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友人から沢木耕太郎の本についてメールが届いたことと高市総理大臣の誕生時の”働いて働いて働いて働いて”の言葉から高度経済成長と所得倍増のスローガンを唱えた池田隼人を思い出し、沢木が池田総理大臣に関して書いた著書(危機の宰相)があることを知り電子書籍で購入した。何時も思うのだが、人が時代の申し子となり、名を遺すのは不思議に人との巡りあわせによる事が多いもので、池田隼人もエリートから外れた人生や大病を経ての人心位を極め、所得倍増を唱えて日本を豊かにする方向に導いたことが「危機の宰相」を読んで改めて知った。池田は大蔵省でも主税畑を歩んだ為か統計数字に明るく、常に数字を見て発想したので感情に左右されずに判断できた事実は参考になった。なお、池田の所得倍増の実現には二人の大蔵官僚、特に一人は経済学に明るく、学者以上の知見を持ったブレーン(人材)がいたことを知り、感慨深いものがあった。昭和の時代が去り、平成の時代も終わり、令和の時代だが、今の政治がポピュリズムに陥り、日本の未来の羅針盤を失った様な場当たり的な政策を見るにつけ、悲観的にならざるを得ない。しかし、最初の女性宰相になった高市総理大臣は行動的な人の様で、戦後生まれの宰相として漸く日本の未来を描ける政治家となれるか期待したい。池田のブレーンの一人が所得倍増のスローガンに関して弱者に対する配慮が抜けていることを指摘された時に弱者は何時の時代にもいた問題であり、池田総理大臣の責任ではないとの意見は真っ向から社会を見ない人達に反論を許さないものであった。マルクスの資本論を読んで考え方に資本がないことを喝破し、完全ではないがケインズの経済理論の方がマシであるとし、且つ現実に即した経済理論を持つに至ったブレーンを池田総理大臣が持った意味が大きい。池田も奇病から生還し、このブレーンも結核から生還した共通の苦難を有したのも他で運を得た原因かもしれない。もう一人のブレーンは満州国に出向して社会の理想を実現しようとしたが、結果はソ連によるシベリア抑留5年の苦難を経て帰国し、池田個人を支える黒子役に徹した人生も池田内閣実現の為に出現したのかと不思議な気がした。私も現在、長く関わった不動産業界から予想もしなかった保育事業の業界に身を置いている。不動産業界時代にアドバイザリーとして関係した先の会社に勤務していた方の縁である。「危機の宰相」を読んで人の縁の不思議さを感じたので、保育事業に関係したのは私の人生にどの様な意味があるのか考えてみたくなった。

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ヘレンケラーの絵本「もしも3日間だけ目が見えたなら」を読みました。ヘレンケラーは見えない・聞こえない「奇跡の人」として有名です。サリヴァン先生の徹底した人格教育を基に「世界の聖女」と呼ばれました。この絵本は目が見える私たちに対しては後3日間しか世界を見ることが出来ないとしたらその3日間をどう過ごし何を見たいと思いますかと問いかけたものです。目の見える人にとっては当たり前としている機能を最大限に活用して全てのものに目を向け本当に価値あるもの、大切なものを見極めてくださいと絵本は語っています。そして自分の目で見る光景こそが、人生に最高の喜びを与えてくれると信じていますとヘレンケラーは語っています。絵本の中で”目を閉ざすことは心と頭を閉ざしてしまうことと同じです”との言葉は心に射す言葉です。正に、SNSの世界では見たい情報しか見ないし聞かないのが普通になっていますので、それは正に目を閉ざす事と同じと思われます。見たくない事でも現実世界の出来事として見て目を背けない事が良い世の中にする最善の策でしょう。ヘレンケラーは目の見える人は相手を見ることで色々な情報が伝わると指摘し、皆さんはその様に見ているでしょうかの言葉は考えさせられました。本当の大切なものとは何かを考える良い機会に絵本はなりました。

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ビートルズのジョン・レノンを狙撃した犯人に動機を聞くために30年の歳月を掛けた本を読んだ。ビートルズは私の世代にとっては大きな影響をもたらしたロックグループで、私もエレキギターを母親にお願いして購入し、仲間とバンドを組んだ。生来不器用な私なのでエレキギターを上手に弾けずに終わってしまった苦い思い出もある。ビートルズの4人のメンバーの内、ジョン・レノンが日本人女性の小野洋子と結婚した時には驚いた記憶がある。特に、ビートルズを解散に追い込んだのが小野洋子と当時のメディアで報じられたので、小野洋子なる素性に興味を持った。調べると戦前の安田財閥の一族で、創業者の安田善次郎の孫だと分かり、日本の上流階級の娘が英国の庶民の男性と結婚したのかと感慨深かった。今回の本を読んで、ビートルズのメンバーの中ではジョン・レノンは中流階級の出身であり、美術系の大学に入ったことが分かり、現代美術家として活動していた小野洋子と釣り合いが取れない訳ではない事が分かった。結論から言えば、ジョン・レノンを殺した犯人は中流家庭に育ち大学をを中退した子供の頃からビートルズの音楽に親しんできた精神病の持ち主で、世の中に名前をも知られていない自分を有名にするために行ったものであった。ジョン・レノンをターゲットにしたのは反戦活動をしていて弱者の味方がニューヨークの高級住宅に住んで、多くの資産を持つ富裕層であったことに反感を持ったことであった。更に、ジョン・レノンが神を否定する様な言動やイマジンと言うタイトルの歌も神を信じる犯人を刺激した様だ。一方、ジョン・レノンは父親がアイルランド系であり、子供時代に親に恵まれずに母の姉に育てられたこともあり、反英国的な精神の持ち主であったことが分かった。精神病であるのでやむを得ないが事件を起こして40年以上経過した現在も悪いと言う感情は少しもないことに著者は複雑なおもいを持った様だ。犯人は米国本土からハワイに移り住んで日系人の女性と結婚していたことも偶然とは言え世の中の不思議さを感じる。ジョン・レノンは小野洋子と知り合って平和活動に取り組んだが、結果的にそれがジョンの死を招いたし、ジョン自身も反戦活動の過激さもあって殺されるのはないかの予感があった様だ、著者は本を出版するに際して小野洋子と会った時に自分達の平和活動には暴力を引き付けるマイナス部分もあったとし、ジョンの死を平和活動の結果と捉えていることを知った。平和活動が暴力を引き寄せると言う小野洋子の言葉は哲学的な捉え方だが、ジョンの死を乗り越えた小野洋子の結論は世の中の平和活動をする者にとっての教訓になる。ジョン・レノンにとっても自分が世界的に有名になった理由や存在を考え続けていたのだが、それが死であったのは残酷でもある。凡人たる私にとっては伺い知れないことが世の中にはあるのかもしれない。

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三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地の総監部にて自裁した日から今年は55年を迎える。50年辺りから三島由紀夫に関する書籍が目に付き出した。。今回、三島由紀夫に関して書かれた本「三島由紀という迷宮」を読んだ。著者は当時新聞記者で事件を取材した人との事で興味を覚えた。著者は80才後半の方で、人生の終末を迎えた為か三島事件の理由を書き残したかった様だ。確かに力作と言える読み応えのある本であったが、自裁の真相に近づいたかもしれないが、著者が指摘する様に本当の所は本人以外は分からないと言うのが真事実だろう。三島事件は私が上京した年(1970年)に起きたので記憶に残っているが、当時はJR山手線高田馬場駅から徒歩10分程の下宿屋に住んでいた。下宿屋と言っても個人住宅を改造して2階に6部屋の小規模なものであった。一部屋は貸主の娘夫婦が住んでおり、他の5部屋には私と同じ浪人生3人と東京医科医科歯科大学看護学部の女性、もう一人が法政大学の学生が借りていた。下宿人同士が親しくなって言葉を交わしていたので、事件当日には法政大学の彼が帰宅後に興奮して近くで起きた事件を教えてくれ、彼の白黒TVで事件の報道を一緒に見た記憶がある。私自身は事件の前も後も三島が書いた書籍を殆んど読んでいない。最後になった”豊饒の海”を読もうと思ったが、何故か読んだ記憶がない。三島由紀夫の印象は私は作家と言うより「盾の会」を結成し、右翼ごっこをしている変わった人位の意識だった。三島由紀夫は良く考えると父と同じ年齢で有った。三島由紀夫が病弱で戦場に行かなかった様だが、私の父も甲種合格でありながら一人っ子の為か戦場に送り出されずに千葉県の海岸でタコ壺を掘って終焉を迎えてる。父とは戦争の話を余りしていないが、終戦時には茫然自失となり数年間は何も考えられなかったと聞いたことがある。父と同世代の三島なので父の様に茫然自失にはならなかった様だが、内面的には傷となって奥深く沈潜したと推測される。何れにしても私の世代では想像できない事であり、戦後に起きた大日本帝国の全否定によって歩み始めた新生日本に関しては到底受け入れがたいものが上位階級に属していた三島由紀夫にはあったと指摘されている。何れにしても、今回読んだ”三島由紀夫という迷宮”なる本は自裁の真相にかなり迫っていると思われる。俳優は役になりきると終了しても役中の人物像から抜けきれないリスクがあると指摘されている。作家である三島由紀夫も書いた本の主人公になりきることで名作を生み出していると思われ、その場合には俳優と同じように主人公の像から抜け出せなくなってしまうのかもしれない。人間の脳の不思議さを見る思いだ。

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貸主から自社使用したいので当社のオフィスの退去が可能かの打診を今年の春先に受けた。貸主も余り使用していないと見ての打診と思われ、確かに近年はサーバー設置が主目的になった感があった。その時には協力をしないでもないと回答し、その後何度か確認の電話が入ったが、10月末の退去で多少遅れても大丈夫との事だった。退去迄に大分時間があったので徐々に整理すれば良かったがサーバー移転以外に関しては、手付かずの状態で9月を迎えてしまった。考えれば受験の一夜漬けみたいな退去になってしまったが、11月27日にどうにかデスクやキャビネットなどを撤去して明け渡しが住んだ。会社オフィスは長年勤務してくれた社員の老後の為に用意したものであった。しかし、50才代の若さで早世してしまったので、早く縮小しても良かったのだが、何となく数年が過ぎてしまった。今回の貸主からの退去打診はその様な状況を解消することを促される契機になった。サーバーはクラウドに移転し、オフィスもバーチャルにした。仕事柄立退き移転のお願いは大分して来たが、退去をお願いされたのは人生で初めてだ。自前のサーバーではなく、クラウド化したが、業務委託先のIT会社が協力してくれたので、ブログも継承出来たし、操作性も悪くはなく、早くクラウド化すれば良かったと思った次第。近い将来は東京と広島県尾道市との2拠点活動を視野に入れているが、今回のオフィスバーチャル化は正に2拠点活動を促された気がした。尤も、2拠点活動は前向きな事ではなく、病気のワイフを故郷の尾道に連れて帰る目的だ。今更ながらに人生を振り返ると、東京に出て来てJR山手線高田馬場近くに住み始めてから東京生活は数十年が過ぎるが、そこで知り合った人達の縁で人生の荒波を乗り切ってきた感がある。今回のオフィス移転には次の展開が待っている気がする。

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日本航空(JAL)の再生に係る倒産弁護士と呼ばれる瀬戸英雄を書いた本を手にした。私は会ったことがない弁護士だが、彼の所属した弁護士事務所とは関わり合いがある。不思議なもので、彼が弁護士研修仲間二人と立ち上げた最初の法律事務所とは再開発事業で関わり合いがあり、次に移った法律事務所は私が経営していた会社の顧問弁護士の事務所だった。その事務所から独立した次の法律事務所は知らないが、現在その後に合同した法律事務所は当社が管理するビルに長くテナントとして入居し、手狭になった為に近くのビルに移転したので満更知らない訳ではない。代表的な倒産弁護士の二人の内の一人が瀬戸英雄とのことだが、再開発で立ち退きを求めた法律事務所に居たとは知らなかったのは後の祭りだ。記憶によれば、立ち退き交渉には瀬戸弁護士は一度も出てこなかった。二人の内、常に交渉に出て来たのは稼ぎの少なそうな弁護士であった。今から想像すると3人の弁護士の内の二人は稼ぎが悪くなかったので相場の立ち退き料で解決できたと思われたが、一人の弁護士は稼ぎが悪かった様で立ち退き料を出来るだけ多く貰って退去する考えがあり、他の二人は任せた様な気がする。当社は当初に移転経費に掛かる費用方式に基づく立ち退き料を提示した。瀬戸氏の法律事務所は予想した通り借家権方式で立ち退き料を要求して来た。この為、私は現行相場より安い賃料で法律事務所は借りている状況を鑑み、借家権価格方式で算出した立ち退き料から入居時のままである賃料と現行賃料との乖離した差額を賃貸借期間の年数で複利計算して金額を差し引いた立ち退き料を提示した。この結果、最初に提示した移転費用方式の立ち退き料より低い立ち退き料になったので、我々を本当に立ち退かせたいのかと怒り心頭だった。最終的には機会損失を避けるために借家権方式の立ち退き料を支払ったが、この再開発の立退きには大半が再開発に協力するには多額の立ち退き料を支払えと言った態度での交渉であった。しかし、1社だけ、四国の海運会社の東京支社が本社の社長に立ち退きの件を報告したら当社の移転経費方式での立ち退き料で協力しなさいと言われたと話された。立派な社長さんと記憶しており、確か企業の再建などに貢献している社長と聞いた。その時に、東京支社長さんに当社の様に再開発に協力する会社が馬鹿を見ることにはならないでしょうねと言われたことが今も鮮明に記憶している。忸怩たる思いだ。倒産弁護士として評価を得た瀬戸氏だが、35年前の立ち退き料を考えると釈然としない感情が起きる。瀬戸氏日本は倒産が少ないとし、倒産後の再生を容易にした社会になれば今より素晴らしい社会になるとの考え方だが、それは大企業を見ての話としか思われない。中小企業の倒産は社員の家族が路頭に迷う例は多い。米国はノンリコースローンが多いので倒産のダメージは少ないが、日本は今でも殆んどリコースローンだ。瀬戸氏は法律家としては能力が高いのだろうが、企業家として経営に当たったことはないと思われるので、「修羅場の王」を読む限り、倒産する前を指導する法律家を評価するべきと思った次第だ。再開発時の立ち退きに一度でもあっていれば違った見方も出来るのかもいsレないが、会っていないのが残念だ。

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高校、大学で日本語を第二言語として学び、その後に日本にALTの仕事で来日し、更に日本の大学で日本語を学び、現在は日本語で小説を書いている米国人の本を読んだ。その米国人から言えば、日本語は特に学ぶのが難しい言語ではなく、普通程度の難しさだそうだ。勿論、ひらがな、カタカナと比較して漢字を覚えるのは大変だがそれは慣れる迄に時間が必要であることであり、文法的な面の複雑さとは違うからだそうだ。子供の頃から学んだ母国語は理由などなく習得するので、日本語に対して外国人が指摘する難しさに関しては分からないと同様に英語を母国語としている人にとっては日本人が英語の分かり難いと思う時制の区別などは単に時間として認識しているに過ぎない様だ。日本人が英語などを難しいと感じるのは文法以上に発音だと思われる。母音主体の日本語では子音の発音が難しい他にRとLの違いも厄介だ。しかし、件の米国人からすれば日本語は発音などの難しさではなく、対話する相手との関係性が常に問われる事だそうだ。上下関係で区別する尊敬語、謙譲語、丁寧語などや一人称の多さなどを使用するたび考えての言語であることの様だ。そう言えば、過去に仕事で必要があった為に学んだ韓国語は年上の人に対する言葉使いが厳格であり、発音も子音が多用される他、女性言葉の区別もあり、会話するには日本語を母国語とする私には隣国の言語であったが難しい言語であった。現在、私が関係している会社がALT事業を推進しているので英語に接する機会がおおくなったこともあり、最近は言語についての興味を持ち、色々な本を渉猟している。馬齢を重ねて改めて学ぶことが多いのに気づかされた。やれやれ。

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1冊目は"弧城の春"、2冊目は"垣内教授の江戸"とタイトルが付いた本だ。前者は備中松山藩10万石の財政再建を行った山田方谷を主人公とするもので、後者は東京芸術大学の教授を主人公とするものだ。山田方谷は実在した人物だが、垣内教授は架空の人物だ。2冊の本を手にした経緯だが、"孤城の春"に関しては備中松山藩の山城が日本で一番高い位置に作られたもので、ペルーのマチュピチュに擬えて城跡が日本のマチュピチュとして有名になっていることと、所在地の岡山県高梁市に関して過去に高梁市出身の方から相続の件で相談を受けたことや山田方谷に興味があった為だ。江戸末期には幾つかの小藩で借金漬けの藩財政を再建した人物がいたことは知られているが、山田方谷の備中松山藩も収入より支出が上回る財政を長年続けて来て破綻寸前で有った様だ。山田方谷は儒学者であったが西洋の知識にも通じ、財政再建後は藩の財政を改善する為に商いを行っている。翻って、現在の日本の地方自治体は過去の江戸時代の藩と同様に財政を借金で回している所が殆んどであり、正に財政破綻寸前の自治体も多いので江戸末期の諸藩と状況が似ている。江戸時代と異なり、今日では国が地方自治体も稼げる制度を設けることにより、有能な首長がいる自治体では稼ぎ始めている。封建社会と民主主義の社会とで違いがあるが、企業と違って自ら稼ぐことをしない組織は衰退して行くのは必然と思われる。自ら稼ぐ能力を駆使して公的なサービスを行えば人心の安定にもつながる。歴史は繰り返す言葉があるが、この意味は全く同じことを繰り返すのではなく、形を変えて似た現象が繰り返されることの様だ。そういう意味では江戸末期の諸藩と現在の国と地方自治体の財政は似ていると思われる。2冊目の方では江戸末期に農民が武道に励んだ理由や経済悪化が起きた理由を知ることが出来る本だ。農民が武道に励んだ地域は主に天領である所だ。天領は徳川幕府の直轄地で徳川家と御家人が支配していた地域となる。藩の様な組織で領地が管理されていなかったので、治安面で不安があり、特に幕末には御家人の領地を守る武士が常駐していなく、名主庄屋と呼ばれた資産家が管理を代行していた。この為に道場が作られ武士の様に武道に励んで、盗賊や状況に不満を持つ人々の争乱に備えていた様だ。新選組の近藤勇や土方歳三などは農民の道場で武芸を学んだ者たちだ。江戸時代は建前上は鎖国なので国内の経済を動かすのにお伊勢参りなどのイベントを行っていたと思われる。参勤交代などは経済に大きく貢献したイベントで有った。江戸末期が経済的にダメになった理由の一つが外国の侵略に備えるためにお金が掛かる参勤交代を辞めた事で多くの失業者が出たと思料する。経済で考える時代でなかったことが参勤交代の経済効果に目を向けるられなかったのは悲劇だと思われる。垣内教授は名主庄屋の次男坊との設定でストーリーが進められているが、江戸末期の江戸周辺の状況を知るには良い本であった。関家も大正時代に副業の養蚕の買い付けで失敗し多額の借金を抱えたが、親戚の名主庄屋が借金の肩代わりをしてくれたようだ。借財を返すために水戸徳川家の山林の管理を受託したと聞いており、他の山林管理者より多くの収入を水戸徳川家に齎したために当主であった水戸様からローマ法王に謁見した際に貰った銀時計を頂戴したらしい。らしいと言うのはその銀時計は祖父が満州に持参して戦後の引き上げ中に簒奪されてしまって当家にないからだ。

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トランプ関税導入による企業の業績に対する影響や景気に対する先行き懸念から消費税比率の引き下げや食料品に対する暫定的な消費税の撤廃などが与野党を問わずに議論されている。今から30年以上前に竹下内閣時代に導入された消費税は3%でした。当社は5%以上の消費税の導入が議論されていましたが、国民の反発を考慮して結果的には3%で決着している。この時の議論が念頭にあって消費税の比率を議論すれば10%に上がった消費税について食料品に関しては除外されていた筈だ。世界各国で消費税なるものは導入されているが、殆んどの国では食料品に関しては課税されていない。日本でも当初の消費税導入時の議論では食料品に関しては除外対象であった。しかし、導入税率が予定していた比率より低かったので、将来の比率アップ時には食料品を除外することにして3%導入時には食料品にも課税された。それが消費税比率のアップ時に除外を検討されることなく今日の10%に到った。政治家もメディアも過去を見る視点に欠けているので話にならないが、財務官僚からすれば状況が変わったので食料品除外は10%でも無視して良いとの事だろうが、現行の消費税の仕組みの出鱈目さを見ると組織の劣化としか思われない。尤も、国民の多くが予算や国債の問題に無関心や間違った考え方をしている状況では無責任になっても仕方がないと考えているのかもしれない。政治家は過去以上に歴史を見て判断することが必要だが、小選挙区制度と世襲制度、更には政党助成金の導入により、小物化した政治家の集団になった政党には期待できないのが実情だ。

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食管法により主食のコメを国が管理していたのを1995年に食管法を廃止し、食糧法を制定して民間主導の管理に移行し、コメの取り扱い業者を登録制にしたのは30年前のことでした。米は主食と言う言葉が独り歩きをして米価を低くしていたのは無策の農林水産省の役人と無能な政治家でした。食管法は戦後の食糧難に米の安定供給を考えてのことでしたが、消費者にはプラスに働いても生産者にとってはコメの価格と生産コストが見合わないと言う現象が生じました。本来は生産者にとってもプラスになる制度でしたが、現場の生産を知らないでの役人と政治家が考えた悪法と言えます。しかも消費者の生活スタイルの変化も考えないで米を主食と位置付けた考え方が定着して生産農家を苦しめました。米が主食と言うのは一汁一菜の時代の話であり、確かにその時代には大人一人が一年間に必要とする米は精米2俵(120kg)でしたので、家族4人(子ども二人)では年間7俵(480kg)を必要としました。米価が上昇前の価格は1俵約2万5千円ですので、年間のコメ購入価格は17万5千円になります。この金額を12ヶ月で割ると約1万5千円になります。家族4人の食費は月額約5万円とすれば、米の購入価格は30%となりますので主食と言っても間違いではないと思われます。しかし、現代の日本の4人家族の米の消費消費量は過去と違って大分減少しており、1ヶ月で5kg×2回=10kg程度で、年間購入量は10kg×12ヶ月=120kgです。この消費量は過去には大人一人が消費する量と言えます。その上、月額の食費に対する米の購入価格は約4千500円ですので何と9%の割合です。米は殆んどの栄養分が含まれており、不足分を大豆の栄養分で補強すれば十分と言われますが、現代の家庭では総菜などに必要以上にお金を使っていることが分かります。その様な状況の中で米の価格だけが生産コストと見合わない低い価格でこれ迄は推移して来ています。今回の米価の上昇でも生産コスト的には漸く作る価値が出て来た位で有り、米農家が米の生産だけでは生活できずに野菜や花の栽培で生活が出来ている現状を考えないと米の生産が増加するとは思われません。先ずは消費者に米の価格を低くしたいならば米を食べる量を増やす事と言えます。尤も、50年前に米の生産など崩壊してるのに何も手を打たないで半世紀も無駄にしている農林水産省など必要がない官庁と言えます。