フジサンケイビジネス紙に日本郵政公社初代総裁であった生田正治氏(商船三井最高顧問)の記事:生田氏「郵政改革、議論なき逆行」が載っていた。船会社の人は視点の対象が海の外であるので国内の事は新聞記事を通して見る程度の認識しかない事が分かった。この様な人物が郵政公社の初代総裁であったかと思うと情けない限りである。勿論、国民新党の亀井氏の様に郵政事業を昔に戻す事には賛成ではないが、生田氏の様に郵貯の問題と郵便事業サービスの採算性の視点からしか判断しない改革などは論外である。彼の考えでは郵便事業は企業のために存在するかの様に工場がなくなった地域では郵便局が不要なので整理し、新しいビルが建った所には新設しており、郵便事業に関しても郵便局の地方ネットワークを維持してきたと言っている。この自慢話には生活者に対する配慮が少しもなされていない。郵便集配事業は収益だけを考えて行なう事業でない事は誰しもが理解していることである。郵政集配事業は国家の基本的なサービスなのである。当然に情報化時代で郵便物が減少している現在に関しては抜本的な改革は必要であるが、その改革は生活者を前提としたものである。今回の民主党の仕分け作業で分かった事は行政が何兆円もの無駄を平気で垂れ流しているのが分かり国民は憤っている。郵政事業は切手や収入印紙を販売して事業を推進しているので、他の税収入だけに依存している事業とは基本的に異なる。郵政改革はもともと郵貯や簡易保険の問題であったが、情報化と相俟って郵便事業が赤字となったために全体を民営化の手法で改革しようとした訳だ。郵貯の問題は米国の圧力と財投の解消を考えた財務省の思惑が一致して進められたと推測するが、問題は郵便事業の改革を考える上で相応しい人物がいなかったことが失敗であった。物流界の人間なら良いと思った生田氏は陸の物流など素人同然であり、然も国家のシステム改革なのに収益でしか判断できない小物を起用してしまった事である。私の知る限り大企業のトップになった大半は過去の成功したビジネスモデルを信奉する裸の王様である。勿論、明治時代の企業人は天下国家を考えてビジネスを行なったが、現代の経済人は自分の所属する会社しか考えられない小物ばかりである。その様な小人物に国家の将来を賭けた根本の改革を任せた責任は重い。然も、誤りに未だ気が付かず俺の目指した郵政改革を行なわないのは大きな損失などと自己弁護している姿は見苦しい。株式上場の利益などと言っているが、国益をうしなうのに上場益とは恐れ入った言葉である。郵政事業から郵貯の切り離しは当然としても郵便事業は別な次元で論じる必要があったにも関わらず民営化による利権の餌食になってしまった改革論者の責任は重い。行政の仕事は民間で出来ない事業を推進することであり、国民生活の上で必要なものは税収を超えても行なうべきものである。何十年も前から郵貯を財投資金として活用してきて邪魔になったから民間にか肩代わりさせる様な責任転嫁の改革など断じて認めてはならない。官僚と政治家の責任をハッキリさせてから行なうべきである。米国では郵便事業は国営である。生田氏はこれにどの様に回答するか問うてみたい。
“はやぶさ”帰還の快挙を思う
遥か宇宙の彼方の小惑星「イトカワ」から満身創痍で帰ってきた探査機"はやぶさ"の快挙は日本人として誇りたい。今の日本は息苦しい程の閉塞感が漂う社会となってしまったが、久し振りに日本人らしいきめ細かい配慮が生きた成果と思える。最近では、日本の電気機器や設備がデリケート過ぎるとか余計なものを装備しているから価格が高くなって競争力がなくなっているとか喧しい。今の経済成長市場がアジアであり、南米のブラジルであるためにその国の人々が購入できる低価格帯の製品を作る事が求められている。売れるものを売るという考え方は一見正しいように思えるが、この考え方は棲み分けを無視した考え方であり、自然の理に反していると考えられる。日本の様な高い技術を修得した国の企業はより質の高い製品を先進国に売り込むべきであり、売らんが為に質の悪い部品を使ったり、必要なものを削除した製品に関しては他の発展途上国に譲るべきである。幾ら世界がフラット化したり、経済がグローバル化したと言っても同じ土俵に乗って戦うのは無理があると思う。今回の"はやぶさ"の製作に関しては色々なトラブルを想定して2重3重の予備回路を設置していたことが快挙をもたらしたと言われている。この予備回路は多くの現場経験を有した人でないと知恵が出なかったと思料する。机上の空論と予算ありきでは絶対に成功しないプロジェクトである。日本人の長所が改良思考なのは周知の事実である。発明発見の創造力の国民ではないが、改良して新たな高いレベルに持ってゆく工夫能力は世界一と思われる。物造りに携わった人なら直ぐに理解するが、今の社会は物造りなど経験していない輩が日本の設備機器は過剰設備になって高いから競争力がないなどと発言し、それが主流になっている。需要にあったものを作ることは一見正しいが、その様な物造りを考えると日本国内では先ず人件費から考えて無理なために海外に工場を作ることになり、工場設備も安くするには国内からの調達を行なわないと言う論理を展開して行くと日本に何が残るのであろうか。ユニクロは素晴らしいとマスコミなどは絶賛しているが、ユニクロの工場は日本には一つもなく、逆に日本の工場を閉鎖させたのである。柳井社長の方針では日本のマーケットが飽和状態になるので今後は海外展開をして成長を続けるとしており、このため今後採用する社員は半数以上が外国人となると宣言している。消費だけを日本に残し、製造・雇用を海外に求めたのでは日本は沈没してしまう。勿論、高齢化少子化社会を考えると仕方ない結論かもしれないが、それなら政治家は小さな政府に作り変えないと国家が破綻する事になる。世界が為しえなかった"はやぶさ"の帰還を成し遂げた技術と技術者に対してモット敬意を払うべきであり、その様な付加価値の技術を日本経済の柱に出来る様にバックアップするのが真の政治である。幾ら世の中の時間が早くなったからといって直ぐに壊れるような物を作っていたのでは日本企業は生き残れない。新聞に明治維新の時の様に日本は海外に学ぶべきだなどと馬鹿な事を言っている輩が増えてきているが、今の日本に必要なことは全くその逆である。"はやぶさ"を帰還させた様な知恵と技術を海外に輸出することである。
後藤忠政氏の「憚りながら」を読んで
後藤忠政氏は、日本最大の暴力団組織の山口組に所属する武闘派の後藤組組長として名を馳せた人物である。今は山口組から除名されて後藤組を解散し、新たな人生を歩き始めた所である。今回、興味があって後藤氏の著作「憚りながら」を読んで改めて思ったのはどの業界でもトップに立った男は流石のひと言であり、著作の中で後藤氏が指摘している様に最近は堅気の人の方が性質が悪いと言う言葉は正にそのとおりと思われる。著書の内容は過去に週刊誌を賑わした事件にも言及しており、興味深いものであった。その中で賭け事についての記述があり、勝ち負けに対する心構えと自制心に関しては、私も若い頃にマージャンや競馬に熱中したこともあったので成る程と思わされた。後藤組は武闘派でありながら経済ヤクザと呼ばれたのだが、武闘派を維持するにはお金が必要であり、必然的に経済ヤクザになったと考えられる。一般の人は知らないと思うが、ヤクザ組織の強い弱いは手下を何処まで面倒を見るかであるが、後藤組の強さは徹底した面倒見の良さであり、昔のヤクザ組織を維持して来たのであろう。後藤氏がやはり指摘していた様に現代社会は上に立つものの器量が小さくなったという言葉は私も同感である。経団連の会長であったキャノンの御手洗会長などは著書の中で罵倒されている。経団連会長がヤクザに罵倒される事実が、日本の経済がダメな理由であろう。後藤氏は裏社会を通して多くの情報を持っているから言えるるのであろうが、それにしても後藤氏が指摘している様にバブル経済を挟んで日本人が大きく変わったという点は頷けるものがある。後藤氏の著書は下手な学者や経済人、並びに評論家が書いた書物の何倍も読む価値があると思った次第だ。勿論、後藤氏がつい最近まで現役のヤクザの組長であったので、単純には著作の意図を論じる事は出来ないが、今は堅気の方が性質が悪いと書いており、また暴対法が暴力団に属さない愚連隊や外国人の犯罪を増加させている一面を指摘している事は全く同感であるので、読むに値する著作とは思える。20年前になるが、先代社長の葬儀の時にその筋の花輪が幾つか届き役員とその対応を協議したことがある。私は葬式には世俗の問題は関係ないと考え、折角のご厚志であるので花輪を目立たない所に飾ることにした。しかし、困ったのは関東二十日会に所属する義人党(今は解散してない)の高橋総裁の花輪であった。義理の世界で生きる人の花輪を粗末に扱う非礼は今後社長に就任する私にとっては器量を図られることになるので、思い切ってその花輪を正面の取引先金融機関や顧問の国会議員などの位置に置いたのである。結果的には高橋総裁自らが茨城の片田舎の葬儀に婦人を同行して焼香に見えられたので、非礼にならずに済んだ。尤も、今なら暴力団組織の花輪を飾ることは理由を問わずコンプライアンス問題となり、金融機関から取引停止措置を受けることになるであろうが、その当時は未だ社会に寛容さが残っていた時代でもあった。私の周辺には学生時代からの付き合いの知人でヤクザの組長や右翼の大幹部になっているものも少なくない。彼等は私に迷惑を掛けるのでと会社にも来ない位に律儀な連中である。ヤクザを擁護する訳ではないが、暴対法ができてからの方が犯罪が悪質化した様に思えてならない。一般の社会に容易に溶け込めない人達がいるのも事実であり、犯罪を犯せば刑務所に入れて更正させれば良いと言う考え方では社会は良くならない。特に、競争社会になれば貧富の差が拡大するので犯罪が起き易くなると思われ、後藤氏の「憚りながら」を読むと今後の社会には何が必要かが分かり、余生を冤罪や高齢者福祉に身を捧げる姿勢は彼が友として著作に登場した右翼の故野村秋介氏の影響を受けたのであろうと想像した。そう言えば、故野村秋介氏が風の党を結成して選挙に臨んだときに北海道の知人も候補者の一人であった。この知人は北海道で僧侶をしているが、日本の仏教会では数少ない行動する僧侶の一人である。
日本振興銀行の予測できた顛末
金融庁の検査で元日銀マンの木村剛が設立した日本振興銀行の不透明な融資と検査誤魔化しが判明した。木村と言えば、小泉内閣時代には竹中平蔵のブレーンとして政府の政策立案に影響があった人物である。小泉内閣の周辺には如何に胡散臭い人物が権力を握っていたかが証明された。日本振興銀行は発足当初から木村の親族企業に対して不正な貸し出しを行なっている事を指摘され、社長から会長に下がったのだが、現時点でも有数な株主であり、今回の不祥事で会長職を辞したからと言って影響力を持ち続ける事は明白である。デフレの時代に高い金利でお金を集めている銀行かと思ったら運営が滅茶苦茶であったとのことで、欲のない人なら予測できたと思われる。木村は職歴が日銀出身と言う事で信頼されたのかも知れないが、木村は余程たちの悪いDNAを持った一族に生まれたのであろう。今の日本は学歴や職歴は立派だが、人間的に最低な輩が大手を振って人を平気で人を騙している。これがグローバル経済なら経済の語源である「経世済民」など捨て去るべきである。"学歴、職歴でなく人を見よ"と言いたい。そう言えば、東京慈恵医科大学付属病院の通路に「病気を診ずに人を見ろ」と書いた標語がガラス窓に張られていた。金儲けが悪いわけではない。人を騙したりインサイダー情報でおこなった金儲けが悪いのである。田舎では良くその人を評価するときに「血統が悪い」などと言う場合がある。本能的に悪い遺伝子は継承することを経験則的に分かっていたと思われる。差別用語と批判されるかもしれないが、「血統が悪い人間」が政治家になったり、裁判官になったり、正義を行なう役職についてはいけないと考えるが、今の社会には間違った選択をしている人が多いので気をつけなければならない。日本振興銀行の木村剛は「血統が悪い」良い見本である。
再選の国会議員に関しては日々の政治活動を開示させて選挙民に選択させるべきだ
月給制の国会議員に関しては日々の政治活動に関して開示する義務を定め、その結果を踏まえて再選議員に投票するかどうかを選挙民に選択させる必要があると思われる。我々からすれば、国会議員の行動が見えるのは、政府の要職に就いた議員だけであり、多くの国会議員が日頃どの様な政治活動を行っているのか皆目分からない。自分の選挙活動しかしない国会議員を選んでいる訳ではないので、国民のために本当に一生懸命政治活動を行なっているかどうかを確認する必要がある。特に、小選挙区になり、政党政治になってからは一人一人の国会議の顔が見え難くなった気がする。国会議員は政党助成金や秘書手当てなどを含めると多額の金銭を得ている。尤も、多くの国会議員は今の手当てでも少ないと発言しているが、その様な者は血税で報酬が出ていることなど考えてはいない輩である。まあ、百歩譲って彼等が望む手当てを出すとするならば、今の全国会議員の日常の政治活動を開示させて本当にその人数が必要かどうかを吟味する必要がある。日頃、自分の利益追求ばかりで議員としての役割を果たしていないならば、改選の時にはその様な議員を選ぶべきでなく、選挙が分かりやすくなる。どうも、国会議員の感覚は江戸時代の旗本の様に行政の役職についていなければ自分の事を遣っていれば良いように思えて仕方がない。衆参合わせて800名弱の国会議員が大臣や副大臣以外に何も遣らないから官僚の天下になっていると思われ、怠慢を非難されるのは国会議員の方である。しかし、多くの国会議員を官僚の独走を阻止する名目で行政に多くの国会議員を参加させて報酬を出す事には絶対反対である。民主党の前幹事長の小沢一郎が100人の国会議員を省庁に送り込んで官僚をコントロールする意向であったが、国会議員などを送り込むと逆に利権を作ることにもなりかねない。今の国会議員の立場で何でも遣れる筈なのに遣っていないのは怠慢である。政策や省庁の勉強を行なっていないから官僚を管理できないだけなのに、中に入ればできるなど幻想である。新しく就任した菅首相も財務大臣に就任したら官僚の説明に納得して財政再建には消費税アップが必要不可欠と言い出した。財政に関して知識がない菅に対して財務省の役人は簡単に懐柔してしまった。情けない話である。特に、菅は理工系出身者に特有の数字の表現と論理的な説明には弱いと思われるので、財務官僚からすれば笑いが止まらない政治家であろう。デフレに消費税を上げればどの様な結果になるかは子供でも分かるのに、菅新首相がその事が分からないのは財務官僚に篭絡されたからである。話は横道にそれたが、勉強していない国会議員など不要なので、国民は国会議員全員の日々の活動を知る権利があると言う事である。
今の民間人に大使は適任か!
新聞辞令で元伊藤忠商事の社長である丹羽宇一郎氏を中国大使に任命すると言う記事が載っていた。自民党政権もそうだったが、民主党政権も何か大きな勘違いをしていると思えて仕方がない。丹羽氏が企業人としては有能な人であることは否定はしない。しかし、大使の役割はセールスマンではないのである。勿論、今日的な世界的な動きを見ていると各国とも政治家がセールスマンの如く政経一体となって輸出を促進し自国の経済成長や資源確保に走っているが、問題は今の日本人の経済人に愛国心を持った者がいるかどうかである。大使の職務はセールスマンではなく、国家と国家の信頼関係を築く事である。丹羽氏の国家感については巨額な赤字国債を消費税の増税で解消する位しか見えて来ない。特に、伊藤忠の場合には瀬島龍三の影響を受けた社員が出世した事を考えると今回の丹羽氏の大使起用などはもっての他としか言いようがない。明治時代に生きた民間人と比較すると昭和生まれの政治家も経済人も真の愛国者など一人もいない。特に、インフレ経済時代やバブル経済崩壊後に出世した人に優れた国家間を持った人は少ない。中国と日本との関係はアジアの未来を左右するものであるので、過去の過ちを正しく認識した歴史観を持った人が中国大使には適任である。民間人から大使を選任するなら少なくてもサラリーマン社長でなく創業社長の企業人すべきと思われる。
鳩山由紀夫の考え方の素
世の中には優秀な人がいるもので、鳩山首相が辞任の時に述べた言葉「私は10年、20年先を見ている~」の件について私が考えていた答えを出してくれた方がいた。その方は、鳩山由紀夫のスタンフォード大学院の博士論文のタイトルが「マルコフモデル」であったことに気がつき、鳩山と言う人物は過去を参考にする学習効果を持っていない発想をしていたのかと指摘していたことである。確かに、マルコフモデルは現在の状況が未来に影響することを説いた学問であるが、私は更に未来から現在を語る鳩山由紀夫の考え方は、今IT業界で主流のベイズ統計の中で重きをなすマルコフ連鎖モンテカルロ法(MCMC)の影響があるのではないかと思えて仕方がない。将来を仮定して現在の解決策の回答を得る手法は、彼が言う正に「私は未来を見ている~」と一致する。通常の人なら学問で学んだ事と現実社会とは実務経験により区別するものだが、鳩山由紀夫の場合には学問を学んでから大学に教職を得たものの、ビジネス社会で揉まれる様な経験がなかったために自分の考えの拠り所は博士論文で学んだマルコフモデルに準拠していたのであろう。鳩山由紀夫は辞任に際し、更に「国民が声を聞かなくなった」と言ったが、これもマルコフモデルの影響で何度も県外移設を唱えると県外移設が実現するとの読みと理解すれば全てが分かる。鳩山由紀夫は宇宙人と言われるのが好きだったらしいが、私から言わせれば偏屈なマルコフモデル信奉者としか写らない。また、鳩山由紀夫がマルコフモデルを選択した理由は、学問的に優秀な弟「鳩山邦夫」を持ったがために過去を振り切りたいと思ったからと言ったら語幣があるだろうか。私にはそう思えてならない。
人間の質を教えられた本「この命、義に捧ぐ」を読んで
偶然に新聞に掲載された本の広告で「この命、義に捧ぐ」知り、購入して一挙に読んだ。私が興味を持ったのは主人公の「根本陸軍中将」が昭和20年8月15日の終戦以降も日本人の帰国を守るために武装解除しないで多くの日本人を無事帰国させたことである。命令が厳格であった軍隊において命を賭して中国大陸の内モンゴルで生活していた日本人を帰国まで守り抜いた根本博と言う一個人に対して驚いたのである。勿論、多くの日本人が無事帰国できたのは、当時の中華民国の総統であった蒋介石の温情によるものであった事も確かである。私が戦後中国から引き上げてきた人達や以前話題になった中国に残された孤児に人より興味を持っているのは、私の祖母と母が引揚者だからである。特に、祖父は引き上げ途中に病死した事もあり、子供の頃から日本陸軍の無責任さとロシア兵の横暴を聞いていたためである。私の母は相当お転婆だったらしく、戦前に遠縁の祖母を頼って満州に渡り、学校の先生や満州国の出先の行政機関の暗号係りをしていたとのことであった。しかし、祖父の関係で満州の奥地に居た為に戦争が終結した事も分からず、気が付いたら軍隊はいなくなっていたことを聞いていた。このため、異常事態に気が付いた民間の人達が団結して今の中国の大連市まで苦労して引き上げてきた事も聞いていた。しかし、駐蒙軍司令官の根本中将の様に4万人に及ぶ在留邦人を帰国させるために命を賭けた軍人がいた事を知って人間の質とは何なのだろうかと考えてしまった。根本博氏は戦後一民間人になったが、今度は蒋介石に恩を返すために台湾に苦労して渡り、命を賭けて台湾防衛に尽くした生き方は凄いのひと言である。この様な人物がいた事さえ知らされず、逆にシベリア抑留の張本人である瀬島龍三などが英雄視される日本を思うと今の無責任な日本人の生き方が良く理解できた。明治維新以降、多くの優秀な子弟が陸軍士官学校や海軍兵学校に学んで軍人教育を受けたのだが、多くの軍人の生き様を見ると人間の質を形成するのは教育だけではなくその出身地域や家系であるかもしれないと思った。ちなみに、根本博氏は福島県の農家出身であり、明治維新の時には逆賊と言われた地域である。
沖縄・普天間基地問題で社民党の離脱は茶番か?
鳩山首相が言明していたように沖縄・普天間問題は日米間で5月に一応決着を見た。昨年9月に衆議院選挙で民主党が圧勝して政権に就いたが、参議院では単独過半数の議席を有していなかったので、政策協定を締結して国民新党と社民党が連立政権に加わった。民主党のマニフェストを読んでいないので沖縄・普天間基地移設先を県外と明記していたかどうかは知らないが、社民党を連立政権に参加させるには政策協定で県外移設を盛り込まなければならなかったのは明確である。しかし、これまでの動きを見ると、鳩山首相が本当に県外移設可能と判断して動いていたかどうかは疑わしい。本当に県外移設を実現化する意図があるならば何等の根回していない徳之島の名前を出す事は考えられない。平野官房長官の無能さを指摘する新聞記事もあるが、平野官房長官は労働組合出身者であるので、日本の組合運動を少しでも知る人は平野氏は根回しの世界で生きてきたと思分かり、根回しをしないアクションなど行なう筈がないのを理解できる。それならば此れまでの鳩山内閣の普天間基地移設問題での迷走は何なのかと考えると、当初からの解決のシナリオとすれば良く理解できる。社民党からすれば今回の福島消費者賞大臣の罷免は政策協定違反の裏切り行為なので連立離脱しか道はなかったのだが、離脱後の会見で参議院選挙での民主党との協力関係は変えないと説明した様に国民からすれば正に茶番なのである。しかし、小沢幹事長にとって誤算だったのは、鳩山首相の演技下手で内閣と民主党の支持率が落ちたことと推定される。今後は選挙に向けて支持率の回復を目指して手を打つと思われるが、現時点では鳩山首相の電撃的な退陣となるかどうかは予測し難い。
共同開発の分譲マンションの引渡し検査に立ち会って
先日、当社が資産コンサルティングを依頼されているお客様から目黒区に共同事業で建築された分譲仕様マンションの引渡し検査の立会いを求められた。お客様は完成したマンションには住まないで取得3住戸とも賃貸に出す予定になっていた。久し振りの検査立会であったので、大手不動産の分譲マンションの仕様を見ることには興味があった。特に、建築工事がグループ会社の建設会社であったことにも別な理由で関心があった。それは、当社がアドバイザリーしている不動産ファンドの親会社が何件かの工事をその建設会社に発注しており、完成後1年以上経過した時点で問題が生じてチェックを依頼されたことがあったので、施工の質について興味があった。なお、この大手不動産は工事部門に大手建設会社のOBを100名以上を雇用して施工監理体制を敷いている情報を得ていた。改めて建設会社と言うのは発注者側の監理によって施工の質を変える事が分かったのは、今回のマンション引渡し検査の立会いであった。もちろん、発注コストにも関係するので一概には判断できないが、少なくても昔から競争入札による発注に関しては良い仕事を行なうと言う意識はない。競争入札にすると見た目は低価格で発注できたと思えるが、この発注方法は飽くまで発注先側に見積りをチェック出来、施工監理を行なえる優秀な人材を抱えている事が前提である。破綻した新興不動産会社や不動産ファンドなどは短気的な視点出しか物事を見ていないので、競争入札によって安く造ることばかりに熱中していたと推測できる。尤も、見積り落としに気が付かず追加工事費を求められて余計に高くなった建築工事も大分あったと思われる。グローバル経済でコスト管理が厳しい時代だが、その事はイノベーションによって努力するしかなく、知恵を使うことが最良の方法である。しかし、今の時代は本質的な事柄が見えずに仕事をしている人々が多く、これは失敗した人を再度起用して敗者復活戦を行なわせる事がなくなったインフレ経済時代の負の遺産である。成功してきた人ばかりを重要な仕事に就かせると謙虚さが失われ会社経営の危機の原因となる。失敗とは何かを考えると、何も遣らなければ失敗はしないのでポジティブに仕事を行なった人と言えるが、失敗した人は物事を悲観的に見る傾向が強いので、事象の転換点に人より早く気づくと思われ、会社に取ってはプラスになると思われる。何れにしても、能力がなければダメなのだが、挫折は人を大きくすることを忘れてはならないと思う。