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日本のマスメディアは相変わらず悲観的な記事を書いている。電力不足による生産の影響や東北地域の生産工場の復旧の懸念などは報道されなくても誰もが分かる。国民が本当に知りたいのは、電力不足に対処する前向きな方法や地震による工場の早期復旧に向けての情報を得られることだ。尤も、他人の褌で仕事している記者連中に想像力を働かせて復興に参考になる報道を期待する方が間違っているかもしれないが。報道の酷さは紙面やTVに登場させている専門家と称する人達の胡散臭さもある。マスメディアが意図的に選んだ専門家など信用するに足らない。然し翻って世界を見れば、リーマンショック以降は先進国の景気対策で金融緩和した過剰流動性で投機マネーが暴れまくっていたが、世界の工場の部品供給者となっていた日本が大地震と二次被害にの原発事故で世界経済にブレーキを掛ける役割となり、予期せぬ世界経済のソフトランディングに貢献する事になりそうだ。勿論、今回の日本の大災害は景気回復に水を差すとの意見もあるが、加熱した資源争奪戦争に対して冷静さを求めた効果は大きい。然も、世界で唯一の原爆被爆国である日本が、クリーンエネルギーとして世界中に起きた原子力発電所の需要に慎重さを求める事になったのも天の意思かもしれない。原爆被爆国の日本が原子力のリスクを忘れて海外に原発リスクを拡大しようとした強欲が天の怒りを買ったのかもしれない。この様なことを書くと、オカルト的な狂信者と思われるかもしれないが、建築業界では今でも建築に対しては地鎮祭から始まり、建物の最下部には人柱的な紙人形を捧げて天と地に祈りを捧げるのである。天と地を敬う心があって初めて建築工事が無事安全に行なわれるのである。最近の日本人は神仏を敬うどころか蔑ろにしている面が顕著に見られる。幾ら科学が発達したとは言え、自然の脅威には人智などは及ばない。謙虚さこそが大災害を乗り切る力である。世界中が貪欲になり、神の時間を越える動きにあって、世界中に自然の驚異と人がコントロールできない原子力に対する警鐘をならし、世界経済をソフトランディングさせることになった日本の大災害の意味は大きい。

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私は地震の専門家でないので素人意見としてだが、大地震の2日前の3月9日から地震計は、「宮城県はるか東方沖」で連続多発地震を感知していたので、この動きから東北地区の住民に対して地震可能性について警戒広報出来なかったのかと考える。専門家は予知に慎重になるのは理解するが、少なくても異常な動きを示していることが人々の頭にあれば地震発生時の対応が早くなったのではないかと推測される。また、地震が来た時に現在の状況で何が問題かを考える事も出来たのではないかと推察される。勿論、今回は大きな地震であったが、大きな被害を引き起こした最大の原因は地震によって引き起こされた津波であるので、この大津波までは当然に予想できなかったので地震計の異常を知っても被害は変わらなかったと反論があるかもしれない。然し、今回の被災地の中では、津波リスクの高いエリアに住んでいた住民が日頃から避難訓練と避難経路を定めていたので災難から逃れたケースもあるので一概には言えない。東日本では座標が変わるほど水平と上下に移動した大地震であったので、地震計に異常が出ていたのも理解できる。私が疑問に思うのは気象庁が政府にこの異常を伝えていなかったのかと言う事である。もし、政府に伝えていたにも拘らず地震発生には不確定なデータとして握りつぶしていたとすれば大問題になる。今回の大地震に関して地震計の異常な動きについて今更語っても意味がないと指摘されるかもしれないが、私は今度この様な地震計の異常が出た場合には政府はどの様な対応をとれば良いかを考慮すべきだと言いたいのである。同じ様な現象が生じても大地震が起きる可能性は確率的に低くても警戒警報を出す事は重要と考えるからである。

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今の職業政治家は正に公務員だ。政治資金規正法により多額な政党助成金を政党が受け取り、個々の議員は報酬の他に十分すぎる秘書手当てや調査費が支払われ、一等地に議員宿舎まで用意されている。若手議員などはこの待遇でも政治活動には資金が足りないと不満を言っている。900兆円の赤字国債を懸念しているのにである。この様な有様を見ると、政治家が公務員化し、国民の声など聞こえなくなっている事が分かる。今回の大地震の対応や原発事故では2種類の公務員が対応したために政治が機能していない。このため、世界から日本の政治の無能さを嘲笑されているのである。自民党の故人となった三木武夫と言う職業政治家が政治の浄化を目的に政治資金規正法に取り組んだのだが、本人もこの制度が政治を公務員化させるとは考えなかったと思われる。尤も、三木武夫と言う議員は、病気で寝たきりになり国民のために仕事が出来なくなっても在職50年を超えると国会に写真が掲示されるので、自己利益のために寝たきりで報酬を貰い粘った議員であった。少なくても、議員報酬くらいは国に返せと言いたい最低な議員が作った政治資金規正法など所詮、国会議員を堕落させるものであった。政治を国民に取り戻すには、先ず、政党助成金の廃止と政治資金規正法の改正である。企業と癒着した汚い政治家は汚職で逮捕すれば良いので、企業献金の禁止など解除すれば良い。議員が政治資金を集める行為が世論を知る事になり、結果的に政治に反映されるのである。政党助成金や過剰な報酬などを与えれば公務員化する議員が増えるだけでなく、今回の大地震の災害復旧中に民主党の長島議員(元逗子市長)に様にボート遊びを行なうような輩が議員に出てくる。政治家が公務員化して駄目なのは、公務員より実務が出来ず、能力が低いので税金をドブに捨てていると同じだからである。日本人は記者クラブ制度の官製報道のマスコミに乗せられてクリーンな政治を求めたが、実際には官僚に頭が上がらない政治家が生まれただけであり、まんまと官僚に国民は騙されたのである。政治とは清濁併せ呑む器量があってこそ国民のためになるのである。奇麗事で腹は満たされない。

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与野党の政治家もマスコミも米国債(70兆円規模)の売却に触れない。表面的には二つの理由からと推測できる。ひとつは、10兆円もの米国債を売却してドルを円に換えると円高を招くと言う理由だ。ふたつは、今回の災害に米国がtomodachi作戦を展開して日本を支援してくれたことによる義理立てからである。裏面的には、当然にこの災害を利用して従来の財政再建に必要な大増税を行なう算段だからだ。災害対策の全てが遅いのに公務員給与5%引き下げを官公庁労働組合の承諾を得て国会にザル法の公務員改革案を国会に提出する早さは、大増税に対して国民の目先を誤魔化すためである。先の米国のtomodachi作戦などは、中国の防波堤になる日本が沈没したら困るので米国の冷徹な政治によって行なわれているものであり、日本のお涙頂戴とは訳が違うのである。為替が政治で動いている事が明確に分かったのは、円高が必要な時に円安に動いて来たからである。勿論、この考えには当然反対意見が出ると推察するが、リーマンショック以降の円高などマスコミが報道している資金の安全な避難先としての日本などではないのである。その様に思わせる報道をしているマスコミの罪は大きい。私が言いたいのは米国債70兆円の内の10兆円の売却である。7分の1も未曾有の大災害に使えなければ国民のためにならない資産と言う事になる。もし、復興財源として米国債の売却が行われないならば、今後の増税など認めるべきではない。大災害を利用して増税を企てるなら政治家も役人も命を捨てる覚悟で行えと言いたい。国民に対し大災害で消費が減少するのを承知で敢えて更なる痛みを伴う政策を実施するには当然に命と引き換えでなければならない。公務員の給与5%引き下げなどで誤魔化されるものではない。勿論、国会議員定数の半減も引き換えに行なうのでなければ国民は承知しない。

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日本では古来より大災害などが起きると「人心一新」して新たな体制で取り組んだ。江戸時代には年号まで変えて危機を乗り切ったのである。「人心一新」の意味するところは様々な解釈があると思われますが、災害以前の体制が持続した場合には責任問題などが邪魔をして復興がスムーズに進まないことを懸念した配慮と考えられる。先人の知恵は今でも有効と思われるので、今必要なのは正に管内閣が辞職して復興内閣を立ち上げる必要があることである。菅内閣が辞職しないとすれば、私利私欲で動いており、国家国民を考えていない証拠である。国民が求めているのは新しい顔である。大災害前の顔が何時までも出てきたのでは過去を振り返って悲しみで前に進めなくなる。今の政治家を見ると本当に小人物しかいない。日本はデフレ克服と財政再建と言う中途半端な二兎を追う政策を進め来たために経済が深刻化した。大災害にも財政再建などと言う戯言が顔を出し、国難に対して馬鹿げた議論を進めようとしている。日本経済の復活に足を引っ張っているのは政治だと言う記事が掲載されていたが、正に当を得たものだ。しかし、大災害の復興に政治が足を引っ張る様では看過できない問題だ。官僚を超えた政治家が独りもいないのかと情けなくなる。福島原発事故は海に大量に汚染水を放流し放射能を拡散させたことにより、今後は国内問題から国際問題に発展してくる可能性が高い。海洋汚染が深刻化すれば賠償問題は天文学的になる可能性もある。国家の叡智を結集して福島原発事故に対応しなければならないのに未だ東電の対応レベルしか見えていない。菅首相は福島原発事故直後の視察に問題が出ているのだから首相を継続して国家的危機に対応しているのは相応しくないのである。国民の声が聞こえない政治家など百害合って一利なしである。「人心一新」を打ち立てた新党を作り、国難を乗り切る政治を期待したい。

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日本は世界でも類を見ない災害発生可能性エリアに位置しており、日本国民のDNAには大災害に対する記憶が刻み込まれていると思われる。しかし、現代社会の様に科学が発達していなかった時代での大災害に対する術としては、大災害に立ち向かう意識よりはどちらかと言うとじっと我慢して耐え抜いて記憶の彼方に追いやる方法しか選択はなかったと思われる。日本人は台風一過性民族とも言われるのは、どんな災害でも時間が解決してくれると言う楽観的な考え方でしか生きられなかったためかもしれない。日本には四季があり美しい自然に恵まれているのは、大災害の危険地帯に位置する天の恵みかもしれない。勿論、日本人は自然の驚異に一方的に敗者となっていたわけではなく、その時代で可能な技術水準で自然に対してササヤカな抵抗を行なって来たことも確かである。しかし、喉もと過ぎれば暑さも忘れる諺の様に過ぎ去ったことに執着する日本人は少数派と思われる。長い時間の中で培われたDNAを変えるのは容易ではない。阪神大震災の悲劇は遠い記憶ではないのに今回の東北関東大地震には余り経験が生かされていない。幾ら都市型災害と広域地方型災害と違っても、非常時における組織の対応は同じな筈であると思われるのに平時の対応しか出来ていないのには驚きである。自衛隊を大量に投入すれば非常事態に対応できると考えての事であれば、戒厳令により自衛隊に総ての権限を集中させなければ出来る訳がない。被災地は行政機能も失われていることを想定して素早く手を打つ事が重要なのに情報がないとの理由で官邸は動かない。恐れ入り屋の鬼子母神だが、日本人は事前に想定して物事を決めると言う事には下手な人種である思われる。これは何も災害に対してばかりでなく、全ての範疇で起きている現象だ。後では取り返しのつかない建築物なに関しても楽観的だ。そのため、想定が狂うと対処の仕様がないのが現実である。色々な分野でリスクマネジメントを言われるが、今の日本社会にはそれが根付いているとは思われない。リスクマネジメントは現場を熟知しないと出てこない発想だからであり、日本企業のトップの殆んどが企画畑など頭でっかちの出身のために古来のDNAの欠点を払拭されていないからである。原発事故の東電もトップは正に現場軽視の連中で構成されている。

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東北関東大地震による津波を防いだ15mの防潮堤を造っていた村が存在したとは驚いた。その村とは岩手県譜代村である。明治時代の大津波の言い伝えが今は故人となった「和村幸得」村長の脳裏から離れず15mの防潮堤の実現に繋がったとのことである。建設当時は15mの防潮堤に対して反対もあったらしいが、反対を押し切って造った防潮堤が今回の大津波に有効に働き、多くの人命を助けた。県内でも10mの防潮堤を造っていた町はあったそうだが、今回の大津波には効果がなかったので、もし故和村村長が反対の意見を聞いて妥協していたら、他所と同様な被害を出していたと思われる。ひとりの政治家の執念が多くの村民の命を助けたことを考えると政治の本質が見えてくる。政治と現場を考えると、首長や議員の位が上がるほど現場と乖離し大衆迎合的な政治家が多くなる。当選するために信念を曲げる様な人は政治家に向かないが、今の社会では信念を持った政治家など皆無であり、選挙民のために働く思いなど微塵も感じられない。今回の大地震では多くの事を学べる機会であるので、「良い政治とは何か」、「良い社会とは何か」を考える必要があると思われる。日本は地震、台風、津波、火山など天災に見舞われる事が多いので、早く忘れる事で災害に対する痛みなどから回復してきたが、現代社会は災害に対し事前に備える技術が飛躍的に向上しているので、問題は政治が機能しているかどうかと思われる。過去の教訓を生かして来なかった日本人の台風一過的な民族性ではグローバル社会では生き残れない。

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TV番組で新聞社の論説委員が日本の報道は悲観的な記事を書いて国民の発奮を促すスタイルだが、その様なスタイルは社会が変わり、国民も性質も変わったので変えなければいけないとコメントしていた。しかし、今回の東北関東大地震及び二次被害の福島原発トラブルを見る限り少しも変わっていない。日本の部品輸出の停滞で世界経済まで影響が出るので大変だと大合唱だ。一方では、「頑張ろう」や「日本は負けない」などウザッタイコマーシャルで一杯だ。報道で先行きの不安が増せば、地震に関係ない東海・西日本まで自粛ムードが広がり、悪循環が起きてしまう。マスメディアの報道などなくても経済に影響が出るのは分かるので、国民が知りたいのは記者クラブ制度でコントロールされた情報でなく、本当の被害や企業の工場生産体制の復旧などの情報だ。大変だとマスメディアに騒がせて国民の知らない間に何等の構造改革を伴わない増税が行なわれる危険だ。財務官僚などは増税の下地が出来たと国民の不幸など省みずに動いている。故事で「」雌鳥が鳴くと国滅ぶ」とあるが、正に日本では「マスメディが騒ぐと国滅ぶ」である。大変だの合唱で増税路線に一直線だ。米国債70兆円を復興に使わずして何時使うのか。今回使わなければ二度と使えない。保険会社や企業が地震復旧の為にドルを売って円に変えるから投機筋が動いて急激な円高になったと報道されているが、投機筋とは米国なのは間違いない。日本国内にお金があるのに海外のドルを売って円に換える企業など居ない。復興予算に米国債の売却報道がないのは一目瞭然だ。増税に対してマスメディアも後押ししているからだ。行政改革と政治改革なくして増税は認められない。

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今の若い人達は日本の技術が米国などに比べて劣っていた時代を知らない。マスコミも企業広告が経営に欠かせないので、日本企業の未熟な時代など触れない。理解できないのは、マスコミの日本企業の技術に対する賞賛の嵐である。尤も、ここ数年は日本製品が過剰な仕組みのため価格競争で韓国などに勝てないなどと、技術の評価ではなく、新興国の需要にあわせた物づくりの必要性を五月蝿いほど流している。今は技術的に評価が高いトヨタであるが、45年前の車を知っている私からすれば、今のトヨタの評価は電子機器による制御技術の成果であり、機械的な技術はドイツ車と比較して未だその水準に達していない事を知っている。何時の時から日本人は技術力が高いと自惚れたのであろうか。若い頃、韓国に情報技術の製品を売っていた企業を訪問した時の事だが、その時代には、新聞各社は韓国企業が日本の製品を解体して技術を盗んでいることを批判した記事を掲載していた。私もその事が念頭にあったので、技術を盗む韓国企業は酷いですねと訪問先の企業の担当部長に話したら、即座に我々も米国製品を解体して技術を盗んだので一緒ですよと答えたことが今でも記憶に残っている。日本のマスコミなどその様なことを百も承知で、今の中国に対して技術を盗んでいると批判している。勿論、日本企業は以前の韓国、今の中国と同様に欧米の技術を盗用して技術力を高めて来たのだが、努力なくして技術を高める事は出来ないので、その点は立派と思われる。欧米に追いつけと言った謙虚さが技術改良に結びつき、世界でも評価される技術水準に到ったので、今ほど日本の技術に対する過信がなかったと思われる。今騒ぎとなっている福島原子力第一発電所の建設には米国のGEの技術で造り上げたもので、当時の日本の技術では原子炉などの主要設備は造れなかった筈である。1980年頃でも原子力発電プラント輸出で日本企業が取り扱えたのは周辺設備だけであり、原子炉本体など考えられなかったのである。尤も、原子炉本体を取り扱えなかったのは単に技術だけでなく、万が一の事故に対する補償に耐えられなかったのも事実である。それが何時の間にか日本企業だけで原子力発電プラントの輸出が出来るレベルに技術的にも資金的にもなったらしい。確かに、日本の原子力発電所は世界に類を見ない程建設・運用においては厳しい基準にある。しかし、統計確立論で物事が判断され、尚且つ効率などが指摘されるようになり、厳しい基準で行なわれてきた日本の原子力発電所にも謙虚さがなくなり、技術者の過信を産んだと思われる。以前、不動産ファンドの物件でアセットマネジメント会社の若い担当とエレベーターの保守点検で議論したことがあった。若い担当は米国の大学を卒業した頭が良く、珍しく現場の重要性を知っていたのだが、エレベーターの保守管理では誤った考え方をしていた。それは、エレベーターの事故が過去に殆んど起きていなかったのは納入していたメーカーのフルメンテで管理していたからであり、経費節減で納入メーカーから独立系の安いコストで引き受けている会社に保守を委託した場合には過去のデーターが使えないと言うことを理解できなかったのである。勿論、現代は色々な技術の問題を簡単にシミュレーションすることによって事前に問題点や誤りを把握することが可能になったことと、IT技術の進歩で機械設備に対する視覚での現場管理が年々省略されてきている。しかし、竣工後2年以内や経年劣化した物に対しては、中央センターで計器類や画面を見ているだけではリスクを排除する事は出来ない。それ以上に怖いのは錯覚で技術に過信した場合と思われる。東電が福島第一原子力発電所の使用を延長した背景には技術者の過信と経営者の利益向上とが相俟った弊害が出たのではないかと推察する。日本の技術はここ30年で飛躍的に向上したが、何時の間にか技術に対する過信が生まれ、色々な現場で危うい状況が進行している可能性は否定できない。特に電力の供給に関しては昔の様に殆んど停電がなくなったので、家庭やマンション・ビル設備に置いても長い停電を想定していない機器類で溢れている。然も、効率経営が主流の時代にあって全ての分野でギリギリまでスマートにされた設備機器には非常時の余裕など殆んどない。遠い過去の様に不具合が当たり前の時代には過剰とも思える配慮が行なわれていたが、現代では全て想定外の答えしか出てこない平時の物で溢れている。危機は其処まで来ている。映画のタイトルの様だが、今の日本を点検すると技術的な過信の弊害に満ちているのが分かる。

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小沢一郎が唱えた政治主導の標語は民主党の標語となり現政権である管首相や閣僚も政治主導を継承している。自民党の小泉純一郎が金融資本主義の過剰な競争社会を作り出し、格差社会にあって公務員は競争社会の蚊帳の外に置かれた存在と国民の眼には写り、更に効率化と言う標語で行政の無駄をマスコミが報道するに従い、何時の間にか公務員は悪役になってしまった。マスコミも国民の無知に付け込み、何時の間にか小泉政権をバックアップし競争社会を作り出したにも拘わらず、今度は連日連夜民主党の政治主導に対して必要性を報道により垂れ流したのである。これにより、本来は政治に向く必要があった国民の不満は全て現在においては恵まれた公務員に矛先が行ったのである。確かに、公務員の現在の給与は、民間企業の様に業績と関係なく、然もリストラもなく、退職金や年金も民間企業と比較して手厚いので反感をもたれるのはもっともと思われる。然し、良く考えなくては駄目なのはこの様な待遇を決めるのは議会であり、議員達が議会で議決しなければ出来ないと言う事実である。公務員は予算に関係する事を勝手に決められないのである。では、何故議員達は公務員の給与等を大企業並みに引き上げたのかを検証すると、議員報酬や議員年金、更には諸手当を引き上げるために役人を懐柔したのである。自民党政権時代の官僚との馴れ合い政治がもたらしたものと言える。官僚が2世、3世議員や社会経験のない職業政治家が増え、政治の質的レベルが下がるに連れて政治家を利用して自分達の権限や役得を拡大したのは事実である。しかし、この事実でもって全てを役人を悪とし、政治家の政治主導の戯言を聞くわけにはゆかない。行政の実務や予算の仕組みも勉強しないで政治ごっこを行なってきた議員達にこそすべての責任がある。政治家どもが政治主導などと戯言が言えるのは、役人と違って選挙によって過去の罪状がクリアされると言う間違った考え方が浸透しているからである。前にもblogで書いたが、役人を指導できる大臣が存在したのは佐藤栄作時代迄であり、田中角栄以降の大臣は論功行賞で就任したので実務知らずで役人に丸投げ政治となった。このため、日本の政治は次第に政治主導ではなくなったのは確かである。当の役人も政治家の質的レベルの低下を憂いて次第に重要な政策に関しては議員に相談することなく勝手に行なうようになった。国民が茲で考えなくてならないのは、政治主導にするためには政治家のレベルを上げなくてはならないのだが、役人と同じレベルの発想しか持たず、然も実務能力が低い議員達が政治主導を行なったらどうなるかは、民主党政権を見れば一目瞭然である。役人は法律の範囲内でしか物事決められないが、政治家は法律を変えて国民の期待に答えるのが役目である。今の政治家は政治主導になれば全て良くなると言う幻想を抱いているが、日本社会を良くするには政治家は政治を行ない、役人はその政治の実現を実務的に推進する姿こそ必要なのである。今回の大震災において評価できるのは、遅滞なく大規模に自衛隊を投入した位で、省庁横断的な対策本部が機能しないばかりか、緊急的な組織対応が平時のまま運用されているなどと言う馬鹿げた現象が生じた、政治主導どころか政治が機能していないのは、指示されなければ機能しない行政の扱い方が全く分かっていないからである。政治無能を役人に転嫁する政治主導などの標語に惑わされてはならない。行政組織のスリム化や民営化や規制緩和は必要だが、小泉の時の様に官僚が描いたシナリオで構造改革を行なっても意味がなく、本当の政治主導とは官僚虐めと効率化でないことを国民が知るべきである。今の民主党の政治主導など壊すだけで何も生まれない。