厚生労働省が課長通達で処理した年金問題で世間を騒がしている。年金に関する事ばかりでなく行政側の国民に対する広報活動は受動的であるが、最近のトレンドの自己責任と言う考え方からすれば知る努力を怠った者が悪いとなる。しかし、行政サービスと言うことからすればサラリーマンから自営業に変わった時点で役所から専業主婦に対して年金加入の通知を出す位の親切があっても良いとは考える。前長妻大臣もその様に考えたかどうかは知らないが、行政側の落ち度として救済措置を講じたのである。しかし、その措置が不公平であるとの声が出たために急遽取り扱いを中止したのだが、今回はこの議論ではないので取り敢えずその問題を横において、本題の通達で処理したことに言及したい。本来ならば国会で議論する必要がある問題を簡単に課長通達で処理できる制度が官僚の権限を大きくし、惹いては国会議員の存在を貶めていると言っても過言ではない。では何故この様な強力な権限を官僚に持たせているかと言うと、日本国会の与野党対立の中で政治不在が続いたからだと推定できる。また、国民生活などに大きく影響がでる問題に関しても政治家は政治闘争で国民を省みないことが多いので緊急避難措置的に与えた権限と考えられる。しかし、この権限は考え方によっては国会を軽視しすることになり、三権分立の考え方を根本から揺るがす問題でもある。先の年金問題も正式には法律を改正して対応するのが当然なのだが、すべての議論を政争の具にされると言う観点から、法律の改正を待っていたのでは遅すぎると言う理由で現場処理しており、その正当性を与えている。政治家が官僚から政治を取り戻すと言う声が最近頓に聞かれるが、政争ばかりで政策の議論をしない国会の存在が官僚に権限を持たせたことを知る必要である。民主党が政治主導を唄って政権に就いたが、行政の何たるかも知らないで民間のビジネスモデルを持ち込んでも行政は機能しないのである。国民は官僚を非難する前に如何に政治が機能していなかったかを知るべきであり、その上で官僚に持たせた権限の必要性を論じる必要がある。勿論、官僚組織は規制しないと増殖する習性があるのだが、これに関してもチェックするのは政治である。国民の一部には前原外務大臣の辞任に対して金額が小さい事を理由に庇う発言が聞かれたが、法律を守るということは金額の多寡ではないことを肝に銘じるべきである。今の政治には時間軸の速さを正当事由に「言葉の重み」など否定する風潮にあるが、政治家が「言葉の重み」を否定したら社会に欠かせない信頼がなくなくなる。最近のマスコミなどは平気でマニフェストを否定しても問題ないと書いているが、国民に対する約束を破るなら如何なる理由があろうとも議会を解散して国民に信を問うべきである。長期政権が出来ないために日本経済が低迷しているなどと言う幻想を国民に持たせているが、今の日本が駄目になった理由は正に「言葉の重み」を省みず、平気で約束を破る社会になったからである。それは政治とマスコミの責任である。官僚を悪者にしても何の解決にもならない。
日本政策投資銀行の職員のTV出演時のコメントに唖然
日曜日の午前中にTBSの番組でサンデーモーニングと言う番組がある。6日にはゲストとして日本政策投資銀行職員の藻谷と言う者がゲスト出演していた。司会の関口宏が当日の多彩なゲストに対して色々な出来事に関してコメントを求めるのだが、藻谷ゲストも幾つかのコメントを述べていた。この藻谷ゲストは日本のデフレ経済は人口減少で起きていると言う見解の本を出版した話題の人物であった。幾つかのコメントのうちに日本経済の景気回復に言及したときであるが、彼は政府の対策には限界があるので、景気を良くするには国民一人一人と企業が持てる資金を景気回復のために使うことを考える必要があると発言した。この発言は正論の様に思えるが、実はこの発言では日本経済が低迷から脱しきれない重要な点を取り上げていないのである。何故企業や国民が前向きにお金を使わないかは政治不信があるからである。将来に増税や年金支給の時期や金額に不安がある社会で国民はお金を使わないし、政治家が国家のグランドデザインを示さなければ企業は投資できないのである。国民誰もが景気回復にはお金を使う事くらい知っているのだが、政府系金融機関に勤務している藻谷ゲストには理解できないらしい。藻谷ゲストの発言の裏には企業と国民の"おねだり"先入観が根底にあると考えられる。赤字国債が増加するにつれ増発の責任を国民に転嫁する様な発言が出てきているが、国民は国家予算についての知識などないし、予算を動かす力もないのである。碌でもない政治家を選らんだ責任はあるとしても、実際の国家予算は国民などを無視して政治家と官僚が決めてきたのである。自分達の責任を回避した発言は言語道断である。先の藻谷ゲストの発言を聞く限り、彼が書いた本も偏った考え方に基づいたものと推定できる。
米国とアーミッシュ
私のblogを読んだ人は私を反米主義者と思うかもしれないが、別に米国が嫌いではない。元総理大臣の小泉純一郎みたいにプレスリーが好きだから米国全部が好きになる単細胞でもない。子供の頃はTVで米国の西部劇や豊かな社会のホームドラマを見て育ち、学生時代には勉強もしないで映画、特に米国映画に魅了されていた。当然に現代の様な情報化の時代ではないので世界とは米国の事であり、米国には想像も付かない豊かな社会があると憧れてもいた。しかし、米国に対する考え方が一変したのはベトナム戦争や沖縄出身の学生のパスポートを見せられて米国と言う国の現実を知ってからは、米国民の意思とは懸離れた産軍共同体の化け物の存在も理解した。更に、カークダグラスと言う俳優が演じた「アメリカの憂鬱」と言う映画を見て競争社会における厳しさを垣間見た。しかし、米国にはアーミッシュと呼ばれる近代を否定して生きる存在を知った時には驚きであった。日本の様に誰もが金太郎飴である社会ではなく、個性的に生きることが許される社会と言うのが本当の民主主義かもしれないと考えた。民主主義とは選挙を通して選んだ議員や首長による政治を行なっていることを指すのではなく、色々な主義主張の考え方を否定しないで受け入れることが本当の民主主義ではないかと考える。そういう意味では日本人は民主主義を真に理解した国民ではないと思われる。米国社会にアーミッシュが存在する限り、米国の国家は兎も角、少なくても米国民は嫌いにはならない。日本人の多くはリビアの紛争のことを知っているが、米国人の圧倒的多数は知らない。それは自分達の生活とは直接には無縁だからだ。最近思うのだが、日本の新聞は何故こんなに海外のニュースを流すのかと思う。真実なら未だしも情報操作された記事を日本国民に伝えている。海外のニュースを流すなら足で歩いた国内の記事を流せと言いたい。海外問題で騒いでいる間に重要な事が国民の知らない間に決定されていることを日本人は知る必要がある。金儲けしか考えず、他人の配慮を忘れた国民を作り出すのはマスコミの責任だ。
今起きている事と過去の出来事を検証すると見えてくるものがある
どの様な理由か不明だが、民主党の小沢と鳩山は米国と距離を置こうとした結果、権力から排除されようとしている。逆に、学生運動出身の菅と仙石は自民党の小泉純一郎と同じ米国追従に方向転換し、権力を維持にやっきだ。菅の強気の背景には米国の支援を感じ、正に菅を支援するために米国がマスメディを使って保護するかの動きが見られる。1970年代の過激な学生運動時代に書かれた米国のレポートでは、日本は発展途上国の様に反米政府が出来た時には軍事的な手段でなく、新聞報道などマスコミを通して倒せると言うことが書かれていた。このレポートも情報開示の制度の中で世に出てきたものである。日本はマスコミ操作で政権を倒せると言う実験は米国の日本占領政策で学んだものと考えられる。戦後に大規模な労働争議が行われた時に今でも謎とされる「下山事件」、「帝銀事件」、「三鷹事件」など新聞を賑わし、国民の目を別な方向に導いた事件が相次いだ。翻って、菅政権が発足してからを見ると、「相撲八百長事件」、「大学入試携帯事件」などが起きている。今後も国民の目を菅政権から離す事件が起きる可能性が高いと思われる。米国と言う国は人間の心理を研究しており、その研究をもとに経済分野などに応用しているので誰もが疑いもなく動かされてしまう。世界的な事件で分かりやすいのは、リビアの報道である。カダフィ親子がイラクのフセインの様に悪玉として報道されている。その報道には、カダフィが反政府勢力はイスラム過激派なので米国に手を組もうと言うのがある。リビアがイスラム過激派と対立していた形跡はないのが、急に浮上した。冷静に考えるとリビアの反政府勢力に政府の軍事力に対抗できる武器を提供したのは誰かと言う事である。アフガン紛争でも不思議なのだが、無尽蔵な武器が何処から現れるのかである。リビアで言える事は反政府勢力に武器を与えているのは間違いなく米国である。カダフィ一族の海外資産1兆円、エジプトのムバラク一族の海外資産1兆円などの報道は、イラク戦争時の大量破壊兵器の類と推定できる。中東から開始された騒乱は、宣戦布告なき情報戦争の開始であると思われる。その結果で起きる事を想定すれば、見えてくるものがある。
企業の遺伝子
遺伝子の継承は生き物だけでなく企業にもあることが良く分かった。新入社員として入った会社の社訓や理念、経営者の考え方が否応なしに遺伝子として継承されるから怖い。今更と思われるかもしれないが、本当に最初に入社した会社の選択が問われる時代だ。大分古い話、今から32年前の事だが、当社が実質的に行なっていた平河町のマンションプロジェクトで、大京に分譲部分を譲渡した時の出来事である。大成建設に工事を発注したプロジェクトだが、大京は当社の仕様を大京基準の仕様にグレードアップする追加工事を行ったのである。幾らインフレ時代とは言え、都心の高級マンションの需要は少なく、販売に関しても未知数であった。ひと言で言えば創業者の横山社長は「物づくりの心」を持った人であった。良いものを社会に提供することで会社が存続する事を理解している人でもあったと思われる。その大京も昭和バブル後には銀行管理に入り、更に大手リース会社の傘下に編入されたので、創業者の思いは既に企業の遺伝子として継承されなくなった様だ。過っては不動産業界に大京のOBが創った不動産会社が多く出現し、大京は不動産学校とまで言われた時があった。この時代は大京の「物づくりの心」を継承したOBが良い仕事をしていた。平成バブル崩壊後までは大京に変わり不動産学校として多くのOBが創った不動産会社としてはリクルートコスモスが存在感を示している。しかし、残念なことに求人広告会社出身の江副が創業したリクルートコスモスは、「物つくりの心」など当初から持っていなく、最初から「見た目重視」の進出であった。勿論、「見た目重視」を否定するわけでなく、現在の流れを見ると時代を先取りしていた事が分かるが、問題はプロジェクトの採算性を高める手法に問題があった。某会社のデューデリジェンスで建築診断した建物など行政への働きかけが失敗した結果が良く分かるものであった。リクルートの江副は不動産業界では政商として政治家に働きかけて容積割り増しを得ての手法であった。この手法には当然汚職が絡んでくるのであり、この事は新聞にも報道されたので承知の事実である。江副が政界を振動させた疑獄事件で失脚したが、江副の創り上げた不動産会社のOBが正に江副の遺伝子を継承して多くの不動産会社を社会に送り出したのである。勿論、江副の手法のうち、政治家に働きを掛ける不正な部分は継承していないが、「物つくりの心」から懸離れた「見た目重視」の仕事を継承したことは、本体及びそれらOBの創った会社の殆んどが平成ミニバブル後に破綻し他企業の傘下に置かれたことでわかる。住まいは人の夢の実現である。その夢に「物つくりの心」を持っていない会社が進出しても長く存在することは出来ない。近年はコスト削減の流れで「物つくりの心」を評価されない環境ではあるが、その心を失った会社の末路は破綻しかない。それと不動産業界に大切なのは「言葉の重み」だが、それも今は死語に近い。勿論、消費者がそれらを望まないのであれば一人相撲になるのだが。
中東問題からの深読み
意図的か偶然かは分からないが、先のリーマンショック後の世界経済の金融の過剰流動性が安定的に推移してきた中東の長期政権国家を揺るがしている。中東諸国は宗教と部族の二つのキーワードが存在し、今回の民主化の先を読む事は難しい。然し、ひとつ言える事は中東はイスラム教であるので欧米型のキリスト教民主主義の国家に生まれ変わる可能性は低いと考えられる。このため、短期的には欧米が喜ぶ民主化が進むように見えるかもしれないが、その後は欧米に対立する政権が出現する確立は高い。一方、中東の民主化の波及を中国に期待する欧米諸国であるが、もし中国で混乱が起きると日本経済は中東の混乱によって引き起こされる原油高の影響どころではない。日本人は能天気に考えているが、日本企業が中国に投資している規模や中国の景気による恩恵は計り知れない。キリスト教民主主義の国にとってはイスラム教の繁栄は悪夢である。同時に黄色い人種の繁栄も又脅威である。しかし、米国はこれ等の悪夢や脅威に対して情報の独占化による優位性による支配を試みている。グローバル経済はその前提にあるのは平和である。平和でなければITによる自由な商業が損なわれてしまい、21世紀型経済の効率性とコスト削減の魅力を失ってしまう。オバマ大統領が情報産業の経営者と緊密な関係を維持するのは、正に21世紀では情報を征服した者が覇者になることを見通しているからと思われる。イランの原子力などが外部からシステムを攻撃されたが、今後は宣告なき情報戦争が行なわれる可能性は高い。クラウドは確かにコスト面から考えたら利用価値は高いが、反面情報が集中して読みと取られるリスクも少なくない。何れにしても米国は独占化した情報産業を武器に世界に君臨する野望は捨てていないと考えられ、今後は中国に対してどのようなアクションを起こしてくるかである。歴史的に中国は半ば植民地化した苦い過去を忘れてはいないので、米国が中国に情報戦争を仕掛けたりすると日本に大きな被害をもたらす可能性がある。この様な展開を見ると、円は徐々に下がり円安に向かうと推定され、資源高・食糧高の影響により日本国民の生活に悪影響が起きるかもしれない。しかし、一番懸念されるのは、日本が中国と対立するように仕掛けられ、両国に緊張が起きる事である。尖閣諸島事件などは正に将来を暗示する出来事である。このため、アジア人同士が争わないために、岡倉天心の「アジアは一つなり」の精神でアジア諸国との平和的な共同体の構築を目指すことが日本の役割であると思料する。
地方分権は情報化時代の必然
グローバル化がローカルに関心を向けさせるのは必要条件であり、十分条件は情報化時代の地方分権の必然性であろう。情報化時代には中央集権政治システムでは機能しないことは歴然である。勿論、中央政治の全てを否定するつもりはないが、時間軸が速く、距離感をなくした情報化の時代に全てに対して中央で指令を出す政治は弊害が出てきたと思われる。今、地方から政治・行政の改革の動きが出てきたが、この動きの最終目標が単なる中央集権政治を温存する動きならば意味がない。地方の再生には権限と資金を与えて活性化を図る以外に方法はない。今の中央集権政治は金太郎飴的な遣り方であり、情報化以前には有効であったかもしれないが、情報化の時代になり、地方が直接海外と繋がれることになり、過去と大きく状況は変わった。国の縛りで身動きが出来ない現体制ではグローバル化に追いついてゆけないし、成果を得ることは出来ない。ネットワーク社会には地方分権の強化によって国同士の取り決めでなくローカル同士の取り決めで動けるシステムが必要であり、そのモデルは古代の都市国家にあるかもしれない。現在の国という存在が宗教的、民族的な範囲を超えて形成されているために一方の勢力によって弾圧される悲劇が起きている。宗教的民族的な小単位で集団が結成され、その集団がネットワークで結ばれる社会が情報化に合ったシステムと考えられる。そういう意味では、米国の中央政府と州との関係は規模的には大きすぎるが、基本的な考え方では参考に出来る。地方がどの程度国との独立関係を有するかが機動性のある政治が行なわれる目安であると思料する。地方からの改革が過渡期の動きであるために国会議員との連携を模索しているが、この模索は百害合って一利なしである。況してや小沢一郎などと連携を模索するならば日本を金権主義に陥らせた田中角栄の亡霊を呼び起こすことになり、改革の先が見えている。政治は力であり数であると言う論理に縛られている間は過去の政治から脱却できない。東国原前宮崎知事の無能で危機管理能力も無い輩を人気取りだけで引き入れる考え方も賛成できない。小さな政府と大きな地方が情報化時代に対応した政治システムと理解した人が多く出てくれば期待が持てる。真の政治家とはグランドデザインを考える人であり、官僚をその実現に向けて動かせる人である。官僚から政治を取り戻すと言う標語自体が間違いであるのを早く気が付かなければならない。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留)の心
メレル・ヴォーリズが近江八幡で残した足跡は偉大であったが、その功績は時間の流れと共に記憶の彼方に忘れ去られた感があります。明治時代に若くして当時で言えば未開の地に語学教師として来日し、太平洋戦争直前に日本を愛した故に帰化した姿には人間の尊厳さとはどの様なものであるか教えられます。何故、私のblogで彼を今取り上げるかと言うと、一つは彼が日本で築いた事業が当社と同じ建築設計事務所であったことであり、建物を設計する仕事に従事する経営者の考え方に共鳴するからです。二つには、日本が太平洋戦争に突入するのが避けられないと分かった時に敗戦後の日本の復興に助力するために敢えて日本に帰化したことです。更に、三つには、戦後の日本及び日本人を考察し、日本人の教育・生き方の中に倫理・道徳が抜けている状況を憂い、今日のお金中心主義の倫理観を喪失した社会の末路を予見していたことです。当社の事業のひとつである建築設計については、ヴォーリズが一貫して守ってきたことは「建築様式で人を驚かせる様なことでなく、簡単な住宅から複雑で多様な目的を持った建築に至るまで、最小限度での経費で最高の満足を請け負うために確かな努力をすることである」と言う理念に共鳴するからです。また、ヴォーリズは建物に対してはそれぞれ使う用途に関して目的に添った役割があるので、建築を個人的な気まぐれや思い付きで着飾り、自己宣伝のために広告塔や博物館向きの作品の様に心得て設計すべきでないと説いています。建物の風格は人間の人格と同じく、その外観よりもむしろ内容にあるとまで説いています。私が今振りかえってこれ等の言葉を反芻すると正に現代の建築の愚かさを指摘しているものと思われます。メルル・ヴォーリズが現代に生きていたら当世風の建築デザイン、特に住居のデザイナーズマンションなどはどの様に見るのでしょうか。メレル・ヴォーリズは晩婚であったが、日本女性(一柳満喜子)の伴侶と生涯共にした姿も現代の男女間にはない絆の強いものであった。私が不思議な縁、それは全く偶然といえるのだが、一柳家は海賊大名と言われた九鬼家の縁戚であり、戦後日米の交渉で登場した白州次郎は九鬼家の家老職の末裔であったことです。一柳満喜子と言う女性は当時では珍しく父親の言いなりで結婚をすることなく、米国留学などを経て30才過ぎてメレル・ヴォーリズに運命的な出会いをした。正に、誰かが用意していたかの様な二人の出会いを考えると、宇宙の森羅万象の不思議さを思わざる得ない。メレル・ヴォーリズが来日し、建築分野で多くの実績を残したが、彼がコロラド大学で建築学的な知識を学んだものの本格的に建築を専攻したわけでなかったので、最初は評価が低かった。特に、メレル・ヴォーリズの建築に対する考え方が、専門家達を集めて行なう方式であったので、一人が光る他の建築事務所とは方法論を異にしたためと言われています。しかし、建築を芸術と科学の結合と捉え、耐震、耐火、衛生、空調などに精通する専門家達がそれぞれ自分の考え方を表現し、相互に助け合う組織を作り上げて建築に臨むことは一人の優秀な建築家の仕事より価値あるものと考えます。尤も、今の時代は正に一人の著名な建築家による作品が評価される時代だが、それらの作品に芸術性はあるが、科学が伴っているのか危ぶまれます。当社は一人の著名な設計士はいないが、少なくても芸術と科学の結合たる専門家達はいますので、ヴォーリズの心に近いかもしれません。
日経の論説記事「原子力もガラパゴス」に反論
日本経済新聞の論説委員・滝順一氏が書いた「原子力もガラパゴス」の論説に反論したい。滝論説委員は1月に政府が開いた原子力委員会の会合で「ガラパゴス化している印象がある」との意見がでたことを根拠に件の論説を展開しているのだが、先ず滝論説委員に問いたいのは原子力委員会で誰が「ガラパゴス~」の意見を出したかその者の名前である。日本の原子力行政に携わっているものなら原子力の技術がどの様なものか熟知していると考えられ、日本の原子力発電所の安全規制に対して軽々しい意見が言えるわけがないからだ。捏造とは言わないが、少なくても原子力の技術に詳しいものの発言ではないことは自明である。何故なら、原子力技術は技術者なら誰もが知っている「原子力技術は完成されたものではない」と言う事実である。この事を知らずして原子力の安全に関して言う資格がない。滝論説員は原子力発電所がトラブルの為に新たな検査を付け加え、世界でも稀な非効率な規制を生んだと書いているが、原子力の大事故がどれほど悲惨かは過去の事例で証明されている。そのため、ドイツやアメリカでは新規の原子力発電所の建設を長い間中止してきたのである。それが時間の経過と共に事故の経緯や原子力の技術に関する知見が失われ、環境問題などと絡めて原子力発電所の建設が世界中で浮上してきた。滝論説員は日本の現行の検査システムが専門家の意見を借りて安全性が高まったとはいえないと指摘し、逆に検査の強化が国民にリスクを増してしまった恐れがあると書いている。そしてこの責任を電力会社と政府の規制当局の両方にあると指摘しているが、幾ら原子力の技術に疎いといっても余りにも酷い記事と言わざるを得ない。常識的に考えて電力会社が意味もない検査の強化を受け入れるわけがないのは自明だ。滝論説員はグローバル市場で世界標準から懸離れた島のおきてしかしらないで原子力輸出競争に勝てるのかと書いている。日本経済新聞が幾ら業界紙で、企業の広報宣伝誌とは言え、余りにも無責任な発言には憤りを感じる。戦前、日本軍部が勢力を増し、無謀な戦争に駆り出した責任は正に新聞の無責任な報道で国民を煽ったからに他ならない。その誤りを今度は別な形で犯そうとしているのは危険極まりない。日本の原子力発電の安全基準は世界標準になるもであり、決して非効率な規制ではないのである。滝論説員は日本の原子力発電の稼働率はトラブルなどにより低いと指摘してるが、この指摘は木を見て森を見ずの類である。日本国内では重厚長大産業の時代が去り、グローバル化で国内の工場が減少する中で電力設備は過剰なのが実情である。このため、事故後の地域住民を配慮して慎重な対応を行なっているのであり、電力需要が旺盛であれば原子力発電の稼働率を高めることに注力するのである。また、原子力発電の保守作業員にも言及し、日本が欧米と比較して点検期間が長く、効率の悪い作業が多いので放射線を浴びる1人あたりの量は多くなっていると指摘しているが、この問題は作業員が高齢化してなり手が少ないと言う事情を全く考慮にいれていなく、議論のすりかえである。その上、滝論説員は日本の原子力技術は世界最高水準であり、輸出を阻害するのは制度と馬鹿の一つ覚えに書いているが、新幹線のことも知らないのかといいたい。今の時代は技術などそれほど差がないのであり、差がでるのは運行・管理面のソフトの方である。原子力も正に技術など完成されたものでないので、尤も重要な点は運転・管理のノウハウである。最近の風潮の非効率とコストアップの問題が取り上げられるが、非効率などが安全を確保していることを忘れている。惑星衛星のはやぶさが何故帰還できたのかを思い起こせば良いだろ。無駄とも言える機能を付加していたために想定外の事故に対して対応できたのである。原子力発電の様に大事故が起きたら被害が甚大になるものにまで当世風の効率と言う概念を持ち込むべきでない。滝論説員は最後に原発輸出をしたいから国内制度を改めろといいたいのではないと付け加えているが、笑止千万である。一度、原子力の技術について勉強しろと言いたい。
チュニジア・エジプトは本当にツィッターやフェイスブックの普及だけで民衆が立ち上がったのか
チュニジアやエジプトなど中東諸国で民衆の怒りが爆発しているが、この民衆の蜂起に対してマスコミなどは情報化の推進で全てが起きたかのような報道を行なっている。確かに、情報化の時代でなければ今回の様に扇動者がいないデモは起きなかったと思うが、民衆の蜂起が何故起きたのかに関しては就職難を指摘しているだけに過ぎない。マスコミが指摘している就職難は今に始まった訳ではないので、民衆が我慢できなくなったことが背景にあると考えなければ真実は理解できないと思われる。それでは何が原因で起きたかを推測すると、リーマンショック以降に先進諸国の景気対策によって世界中に過剰流動化したマネーが資源・食糧などの価格を上昇させたことでぎりぎりで生活していた民衆の我慢の限界を超えたのとではないかと思われる。日本は円高が起きたので資源や食糧のコスト上昇を吸収しているので実感が湧かないが、経済が停滞している国々では民衆の生活に大きく影響しているのではないだろうか。然も、米国の景気対策で多くのドルが世界中に投機資金として使われているために、必要以上のインフレを招いているのではないだろうか。NYの友人から交通関係の値上げで料金がかなり高くなっていることを聞いたが、デフレ経済に陥っている日本に居ては分からない世界中に起きているインフレに対する悪影響が出てきているのかもしれない。その上、天候不順で資源・食糧の供給に影響が出てきているので尚更多くの国の末端に属する人たちにはインフレの影響が出ているのかもしれない。もし、マネーの過剰流動性の悪戯で世界中で問題が起きているならば今後も多くの地域で同様な混乱が起きる可能性があり、その結果は必ずしも民主主義の国家になるとは限らない。日本でも小泉の様な劇場熱狂型の政治家に翻弄されたが、民主主義と言う物事の処理に時間が掛かるのをプラスに出来た時代は合わなくなり、情報化で時間軸が早くなったことに対応できる政治体制が求められる時代になりつつある。勿論、時間軸が早い決定とは独裁的な政治体制と紙一重であるので、そういう意味で世界の政治は危険水域に入りつつあるのかもしれない。エジプトは米国が軍に対して影響力を持っているが、民主化の過程で底辺層の貧困が早急に解決されなければ内戦にならないとも限らない。今後とも世界中の動きを注視する必要がある。