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盂蘭盆に例年通り夏休みに茨城の故郷に帰った。私の故郷は茨城県の北部地域に位置する。数年前に1町2村が合併して新しい町になり、未だ町名に慣れていない。原発からの距離は、福島第一原発から約116km、福島第二原発から約106km、東海第二原発から約24km、柏崎・刈羽原発から約285kmである。福島原発事故の時に米軍が避難地域とした80km内ではない。尤も、東海第二原発が福島同様な事故を起こしたら30km圏内に入るエリアだ。原発立地で恩恵を受けるのは立地した市町村だけであり、わが町は電源交付金等の何等の恩恵を受けていない。福島第二原発の立地でも同様と思われるので、立地以外の30km圏内の市町村は怒りが納まらない。事故の事を考えると建設計画に関しては本来ならば30km圏内の市町村の合意が前提となることが当然であった。然し、現実は立地市町村と県の承諾だけである。今回の帰郷では、様々な変化を感じた。ひとつには、近所の農家の方が私の帰郷には朝採りの野菜を持ってきてくれるのだが、今年は音沙汰がなかった。何時もなら玄関に黙って置いてくれる方もいて恐縮していたものである。母の話では放射能汚染の風評があるので、迷惑を掛けると考えて持ってこないとのことであった。又、姉の話では、農家の人たちは根拠のないセシウムに汚染されているかもしれない恐怖に怯えて生産に従事しているとのことであった。地元でも孫には周辺の野菜を食べさせないなど放射能問題がエスカレートしている。私自身は今回の帰郷に際してカイガーカウンターを持参し、自宅の庭の放射能レベルを確認した。確かに、東京都内(虎ノ門)と比較して空気中の放射能は多かったが、そのレベルは0.05~0.08マイクロシーベル/h高かった位である。庭の芝や樹木の下を全体的に計測した時には、空気中よりは高く反応する場所があったが、それでも一番高い場所で0.4マイクロシーベル/hであった。素人の判断で断定した言い方は出来ないが、冷静に対応するのも必要であると思われた。勿論、風評が起きた原因は政府の後手に回った対応であり、政治家の役人の様な無責任な発言であった。福島原発事故が終息した訳ではないので、今後も放射能の汚染に対するきめ細かい対応が求められる。人々は色々なマスコミ報道に接して混乱しているので、早急に明確な安心できる基準の公表が重要である。政治も行政も信頼されない時代に起きた原発事故は不幸な出来事と言わざるを得ない。姉から現代では2人にひとり」が癌で死ぬ時代に放射能汚染で癌になる確率など考えても仕方がないと言う人もいることを聞いたが、確かに子供時代に農薬に汚染された米を食べてきた世代にとっては放射能汚染も同様な視点なのであろう。問題はマスコミが危機を作り上げて国民がパニックなっている面も見受けられ、陸前高田市の松の事件など典型的なものである。多くの人は飛行機に乗って浴びる放射線量を危険視しないで、原発事故の放射能拡散だけに怯えているのは滑稽としか言いようがない。現代社会に危険は隣り合わせであることを認識して冷静に対応する事が重要だと帰郷に際して考えたことであった。

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米の先物取引が始まった。世界の商品の先物取引の始まりは日本と言われ、それは大阪の堂島の米取引であったらしい。尤も、この時代の米の先物取引は実質的には貨幣経済であったにも拘らず、給与を米で支給されていた武士階級を救済する目的と思われ、決して庶民に対する米価の安定のために機能したとは思われない。実際、飢饉などに米の買占めがなされ、民衆の一揆が起きたことは歴史的な事実である。今回密かに米の先物取引を窺っていた輩が福島原発事故の放射能汚染を奇禍として再開した米の先物取引は動機が火事場泥棒みたいで将来に良い結果を生むのが懸念される。世界経済は不安定になり、然も過剰流動性のドルが投機目的で跳梁跋扈している時に米の先物取引がどのような結果をもたらすかは自明である。政治家も役人も、馬鹿な学者から日本は先物取引では昔は世界の先端を走っていたという事を聞かされて日本を元気の象徴にするために再開をしたかったのではないかと推測する。勿論、日本の農業が生き残るために米の先物取引を導入し、生産と供給において価格の安定化を図るなどの大義名分の趣旨は大上段に掲げられているのであろうが、国民にとっては今後米は高いものになる可能性は否定できない。米の買占めなどに対する罰則はどうなっているのかと考えたが、今の政治家や役人に国民の事を考える輩がいないことを考えると指摘するまでもないだろう。日本は何時の時代でも戦前の金解禁の様に後手に回った政策が多いが、世界経済が不安定になってきている最中に米の先物取引はリスクが高いと予測する。私の予測があたらない事を祈るだけだ。

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昨日、上野精養軒でお祝いパーティが開かれた。パーティの趣旨は、茨城県のゴルフ場のメンバーの一人がクラブの公式競技のシニア選手権のチャンピオンになった事と同時にその後行なわれた矢張りクラブの公式競技のクラブ選手権決勝トーナメントで成し遂げたホールインワンを祝う会であった。主役のMさんとは同じゴルフ場のメンバーとして25年以上の交遊がある。Mさんと初めてラウンドしたのはクラブの公式競技である理事長杯の予選であった。この時には私はハンデ17で参加したが、Mさんは確か既にハンデ7か6であったと記憶している。体は小柄であったが、飛ばし屋で綺麗なスイングには感嘆し、憧れのゴルファーであった。予選会では我々の組は北コースからスタートし、次に中コース、最後に南コースと1日で27Hランドするものであった。Mさん以外の2人もAクラスで、私だけがBクラスであった。又、初めての理事長杯予選会出場でもあり、かなり緊張を強いられた記憶がある。しかし、最初の9ホールはアプローチが決まり且つパターが良く入り、私としては上出来の41で上がった。Mさんと他の二人は一番ハンデが多い私のゴルフにリズムを狂わせたのか私よりスコアが良くなかった。クラブハウスに戻る時にMさんが他のシングルからスコアの事を聞かれた時にうちの組はハンドが逆だよと自虐的に答えたのが印象的であった。勿論、私がスコアが良かったのは最初の9ホールだけで、次の9ホールから馬脚を現して3人の中で一番悪いスコアとなったのである。それ以来、機会があればゴルフに誘われてラウンドしたが、教えても上手くならない私のゴルフにMさんから愛想を付かされた。今回のMさんの祝賀会には往年のシングルが多く参加した。お互いに才能を認め合った人達で、クラブチャンピオン、歴代の理事長杯優勝者、歴代のシニアチャンピオンが勢揃いしたパーティとなった。本来なら、シングルハンデになれなかった私は参加資格がないのであるが、恥ずかしながら仲間から名誉シングルとして彼等と同等に扱いを受けている。しかし、今回の祝賀会に参加してゴルフの仲間の素晴らしさが改めて感じた。ゴルフの仲間は時には競合相手となりながら相手の優勝を心からお祝いしてくれる。今年のシニア杯でMさんと優勝を争ったIさんも茨城から参加してくれた。夏の色々な行事の最中、地域の役員でもありながら無理して祝賀会に参加してくれたのには頭が下がる。私は最近はクラブの月例競技に参加しなくなったので、クラブの会員達とは皆久し振りにお会いした。それでも時間の経過を感じさせない位に自然に皆から声を掛けられた。なお、Mさんの実家はスカイツリータワーの近くなので上野浅草方面は地元なのだが、精養軒は彼が結婚式を挙げた思い出の場所であることも今回知った。結婚式の写真も置いてあり、頭が薄くなった現在の彼から想像できない位ジャニーズ系の美男子の姿が写っていた。Mさんのファミリーも勢揃いし、賑やかな宴となり、Mさんの幸せそうな顔がひときわ輝いていた。宴の最中にゴルフ仲間の司会の方が、ひと言述べた件ー家族の理解があってこそのゴルフであり、茲に出席した皆さんは家族に感謝することが必要ーであった。長いゴルフ人生には様々な事があり、10年間ゴルフを止めていたと話をしたメンバーもいた。しかし、何時でも仲間として受け入れ、お祝いには自分の事の様に喜んでくれるゴルフ仲間は人生において素晴らしい財産であると思う。何時の間にか皆年を取ったが集れば子供の様にゴルフ話に花が咲く。素晴らしき仲間に乾杯!

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先日、外資系不動産投資会社の社長さんと雑談している時に米国と日本の行政の仕組みについて初めて知った事があった。社長さんは金融マンとして米国経験も長く、米国の地理的な面を含めて米国については造詣が深い人である。私が今回の東日本大震災の復旧対応や二次被害の福島原発事故に関してスペシャリストの技術者がゼネラリストの下位に置かれ行政が機能していないので、明治時代の工部省的な技術者集団を再度形成すべきであると話した時に社長さんから意外な事を聞いて驚いた。社長さん曰く、米国の行政組織には技術者はいないと言うことであった。私の疑問として誰が外部委託をチェックするのか問うた所、チェックも民間のコンサルタント会社に委託するシステムであるので役人が少なくて良いとのことであった。社長さんは東大での優秀な方なので私の考えなどお見通しであり、私の疑問の不正に関しては間髪をいれずにコンサルタント会社が間違った場合には罰せられるとのことであった。米国の金融システムに関しては憤慨するほど罰則規定が甘いと思っていたのだが、公共工事などに関する民間委託に関しては不正や間違いに対して責任を負わせるシステムになっている様だ。勿論、罰則規定がどの程度厳しいかは分からないが、米国社会は合理的に考えられている。翻って日本の場合、我々の建築業界一つ見ても民間委託の状況には雲泥の差がある。規制緩和により建築確認申請における民間委託会社が発足したが、発足自体が役所勤務経験者を必要としたものであり、少なくても役所勤務の資格者を採用しなければ会社設立が出来ない仕組みであった。更に、構造偽装事件で分かるように、審査した側の責任は一切と問われない仕組みであった。何が規制緩和だと言いたい内容であり、日本の場合には所詮役人が作る制度に政治家が乗っているだけなので、本当の意味での規制緩和や民間委託など存在もしていない。役人の身内の民間委託だから罰則規定もないことが良く分かった。今の日本の政治家は碌に勉強もしていないので、役人の協力を仰がなければ何も出来ない情けない存在だ。この現実を考えると、今後幾ら選挙に行って期待する政党に入れても、国民が望む社会制度は構築されない。特に、民主党が出来もしない政治主導を唱えて挫折したために、余計に状況が悪くなった。尤も、公務員改革自体を公務員に遣らせる矛盾を考えると、日本と言う国は救いようもない。最近、経済産業省の官僚の古賀某が古巣の経済産業省と対立しているかのような行動を取っているが、所詮はコップの中の嵐であり、国民を考えた争いでない事は確かだ。当然だが、外資系の社長さんも日本における今の政治状況から積極的に不動産投資を進めることに躊躇いが出るとのことであった。過去を振り返ると、自民党の小渕政権の時の不況対策が一番優れており、小渕総理が急逝したことが残念であることで社長さんと一致した。小渕総理以後は正に役人に振り回されて何の改善もされず、政治が機能しなくなった今の現実がある。小渕総理は規制緩和による民間委託を進めたのではないが、的を得た経済対策を行なった事は確かであった。小渕総理以後は財務官僚が仕切った政策で悪戯に赤字国債を増やしただけであった。何が問題かは一目瞭然である。日本の回復には官僚を排除した徹底的な民間委託とそれに伴う罰則規定だ。

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最近何にでもガラパゴスと言う言葉が使われ、絶滅種の悪い見本にされている。マスコミが毎日の様にガラパゴスと書くから新聞などマスコミ情報を唯一の判断の手段にしている一般人はそれに呼応してしまう。ガラパゴスと表裏一体の言葉としてダーウィンの変化対応論がある。しかし、良く考えると、進化論は生命が短い生物に使われる言葉であり、樹木の様に長期に生存する植物は変化をしないことで生き抜けるのである。更に、ガラパゴスの批判は新興国に対する需要に合せた製品作りを指しているが、日本企業が付加価値の物づくりでなく、新興国の土俵に乗ったチープな物づくりで生き残れるものではない。勿論、日本製品がマニアックになり、高齢化社会を考慮しない複雑な製品作りが行われてきた事も確かではある。しかし、この事を以って全てがガラパゴスと言う極論は的を得ていない。グローバル化がローカルに眼を向けさせることは先進国においては消費者が好むのは画一的なチープな物ばかりではなく、本物を求めている証拠でもある。本物とは長い年月に耐えてきた価値と考えられる。日本の製造業ではガラパゴスと言う言葉が先行したために貴重な物づくりの心が失われてきており、職人芸もコンピュータのデータに取って代わられて来ている。しかし、誰もが認識し、誰もが経済コストの前に口に出さないが、ソフトは現場を知り尽くした者がいて初めて機能するものが作れる現実である。20世紀はハードの時代であり、21世紀はソフトの時代かもしれないが、ハードを作るのには現場力が必要なのであり、それが大きな事故を防ぐ要因にもなっていた。しかし、ソフトの時代になり、ハードが軽視されるようになり、同時に現場力も軽視されるようになった。その結果、働く人達もデータ重視で直感が働かなくなり、大きな事故に対しても全てコンピュータ任せて鈍感になってしまった。福島第一原子力発電所の事故は何故起きたのかは一目瞭然である。ハード軽視のソフト重視で起きたのである。PCの画面を見ているだけではハードの劣化や災害に対する予感は働かなくなる。ガラパゴスと言うマスコミの批判がハード軽視に繫がり、現場軽視に向かい大災害に対して予知できない状況を作り上げている。日本は木造建築で自然を学び、それを活かしてきた国民である。1千年に耐える木造建築には1千年の年月を経てきた樹木が必要なのである。変わる必要性は認めるが、それは変わらない重要性を認識した上での話である。東日本大震災では国の行政機能が平時の状態で非常に対応するには3ヶ月以上を要する馬鹿げた状況になっている。ソフト重視ははPCから信号が送られないと動かない思考停止社会である。マスコミのガラパゴス批判はそれを助長することになる。

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1945年、今から66年前に日本は敗戦し、その後は米国の日本弱体化の戦後プログラムに沿って歩んできた。途中で朝鮮戦争が起きてプログラムに若干変更が加えられたが、基本的には原案に近い形で遂行された。勿論、戦後プログラムは全てを否定するもではなく、農地解放の様な結果的には日本人に取っては幸運をもたらした政策もあった。最近、東日本大震災後に日本に帰化を表明したドナルドキーン氏も占領軍の一員として日本の土を踏んでいる。ドナルドキーン氏より早く日本に帰化した米国人の一人にウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏がいる。彼はメンソレータムの近江兄弟社を設立した人でもあり、当社と同業の設計事務所「一粒社ヴォーリズ建築設計事務所」を設立し、明治以降に多くの有名な建築物を設計した人物としても知られている。因みに、帰化後の日本名は一柳米来留(ヒトツヤナギメレル)であり、一柳は奥さんの実家の性であった。話は横に逸れるが、私の知人が偶然にヴォーリズムの出たコロラド大学に学んでおり、偶然に驚いた記憶がある。ヴォーリズは戦争中に帰化し、戦後日本の再生に役立つ事を決意した人でもある。このヴォーリズが戦後日本人の変化に逸早く気付いた人でもある。そして戦後プログラムで戦前の倫理観などを一掃された日本社会ではお金が基本になっていることに将来の日本人に対して懸念していたと言われている。それでも未だ明治生まれの人達が多くいた1970年代までは経済成長もあり、日本社会はどうにか秩序が保たれていたと考えられた。然し、次第に明治生まれの世代が引退し、大正時代の世代が経営者の主流になっていた時に経済バブルが崩壊し、その後は資産デフレとなり昭和時代の世代が台頭してきてから日本社会は米国の戦後プログラムの効果が出てきた。そのピークは小泉政権以降であると思われる。勿論、戦後プログラムだけでなく、日本の戦後社会では人格的に問題がある旧軍人が復活したり、隠退蔵物資を盗んで企業経営者になった人達が多かったので、戦後プログラムは無責任社会の進行を助長させただけなのかもしれない。今は正に、政治家も官僚も企業人も自己利益だけしか考えない戦中戦後世代が跳梁跋扈しているが、現代の米国にとっては予想以上の効果が出たので、中国の最近の台頭を考えれば、逆に時間を戻したいと考えているかもしれない。それにしても、情けない程小人物が政治家のトップになったり、大手企業経営者のトップになったりとバブル経済崩壊後に何も遣らない自己中の二流の人物がそれぞれの業界で地位を得たことが、無責任な日本社会を作り上げた。今となっては時間を戻すわけには行かないが、今後の日本は東日本大震災や二次災害の原発事故の試練によって変らなければ民族として生き残れないのではないかと危惧する。

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標題はアップルの創業者、スティーブジョブスが好んで使う言葉なので、人口に膾炙している。今の日本を見ると、「Stay hungry,Stay foolish」の生き方など評価されないほど打算的な社会と思われる。尤も、年功序列制度が崩壊し、雇用もインフレ時代と異なり厳しい時代なので、利口に振舞わないと生きてゆけない背景があることも確かだ。勿論、若い方がベンチャー企業を立ち上げたり、企業家を目指して頑張っている姿を報道した新聞雑誌などの記事も眼にしているので、「Stay hungry,Stay foolish」の生き方で頑張っている人達がいるのは否定しない。スティーブジョブスと同時代にPCで成功した人物にマイクロソフトの創業者のビルゲイツがいる。ビルゲイツもスティーブジョブスもハードでなく、ソフト分野で成功した人物だ。PCではハードで成功して長続きした人物は少ない。そう言えば、日本にも孫正義と言いうPCソフトと携帯電話の買収で成功した同時代の人物もいる。3人を比較すると、ビルゲイツと孫正義は同類と思われるが、ジョブスは2人とは基本的に違う様だ。ジョブスは独創性に執着し、且つ妥協しない遣り方は事業家と言うより芸術家タイプと思われる。芸術家は才能を評価してくれる画商などがいないと世に出ることは難しいが、その点はジョブスは恵まれた環境にあった。勿論、ジョブスにも事業家としての才覚はあり、その最たるものがプレゼンの上手さであろう。しかし、ジョブスの根底には常に「Stay hungry,Stay foolish」の生き方があり、それが他の二人の追随を許さないものになっていると推定できる。日本の政治家と官僚に「Stay hungry,Stay foolish」の言葉を贈りたい。

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私はゴルフを始めて今年で29年になるが、レッスンプロの指導を受けずに独学で学んだために最近は下手になるばかりである。世の中の事は全て一緒だが最初が肝心であることを情けない事にこの年で学んだ。然し、ゴルフは下手であるが、長年プレイしてきたので、徐々にではあるがゴルフの何たるかは幾らか分かって来た様な気がする。不思議な物で、上手くなろうとしてきた時には見えなかった事が、下手になって分かってきたとは皮肉だ。先週の連休の最後にゴルフコンペがあり参加した。コンペは2組だが、個人戦ではなく組み対抗戦とドラコンとニアピンと言う遣り方であった。このゴルフコンペを主催するのは紅一点の女性参加者であり、彼女のファンの男達が参加している。私は年齢的に上位から2番で長老扱いされている。私の組は老舗の会社の役員、コンサルタント会社の社員、開業医の構成であり、主催者の彼女とのゴルフでは何時も大叩きをしていたためか、4人の中では最下位に位置づけられていた。老舗会社の役員とは友達の輪を通して知り合い10年以上のお付き合いをしている。今回の暑い最中のゴルフではゴルフと性格について改めて気がつかされた。老舗の役員さんとは何回か一緒にプレイしているが、今回初めて彼が切れた場面に出合って驚いた。彼は東大の現役時代に司法試験に合格した程の英才であり、キャリア官僚を経て奥さんの一族が経営している会社で役員に就任し世界中を飛び回っている。その彼がバンカーショットのミスで切れたのである。尤も、その後は直ぐに冷静になったが、ゴルフと言うスポーツは本当に人の性格を映し出すスポーツと言う事が理解できる。彼は意外と短気であったのである。若い頃にゴルフを始めた時に良く言われた事は、ゴルフが上手いと取引先の金融機関から信用されないと言われたものである。然し、今ではゴルフが下手だと逆に経営判断の能力が問われる時代となり隔世の感がある。確かに、ゴルフが上手い人は努力家の人だから一部の人を除いて仕事も頑張って成功した人が多い。先の老舗の役員は負けず嫌いだから東大にも入り、司法試験も大学在学中に合格したと思われる。それがゴルフと言うスポーツに出合って初めて思うようにならないので切れたと思料する。翻って、私の人生は逆境の連続なのでゴルフで思うようにならない事などは想定内なので今では切れたりしないが、他人から見るとゴルフで大叩きしても常に冷静なので驚かれる様だ。なお、4人の中でコンサルタントの会社に勤務している若い方は相当飛ばすので余裕があったこともあるが、人を観察する習慣が身についていると思われた。良く他人のスイングやプレイを観察してひと言励ましの言葉を掛けていた。コンサルタントと言う仕事が観察眼を必要とし、常に客観的に人見る習慣を養ってるのではないかと思われた。矢張り若い方で1年前に開業医となった医者は後半のハーフプレイで突然OBの連発で崩れ、数ホールは酷いゴルフとなった。それでも開業医になって苦労しているためか切れる事はなく黙々とプレイし、必死で自分を抑えている様子が見て取れた。この様子を見ていたコンサルタントは医者の方が自分と必死になって戦っているので余計なアドバイスは不要(聞き入れない)と独り言をいった。ちなみに、今回のコンペは他の組に図抜けて上手い方が一人いた事と、医者の彼が後半のプレイで大叩きしたために我々の組は負けた。なお、老舗の役員の方は最初のハーフで切れたが、後半は冷静な彼に戻り、然もチャレンジャー精神も発揮して難関のホールを克服し、個人では2位に入った。流石であった。私はと言えば、ドライバーの距離が落ちたためセカンドを苦労し拾いのゴルフに終始したものの、パターが入らず8人中5位の成績であった。尤も、アプローチで久し振りにヒントを掴んだ(?)ので次回に期待したい。

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サッカーの女子ワールドカップでなしこジャパンの優勝が見えてきた。最近の日本女性の活躍は目を瞠るものがある。、私の友人は20年以上前からこれからは女性を上手に使う会社が伸びると遇う度に指摘してきた。友人は長く米国に生活していたので女性の社会進出を見て来たゆえであろうが、同時に彼の奥さんは通訳のキャリアウーマンであることも影響していたのであろう。3年前に転職して再度米国に戻ったのだが、その会社でも友人のキャリアウーマン好きは有名らしい。尤も、最近は男性と違った女性の扱いの難しさも経験している様で手放しではキャリアウーマンを絶賛はしていないが。サッカーのなでしこジャパンの強さは現代の日本社会を投影している事は確かだ。男性が内向き思考になっているのに女性は外向き思考が強い。この差は何処から生まれてきているのかと考えると、家庭と母親に行き着く。勿論、女性の強さは何も今から始まったことではなく、社会的な活躍は女性の社会進出の増加と相俟ったものと言える。問題は男性がなぜ女性に比べて弱くなったかの方が問題と考える。最大の原因は母親が父親を子供の前で一家の大黒柱として尊重しなくなったことが大きいと思われる。私が育った環境から考えると母親は優しく、父親は強く怖い存在であった。確か、何かの本で読んだのだが、母親が強く父親が弱い家庭の子供は不良になる確立が高いと書かれていたのを思い出した。現代日本においては、母親が父親の不甲斐なさを子供前で平気で口に出すことが子供の成長に、特に男子の成長に害をもたらしているのではないかと考えてしまう。私の母は父に対して多くの不満を持っていたかもしれないが、子供の前では一度たりとも愚痴などを言った事はなかった。勿論、同じ年で結婚したので良く喧嘩はしていた。私は末っ子なので母から一番可愛がられていたために、両親が喧嘩をした時に父から不条理ともいえる扱いを受けたこともあった。尤も、不条理なのは時間的な問題で、叱られた内容に関しては当然な理由があり母としても庇えない知能的なものであった。何れにしても私が不良にならなかったのは、母が父の威厳を子供たちに見せる努力をしていたからと理解できる。確かに、日本女性の活躍はあっぱれであるが、現代の女性達が母になった時に優しさを兼ね備えた強さを持ち、且つ子供の父親に対して一家の主として立てる聡明さがなければ間違いなく日本の良き社会は崩壊すると断言できる。いや、もう崩壊しつつあるかもしれない。到る所で子供を叱る母親を見ていると、何時の間に母親が父親になってしまったのかを考えてしまう。少なくても私の子供時代には母にヒステリックに叱られた記憶がなく、優しさだけ思い出される。

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福島県南相馬市の畜産農家の放射能汚染牛が市場に出回り衝撃を与えている。マスコミによれば行政指定の飼料でなく汚染された干し藁を食べさせた事による汚染とのことで、政府と行政の責任逃れのインチキ報道だ。被災に遇い、資金不足の農家が行政が指定した飼料を購入出来るのだろうか。原発事故直後にも放射能拡散地域から食肉牛が取引されて市場に流されたとの週刊誌記事を見た。今回の事件はその教訓を生かしていない政府と行政の怠慢が引き起こしたと思われる。放射能拡散地域の農業と畜産の農家が補償の範囲も対称も金額も分からない中で犠牲を強いられている。農家はサラリーマンの様に仕事をしなくても給料が貰えるシステムではない。全てがスローペースで行なわれているのは給料取りの役人と政治家の原因だ。そう言えば、自民党の代議士が蓄えのない者は他人が一生懸命に働いている時に遊んでいた者なので擁護する必要がないと言った事を思い出した。零細農家や畜産農家が借金を抱えて中小企業の自転車操業と同様であることなど省みない。今回の大地震と二次災害の原発事故で途方に呉れている農家に対して何等の手も差し延べていない。働かなければ食えない人達は放射能が怖くても移転はできない。然も、補償も対象かどうか分からない自主避難のエリアなら尚更だ。NHKの報道で司会者が、被災地の方は被害者だが、放射能汚染牛を売ったならば何時までも被害者とは言えないと暴言を吐いた。政府と行政の怠慢が引き起こした事を追求しないで畜産農家を非難する報道は許せない。そもそも自主避難とはどの様なことを意味するのか。官僚の無責任な意見をそのまま採用する民主党政権は何が政治主導だ。指定した飼料は価格は幾らか。畜産農家が原発事故の被害者であるのに、何故強いられて負担を掛けさせられるのか。政府が進めている補償の仕組みも出鱈目だから被害者が加害者扱いされてしまう。被害者を加害者などと言うNHKなどに放送料を払うな。政府擁護の国営放送などに金が払えるか。日本は全てが狂っている。