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言いたい放題で書き進んできたが、世間でエリートと言われる人達は私の書いた者など一顧だにしないと推定できる。何故ならば、データの裏付けを明示していないからである。エリートの方と議論すると必ずデータの裏付けがあるのかと聞いてくる。人を納得させるには感覚的なものではなくデータが必要なことは自明だが、日本経済がデフレの循環に陥っているのは正にデータ主義と部分最適で物事が決められているからだと思われて仕方がない。尤も、データが大事と会社の業績悪化の苦し紛れに政府が発行する統計データを見て新規部門に特化して成功した企業物語もあるので、尚更データが大事となった。優秀な人だとデータをタテとヨコとナナメから分析するので、最終的には平凡な答えしか出ない。しかし、凡人はデータを見て特化した専業会社が居ない事に勝機を見て進出するので、偶然に時代が微笑みかければ大成功するのである。問題は偶然に時代が微笑みかけると言う点である。

余りにも人口に膾炙しているので耳にタコである、一代で大事業を築き上げた人の「会議で皆が賛成する事業は成功しないので行わない」と言う格言だ。データ主義は言い訳に使われ易いことを認識するべきだ。特に、データは切り口次第でどの様にでも料理できる代物であることも同様だ。昨今は人の消費行動を分析するメガデータの活用が指摘され、一定の成功を上げているので、尚更データ重視主義に陥っていると思われる。

それではデータ以外に何を信じて判断すれば良いかだが、経済の難しさはタイミングであり、黒田日銀総裁が行った異次元緩和も18年前なら成功したと考えられる。更に付け加えると、日本だけを見るとグローバル経済がデフレ現象を引き起こしていると思われる。50年前と違い、日本経済のGDPは500兆円もあり、輸出25%、内需75%で動いているのに生活感に豊かさがないのは非正規雇用者増大と地方経済の疲弊、更には生活様式の変化と指摘できる。地方の疲弊の最大原因は農業・林業・漁業の衰退である。地方が都会と比べて都会程の豊かだった時代はないが、それでも公共事業と円安時代の工場の地方移転で所得は上がった。地方が豊かになった歴史を見れば、今の衰退は一目瞭然だ。然も、多少豊かになった時代に行った無計画の街づくりも今日の衰退の一要因だ。

時間を巻き戻すことは出来ないが、地方を豊かにしないと日本将来はないことを考えると、景気や円高で変動する観光資源の活用ではなく、再度農業。林業・漁業に目を向ける事が重要と思われる。更に、交通インフラの整備は一見すると地方都市に貢献しているかのようだが、経済的にはお金が素通りしてしまう構造となっているので、必要以上の交通インフラ整備は無用と思われる。国土交通省がコンパクトシティなどを進めているが、地方再生には役に立たないプロジェクトだ。

(次のブログに続く)

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アジア通貨危機は正に日本の金融機関にとっては金融機関の主導(共同債権買取機構)で行ってきた不良債権処理を国の主導(整理回収機構)に転換することになった事件である。また、同時に日本の金融機関の不良債権処理がフェイズⅢになったので自分たちの出番と海外のハゲタカファンドが日本に大挙して上陸してきたのである。

1997年~2005年には金融機関の不良債権処理も一段落し、大都市などでは不動産価格も上昇したが、その後2007年に米国発のサブプライムローンによるリーマンショックが起きたので、国内の景気はデフレ脱却には到らなかった。しかし、1998年はウィンドウズ98が発売され、インターネットのブームが起こり、世界経済はグローバル経済に急速にシフトして行くことになる。国内に目を奪われると見えなくなることだが、バブル経済崩壊後でも少しも業績に影響を受けなかった産業がある。自動車産業である。また、国内の消費の低迷から海外の販売に注力した企業は業績を拡大し、売上的には大幅に増加している。更に、国内でもデフレに対応した低価格販売を推進した企業は大きく成長している。

バブル経済真っただ中のGDPは320兆円、バブル経済崩壊後の2000年のGDPは500兆円を超えている。GDPは増加してるのにデフレは続いているのは何故か。金融資本主義の導入で勤労者の対して利益を還元しないで株主に還元する経済システムになったことも一つの要因だが、最大の要因は価格を破壊するデフレ企業に金融機関が積極的に貸出しているからだ。

飲食店舗に目を向けると、バブル経済崩壊前は開店資金が多額なので容易には出店できなかった。しかし、リース会社の丸ごと店舗などにより資金が無くても出店が可能になり、飲食店舗業界は供給過剰になった。その結果、価格破壊が起きてしまった。このブログを読んでいる方は価格破壊が起きて何が悪いと言われると思うが、金融緩和でお金が市場に回されるほどデフレ企業の投資が盛んになり、デフレ企業同士の競争が激化し、更にデフレになる悪循環が起きていることを言いたいのである。

翻って、付加価値の高い物を生産したり提供すれば良いと反論が出ると思うが、少子高齢化社会の到来で社会医療保険の崩壊も指摘されている中で、国民はお金を使わないと言う現実だ。安倍政権は金持ちを作ればベンチャー企業に投資し、新たな企業の出現で雇用も増えるので、格差社会でも十分に景気回復は可能と判断しているが、少数の金持ちが使うお金より、普通の人達が使う金が経済的には遥かに大きいことに気が付いていない。基本的に金持ちはケチだから金を蓄えたのであることを忘れている。

この様に書き進めると悲観論者の様に見えるが、私は悲観論者ではない。私が言いたいのは現在のデフレは国内の金融機関の貸出先の問題とグローバル経済の構造的な要因で起きているので、金融政策や財政政策を行ってもインフレにならないという事である。

(次のブログに続く)

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日本が経済デフレに陥って景気が回復しないと言う考え方が一般的だ。しかし、私は別な観点から日本が置かれている現在の経済的環境は古典的な経済デフレではないと最近考えるようになった。勿論、私は理系の人間で経済学など学んだ経験がないので、私が思うのは独善的な解釈である。確かに、日本が経済学的なデフレに陥ったのは経済バブルが崩壊して資産が下落し消費が減少した為との説は経済理論から当然な分析結果と否定はしない。しかし、安倍政権になって過去にないデフレ退治の政策を行っているにも拘わらず一向にデフレから脱却できないのは承知の事実だ。専門家は金融政策、財政政策などマクロ経済からデフレ脱出の処方箋を提案してるが、実際に動いている現場の構造の変化を理解しないとマクロ経済など偉そうに論じても的を得た分析になっていないと思われてならない。私が敢えて市場と言わないで現場とミクロ的な表現を使ったのは、そもそも市場と言う捉え方が間違っていると考えるからである。

尤も、経済理論を批判する考えはないので、何とか理論など無視して私の荒唐無稽な分析を述べることにする。日本はバブル経済が崩壊し、不動産担保金融が破たんして金融機関は10兆円を超える不良債権を抱えることになったのは事実だ。しかし、バブル経済と言っても企業にとってはその需要に合わせて設備投資しているので問題はバランスを欠いた設備投資となった分に対して如何に償却を図るかだが、日銀は実態と合わない金融政策を導入して無理矢理バブルを壊して不良債権を築かせたのも紛れもない事実である。その上、バブル経済が起きた原因を分析せずにバブル経済崩壊後にとった政策が全ての間違いと考える。

バブル経済が起きた原因はオイルショック後の日本企業の回復とその後の急速な円高、更には米国の圧力による内需拡大政策であった。また、更に悪い事には重厚長大産業による設備投資が減少し、大手金融機関にとっては安定した貸出先が望めなくなったことであった。円高になっても未だ国内の需要もあり、国内工場の海外移転が加速することはなかった。しかし、バブル経済の崩壊により、国内の需要が減少するにつれて輸出に注力する企業は国内工場を中国や東南アジアにシフトし始めた。国内設備が供給過剰でありながら輸出の為に海外に工場建設して軌道に乗ってきた時にアジア通貨危機が起きて元の木阿弥どころか金融機関取っては国内と海外とのダブル貸し出しの不良債権になってしまった。

(以下は別のブログに続く)

 

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豊洲の築地移転と豊中市の国有地払下げ問題に何れも土壌汚染が論争の鍵を握っている。面白いことに、2か所とも"豊"と言う字が使われている場所と行政管轄で問題が生じているのは皮肉なことだ。

築地の移転で豊洲の土壌汚染が問題になっていると思っていたら今度は築地でも土壌汚染の可能性ありの調査結果があると報道された。本当に日本と言う国はマスコミを使った大衆操作で政治を行うと嫌になる。豊中市の大阪空港用地の一部小学校建設の為に払い下げた用地にも汚染物質があるとのことで売買価格が引き下げられたとのことだが、どうやらどの問題も土壌汚染に対する無知な国民とみた悪知恵が働く輩が企画した事件と推定できる。この為、土壌汚染に対する基本的な知識が分かる程度に3件の問題を解説することにする。

先ず、日本で土壌汚染に対する意識が芽生えたのは、経済バブル崩壊後に欧米から持ち込まれた不良債権ビジネスからである。環境リスクの土壌汚染調査は不動産証券化作業の過程で一層重視され今日に至っているので、歴史的に見れば20年程度と言ったところだ。バブル経済崩壊後の日本は正に第二の敗戦、そしてハゲタカファンドは第二の進駐軍と見做される。

日本人と言う人種は他人の褌で相撲を取るのが上手く、第一の進駐軍の時にも進駐軍が言ってもいない嘘を平気で付いて政治に利用していた。皆が容易に接触できない存在を利用して自分の意見を政治的に利用する術に長けた人物が勝者になった。この様に書くと土壌汚染と関係ないと思われるが、利用するのは人ばかりではない事を言いたいからである。豊中市の国有地払下げ問題は正に土壌汚染と権力者の両方を利用した狡猾な国有地搾取事件だからだ。盗泉の水を飲む喩があるが、豊洲などは多くの関係者が盗泉の水を飲んでいると思われるので、真実が見えにくくなっている。豊洲問題が都議会で百条委員会の設置が決まり、移転疑惑に対する審議が始まる矢先に今度は築地が汚染されていた記事が掲載された。しかも、汚染は進駐軍である米軍のクリーニング工場があったからだそうで、その上築地には場内を走る車の整備工場があるので、汚染間違いなしと書いている。

さて、話が飛んで土壌汚染の基礎講座はどうしたかと言われそうなので土壌汚染調査に戻るが、土壌汚染調査は先ずフェイズⅠで地歴など資料調査を実施することになる。この地歴調査で過去に印刷工場や自動車工場など化学薬品や化学物質を扱った施設があったかどうかが判断の決め手になる。この調査で疑いが出ればフェイズⅡに移し、土壌のサンプリング調査を実施する。サンプリング調査で汚染の可能性が出てきた場合には、フェイズⅢに移り、ボーリングや掘削を行って土壌を確認するのである。ちなみに、豊洲の場合は東京ガスの工場があり、最近まで汚染させていた場所なので、最初からフェイズⅢの調査を実施したと思われる。土壌汚染が厄介なのは地下水に融けて汚染が拡大することであり、その場所の汚染度合ばかりでなく周辺に対する汚染調査も重要となる。

次に、豊中市の大阪空港用地売却に関してだが、長く騒音隔離用地として使用されてきたので過去に何が設置されていたか不明であったと思われるので、フェイズⅠから調査を行ったと推定できる。なお、汚染物があると判断されて売買価格から処理費用が控除されたのであるから調査はフェイズⅢまで行っていると断定できる。直近のニュースだと掘削した土砂を校庭内に仮置きしていることが報道されているが、小学校の敷地になる場所に汚染廃棄物を仮置きしているとは驚きである。何をか況やである。ここではその真偽を問うブログではないので次の築地汚染報道に移ることにする。

築地に関しては近くに高速道路があるので排気ガスで汚染されているなど築地移転を早く行わないと大変だと言う大合唱が聞こえる。そして今回の進駐軍時代のクリーニング工場汚染報道だ。豊洲移転を正当化する築地の汚染報道は豊洲の汚染が如何なるものかを考えない輩の戯言だ。覆土を盛り土と称する報道には呆れるが、耐震性から言えば盛り土を行うなど言語道断だ。木造2階建てと違うので杭が入っているから問題ないと指摘するであろうが、何故2mもの盛り土(覆土)を行い必要があったかに関しては明確な報道がない。豊洲の問題は当該地で汚染土を浄化しているので、汚染土を外部に持ち出したのではないと言うことである。日本の土壌汚染に対する意識は高々20年なのを考えると、豊洲における汚染土の浄化による対策で十分なのか気になるところだ。日本人の悪い癖は引き返せないことだ。そのシステムで全てを失った過去を学べと言いたい。

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ベンガル人のタゴールが100年前に書いた「日本旅行者」を読んで日本及び日本人に対する洞察力には驚いた。私の持論でもある日本人は混血民族を証明してくれてる本でもある。タゴールが書いた日本人は今の日本人とはだいぶ違うのは太平洋戦争後の米国式教育の結果なので仕方がないが、物静かな民族なのに驚いたことを書いている。然も、欧米人の様に日本人は人種差別的階級的な対応をせず親切であることにも言及している。尤も、彼が日本人を称賛する理由は最初に知り合った画家の横山大観などの影響があり、実際に来日して接した日本人の全てをベタホメしているわけではない。このことを考えると、最初の出会いが大事なのが良く理解できる。

タゴールは詩人として有名だが、日本の簡素化された文化と美に驚嘆しており、欧州の必要以上の飾り文化に対して日本の簡素さの美に共感した様だ。タゴール同様に他の外国人も日本の美に関しては無駄のないというか、質素さを評価している面がある。日本が他のアジア諸国と違い、西洋文明の科学技術を取り入れて欧米諸国とそん色のない国を造った事に関しては、日本人は多くの血が混じった人種と指摘し、小さな国ゆえに民族全体は同じベクトルで同じ目標に突き進めたことも指摘している。特に、日本人が明治新後に一挙に西洋化を実現できたのは、実現するに必要なものを既に持っていたとも指摘している。実に面白い指摘である。

なお、日本の俳句などは余剰分を最大限まで削ぎ落としている素晴らしい表現と絶賛し、横山大観などの日本画に対しても少ない表現の中に深い意味が込められていると絶賛しているが、日本人は精神性の面で欧州文化と比較して浅く、日本人に影響を与えている神道に関しては形式だけのものと評価が低い。確かに、指摘されれば、神道は形式を重んじる儀式であり、同じ宗教でもキリスト教的な思索的なものではない。100年前に日本及び日本人を洞察したタゴールの紀行文は現代日本人にも戦後に喪失したものは何かを考えさせる良い本であり、日本人の単一民族を唱えて移民政策に反対する人達に読ませたい本でもある。

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官僚に対する偏見があったので此れまでは敢えて評価の高かった人物にも迫ろと思わなかったが、過去には無能な政治家の防波堤になって国と国民を守ろうとしてきた役人が居たのではないかと考えるようになった。過去と付けたのは今の役人は無能な政治家にすり寄って出世を遂げたいと考える個人的な野望を優先する役人が多いと思われたからだ。米国にトランプ大統領が出現し、世界が混沌とした状況に否応なく巻き込まれることになった現代において国家を考えなくなった役人が多いことは正に国家の危機と言える。

役人として名を遂げたが1冊の著書も書かなかった人物に興味をもったのは何時ごろか記憶にはない。しかし、最初に名前を知ったのは田中角栄が唱えた列島改造論の作成者としてであった。その人とは、下河辺淳だ。既に故人だが、私が二度目に名前を聞いたのは勤務している会社が管理していたビルのテナントが賃借室内に下河辺淳メモリアルを設置した時だ。この時にもそれほ興味を持った訳ではなかった。そして、昨年にある懇談会で総合研究開発機構の理事さんと話す機会があり、下河辺氏が同機構の理事長を務め、今でも惜しまれている存在であることを知った。

そこで改めて下河辺氏の人物をインターネットで調べたら東京都生まれなのに出身が私の故郷の茨城となっており、これ程の人物なのに同郷の私が知らないのが不思議であった。下河辺氏は著書を出さなかったので、何かないかと探したら資生堂の福原義春氏との対談本があることを知り購入した。しかし、購入後私の中では優先順位が決して高くなかったので数か月放置していた。今回手にした動機は受託している世田谷区内のマンション管理組合の会合が夜8時に開かれることになり、それまでの時間で読める本を積み上げた書籍の中から探したからであった。小冊子の対談本であったが、内容は深く、何故もっと早く読まなかったのか悔やまれた。この中で生立ちが書かれており、父親の仕事の関係で日立と水戸に住むことになり、日立市で小学校、水戸で旧制中学、旧制水戸高等学校で学んだことが茨城出身と勘違いされたものと知った。尤も、下河辺氏の話では、先祖は霞ヶ浦周辺にいた豪族で佐竹に滅ばされて一族は土着したか佐竹に仕えたか下河辺氏の先祖の様に関西まで逃げ落ちたかに分かれたと書いていたので、先祖は茨城であった様だ。

下河辺氏は机上の空論を語る人ではなく、常に現場を見てきた人であったが、日本と言う国土を若き時代には戦後復興、中年には日本の成長を考え、そして晩年には低成長時代の日本の行く末に思いを巡らしたことが良くわかった。下河辺氏を知るほど著書を残してほしかったとの思いが募った。役人時代に現役の官僚は書くべきではないとの思いがあったと対談では述べている。確かに、役人は縁の下の力持ちだ。現役時代に本を書けば本末転倒になってしまう。仕事は後世の評価で決まるものだ。しかし、結果も定まらな内に本を書き、自分が正しいと主張する輩ばかりだ。税金で調査した事柄で書いた本で著作料を得るなどとは本来言語道断であろう。ここまで日本人は落ちてしまったかと嫌になる。

下河辺氏の歴史を学ぶことが未来を知ることだという事は至言である。しかも、下河辺氏の歴史とは1万2千年前の縄文時代にまで遡ることを指摘しているのである。確かに、弥生時代、平安時代と日本は外来の文化を取り入れて日本独自の文化を形成してきたのである。渡来文化は今でいう所のグローバリズムにおけるダイバーシティであろう。少子高齢化社会を迎えた日本は渡来人を受け入れて再度新しい日本分化を作る必要があるとの指摘には反論することはできない。

人の記憶に残り続ける人物とは正に下河辺淳氏の様な人を指す言葉と言える。子供時代から青年時代に掛けて茨城県内で育った先輩として自慢したい。

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今年、北海道札幌市内の曹洞宗薬王寺の住職 田中清元氏から頂いた年賀状に書かれていた言葉だ。
全機現とは道元禅師の言葉で、「持っている全ての力を余さず発揮すること」であるそうだ。
今年の年賀状に"全機現"を使ったのは、この言葉にピッタシの方にであったからだそうだ。その方とは人気長寿番組の司会を昨年卒業した桂歌丸師匠で、大本山総持寺で共演した時に、体重36kg、齢80才、二度の大病を患い、車イスで酸素ボンベを抱えておられたが、幕が上がり高座が始まった瞬間、聴衆の心は釘付けとなり、オーラが感じられたそうだ。その時に、与えられた場所で一生懸命、命を輝かす師匠の姿に改めて教えられたそうだ。それが「全機現」。
新年早々、元気づけられた年賀状となった。

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福岡の道路崩落事故は人的な被害がなかったので復旧の手際さに皆が驚いた様だ。しかし、同様な事故は今後も起きる可能性が予見されるので、事故の検証は重要と思われる。崩落事故の原因は地下鉄工事であったことは周知の事実だが、今回の事故に対する処理の素早さを見ると、工事会社の元請企業体の大成建設は福岡市が採用した設計上の施工法に懸念を抱いていた可能性もあると推定される。勿論、飽く迄も推測だが、そう考えても不思議でない位に事故後の処理が手早かった為だ。

幸運にも、事故後の私的な宴席で、福岡出張で偶然事故を目撃した方から話を聞く機会を得たので、手際の良さの背景を色々と考えた次第だ。目撃した方の情報では、崩落現場には近づけない程警備が厳重だったので、目撃者の方は機転を利かして近隣のビルに上がって現場を俯瞰したとの事であった。流石に長年不動産事業に関わってきた方と感心したが、その方でも事故後の処理には目を瞠った位だから尋常ではない対応と思われる。施工企業体の元請が大成建設と聞いて自民党の有力政治家を想起した。私も確認した訳ではないが、マスメディアが有力政治家の子息が大成建設の社員であることを書いた記事を目にしていたからだ。

日本の行政は縦割りだから今回の様な事故に関しては調整に時間が掛り、過去には被害を大きくしたケースが多い。しかし、今回の事故に関しては事故対策のシュミレーションが出来ていたかと錯覚するほど迅速な対応が出来た背景には件の有力政治家を抜きには語れないと言っても当たらずとも遠からずではないか。政治家が機能すれば事故の処理は被害を最小限に抑えられる見本みたいな実例だ。今回の事件を振り返ると、規模的には大きく違うが、東日本大震災と二次被害の福島原発事故に関しても、政治家が機能していれば被害はもっと抑えられたのではないかと考えてしまう。尤も、福岡の道路崩落事故の処理に有力政治家が拘わっていたと仮定した話ではあるが。

事故の処理に目を奪われると今回の事故の原因が見えなくなってしまうが、事故の遠因には財政面と効率による工法の選定に問題がなかったかである。全ての工事に言える事だが、予算ありきから入ると安全面が疎かになってしまう弊害がある。更に、近年はITによるビックデータの活用などで経験が軽視されてきていることにも事故を生む背景があると思われる。AI技術は素晴らしいと思うが、AIが絶対に人を超えることが出来ないと考えられるのは直観でなないか。直観とは単なる思い付きではない。記憶の彼方に存在しているDNAに組み込まれた無意識の世界から呼びかける声と私は考えている。科学的とは言えないが、多くの経験を積むと不自然と見えることは往々にしてリスクを孕んでいるのが分かる。

福岡の崩落事故は専門家の調査委員会の報告を待つとするが、事故ではないが東京都の豊洲の新市場の移転に関する顛末にも疑問が多い。マスメディアも報道において間違った表現を意図的かどうか知らないが流すので、専門家でない人は誤解してしまう。報道では盛り土と表現されているが、実際は覆土であるそうだ。勿論、覆土にしては高いので盛り土と言った方が適切と報道者に説明した人は考えたかどうかは知らないが、盛り土と覆土の違いは大きい。地震を考えると盛り土して建築するなど考えられないからだ。然も、盛り土(覆土)が必要だった理由も汚染を防ぐ目的の様に書かれているが、豊洲の土地は汚染されており、余所に汚染土を移送できないので、その場所で浄化させたことにより、土地が減容し覆土の必要があったからである。必要以上に覆土を高くした理由には本来はもう少し深く汚染土を処理する必要があったにもにも拘わらず、作業を減少した事に関係するかもしれないと邪推できる。

何れにしても、汚染土地を高く購入して浄化移転する必要性があったかどうかの問題点は小池知事も解明できないと推測されるので、結論的には安全性を確認して移転するシナリオが出来ていると考えられる。

オムニバスとタイトルを付けたが、内容的には違うと感じた方がいると思われるので、強いて弁解するとすれば政治家と言うのが共通の事項だ。天網恢恢疎にして漏らさずとは良く言ったもので、小池知事の登場は正に天は都民を見放してはいないと言った所だ。

 

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英国のEU離脱の国民投票然り、米国の大統領選挙で勝利したトランプ氏に対する選挙結果然り、国民の過半数の意見を反映した結果を全てポピュリズム(大衆迎合主義)と批判する世論作りに懸念する。

ポピュリズムは情報化社会以前に大衆の不満を煽り、迎合した政治家の登場であるが、歴史的にはドイツのヒットラーが代表的な人物として上げられている。もとっも、古くはローマ時代にまで遡れるのであろうが、全ては情報化以前と言うことで一括りにすることにして今回のブログではご容赦を願いたい。

確かに情報化以前並びに教育制度の不備な時代の社会では、一部の有識者によって政治などが行われることに妥当性はあったかもしれないが、今や先進国においては教育制度も充実し、現代の様な情報化社会になれば、過去の様に一部の人達が情報や知識を有していた時代とは一線を画すべきと思われる。

英国や米国で起きた反グローバルリズムは、経済に偏重したグローバル化により、世界がフラット化する中で起きている格差社会を肯定するマスコミや政治家に対する憤りである。イノベーションによって世界が変わると喧伝されているが、情報化社会のイノベーションは人々から職を奪うばかりであり、イノベーションの恩恵は少数の人達に集中しているのが現実である。その現実を認識し、逆にマスコミも政治家も格差社会を助長し、一向に大衆に目も向けないで格差社会に足掻いている人達に対して努力が足りないなどと無責任な言動に対して国民が怒っているのである。国民の窮状を汲取って登場した政治家や枠組みを問う国民投票に対してグローバル経済や移民に対する批判をする多くの国民の意見を無視する為政者にたいしては、NOなのである。

情報化社会は人々に多くの機会を与えているが、本来ならば今回の情報イノベーションは政治社会体制まで変わる必要があるにも拘わらず、実際は政治社会の仕組みは殆ど変っていないことに問題があると思われる。歴史的には、そして科学的にも栄枯盛衰は避けられないものあることは理解できる。高校時代に暗記させられた平家物語の冒頭の一説が今でも思い出される。政治家やメディアは岩盤規制などと他人事の様に指摘しているが、岩盤規制に恩恵を受けている政治家やマスメディアが現体制を維持しているので変わっていないことにも一因がある。特に、近年は批判を国民に集中して国家に甘えるななどとの言動が多いが、国民は国家など何時でも捨てられるのを分かっていない暴言だ。国民を守らない国家など不要であり、それに気づかないで利権を謳歌している政治家や利権連中には大衆の意見など目障りなだけなので、国民の意見を聞く指導者をポピュリズム批判で葬る意図が明らかだ。

世界的に起きている大衆の動きは情報化が引き起こした経済社会の大変革に対する政治と社会のシステムが旧態依然である不満からと言える。それをポピュリズムの一言で片づけるマスメディアや政治家は愚かの一言に尽きる。何時の時代でも大衆は時代の流れを読んで為政者を変えて生き残ってきた歴史を忘れてはならない。

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米国の大統領選挙は多くの予想に反してトランプ氏が勝利した。この多くの予想に反してとは大手のマスコミが報道したことを鵜呑みにしての事だ。英国のEU離脱の国民投票の結果に対しても同様だが、大手のマスコミの事前の予想と違った結果が出ると愚かな選択をしたと大手のマスコミの予想と違った行動を取った人々を蔑む。マスコミに従事する多くの人々は何時から国民の声が聞こえなくなったのかと歴史を振り返ると、何時の時代にも国民の声など聞いていなかったことが分かる。国民を間違った方向に誘導していたのは大手のマスメディアだった。

大手のマスメディアが国民の声と違った立場になるのは少し考えると理解できる。資本主義の社会では大手のメディアが購読料だけでは運営費と利益がでないので、殆どのメスメディアが広告収入で成り立っている事実である。広告収入は企業と政府から得ているのである。

マスメディア批判は今回の本筋でないので本題に戻るが、ITの発達でグローバル化が進められて来た結果、世界中でフラット化現象が起きており、この流れは先進国の国民にとっては好ましい事ではない事実だ。経済と言う本質を考えると、過去には違いが利益を産み出していたことが分かる。違いは時間軸の中で解消されるのだが、それまでは早く気が付いた企業や人が利益を享受できたのである。しかし、IT時代は情報が瞬時に世界中を駆け巡るので、違いだけでは利益を手にできなくなった。勿論、早く情報を得た企業や人には「特許」と言う独占的利益を享受できるシステムが構築されているのだが、問題はこの特許と言う制限がフラットな世界に向かう中で格差を生み出し、社会の歪みを作り出している存在でもある。

英国のEU離脱、米国のトランプ氏の大統領選挙の勝利に関しては、全てにおいて半周遅れで歩んでいる日本には理解できないものと映っている。しかし、良く考えると、今日のグローバル経済や金融資本主義をリードして来たのは英国と米国と言うことを忘れてはならない。その英国と米国で反グローバルが起きたことは日本でも今後起きてくるという事だ。その根拠は安倍ノミクスで日本経済は復興しないし、グローバル時代の中で円安輸出主導で解決できる様な単純な社会ではなくなったことだ。TPP反対の米国大統領が出現することは日本にとって首の皮一枚残ったことになる。地方経済は工場の海外移転や公共事業の削減で、今や農業・林業・漁業から生じる所得を無視できなくなっているからだ。TPPは地方経済の最後の砦を失うことになり、政府が試算している様なTPP効果の経済成長などフラットに向かっている世界では望むべくもないからだ。

さて、来年にトランプ氏が大統領になると何が変わるかだが、過去を振り返ると日米の経済摩擦は労働者の支持を得ている民主党大統領の時に起きている。日本の多くの国民はマスメディアで誤魔化されているので、米国は民主党の大統領の時の方が日本にとって良いと勘違いしてる。日米貿易摩擦は民主党のケネディ大統領の時に起きたことを忘れてはならない。今回のトランプ氏で気になるのは、民主党大統領の様な他国への干渉の発言が目立つ事だが、この発言の裏には民主党の大統領の様な他国への米国制度の押し付けではなく、保護主義と考えた方が良いと思われる。そうなると、来年は円高になることも覚悟する必要があり、観光客によるインバウンド効果も減少する可能性が高い。しかし、円高は地方経済にとっては悪いことではない。過去の様に円高で海外に工場移転した時代は終わったので、多くの資源に対する海外依存の高い日本にとってはプラスの面が多い。円安が日本経済を再生すると言う考え方は、内需が70%の現代においては間違っていると言わざるを得ない。

長々と書いてきたが経済理論的には冗長度が高い程良いと言われるので正しいと自負しているが、読んできた人にとっては結論が見えず飽きてきた頃と思うので、この辺で街の不動産屋の考えを纏めると、経済の拡大ではなく、少子高齢化社会に向けて経済の縮小に向けて地域をブロックとして自立する経済を構築する方向に向かうと推定できる。中央政府による統治ではなく、地域をブロックして相互に依存する統治の仕方である。インフラ自体もコンパクトにする必要がある。その点から言えば、リニアなどは時代遅れの過剰投資であり、将来のお荷物になる可能性が高い。