10月3連休は大型倒産と株の暴落にも拘らず早い紅葉を見るためか高速道路は渋滞であった。金融危機で世界中の株が暴落しているが、庶民は株の暴落の影響は少なく、逆に急激に価格が下がってきたガソリンの方が生活に対する影響が大きい様だ。これを見る限り、今春のガソリン税の暫定率課税を戻したのは景気にマイナスだった事が分かる。もちろん、株式100%の投資信託を購入している方は株の暴落で元本の大幅な減少による痛手を被ることになるが、現時点では報告が届いていない可能性もある。しかし、株式に対する投資にしても、投資信託に対する投資にしても、基本的にはそれなりのお金を持っている人が損をするだけで、お金を投資に回せない人には現時点では関係がない。もちろん、株の動向は昔から6ヵ月後の経済に先んじていると言われるから、景況悪化が企業業績を悪くし、最終的には庶民にも影響が出て来ることは予想される。今回の金融危機は世界中を襲った動きであるので輸出に依存する日本にとっては今後の影響は避けられないが、今度こそ内需主導による経済の構築を進め、地方の活性化を促すチャンスでもある。高齢者が蓄えた資金を安全な国内の投資に向けてこそ日本経済の安定的な成長が実現できるのである。国民の消費は輸出の売上げに比較して遥かに大きいのである。国内の消費なくして成長はないのであるが、金融機関は自分の首を締めるような不動産に対する融資規制を行っている。今後、欧米諸国は今まで以上に金融危機からの経済悪化を克服するためにブロック経済の強化を目指すことになる可能性が大きいので、日本も内需拡大とアジア各国経済の支援を行い、経済立て直しを行う必要があることを認識すべきである。
規制緩和論者は現場を知らない
規制緩和論者は規制緩和が企業の経済活動を活性化させ、停滞している経済を成長に導くと唱えている。如何にも正論と聞こえるが、歴史的に何故規制が生じたのかを考える必要があろう。資本主義の勃興時には参考になる事例がなかったので規制などは殆んどなかったのである。金融を見れば、銀行業務、保険業務、証券業務は分離してなく、後年に問題が生じたので業務を分けたのである。しかし、英国のビックバン、米国の規制緩和は先祖がえりのように規制緩和を行って金融業務の一体化を進めたのである。確かに、規制緩和は停滞していた経済を活性化させたのは論を待たないが、この繁栄は不正による行為や株式上場の安易さを生み出し、虚栄であったことがサブプライム問題で分かったのである。それが、依然として規制緩和論者は歴史を学ばずに、一面だけの悪い面を指摘して規制緩和を促している。本当に経済を活性化させるためには、不正を生み出す様な先祖がえりの規制緩和でなく、国民から意識が乖離している現在の行政組織の抜本的な改革である。現在の一部上場会社の相次ぐ倒産とライブドア事件を見ると、資本主義の勃興時に世間を不正行為で騒がせた英国の南海泡沫事件と全く同じなのには驚く。規制緩和論者は、建築基準法改正で建築審査を民営に委託したためにどれだけ甘い審査が行われているか知っているのだろうか。構造偽装事件などは氷山の一角にしか過ぎない。況してや、利益至上主義の社会に規制緩和をしたら不正が横行するのは当然である。尤も、日本の規制緩和は税収入と関係ないところでおこなわれており、背後にいる財務官僚の指導で進められているのがよく分かる。本来なら、自動車取得に対する規制緩和である。新車も中古車も取得税・登録税が同じと言う馬鹿らしい問題に変更を行っていない。何故その様な事が起きるのかは、その税金が排気量で決めているからである。現実主義の米国では価格で決めているから安く買えば税金も安いのである。これが本来の規制緩和、資本主義経済のあり方である。この税制は新車を買わしてトヨタなどを保護すると同時に税収も確保する一石二丁を考えてのことであろう。経済の活性化を考えたら、売買価格での取得税・登録税に変更することによって中古市場が大きく成長するのである。この様な事例は沢山ある。経済化活性化のための改革とは何かを規規制緩和論者は官僚の与えた資料を棒読みするのでなく、現場を見て考えろと言いたい。
政治家の健康と危険性
政治家の健康、特に一国の宰相となれば国民の運命を左右する事にもなるので、重大な関心事である。今回の世界的な金融不安に思いを巡らすと、1920年代の大恐慌後の米国の大統領であるルーズベルトを考える。歴史教育では大恐慌後に実施された米国のニューデール政策は成功した様に書かれているが、実際の評価は喧伝されている様な効果は上がっていなかったと言われている。このため、ターゲットを戦争に置き、日本を追い込んだ事はかなり信憑性が今では高いと今ではいわれている。戦前の指導者を庇うつもりはないが、資源、特に石油の供給を大幅に削減された日本としては国防上戦争に打って出るしか選択がなかったのであろう。ルーズベルトと言う大統領は車椅子で記憶している方も多いであろう。長々とルーズベルト大統領の事に触れたのは、彼の健康が日本との戦争、その後の外交に大きな影響を及ぼしているからである。そこで気になるのは、民主党の小沢一郎と言う政治家である。今はマスコミも報道しなくなったが、小沢一郎と言う政治家は心臓病を患っている筈である。彼が総理の激務に耐え得るのか、更にはその様な持病を持った政治家の精神状態を過去の歴史的な事例から懸念するのである。私事で恐縮だが、先代社長が病で入院を余儀なくされた時、大きな開発プロジェクトが進行中であった。私が入院先に設計士と建築物について指示を受けに訪問すると、「先代社長は一言、"私は今病気で健康を害している。この様なときは正常な判断が出来ないので、プロジェクトチームで決めて良い。"」との事であった。この言葉は先代社長が亡くなる1ヶ月前の事であった。私なら逆に最後の作品として思いを込めて指示したであろうと思う。多くの人が参加する共同開発事業に対して私欲を持たずに判断出来る姿勢を最後に見せてくれた事に私は感謝している。
金融危機は資本不足に陥った金融機関への資本注入が一段落しなければ納まらない
米国発の金融危機は欧州にも飛び火して沈静化に対する対応が始まった。1920年代の大恐慌は米国の株式暴落に始まった印象が強いが、実際はその後の景気悪化懸念から生じた金融機関の信用収縮でおきたものである。今回も株式暴落で大恐慌を懸念されているが、株式暴落より怖いのは金融機関の信用収縮である。これについては過去の経験から多くの人が理解しているが、問題は政治は色々な思惑で動き、早く手を打つ必要があるのにタイミングを逸する事である。今回の米国、欧州の政治家の動きを見ていると日本の愚かな政治家と同じであることが分かった。特に、政治がメディアの影響を受けやすくなり、ポピュリズムが台頭してきた今日では今回の様な危機に対して政治家が弱い事を露呈した。もちろん、米国で生まれた金融手法が過剰な投資で世界中に仮想需要を創出し、一見すれば永遠に豊かな社会が構築されるような錯覚を与えた結果が、サブプライム問題で嘘である事が分かった瞬間壊れたのである。このため、本格的な経済の回復には、金融機関に資本の注入をして市場の信頼を取り戻す必要がある。米国が1980年代に規制緩和と小さな政府をスローガンにした政策は、グローバル経済へと発展し、格差社会をもたらし、食の安全まで脅かし、最後は資源高騰でナショナリズムまで引き起こして幕を閉じようとしている。日本もバブル経済崩壊後に米国を教本として先祖がえりの格差社会で競争原理を導入し、規制緩和政策を進め、小さな政府ヘの転換を進めたが、現状を見ると国の借金は増えるばかりであり、その上人心は荒廃し、金権主義者が横行している。先頃、日教組を批判して辞めた大臣がいたが、今の日本の現状は日教組だけでなく、米国流の教育を導入し戦後の日本教育を指導した文部省にも大きな責任がある。正に教育が国づくりの基本である。今更ながら思われる。
国は田舎に人が住めなくする政策を進めている
千葉県銚子市の市民病院が閉鎖されるTVニュースを見た。医者不足と医療保険制度の改正による採算の悪化が原因と言われる。医者不足は、研修医制度の変更で医者が行く先を選択出来る様になり、医療設備の劣った田舎の病院には医者が来なくなったとのことだ。研修医の制度の変更は誰のために行ったものか。少なくても税金が多く投入されている国公立大学の医学部出身の研修医が私立大学と同じように自由に選択できる様なシステムは間違っていると思う。田舎に医者が不足しているのを分かって研修医に研修先を自由に選択させることも規制緩和の一環であろうか。良く考えてみると、郵政民営化も採算性から何れは僻地に対する配達コストは高くなり、均一料金のサービスは受けられなくなるのは自明の理である。この他にも色々と田舎で生活するのは段々厳しい環境となってきている。総合的にこれ等の政策を検証すると、人口の少ない地方の人々の生活を不便にすることによって都市部に移動させる事の狙いがあり、翻って地方のインフラ整備予算を減少させる効果を考えてのことであると思われる。しかし、此処には財政再建だけでパブリックサービスの精神が感じられない。尤も、この考えは穿った見方かもしれないが、そう思える程田舎の生活は都市部比べて年々悪化してきている。日本を良くするために、少なくても次の衆議院選挙では官僚出身と二世・三世議員には投票するのは止めにしよう。
市場原理主義とは人間が愚かになること!
古い話で恐縮だが、米国のエネルギー会社「エンロン」のことである。私はこの会社が日本の2ヶ所に石炭火力を建設すると公表した時点でインチキを見破った。しかし、エンロンジャパンの設立には大手商社・金融機関などが出資し、大きな期待を寄せたのである。何故、私がエンロンがインチキであると思ったかと言うと、世界で最も石炭火力の設置に対して環境基準の厳しい日本で石炭火力の建設を打ち上げたからである。日本で石炭火力を100万KW1基建設するには原子力発電所100万KW1基建設するコストとほぼ同じであるからである。然も設置場所が電力の需要地から離れた青森県下北半島などであったのも送電ロスから見て考えられなかった。経済産業省資源エネルギー庁の職員なら誰もがエンロンの計画に対して疑問を抱いたと推測できる。尤も、米国の様な広大な土地で電力事業を行っている会社にとっては青森県の下北半島から東京都内に送電することは問題ではないのかもしれないが、確かなのは日本でその様な計画で売電コストが合うかどうかであろう。結論的にいえば、経営者が株価を吊り上げる目的で世界中にプロジェクトを打ち出したことが判明している。何故タイトルに対してエンロン問題を長々と述べたかと言うと、市場原理主義者が特異点を取り上げてマーケットを加熱させる手法に多くの聡明と言える人達が騙されるからである。尤も、古来より「小さな嘘は見破られるが、大きな嘘は見破られない」と言う格言があった。今回の金融危機も同様である。何か新しい画期的な事があるのではと勘違いした結果である。日本の不動産ミニバブルも同様である。今の時代には、「信用」と言う言葉が蔑ろにされて来ているのに、危うい信用でなりたった世界でビジネスを拡大してしまったツケが回ってきた。リスクは、経験×柔軟性で小さくすることが出来る。
米国・金融公的支援に対する議会の否決を思う
何れの国も選挙を意識しての議員の行動は同じである。サブプライム問題に端を発した世界的な金融危機に対しての危機感と責任に対する反省がない。日本も同様だが、政権を担っている政党だけの責任ではない。国から手当てを得ている国会議員の責任は重い。米国で言えば、クリントン政権時代の金融自由化政策にサブプライム問題があると思うが、国会議員としてその危険性をチェックしていたかと言うことである。尤も、共和党の議員から見ると、金融業界は民主党の牙城であり、金融業者であるユダヤ人の道徳のない行為から起きた金融危機に国民の税金を使うのはとんでもないと言う事なのだろう。その憤りは分かるが、世界的に信用不安を起こした責任は米国にあり、共和党の議員もそれを阻止できなかった責任があるのに、危機を省みない姿は情けない。然も、ここ8年は共和党政権であったので尚更である。この様な状態が続けば民主主義の危機である事に誰も気づいていない。独裁者は国民の不満を集めて民主主義の欠点を付いて出現するのである。翻って、日本の民主党が年金問題等で政府の責任を追求しているが、それでは民主党の議員は日頃何の政治活動をしているのか聞きたい。自分が選挙に当選する事を目的化した議員活動しか行っていないのが現実であろう。特に、小選挙区になって弊害が出ている。危機については誰もが分かっていながら個人のレベルでしか物事を考えない民主主義と言う制度は、近年発達した第4の権力となったメディアの影響を受けて一層政治家のレベルが下がってきている現在、過去にない危機にあると言える。
小泉引退と息子の後継
小泉が引退を表明したが、当然であろう。もともと郵政民営化しか政治課題を持たなかった男に今後を期待できるわけがない。今回の引退は、地方に渦巻く小泉批判に対する自民党否定の矛先をかわす狙いと、自分が父親が亡くなってから出馬して落選した苦い思い出があるため、息子が丁度自分が選挙に出た年齢になったから引退を決意したのであろう。しかし、国会議員と言う職務はそれ程楽なのかと思ってしまう。私の亡父も若い時から地方政治に関心を持ち、地方議員として功績を残している。議会議長も何期か勤めたので長生していれば勲章も貰えたかも知れない。亡父の学生時代の友人は同様に地方議員を長く務めたので、「紫綬褒章」、「勲五等瑞宝章」を授かっている。私も事業家と言うより政治家向きと思っている友人知人に選挙に出ないのかと良く尋ねられる。母も自分の父親が地方議員であり、伴侶も地方議員だったので、私に期待するところはあったと思われる。これに対する答えは出ないである。亡父の選挙を見て育ち、この国の選挙民に対する蔑視が生まれたからである。子供から見ても亡父は議員として私利私欲なく地方自治のために頑張った。しかし、その見返りは首長選、県議会議員選に出馬しての落選であった。私は頭を下げて「お願いします」を連呼しなければ当選できない選挙などに出る考えはない。今の政治家は皆本音は選挙民を馬鹿にしている。一回でも選挙を遣ってみると、この国の民のために良い政治を行うと言う考えがなくなるのではないかと思える。2世。3世議員が悪いとは思わない。問題は本人の資質である。しかし、選挙民は利権を尺度に考えるので、政治家の世襲制が生まれるのである。特に、小選挙区になってからは政党政治の復活で個性が排除される。中選挙区を壊した愚策は誰なのかを見極めて投票することが大事である。
手嶋龍一著「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」を読んで
自宅の近くの書店で偶然に手にした本だが、最近になく感銘を受けた。日本にもこの様な本を書ける人物がいたのかと思う。タイトルだけでは、一瞥して通り過ぎるだけであったが、不思議な題名のため手にしたところ、内容は世界の政治家や官僚に対する人物評であった。尤も、購入したが、直ぐには読まずに積んで置いて暫し忘れていた。それが、当面読みたい本を読み終えたので、何か買ってなかったと思って探して見つかったのがこの本であった。通勤の行き帰りに読むので時間が掛かったが、読後は現在の混迷した世相を読み解くには非常に参考になったと思う。その中の最終ページには、今の日本が「愚者の楽園」と化した姿を憂いて世を去った人物の事にも触れている。この中には今度、新総理となった「麻生太郎」の人物にもページを割いている。これには麻生に対してマスコミが報道している姿とは異なる面が書かれている。麻生家は明治維新後の家系としては群を抜く名門である。麻生太郎と言う人物について、麻生グループを率いた経営者として世間は余り評価していないが、斜陽の石炭からセメント産業にシフトし、バブル経済崩壊後には逸早くグローバル経済に対して布石を打っているのである。勿論、現経営者は弟だが、兄と言う存在から麻生太郎の意向を無視しては出来なかった筈である。この一つとっても、麻生太郎と言う人物は非凡と思える。政治家という資質も、祖父の吉田茂、更に先祖が大久保利通、牧野伸顕であるので充分と言える。世間は、庶民の味方は貧しい家庭から出世した人物と言うが、私は逆であると考える。下から這い上がってきた者には他者に対する優しさはない。逆に、育ちが良い人こそ他人に対して優しいのである。お金に対してもクリーンである。小沢一郎と言う人物の危険さを私は知っているので、麻生太郎に頑張って貰いたいと思う。
実務家も判断が難しい今回の米国発の金融危機の行方
今回の米国発の金融危機については今後どの様な収束を見せるのか判断が難しい。特に、不動産証券化などのスキルに精通していない欧州の金融機関に今後の金融危機波及の不安を見ている識者もいる。米国一国で牽引してきた世界景気がベトナム戦争時と同様なイラク戦争で体力を消耗している米国を襲った金融危機は、大きな変革を齎すことになる可能性は高い。大恐慌も懸念されているが、過去の時と比較して情報化の時代であるので、其処まで悲観的になることはないと思われる。問題は"合成の誤謬"などで金融危機の処理が遅れることである。一方、日本は自民党政権が続くか、民主党政権が発足するかによって今後の対応が異なると思われる。自民党政権のように官僚の発想通りでも駄目だが、民主党政権が本当に官僚を御する能力があるかどうかも疑問である。大事な局面に政治が混迷していると、バブル経済崩壊時の政治と同様に失政を繰り返す事になる。グローバル経済に合わせた透明性が高いと言われる投資用の会計基準が金融危機に拍車を掛けているのも気になる。何れにしても、ベトナム戦争の時は、為替の変動相場制などが導入されたが、今回の米国発の金融危機で金融のビジネスモデルが変わる可能性もあり、その動向に注視する必要はある。