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全く驚く話だが、森トラスト総合リート投資法人が森トラスト所有の東京汐留ビルディングを取得し、逆に同リートが保有する赤坂見付MTビル(ビル名からリート取得前は森トラスト所有と考えられる)を森トラストに売却する記事が掲載されていた。本物件の賃貸収入から得られるNOIが昨年9月の同リート全体の利回りを下回るとのことであった。更に、その日経の記事には取得に伴って負債比率が上昇するため公募増資で財務内容を改善する公算が大きく、そうなれば分配金が希薄化する可能性が高いと書かれていた。上場している不動産リートが同リート立ち上げ会社の新旧の物件をキャッチボールする様な行為は利回りが向上したり負債率が下がるのなら兎も角両方ともマイナス要因なのだから物件自体が入れ替えで良くなったとしても世間で言う利益相反以外の何物でもないのではないか。そう言えば、兄弟会社の森ビルの森ヒルズリート投資法人も同じ様な自分の所有物件を同リートに売却するなど不透明な行為があった。不動産リート自体がもともと不良債権の処理容器として立ち上げられたことを考えると他の不動産リートも似たり拠ったなのであうと推測される。新興の不動産会社が同じ様なことを行なうと叩かれるが、大手不動産会社などは問題化されもしない。この様な不動産リートを購入する一般投資家は馬鹿を見るだけである。市場万能主義の政治家や学者にこの様な行為が当然であるのかと聞きたい。尤も、資本主義社会では騙されるのが悪いと言う格言もあったのを思い出した。インサイダー取引は禁止されているが、実際には見つからなければ良いと言う考えで動いている現実を見ると社会が悪くなるのは当たり前と思われる。

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平成ミニバブルで破綻した不動産会社のひとつの特徴は、企業規模の拡大により有名大学出身の社員が多くなって他の会社との事業の差別化がなくなったことである。事業の着想は経験知に基づくものであるが、それ以上に重要と思われるのは自由な発想や創造力である。今の社会を見ると学歴社会なので当然ではあるが、有名大学出資者の社長や社員の会社が目立っている。不動産業界などは不動産の証券化もあり、金融技術を駆使できる高学歴の社員が集中した。この結果、金太郎飴的な会社となり事業の差別化もなくなり、机上の空論のプロジェクトを推し進めて破綻した。不動産業界だけではないが、日本の有名大学出身者の多くは創造力や自由な発想に関して貧困であり、然も同じ様な発想しか出来ない。更に、大企業に入ると必要以上にリスクに敏感となり、能力を半減してしまう。日本の教育はふり返ってみると、同じ様な人間を育てる事に注力しており、個性的な生徒の出現は望んでいない教育システムである。このため、中卒より高卒、高卒より大学卒と上の教育を受けた人ほど発想が似ると同時に創造力が貧困になってしまうと思われる。勿論、学校教育の他、家庭教育の影響もあるが、日本人は農耕民族であるので本質的に他人と別な行動を取ることを避けるDNAがあるので、殆んどの家庭が学校教育の範疇にあり、個性的な性格は変わり者扱いされてしまう。今の日本経済に求められている人材は変わり者なのだが、折角変わり者が成功しても有名大学出身者を幹部に登用して他社と変わらない道を歩み始めてしまう。これは日本社会では変わり者が企業を大きくして行くのには限界を感じて方向転換するのであろうが、殆んどの会社はこの方向転換で失敗する。マスコミや学者などは創造力を求めた経営努力を促すが、それが出来ない原因が教育制度などにある事に触れないので解決しないのが実情である。この様に書くと「ゆとり教育」を取り上げて反論するであろうが、押し付けたゆとり教育では人材が育たない事を知るべきである。学ぶ場所は、「常在社会」である。

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日本経済に対する多くの論調が日本経済を立て直すには海外からの投資が必要不可欠であるとしているが、本当にそうかと疑問が湧いてくる。新興国に流れるマネーに負けないように日本企業もアジアで見劣りしない収益力へ経営を立て直す考え方は一見正しいように見えるが、新興国と先進国の日本とは経済成長率一つとっても同じではなく、幾らグローバル経済と言っても投資効率から見たら新興国の方が良いに決まっている。投資家とすれば日本はリスクマネーの投資先ではなく、逆にリスクをヘッジする資金の投資先としてのポジションではないかと考える。リーマンショック以来円高になっているのはリスクヘッジの期待度が高いことを証明している。もちろん、日本企業に株の配当や株価の上昇を期待できる経営内容がなければ問題外だが、日本の株式市場が規制緩和以降の安易な企業の上場推進と上場企業の倒産の増加で新興国と同様のリスクマネー対象の市場に変貌してしまったことにも問題があると思われる。日本人や日本企業がリスク投資を好まないのは国民性もあろうが、それ以上に政治を信頼していないことが最大の原因である。世界に類を見ない金融資産を国民が保有している日本においてリスクマネーを導入しなければ世界の中で日本が沈んでしまうなど論説はナンセンスである。日本が経済も含め国民が内向きになったのは20年前の経済バブルの後遺症もあるが、それ以外にも教育や行政の腐敗、政治の貧困さに大きな原因があり、国民が将来に不安を覚えているからである。アジア各国が成長してきている今こそ日本が主体的にアジア各国にリスクマネーを注ぎ込んで日本とアジア諸国が一体化する経済の構築を推進することが大事なのである。リスクマネーを日本に呼び込んで経済を活性化するなどは時代遅れの発想である。グローバル経済の本質を見誤った論調など百害合って一利なしである。

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自民党執行部に若い人を起用しろと言って受け入れらずに党を割った与謝野議員だが、与謝野・平沼新党の発足を見ると、正に高齢者党に相応しい陣容である。良く考えると高齢者が増加する中で高齢者を代弁する政党がないことに気づいた。選挙民は自分達の考えを代弁する政党を選ぶ儀式なのだから高齢者の意見を政策に反映してくれる候補者は高齢者ではないかと考える。若い人に高齢者の問題が理解できるとは思えないし、今は鎖国後の明治維新ではないのだから全て若い人に託せば良いと言う考え方がそもそも間違っている。与謝野・平沼新党も若い人に媚びず、自分達が培った経験と知識をフルに活用して新しい日本を造る気概を持って欲しい。逆に、50才以上の候補者しか擁立しない政党でも良いと考える。若いから全てが良いなどは幻想である。特に、経済成長を遂げた後の世代の教育を受けた人達は政治家の適性を持っている人は少ないと思える。もちろん、利権三昧の高齢な政治家や候補者を指して高齢者政党を造れと言っている訳ではない。高齢者でも若い人が適わない頭脳と斬新な考え方を持っている人はいるのである。高齢者が全て時代遅れの考え方を持っていると決め付けるのは間違っているし、その反対に若い人でも保守的な考え方であれば期待できるわけがないからである。TVや新聞では明治維新期を殊更取り上げて社会を鼓舞しているが、あの世代と今の若い世代は似て非なる存在と気づかないと日本の先行きは悲観的に成る。

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不動産の仲介や開発などで多くの人達とお会いしたが、初めてお会いする人を判断するのに今でも役に立っているのは先代の教えです。先代も誰かから教えを受けたことかどうかは知りませんが、少なくても人生を長く生きて来ないと出ない知恵です。科学的な根拠はありませんが、顔の似た人は考え方が似ていると言う人生観です。閑話と言いながら何故今頃になってblogで書くのかといいますと、最近の出来事でその教えが蘇えったからです。その出来事とは、今後の展開の予測はつきませんが、現状ではビジネスのパートナーとして歩む方向で協議している人を観察した結果です。二人とも営業力は抜群であるが、専門家と呼ばれる人を直ぐ信用して過大な評価をしてしまう。又、セッカチであると同時に気に入らない話は聞かない。人情味があるので部下には慕われるが、結構人の好き嫌いが激しい。人間的な長所は沢山あるものの、経営者として見た場合には重要な判断に専門家の意見を聞きすぎると言う致命的な欠点を持っています。また、一度自分の中に築き上げた人の評価はどんな事があろうとも変えない。この欠点は優れた営業マンに多く、頭は良いのだが、大手会社のサラリーマンの如く専門的な知識を自ら勉強するのではなく、専門家を信頼過ぎて任せてしまうことです。若くして経営者になった人は専門家を余り信用しません。その理由については本blogでは言及せず別な機会に述べることにします。この様に書き進めてきて気が付いたが、二人に大きな違いがありました。それは一人は酒が強く毎晩晩酌を欠かさないタイプだが、もう一人は余り好きではないとのことであった。勿論、車の運転が好きな事やゴルフの腕前が違うことなど枝葉末節なパートナーとしての評価には関係ないことでの違いはあります。一番重要な事は、思考能力において似ていることなのです。そう言えば、人を褒め上げる事も上手ですが、仕事が上手く行かないと直ぐにけなす癖もあります。一人の方は他界しましたが、その方は私にとっては仲人であり、後年はビジネスパートナーであった恩人です。新たなパートナーなる人は既に私の恩人ですが、気になるのは余り性格が似ているので錯覚しそうな事です。

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日本人はと言うより世界はと言った方が良いかもしれないが、人は河川の洪水を防ぐために堤防を構築して災害を防いできた。自然からすれば大きな迷惑だが、人は水資源がなければ豊かな生活が得られないので水をコントロールすることが重要な事であった。しかし、自然から見れば河川が洪水して土砂が四方に散乱するのは土地の豊饒さの上で良い事であった。自然のシステムでは山の恵みが河川を通して海に流れ魚が育つサイクルがある。この自然のサイクルをダムや河川堤防、更に海岸堤防などを構築して壊しているのが人間である。以前、元長野県知事の田中康夫がダムを造らず河川堤防で自然を守ると宣言し、民主党の国土交通省の前原大臣が別な視点ではあるが、ダムを造らず河川堤防で対応することを同様に説明していた。確かに、ダムは水をコントロールするには役に立ったが、その反面海資源に対しては大きなマイナスを生み出した。田中氏と前原氏が口を揃えて河川堤防で自然災害に対応する方法は大丈夫なのかとは一般国民は誰も考えていないと思われる。都市部の公共事業の減少に伴って国土交通省などは20年以上前から上部に建物を構築出来るスーパー堤防の築造計画を推進しているが、正にこの様な堤防の建設計画は河口付近に堆積した河川土砂の捨て場に利用すると言う代物であった。殆んどの人は知らないのだが、ダムの影響で河川の土砂が問題になってきており、その土砂の捨て場に困って堤防付近に浚渫土砂を積み上げているのが現状である。近年は首都圏に大きな台風が到来していないので現時点では問題になっていないが、河川土砂は大きな災害リスクを孕んでいると言われている。また、堤防の巨大化は堤防周辺の地下水にも影響があると言われており、知らずにいるうちに災害リスクを大きくしている可能性が高い。良かれと思ってきた事やそれに伴うマイナス部分の対策が結果的に別な大きな災害リスクを造ってきていることを考えると従来の国土改造の遣り方は人間だけしか見ていない方法であったために問題が生じてきたと断言できるので、今後は自然と人間の両方を考えたバランスが取れた対策が必要と思われる。しかし、行政の都合の悪い事は国民に明らかにしない考え方は国を滅ばすことになると改めて思料する。今回のblogは長く民間の立場で活躍してきた技術士の方との雑談で教えて頂いた事柄である。

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狙いは国債購入資金であろうが、海外にも郵貯の資金運用先を求めるとのことに関しても大きな疑問を持たざるを得ない。何故今、郵貯限度額を引き上げる必要があるのかは冒頭に述べたように国債の購入が目的なのであろうが、この決定は赤字国債の更なる拡大を招く愚策としか言えない。今年度の予算が92兆円と大きくなったが、この予算は参議院選挙を考えてのもので、日本や国民のためになるものではない。確かに、郵政民営化の過程では不正があり、貴重な資産が投売りされたのであるが、体質的には今も変わらないので資金運用においてアドバイザリーを介在した同じ様な不正が起きないとは言えない。日本国中、インサイダー紛いの行為が行なわれており、不正など意に関しない輩が横行している現在、郵貯限度額の引き上げなど持っての他である。郵政関係が小泉・竹中以降、政治家や悪徳官僚や政商に食い物にされてきているが、民主党政権になってもその図式は変わらない様だ。今夏の参議院選挙で鉄槌を下したくても受け皿となる政党がいない現状は本当に憂慮すべきものであり、鳩山邦夫ではないが新党結成大賛成である。既成の政党の流れを汲む自民党や民主党の政治を吹っ飛ばす新党に期待したい。

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六本木ヒルズ、東京ミッドタウンの周辺の街並みを無視した自己完結型の高層ビル、新橋汐留地区の全く整合性のない高層ビルの林立を見ると本当に島国根性の世界観が小さい人々の集団なのが分かる。現在進行中の大型開発の全てが自己完結型の高層ビル建設であることを見せ付けられると東京都心の将来像を描けているのかと心配でならない。確かに、古い建物を耐震性と防災性の優れた建物に変えるのは必要と考えるが、問題は街の歴史を全て吹き飛ばして孤高の高層ビルを建てることに意味があるのかといいたい。現在の開発思考は歴史を持たない米国の開発の考え方に準拠していると思われるが、少なくても再開発で街を再生するならその町の文化的な香りも残した差別化した開発を行なう必要がある。六本木ヒルズなどは一時は珍しくて多くの人が見学に訪れたが、他に同様なビルが出来た時点で物珍しさがなくなり店舗などは閑散としている。日本人は将来像を見て建築物を計画するのは苦手な国民と思えるのは、日本を取り巻く自然と関係があるかもしれない。確かに、大型建築物は中国などから伝来した仏教寺院で、その外は武士が防御のために築造した城だけである。本来、日本人は大型開発や将来を見据えた考え方などは苦手なのかもしれないと思い、それなら日本に適した開発を考える時期に来たのではないかと思料する。馬鹿の一つ覚えの様に大型開発を推進するのは、公共事業の減少で経営に厳しいゼネコンの救済を意味するならば価値ある街並みを一掃してしまう大型開発は百害あって一利なしと言わざるを得ない。特に、その後押しをする行政については税金の無駄使いの典型的な姿である。特に、容積の割り増しで作らせた公開空地などはただ通行人の通る位しか活用する事ができず、然もビル同士の公開空地を跨ぐ様な活用は余り出来ない状態である。現場を知らない役人や知識人が描いたものなど実際には役に立たないものばかりである。東京都のマスタープランなどはお題目ばかりで現実的な開発を優先するあまり意味を成していない。今の日本人は日本的な良さに精神的な安らぎを求めているのに大型開発は逆行した考えで進められているので間違いなく失敗すると思われる。

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以前に私が借りているマンションで行なわれたリフォームに関してblogに書いたが、今回はリフォーム1年後の現状についてお知らせすることにする。古い賃貸マンションをデザイナーズマンションにリフォームして入居率を高めるビジネスシステムを展開している企業(大手都市銀行も出資している)が行なったリフォームである。私の入居しているマンションは築38年経過していたので空室が目立ちオーナーとしてはリフォームか建替えを検討する時期になっていた。入居者の多くは建替えで退去を求められると思っていたが、実際にはリフォームとなり、リフォーム提案の会社はリフォームの騒音で入居者全員が退去することを考えているかのような酷い工事を行った。しかし、リフォーム後のサブリース対象となった部屋は若い男女が好むようなスタイルに改修したことと立地環境は素晴らしかったこともあり、リフォームした部屋は直ぐに賃借人が決まった。そして1年が経過して現状はと言うと流石に新たな賃借人の退出はないが、共用部の廊下の塗装が一部剥げ落ちて汚くなったおり、エントランスは北向きに変えたので冬は木の葉が入って常に汚れている状態となっている。また、廊下のライトをダウンライトに変えたので頻繁と電球が切れており、然も直ぐに交換しないので不便極まりない。予想したとおり廊下や階段の塗装は基本に忠実に行なっていないので、塗装が剥げ落ちることは予想できたが、階段の壁も内部からの漏水で見た目が悪くなってきている。リフォームの全てを否定しているわけではないが、老朽化したマンションは人間に譬えれば高齢者になっているので、厚化粧しても長くは維持できないし、問題は鉄筋やコンクリートなどは改善できないので目先の誤魔化しの様なリフォーム提案に関しては疑問を持たざるを得ない。リフォームした会社のHPを見るとデザイナーズマンションにリフォームして入居率が高まった事例を載せているが、私が入居しているマンションのリフォームを見る限り経験が不足していると見られるものの短期間は有効と思われるので、ビジュアル社会の弊害が起きているのかと思わざるを得ない。

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私は職業からこれまでに大勢の方から住宅の購入を検討するに際に意見を求められてきた。当社は建築設計事務所として住宅の設計に携わってきており、然も不動産仲介業として多くの住宅の仲介業務の実績もある。また、デベロッパーとして再開発事業の実績もあり、不動産ファンドのアドバイザリーなど不動産に関する経験は手前味噌になるが枚挙に暇が無いと自負している。しかし、不思議な事に実際購入するに際しては私の意見は一部の方を除き無視され、大分経ってから私のアドバイスを無視した事を後悔する話を聞かされるのである。後悔した人の中には、私の専門が不動産業であることを改めて気が付いた人もいて唖然とする。最近、不動産購入に関するアドバイス本などが人気があるらしいが、私に言わせれば悪戯に面白可笑しく書いてあるだけであり、中には何の科学的な根拠も提示しないで恐怖感を煽っているだけの事例を平気で書いている本もある。この種の本の新聞の書評欄には、「不動産購入前に知識を得よ」などと推薦しているのである。多くの人は公に販売された本などには信頼を置くが、私の様な専門業者の意見を聞き流すと言う行動に関して理解できない。ちなみに、悪く言うわけではないが不動産購入に関するアドバイス本などは素人では分からない専門的な知識を有する内容であり、悪徳業者の酷い事例を恰も一般論的に取り扱っているので、実際の購入においては信頼にたらないものである。私が相談された方に先ず指摘するのは、「不動産に掘り出し物件はない」と言う事であり、価格的に掘り出し物件と思えるのは瑕疵物件(自殺・殺人など)であると言う事実である。更に、マンションと戸建住宅の将来的な資産価値の違いやデフレ経済時での不動産購入のリスクなど基本的な問題からアドバイスをしている。私の不徳の致すところなのだが、当社女子社員などは結婚時の中古マンション購入時と数年前の戸建建築の2度ともアドバイスを無視した結果、大きな損失と現在進行形の損失を蒙っている。世の中は大企業や著名人の意見は信用するが、私の様な小企業の経営者の意見などに関しては評価しない様だ。尤も、知人の会計士の様にアドバイスは理解していたが、年齢と将来的な収入見通しを甘く考えて高額な新築物件を購入して失敗した事例もあり、人は時として必要以上に楽観的になるので致し方ないと思料する。デフレ経済であるが不動産はドメステックな産業なので、価格がユニクロの商品の様には下がらないのが現実である。ここ15年を振り返ると必要以上にコストダウンの流れになっており、それが構造偽造事件に繋がっているのである。別に不動産業界の言葉ではないが、「安くて良い物はない」のである。もちろん、短期的な商品ならば耐久性を考慮する必要はないのでそれなりに良くて安いものはあるが、不動産は長期的な商品であるので難しいが、もし強いて言うならば個別的な要因によって価格が変動する商品である点を考慮すれば、価格的に満足する物件お購入できるチャンスはある。一生に一度の高い買い物となる可能性が高い住宅の購入に関しては、設計事務所などにアドバイスして貰うことが必要と思われる。アドバイス・フィーなど安心を得る事を考えれば安いものである。