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「CREATIVE LOCAL エリアリノベーション 海外編」を読んだ。国内編もあるそうなので本来はそれを読んでからコメントした方が良いのだろうが、敢えて国内編は読まないことにした。"衰退の先にある風景"と言う副題に惹かれて手にしたのだが、地方再生に何か役に立てないかと模索していたので世界各地で再生に取り組んでいる事例に関しては興味深く読んだ。日本列島は細長いので地理的に一様ではないので地方再生と言っても一筋縄では行かないと考えていたらそれを見透かされた様に日本よりはるかに長い国土を持つチリの事例を取り上げていた。完全に脱帽だ。

さて、情報化時代で地方再生を考える上で必要な事は従来の大都市型の消費を前提として社会ではなく、逆に時間を戻す遡る発想で考えなければならないということを痛感した。今日の繁栄は産業の大規模化による消費社会の実現で成立しているが、AI,ロボット、3Dプリンターなどの出現による社会と消費者の嗜好や雇用は産業革命以前に戻ることになるのではないかと思ってしまう。尤も、戻ると言ってもシステムが戻るのであって中味は相当に違うのは確かだが。グローバル経済になれば逆にローカルが意識されて来ると言われてきたが、確かにグローバル経済の普遍化の中で生き残るにはローカルを強調しなければ存在価値がない。そうは言っても、誇れる遺産や技術や風景がない所はどうすると反論が当然に出ると予想される。地方再生で一番問題なのは実のところ何の変哲もないエリアだ。最近見るBSTVのローカル線の旅でゲストが名所旧跡などを見つける番組があるが、降り立った駅で住民にそのことを聞くと何もない所だと言う返事が一番多い。観光地でも技術でも売りがない地域の再生が一番難しいので、私としては何の変哲もない地域の再生に取り組んでみたいと思っている。私が上記の海外編の国内編を読まないと言った理由は何かある所の再生は比較的知恵が出るが、何も売りがない地域に関しては誰も関与したがらないと思うからだ。しかし、その様な地域の活性化を考えないと地方再生は出来ないと断言できる。その様な地方再生には上から押し付けるのではなく、下から起きる運動で上を動かす手法が必要であり、それには日本人が誰でも持つ原風景を復活させる以外にはないと思われる。

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変なタイトルと思われただろうが、CREATIVE LOCAL「エリアイノベーション 海外編」を昨日から読み始めた。未だ冒頭しか読んでいないが、イタリアを取り上げた部分で頭に浮かんだのは毎週土曜日の午後6時と日曜日の朝10時にBS日テレで放送されている「イタリアの小さな村」と言う番組だった。旅行好きのパートナーが好きな番組なので相当前から見ている。尤も、夜の番組は夕方6時に変更されたので、今は専ら日曜日の朝の番組だけを見ている。パートナーの目下の心配事は東芝がスポンサーなのでいつ終わってしまうかと言う平和な悩みだ。無駄口を叩きすぎたが、確かにイタリアは"スローフード"、"アグリツーリズム"、"アルベルゴ・デフィーゾ"など世界に先駆けて発信続けている。そう言えば学生時代にローマクラブなど経済成長の限界に関する本を読んだが、日本の地域の衰退などは予見されていたことと今更ながら思える。地域の再生と言う観点からイタリアを見ると、イタリアの集落は必ず教会が中心に位置し、且つ広場があるのが特徴だ。更に、バールの存在だ。集落の人達は、「教会」、「広場」、「バール」で今でも繋がっている。翻って、日本の地方の集落を見ると、過去には「神社」、「公民館」、「学校」で地域の人達は繋がっていた。地域の衰退は円高による工場の海外移転と考えられているが、実際は人口の都市部への流失による農林魚業の衰退が大きな要因と思われる。その結果、「神社の形式化」、「公民館の形骸化」、「廃校」が進んで人達の繋がりの希薄さが生じた。安倍政権の連中はローマクラブなど読まなかったのか経済成長一点張りで日本再生の政策を進めているが、日本再生の柱である地域に関しては「地域の活性化」に始まり、次に「地方再生」と変わり、その効果が少しも出ないので「地方創生」とネーミングを変えて来ている。正に"仏作って魂い入れず"の格言を地で言っている。最近は特区で規制緩和を導入する政策を打ち出しているが、特区と称して「地域創生」ではなく「利権創生」の温床となっている。日本人は明治維新以来上からの指示で成果を上げてきたが、地方の再生には下から上を動かす力が必要と推定される。今日の様に地域経済が疲弊してしまったら物真似ではなく地域の特性を考えて再度日本人の原風景を復活させることが必要と思われる。

<続く>

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裁量労働など頭の悪い私には理解できない言葉が最近はメディアを賑わしている。労働問題の歴史を振り返れば女工哀史がある。労働組合は資本主義において資本家の利潤追求が労働者の健康に影響を与える過酷な労働とマルクス主義の思想などが相俟って生まれた。戦後の日本は高度経済成長のよる豊かさと民主主義の普及で労働組合も国民に影響する社会的な問題から次第に距離を置き、今では企業内組合として社会的な行動は減少し、企業エゴ的な組合に衰退した。非正規雇用者の出現は正に企業内組合の最たる結果と言わざるを得ない。安倍政権のデフレ脱却と経済成長の目標の為に最終的に労働問題に行き着いたと見るべきか5年の歳月を迎えた放漫財政と低金利でもデフレ脱却の兆しが見えない状況に対する断末魔の叫びか分からない。私も若い頃に組合活動を行ったが、当時は経済成長を遂げた後なので社会的な問題より賃金のベースアップを実現する為に勉強会を経験した記憶がある。過酷な労働に対する闘争はなく、当時としてはベースアップ以外では国内的な社会的な問題としては公害問題であった。国際的な問題はベトナム戦争が終結したものの、共産圏との冷戦が続いていたので戦争反対は不可欠の闘争テーマであった。年功序列の賃金制度で今の若い人の様にお金や住まいには恵まれていなかったが、将来に対する悲観的な考え方はなかった。当時も金を稼ぎたかったら歩合制の営業マンになれば良く、不動産業界などは正に一攫千金を狙った若者が集まっていた。この現象は今と余り変わらないかもしれない。不動産開発や営業に関して深夜まで働けなくなった時期があった。この様に書くと嘘だろうと思うかもしれないが、経済バブル時代は夜遅くお客を訪問するのは拒否されたのである。経済バブル以前は不動産の営業マンが夜の9時以降にお客の自宅に説明に上がることは当然であった。モラルの問題であったかどうかは不明だが、当時は私的な事を職場に持ち込まないと言う考え方が主流であった。この為に平日においてはマンションや戸建ての説明を行うのは仕事が終わってからなので、帰宅して食事を終えた9時以降の深夜が当たり前であった。尤も、不動産会社が株式上場すると二つの制約を受けたそうだ。一つは歩合制の廃止で、二つには深夜営業の過重労働の禁止だ。今から30年以上前は大手上場会社と非上場会社の間と言うより労働組合の存在かもしれないが面白いルールが存在した。しかし、経済バブル時代には、私的な用事を職場で行えるようになったし、夜7時に説明に自宅を訪問すると遅い時間にご苦労様でしたと言われるようになった。良い意味でも悪い意味でも日本は経済バブル時代を経験してから多くの人の考え方が変わったことは確かだ。以上の様な面白くもないことをだらだらと何故記述したのかと言うと、労働問題は国家が上から目線で決める問題ではなく、経済の変化に伴って人々の意識が変わり、労働も変化してゆくことを指摘したいからだ。電通の女子社員が自殺した問題を取り上げて過剰労働とメディアは騒いでいるが、電通はホワイトカラーの職場なので、仕事に関しては工場労働者のブルーカラーとは違い自由裁量の範囲が大きい。自由裁量の大きい職場で過剰労働は能力の問題なので退職すれば解決する。特に今は年功序列制度の社会でないので職場が合わなければ容易に転職できる時代なので、ホワイトカラーが過剰労働で過労死などあり得ない。高齢化社会を迎えることは何10年前からも予測されていたのに今更労働力不足を補うのに女性の社会的進出を促す政策などこれまで政治は何をやって来たのかと言いたい。時給を上げろとか時間労働を決めるとか国家が指導するのは経済理論上からも可笑しなことだ。水は高きに流れないのは子供でも知っていることが安倍政権の連中は誰も知らない様だ。お粗末すぎて東京オリンピック後の経済が大いに危惧される。

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国は高齢化社会を考慮した相続法制に係る民法の改正に向けて動き出している。相続税に関しては赤字財政の拡大から一人あたりの基礎控除の引き下げなどを行ってるが、相続人に対する民法の改正は現在の相続に関わる法律が制定されて以来初めてのことになる。今回の改正では高齢化社会で配偶者の居住資産の優遇措置が盛り込まれ、更に相続対象親族以外の親族に対する介護請求権も創設することで議論されている様だ。現行の相続に係る法制度は戦前の家督相続に対する戦後の民主化の中で制定された悪平等とも言える制度であったので、今回の改正に向けた動きは歓迎される。勿論、今回の改正が理論上ではなく、社会の実情にあった制度に改正されるならばであるが、事前に遺言を残せない高齢者の思惑も考慮した制度までは難しいと推定されるので、社会の実情に何処まで近づけるかと思われる。不動産開発に係る仕事を長年続けていると現行法の相続制度が悪平等であり、親族優先の矛盾を見せられた。悪平等の事例は、父親が生前に二人の息子に隣接した土地建物1棟づつを残していたのに相続時に弟が兄より3坪程土地が少ない為に10年以上も裁判で争いになり、結果的に兄が裁判で負けたので土地3坪の内1.5坪を弟に分割し、同土地には家屋が建っていたので地代を支払う事になったことだ。争いになった理由は知らないが、幾ら都心の高額な土地でも聞くに堪えない話だった。弊社が開発に入った時点では、弟は他所に引っ越して賃貸物件が建築されており、兄夫婦が相続した家屋に住んでいた。二人だけの兄弟が相続争いで他人以上の憎しみの対象となった訳だ。次の事例は、親族だけが相続対象となる現行法の大きな問題点であった。都心の借地権に小規模な店舗兼住居として暮らしていた母親と娘と母親の内縁の夫との問題であった。弊社が都心の再開事業の対象としたエリアの中に高齢な母親と娘が営業していた小料理屋があり、2階の住居に母親の内縁の夫が親子と暮らしていた。娘さんは50才を過ぎていたが独身であり、母親とその内縁の夫は共に80才を越えていた。内縁の夫と言いながら20年以上も一緒に暮らしているとのことだった。母親は群馬県の卒業した学校の同窓会に行くほど元気だったが、再開発事業中に仮住居先で急死してしまった。この為、娘さんが母親の内縁の夫を実の父親の様に生活の面倒を見ていたのである。再開発中に戸建ての住居を母の内縁の夫が購入し仮住居として使用していたのだが、血縁関係のない親子は再開発完成後も購入した住居が気に入り、再開発ビルのマンションには住まないで甥夫婦を入居させた。問題は再開発ビル完成1年後に起きた。娘さんが面倒を見ていた母親の内縁の夫が亡くなり、それを知った家族が20年振りに現れて娘さんに家から立ち退く様に通告したのであった。相談を受けた弊社は顧問弁護士を紹介したのだが、遺言もなかったので結局は裁判に敗けてしまった。20年以上も父親を放っておいて葬式に知らせても来なかった家族が資産があると分かった途端に相続を主張するなど理不尽とも言える事例だった。勿論、20年前に何があったかは知らないが、それでも20年の歳月を経ても生活力がない老人の面倒を見て来ていたのに親族でないだけで何も得る事がないのでは不条理極まりない。今回の改正で社会の実情にあった制度になることを要求したい。

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不動産業界は今も昔も一攫千金を狙う人達が集まる業界なのだが、最近のトラブルは不況の出版業界の広告出版(いわゆる自主出版)で騙されて投資する事例が多い。実際は自主出版なのだが、如何にも出版会社が発行したかのような錯覚商法で書店に並んだ本が最近は多い。高成り名を遂げた中小企業の老経営者が記念に成功物語を自主出版するのは社会に迷惑を及ぼす事ではないので大いに勧めるが、投資を誘うような広告出版となれば話は違ってくる。最近、シェアハウスンの投資案件でリース料が支払えずに破たんした会社が出たが、同社の社長も広告出版で急成長している。特に、この種の出版は出版会社が用意したゴーストライターが書いているのが常識であり、一応内容は著者となる本人に確認するだろうが、裏付けなど何も取らないで上梓していると推定される。破たんした場合には社長自身は騙すつもりがなかったと言い訳するだろうが、楽観的な事業収支計画をチェックもしないで出版させた出版会社は詐欺の片棒を担いだと指摘されても仕方がない。多くの不動産の投資案件はサブリースで仕組んでいるケースが目立つ。不動産投資案件で安易にサブリースを謳う風潮は、20年以上前のバブル経済崩壊後の裁判の判例によるところが大きいと思わざるを得ない。この判例はサブリースで契約に記載した保証賃料の変更を認めたものであった。尤も、バブル経済崩壊以降は不動産業界も長期的なサブリースはリスクが高いので、多くは短期的な契約となり、更に賃借人の退去後の空白期間に対しても細かな条件を追記した内容に変わった。しかし、日本の不動産業界は不良債権処理が一段落した2005年頃からバブル経済を知らない若い経営者や既存の投資と異なる案件が出たこともあり、再びサブリースと言う言葉が宣伝文句に多く見かけるようになった。特に、非正規雇用者用の工場近くのワンルームマンションにサブリース案件が多く、その後は老朽化したビルの再生案件、更に年金や相続対策用の不動産案件と拡大していった。その分トラブルも多く見かけるようになった。弊社は長くビル・マンションの賃貸用の物件を扱って来ているのでサブリースのリスクは嫌になるほど理解している。サブリースに関しては大企業でさえ大きな経済変動では耐えられない事が証明されているので、新興企業では少しの経済変動でも支払いに問題が生じる可能性が大きい。今も同様と思うが、過去にはワンルームマンションが投資として活用され、税金面(損益通算)でも優遇されて急拡大したのだが、税制度の改正で投資家は大きな損害が生じた。不動産投資はサブリース会社との関係も重要だが、投資の背景に控える税制度も重要なので安易に長期的な投資に参入すると痛い目にあうことになる。今韓国の平昌で冬季オリンピックが開催されているが、投資もスポーツと同様に基本が大事だ。スポーツ選手は基本を繰り返し且つ自分の身体能力を考えてトレーニングを積んで一流になれるのだが、投資家も同じと心得る。情報化時代になり時間軸が早くなったのでレバレッジを利かした投資商品やリスクが高い高利回り商品も多くなったが、投資のトレーニングを積めば選択において正しい判断が出来る。

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データ駆動型経済が経済成長を牽引し、ビジネスチャンスが生まれると書いた記事を目にした。最近はAI(人工知能)を使った不動産評価を謳い文句にした業者の勧誘広告も目立つ。IoT(モノインターネット)が産業革命以来の変革を実現するといった表現も日常茶飯事になった。確かに、新しい技術が多く生まれてきているのは確かだが、何事もコストに見合ったものしか得られないことを自覚しないと過大評価になり、落とし穴に嵌ることになる。参考になるのは、建築業界では規制緩和で建築確認申請を民間企業に開放し、それに伴い構造計算ソフトが販売されたことだ。民間企業の検査機関では高層化する建築物に対して構造計算をチャックするのは厳しいとの判断から構造計算ソフトを義務付けた訳だ。問題は性善説に基づいて構造計算ソフトが作られたと推定するが、その様な前提にしなければならなかったのはコストの問題が横たわっていた為だ。ゲーム理論を使って構造計算ソフト作成問題を考えれば違った答えが出たかもしれないが、その様な複雑な問題として捉えることはなく、性善説を前提にすると手頃な価格の構造計算ソフトが提供できたからでもある。ところが、この不備な構造計算ソフトを悪用した業者が出現したのがご存知の通りだ。AIにしてもIoTにしてもコストに見合った製品で顧客にサービスを提供していると推定されるので、AIならば評価の妥当性を如何に検証出来るのかであり、IoTならばセキュリティの面で不安が付き纏うと思われる。金融資本主義になってから騙すより騙される人の方が悪いとの居直り的な社会になっているので、AIで判断しているので正確などと言う宣伝文句には眉に唾を付けた方が良い。また、IoTによる遠隔操作が可能なシステムはセキュリティに関して安全化と自問自答することが必要な事を自覚すべきだ。産業革命は大量生産方式で製品の価格を下げることで消費の拡大に繋がった。データ駆動型革命は製品コストを下げる効果とは違うので、何が経済成長を促す要因となるかである。日本は少子高齢化社会に入ったので労働者不足を補う面で活用されるかもしれないが、問題は導入コストである。経験や勘で行ってきた作業を新技術の導入で代替できることは理解できるが、消費者が受け入れる商品価格と如何に繋がるかが見えてこない。勿論、MR(複合現実)などは建築業界にも応用されて作業手順が省けて有効な技術であることは認めるが、導入コストに関しての答えが未だ出ていない。新技術が喧伝される一方で、昔のレコード盤に人気が出てきているのを考えると、人は完璧なものより多少不完全な要素が入ったものに魅力を感じるのかもしれないと思われる。データ駆動型経済などと訳の分からない用語を理解するより、何が必要かの視点で物事を考えう事が重要と思うのだが、間違いだろうか。ヒントは街は計画的にゾーン分けするより混在した方が繁栄すると言う事実だ。

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岡山県内の有力企業である両備グループは県内を走る赤字バス路線31路線を廃止すると発表した。理由は赤字路線をカバーしていた黒字路線に格安バス運行会社の進出によるとのことだ。2002年に道路運送法の規制緩和があり、多くの企業がバス運行に進出している。記憶に新しいが金沢~東京間の高速バスが事故を起して多くの犠牲者が出た。この時の事故では運転手一人走行距離の問題が指摘され、その後事故を契機に一人運転手の走行距離が是正された。その後も観光バスの事故で零細企業のバス会社の運転手の技能やバスの点検整備などに問題があることを指摘されている。この種の規制緩和は日本だけでなくフランスなどでも行われており、日本と同様な事故が起きている。規制緩和は自由競争の原理で利用者に利益をもたらし、国家経済的にもプラスになると言う謳い文句だが、実際は人の安全など軽視した金儲け主義の経営者が多く出現し、リスクと背中合わせの弊害も多い。この様に書くとお前は既得権の擁護者かと批判されそうだが、私が指摘したいのは規制緩和に対して守る必要があるものまで壊している事に対しての無能さを指摘したいのである。規制緩和の当事者は行き過ぎていることを百も承知で推進し、問題が生じるのを待って是正する方式を取っている。この背景には政治家不在、否無能な政治家が木を見て森を見ずの政治を行っており、官僚が配慮のないシナリオを描いているからだ。尤も、革新官僚と言われる輩は政治家以上に権力志向で従わない企業を屈服させるために規制緩和を利用する愚も犯している。また、知恵がないのでやたら外国の事例を日本に導入したい輩もいる。日本の地方を疲弊させる大きな要因となった国鉄解体も政治を持ちこんだ故の愚策だ。労働組合を解体させるために仕組んだ国鉄解体だが、国鉄に強力な組合を作らせた理由を分析すれば国鉄解体ではなく法律の改正で現在のJRと同様の企業活動が出来て国鉄の労働者の無法な組合活動を抑制できたのではないかと惜しまれる。勿論、国鉄解体は組合弱体化と言う政治的には成功したが、分割の仕方に知恵がなく、JR北海道やJR四国など経営に苦しんでいるのを見ると解体は国民の為でなく政治の為なのが分かる。話は逸れたが、岡山の両備グループは地域の企業として地域の足であるバスを赤字路線でも地方経済の為に維持してきたことは疑いもない。国は地域再生を標榜しながらコンパクトシティなど縮小均衡の弱者切り捨て政策を進めている。この縮小均衡の手法は金融機関が経営危機の企業を救済する時に使う手法で、売り上げに見合った経費まで削減するリストラ策だ。インフレの時代には有効な手法だったが、時間軸が早い今日では後ろ向きの手法は倒産に繋がるリスクの方が大きい。地方再生にコンパクトシティを発想すること自体、財政に見合った支出しか考えてはいなく、再生など遠い夢に終わる。両備グループは今回の赤字31路線廃止を規制緩和の弊害として国に訴えたい様だが、多分国は聞く耳を持たない態度だろう。新時代に対応する大義名分で国家予算を平気で無駄に使っている政治家や官僚には、赤字路線廃止はコンパクトシティを推進できる材料と思うだけだろう。今後も同様な規制緩和と称する緩和悪が起きると思われるので、国家などを期待しないで事業に取り組むことが重要だ。その為には税金も必要以上に支払う必要がない。

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番外編で地面師の復活だけで済ますと先祖帰りも聞いても仕方がないと思われるので、番外編2では地面師が進化した合法的な地面師が活動する現在の不動産業界に触れてみたい。サブプライムローンが引き起こしたリーマンショックから早いもので10年が経過した。不動産金融商品として世界中に売られたことにより同ローン破綻による金融ショックを防ぐために先進各国は財政出動し、現在漸くその混乱から抜け出しつつある。尤も、各国の財政緩和により世界中に膨大な投資資金が徘徊し、各相場が投機的な動きとなっているリスクが顕在化してきている。"羹に懲りて膾を吹く"という言葉は死語になったかと思うほど大胆な投資が多く見受けられる。今昔の在り様を比較するにはビジネスの前提が大きく変わってしまったので意味がないが、その原因は不動産金融商品の出現だ。勿論、仕組み自体が変わったのではなく、リスク商品が追加されたことによるもので、商品名も「プライムローン」に対する「サブプライムローン」とリスクを感じさせない表現が詐欺的でもある。国内でも不動産金融商品がクラウドファンディングと相俟って小口化して売られているが、大部分はメザニンと呼ばれるハイリスク・ハイリターンの商品だ。リーマンショックでは不動産の価値が急落してメザニンローンが破たんした。金融機関はシニアローンと言われる貸付で、金融機関の評価外の部分に貸付するのがメザニンローンである。勿論、不動産購入などには自己資金も必要なので、不動産を構成するのは①自己資金、②シニアローン、③メザニンローンとなり、棄損するのは自己資金からとなる為、ハイリスクの金融商品を購入するには対象不動産の評価が重要となる。この為、最近では不動産評価にAIなどを取り入れる業者も出てきているが、AIを過大評価すればリスクを見誤ることになる。此処で再度バブル経済時代を振り返ると、当時は不動産が超インフレで天井知らずの相場を形成していたので、金融機関のシニアローンに対する評価は上がる前提で不動産担保の100%所か120%評価も行われ、自己資金なしで不動産購入が可能な時期があった。この事実を何故触れたのかと言うと、表に見えない不動産投資に対する自己資金とシニアローンの担保評価如何でメザニンローンは不動産価格の小さな変動でもシャボン玉のように消えてしまうからだ。長く不動産業界いると人の考え方と評価に対する現実との乖離に驚かされる。金融機関の貸付金利が3%を下回るのに20%の高利回り商品を疑う事もなく購入する。良心的な5~6%の不動産利回り物件を無視してである。反対に東京オリンピックやインバウンド需要を見込んだホテル案件には低利回りでも投資するのだが、観光等に対する国内需要は急激に減少しているにも拘わらずだ。昔からホテル案件は貸しビルとは異なり、売り上げが需要動向に左右され、リスクが高いので少なくても12~14%の利回りを求められたものだ。尤も、グローバル経済で変わったと言われればそれまでだが、余計なお世話かもしれないがグローバル経済だからこそ需要が世界的に一様に動くと思われるので、ローカル的に考えてリスクをヘッジする必要があると思われる。書き進めてもう一つの言葉を思い出した。"嘘を付くなら小さな嘘ではなく大きな嘘を付け"と凡人には考えられない嘘だと真実になるらしい。AIが必要なのは企業ではなく個人かもしれない。

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所在者不明土地が全国に多く点在しており、公共事業の推進に障害となっているために、国土交通省が所在者不明土地の取り扱いに関して法的な整備を進めている。公共事業に関わる土地は国土交通省だが、それ以外に関しては財務省が対応することになると言われている。所在者不明の土地で思い出すのはゴルフ場の開発である。ゴルフ場は広大な土地を買収乃至は借地することで進められるが、予定地には共有地も多い。共有地は部落の人達が共有しているのだが、これは農業・林業・漁業の第一次産業が主要な時代の遺産ともいえる。開発する為には権利者に同意を取る必要があり、その方法として権利者の戸籍を調べるのだが、今の様な個人情報が厳しくなるとお手上げだ。戸籍を追って行くうちに海外に行った事実が判明し、子孫を追って海外にまで書面を送ったこともあった。農村が貧しい時代には移民として海外に人々は移動し、工業立国になって農村から都市へと人々は移動したのだが、戦前は長子相続により所有者が不明と言うことは考えられなかった。戦後は子供達が全員相続の対象となったので権利者は増加した。特に、相続争いも起きている他、所有者不明には様々な理由があると思われ、法的な整備で何処まで対応が可能か疑問である。そう言えば、私事だが、当家でも亡父の時代に所有地で思わぬ事実が判明したことがあった。当家も農家だったが、戦前は養蚕を営み、曽祖父の時代に部落の人達の絹糸を預かって県内の市場に持ち込み、詐欺師に騙されて絹糸を失った事があったそうだ。この時に、親戚の互助会組織が働き、親戚から借りたお金で部落の人達に絹糸代金分を支払ったとのことだが、田舎の事なので相続登記など行っていなく、亡父が必要があって相続登記を行おうとしたら親戚が抵当権を設定していたことが判明した。記憶を遡って上記の事実が分かり、親戚でも借入返済の事情を理解していた人が生存していたので事なきを得たが、その事情が分からない世代になっていたら解決に時間を要すことになったと思われる。当家の過去の出来事を見ても所有者不明の土地は何か理由があると推定され、法的整備だけでは事は簡単ではないと思われる。

次に、地面師について言及したいが、最近の都心は土地バブル様相で死語になったと思われた地面師と言う言葉が紙面を賑わしている。個人情報の強化の時代にと思ったが、犯罪者の知恵はそれを上回っているのか、それとも情報化の時代で容易く情報の入手が出来るので考える力を失った為なのか分からないが、決済が銀行振り込みになった事にも関係があるかもしれない。何時から不動産売買の決済を銀行振り込みになったか記憶にないが、昔は預手と言われる銀行振り出し小切手で決済した。登記所で受け付け完了しなければ信用できない程、不動産取引はリスクを伴うものだった。この為、取引では法務局に司法書士が書類を持参して受け付け完了したのを確認して決済した。勿論、登記に必要な書類が偽造されて司法書士も登記所も見抜けなければ防ぎようがないのは今も昔も変わらない。登記所も情報化時代に対応して権利証から権利情報に変わり、新たに登記をすれば新しいバージョンになるのだが、権利移転がなければ昔の権利証のままなのでそこに地面師などが介在する可能性がある。また、印刷等の技術の向上でパスポートなどの偽造も容易になった感があり、知らない内に他人が成り代わっていたり、印鑑登録が変更されたりと自分自身と所有資産を定期的に確認する必要が出来てきた時代でもある。不動産取引には実印と称する印鑑が必要だが、捺印した後に朱肉を良く拭き取らないと油紙で印影を写し取られるリスクがあるが、今ではこの様な事も死語になったかもしれない。経験が尊重されない社会とは犯罪者が喜ぶ世界でもある。AIなどを駆使すればするほど人自身はリスクに対する直観が働くなり、地面師と呼ばれる犯罪者の復活となる可能性がある。

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不動産業界にも設計図はCADからBIMに次第に移りつつあり、更に新しい技術であるAI、MR、VR、ARを導入する動きが出てきている。特に、車の自動運転技術から応用した技術は既存建物を赤外線等で照射して立体的なモデルを構築できるので、図面などがない古いビルには利用価値がある。どの業界でも同様だが、新しい技術を使うには多額の投資資金が必要になるので、中小の不動産会社にとっては厳しい現実が待ち受けることになる。更に、新しい技術は既存の業務を消滅させる場合もあり、下請け業務としてどの分野が残れるかも重要な点だ。ブロックチェーン技術を使ったインターネット上での契約締結などが顕著な動きだ。人型ロボットの出現なども同様だ。造れば売れる時代から売れる物を造る時代になって久しいが、売れる物を造るにはデザイン重視となり、一時期はデザイナーズマンションがブームとなった。今はデザインは当然として環境に優しく、更に消費者目線で売れる物を造ると言う脅迫観念に近い要求が求められている。その結果、人を超えるAIの利用ともいえるし、購入前にバーチャル世界で物件に対する疑似体験出来る誤差のない安心の世界が提供される様になりつつある。消費者がエンドユーザーの場合には理想の販売方法だと思われるが、収益不動産の場合には物件購入者の先にテナントと言う利用者がいるので、新しい技術が賃料アップや入居率アップに直に繋がるかを検証することも求められる。AIの技術は不動産の評価や適正賃料などに利用されてデータに客観性を持たせることに利用されている。不動産の直接的な技術ではないが、車の自動運転技術は駐車場の面積縮小にも効果があるので、ショッピングモールや駐車場の運営者にとっては副次的な経費節減効果となる。新しい技術は今後も思わぬ副次効果をもたらすと考えられるので注視する必要がある。

不動産の今昔などと言うタイトルで書いたが、情報化時代は誰もが多くの情報に接することが出来て情報に追われる生活を余儀なくされており、数年前の出来事が大分古い出来事の様に錯覚する時代にどの時点をとらえて今昔として見るかは個人差があるので意味がないかもしれない。私は若い頃に編集記者となり記事を書いていた時期があった。この時には締めが終わった時から次の締めに追われるので時間経過が早く感じた。我々は相対的な時間空間に置かれているので、仕事によって時間の経過が異なると思われる。良く新聞記者が早く老成すると言うのも締切に追われる仕事ゆえかもしれない。情報化時代で時間軸が短くなっているのは仕事や個人差ではなく、今後は全体的な動きと見ると時間軸の捉え方にも格差が出て来る可能性もある。情報化時代の前にスローフードなどの動きがあったが、今後はその様な動きが広がって不動産業界にも影響が出て来るものと思料する。