姓名判断を信じている訳ではないが、少なくても名前は親が子供に対する思いを込めて命名するものなので、その人が育った家庭環境を反映していると考えられる。何故この様な事を今更書くのかというと、名前でその人となりがある程度分かると最近思うようになって来たからである。今の経団連の会長は、住友化学出身の人で名前は「弘昌」である。私はこの名前を見たときに親はこの子供に金を儲ける事が上手な子供にしたいと思いを込めたものと推定した。その後、この人のプロフィールを見て納得したのだが、戦前の朝鮮で一旗上げた一族を親に持ち、政商の類の一族と分かった。同じ住友グループの住友電気工業社長の名前は「正義」と言う人であることを日経新聞の夕刊の"こころの玉手箱"の欄に寄稿した短文を読んで分かったのだが、この人が"こころの玉手箱"に書いた内容を見て正に親の思いが伝わった生き方の人であった。この方の場合は敢えてプロフィールを見なかった。見なくても立派な生き方をした親であることが推測できるからである。経団連の会長職に就く人の名前が「弘昌」で相応しいかどうかは敢えて論じないが、今後の日本経済を占うには理解しやすい名前ではある。政治家にしろ、経済人にしろ、官僚にしろ、学者にしろ、その人が育った家庭環境は大事であり、幾ら学歴が立派でも人格的に最低な育ち方をしている人がトップに立つと問題が生じると思われる。今の日本はその事例には暇がない。
海上保安官による情報流失で分かった心の羅針盤を失った日本人
社会の規範・道徳がなくなった社会とは正に日本を指す言葉と言える。15年前の日本経済バブル崩壊後の失われた10年間に日本人は心の羅針盤を失った様だ。今回の流失事件の報道を見ていると国益と言う視点に欠けて全て法律論で論じられている奇妙さである。海上保安庁内のITシステムに開示されていたから職員は誰でも見れたので、その映像を世界中に流しても国家公務員の機密保持違反で起訴するのは難しいと言う議論には驚かされる。また、別な議論では、命がけで海の国境を守っている海上保安官に対して今回の尖閣諸島問題に対する政府の対応が良くなかったので、情報流失は当然であるといった報道である。そもそも論から言えば、公務員と言う存在は政党に対して不偏不党でなくてはならないと言う原則があり、自衛官、警察官、海上保安官及び消防隊員などの職種は危険性を理解して就く仕事である。それが命がけで業務を推進しているのに政府の対応が悪いからと言って個人の考えで情報を流失することが認められる事かと言う問題である。命が惜しかったら危険な仕事に就く事はないし、況してや何も公務員になることはないのである。特に、他の一般公務員と違って武器の携行が許される公務員の立場は重いものである。本当かどうかは不明だが、新聞報道などによれば情報流失した海上保安官は罪の意識もなく行為を正当化して言われるが、今回の事件は政府が不正を行った故の告発とは全く性格が異なるものであり、公務員が犯してはならない政治的な行動の類である。特に、今回の件は外国との関係が背景にあり、特に慎重に対応しなけらばならない問題であった。勿論、愚かな一個人の判断で大きな戦争に到った歴史は枚挙に暇がない。第一次世界大戦の引き金もオーストリア皇太子を襲ったテロ行為であった。日本の明治時代にも警護の警察官がロシア皇太子を襲った事件が思い出される。ロシア皇太子は怪我で済んだので戦争には到らなかったが、一人の行為によって導かれる結果の恐ろしさは歴史が証明している。尤も、この種の事件は政党政治が堕落して国民を省みない政治が行なわれている時に起きやすいのだが、過去を見る限りこの種の行為を国民が肯定したが為に後で払った代償(軍部の独走)が大きかった事を思い出すべきである。戦前の軍部の独走も若い軍人の正義感から出たものであった。しかし、政治を否定する事になる直接行動を国民が認めると国家の規律が乱れ、将来に禍根の芽を産む事になることを歴史を振り返って思い出すべきである。それでなくても心の羅針盤を失った日本人が漂流しているのであるから、今回の流失事件を起こした海上保安官に対しては最大限の処罰を与えるべきであると考える。
明治時代の国会と変わらない予算審議で予算項目を議論しない愚!!
誰しもが思い、誰しもが可笑しいと考える国会の予算審議で予算項目に対する是非を論じないで予算が決まることである。民主党政権になって初めて仕分け作業で予算の計上に多くの無駄があることを国民は知らされたが、本来なら国会の予算審議の過程で与野党が必要の是非を議論するべきものである。それが明治時代の国会創設以来、予算審議で予算に関して国民の前で議論された事はない。明治時代は予算の内容を分かるのは行政に携わった役人位であり、税収不足の中で予算を組めるかどうかが審議の対象であったのでやむを得ない面があった。然し、現代においては予算の仕組みや財政論に関しては周知の事実であるので、政府提出の予算に関して中味を議論するのは困難なことではない。それが相も変わらず国会の予算審議では政権打倒に向けた政府の欠点を指弾する場となっており、肝心の予算の中味に関しては国民の目に触れずじまいとなっている。特に、一般会計に関して論じる事があっても特別会計に関してはブラックボックスの様な取り扱いであった。地方議員も国会議員も予算を読むことが仕事であり、予算を読めなくては国民の利する代表にはなれない。しかし、実際には官僚出身の議員以外に予算を読み取れる議員が少ないのが現実である。野党議員などは官僚が資料を請求しても出さないと言って言い訳しているが、与野党問わず国会議員の要請に応じない権限は役人にはないので、もし出さないなら公の場にその役人を引きずり出して国民に問題提起すれば良いのである。大分古い話で恐縮だが、私の若い頃会社の仕事で東京都や中央官庁の各部署に予算を貰いに行ったことがあった。その時の役人との話だが、議員などは予算の仕組みなどに関して少しも勉強していないので何も分かっていないと軽蔑していたことである。東京都などは議会の為にポンチ絵を挿入した予算資料を作成しており、当時の役人が子供に説明するように作らないと議員は理解できないからと言ってたことが印象的であった。中央官庁に至っては、私が貰った予算について無知ゆえの質問をしたのだが、それに対して良く勉強している評価され、通常は出さない予算資料まで頂いた記憶がある。更に詳しい予算資料があるとのことであったが、それに関しては出しても良いが理解できないと思うので出した予算レベルで十分と言われたことが今でも鮮明に覚えている。今はどうか知らないが私の若い頃は行政側は要請すれば予算資料を開示したし、逆に仕事をしっかりと行なっている事を理解して貰いたい姿勢があった。役人が好き勝手にするようになった背景には議員と言う種族が余りにも勉強せず、政争ばかり行って肝心の国民のための政治の研究をしないためと思料する。その一つに予算審議おいて予算に関して議論しない悪習があると考えられる。予算審議で予算審議を行なわない愚が900兆円もの赤字国債の発行に繋がったのであり、この悪習を変えなければ議会制民主主義は形骸化してしまうと思われる。国会の予算に計上するまでには財務省と各省庁との攻防があり、その攻防の中味を知れば何故各省庁に財団法人が多く設立されたのかも理解できる。予算計上は突如として現れるのではない。必要を検証した上で計上されて来るのである。その過程を知らずして予算の無駄の議論が出来ない。少なくても解散のない参議院の議員は勉強する時間と機会があるので、予算審議で予算を議論しない愚を改善できる筈である。何れにしても、大臣になると省庁の代弁者になってしまうのは、仕組みが分からないために言いなりになるしか選択の道がないからである。勿論、議会には各委員会があるがそこでは役所が考える自分達の都合の良い議員の養成機関になっているから問題外であり、議員個人や党が独自に役所と議論できるブレーンと組織を有する必要がある。世代交代で若い議員が多くなっても従来と変わらない遣り方ならば意味がないのである。民主党の仕分け作業も結果を出すには役人に任せず党が実現のための法律改正まで踏み込まないと問題提起だけで終わってしまう。明治時代と同じでは国が滅んでしまうことを考える時期に来ている。
日本の農業
私は茨城県の県北の寒村の生まれなので農業には従事した事は無いが、曾祖母や祖母と両親が農業をしている姿を記憶しており、子供の頃から農村の風景を眺めていたので農業の歴史は良く知っている。特に、亡父が地方議員の時に農業協同組合の役員や県の農業委員の要職に就いていたので、当家には頻繁と日本の農業を語る人達が集合して議論を重ねていたのを見聞きしていた。戦後の農業は農薬と近代的肥料の導入で一時的には生産が飛躍的に伸びた時代があった。しかし、機械化の導入は遅れていたので人口集約産業の域を出ず、隣近所との共同作業で成り立っていた。1960年代以降は工業立国とする高度経済成長によって農村の働き手は都市部に徐々に流失し、農村は次第に働き手を欠く様になった。1970年ごろには既に「三ちゃん農業(お爺ちゃん、お婆ちゃん、お母ちゃん)」と呼ばれ、日本の農業の将来に悲観的な見方が広まっていた。今は2010年である。農業に悲観的な見方が出てから40年以上も経過しているのである。この間、政治家や農水省は農業のために何を行なってきたかであるが、最悪だったのは田中角栄と言う政治屋が休耕田による補償制度を導入して農民を堕落させたことである。日本の場合は個人農業が主体なので耕作面積も少なく、然も農業は平面的な活用なので幾ら肥料を投入して農薬で害虫から防いでも工場生産の様な効率化には限度がある。1960年代には米作りと麦作りには既に限界が見えてきていたのである。このため、椎茸栽培や根菜類の生産活動に力を注いでいるが、問題は農村から働き手が少なくなったので、併せて機械化も進めたのである。しかし、収益と機械化導入コストとの収支が合わない農家も多く、農家は借金だけが増えたのである。1970年代以降には日本人の所得も向上しパン食も増えたので多くの日本の農家は畑を麦作りを止めて野菜作りを始めたのである。当然に寒い地方の農家が1年中野菜つくりを行なうにはビニールハウスを建てて暖房を必要としたのである。暖房の燃料は石油である。この野菜作りもオイルショックと言う出来事に遭遇し、燃料コストが掛かり途中で止めた農家も多かった。もちろん、止めた理由は他に台風によるビニールハウスの被害もあり、自己資金が少なく借入金過多の農家はビニールハウス事業を継続できない農家が多かった事も事実である。産業界の意向を受けてTPP参加を促すマスコミなどは如何にも農業従事者が補助金や個別補償に甘えて農業の効率化を行なわなかったから国際競争力がないなどを無責任に報道しているが、日本の農業の歴史は豊かな社会造りのために工業立国化する過程で若い働き手を取られ、農業に対する国家のビジョンがない中で農業従事者は頑張ってきたのである。マスコミがインチキなのは今回のTPPの参加に関する農業の問題に関して農業関係者の意見を掲載させないことである。掲載したのは農業など経験した事がない東海JRの会長などの電機産業と比較して農業は効率が悪い業界になっているので、効率化を図れば国際競争力が付くなどと言う与太話である。もし、マスコミが農業問題を報道するなら40年で壊滅的に縮小した農業なのに農水省の組織は何故縮小しないで残っているのかについてである。記者クラブ制度に縛られた事実上の報道管制でその事実も報道できないマスコミに農業問題を論じる資格はないと言いたい。なお、農業問題に関しては、悲憤慷慨していても始まらないので、日本の農業を残してゆくためにはどうすれば良いかを日本人全体で考えるラストチャンスとする必要があると考える。当社も微力ながら日本の農業を残すために何か出来ないかを考えてゆきたいと思っている。
現実を「経済成長が必要」と言う言葉で誤魔化している日本
高齢化社会を迎えて消費が年々落ちて行くのを避けられない現実を単に経済成長がなければ景気の回復は無理と言うロジックで誤魔化しているのが今の日本である。医療技術の進歩で長生き出来る様になり、日本の高齢者の人口増加は目を瞠るものがある。少子化でありながら全体の人口の減少はそれほど未だ起きてはいない。しかし、今後はターニングポイントを向かえ、少子化対策を打っても老人の死による人口減少は避けられずに年々一定規模で人口は減少すると推定される。これが何を意味するかを考えて議論しているケースは未だ少ない。誰でも分かる事だが、出生より死亡が増える事はその分消費が減ると言う現実である。この現実を数字で表すと、一人の老人が経済に貢献している消費を月10万円とし、年50万人の老人があの世に旅たったとすると、年間6千億円の消費が消える勘定となる。現在約1億2千万の人口が2千万人減少して1億人になると、6千億円×40倍=24兆円の消費が消えることになる。もちろん、この減少分を若い人が消費すれば帳尻は合うのだが、現実には"勿体無い"とか"節約"と言う標語で消費を少なくする宣伝が横行しているので、国内消費で補填するのは無理な話であろう。そうすると、経済成長を実現するには輸出と言うことになるのだが、40年前以上の日本のGDPなら兎も角500兆円を越す現在では国内消費の分を輸出で補う事は不可能なことである。この現実を分かっていながら国内の農業を犠牲にして輸出企業に対する助成策を声高に叫ぶ馬鹿な国会議員や学者が多くいる。この議論は20年前の経済バブル時代に言い古された言葉であるが、未だ間違った議論が横行しているのが日本である。マクロ的な見方からミクロ的な問題に目を移すと、分かり安い例として居酒屋戦争で低価格店が鎬を削っていることで理解できる。不思議な話だが、経済バブル崩壊以降に居酒屋が林立するようになったのだが、居酒屋戦争は需要と供給のバランスを欠いた典型的な事例であろう。この様な事例は今後多くの業種で起きてくる現象であり、需要と供給のバランスが合うまで続くと考えられる。不動産業界でも然りである。先進国と言われる国々は豊かになるにつれ皆少子化高齢者社会になるので、人口減少と消費の減少と言う経済的な問題に直面する。人口減少を向かえる国にとって国内消費の減少をどの様に防ぐかが課題であり、そのひとつに観光業が上げられるが、所詮は微々たる消費であり、人口減少で落ちる消費をカバーできるものではない。国として考えなければならないのは先ず国家予算を如何にして人口減少に備えて仕組み構造を変えるかが最重要となる。日本経済の繁栄など一炊の夢であり、消費減少の実態で地方が先行して衰退している現実に目を避けてはいけない。
貸ビル業とは!!
貸ビルにおける入居率は経済的なファンダメンタルと関係しているが、日本に不動産ファンドなるものが入ってきてから貸ビル業に対するオーナーの考え方の変化が賃料デフレを助長しているのではないかと考える様になった。デフレ経済のために容易に賃料の引き上げは出来なくなり、不動産ファンドを運営するアセットマネジメント会社は建物の管理費に注目し、管理費を引き下げて実質賃料を増やしたのである。確かに、建物管理の経費には無駄な部分も多くあったと思われるが、管理費の経費節減が行過ぎるとテナントに対するサービス面が後退し、それが賃料引き下げ要請に繋がる恐れが多いことを殆んどのアセマネ担当者は無視している。貸ビル業の定義について論じるつもりが無いが、貸ビル業とは単に箱物を貸して賃料をとることではない。貸ビル業も今では世間に認知された業種であるが、40~50年前には水商売と同じ信用しかなかったことを銀行マンから聞いたことがある。簡単に言えば、昔はテナントの入居に苦労したと言う話である。このために、今日アセマネの担当者が行なっている様な箱物(ハード)を貸す意識ではなく、テナントに対するサービス、いわゆるソフトも合せて成立していたのが貸ビル業であった。不動産ファンドが成立する前の貸ビル業界の管理費は何故高かったのかは、貸ビルオーナーは箱物(ハード)とサービス(ソフト)を提供していたので管理会社にそれ相当の費用を支払っていたのである。それが不動産ファンドの考え方が主流になってくると箱物(ハード)だけを提供する流れに変わり、テナントの確保に大事なサービス(ソフト)を失ったのである。箱物(ハード)だけを借りている意識はテナント側にも浸透したので、テナント側はオーナーに遠慮することなく賃料引き下げを要請することになり、今日の貸ビル業界の姿となっている。箱物と言えば無駄な公共投資の典型と同じだが、良く考えると役所も公共サービスの提供なのに昨今の貸ビル業界と同様な考え方であるのに気が付いた。全ての業界が若い世代の活躍する場所になったが、箱物提供は正に時宜を得て急速に進んだと考えられる。その理由はサービスには経験が必要だが、完成した箱物だけの提供にはサービスが必要ないからである。サービスの提供を忘れた貸ビルには未来はないと考える。
今の韓国を見れば日本の進むべき道が見えてくる!!
私は20代の時に韓国経済の動向を調べる仕事に従事していたので韓国経済の発展と弱点を他の人よりは知っていると自負している。今日の韓国はオリンピックも開催し、韓国を訪れる日本人も多くなり、韓流ブームで韓国語を学ぶ人も多いが、当時は軍事政権であり、財閥系企業が韓国経済を支えていた。私が韓国経済の担当になって2年目に朴大統領が暗殺され、その暗殺に米国の関与が囁かれていた。当時の米国の大統領は敬虔なクリスチャンで平和外交を進めた民主党のカーター大統領であった。勿論、私は古い韓国の話をするために今回のblogを書いているのではない。1998年のアジア危機で韓国もIMFの指導を受けることになり、極めて厳格な財政再建を強いられた。一般ではその結果、韓国は日本より早く経済が回復し今日の快進撃があるように報道されているが本当にそうなのであろうか。確かに、韓国の製品は軽装備の低価格によって輸出を延ばしているが、この低価格路線は何もグローバル経済に合わせて出現したのではない。所謂、日本製品と比較して性能が劣る製品を海外に輸出するために機能の一部を付けないことによって低価格を実現していたのである。この考え方がグローバル経済で経済発展著しい発展途上国や中進国の民衆に受け入れられ、想定以上に効果を発揮したのである。勿論、私が韓国経済を担当している30年前でも円とウォンとの通貨の交換比率は10分の1であったのに今の通貨比率は韓国とっては相当有利に働いているのは間違いが無い。勿論、サムソンの様に技術的にも日本企業と肩を並べるか追い越した企業も出てきたが、基本的には未だ日本企業の方が勝っている面は多い。更に、国民性の問題である妥協を許さない激しい気質が経営者と労働者の関係にリスクが内在している。しかし、それ以上に今後の動向に注目したいのは韓国が国内の農業を犠牲にして輸出を拡大してきたことである。今年は異常気象によって韓国最大の野菜需要の白菜が不作で国内生産では間に合わなくなり、急遽中国から輸入したと言う記事である。日本人には余り知られていないが、韓国人の無農薬などの有機野菜つくりは日本より早く行なっており、健康に関しては日本人以上に気を使う国民である。それが国策によって畜産農家は既に経営難になっており、野菜などの生産も今後は自由化により経営的に苦しくなり、海外の輸入依存が増すと推察される。韓国は輸出指向を強めて欧州との自由貿易協定を締結したり、米国と豪州が提案する環太平洋貿易協定(TPP)に逸早く参加を表明している。ここでよく考えないといけない事は、欧州各国及び米国、豪州などは農業生産の自給率が高いのである。輸出のために国内の農業を犠牲にする政策などおこなっていないことである。環太平洋貿易協定(TPP)は欧州共同体の貿易囲い込みに対抗するために米国と豪州が行なおうとしていることであり、グローバル経済の考えかとは異なる。ある意味ではローカル的な考え方である。この貿易囲い込みにアジアとしての存在感が無い。ややもすれば、TPPは貿易に関する中国包囲網になる危険性が高く、日本は米国以上に輸出率が高い中国と対立するリスクが高まることも考えられる。現在の様な先が見えない時には先行している韓国の動向を見て動く事が大事である。明治維新の時には開国しない朝鮮が割を食ったが、今回は日本が割を食うのかそれとも国内の農業を放棄しない日本が生き残るのか。韓国を注視しようではないか。
証券化が無責任社会を作り出した!!
1970年代に米国で始められた住宅ローンの証券化は1990年代後半から勢いが付き、2000年以降にはあらゆる債権が証券化されて販売された。リーマンショックの引き金となったサブプライムローンは証券化の一部に過ぎない。証券化の問題はお金の貸してである金融機関や建築主のデベロッパーの無責任さを助長させた。今となれば誰でも分かる事だが、証券化以前は住宅ローンは貸してが30年の年月を掛けて元利を回収したのである。しかし、証券化以降は直ぐに資金の回収と利益をもたらしたので審査基準が甘くなった。銀行の審査が甘くなると建築物の作り手のデベロッパーも時間と手間隙を掛けて良いものを作る考えが希薄になった。この様に書くと、識者は証券化に対しては厳格なデューデリジェンスを行なっている筈ではないかと反論が出ると思うが、組成する金融機関や企業は裏づけとなるローンを完済させる監督やデューデリジェンスを行なうインセンティブを殆んど持たないので、義務を果たす存在ではなかった。本来なら証券化を支援する証券会社がチェック機能を持つべきだが、この義務を果たさず、関係者全員がローンをまとめて販売し、簿外に移すことだけを意図していたのである。格付け会社なども格付けすることで大きな手数料を稼げるので、インチキ格付けを平気で行なったのである。ちなみに、米国では「職なし、所得なし、資産なし」の人に貸したNINJAローンあったそうだからモラルハザートどころではない。日本のバブル経済崩壊の金融機関のモラルハザートに対して米国などは非難を浴びせたが、日本の貸付や建築の状況は今回の米国ほど酷くはなかった。米国の証券化手法が日本にも導入された結果、物づくりの心を忘れたデベロッパーが多く出現し、リーマンショックで多くが消えていった。しかし、証券化が作り出した無責任社会はまだ続いており、この弊害は今後も続くと考えられる。要注意である。
世論とは
情報化の時代になり人々もマスメディ以外のインターネットによって情報を得ることが出来る様になり、マスメディアが提供する情報で世論が操作されていた事実をしることになった。基本的には新聞など営利事業であり、広告を抜きにして経営が考えられないことを理解すると日本で言えばトヨタに対する悪い記事には手心を加える可能性はある事は承知の事実である。翻って、新聞などに広告を出さない企業が何か社会的な問題を出すと一面に書かれてしまうことも事実である。更に、日本の記者クラブ制度は最も世論誘導する情報の提供の場であり、記者クラブ制度の互助会組織がなくならない限り日本の報道機関の中立性など笑止千万である。日本人は古来から教育水準が高く識字率も世界で最高水準であるがために一般紙の購読者は世界に類を見ない程である。日本人の多くは新聞報道を信じているがために無批判的に受け入れ、それが世論となっている。そう言えば、毎日新聞記者上がりの「鳥越俊太郎」氏などは、世論はリークされた新聞記事で動くので信じないと言っているが、語るに落ちた発言であろう。私自身も高い学歴と職歴を持っている人達が新聞報道の記事のままに自分の意見を構成しているのには度々驚かされた。この様な日本人に対して米国が世論を旨く誘導して日本をコントロールしている事は良く知られた事実である。以前にも書いたことがあるが、国税庁と税法的な解釈で争った会社が新聞に脱税報道をリークされ、その結果金融機関から融資を拒絶されて倒産したことがあった。この会社の社長が東京国税局で自殺を図ったことを後で知った。権力者側が一方的に情報をリークし、新聞などのメディアが何等の検証しないで報道する姿勢は憤りを感じるものである。勿論、情報化の時代になって漸く国民の新聞以外の情報も入るようになり、新聞などの情報を無批判的に受け入れる姿勢は一部ではなくなってきた。しかし、未だ大半の人は新聞・TVの報道を疑問を感じないで信じており、そういう意味では世論の信頼は低い。特に、マスコミが報道する世論調査などは質問設定如何によって何とでもなるので最も信用が出来ない代物である。選挙期間中には世論調査の発表など百害合って一利なしなので規制するべきと考える。この様にマスコミ批判を展開してきたが、良く考えると情報化時代のIT技術は米国の軍事技術から生まれたことを思い出し、米国などはマスコミ操作ではなくIT操作によって一国を情報操作する技術を確立しているのではないかと危惧を感じた。このため、流される情報に対しては直ぐに反応しないで誰が得するかを考えて真偽を判断するべきと思っている。そうすれば大きな間違いは犯さないと考えられる。また、blogのテーマが横道にされてしまったが何時の事なのでご容赦願いたい。
中国の不動産バブルは当面崩壊しない!!
中国の不動産バブルは何時崩壊するのかと相変わらず誌面を賑わしている。これまでの予想だと上海万博後と言われてきたが、その予想を裏切るように中国政府は上海万博閉会前に市場金利を上げてきた。中国の不動産バブルは中国政府が指導してきたものである。日本など欧米諸国の様に市場原理主義では動いていないので、市場の声で翻弄されるリスクは小さい。資本主義と民主主義を取り入れた国では歴史的に見ると大小はあるものの定期的なバブルと崩壊によって苦しまされてきた。資本主義は人間の欲望を肯定した制度なので果てしない欲望がバブルを発生させ、然る後に崩壊すると言う流れは防ぎようが無い。1929年-1933年の大恐慌はその後の世界経済の低迷の中で第二次世界大戦を引き起こしたのは承知の事実である。この反省により、これ以降は人間の欲望を抑える制度(銀行業務と証券業務の分離など)やバブル崩壊後の救済制度(IMF、世界銀行の創設など)によって30年程度は日本やドイツの様な高度経済成長はあったが、世界にバブル発生~崩壊はなかった。しかし、貿易の機軸通貨となったドルの発行国の米国がベトナム戦争の深入りで戦費が嵩み財政赤字となっために世界は再び為替の自由化が始まりそれまで安定していた世界経済は不安定になってきた。米国はその後20年掛けて財政収支と貿易収支の双子の赤字の解消を進め、2000年には財政黒字を実現したのは評価できる。だが、財政赤字を解消するために小さな政府と金融緩和がその後のリーマンショックを引き起こしたのは否定できない。この辺の事情は多くの書物に書かれていることなので割愛するが、中国は資本主義だが民主主義ではなく共産党一党独裁である点である。中国は歴史を学んでいるので何がバブルを発生させ崩壊させたかは熟知していると考えられる。1929年の世界大恐慌時に無傷であったのは世界経済から孤立していたソ連だけであった。勿論、今の中国は世界経済と連動しているので今回のリーマンショックは影響を受けているが、問題は民主主義の国家と異なり、危機に対して敏速に対応できる点である。今日の情報化の時代には日本企業も合議制のサラリーマン役員の会社でなく、敏速に決断できるオーナー企業の会社が評価されるようになった。政治体制も同様であろう。情報化の時代には敏速に対応できない民主主義は合わなくなってきている。尤も、資本主義と民主主義の結合が経済バブルと崩壊の原因かもしれないと最近考えてきており、それが経済の需要を生み出しているかもしれないと考える。何れにしても、中国の貿易収支が大幅な黒字である限りは不動産バブルに対して調整が可能と思われるが、中国の経済バブルを崩壊させて不良債権のホールセールで儲けたい連中との今後の中国政府との攻防は見物である。