世界的な金融バブルで20世紀経済の大量消費=低価格商品の提供と言うモデルが20世紀末から21世紀初頭に新興国に生産シフトすることで生き返ったが、今回の金融危機で世界中の消費の40%が消失することで進むべき道は低価格路線でなく質への転換が一層明確になったと思われる。20世紀末には多くのメーカーの生産工場が従来の大量生産方式の無駄と従業員の物づくりの意識低下を反省して「島方式」などに転換していたのである。しかし、米国発の金融商品バブルによる過剰消費に対して中国などの低賃金の国々に生産拠点を移転する事で大量生産を行い、質の追求より低価格商品の大量供給に戻ってしまったのである。40%需要減の大消費不況の進行で企業は相変わらず低価格商品の提供を目指しており、現時点では衣料品関係ではその方式が成功している様に見えるが、価値観の多様化の時代に逆行している商品の売り方が長続きするとは思えない。特に、環境と言うテーマが企業価値の目安になる21世紀においては「質」が重視されるようになり、消費者は単に安いだけでは買わなくなると思われる。もちろん、所得底辺層の消費は低価格だろうが、どの業界も低所得者層に絞った商品では利益が取れなくなってしまうと思われる。今は過渡期だから仕方ないかもしれないが、消費需要の減少に対して値下げ対応が主流だが、今回の様な世界的な大不況による危機意識の中では値下げしても売り上げ増には繋がらずに場合によっては利益の減少を招くケースも多いと思料される。このため、全ての業界が質への転換を余儀なくされるものとなり、「質+心」が必要であろう。特に、我々不動産業界はここ数年、短期的な視点に終始したり、物づくりを忘れた会社が多かったので、質とは何かを考えて買い手に対し企画提案を行なうことが必要と考える。買い手に後悔させないアドバイスと質の高い建築物を提供して初めて社会に貢献できる不動産会社と言える。
欧米の自己都合による会計基準緩和
日本では今回の金融危機における緊急避難的な会計基準を緩和する事に対して景気の変動で基準を変える事は良くないとの声もあるが、本家本元の米国の節操にない会計基準緩和について緩和反対者はどの様に考えてるかを聞いてみたい。グローバル経済とか金融資本主義とか会計基準の標準化などは、所詮自国の利益を考えての理論であることが今回の金融危機で良くわかったであろう。欧米諸国の政治家の頭の中身は、100年前の植民地時代と変わっていないのである。驚いたのは、欧米が大手金融機関を救うために導入した「負債評価益」と呼ばれる会計ルールである。この債権評価に対しては企業の選択性としているたために不透明極まりないルールとなっている。尤も、日本の様に実体に即さない教条主義的な会計ルールの導入では企業が潰されるので、正に欧米の様な臨機応変さが危機克服には必要なのかもしれない。何れにしても欧米の外交は、クラウゼヴィッツの戦争論のとおりであり、邪魔な相手を叩くためには手段を選ばないことを自覚する事が必要である。特に、日本には米国に盲従する大学教授や評論家や金融マンや政治家などの売国奴が大きな発言権を持っているので余程注意が必要がある。
耐震性指標PMLの評価と日本の耐震基準の相違
耐震性指標としてのPMLは米国で生まれたものだが、その定義は「対象施設あるいは施設群に対し最大の損失をもたらす再現期間475年相当の地震が発生し、その場合の90%非超過確率に相当する物的損失額の再調達価格に対する割合」である。PML評価は、不動産証券化や不動産ファンドを組成する際の不動産購入時に対する耐震性を判断する際に専ら使われている。このPMLは既に日本の不動産売買に利用されているので今更議論するテーマではないが、金融危機以降の米国の対応を見ていると米国基準など信用しない方が無難と思えてきたからである。また、最近、知人の会社の売却物件で驚いたのは、日本の耐震基準よりPMLの数字評価の方を上位に置いて旧耐震基準の建物に対してリフォーム時に耐震補強を行なっていない事実に遭遇し、本当にその様な考え方で良いか疑問をもったからである。確かPMLの算出も確率統計を利用しての評価であり、計算式の詳細は知らないが、評価の数字を見る限り建物の構造的な強度より、建物が存している地質データの方が優先していることは間違いないと思われる。米国もロスアンゼルスなど西海岸は地震が多いのでPML評価を全く否定するわけではないが、PMLを無批判的に受け入れるのもリスクが大きい事を知るべきと考える。もちろん、古い建物をリフォームする場合には限定した工事予算の中で何を優先するか決めなくてはならないが、その場合にPMLで耐震評価が保証されれば内装工事に予算を多く使えるので仕方ない事でもある。しかし、日本の建築基準法の改正では旧耐震の建物に対しては耐震補強工事を行うように定めているので、PMLの評価を優先して耐震補強工事を行なわないで良いという事でないことは念頭に置く必要はある。
官僚と同次元でしか物事を考えない情けない既成の政治家
官僚と政治家の違いは本来はスケールの違いである。それが憲法や法律の解釈に縛られて身動きできない政治家を見るにつけ、今のこの国には政治家がいないと情けなくなる。ソマリア沖に展開している海上自衛隊の護衛艦の活動に国内法の適用で対応させる官僚と政治家に関しては世界中の笑い者であろう。威嚇射撃をするにも相手側に怪我を負わしてならないと言う規制は、波の荒い海上の威嚇射撃に関して無知な人間の考え方である。乗組員を犯罪行為で裁かれないために威嚇射撃も行なえないならソマリア沖に護衛艦を展開させるべきではない。馬鹿な官僚や政治家が海上自衛隊の展開行動に対して行過ぎないようにと箍を嵌めたのであろうが、そのために護衛艦自体を危険に晒すなど言語道断であろう。国民の生命財産を保全するのが国家の役割だが、日本の官僚、特に外務省など海外では国民にとって何の役にも立っていない組織であるので、構造改革で解体縮小する必要がある最優先の省庁である。憲法や法律は国益以上のものではないし、国民の生命以上のもでもない。憲法や法律などは幾通りの解釈も可能であるし、超法規的な考え方も国益を守るためには必要なのである。それが憲法や法律を自分達の責任逃れの都合の良い解釈で国民の利益を損なっている官僚と同レベルの政治家などは必要ない。今度の衆議院選挙では、国民の利益など考えていない自民党と民主党の議員には投票しない事が重要であり、投票するならば新しい政党の候補者や無所属の候補者に対して行う方が、国民を嘗めきっている官僚と政治家に鉄槌を加えることになるのである。私はその様に衆議院選挙を考えている。
省エネ・温対法・地方自冶体環境条例改正により貸ビル業に求められる負担増
地球温暖化抑制対策として経済産業省の「省エネ法」、環境省の「温対法」、地方自治体の環境条例改正などに伴い、貸ビル業としては多額の対策費用が求められる事になる。貸ビル業は経済の影響を最も受け易い業界であり、百年に一度の大不況と言われる時期に賃料に転化できない環境対策費を計上しなければならない負担は極めて大きい。もちろん、行政側では努力目標位にしか考えなくても事業者の貸ビル業者としては、テナントサービスの必要性から見て対策を進めなければビルの評価が低くなり、賃料にも影響が出てくる恐れがあるので対策を進めなければならない。しかし、米国などを見るにつけ日本の行政の硬直性には驚くしかない。米国などは、今回の危機において早々と会計基準を含めて危機に対応させた臨時措置を打ち出しているのに、日本では「馬鹿の一つ覚え」の様な一度決めたことに対する柔軟性は全く欠如している。「角を矯めて牛を殺す」の類の政策実施が多すぎる。もちろん、行政が考えた補助金制度などがあるが、実際の負担額や適用基準などを考えると意味を成さない代物である。日本の行政組織の欠陥は以前から指摘されている縦割り行政であるので、行政を横断する政策の場合には関係役所のスタッフで構成するプロジェクトを立ち上げて行なうべきと考える。尤も、その様なプロジェクト方式は行なわれているかもしれないが、問題は参加してくるスタッフが自己利益の追求だけに終始して成果があげられないのであろう。デフレ経済やスタフグレーションにおける政策の遂行に対しての知識がなく、何時まで経ってもインフレ経済の頭の行政では企業が潰されてしまう。極論から言えば、現代の行政組織はガン化して正常な社会システムを破壊して来ている。ガン細胞を殺すには除去するか栄養源である血液を遮断するかであるので、行政組織のガンを殺すためには血液である予算の大幅削減を行う事が必要である。行政組織は国民や国民の生活を維持する企業に対する裏方であるが、何時の間にか自分達の方が偉いと勘違いし、理論専攻の政策を強引に国民や企業に押し付けてくる。グローバル経済になって時間軸が速くなった時代には新しい行政組織に変える必要がある。私も温暖化に対する対策は必要と考えるが、問題は企業活動と整合性を図る必要があり、目標数字を企業に押し付ける方式には賛成できない。
官の暴走は全ての政治家の責任
役人の勝手な振る舞いを見ると日本には本当に政治家がいないと思う。司法・行政・立法の三権分立は小学生の教科書にも出てくる基本であるが、近年、司法もいい加減になってきており、立法に至っては行政のチェックどころか役人の言いなりである。野党の政治家が与党に対して官の暴走に対して批判しているが、政治家は与野党問わず調査権を有しているので、与党でなくても仕事は出来るのである。政権を取らないと官僚が言う事を聞かないと言う輩は与党になっても何も出来はしない。今の政治家は本当に胆力のある者がいなく、喧嘩も出来ない者ばかりである。与野党問わず、今回の衆議院選挙では2世議員の事を問題にする様だが、確かに辛い職業なら子供は後を継がないし、親も子供に後を継がせないであろう。今の国会議員が如何に仕事をしなくても多額の報酬を得られて威張っている事が出来る証である。先日、北海道選出の国会議員と話す機会があり、彼は道会議員から上がってきただけあって見識があったが、党の中では少数意見として扱われてるのが歴然であった。彼とは小選挙区制度が政治家を駄目にし、中選挙区の方が立派な政治家を作ることで意見が一致した。情報化時代に多様化した世界に2大政党が適合しなくなった時に日本は、小選挙区制を導入して党に従うだけの政治家を作り出す事になった。その結果が、似たような自民党と民主党と言う2大政党を生み出しただけで国民には何等利益をもたらしていない。然も、今日的な世界情勢では大連立が必要とマスコミなどが言い出したが、戦前の大政翼賛会の反省があって戦後の政治があった事と、否定した55年体制のことは忘れたのかと言いたい。歴史的な観点からすれば、55年体制前の民主党の鳩山一郎と自由党の吉田茂の争いを投影したような彼等の孫である現代の民主党の鳩山由紀夫と自民党の麻生太郎の戦いは、民主党が選挙に勝って政権を取り、自民党との大連立となるならば悪夢としか言いようがない出来事になる。今求められるのは既成政党の交代でなく、官の暴走に鉄槌を下す真の政治家を目指す人達の出現である。
住宅建設会社倒産による被害に思う
住宅建設会社の倒産によって建築工事費を全額支払ったにも拘わらず、住宅の建築が中断したり、未着工であったりとで被害が増えていることをTVニュースで取り上げていた。不動産会社や建築工事会社が倒産すると決まって被害者が出るので、行政側では保証制度などを設けてきた。しかし、被害者側による想定できないような支払の被害に対しては救済措置がないのが現状である。常識的に考えれば着工前に全額建築費を支払うなどは考えられない行為であるが、実際にはその手の被害が大きい。当社の様な小企業にとってこの種の事件が起きると、お客が安心感を求めてコストの高い大手の会社に建築工事を発注する様になるので、腹が立つがどうしようもない。普通の人ならば家を建築するのは一生に一度の大事業である。このため、慎重に物事を進めるはずだが、此処に落とし穴があると考える。一つには予算以上に建物の内容を望む事であり、二つには慎重さ故に出会った営業マンと必要以上の人間関係が出来てしまって疑いを持たなくなってしまうことである。行政側が住宅取得に対するリスクを軽減する制度を導入しても意味を持たないのである。米国の様に全て保険でカバーする考え方もあるが、問題は保険料の額である。倒産の確率からすれば多くの人は加入しないと思われる。このため、建築工事を発注する上でリスクを少なくする方法として出来形払いの工事契約を締結する方法がある。もちろん、素人では工事の進捗を判断するのは難しいので、専門家がいる建築設計事務所に依頼すると良いが、設計事務所によってはその様な依頼を断ったり、設計の発注を勧める事務所もあると思うので、事前に電話や問い合わせメールで確認すれば良いと思われる。住宅取得だけでなく全てに言える事だが、営業マンがどれほど良い人でも常に距離を置く姿勢と、世の中には旨い話などないことを肝に銘じていれば被害に遭う確率は低くなる。
構造設計士制度と問題点
構造偽装事件の結果、国土交通省の責任逃れとして建築士の資格関係が強化されたが、構造設計士制度もその一つである。建築士の業務を分かりやすく専従業務別に「建築設計士」、「構造設計士」、「建築設備設計士」に位置づけたのは評価できるが、これで構造偽装様な事件を防げるかどうかは各資格者に対して発注者がどの様な評価を行なうかである。私のblogで執拗に行政側の責任転化と天下り先の確保のために建築士の資格者に対する研修制度の実施など断行されたことを書いて来た。当社の業務の一つに設計業務があるので、構造偽装事件を機に設計に対する感心と重要性、更には業務委託フィーの適正な支払いに帰結すれば言う事はないが、日本社会における建築設計業務に対する報酬に関しては必ずしも適正な評価に繋がらない。寧ろ、プロジェクト費用の中で節減対象となり安いのである。特に、構造設計業務の設計士に対する委託費は仕事の割には低コストを強いられてきたのが現実である。今回の構造設計士の位置づけが報酬の適正なアップに繋がるならば一定の評価するが、実務者として見る限り発注者側が設計業務に対する価値観が変わらない限りは何等変わらないと思えてならない。行政と建築士協会の利益が一致して改定された制度と思うが、民間の審査会社に対する目に見える改革が行なわれていないので、近い将来に色々な問題点が起きる可能性が危惧される。
グローバル経済での商品価値とは
米国のメーカーでは海外で販売している自社の製品の価格差を利用された逆輸入のために国内の販売が影響を受けているので取締りを強化していると言う記事を目にした。確かに、この現象は米国ばかりでなく先進国で海外展開している企業にとっては避けられないのであろう。尤も、スターバックスの様に世界の販売価格を統一している企業もあるが、世界での販売価格統一に関しては所得格差がある中で通用するとは思わなかった。殆んどの企業は海外展開では進出先の所得に合わせて同じ製品を国内より安く販売しているケースが殆んどである。しかし、ブランド名や品質を変えないと逆輸入によって国内の市場が荒らされるリスクは常にある。尤も、この様な逆輸入ばかりでなく、海外委託生産に関しては委託先の工場から流失する製品の数も多いと考えられ、企業も多くのリスクを抱えることになる。そう言えば、日本国内の日本酒の話だが、新潟県では県外に出荷する酒に関しては周辺の地酒をブレンドすることを義務付けていたことを聞いた事がある。このため、同じ酒でも県内で購入した方が旨いと言われたものである。また、山口県の造り酒屋の社長に聞いた話では、地元の造り酒屋では東京に出荷するには生産量が足りないので、県外に出荷する酒に関しては統一した銘柄で生産量の条件を満たしていたとの事であった。何故こんな話を出したかと言うと、海外企業の有名製品でも国内で生産している比率は小さくなってきていると思われ、発展途上国などで生産しているケースも多い筈である。もちろん、全製品の関税が0%ではないので、関税が地域の価格差を解消しているケースも多いが、国内で生産するよりは品質は落ちているのは間違いない。日本酒で言う所のブレンドや別な生産者が統一した銘柄で出荷する様なものである。同じ企業の製品でも生産地によって本来は商品価値は異なるのが普通だが、実際の販売価格には大きな差異がない。グローバル経済になって商品の価値の見極めが出来にくくなってきている。その上、同じデザイナーや低価格路線、更には販売戦略なども情報化の時代にあっては差別化が見えなくなってきており、物が売れないのは不景気な要因ばかりとは言えないと思うようになった。陳腐な言い方だが、情報がありすぎると言うのは迷って決断できないために安いものでなければ衝動買いは少なくなるのかもしれない。
行政の構造改革には民間と同様な経費や制度の導入を抜きにしては効果が薄い
役所は公共サービスを行なう組織だから民間と異なる経費や制度を導入しているが、行政改革が一向に進まない大きな要因の一つが経費や制度に問題があると思われる。一つには、名刺の作成費用であろう。尤も、現在は台紙位は提供されているが、以前は名刺作成費用は自前であった事を聞いた。更に、役所には交際費がないが、役所も民間の情報を得て仕事を行なう必要があるので、最低限の交際費は認めるべきと思われる。また、給与についても色々な強制力のある積み立て金の控除があるので、民間企業と総額で同じであっても手取額が少ないために低い給与の様な錯覚をもたらしている。役所にも「貸借対照表(BS)」や「損益計算書(PL)」が導入されてきているが、細目で大きく違えば意味がないものとなる。もちろん、多くの面を民間企業と同じシステムにしても一つだけ違うのは、売上高として税収があるが、民間と異なるのは不足分を税収増とするのではなく無駄な支出を抑えることで税金を有効に使うと言う発想である。特に「私立為業」の考えで不必要となった外郭団体を解散させることである。今の日本は平時の国家や経済しか考えない人達が指導者になっている。長いインフレ経済のために減点主義が一般的になり、乱世の指導者を淘汰してしまった。このために、国民は無気力になって強い政治批判も行なわなくなってしまった感がある。しかし、誰かが叫ぶ事によって国が変わる事を自覚しないと日本は滅びてしまう。先ず、税金を無駄使いして平気で自己弁護する公務員の意識を変えないと始まらないので、個人の経費で行なわなければならない経費を見直し、不公平感の意識改革を断行する必要がある。総てはそれからである。