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米価は食糧管理制度によって長い間決められてきたが、日本の農業が衰退したのは米価が政治価格として高い扱いを受けてきたことが一因だと暴論を吐くものがいる。然し、本当に米価が高い扱いを受けてきたのなら農村に後継者がいなくなり、兼業農家になる訳がない。米価が政治価格としてマスコミが取り上げるので、都会の人達は米の価格は高いものと錯覚してしまった。私が学生時代に都会出身者とよく米の価格で議論した事があった。先ず、米が主食と言う考え方が間違った時代になっていることを改めなくては議論が進まない。江戸時代や明治時代、更には太平洋戦争時代なら兎も角、高度経済成長を遂げた後の日本では米が主食ではなくなった。主食の意味は食費の割合が高い事を指すと考えると、米は40年前以上に主食の座は失っているのである。数字的に分かりやすく説明すると、一汁一菜の食事の時代には大人が1年間に食べる米の量は3俵と言われている。又、子供の場合は2俵と言われている。この時代でも夫婦と子供3人が食べる年間の米の量は12表になる。1表は60kgであるから12表/年×60kg=720kg/年と計算される。現行価格を見ると標準米で10kg3500円位であるから、親子5人が食べる年間の米の総額は、720kg/年×3,500円/10kg=252千円/年である。月額に換算すると、252千円/年÷12ヶ月=21千円/月である。ただし、この金額は一汁一菜の時代に置き換えての話である。現代は大人でも年間に食べる米の量は1表半でも多いと言われているが、一応、米を多く食べる家族を想定して改めて現代の家族5人が食べる米の量を推定すると上記の時代の半分程度となるので、年間に食する米の量は6俵となり、月額に要する米の購入価格は10,500円/月と算出できる。家族5人が自宅で食べる食事費は平均で7万円とすれば、食事費に占める米の割合は15%である。一汁一菜の時代と同じ位米を食べても30%の割合である。農業が駄目になったのは、米価が高く買い上げられたために生産システムの向上の努力が足りなかったのでなく、主食でもないのに食糧管理制度で価格が決められたために、主食の地位を失ったにも拘らず付加価値の米を生産して高い価格で売る事が出来なかったからである事がわかる。農業政策を司る農水省が家庭にパン食が普及してきた時に農家に米作りでなく、パン食で需要が高まる野菜作りを奨励したるすることを怠り、逆に米の需要減による過剰生産に対して休耕補償で誤魔化したために農業が一層衰退したのである。日本の場合全ての行政組織が同様だが、東大法学部卒に農業の現場や変化が分かるわけがない。私が感心したのは、大手商社の食糧部門に拘わってきた人の洞察力である。パン食が増えると生野菜が売れるのは商売の方程式であることを理解しているのである。実際の現場で起きている事を熟知しているからこそ分かる事である。日本の行政マンは何時の間にか現場を馬鹿にする風潮が生まれ、国民の足を引っ張る事としか出来なくなってしまった。農業の再生には国民が行政と真っ向から対立する姿勢が必要であり、国民も自給自足の大切さを理解し、米が高いなどの思い違いを訂正して欲しいと考える。

 

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財務官僚が円高容認の発言をしたと言われて急激な円高となっている。リーマンショック後の円高の図式は簡単である。欧米諸国がリーマンショックの経済悪化を防ぐためにお金をジャブジャブ流して過剰流動性にしたが、日本だけは相変わらず小刻みの金融緩和政策だけなので、デフレ経済も解消しないので、世界中の通過の中で円だけが価値が下がらない通貨として買われているのである。この様な背景にあるのでは、ドル買い円売りなどを日銀が行っても焼け石に水だ。リーマンショック後の日本の金融政策を見ていると、戦前の大恐慌時代に無謀な金を解禁した井上準之助大蔵大臣を想起する。経済学者によると、井上準之助の金解禁は理論的には正しかった様だが、第一次世界大戦で焼け太った日本企業の真の実力を過信したために多くの企業が倒産して裏目と出たのであった。今の財務官僚や日銀マンを見ていると、国内で円の過剰流動性を高めても投資先がないので無駄と考えていると推定できる。その根拠のひとつとしては、日銀マンが書いてベストセラーになった「デフレの正体は人口減」である。また、財務官僚などは大手企業の内部留保資金を見て市場に金が不足しているのではなく、投資先がないから過剰流動性を高めても仕方ないと考えているものと推察される。日本の官僚の間違いは大企業中心の考え方であり、中小企業など眼中にないために起きているのである。今正に、中小企業には資金がなく、東日本大震災と福島原発事故による消費減少に対して苦しんできている。それなのにこの急激な円高である。金解禁の金融政策の失敗は井上準之助の暗殺と後任の高橋是清の金融政策によって修正され、国民は救われたのである。高橋是清は子供時代から苦労した人で、世間に精通していたからこそ大恐慌から脱する政策を理解していたのである。頭でっかちで机上の理論先行で実社会を理解していない財務官僚と日銀マンが日本の金融政策を牛耳っている限り本経済が回復する事はない。多くの馬鹿な政治家が財務官僚の尻馬に乗って増税発言をする姿は亡国の輩以外の何者でもない。円高は円の過剰流動性で阻止できるのである。日本の金融政策を変えるには戦前の様な荒療治が必要である。

 

 

 

 

 

 

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天竜浜名湖鉄道会社の運営する天竜川の急流船下りで事故が起きた。社長会見では船頭のミスと釈明された。確かに事故だけに焦点を絞って見ると会社側の説明通りと理解すると思われる。然し、天竜浜名湖鉄道が3年前まで赤字鉄道会社であり、2009年に今の名倉社長が就任してから2期続けて黒字化を実現したことを聞くと、事故の原因が単純な船頭のミスと言い切れるかどうか疑問が湧いてくると思われる。新聞報道などによれば、名倉社長は内部昇格ではなく、他所から来た方らしい。前職は分からないが、鉄道の再建を委託される位だから優秀な経営実績があるであろう。私が注目した点は同鉄道会社を経費節減で直ぐに黒字にした件である。長年の間赤字会社であった鉄道を手品を使うように黒字化した手腕には驚くが、誰しもが思うのは急激な企業改革と大幅な経費節減に無理はなかったのかと言うことである。勿論、私が言いたいのは、急激な改革と大幅な経費節減を断行しても問題ない業種とそうでない業種があることである。鉄道事業や急流下り事業は共に人命に関わる業種である。特に、急流下り事業は集客が増大し、黒字化に大きく貢献していると聞いて尚更今回の事故には船頭のミスを誘発した会社側に問題があると思われて仕方がないのである。赤字が続いた会社が何も行なわないで来た訳ではない事を考えると、名倉社長が行なった経費節減は現場の非正規社員の増加であり、安全対策として必要なお金を使わないことではなかったかと推察できる。尤も、救命具の着用は会社側の自由裁量であった事には驚いたが、この制度も古きよき時代に通用したものであるのを行政側が見落としていた事例であろう。日本人の責任感を期待した制度など今日では通用しない事は自明である。会社の利益を上げるために同じ仕事をさせるにも拘わらず、正規社員と非正規社員との格差を考えただけでも自由裁量の制度など危険極まりないのである。天竜川の事故の原因は色々と推定されるが、ひとつには急激に増加したお客に対する船頭教育や確保に問題が無かったかと言うことである。然も、高齢化社会の日本では当然高齢者の船頭が多いこと直ぐに分かり、健康管理の面で会社側がどの程度考慮していたかである。日本の社会も金融資本主義が導入され格差社会になったにも拘わらず、自由裁量制度や事故に対する経営責任の罰則規定が弱い。米国の様に、自由を与える代わりに罰則規定も整えていることを日本でも早急に見習う必要がある。東日本大震災で日本人の我慢強さや礼節などを海外から評価されたが、それは一般市民の礼節である。日本企業の経営者のモラルの低下は酷く、全く一般市民と異なり、人命より数字の人達である。古きよき時代は二度と来ないのであるから、事故に対する経営責任を問う罰則規定を強化すべきである。東京電力の福島原発事故然りである。

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■窪田美樹 「人の山」■

会期:2011年8月26日(金) – 9月19日(月祝)
オープニングレセプション:2011年8月26日(金) 19:00~21:00
会場:hpgrp GALLERY 東京

家具を用いて、「実在と虚構」を暗示する作品を中心に発表して来た窪田美樹の新作
展をご案内申し上げます。
目の前に実在するかたちと、かたちの中に埋もれるイメージを混在させることで強い
個性と存在感を放つ窪田の作品は、常に現代彫刻の新しい可能性を示唆しています。
本展では、数年前から取り組んでいる、平面的な要素にボリュームを持たせて立体化
し、それらを集積させることで彫刻を成立させる新たなシリーズを展示します。
量塊や、素材と形の関係という彫刻的概念を独自のアプローチで展開している窪田美
樹の新作展をこの機会に是非ご高覧ください。

<作家コメント>
見る事で衝動的に起る感覚というのは、何に由来しているのだろうか。例えば、初め
て見るから驚くと言うが、実際感情は既存の記憶になぞらえて動くものではないか。
既に知っている何かと重なる、だから驚く、怖がる、面白がる。見る行為と感情の間
に、対象だけでなく別の何かがあるとするなら、一体何を見ているのか。あるように
見える事と、実際にある事の違いに興味を持っている。「虚像で実像を作る」という
言葉をイメージして、紙に焼かれた写真や絵画のコピーを握りつぶして形を与える。
写真や絵画におさめられた空間を素材として彫刻作品を制作する。
―窪田 美樹

窪田 美樹
1975 神奈川県生まれ
2001 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コース修了

展覧会履歴
2010    「よりあい」grisette(東京)
    「皮膚と地図(あいちトリエンナーレ入選企画展)」
    愛知芸術文化センター(愛知)
2009    「かげとりと、はれもの」 hpgrp GALLERY 東京(東京)
    「Haptic – 触覚」ヴィック・ムニーズ キュレーションによるブラジル・
日本アーティスト、トーキョーワンダーサイト本郷(東京)
2008    「DESHADOWED かげとり(第2回ARTEGG)」資生堂ギャラリー(東京)
       「所沢ビエンナーレ・プレ美術展-引込線」(所沢)
2007    「かげとり」新宿眼科画廊(東京)
他多数

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■IOSSELLIANI T-02-IOSより展示のご案内■

赤池完介「日々ステンシル、サーカスの来た町」
会期:2011年8月26日(金) – 9月21日(水)
オープニングレセプション:2011年8月26日(金)18:00 – 21:00
会場:IOSSELLIANI T-02-IOS(hpgrp GALLERY東京のビル2F)

国も時代も特定できない平凡な町にサーカスが突如と現れ、
人々は心を躍らす。そしてサーカスが立ち去ると、また淡々と続く日々
が町に戻る。そこには騒ぎの後の哀愁ある光景が広がる…。
IOSSELLIANI の今シーズンテーマであるモダンサーカスからイメージを
膨らませた本展では、ジュエリーと赤池のステンシルワークが交わることにより、
高揚と虚無がダイレクトに伝わる内容となっております。
是非ご高覧ください。

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■AOSANDO’s NIGHT MARKET開催■
2011年8月26日(金)-8月27日(土)17:00-21:00
hpgrp GALLERY東京のある「青参道」の11店舗でナイトマーケットを開催いたします。
照明をいつもより少し落とし、キャンドルが並ぶ青参道でH.P.F,スタッフ蚤の市や
家具の市など、各店企画をご用意してお待ちしております。
是非この機会に青参道へお越しください。

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アッシュ・ペー・フランス株式会社
hpgrp GALLERY 東京
director 戸塚 憲太郎

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-1-15 CHビル B1
Tel:03-3797-1507
Fax:03-6805-0840
Email:art@hpgrp.com
URL: http://www.artdiv-hpf.com/tokyo
Blog: http://blogs.brash.jp/totsuka/

 

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盂蘭盆に例年通り夏休みに茨城の故郷に帰った。私の故郷は茨城県の北部地域に位置する。数年前に1町2村が合併して新しい町になり、未だ町名に慣れていない。原発からの距離は、福島第一原発から約116km、福島第二原発から約106km、東海第二原発から約24km、柏崎・刈羽原発から約285kmである。福島原発事故の時に米軍が避難地域とした80km内ではない。尤も、東海第二原発が福島同様な事故を起こしたら30km圏内に入るエリアだ。原発立地で恩恵を受けるのは立地した市町村だけであり、わが町は電源交付金等の何等の恩恵を受けていない。福島第二原発の立地でも同様と思われるので、立地以外の30km圏内の市町村は怒りが納まらない。事故の事を考えると建設計画に関しては本来ならば30km圏内の市町村の合意が前提となることが当然であった。然し、現実は立地市町村と県の承諾だけである。今回の帰郷では、様々な変化を感じた。ひとつには、近所の農家の方が私の帰郷には朝採りの野菜を持ってきてくれるのだが、今年は音沙汰がなかった。何時もなら玄関に黙って置いてくれる方もいて恐縮していたものである。母の話では放射能汚染の風評があるので、迷惑を掛けると考えて持ってこないとのことであった。又、姉の話では、農家の人たちは根拠のないセシウムに汚染されているかもしれない恐怖に怯えて生産に従事しているとのことであった。地元でも孫には周辺の野菜を食べさせないなど放射能問題がエスカレートしている。私自身は今回の帰郷に際してカイガーカウンターを持参し、自宅の庭の放射能レベルを確認した。確かに、東京都内(虎ノ門)と比較して空気中の放射能は多かったが、そのレベルは0.05~0.08マイクロシーベル/h高かった位である。庭の芝や樹木の下を全体的に計測した時には、空気中よりは高く反応する場所があったが、それでも一番高い場所で0.4マイクロシーベル/hであった。素人の判断で断定した言い方は出来ないが、冷静に対応するのも必要であると思われた。勿論、風評が起きた原因は政府の後手に回った対応であり、政治家の役人の様な無責任な発言であった。福島原発事故が終息した訳ではないので、今後も放射能の汚染に対するきめ細かい対応が求められる。人々は色々なマスコミ報道に接して混乱しているので、早急に明確な安心できる基準の公表が重要である。政治も行政も信頼されない時代に起きた原発事故は不幸な出来事と言わざるを得ない。姉から現代では2人にひとり」が癌で死ぬ時代に放射能汚染で癌になる確率など考えても仕方がないと言う人もいることを聞いたが、確かに子供時代に農薬に汚染された米を食べてきた世代にとっては放射能汚染も同様な視点なのであろう。問題はマスコミが危機を作り上げて国民がパニックなっている面も見受けられ、陸前高田市の松の事件など典型的なものである。多くの人は飛行機に乗って浴びる放射線量を危険視しないで、原発事故の放射能拡散だけに怯えているのは滑稽としか言いようがない。現代社会に危険は隣り合わせであることを認識して冷静に対応する事が重要だと帰郷に際して考えたことであった。

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米の先物取引が始まった。世界の商品の先物取引の始まりは日本と言われ、それは大阪の堂島の米取引であったらしい。尤も、この時代の米の先物取引は実質的には貨幣経済であったにも拘らず、給与を米で支給されていた武士階級を救済する目的と思われ、決して庶民に対する米価の安定のために機能したとは思われない。実際、飢饉などに米の買占めがなされ、民衆の一揆が起きたことは歴史的な事実である。今回密かに米の先物取引を窺っていた輩が福島原発事故の放射能汚染を奇禍として再開した米の先物取引は動機が火事場泥棒みたいで将来に良い結果を生むのが懸念される。世界経済は不安定になり、然も過剰流動性のドルが投機目的で跳梁跋扈している時に米の先物取引がどのような結果をもたらすかは自明である。政治家も役人も、馬鹿な学者から日本は先物取引では昔は世界の先端を走っていたという事を聞かされて日本を元気の象徴にするために再開をしたかったのではないかと推測する。勿論、日本の農業が生き残るために米の先物取引を導入し、生産と供給において価格の安定化を図るなどの大義名分の趣旨は大上段に掲げられているのであろうが、国民にとっては今後米は高いものになる可能性は否定できない。米の買占めなどに対する罰則はどうなっているのかと考えたが、今の政治家や役人に国民の事を考える輩がいないことを考えると指摘するまでもないだろう。日本は何時の時代でも戦前の金解禁の様に後手に回った政策が多いが、世界経済が不安定になってきている最中に米の先物取引はリスクが高いと予測する。私の予測があたらない事を祈るだけだ。

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昨日、上野精養軒でお祝いパーティが開かれた。パーティの趣旨は、茨城県のゴルフ場のメンバーの一人がクラブの公式競技のシニア選手権のチャンピオンになった事と同時にその後行なわれた矢張りクラブの公式競技のクラブ選手権決勝トーナメントで成し遂げたホールインワンを祝う会であった。主役のMさんとは同じゴルフ場のメンバーとして25年以上の交遊がある。Mさんと初めてラウンドしたのはクラブの公式競技である理事長杯の予選であった。この時には私はハンデ17で参加したが、Mさんは確か既にハンデ7か6であったと記憶している。体は小柄であったが、飛ばし屋で綺麗なスイングには感嘆し、憧れのゴルファーであった。予選会では我々の組は北コースからスタートし、次に中コース、最後に南コースと1日で27Hランドするものであった。Mさん以外の2人もAクラスで、私だけがBクラスであった。又、初めての理事長杯予選会出場でもあり、かなり緊張を強いられた記憶がある。しかし、最初の9ホールはアプローチが決まり且つパターが良く入り、私としては上出来の41で上がった。Mさんと他の二人は一番ハンデが多い私のゴルフにリズムを狂わせたのか私よりスコアが良くなかった。クラブハウスに戻る時にMさんが他のシングルからスコアの事を聞かれた時にうちの組はハンドが逆だよと自虐的に答えたのが印象的であった。勿論、私がスコアが良かったのは最初の9ホールだけで、次の9ホールから馬脚を現して3人の中で一番悪いスコアとなったのである。それ以来、機会があればゴルフに誘われてラウンドしたが、教えても上手くならない私のゴルフにMさんから愛想を付かされた。今回のMさんの祝賀会には往年のシングルが多く参加した。お互いに才能を認め合った人達で、クラブチャンピオン、歴代の理事長杯優勝者、歴代のシニアチャンピオンが勢揃いしたパーティとなった。本来なら、シングルハンデになれなかった私は参加資格がないのであるが、恥ずかしながら仲間から名誉シングルとして彼等と同等に扱いを受けている。しかし、今回の祝賀会に参加してゴルフの仲間の素晴らしさが改めて感じた。ゴルフの仲間は時には競合相手となりながら相手の優勝を心からお祝いしてくれる。今年のシニア杯でMさんと優勝を争ったIさんも茨城から参加してくれた。夏の色々な行事の最中、地域の役員でもありながら無理して祝賀会に参加してくれたのには頭が下がる。私は最近はクラブの月例競技に参加しなくなったので、クラブの会員達とは皆久し振りにお会いした。それでも時間の経過を感じさせない位に自然に皆から声を掛けられた。なお、Mさんの実家はスカイツリータワーの近くなので上野浅草方面は地元なのだが、精養軒は彼が結婚式を挙げた思い出の場所であることも今回知った。結婚式の写真も置いてあり、頭が薄くなった現在の彼から想像できない位ジャニーズ系の美男子の姿が写っていた。Mさんのファミリーも勢揃いし、賑やかな宴となり、Mさんの幸せそうな顔がひときわ輝いていた。宴の最中にゴルフ仲間の司会の方が、ひと言述べた件ー家族の理解があってこそのゴルフであり、茲に出席した皆さんは家族に感謝することが必要ーであった。長いゴルフ人生には様々な事があり、10年間ゴルフを止めていたと話をしたメンバーもいた。しかし、何時でも仲間として受け入れ、お祝いには自分の事の様に喜んでくれるゴルフ仲間は人生において素晴らしい財産であると思う。何時の間にか皆年を取ったが集れば子供の様にゴルフ話に花が咲く。素晴らしき仲間に乾杯!

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先日、外資系不動産投資会社の社長さんと雑談している時に米国と日本の行政の仕組みについて初めて知った事があった。社長さんは金融マンとして米国経験も長く、米国の地理的な面を含めて米国については造詣が深い人である。私が今回の東日本大震災の復旧対応や二次被害の福島原発事故に関してスペシャリストの技術者がゼネラリストの下位に置かれ行政が機能していないので、明治時代の工部省的な技術者集団を再度形成すべきであると話した時に社長さんから意外な事を聞いて驚いた。社長さん曰く、米国の行政組織には技術者はいないと言うことであった。私の疑問として誰が外部委託をチェックするのか問うた所、チェックも民間のコンサルタント会社に委託するシステムであるので役人が少なくて良いとのことであった。社長さんは東大での優秀な方なので私の考えなどお見通しであり、私の疑問の不正に関しては間髪をいれずにコンサルタント会社が間違った場合には罰せられるとのことであった。米国の金融システムに関しては憤慨するほど罰則規定が甘いと思っていたのだが、公共工事などに関する民間委託に関しては不正や間違いに対して責任を負わせるシステムになっている様だ。勿論、罰則規定がどの程度厳しいかは分からないが、米国社会は合理的に考えられている。翻って日本の場合、我々の建築業界一つ見ても民間委託の状況には雲泥の差がある。規制緩和により建築確認申請における民間委託会社が発足したが、発足自体が役所勤務経験者を必要としたものであり、少なくても役所勤務の資格者を採用しなければ会社設立が出来ない仕組みであった。更に、構造偽装事件で分かるように、審査した側の責任は一切と問われない仕組みであった。何が規制緩和だと言いたい内容であり、日本の場合には所詮役人が作る制度に政治家が乗っているだけなので、本当の意味での規制緩和や民間委託など存在もしていない。役人の身内の民間委託だから罰則規定もないことが良く分かった。今の日本の政治家は碌に勉強もしていないので、役人の協力を仰がなければ何も出来ない情けない存在だ。この現実を考えると、今後幾ら選挙に行って期待する政党に入れても、国民が望む社会制度は構築されない。特に、民主党が出来もしない政治主導を唱えて挫折したために、余計に状況が悪くなった。尤も、公務員改革自体を公務員に遣らせる矛盾を考えると、日本と言う国は救いようもない。最近、経済産業省の官僚の古賀某が古巣の経済産業省と対立しているかのような行動を取っているが、所詮はコップの中の嵐であり、国民を考えた争いでない事は確かだ。当然だが、外資系の社長さんも日本における今の政治状況から積極的に不動産投資を進めることに躊躇いが出るとのことであった。過去を振り返ると、自民党の小渕政権の時の不況対策が一番優れており、小渕総理が急逝したことが残念であることで社長さんと一致した。小渕総理以後は正に役人に振り回されて何の改善もされず、政治が機能しなくなった今の現実がある。小渕総理は規制緩和による民間委託を進めたのではないが、的を得た経済対策を行なった事は確かであった。小渕総理以後は財務官僚が仕切った政策で悪戯に赤字国債を増やしただけであった。何が問題かは一目瞭然である。日本の回復には官僚を排除した徹底的な民間委託とそれに伴う罰則規定だ。

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最近何にでもガラパゴスと言う言葉が使われ、絶滅種の悪い見本にされている。マスコミが毎日の様にガラパゴスと書くから新聞などマスコミ情報を唯一の判断の手段にしている一般人はそれに呼応してしまう。ガラパゴスと表裏一体の言葉としてダーウィンの変化対応論がある。しかし、良く考えると、進化論は生命が短い生物に使われる言葉であり、樹木の様に長期に生存する植物は変化をしないことで生き抜けるのである。更に、ガラパゴスの批判は新興国に対する需要に合せた製品作りを指しているが、日本企業が付加価値の物づくりでなく、新興国の土俵に乗ったチープな物づくりで生き残れるものではない。勿論、日本製品がマニアックになり、高齢化社会を考慮しない複雑な製品作りが行われてきた事も確かではある。しかし、この事を以って全てがガラパゴスと言う極論は的を得ていない。グローバル化がローカルに眼を向けさせることは先進国においては消費者が好むのは画一的なチープな物ばかりではなく、本物を求めている証拠でもある。本物とは長い年月に耐えてきた価値と考えられる。日本の製造業ではガラパゴスと言う言葉が先行したために貴重な物づくりの心が失われてきており、職人芸もコンピュータのデータに取って代わられて来ている。しかし、誰もが認識し、誰もが経済コストの前に口に出さないが、ソフトは現場を知り尽くした者がいて初めて機能するものが作れる現実である。20世紀はハードの時代であり、21世紀はソフトの時代かもしれないが、ハードを作るのには現場力が必要なのであり、それが大きな事故を防ぐ要因にもなっていた。しかし、ソフトの時代になり、ハードが軽視されるようになり、同時に現場力も軽視されるようになった。その結果、働く人達もデータ重視で直感が働かなくなり、大きな事故に対しても全てコンピュータ任せて鈍感になってしまった。福島第一原子力発電所の事故は何故起きたのかは一目瞭然である。ハード軽視のソフト重視で起きたのである。PCの画面を見ているだけではハードの劣化や災害に対する予感は働かなくなる。ガラパゴスと言うマスコミの批判がハード軽視に繫がり、現場軽視に向かい大災害に対して予知できない状況を作り上げている。日本は木造建築で自然を学び、それを活かしてきた国民である。1千年に耐える木造建築には1千年の年月を経てきた樹木が必要なのである。変わる必要性は認めるが、それは変わらない重要性を認識した上での話である。東日本大震災では国の行政機能が平時の状態で非常に対応するには3ヶ月以上を要する馬鹿げた状況になっている。ソフト重視ははPCから信号が送られないと動かない思考停止社会である。マスコミのガラパゴス批判はそれを助長することになる。

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1945年、今から66年前に日本は敗戦し、その後は米国の日本弱体化の戦後プログラムに沿って歩んできた。途中で朝鮮戦争が起きてプログラムに若干変更が加えられたが、基本的には原案に近い形で遂行された。勿論、戦後プログラムは全てを否定するもではなく、農地解放の様な結果的には日本人に取っては幸運をもたらした政策もあった。最近、東日本大震災後に日本に帰化を表明したドナルドキーン氏も占領軍の一員として日本の土を踏んでいる。ドナルドキーン氏より早く日本に帰化した米国人の一人にウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏がいる。彼はメンソレータムの近江兄弟社を設立した人でもあり、当社と同業の設計事務所「一粒社ヴォーリズ建築設計事務所」を設立し、明治以降に多くの有名な建築物を設計した人物としても知られている。因みに、帰化後の日本名は一柳米来留(ヒトツヤナギメレル)であり、一柳は奥さんの実家の性であった。話は横に逸れるが、私の知人が偶然にヴォーリズムの出たコロラド大学に学んでおり、偶然に驚いた記憶がある。ヴォーリズは戦争中に帰化し、戦後日本の再生に役立つ事を決意した人でもある。このヴォーリズが戦後日本人の変化に逸早く気付いた人でもある。そして戦後プログラムで戦前の倫理観などを一掃された日本社会ではお金が基本になっていることに将来の日本人に対して懸念していたと言われている。それでも未だ明治生まれの人達が多くいた1970年代までは経済成長もあり、日本社会はどうにか秩序が保たれていたと考えられた。然し、次第に明治生まれの世代が引退し、大正時代の世代が経営者の主流になっていた時に経済バブルが崩壊し、その後は資産デフレとなり昭和時代の世代が台頭してきてから日本社会は米国の戦後プログラムの効果が出てきた。そのピークは小泉政権以降であると思われる。勿論、戦後プログラムだけでなく、日本の戦後社会では人格的に問題がある旧軍人が復活したり、隠退蔵物資を盗んで企業経営者になった人達が多かったので、戦後プログラムは無責任社会の進行を助長させただけなのかもしれない。今は正に、政治家も官僚も企業人も自己利益だけしか考えない戦中戦後世代が跳梁跋扈しているが、現代の米国にとっては予想以上の効果が出たので、中国の最近の台頭を考えれば、逆に時間を戻したいと考えているかもしれない。それにしても、情けない程小人物が政治家のトップになったり、大手企業経営者のトップになったりとバブル経済崩壊後に何も遣らない自己中の二流の人物がそれぞれの業界で地位を得たことが、無責任な日本社会を作り上げた。今となっては時間を戻すわけには行かないが、今後の日本は東日本大震災や二次災害の原発事故の試練によって変らなければ民族として生き残れないのではないかと危惧する。