先日、親友のご母堂の葬儀で久し振りに茨城県の土浦市に行ったが、その葬儀でつくば市役所に勤務している友人と再開した。彼は市教育委員会に在籍し、現在は定年後の再雇用で教育委員会の外部団体で引き続き市の教育行政に関わっている。彼とは大分長い間、年賀状でしか互いの消息を確認してはいなかったので、市の教育委員会で教育行政の現場にいたことは定年退職の挨拶で初めて知った。葬儀後に久しぶりなので昼飯を一緒に食べようとなり、彼が気に入っている土浦市内の武家屋敷を改造したレストランに案内された。彼とは学生時代から妙に気が合ったのだが、少なくても最後にあった時から20年以上経っているにも拘わらず直ぐに打ち解けた。彼は上智大学で応援団に入り、団長を務めたことを思い出した。同時に、剣道と合気道も遣っていたのだが、今でも続けているのには驚いた。粘り強い性格と改めて感心したが、行政マンとして市長や議員に仕えるには適任だったかもしれないと思った次第だ。彼との話は教育の話になり、つくば市で小中一貫教育の学校を新設したことを聞いた。私も中高一貫教育は聞いていたが、小中一貫教育に関しては初めて聞いたので驚いた。将来的には幼稚園の併設も計画しているとの事であった。彼は良い機会だから新設の学校を見てくれと言われ、帰りは常磐線でなくつくばエクスプレスに変更を勧められた。彼の車に同乗して雑談をしながらつくば市に向かったのだが、私の仕事が不動産関係なので興味があると考えて小中一貫の学校新設が街の発展に寄与していることを話してくれた。確かに、昔から教育と不動産は切り離されないものとは理解していたが、少子化現象の施設の統廃合もあって生まれた小中一貫校がもたらした不動産効果を聞くに及び考えさせられた。勿論、つくば市でも過疎地はあり、過疎地の学校の否応なしの小中合体教育もあるのだが、つくば市街の小中一貫校の新設は後ろ向きではなく前向きの考え方であったので、多くの父兄が子供を入学させたくて住居を移転してきている。この移動が市内だけなら心太方式で意味がないのだが、つくば市以外からの転入も多いと聞いて改めて孟母三遷の故事を思い出した。不動産業界に身を置く者としては、教育と不動産の相関関係の未来予想図が浮かび、彼との久しぶりの再会に力を得た思いとなった。彼の話では、都内では品川区と三鷹市が学校の統廃合に尽力しているとのことだが、下町一体で大学を誘致して街づくりを進める計画が増加しているのも頷ける話だと思った。当社は現在、学校の統廃合の話ではないが、地方の私立学園から学校施設の件で話が来ており、検討を進めている最中だ。新しい教育がもたらす価値はICT関係ばかりでなく、不動産にも良い影響を与えると思われ、今後ともつくば市の教育現場を見続けたい。そう言えば、つくば市は全国に先駆けてICT教育に力を入れており、何度も教育に関わる優秀賞を獲得したことも自慢げに話した。学生時代から勉強熱心な友人であったが、昼食をご馳走になった上に、仕事にプラスになる情報も貰ったので感謝に堪えない。持つべきものは良き友だと改めて思った。
プレゼン青年とフラット化する社会の問題点
先の三連休の中日に住まいの近くの和洋亭「加とう」という店で行われた鮟鱇祭りに参加した。この店は未だ二回目なのだが、1月末に開催された会計事務所の香港事務所設立パーティに出席して知り合った方が、偶然にも私の住まいの近くに住んでいたことが分かり、早速彼の常連とする店で一献交わしたのであった。その時に鮟鱇祭りに誘いを受けて参加したのだが、宴も終焉に向かっていた時に20代の男性が隣に座った。私の斜め前の40台の男性と話をしていたのだが、途中で私に話を振り向けてきたので話すことになった。この20代の方に驚いたのは誠に好青年であり、年配者の話を素直に聞くことであった。しかし、話をする内に何か違和感を感じた。その理由を考えると、この優等生の青年の話し方はまるで何かのプレゼンを聞いていることと同様であることに気が付いた。興味を覚えて彼の経歴を聞いたのだが、このことに対しても屈託なく、地方から中部都市の大学に入ったのだが、居酒屋のバイト先で知り合った方の教えが人生に有益なことが分かり大学を止めたことや今は物販の営業を行っていることを教えてくれた。途中で40台の方が私に若い方に説教してはいけませんと唐突に言われたので、質問することは説教ではないと返事をしたのだが、このことにも驚いた。20代の方はそれに呼応するかのように、私は年配者の話が為になるので良く話を聞きますので、問題ありませんとの言ったのだが、これに関してもマニュアルを聞いている様だった。私の若い頃は父と同じ年の人とも議論を交わしたので中には不遜に思った方もいたかもしれないが、議論が成長の基礎を作ってくれたのは確かであった。20代の方に違和感を覚えていたら40台の方に若い方に説教的な口調はいけないと窘められたのにも違和感を覚えた。彼には私の茨城弁が強く聞こえたのかもしれないが、後から40台の方の言葉は今の社会を正に反映しているかもしれないと考えなおした。それは、TBSTVで朝に流すサンディプロジェクトと言う番組のスポーツコーナーでゲストの元野球選手で元参議院議員であった江本氏が現在社会問題化している体罰について触れた発言だった。彼は自分たちの時代には監督は直接選手に手を出さなかった。体罰的な事は上級生が下級生に対して行ったと選手同士の自律性に触れた下りだった。情報化社会はフラットな社会を作っていったが、それに呼応して全ての組織がフラット化している現象に危惧を感じる必要があるのかもしれない。勿論、全ての組織がフラットでないことは我々の業界である不動産業界では今でも垂直的な組織、いわゆる軍隊組織の上下関係で動いている会社が存在している事でわかるが、社会全体はフラットな方向に進んでいるのは否定できないと思われる。優等生的なプレゼン青年の出現は米国から入ったプレゼン社会の弊害であろうし、トップ以外に上司がいないフラットな組織の弊害も出て来ているのかもしれない。勿論、上に意見を言う事も出来ない組織は異常だし、逆に下に気を使わなければならない組織も同じように異常と思われる。組織がフラット化すること自体は問題ではなく、フラット化して自由に物が言えなくなることが問題なのである。それと、一方通行のプレゼン人間も問題と思われる。
グローバル経済化の中でのローカルとしての国家の経済政策は有効か
安倍政権が日本の経済再生に動き出したのは歓迎すべきことだが、懸念されるのは、グローバル経済化で大企業が人件費等の安い海外に工場を移転している現実と海外で稼いだ収益を国内に還元しない状況を見ると、単なる円安による輸出の増加と規制緩和だけで日本経済が再生しないのは明らかなので、円安と株高に浮かれていないで今後の具体的な政策を見極める必要がある。
実は安倍政権が遣ろうとしている先行例として韓国の李明博大統領の経済政策がある。正に、1998年のアジア通貨危機でIMF管理下でデフレ経済を強いられた韓国経済を復活させるために露骨なウォン安による輸出拡大によってGDPは大幅に増加した。しかし、大企業は内部留保を蓄積し収益は増大したが、国内の雇用は改善する所か格差が拡大し、企業も大企業の一人勝ちで中小企業は収益が悪化するだけとなった。韓国は長い間あらゆる面で日本を模倣し追い続けてきたが、IMF管理下になって否応なしに初めて別な道を選択したのである。日本のマスコミも経済停滞から脱した韓国経済に学べと言わんばかりの論調が一時は続いた。
しかし、李明博大統領の経済政策は米国流の大幅な規制緩和とウォン安による輸出拡大であり、グローバル経済にあっては企業が栄え、国民が滅ぶと言う格差社会を作り出した結果に終わった。その様な意味では、安倍ミクスも一歩間違えると韓国の後追いとなり、GDPは増加しても国民にとっては何も効果がない結果に終わる危険性がある。
この点から言えば、韓国が次期大統領に選んだ朴槿恵さんは、父親の故朴大統領の遺伝子を継承し、大企業より国民重視の政策を実施して行くものと見られ、その上に大学の専攻学部を電子工学に選んだ経歴と言動を見る限り、現李明博大統領の失敗を改める方向に大きく舵を切り、21世紀型の社会の現出に力を発揮するものと思われる。
日本の場合も財務大臣に中小企業の元経営者である麻生さんが就任したので大企業一辺倒の政策でない、中小企業の発展や若者の雇用の面を改善する政策を安倍首相に助言するのではないかと期待できる。グローバル経済に変わっても国は世界国家が出来ない限りはローカルとして位置づけられ、その国独自の税制などが企業経営を圧迫するのである。
21世紀型の経済と社会は、20世紀とは異なることを前提に政策を立案しないと無駄を重ねることになる。正に、メーカーズなどの本に書かれている様にメーカーも20世紀型の大企業ではなく、数人規模の工場を持たない家内工業的な単位の生産が供給の主体となる時代になるのかもしれない。20世紀末にグローバル経済が大企業を生み出したが、21世紀は情報化の時代により、デザインなどと工場生産が分離した社会が生まれる可能性がある。国家もその変化にそった政策を打ち出させる所が経済的な成功を収めるものと思料する。その様な意味では先行している隣国の韓国の動きを注視する必要がある。
アルジェリア事件の深読み
プラントメーカー日揮の社員の痛ましい犠牲には憤りを感じる。今回のテロの標的は日本人であったことが明らかになってきた。日本人がテロのターゲットになった理由は幾つかあげられる。多くの日本人は自衛隊の海外派遣を平和の目的として理解しているが、イスラム圏の反キリスト教・反ユダヤ教のテロリスト達から見れば日本はキリスト教国家でないのにその一員としてイスラム人を弾圧していると映っていると考えられることだ。自衛隊の海外派遣の拡大とともに本来は海外のテロリストなど過激派の動向を把握する組織を強化する必要があったと思われる。この間、外務省は何を行っていたかである。海外で時代遅れの鹿鳴館外交を繰り広げていることは承知の事実だ。外務省の改革を妨げているのは皇太子妃の雅子の親が外務省の高官であったことと、娘が外務省出身であることが関係ないとは言い切れない。その他にも、国会議員が外国に行った時に過剰な接待を行っているために、その利権を温存するために国会議員が外務省を時代遅れのままに放置しているとも思われる。大使には専属のコックを付けて貴族の様な生活をさせているのがそもそもの間違いだ。コックを置くなら武官を置けと言いたい。アルジェリアの日本大使館には武官を置いていなかったとのことだ。リビアの革命で多量の武器が隣国のアルジェリアやマリの過激派に渡った情報など何の役にも立てていなかったのは痛恨の極みだ。平和ボケの外務官僚に海外情報の収集を任せていたのではアルジェリアの悲劇は繰り返される。今回の事件を切っ掛けに外務省の組織や体制、更に大使館の組織改革を断行して無駄なパーティなどに費やされている税金を海外の日本人や企業の安全確保に対する情報収集や警護に使われるように改革する必要がある。海外情報の収集も外務省、防衛省、警察と縦割りで行っているので機能していないのが実情だ。他の先進国と同様に国内国外のテロリストや過激派の動向や外国のスパイ活動を監視する情報組織を立ち上げて国家と国民の安全を防護する必要がある。又、規制緩和して米国の様に民間の軍事会社に武器の所有や武器使用を認めて海外の企業も自らが防護できる様にすることも考える時期に来ている。グローバル化と民主化は利益の他に弊害ももたらしている。容易に自衛隊を海外派遣出来ない状況を考えれば、憲法改正議論より先に民間の自衛軍事組織を認めて防衛活動を行わせるのが現実的だ。
当社は顧客の資産管理を行っているが、先行きは顧客の財産の他に生命を守ることも業務の一環として考えなければならないほど物騒な社会に変貌しつつある。ニュースでスイス在住の資産家の日本人夫婦が帰国して行方不明になる時代である。今後は現行の警備会社の業務では出来ない民間軍事会社に相当する組織の立ち上げも検討したい。そう言えば、若い時分に勤めていた会社に韓国の元KCIAの軍人が履歴書を送付して来たことを思い出した。グローバル時代なの民間軍事会社は日本人だけで構成する必要はない。軍事訓練や戦闘を経験してきた外国人のスタッフも必要だ。
1通の年賀状
今年頂いた年賀状を読んだ中で印象的だったのは北海道札幌市に所在する曹洞宗薬王寺の住職である田中清元さんからのものであった。田中和尚は、私の兄の大学の後輩にあたる人なのだが、学生時代に紹介された時には一般の大学生だったので住職になるとは想像もしなかった。大学卒業後暫くたって家業のお寺を継ぐために曹洞宗の本山で修行したのだが、修行僧の時に一度お会いしたことがあった。僧衣にブーツを履いた姿は滑稽だったが、私も当時は鳥打帽をかぶっていたので、その時に兄と三人でクラブに飲みに行ったときにホステスから刑事と間違われた。可笑しな組み合わせでホステスも面食らったのであろう。田中和尚は行動する住職として有名になり、過去には風の会で参議院の全国区に出馬したこともある人だ。
今年の年賀状には、「正しい見方は 正しい心から それは正しい教えに始まる」と冒頭に書かれていた。そして最後には、「正しいという字は一度止まると書く。姿勢を正し、深呼吸して心を落ち着かせ、新しい年を迎えたい。」と結んでいた。成る程、漢字は優れたものであると改めて感じ入った。正しい行いかどうかは、一度止まってから考えることが必要なのだろう。若い学生時代にはやんちゃな人であったが、今は高僧になり仏法の教えを広めている。
毎年頂戴する年賀状には時勢を反映した有意義な言葉が書かれているので、有難く読ませていただいている。一度時間があればゆっくりと田中和尚の説教でも聞いてみたいと思っている。
年末オムニバス
民主党政権3年を問う選挙で今年の幕が下りることになったが、日本の失われた15年の立役者は小沢一郎という政治家の存在に尽きる。田中角栄という土建型政治家の下で学び、政治家としては政策立案能力を見せることはなく、徹底した政争政治家であった。自民党の単独政権が諸悪の根源として二大政党作りに政治家もマスメディアも踊り、その結果が分裂統合を繰り返し、結果的に生まれた民主党政権は野合の集まりで、1000年に一度の大災害である東日本大震災と副次的な福島第一原発の事故処理と震災後復興を等閑にし、民意を無視した増税に突き進み自滅した。政治は金と数と思い込んで政策など無視した最後の政治家の末路が小沢一郎と言える。今回の選挙で注目していた選挙区の一つに民主党元首相の管直人の選挙区があった。ここは東京都の国立市と武蔵野市の住民の選挙区であるが、今回の選挙結果は驚くべきものであった。それは管が善戦し、小選挙区では落ちたが比例で当選を果たしたことだ。東日本大震災の時の首相として無能なだけでなく、福島第一原発の事故処理に対して鎮静させるどころか彼の行動が被害を拡大してしまったからだ。今更言っても仕方がないことだが、管が首相でなければ少なくても原発1基の爆発で済んだと言われることは事実な様だ。私の故郷の茨城北部は福島第一原発から116kmに位置している。そこに居住する姉の飼い犬が内部被ばくしているのが昨年正月に偶然分かったが、現在は死の床に横たわっている。周辺地域の犬も足などに痛みを訴えていると言う話も聞くと、骨にセシウムが入った可能性は否定できない。管直人は原発事故を拡大させた責任を取るどころか、代替エネルギー法案を成立させたことを自慢するなど万死に値する政治家だ。それなのに東京都国立市と武蔵野市の住民の選挙で取った行動には日本の将来に不安を起こすものであった。そう言えば、国立市では法律的に問題がなかったのに住民がマンション建設に反対して後から条例を制定させて建築計画を変えた場所であったことを思い出した。
近年マスメディアは決める政治とか盛んに政治家を挑発しているが、民主主義とは何かを全く考えない意見だ。民主主義は手続きに時間が掛る制度だ。情報化時代で社会がスピードアップしたから政治も同様だと考えると民主主義の否定に繋がる。決められないのは社会の価値観が多様化し、複雑な社会になったからだ。マスメディアが決められない政治を攻撃すると結果的にアジテータ政治家の出現となり、政治が一層貧困化する。政治家が無能なので官僚が政治に口出ししてきており、意に沿わない政治家や議員立法に対してネガティブキャンペーンを行って国民を洗脳しておる。これは由々しき問題なのだが、記者クラブ制度の日本では利用されることがあってもその危険を訴えることはない。
安倍自民党政権の発足で経済再生に注力する姿勢を打ち出しているが、多くの人は本当に景気が良くなるか不安視している。民主党政権3年間の政治が如何に国民を裏切ったものであるか今更ながら驚く。私の個人的な見解では、安倍政権で景気は良くなると考える。理由としてはマスメディアが安倍政権を脱財務省とか論じているが全く筋違いと思うからである。財務官僚は民主党野田政権で悲願の増税法案を通したので今後は実施に向けた環境つくりと思われる。国民は財務官僚に騙されているので、円高は増税を実現するために財務省が仕組んだものと疑問にも思わない。その点から言えば、増税法案実施の条件の景気回復を実現するために財務省は動くことになり、それは選挙前の円安株高で良く理解できる。安倍政権の経済再生は増税の為の道標であり、脱財務省ではない。尤も、経済産業省の改革派と呼ばれる元官僚がTPP参加や電力自由化の拡大、更には国民の為にならない規制緩和を仕掛けなければの話だが。財政しか考えない財務官僚は失われた15年のA戦犯だが、経済産業省もグローバル経済を読み誤った政策を続けて産業界をリードしたのでB級戦犯は免れない。
何れにしても、二度目の登板となる安倍政権は財務大臣に麻生さんを就任させたことで経済再生の意気込みが伝わる。麻生さんが平成の高橋是清になるのを願うばかりだ。笑ったのは石原伸晃を環境大臣に任命したことだ。今回の安倍総理は良く考えている。久し振りに期待出来る内閣と思われるが、後は米国対する面従腹背を成し遂げられるかだ。それはTPPと沖縄・普天間基地移設問題が踏み絵となる。この問題を上手く処理しないと短命内閣に終わる可能性が高いが、安倍総理は乗り越える自信があると思われる。期待したい。
朴槿恵さんの韓国大統領選挙の勝利を祝す
韓国の大統領選挙で朴槿恵さんが勝利したのには感慨深いものがある。私は彼女の父親が大統領であり、不幸にも側近に暗殺された時に日韓経済交流の仕事に携わっており、ポスト朴の情報を上司から命じられたが、その後の予想もつかない展開に翻弄された苦い思い出がある。今回の大統領選挙に朴槿恵さんは父親の軍事政権時代と戦前の日本軍人としての経歴を糾弾され、心ならずも謝罪した苦痛には同情を禁じ得ない。軍事政権以降で野党側から選出された大統領の殆どが歴史の見直しを行い、戦後50年以上経過したにも拘わらず、恰も昨日の如く対日協力者が資産まで収奪されるのは決して未来志向の姿ではないと思われた。時代時代において人は生きるために行動するのであって、現在の様な民主国家の成立以前の国において反国家的な問題で糾弾することの誤りに気づいていない。歴史学者の誤りは現在から過去を見て分析する姿勢と言われている。確かに、現在から過去を見るとその後の経過を見た者にとっては幾つかの選択肢が見えるが、過去の時点ではその選択肢が考えられたどうかは疑問だ。韓国の民主化は1987年6月29日に盧泰愚大統領の民主化宣言で初めて実現したのである。何故民主化が遅れたかは自明の如く隣国の北朝鮮と軍事的に対峙していたからである。朝鮮戦争を挟んで政権を担当した李承晩大統領時代の韓国は現在のアフリカ諸国より貧困であった。この状況を憂いた若手軍人が軍事クーデターで維新を断行し、その後日韓国交回復を果たして経済成長路線を築いたのである。その立役者が朴槿恵さんお父親であった。漢江の奇跡と言われた高度経済成長を実現し、今日の韓国経済の礎を築いた功労者であったことは事実である。特に、清貧な軍人政治家であり、後の歴代の大統領の様に親族一党で資産蓄積に走った者たちとは大きく違ったのである。何時のどの様な時代もそうだが、人々の欲求には節度がなく、何かを得られれば別なものが欲しくなる。政治は常に国民の何かしらの不満を受けなければならない宿命を持つ。勿論、この様な不満を持つことに対して国民が甘えているなどと言う政治家がいるが、国民から選ばれた政治家が言う言葉ではない。国民とはそういうものだ。しかし、戦後50年経過した後も対日協力者の弾劾を続ける姿は単に国民の不満を煽り、政敵を潰すのに利用していると見做されても仕方がないものである。その様な意味で、今回の大統領の選挙で朴槿恵さんが大統領に選出されたことは日韓関係のターニングポイントになる可能性が高い。日本に韓流ブームが起き、韓国民が日本に対して自信を深めた今こそ、日本と韓国が未来志向で経済的文化的交流を拡大し、相互繁栄する提携関係の構築が必要なのである。ちっぽけな島の竹島問題で壊してならない流れなのである。朴槿恵さんを大統領に選んだ韓国民は過去ではなく未来志向を求めたのである。日本国民もこれに答える必要がある。
経済産業省から資源エネルギー庁を分離すべきだ
経済産業省に資源エネルギー庁を所属させることは日本のエネルギー政策に大きな問題点を生じさせるばかりでなく、福島原発事故の誘因を作った電力自由化にも国民の為の真の自由化かどうか検証する必要がある。当世は規制緩和や自由化という言葉を使うと官僚の利権を壊し国民の全て利益になると思われがちだが、実態は必ずしもそうではない。日本維新の会の顧問の竹中平蔵の様な政治ブローカーの新たな利権を生み出しているケースも多い。国民は電力の安定供給に慣れ過ぎてこの状態が当たり前になっている。電力自由化を考える場合には先ずこの当たり前の疑問から考える必要がある。私も良い自由化なら賛成だ。問題は国が進めた電力安定供給の為に電力会社の過剰に抱えている設備投資だ。電力自由化や送配電分離に関して誰もそのことに言及していない。太陽光発電にしても高い電力を電力会社が購入しなければ成り立たない現実を考えれば、最終的に税金という形で国民に転嫁されることは明らかだ。現在でも国民は大企業に電力料金を安く供給するために高い使用料を強いられているのだ。これに関しても殆どの国民が知らない。経済産業省が進めている電力自由化は国民のためでなく、企業の為である。勿論、昔の様に終身雇用制が維持され、失業率の低い時代なら国民に高い電力使用料を課して企業に安い電力使用料金とすることには異論がないだろうが、金融資本主義になり、格差社会が現出した状況では、企業のために全国民が犠牲を強いられる必要はないという事だ。経済成長を遂げて世界第二位(現在は第三位)になる前は、電力の安定供給などなく停電も良くあった。この為に、重厚長大産業と言われる企業は自前の発電設備を所有していたのである。それが何時の間にか安い電力を供給するシステムが構築され、企業は電力設備を持つことがなくなったか、非常用に近い設備となった。原子力発電所の建設推進は企業に安い電力を安定的に供給するためのものであり、国民生活の向上は二の次であった。何故かと言うと、経済産業省に資源エネルギー庁が置かれたからである。経済産業省は国民の福利厚生のための行政ではない。企業の為の役所である。尤も、経済が良くなれば国民生活も向上するので、間接的には国民に為でもあるのだが、官民尊卑の思想が残されている官庁には国民とは犠牲を強いるものと理解されている。経済産業省の企業とは官庁の指導に従うものを指し、指導に従わない企業に対しては悪辣な嫌がらせをするのである。これに関してはホンダ創業者の本田宗一郎翁や出光興産の出光佐三翁が指摘している。グローバル化の中で電力自由化で安い電力を求めている企業の為に経済産業省は動いているが、過剰な電力設備の問題を考慮しないで電力自由化を進めたために、電力会社は経費節減に走り、必要な安全対策を怠ったり、老朽化した原発の稼働の延長を決めたことが福島原発の事故を招いたのである。東日本大地震直後は想定外の大地震のために起きた事故と言われたが、40年以上経過した原発の稼働延長や津波対策を指摘されていたのに行わなかったことに関する問題には言及されることはなかった。確かに、電力会社も政治家を使ったり、天下りの官僚を受け入れて行政に対する指導に従わなかった面もあったと思われるが、従わなくなった背景には電力自由化に端を発しているのではないかと思われる。日本原子力発電の東海第二原発は津波対策を施していたので間一髪で事故が防げた。東電の福島第一原発の津波対策が行われなく、日本原電の東海第二原発の津波対策が行われたかは一目瞭然である。理由は30㎞圏内の人口である。東海第二原発の30km圏内には80万人の居住者がおり、原発周辺の人口としては最も多いエリアだからである。何れにしても、全体を見て電力自由化を進める知見がなかったために起きたのが福島第一原発事故であった。資源エネルギー政策は国家的国民的なな視点から行うべきものであり、経済発展の視点からしか見れない経済産業省に関係部門を置くべきでない。原子力規制委員会は第三条委員会と経済産業省から独立したが、原子力だけ切り離しても意味がない。この際、経済産業省から資源エネルギー庁を分離独立させてから電力自由化の問題を議論すべきである。日本維新の会などは電力自由化を進めれば脱原発できるなどと戯言を言っているが、本当に国民を考えた議論をするなら、先ず経済産業省から資源エネルギー庁を独立させることが重要だ。
中央高速道・笹子トンネル崩落事故は民営化のツケ
今の日本は民営化を唱える人達が主導権を握っているので、笹子トンネル崩壊事故の本当の原因も隠蔽される恐れがある。その第一弾の記事が出た。打音検査は2000年以降行っていなかったという報道記事だ。小泉内閣が発足したのは2001年以降で道路公団の民営化はそれ以降の事なので、今回の事故と関係ないという正に予想された内容だ。少なくても、それが事実であったとしても日本道路公団が民営化を逃れるために経費節減を行ったという解釈も成り立つ。何れにしても、打音検査自体が経験豊富な従業員がいることを前提としたものであり、打音検査を辞めた理由は経費節減でなく、リストラによる年配者の経験者の切り捨てから生じた可能性も否定はできない。民営化も同様だが、米国主義の経験者軽視の社会にシフトしたマイナス部分だ。日本人は情緒的な国民性なので、いったん振り子が逆になると一斉にその方向にベクトルが動き止まらなくなり、盲目的になる。民営化問題も然りである。日本道路公団の問題は民営化でない有効な方法があったにも拘わらず、道路公団の改革は民営化しかないという方向付けがなされた。何故なのか。簡単である。民営化の方が簡単であり、株式市場の上場などの利権絡みで儲けることが出来るからである。日本社会の構造改革で抜け落ちているのは国民の安全という言葉である。国民の命に関係する高速道路に関して営団の民営化は適切かどうかの議論は少なかった。民営化により利益追求企業になれば経費節減が第一となる。勿論、経費節減とは理想論からいえば無駄な部分や必要以上に掛けている費用を削減して適正化図ることだが、実際には利益を出すために無理な経費削減が行われるのは普通だ。笹子トンネルの目視点検に関しては開いた口が塞がらないほど驚くが、人の命より利益を重視した結果であるので、今後とも起きる事故と思われる。リストラで経験者を切った時点で打設点検も効果がなくなり、本来なら赤外線点検が必要であったと思われる。2000年以降に打設点検が行われなかった理由を検証しないと問題点をぼかしてしまうことになる。国民は中央高速道路の笹子崩落事故は道路公団の民営化による起こるべくして起きた事故としてとらえないと同じような事故が再び起きる。話が変わるが、米国NYを襲ったハリケーンによる市街地の混乱は、公共施設にお金を掛けない考え方が原因であり、現在の日本では考えられない被害と言われておる。日本社会も間違いなく、米国の破たんの道を追っている。
政党の第三極Aチーム、Bチームの見方
ビジネス業界にBプランという言葉があるが、マスコミが滋賀県知事の嘉田由紀子さんが造る新党に結集する集団に対して命名した第三極Bチームの表現は面白い。第三極Aチームはもちろん橋下大阪市長が造った「日本維新の会」であり、第三極Bチームは嘉田知事の「日本未来の党」は承知の事実であるが、両方とも地方自治体の首長が造った政党であることは中央集権政治が地方を犠牲にした結果であることが分かる。民主党政権に対して国民が抱いた嫌悪感は政治的信念がなく、ぶれまくったことである。自民党、民主党以外の新しい政党に求めることは先ずぶれない事であると思われる。ぶれると言うことは政治的信念が欠如していることであり、ポピュリズムに陥るということであるし、それ以前に政策の勉強が絶対的に不足していることでもある。日本維新の会に危惧するのは、環境エネルギー問題の顧問として大阪市に迎えた飯田哲也さんが反原発で山口県の知事選に出馬したのに支援しなかったことである。支援しなかった理由は山口県選出の自民党の安倍晋三議員と提携の話をしていたからと推定されるが、瑣末なことと思われるかもしれないが、私としては橋下大阪市長の政治信念について疑問がわいた。その後、日本維新の会が石原太陽の党の合流で重要な政策などを曖昧化した事を問題視してなく、政治は数という旧来の考え方で政治を考えていることが良く分かった。この様な集団は形勢が不利になれば容易く空中分解することは目に見えている。第三局Bチームの嘉田滋賀県知事は経歴から判断して政治的信念がある人物と分かる。大学で農学部を専攻し、農業と環境に対しては専門家である。組織票を持たずに知事になったのは橋下大阪市長と似ているが、二期目に入った嘉田滋賀県知事は橋下市長の様なアジテータ-手法でなく、正に地についた手法で県民の支持を得ている。脱原発を標榜しながらコロコロと変わる橋下市長に比べて嘉田知事の"卒原発"の主張は現実的である。日本未来の党に先の飯田哲也さんが副代表で加わる話もあり、それが実現すればエネルギー・環境に関しては非常に大きな力となることは間違いない。既成政党の如く数の論理を優先して国政に参加する日本維新の会より、政治的信念をもって国政に参加する嘉田知事の日本未来の党の方が国民にとっては信頼できるものと思われる。ビジネス界でも実際に評価されるのはBプランなので、政治でも第三極はBチームに期待したい。