。選挙の度に候補者の土下座するする姿を見るにつけ、この輩が選挙民の為に働くわけがないと思ってきた。しかし、今はそれより性質が悪く、国民の血税を食い物にする国会議員ばかりと言う現実だ。選挙で碌でもない候補者は落とすべきだ。
環境経営における不動産開発
先日の日経新聞のWEB版で大手M不動産が既存ビルを解体して建て替えるのではなく、改修工事で持続可能なビルに取り組んで行くと書かれた記事を見ました。自動車がガソリン車から電気自動車に全面的に変わることなどと方向性が一致していると思われます。今後の企業経営はSDGs(持続可能な開発目標)を取り入れたESG(環境・社会・ガバナンス)経営が求められてくることになり、環境経営を度外視して会社経営が成り立たないことを意味しています。コロナ以前から環境経営は求められてきておりますが、環境に対して障害になっていた米国と中国が二酸化酸素問題に前向きになり、一挙に欧州の先行組と歩調を合わせる流れになりました。日本も菅首相の時に二酸化酸素の削減を表明しており、岸田首相も環境に対する政策は追随するものと見られています。この様な変化の中でM不動産が既存ビルに関して改修工事で持続可能なビルに取り組むことを打ち出したことは今後の街づくりに大きな影響を及ぼすことになりそうです。昨今の不動産開発は過去には考えられないほど建て替え期間が短くなっており、資源の無駄遣いの議論にもなりかねない状況でした。ポストコロナが容易ではなく、ウイズコロナが続くことも予想される中でテレワークなどが緊急避難的でなく、継続的に根付く様相を見せており、新築高層ビルの入居者として大きな比重を持ったIT企業がテレワーク併用でオフィスの縮小を計画する様になり、新築ビルの需要の見通しが悪くなったことも既存ビルの改修工事に舵を切り替えることにした要因と言えます。しかし、それ以上にESG投資が今後の主流になる見通しの中で、環境経営を打ち出さないと株式も購入されず、株価が上がらないと言うリスクも増加したこともあります。都心の不動産開発もESG投資などの流れを読み誤ると、新築に建て替えてもテナントが入らないと言う現象も生じないとも限りません。環境経営には入居するビルに関しても評価の対象になる可能性があります。今年のノーベル賞には地球の気候を予測する数式を発明した日本人の科学者が受賞しており、この受賞は画期的なものでした。世界中が二酸化炭素削減による地球温暖化を防ぐ方向に正に舵を切ったと見ても間違いではないと思われます。時代の先を読むことが生き残りの前提です。愚か者は後を追います。ビルのオーナーにとっては悩ましい問題です。
中国の大手不動産会社の危機の行方
韓国、中国の経済成長に関しては日本を真似て始まった。経済モデルは日本だった。勿論、韓国と中国は経済成長の開始時期が異なるし、政治形態も違ったので日本を真似たと言っても大きな違いはある。韓国の場合は、軍事独裁政権が対峙する北朝鮮に勝つために国を豊かにする必要性があり、米国の保護下で資金を日本に求めた。世界的に植民地に対する賠償責任など有り得ないのに日本が応じたのは米国の要請と国防の観点から韓国の経済成長が欠かせないと判断したのではないかと推察される。一方、中国は共産党政権を維持する為には国家の経済的な豊かさが必要との認識から経済力を蓄えた日本と国交を回復して資金の調達を確保した。日中戦争終結時の中国の政権であった蒋介石国民党が戦争に対する賠償金を放棄していたので、その後の中国を支配した共産党政権では戦争賠償請求は難しいと判断して無償と有償の経済協力金を得る実利的な選択をした。中国の経済成長は二段階に分かれるが、一段階の時には企業の債務不履行があり、日本企業はダメージを受けている。しかし、天安門事件以降は積極的に投資を行ったのは日本だけであったので、日本企業の進出は多くなり、企業も多くが日本企業に学んだ。中国は韓国と異なり、二段階目の経済成長時に日本のバブル経済崩壊を見ている為にその研究を行っている。バブル経済の発生と崩壊には米国の金融政策が絡んでいることを見抜いており、新自由主義の経済がハゲタカファンドと裏表であることも研究している。しかし、上海出身の江沢民は米国に親近感を持ち日本を敵視教育を進めたので、米国との対立の芽は生まれなかった。その後の胡錦涛は親日的な傾向があり、日本と中国の交流が深化したが、その時に起きたのが尖閣諸島問題であった。東京都知事の石原慎太郎が仕掛けたのだが、中国嫌いの石原が米国の加担して日中の対立を画策したと推察される。米国の誤算は次の習近平が米国に対する危険性を持っていることを分析できなかったと思われる。習近平は日本の小沢一郎と交流の機会があり、米国の他国を支配する方法を聞かされたと推定される。習近平は米国留学した多くの中国人学生が米国のCIAに資金援助などを受けている事実や思想的な洗脳を受けていることを日本の事例を参考に学んだと思われる。江沢民との決裂は正に米国を信用する江沢民に対する危機感と思われる。前段が長くなったが、習近平は開放された経済を進めて行くと日本と同様に経済バブルの崩壊が起きてハゲタカファンドにより企業が食い物にされることを察したと思われる。既に政権中枢までに米英の手が入り込んでいるのに驚愕してと考えられる。その後に大きく方向転換を行ってきたが、腐敗汚職摘発による政敵の駆除に時間が掛かり、企業の支配下に漸く踏み切った時に今回の大手不動産の経営危機が起きたと推定される。正に時間との勝負であったが、軍事的な活動に目を逸らして国内の企業体制を強化する途中であり、その終息に興味が持たれる。現時点の情報では大手不動産の資産を他の国策会社に購入させて軟着陸をさせる様な方向だが、別な大手不動産の危機も流されて来ており、過剰な借り入れで急成長してきた不動産会社の危機が連鎖反応する可能性もあり、国際的な金融危機を招かないで終息させることが出来るのか興味がある所だ。一つの答えとして習近平が唱える"共同富裕"だ。お金を溜め込んだ金持ちに不動産を買わせることを条件に企業の活動を保証するものだ。富を多く吐き出した人ほど今後の企業活動を保証される暗示は中国の救世主になれるのか。今後の行方に興味がある。上記の内容は私の全く個人的な意見であるので、SF小説的に読んで頂ければと思う。
廃業のお知らせ
取引先の設計事務所の所長さんから廃業のお知らせが届いた。先代社長の時に専ら取引していた事務所であるが、当社の社員旅行やゴルフコンペに参加していただいていたので、仕事以外の相談事などで私の代になってからも所長さんが時々訪ねてきてくれた。10年以上前にお会いした時に事務所を閉める話をしていたが、その後も仕事を続けていた様だ。私が20年以上前に外貨取引ファンドを行った都市銀行のOBの人にオフィスの一角を提供していたので、当社の取引先にもファンドの案内状を送付していたからか、私も外為に詳しいのではないかと勘違いしての外貨預金の信託投資の相談であった。相談事は円高になると投資が損する仕組みが分からないと言った内容と記憶している。外貨ファンドの投資と輸入の円高有利が区別付かない質問であったが、私の知識も相談を受けるには不足していた。所長さんは年齢とともに仕事量も減少してきたので留保している資金を投資に回したい意向であった。81歳まで仕事を続けて来たのを思うと投資も成功したのかと推測した。お知らせには1979年に事務所を開設して42年が経過し、年齢も81歳になり知力体力とも衰えを感じたのでと書かれていた。昔ならば引退していた年齢だが、高齢化社会と医療技術の発達で81歳まで仕事が出来たのは幸せで喜ばしい事だと思った。私の若い頃、取引先銀行のコンサル会社の研修で、後継者の問題が取り上げられたことがある。この時には、65歳が経営者の衰えの境であり、その前に意見の対立は避けた方が良いと指摘していた。確かに、当時は65歳になると記憶が弱くなり、役員同士で同じ話を何度もしていた記憶がある。健康は個人差があるが、今の高齢者は元気なのは確かだ。私も生涯現役を唱えているが、伴侶の介護もあり、先行きは不透明だ。人の賞味期限は声を掛けられる内は大丈夫な様なので、知識の更新をしながら知力体力の維持を続けたいと思う。
成功した指導者は危機意識が高い
企業経営も政治家も官僚も成功した指導者は危機意識が高い人だと言われる。危機意識が直面する難題に対して克服するエネルギーを生み出すのかもしれない。確かに、事業における創業時は何時倒産かと言う環境の中で危機意識があり、その危機エネルギーが不可能を可能にする力になると思われる。勿論、新規事業などのすべてが危機意識で成功する訳ではないが、楽観視した意識では何事も成功に結び付くことはないと断言できる。ある企業の監査役が若い取締役に対して必要以上に大騒ぎすると指摘していたが、これも危機意識の差であると思われる。何処の企業も監査役には現役を終えた経験者を迎えるのだが、業務執行から離れると危機意識が少なくなり、若い業務執行の取締役が意識した問題案件の将来に及ぼす影響に対する懸念を理解できなくなるのかもしれない。翻って、日本国の菅首相について指導者としての危機意識を見てみると、新型コロナ(COVID-19)対策や横浜市長選で判断する限り、現役を退いた経営者と思われるほど危機意識が低いと思うのは私だけであろうか。私が学生時代に社会人の方と将棋を指したことがあった。私が将棋に強いわけでも好きな訳でもなかったが、お互いに時間があったので将棋を指すことになったのである。この将棋は私が完敗したのだが、この時に社会人から私の敗因を指摘されたことを菅首相の新型コロナ対応で思い出した。正に敗因の理由は攻めと守を中途半端にして臨んだことであった。新型コロナで難しいのは経済対応と言えるが、新型コロナの沈静と経済に対する影響を出来るだけ少なくすることは、二律背反なのは誰でも分かることだ。新型コロナに対する楽観論が中途半端な対応になり、結局は両方とも叶えられない結果となる。菅首相は若くして政治家の秘書となり、その後地方議員から国会議員になった人であるので、事業化の様な危機意識はないと思うが、政治家は選挙に落ちたらタダの人になるので、危機感は少なからず醸成されたと推定される。尤も、何回も当選を重ね、政治家としても要職に就けたので、上記の監査役の様に金銭的にも恵まれて危機意識が希薄になったのかだ。馬齢を重ねても金銭的に不安定な場合には危機意識はなくならないと思われるので、最近の政治家や官僚や企業経営者が危機意識が少なくなったのは恵まれている為かと考えて仕舞い、それ以上に国家観がないのかもしれないが。
空の文化
近年の政治家・官僚の劣化、情報化時代のSNSの虚偽情報、研究者の論文偽造、学者の補助金横領など一般人から相当の地位のある人達のインテグリティの欠如は枚挙にいとまがない。新型コロナ下での東京オリンピック開催は国民を無視したばかりではなく、感染対策に知恵も出ない無能さには呆れるばかりだ。尤も、菅首相は息子が利権の真っ只中にあるのに国会で知らぬ存ぜずで押し通せる政治を見るにつけ、社会倫理の喪失は25年前のバブル経済崩壊後の後遺症と思われる。金融機関などは最たるもので、お客に無理やり貸し付けた資金を鬼の様に回収した姿は社会全体に不信を拡散させた。真面目に対応した会社は潰され、嘘八百で押し通した会社は生き残った。バブル経済崩壊後に米国から導入された金融資本主義とグローバル経済、更に経済界の経営者の劣化による非正規雇用制度の受け入れは今日の少子化を加速させた。この様に書き進むと悲観的過ぎると言われそうだが、日本人と言う民族を振り返ると、日本人が変質したのではなく、本来持っている資質ではないかと思われる。仏教伝来の前は神道が日本人の魂の源である。その神道の御霊は空なのである。空とはある意味後出しじゃんけんが出来る存在なのだ。DNAの解析が進み、日本人の源流を探る書物も多く出て来ているが、それと別に言葉体系から探る研究も進んでいる。日本語は最後に結論を出せる言語で、その様な形式は韓国語も似ている。しかし、学者の研究では日本語は何処の系統にも属さない為に言語からでは源流をたどれない様だ。勿論、半可通の私の見解は間違ってる可能性もあるのでご承知願いたい。そのことを付け加えないと虚偽情報の発信者の類に分類されてしまう。しかし、伊勢神宮の社殿から市中に祭っているお稲荷さんの祠まで中は空なのである。私が指摘しているのは祠に収まっている御霊のことでお札の類ではない。御霊は空なのである。日本の文化は内と外があるが、内の御霊は空であり、外は無駄がない引き算された様式美である。前者は何にでも変わることが出来ることを意味し、後者は何を意味するのだろうか。自然風土の厳しい中で培われた文化であるので、表面的には情けなく見えるが、実際にはどの様な逆境にも生きる力を持った国民性かもしれない。新型コロナに対しても無能な政治に期待することなく、自身で克服する知恵を持っと居ると思われる。それが空の文化・・・・・・・。