米国のオバマ新大統領の言葉だが、昨今の混迷した世相においては心に響くものがある。先週末にNHKが放映した40年前の東大の安田記念講堂と日大の各学生闘争に参加した当事者の学生達のその後の人生を追跡したドキュメンタリーを偶然に見た。今の若い人たちには何等の感慨も呼び起こさないだろうが、この闘争時に学生生活を送った私としては感慨深いものがある。バブル経済時の不動産業界には学生運動に参加した闘士が多くいた。学生運動を行って逮捕されるとまともな就職が出来なかったために、身上書に余り拘らない歩合制の不動産営業の業界に飛び込んだ人達だ。不動産業界紙の記者もその辺の事情に詳しかったので、取材時には学生運動時に属していたセクトを聞かれたものである。純粋な学生運動が次第に過激的な思想に染まり自滅していったのを見ているが、今日ではロシアや中国が資本主義経済に取り込まれたのを境に思想的対立から宗教的対立に変化しているので、多神教を許容する日本社会に育った若い世代のエネルギーは何処に向かうのかと考えてしまう。特に、日本の政治家を見ていると殆んどが政策の勉強せずに政争に明け暮れている姿を見ると絶望的である。この様な時代にこそ若い世代の力が必要なのだが、我々の世代の時の様な反権力の激しい怒りが生まれていない様だ。不動産業界も今は金の亡者だけが跳梁跋扈しており、社会に対して何らかの貢献すると言う経営者は少なくなった。尤も社会全体の価値観が"お金"になったのだから仕方ないかも知れないが、"We can change"を最も必要としているには米国でなく日本と思える。
日本のTVや新聞はITに駆逐される
日本は記者クラブ制度のため各社とも殆んどが記者発表のニュースのため大体同じ内容であり、各社のニュースの選択基準も同じなのかどのチャンネルや新聞を見ても変わらない。尤も、偶には他社が取り扱わないニュースを流しているケースもあるが、この類は殆んどが誤報かやらせ記事であるので信憑性にかける。日本は海外と比較して他国のニュースの取り扱いが大きい。今朝のニュースではNYの国内線の飛行機事故が何度も流されていたが、このニュースに関心がある人の比率を考えると無駄な様な気がする。他に国内の重要なニュースがあるのではないかと思われる。日本人は学校教育の時から与えられて成長するので、新聞の記事などに関しても当然の如く受け入れてしまうが、価値観が多様化した時代にあっては通用しなくなったのではないか。日本企業も同様に欧米を目標に頑張っている間は良いが、海外を気にしすぎることは逆に害にもなるのではないかと思う。政治家にとっては戦後の政治化のと言うより、明治維新後と言って良いかもしれないレベルのままである。この様な政治家のレベルを思うと21世紀の資源サバイバルの世界にあって生き残れるのか心配になる。翻って米国では社会問題をフィールドワークを通して解決しようとし、その限界から夢を実現するために政治家となったオバマ大統領が誕生した。羨ましい限りである。そう言えば、麻生総理が漢字が不得手なのをマスコミが一斉に報道しているが、この問題が子供の教育に大きな影響を与える事に気が付いていない。国語の教師が子供から漢字を覚えなくても総理大臣になれるのだから漢字を覚える必要がないと言われたらどうするのか。全く日本のマスコミは馬鹿ばかりが集っている。今回の渡辺代議士の離党騒ぎもしかりである。渡辺代議士の行動は政党政治を否定する行為であるが、マスコミはその事を理解したうえで報道しているのだろうか。今のマスコミは全く日本を戦争に導いた時と同じ過ちを犯している。記者クラブに甘んじてフィールドワークしていない記者の限界である。多分、現在の報道姿勢を続けると近い将来に日本のTVや新聞はその地位をITに取って変わられるであろう。オバマ大統領の出現とイスラレルのガザ攻撃にユーチューブが利用された事が未来を暗示している。
円高の意味する所
急激な円高についてはその是非について賛否両論がある。輸出業界は当然に価格競争力が落ちるため円安誘導を政府に要望する。マスコミの論調は円安でないと日本経済が崩壊する如くの報道だが、円が90円前後に高くなったのは今回が初めてではない。バブル経済崩壊後に急激な円高があった。確かに、この時には多くの日本企業が中国などに生産拠点を移して乗り切った事が思い出される。海外に長く住む友人の意見では日本企業の実力から見れば円が80円台になっても不思議ではないと何時も言っていた。その後円は安くなり120円台を推移してきたが、円高と比較して何が戻ったかは良くわからない。トヨタなどの自動車会社が高収益を上げたかもしれないが、それは円安と言うより、欧州・米国の経済の好況さが原因であったと思われる。円安や円高は日本当局が一人で騒いでもコントロール出来る物ではないと言う事である。今回の円高は金融危機で欧米ほど傷が深くなかった日本から資金を流失させるためであると言うことである。国民にとっては円高は物価の下落に繋がるので歓迎すべきものと言える。マスコミなどは円高は日本経済の死活問題で再度海外に工場の移転が起き経済の空洞化が進むと騒いでいるが、この論調は古い経済のスタイルを捨てきれない人達の意見である。日本には余り利用されていない富があるので、円高の今こそ海外の企業買収や資源投資、更には不動産投資を積極的に行うべきと考える。円高による海外の工場移転などは過去の出来事である。現在の様に正規雇用者の需要が減少したのは10年以上前の円高によって多くの工場が海外に移転したからである。日本の経済を活性化するには、海外の市場に投資する手段しかないのに気づくべきである。円高によるデフレスパイラルなどを恐れずに今回の円高を機に新しい時代に対応した経済の活性化に乗り出すべきであると思われる。
リノベーションマンションの問題点
築年の経過したマンションをリノベーションして新築マンションと比べ低価格で販売している業者が増えてきた。地の利の良い場所で安く購入できるメリットを強調するリノベーションマンションだが、問題はリノベーション対象のマンションが新耐震前か後かで大きな違いがある。新耐震のマンションならば当面は問題ないが、新耐震前の場合には①建替えについて居住者がどの様に考えているのか、②販売時に耐震に対する説明を十分おこなっているか、更に③躯体や外壁などの劣化度合いについて十分説明しているかが重要な点である。現行法ではリノベーションマンション販売に対する規制がないので販売業者は低価格を強調して販売しているが、購入者は内装が現在のマンション仕様と変わらないと言っても老朽化した建物である事を十分に認識して購入しないと将来にトラブルに巻き込まれることになる。勿論、環境的な面などから古い建築物の再利用は否定しないが、地震国の日本において耐震技術に関して大幅な改良が加えられる以前のマンションなどのリノベーションは基本的には問題と思われる。特に、最近では震度7以上に耐えれる住宅の研究も進んでいるので新耐震以前のマンションは出来るだけ建替えを誘導した方が良いと考えられる。少なくてもリノベーションマンションに関しては新耐震制度が適用された1981年以降の建築物かかどうかを見極める必要がある。
建材メーカーの不正に思う
建材メーカの不正にまたかと思う。一連の事件は2000年に行われた建築基準法の改正(仕様規定から性能規定に変更)に端を発したものである。建材メーカーの不正は許せるものではないが、法律改正にも問題があったことも事実である。確かに仕様規定に比べ性能規定の方が建築には工夫出切る余地が広がりメリットは大きいが、問題は性能について誰がチェック出来るかであった。最近の世の中を見れば性善説を前提にした制度など不正の温床になることは予測できた筈である。特に、資本主義では騙されるのは馬鹿との言葉が一般化しているので、尚更である。小さな政府と規制緩和を全て同一次元で考えるのは間違っている事に気づくべきである。この様な事件は消費者に損失を与えるのは自明だが、実際の問題はこの種の事件が起きると逆に規制が強化され、業界の費用負担が大きくなる現象をもたらすことである。何のための規制緩和かと言いたくなるからである。責任を取らない現行の官僚制度の下で全ての法律や制度が決定されているシステムではチェックが機能しなくなっている現実に目を向ける必要がある。
日本のCHANGEは相変わらず米国次第!
日本国民は今年行われる衆議院選挙に期待している様だが、民主党が政権を握っても何も変わらない。何故なら日本は米国の属国なのだからである。此れに反論する輩には経済指標の全てを観察してみろと言いたい。株価を始め多くの指標が米国と殆んど連動している。日本の政治家は米国の意向を無視した政策など出来はしないことは自明の理である。今年初めてのブログでこの様な事を書いたのは、世界同時不況にあって日本の今後の経済動向は国内政治を見ていても意味がなく、米国の動向を見ていれば間違いない事を言いたかったからである。今回のサブプライム問題で多くの日本企業がリスクに対して誤った判断を行ったのは日本のメディアの情報に頼ったからである。尤も、メディアの報道はバイアスが掛かっていると言う事は何も日本だけでなく世界中で同様である事が今回のイスラレルのガザ攻撃で確認した。理由は、イスラレルが今回のガザ攻撃に対して正当性を訴える手段を従来の様な方法でなくインターネットを通して直接世界中の人々に映像を流したからである。勿論、今回のガザ攻撃に正統性などないのだが、情報戦で世界のトップクラスのイスラレルが行った事に対する意味は大きい。そう言えば、米国のオバマ新大統領もインターネットを通じて支持者を広げ、予想を覆しての勝利であった。2009年は政治経済とも"CHANGE"する年になる可能性は高いと思われる。故に、米国の動向を今以上に注視する必要がある。
奇妙な符号の様に9月以降の日本の経済活動が30%縮小!
リーマン・ブラザーズが破綻した9月以降に日本の経済活動が30%ダウンしたと思われる。しかし、多くの業界で一様に30%ダウンの声を聞くと奇妙な符号の様に聞こえてしまう。最も早く影響を受けたのはタクシードライバーの様だ。勿論、リーマンショックによる株価などの暴落の影響で10月、11月の2ヶ月は消費マインドが冷え込んで手の打ちようがなかった様だ。12月は忘年会のシーズンであるので幾らか消費が戻ってきたが、皆が期待していた様な展開までには到らなかった。ここで考えるのは日本経済の縮小規模が30%で安定するのか、それとも来年は更に需要が落ちて更に縮小するのかは現時点では分からない。ひとつ確かなのは日本のバブル経済破綻後の経済状況以上の衝撃が企業を襲うと言う事である。何れにしても今回の世界的な不況に関しては、今でも潜在能力では群を抜いている米国の動向如何としか言いようがないのが事実である。考えれば規制緩和による小さな政府を掲げて米国はベトナム戦争で受けたダメージを長い時間を掛けて回復してきたのだが、規制にも良い規制と悪い規制があるのに気づかず進めてきた結果が金融破たんであった。レーガンから開始した規制緩和には歴史観を持った大統領とスタッフがいなかった悲劇かもしれない。世界を巻き込んだ金融詐欺事件の結末は、新しい秩序の確立しかないが、現時点では各国のエゴが先行してパラダイムシフトの姿が見えてこない。2009年は新しい仕組みが確立されるまで試行錯誤を繰り返すと言う前提に立てば、全ての価格が小さな現象で振り回されて不安定な市場で上下変動する可能性が高いと推定される。この様なときには絶対的な価値観を持って経営に臨む事が肝要と考える。
不動産業界は規制緩和で破綻した
2000年以降に小泉政権によって国民の目線でない規制緩和が行われ、不動産市場などには規制緩和を利用したインチキ企業や素人集団が参入し、金融の量的緩和もあって多くの企業が急成長したが、サブプライム問題以前に国内の金融の量的緩和の解除などや構造偽装事件の影響もあって新興の不動産の多くが経営難に陥った。規制緩和が企業経営の急成長を促したが、問題はこの規制緩和であった。建築基準法の改正により、建築の確認申請・通知の手続きが簡素化され、着工に到る期間が短くなったが、反面需要とのバランスを欠くマイナス面があった。しかも、実物不動産取引から不動産証券化の取引に変化し、投資家の多くがファンドとなり、このファンドのリスクを軽減するために貸室の入居者の事故による賃料を保証するする会社も出現するなど、何時の間にか仮想需要で舞い上がっていたのを忘れてしまったのである。今回の不動産業界で成功した方々は、不動産業界の経験があったとしても若くして独立して成功したか、金融業界、若しくは物販関係の会社の出身であろうと推測される。その理由としては、多くのプロジェクトの内容がユーザー目線でないからである。不動産業界に長く従事するとユーザー目線が重要なのが痛いほど理解している。しかし、物販などの営業を積み重ねた人たちは、価格的にも取り扱う物が安いためなのかもしれないが、尊大にも自分達の流儀でユーザーが動くと勘違いしている。私の思い違いかもしれないが、今回のミニバブルの原因を考えると勝手に造り上げた仮想需要で崩壊したと思えるからである。黒字倒産が多い理由は、金融機関が会社を存続させるほどノウハウがないと判断したから見捨てられたのである。不動産開発に他の会社にないスキルがあれば銀行の利益のために救済する筈である。尤も、最大の罪作りは規制緩和であろう。身の丈で行っていた不動産会社まで自分を見失ってしまったのだから。
デザイナーズマンション
私の住んでいる築32年の賃貸マンションが老朽化してここ数年は賃借人が50%前後であった。オーナーはこの地域の地主さんであるので、地元の不動産業者に任せて老朽化しても余り修繕などを行わなかった。それが、突然、今年の夏に空室の居室と外部周りについて修繕工事を行う旨の簡単な知らせがポストに入り、入居中の住人に対する工事説明会も行わないで大騒音を発する改修工事を開始した。このため、住んでいる住人の一部と工事会社との間で揉め事が起き騒動に発展した。その後、工事を開始して1ヶ月以上経過してから漸く工事説明会が開かれ、工事の騒音は相変わらずだったが、騒動は次第に沈静化した。今回の改修工事では空室が当世風のデザイナーズマンションとして生まれ変わることになり、従来管理をして来た地元不動産会社に代わって今回の改修工事を提案したサブリースの会社が工事終了1ヶ月前になって姿を現してきた。私も建築・不動産業界で長い間関係してきたが、今回の改修工事に偶然に遭遇して新興不動産会社のやり方と言うのを改めて思い知らされた。この会社のホームページを見ると、新興不動産会社と金融機関系列との出資会社で、若い設計士によるデザイナーズマンションの新築や改修工事を歌い文句に活動している。確かに、作品を見るとデザインは奇抜で、一見すると若い人達が興味を引く様に思える。然し、改修工事の当事者として経験したこの会社の遣り方は無責任としか言いようがない代物であった事に気づいた。先ず、旧耐震のマンションであるのに改修工事では何等その事に配慮しない改修工事であり、居室については生活感のない仕様である。若い未熟な設計士の設計コンセプトを反映していると思われるのが、外周工事である。エントランスは従来と異なり、入り口を東側から北側に変えてエントランスを単なる入退室の空間からオシャレな空間に変えたのまでは良かったが、北側に入り口を変えた事が、冬には風によってエントランス内に落ち葉などのゴミが入り込んで汚くなることに思いが及ばなかった様だ。また、エントランスから2階、3階に上がる階段の絨毯を壁に使用した色に合わせて濃紺色を使用したのだが、直ぐに汚れが目立つ様な代物であった。TVのトレンディドラマに使われる仮設の建築物ではないので、生活を考えると先ずは選択しない色であり、外部に遮断された空間でないので、外からのゴミについても全く配慮していない設計コンセプトには驚いたとしか言いようがない。その上、予算が少なかったかどうかは知らないが、外部の非難階段や外部通路に関しては殆んど改修工事を行っていない。今回の改修工事を見ると、「頭隠して尻隠さず」と言った諺を思い出した。建築・不動産業界に見せ掛けだけの業者が最近は多いことは認識していたが、これ程酷いとは思わなかった。豊かな社会になると虚構を造り上げるのが上手い会社が反映すると言う現実に直面すると暗澹たる思いになる。
新入社員の自宅待機と採用内定取り消しの違いとは!
最近、来春卒業の学生に対する採用内定を取り消した会社に対して非難の声が聞かれる。確か数年前迄は就職が卒業までに決まらない学生の比率が高かった時には企業に対して雇用を確保しろと言う声はなかった様に思われる。実際の所、就職が決まっていない学生自体もいると思うが、それ等の学生に対しては一顧さえもしない。グローバル社会と言われてから多くの学生が卒業までに就職できずにフリーターとなったケースは珍しくなくなったのにである。今風に言えば、採用取消になった学生は企業の見る目がなかったと言う事で自己責任の範疇である。マスコミからすると、早く企業から内定を取り付けていない学生など眼中にないということであろうか。我々の就職活動時にも第一次、第二次オイルショックの波に襲そわれ、自宅待機を余儀なくされた仲間が多くいた。自宅待機といえば期待が持てそうだが、実際は採用内定取り消しと同様であった。此れに対して当時は何の支援もなかった。何も就職難は今に始まったことではない。非正規労働者に対する問題も然りである。グローバル社会では欧米諸国と同様に非正規労働者制度を拡充しないと輸出競争力が落ちてしまうと騒いだのはマスコミであろう。それが一転して非正規労働者の契約打ち切りに対して声を上げて非難している。この非難はまともな様に聞こえるが,円高と需要減に対応しての企業行動に対して非難することは此れまでの主張とは相容れない。日本のマスコミは日本及び日本人のためでなく、海外のインテリジェンスから日本弱体化の広報を受託した存在であるとしか思えない。"勝ち組"などと言う最悪な言葉を生み出したのもマスコミであった。負け組みの親を持った家族を考えた事があるのかと言いたい。景気の変動は資本主義社会である限り否定できない事実であるので、問題は不況時に対する国家の弱者に対する保護機能であろう。更に言えば、不況時こそ新しい政策を実施できる機会であるので、大胆な政策転換を図るのが政治の責任と考える。しかし、それを行うような政治家がいない今の日本は悲劇である。