その時代その時代に起きた革命的な変化は人間の脳にも大きな影響を与えて新しい考え方が生まれるが、その様な視点で情報化社会を見ると、不動産業界などには"見た目重視"に大きな影響を与えたと思われる。もちろん、何も見た目重視は情報化社会だけが生み出したものではないが、今回の見た目重視の問題には極端なハード軽視に繋がっている怖さを指摘したいのである。グローバル経済が物の価格を引き下げているが、短期間で消費されるIT機器と建築物は基本的には異なるので、見た目も大切だが自然災害に対する配慮も重要となる。今日的な問題ではないのだが、建築士に設計を依頼するとデザイン重視の人と機能重視の人に分かれる。前者は使い勝手が悪く、後者は野暮ったいので発注者としてはこの中間の人を常に探している。この様に書くと躯体等ハード面の事に触れていないと思われるかもしれないが、地震災害の多い日本ではハード面で手抜きをすることは想定外のことであった。もっとも、阪神大震災で分かった事だが、関西は大地震が起きないと言う間違った考え方が浸透して関西の建築物の多くは許容範囲を下回っていたために地震規模以上に被害が大きくなったと言われている。少なくても、東京を中心としたエリアでは許容範囲を下回る手抜き工事はなかったと思われる。しかし、情報化社会やグローバル経済の浸透に相俟ってハード軽視の考え方は建築業界にも波及し、「物造り」を重視しない人達が不動産業界に進出し大きな利益を挙げるようになり、何時の間にか極端な見た目重視に変わり、ハード面のチェックは二の次になってしまった。その結果は耐震偽装事件に繋がっているのだが、この耐震偽装の様な犯罪は極端な例だが、問題は工事費の削減要請から生じたハード軽視の不良建物が2000年以降多く出現している事実である。外観や設備的には古い建物より優れているが、建物の基礎の部分や建築物の内部、更には工事費削減を目的とした材料は時間が経過しないと判断できないので怖い。不動産業界に関わる人の多くが、家電などの例を挙げて日本の家電はフル装備で価格が高く競争力が弱くなっている例を引き出して装備の簡素化に対する考え方を建築業界にも波及させていることが問題と思える。もちろん、経済力のない国々の人に対する物販の考え方を幾らグロバル経済だからと言って日本にも適用すること自体が考え方に間違いがあると思われる。ひとつの大きな変革をもたらす技術的な思想は多くの分野に波及するが、それは必要条件であって十分条件ではないことを理解して取り入れるべきと思える。不動産業界は、ipodとウォークマンとの競争結果とは違うのである。
今の政治・経済界に武藤山治はいるか!
連休中は自宅周辺の散歩に終始したが、その間に何冊かの本を読んだ。書店の売り場に行っても読みたい本がなかったので、過去に購入して読んでいなかった本を探し出して紐解いたのが、鐘紡の中興の祖と言われた「武藤山治」の伝記であった。読むに連れて武藤が活躍した大正・昭和初期の時代が現代と共通する場面が多いことに気づかされた。何の事はない、大正・昭和初期は正に弱肉強食の資本主義経済下にあったのだが、現代の規制緩和そして市場経済と同様の姿が逆先祖がえりの如く描かれているのには驚いた。その上、政治の混乱も現代の政治の混乱と本質的には同じであったので、人間が進歩しないのには愕然とした。その中で実業家の武藤山治の生き方は晩年に政治家に転身したとは言え、経営者としては株主に高配当を続け、従業員にはその時代の先を行く福利厚生施設と高額の給与を支払い続けた姿勢にはM&Aに怯える今の経営者達とは人間のレベルが違う事を思い知らされた。もちろん、武藤山治と同世代の多くが現代人と変わらない私欲で動いている輩なので、尚更に人の成長には何が大事なのかを考えさせられる。14歳で岐阜の田舎から上京し、福沢諭吉の慶応義塾で学び、更に17歳で米国に渡り3年間仕事を遣りながら大学に通っている。武藤山治は地主の息子に生まれたので生活には困らなかったのだが、最初の挫折は英国留学を株の暴落の煽りで断念し米国に苦学生として渡米したことだが、この挫折が武藤山治には人間的成長を遂げさせたと思われる。帰国してからも最初は必ずしも恵まれた境遇ではなかったが、時代は武藤山治を見捨てておかなかった。紆余曲折を経て鐘紡の支配人に就いてから当時誰もがなし得なかった企業経営を行って鐘紡の中興の祖と呼ばれる存在になった訳である。読んだ本には恐慌に打ち勝った男として描かれているのだが、政治家に転身した後は必ずしも成功者とは言いがたいものの、当時の政府が収入以上に予算を拡大し、その財源として郵便貯金を財投資金として活用する危険性を議会で指摘するなどその先見性には驚くべきものがある。正に、今の日本に必要な人材であるが、何処を見渡しても武藤山治の様な存在は見当たらないのが悲劇かもしれないと思う。
貸ビル・貸マンション業も差別化の推進でデフレを克服!
デフレ社会だと全てが安くなって当然的な風潮が出てくるが、不動産などは固定資産税などが異なるので先ず立地による差があり、更に施設の設備やサービスによって差を付けるのは当たり前なので、貸す側は差別化を明確にするためには入居前にテナント側にそれらの説明を充分に行なうべきと考える。日本社会は農耕民族のため誰もが同じ行動をすることをムラ社会が要求してきたために学校教育から無意識に訓練されてきているが、今日的な社会では価値観の多様化の中でサービス提供を行なう必要があり、貸ビル・貸マンション業でも社会に「サービスの質による差」を認知させることが重要と思える。もちろん、テナントの多数は理解している事だが、土地が下がれば賃料も当然下がるなどと言う事は取得価格から言えば間違った考えである。しかし、多くの者が不良債権によって取得した建物と償却中の建物の区別が付かないので、現場では混乱が生じている。これからの社会は従来と異なりグローバル経済化のマネーゲームによる経済の混乱が短期的に繰り替えされると思われるので、賃料設定などに関しては差別化を前提にサービス内容を決定することでデフレ社会を克服することが必要と考える。
火山の冬
火山の冬とは火山灰や霧状の硫酸が太陽光を遮り温度を低下させる減少とのことだが、アイスランドの大噴火の影響が天候不順の形で世界中に影響が出そうだ。少なくても今年は天候不順に悩まされ、最も影響を受けるのは野菜などの栽培不調による価格の上昇だが、衣料品なども天候不順で買い控えが出そうだ。金融危機が峠を越えたと思ったら今度は火山の大噴火によって経済の影響を受けることになるとは「泣きっ面に蜂」と言った表現が相応しい。ITによるグローバル化が世界の経済成長のスピードを速めたが、世の中良い事ばかりでない譬えは生きている様だ。もちろん、今回の様な火山の大爆発は古代より何度も起きて地球上の生物に影響を与えてきたわけだが、凡人の私としてはこの減少が経済に吉と出るか蛇とでるかが気になるところである。お金儲けに長けた輩は既に商品相場の先物取引で買い注文を出しているのであろうが、情報化の時代では昔の様に時間差や歴史で大金を儲ける機会が少ないと思われる。しかし、今回の火山の影響でアジア経済成長の恩恵で持ち直してきた日本企業の業績が再度悪化したりすれば、「火山の冬」が「経済の冬」に成りかねないので困った事ではある。
現実的な解決を優先して先送りした関西新空港と伊丹空港の問題
大阪府の橋下知事と前原国土交通省大臣とが、伊丹空港廃止問題を関西新空港と伊丹空港を持ち株会社で統合し伊丹空港の廃止問題に関しては将来のリニア開通を絡めた先送りで解決を図った。この解決は一見すると良く知恵を絞った様に見えるが、本質的な問題は何も変わっていない事に気が付く。橋下知事の目先の財政負担問題を解決すれば良しの態度はやはり弁護士出身政治家の欠点である長期的視野に欠けた政治家としての限界と思える。橋下知事が大阪府と大阪市を合併させて行政の無駄をなくす姿勢に対しては敬服するが、今回の関西新空港と伊丹空港の持ち株会社による統合は、関西新空港の土木的欠陥を隠す以外の何物でもない事に気が付くべきである。然も、将来的にはこの持ち株会社を民間に売却する案も公表しているが、関西新空港の現状維持に多額の金を要するのを考えると全くナンセンスと言わざるを得ない。特に、東海JRが打ち出しているリニア計画を鵜呑みにした伊丹空港廃止などは滑稽としか言いようがない。前原大臣の周りには胡散臭い助言者がいるとは思っていたが、私欲でインチキ投資ファンドを立ち上げている輩がブレーンでは政治家として先が思い遣られる。前横浜市長の中田宏と言い、前原国土交通大臣の様な姑息な人物を育てた松下政経塾を思うとあの世で松下幸之助も松下政経塾を創設した事を後悔しているのではと推測する。偉大と言われる経営者が造った塾に出入りしている輩は胡散臭い人物が多いが、そう言えばJAL再建を引き受けた京セラの稲盛氏も塾を持っている。
遠い親戚より近くの他人
標題の見本みたいな事例が私の周辺に存在している。高齢化が進んだ小子化の社会にあって考えさせられるのは「遠い親戚より近くの他人」の故事である。政治に期待できない庶民が作り出した知恵かもしれないが、古い時代には共同社会で他人同士が助け合って生きてきた。それが経済成長や欧米の個人主義の浸透で共同体社会はプライバシーなどから希薄化が進み、更に個人情報制度などによって他人同士が親戚の様な付き合いをすることは難しくなった。私の義母が東京近郊の街に一人で住んでいるが、その生活は他人によって支えられているのである。誤解のないように説明を加えると、息子二人が義母を引き取らないために一人で生活をしているのではなくその逆である。息子達は高齢化した母を一人で生活させておく訳には行かないと同居を進めているのだが、義母が一人暮らしの気ままな生活を優先しているのである。高齢化した親に関しては子供がいれば同居となるのだが、子供に世話になれば居候となり、生活には遠慮が出てしまう。仕方ないと言えばそれまでだが、苦労して子供を育て更に教育まで行いながら余生を息子夫婦や孫に遠慮して生活する様な現代社会は理不尽と思える。義母の場合は偶然が重なって今の一人暮らしの環境が育まれたのだが、他の人が参考になると思えるので書いて見たい。今の家は元々は借家でしたが、その後地主から土地を購入して家を建てたのである。このため、このエリアには何件かの借家が存在していたが、現在は地主から土地を買った人と借家のままの人とが混在したエリアに変わった。実は東北地方から出てきて青果市場に勤務していた夫婦がそのエリアの借家に住んでおり、その後2人の男の子が誕生したのだが、亡義父が名付け親の様な関係となり、その家族(Kさん)と親戚の様な交流が開始されたのである。その後長い年月が経過し、妻の実家は義母一人になったのでKさんの長男が下宿する様になった次第である。Kさんの子供達は生まれた時から義母が祖母の様な存在であったので血縁関係はないが他人とは思えないほどの間柄となった。祖母が急病の時などは背負って近くの医院に運んでくれたり、休日にはドライブに連れて行ってくれたりしている。義母にも孫は何人かいるのだが、一緒に住んでいた訳ではないので、殆んど寄り付かないのが現実である。勿論、全て良い事ばかりではないが、少なくても義母が子供家族との同居で遠慮している生活ではなく、近くの他人のお陰で元気で生きがいを持って一人で生活している姿を見ると幸福とは何かを思わざるを得ない。現代において孤独な高齢者が不安な生活を送っている姿を見ると、義母の様な近くの他人との交わりの大事な事を痛感する。欧米主義の個人主義ではなく、他人を包含してのアジアの大家族主義が人生の楽園を造るんではないかと思える。
新党乱立の中で大阪府橋下知事の「大阪府維新の会」を評価する
今の新党騒ぎなど権力亡者の類で真に国民のためになる新党など皆無だが、大阪府の橋下知事が掲げる「大阪府と大阪市を統合して大阪都にする」ための「大阪府維新の会」は評価に値すると思われる。大阪府と大阪市の行政を知る人ならば行政の多くの無駄が分かると思う。この合併は、議員数と府と市の職員の大幅削減による経費節減効果もあるが、現行の行政組織を情報化社会に即した行政サービスの仕組みに大きく変える可能性を持っている。もちろん、橋下知事は弁護士出身のため偏った知識で判断している面もあり、全部が全部賛成できるものではないが、インフレ経済下で麻痺した地方行政の財政の建て直しには有効と見られる。日本社会の中でいちばん行政を信用していない大阪府で橋下知事の様な人材が現れて地方行政の改革が始まったのは面白い。今の議員や公務員は地方も国も国民が税金を支払うのは当たり前の感覚だが、国民からすれば議員や公務員を喰わせる為に税金を支払っているのではない。橋下知事の行動は正にその点を改めようとしているのだが、他の新党などは国民に対して課税強化で解決することばかりを強調しており、従来の国民を食い物にしている連中と何等変わらない。大阪府の改革のウエーブが全国に波及する事を期待したい。
学校の副担任制度の導入
副担任制度の導入は一学級に一人の担任制の壁を壊した快挙と捉えられるかもしれないが、良く考えると企業の経営の失敗の基本である2頭体制とどう違うのか疑問に思った。教室に二人の担任がいると言うことは、成長過程の子供達が二人の先生と向き合うことになり、二人に教育方針の違いがあった場合の事を考えると副担任制度は正しい選択なのかと思ってしまう。この様に書くと正と副であるので副は正に従うから問題ないと反論がでると思うが、副担任制度の導入は教師の側からのもので子供達のためのものでないのが気になるのである。私の子供時代には一クラスの人数は45~50名であったが、今は多くても一クラスは30名前後と思われる。この人数を二人で授業しなければならないほど教師のレベルが下がったのかと思うと情けないのひと言である。もちろん、教育に情熱を持った多くの教師がいると思うが、最近の教師を見ていると威厳が感じられない。これは単なる生活のために教師の職業を選択した者が多すぎると言う事とであろう。個人のリスクばかり考えて子供と接しているから子供達にそれを見抜かれ教室内の子供を制御できないだと思われる。私の時代にもダメな教師はいたが、多くの教師は教育と言う職業を自覚して真剣に子供と向き合ってくれた。私などはやんちゃだったので大分教師には迷惑を掛けたが、当時の先生方は子供達を決して見捨てたりしなかった。子供達のための副担任なら未だしも教師のための副担任制度の導入は情けない大人を見せるだけとなり、教育にプラスにはならないと考える。私の母方は母を始めとして教育に携わった家系なので余計に今の教育の有り方を考えてしまう。
心眼を持つ
現代社会の情報の氾濫の中にあって心眼を持つこと必要であると思う。新聞の記事ひとつとっても誰が何の意図を持って記者に書かせたのかを読み取れなければ新聞を読むことは害になるだけである。知人に日本の新聞は判断を間違うからと読まない方がおり、彼は専ら海外の新聞を読んでいる。勿論、海外の新聞も意図を持って編集されているので基本的には変わらないと思うが、日本のマスコミは酷すぎると言う事であろう。中国は共産党一党支配で報道に制限を加えているのが誰にも分かるから良いが、日本や欧米諸国などの法治国家では報道の自由が許されているので中国の様な事はないと多くの人が思っていることが問題なのである。尤も、マスコミが流すニュースは論説でもない限り時間に追われて検証する暇がないので間違いが多いのは当然である。このため、心眼を持つ事が如何に大事かである。多くの人とお会いして驚くのは殆んどの方が新聞・TVで流した内容をそのまま信じて話すことである。相当に社会的の地位が高い人でも同様である。米国が日本のマスコミを通して世論を誘導してコントロールしていると言う話を聞いたことがあるが、普天間基地移設問題などの報道を見ると正にはその裏づけが取れた思いがする。この様に書くと被害妄想の類と非難する人が出てくると思われるが、記事を書いた本人さえも分からない位に海外の情報機関は巧妙だということである。況して、今日のマスコミに従事する人達には愛国心がある人物が少ないと思われるので尚更である。そう言えば、平成ミニバブルの頃は電車で若い男女が日経を読んでた姿を見かけたが、最近は少なくなった様な気がする。先人の言葉に「書物に書かれた事を全て信じるなら読まないより害となる」があるが、正に新聞報道にも言えることである。
今は地方自冶体が面白い
大阪府の橋下知事、名古屋の河村市長、鹿児島県阿久根市の竹原市長など中央の多くの政治家と違い直接行政を執っているいる分、面白い人物が出てきている。この面白い人物に宮崎県知事を入れないのは、彼に関しては宮崎県産の産物を知らしめた成果は認めるが、政治家としては古い枠組みから出ていなく、創造的な改革を期待できないからである。この方々以外にも全国の市町村には名物首長がおり、気骨がある町長としては福島県矢祭町の根本町長などは群を抜いている。また、同じく福島県双葉町の井戸川町長などは財政難から給与を一時的に無給にする議案を議会に提出した。翻って、国はどうかと見れば800兆円もの赤字国債を抱えているにも拘わらず誰一人として議員定数の大幅削減や公務員の大幅削減、議員報酬の返上などの意見が聞かれず、聞こえるのは消費税などのアップばかりである。マスコミまでも官僚の宣伝に乗って消費税率を「上げなければ国が滅ぶ様な報道ばかりである。もちろん、地方自冶体の首長経験者の中には前横浜市長や前宮城県知事の様な市民や県民の期待を裏切ったにも拘わらず、政治家の野望を捨てず未だ税金を食い物にする様な輩もいるので、玉石混交を承知で頑張っている地方自冶体の首長を評価しているのである。鹿児島県古久根市の竹原市長などは孤軍奮闘で頑張っており、今の常識からすればとんでもない事を行っていると見えるのであろうが、本当にそうなのかと言いたい。今の無責任な世の中に一石を投じているドンキホーテの様な姿は貴重である。名古屋の河村市長も財政難を立て直すために正論を吐いているのである。政治家など無給の覚悟がなければ立候補する資格はないのである。田中角栄と言う馬鹿者の出現以降、世の中金が全ての物差しになってしまったが、お金は後から付いてくる物なのである。先に金がありきで物事が良くなった例がない。地方自冶から真の改革が起こり、国の改革に繋がる動きを期待したい。