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今朝の日本経済新聞の"あすの話題"と言うコラムに面白いことが書かれていた。書いたのは元中国大使の宮本雄二氏だ。書き出しは霞が関の官僚に対する国民の見る目の厳しさなのだが、中段では官僚もプロになる必要があると指摘し、後段では官僚が忙しくて勉強の暇がない理由として国会対策の為なので、霞が関改革=国会改革と結んでいる。コラムでは英国では国会対策は国会にいる政治家の仕事と聞いていると書いている。

確かに、衆参議員合わせて750名を超える国会議員が居て何をやっているのかと言うのは正論だろう。このコラムを読んで子供時代に地方議員であった父が話してくれた事を思い出した。国会を視察した時に議長が官僚が書いた書面を読み上げていたのを見て国会議長は楽な仕事と思ったとのことだった。当時、父は地方議会の議長に就いており、議事進行に係る書面は自分で書いていたそうなので、国会議長が人の書いた書面を棒読みしている姿は奇異に映ったようだ。そう言えば、国会議長か大臣か忘れたが、国会の議事で何ページか飛ばし読みした議員がいた事を思い出した。確か、糖尿病か何かで目が悪くなった国会議員だった。自分が書いた書面あらば飛ばせば直ぐに分かるが、他者が作成した書面では気が付かないのも無理はない。

勿論、国会対策は与野党国会議員の調整にも使われている事を指すのであろうが、官僚にすべてお任せの国会議員ならば存在価値などありはしない。多くの国会議員は暇なので碌な考えしかしないのだろう。政策の勉強もしないで政争だけに忙しい国会議員を見ると、戦前・戦中の軍人と全く似ているのに驚く。昭和時代の軍人は料亭に陣取って明治維新の志士気取りで酒を飲んで気勢を上げていたらしい。この為、欧米諸国の軍事力や近代戦は総合力であることも気が付かず、無謀な戦争に国民を巻き込んだ。

今の無能な勉強をしないで政争ばかり行っている国会議員を見ると戦前の軍人がオーバーラップして不安になるのは私ばかりではないと思われる。そう言えば、維新の会などの議員集団が生まれてまるで一緒だ。情報社会はIoTに入り、次のステージに移ってセキュリティ問題も複雑化したのに政治家も官僚も危機感がないらしいことを聞いた。知恵どころか知識もない国会議員に多額の報酬や調査費、秘書手当を支払うのは百害あって一利なしだ。

官僚が国を思うならば、国会対策に手を貸さないで、政策も国会議員に作らせるべきではないか。馬鹿な政治家に日本を任せられないとして手を貸した結果が、国会議員は政争に明け暮れて政治を行わなくなった。今の国会議員など存在価値がないことを国民に知らしめることが国を救う道だ。

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宿泊施設不足で民泊の問題がクローズアップされてきたが、マンション管理の業務を受託している業者としてはマンションに関しても可能かどうか気になる。マンションは区分所有法と管理規約とで利用が規定なされているが、民泊問題は管理規約に定める必要がある事項と思われる。

分譲マンションは当初の本人の使用と異なり、近年は投資的な傾向が増加し、不在地主的な賃貸人を住人とする使用が増えている。勿論、高額マンションは1980年代から投資目的で購入する事例も多かったが、デフレ経済になってからは、預金金利も低いこともあり、マンションの投資も盛んとなり、テナントに貸し出している分譲マンションも多くなった。尤も、分譲マンションは住宅としての利用ならば、区分所有者本人以外でも住むことが禁止されているわけではなく、管理規約というルールに基づいて使用するならば問題にはならない。

然し、民泊の場合は不特定の人達が出入りすることになり、通常の管理規約には旅館的な使用を規定していない。この為、行政が民泊に対して前向きに取り組むとなれば、戸建て住宅は問題は少ないが、分譲マンションに限れば住まいとして使用している区分所有者に影響が出てくるので無視できないことと思われる。

行政は部分最適で動くので、統合した視点で捉えることが出来ない欠点があるが、正に民泊問題は統合した視点で解決しなければならない事項と思われる。分譲マンションの火災保険等加入の場合、共用部は管理組合が加入し、専有部分は区分所有者が加入している二重構造になっているケースが多く、問題は民泊で火災事項等が起きた場合には従来の保険では適用されないケースがあると思われる。保険の問題は当然に戸建て民泊も同様な問題を抱えると推察される。

更に、入居時の出入する際の鍵等の問題も鍵のコピーや暗証番号の変更の問題など区分所有者だけの問題ではない面も多い。行政が認める民泊は戸建て住居なのか、分譲マンションも対象なのか気になる所だ。

何れにしても、民泊問題は2020年の東京オリンピック開催と観光立国において避けられない事項ならば、統合的にルール作りを行うべきであり、地方行政の条例で解決する問題ではない。

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三井不動産レジデンシャルが販売した横浜市のマンションの杭工事に施工上の問題が発見され、建替えが余儀なくされた。今回の様な建築物の施工上の不良工事が建築基準法に係る確認申請手続きの規制緩和以降に相次いで起きている。新聞沙汰になる施工不良は氷山の一角として認識する必要が出てきた。何故に不良工事が多くなったかは様々な要因があるが、大きな要因としては行き過ぎたVE(バリュー・エンジニアリング)があると推定できる。

今回の事件を起こした三井不動産レジデンシャルは、建築基準法に係る確認申請手続きの規制緩和における問題点を先取りし、社内に建設会社の工事担当OB100人雇用して施工現場の強化を実施していたことを仄聞している。強化した理由は、規制緩和以前は確認申請手続きに際しては基本設計・実施設計の図面を完成させる必要があったが、規制緩和以降には基本設計と最小限の実施設計の図面で確認申請手続きを行うことが出来るようになり、確認通知が下りてから建設会社に不足する実施設計の図面を描かせるシステムになり、この実施図面作成の段階でVEを行い、コスト削減が図られる様になった。この為、デベロッパーは従来の建設会社に対する発注スタイルを変更する必要があり、施工管理に対する新たなチェック体制を構築したのである。

しかし、その後に構造偽造事件が起きて建築確認申請手続きを含めて建築士に対する再規制強化が行われ、今回の事件が起きないような法的な処置がなされているのである。それにも拘わらずに不良工事が後を絶たないのは、別な理由が生じていると考えられる。その原因のひとつと思われるのは、IT技術によるコスト削減の施工方法だ。今回の杭工事のVE適用には、杭工事にセンサー機能を付けて地盤の高低差に合わせて杭の長さを変える技術だ。以前には建築敷地内で数ヶ所のボーリング調査工事を行い、そのN値結果を基に杭の長さ等を決めたのである。今回の様に基礎杭が場所によって長さが異なることはなかったのである。確かに、地下地盤は一様ではないので、一番N値が出なかった場所に合わせた杭の長さは無駄な面があることは事実と思われる。しかし、今回の事件で分かったことは、施主も元請けの建設会社も杭工事の下請け管理者に任せてセンサーによる杭工事のチェック体制を怠っていた事実である。

勿論、今回の事件は個別的な理由に帰したのでは間違った判断が起きると考えられる。最大の理由はコスト削減に対する基準的な考え方が失われ、理由なきコスト削減が施工現場で強いられている現実である。VEとは仕様変更なしに建設コストを下げる技術である。デフレ経済で幾ら物価が下がっているとは言え、安全な建物を建築するにはコスト削減にも限界がある。しかし、その限界を分かった施主が少なくなり、東日本大震災以降は建設現場の労働力不足もあって技術でコスト削減する方法が相次いでいる。新しい技術でコスト削減を図ること自体は間違いではなく、時代が要請したものなので否定することは出来ないが、問題は施工現場の技術者たちの能力が追い付いているのかと言う危惧である。

確かに、建設現場にはBIMとか見える化が図られた技術やタブレットによる遠隔管理体制、更には今回のセンサー技術によるIT技術の活用など目覚しい動きが出ている。しかし、忘れてならないのは、最終的には人間の判断が必要な事である。

コスト削減や工期短縮には、品質管理の面で新たな問題点が生じている。基本的な記録管理がなされていなく、設計変更などが十分に各現場担当者に伝わっていないと言う問題である。問題が起きた施工現場では、「書類の不備」、「設計図チェックの不十分」、「施工計画書チェックの不十分」、「設計図と施工図と現場が食い違う」と言う異常事態に誰も気が付かなかったと言う、日本の物づくりなど消えてしまいそうな恐るべき現状だ。意図的か意図的ではないかは分からないが、現場にモラルハザートが起きているのは間違いない。

米国の社会を理想とする日本を考えると品質管理の杜撰さなど今後も出てくる問題と思われるので、建築物を発注する場合には施工監理を重視してお金を掛けることをお勧めする。

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東京都港区虎ノ門地区は安倍ノミクスの経済再生に係る特区に指定され、都市開発に有利な地区計画の大盤振る舞いが目につく。安倍ノミクスの経済再生が特区と言う指定されたエリアにおいて規制緩和によって進められている。特区の設定による経済再生に関しては、本来ならば日本全体で行いたい規制緩和を岩盤規制による抵抗の為に出来ないので、先ずは特定のエリアで行った上で順次広げると言う考え方を聞いた。

しかし、虎ノ門地区の特区の規制緩和を見る限り、行政側が恣意的に地区計画を大盤振る舞いしているとしか見えない。一つの例で言えば、愛宕1丁目の再開発の地区計画を見ると敷地が2000坪未満に56階の高層ビルが建築される。この地域は現行容積率600%、風致地区である。それが倍の容積率1200%を取得し、然も風致地区などお構いなしである。従前から開発を進めていたデベロッパーにとっては笑いが止まらない話だ。

小泉内閣以降、従前以上に規制緩和による経済成長が企てられてきたが、確かに規制緩和は必要なのは当然で反対ではない。しかし、規制緩和はプラスの面ばかりでなく、一方では新たな利権となり、経済界を含めて規制緩和に関係する会社に暗黙的な利益を与える構図になったマイナス面も浮かび上がる。特に、大企業にとっては大きな利権を手にした感がある。

大都市東京では道路開発などに都市開発と絡めて道路工事予算をねん出する考え方も出て来ており、正に首都高速道路の池尻大橋JCや環状2号線の虎ノ門ヒルズなどは典型的な成功事例だ。問題は都市開発と道路工事などを一体化した計画を進めると、色々な地権者の調整が必要になり、その中で一部の地権者に利益を与えるなど不公平な面も見受けられる。

何れにしても、本当の岩盤規制を温存し、規制緩和の御旗の下に不正が横行しては話にならない。尤も、御旗と言えば、明治維新に幕府を倒す時に使われた御旗はインチキで作った代物と言われるので、本来御旗など信頼に足るものではない。資本主義経済には倫理観が不可欠と指摘されているが、東芝不正経理事件やフォルクスワーゲンの不正ソフトの装着を見る限り、行き過ぎた資本主義の現代にあっては倫理観など期待せずに利権を貪る連中を曝け出す必要がある。それにしても地区計画の大盤振る舞いには呆れる。

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アップルのデザイン指揮官のジョナサン・アイブについて書かれた本を読んだ。丁度、その時に東京オリンピックのエンブレムの模倣事件の騒動が世間を賑わしていたので、同書で触れられていた英国の産業に係る学校教育については考えさせられた。東京オリンピックのデザイン模倣問題は、戦後の日本、否大陸から文化・技術が伝わってきた時代に遡る必要があると思われた。尤も、この様に書くと世界から評価された日本文化を侮辱するのかと言うお叱りが出るかもしれないが、私が言いたいのは一部の特殊な人達が築いた世界に誇れる日本文化と相対する多くの模倣文化についてである。

安倍政権発足以降、感心しない日本賛美の風潮が起きており、殊更に日本民族の優秀さを喧伝しているのが気になっていた。日本は数千年を経て日本文化と言うものを築いてきたが、その過程は正に大陸文化の模倣の時代であった。日本人は創造的な民族ではなく改良主義の民族と言われて久しいが、何時の間にか創造性も持ち合わせた民族と持ち上げるマスメディアの宣伝には驚く。戦後の電子技術も欧米の電化製品を分解して模倣してきたのは自明の事実である。

勿論、私は日本文化を研究する学者ではないので、私の考えは飽く迄経験則に基づく特殊理論にすぎないが、ジョナサン・アイブを育てた英国のデザイン教育を見る限り、創造的な物を作り出す背景には教育があり、その必要性は模倣ではなく先を行く考え方に気が付かされた。

翻って日本の文化は模倣時代を過ぎて独自な日本文化を構築してきたが、明治維新後の近代化政策で再度模倣文化に戻ったと考えられる。遠い時代の模倣のDNAが目覚めたと言った方が良いかもしれない。明治維新以降に起きた模倣ルネッサンスは21世紀の日本にも居残り支配続けているのが、東京オリンピックのエンブレムで良く分かった。日本の教育に欠けているのは創造性を起すプログラムであり、英国のデザイン教育は単なるデザインではなく、機能も含めた仕組みを創造させるものなのには感心した。世界で初めて産業革命を起こした国だけはある。東京オリンピックのエンブレム問題は多くの教訓を残したので、単なる個人攻撃ではなく、日本人全体の問題として捉えて行く必要がある。

弊社の本業の一つである建築設計デザインに関しても同様な現象が起きている。デザイン重視の時代に入り、過去にない建築物が作られてきているが、現場を見る限り、上辺の形だけで中身に対する配慮に欠けたものも見受けられる。アップルの創業者であるスティーブ・ジョブスは形と中味が伴わなければ絶対に妥協はしなかったと言われている。確かに、綺麗に見えるものは機能的にも優れているのは確かだ。デザインとは奇抜さだけではない。機能的に優れていて初めて評価されるものである。英国のデザイン教育を学んだジョナサン・アイブはジョブスの考え方を具現化した人物であり、故にアップルを世界的な企業に育て上げて今も進化し続けている。

日本のデザインは大陸の模倣から独自の研ぎ澄まされた独特の文化として開花したのだが、明治以降は一部を除き、模倣デザインの域を出ていない。理由は学校教育の間違いと科学技術の盲目的な崇拝と思われる。自然の驚異に晒されたこそ模倣を超えた独自の日本文化が生まれたと推定できる。同様に、自然環境的には厳しい英国で創造性のある文化が生まれたのは同じ理由と考えられる。然し、英国は大きく変わりつつあるのに、日本は惰眠を貪っており、模倣者達が跳梁跋扈している。佐野研二郎は正に典型的な人物として名を残すことになるだろう。日本再生は自然の驚異に向かい合ってこそ可能なのだが、東日本大震災の教訓も忘れて生きる従来と変わらない日本人を見ると、歴史を忘れた民族と思わざるを得ない。

本題から外れたが、デザインの世界は既にジョナサン・アイブを否定した若い人達の動きも出ていると同書の末尾に書かれていた。正に恐るべしだ。

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三重県松阪市の山中光茂市長の辞職の記事を見て政治家として活動していた亡父のことを思い出した。亡父も茨城県と言う保守が強い地域で革新無所属で改革に取り組んでいたが、最終的には改革に対する強い主張が選挙民から怖がられて受け入れられなかった。

山中市長は従来の手法を変えた行政運営の改革を推進してきたが、図書館の民間委託で挫折した。山中市長は佐賀県の武雄市長であった樋渡啓祐氏の行政運営を評価していたが、樋渡氏は独断専行的な政治手法が市民から否定されて降板した人物だ。

松阪市民が図書館の民間委託位で山中市長を否定した理由が分からないが、日本には独断専行的な手法を嫌う政治風土があると思われる。尤も、最初から否定ではなく、受け入れた後に拒絶するのが顕著なのだが、この問題は歴史的に考察しないと判断できない国民性と考えられる。

聖徳太子の17条憲法の最初に「似和為貴、無忤為宗」が載っていることでも分かる。市井の民族学者の宮本常一氏も離島の暮らしを踏査した時に地域の運営が民主的手法で行われている事に驚いている。宗教でも分かる通り、日本は多神教だ。争いを避けるために多神教になったとの推察も荒唐無稽ではないと思料する。

翻って、改革を唱える者でも受入れられている事実があるとの反論も当然出ると思われるが、それは偽者だからである。小泉純一郎や橋下徹は改革者ではなくポピュリズムを利用する偽者だ。真の改革者ではない。先の樋渡氏は政治的実現にはポピュリズムも必要と言っているが、その使い分けで樋渡氏は失敗したと推測される。山中市長が辞職を選択したのは市民に対する失望感だと思われる。私も政治の世界に興味を失ったのは亡父の姿を見て最終的には現状維持を好む選挙民の為に働く意欲を持てなかったからだ。

安倍ノミクスで大きな支持を得た安倍首相は安保法案で大きく支持を失った。安倍が国民から受け入れられたのは、急激な改革で景気を良くする手法ではなく、金融政策と為替による輸出拡大と株高であったからだ。日本人は自分に直接影響する政策には拒絶反応を起こすが、間接的な政策には寛容だ。しかし、国民を二つに裂く様な政策には厳しい判断を下す。

日本人は根回しと言う民主的な手法で争わないで解決するシステムを構築した民族だ。私が若い頃に労働組合に加入して活動して驚いたことは、革新的な団体と思われた労働組合が幹部選出などに根回しと言う古いやり方を踏襲していた事だ。しかし、21世紀になり、閉塞した社会を打破するためにダイバーシティの導入を求められれてきた今、日本の政治風土が変わるのか興味がある。現時点では、未だ変わっていないので、今後の課題となるが、現代の企業活動で盛んに変わらなければ生き残れないと言う標語が政治の世界にまで浸透し、実践されるのか。地震、台風、火山など自然災害に見舞われる自然環境の中で育まれた考え方は基本的には変化を受け入れたからこそ生き残った筈だ。日本人の保守性は過去の出来事を踏襲することで自然のリスクを避けてきたと考えられ、変化を好まないとは性質が異なると思われる。

この為、日本の中で政治改革を進めるには、単に保守とか革新とかではなく、安定を実現する改革者を求めていると思料する。

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安倍政権は安保法案の成立は日本の国防にとって重要との見方をしており、今回の法案の骨子である集団的自衛権を多数与党を背景に強硬に実現しようとしている。この法案に反対する国民に対して本法案を成立を是認するメディアは、平和ボケと対案と言う2点を指摘して憲法違反問題を隠そうとしている。集団的自衛権もTPP問題も同じ縮図だが、国連と言う国際機関を否定する代物だ。

確かに、国連は常任理事会の拒否権の問題、加盟国の増加によるアジア・アフリカ等の発展途上国が多数を占めていることによる先進国の意見が通りにくくなっていることは事実である。

しかし、大きな2回の戦争を経て70年前に国連が生まれた背景を忘れているかの様な動きが多い。政治経済体制が異なった国々との冷戦時代には2国間の軍事同盟や多国間の集団的自衛権も有効であったと考えられるが、24年前に冷戦体制が崩壊し、今日は平和を前提にしたグローバル経済となっている。正に、今の時代こそ国連の存在を確認し、世界の平和を実現する時と思われるが、実際には逆の方向に進んでいる。その理由は、米国がテロ行為に見舞われ、国連を無視したイラクに対する攻撃が正当化されたことに起因する。その結果、ロシアのグルジア侵攻、EUのリビア空爆・侵攻など国連を無視乃至は利用した軍事行動が相次ぎ国連の軍事的な抑止力の信頼が消えた。米国は大きな誤りを犯し、その延長線に日本の集団的自衛権があることは否定できない。米国のイラク進攻が作為的な偽の情報で行われた事実から目を覆っていては集団的自衛権で日本が同じ過ちを犯すことになる。

情報化時代がグローバル経済を生み出したのだが、グローバル経済とは平和を前提としたシステムである。この為に、先進国は必死になって混乱の原因となる芽を大きくなる前に潰そうと軍事的行動をエスカレートさせている。更に、悪いことに平和のために作られた欧州連合が軍事的な同盟から通貨統合でブロック経済化したことにより、世界経済の流れも国連の自由貿易制度を無力化してきている。

安倍政権の安保法案に問いたいのは、国内的な憲法違反以上に国連に対し米国の2番手に多額の拠出金を出している日本の国連に対する姿勢である。集団的自衛権、TPPと相次ぐ国連の機能を否定する政策の実施を続けるならば、国連に対する拠出金を減らして国防費に充当すべきと言える。1000兆円以上の財政赤字を作りながら、日本国民を平和ボケと言って集団的自衛権で世界の紛争に多額の資金を支出するならば、国連に対する多額の拠出金を続けるなと言いたい。原爆の被害を受けた人類史上他にない日本は米国と集団的自衛権で世界の紛争を鎮圧に出る前に国連改革を訴えるのが先ではないか。国連を形骸化した常任理j国制度の拒否権の撤廃などを唱えるべいきだ。改革が実現しないなら、米国が行っている様に国連に対する資金を凍結すべきだ。マスコミも平和ボケや対案などの標語を無知な芸能人に言わせるのではなく、国連改革を唱えるべきだ。国内の憲法問題を超えた議論をするべきだ。戦争を知らない子供達の世代だが、平和と言う有難味を戦後70年で日本人は再度認識するべきだ。

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タイトルを見ると三面記事の体裁だが、読み始めて真面目な「黒川紀章伝」であることに驚いた。相当な取材と年月を掛けた本と思ったら、やはり6年の歳月を掛けて取材した本であることが著者の曲沼美恵さんの後書に触れていた。私は設計事務所の経営者なので建築家の黒川紀章氏の名前位は知っていた。しかし、今回、偶然に手にした自叙伝を読了して思ったのは、建築家というより思想家であったと思えたことであった。本人も建築家と言う狭義的な職業の肩書ではなく、思想家として見て欲しいとの願望があった様だ。尤も、思想家と言っても単なる理論家ではなく、建築物を通した実践的な啓蒙者に近いかもしれない。

私は父が設計事務所を経営していたので、高校生の時に進路に迷っていた
20150716_124637 (640x360).jpg時に大学の理工学部の建築学科を受験しようかと考えたこともあった。しかし、父には何も言わなかったのに何故か気が付いたらしく「お前は絵が描けないから建築家を志すのは辞めた方が良い」と指摘された。

今なら建築学が情報学に近いづいたので絵を描くのが下手でも通用するかもしれないが、大学入学後に建築学科を工学部に含めているのは日本だけと分かり、世界では建築は芸術の分野なのを理解した。私は二男だったので父の会社を継承するとは考えていなかったが、人生とは皮肉なもので、本人の意志とは関係なく否応なしに設計事務所の経営に携わることになった。

話が横道にされたが、黒川家は父親が建築士であり、長男の黒川紀章氏他2人の弟も建築士と言う男全員が同じ道を進んだのには驚いた。ブログは本の解説をする為に書いているのではないので、興味がある人は書籍を購入することをお勧めするが、私が驚いたのは黒川氏が若くして情報社会を予言し、哲学的な思考を駆使して建築と言う実態に挑戦したことである。仏教系の高校から京都大学に進み、東京大学大学院では丹下健三の門下生として建築家として活躍する術を身に着け、20代で黒川紀章建築都市設計事務所を開設した生き方の根底には何があったのかと言う思いがする。

確かに、建築と言う分野は時間と場を考えさせられるものであり、正に哲学に通じる。黒川氏は時代の流れが良く見えた人であることは本書を読み進むと分かるが、50才を超えてから"共生"という概念は常に時代の先を見ていた黒川氏が社会に問いかける宿題なのかもしれない。死ぬ間際にドンキホーテの如く東京都知事選や参議院選挙に共生新党を結成して出馬した本当の意味は誰にも分からない。否、同じ建築家同士ならば分かるのかもしれない。

黒川氏が存命ならば、新国立競技場の建設計画に対して何を語るのか興味があある。そう言えば、黒川氏は新国立競技場の設計コンペの審査委員長であった安藤忠雄に対しては建築家として評価しなかった様だ。高卒で独学で建築を学びコルビジェを師と仰ぐ異色の安藤忠雄に対しては、同じくコルビジェを評価する黒川氏であるが次元が違うと思っていたことは確かと思われる。

 

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ネット作家としてデビューした村上さんがリアルの出版をしたとは驚いた。タブレットにLINEのアプリをダウンロードしたら、直ぐに村上さんからタイムラインで出版本の贈呈で連絡がきた。長崎を旅行中なので出版社から送らせるとのことであった。

ペンネームの村上サガンは、村上春樹とフランソワーズ・サガンに由来している。村上春樹は彼の大学の先輩でもあり、"ノルウェイの森"に関しては、大学時代の思い出と重なり合うのか、"僕のノルウェイの森"も出版予定と聞いている。
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村上さんとは彼とバンドを組んでいた広告マンの知人から紹介されたのが出会いだ。


腕の良いM弁護士を紹介したのが縁と、村上さんがIT業界で活躍していたことと相まって互いに協力関係を築いてきた。彼が今住んでいる池袋のマンションの購入に際してはコンサルティングを依頼された。


この時に、美人の奥さんとお会いし、旧姓が私と同じであり、音大での音楽家であることもお聞きした。


村上さんは九州の福岡に生まれた九州男児だが、外見的にも内面的にも見えない方で、逆に物静かな人柄であった。しかし、村上さんには「ヴィオロンの妻」を書かなければならなかった出来事が結婚16年目から始まり、最後は奥さんが難病に罹り、50歳の若さで逝った悲しみに見舞われた。村上さんの先祖は黒田藩に仕えた重臣で、殿様から名前を頂いた事を聞いている。黒田藩と言えば、昨年にNHKの大河ドラマにもなった家柄だ。秀吉とともに天下取りで戦に明け暮れた藩なので、村上さんの先祖も勇猛だったと思われる。


本の贈呈後に村上さんとの付き合いを思い出していたのだが、ハタと気が付いたのは村上さんと一度も酒を酌み交わしたことがない珍しさだった。私は親しい人とは必ず酒を飲んでいるのに不思議に思ったが、改めて「ヴィオロンの妻」を読んで理解した。自叙伝とも言える「ヴィオロンの妻」は奥さんに対する鎮魂歌でもあり、自省の本でもある。夫婦とは何だろうと考えさせられる本だ。


もう1冊の「恋愛映画を話そうよ」は村上さんの博学を知る機会となった。恋愛映画1500本から選んだ映画の解説と感想は筆舌に尽くしがたい。しかし、「ヴィオロンの妻」を読んで「恋愛映画を話そうよ」を読むと人間について考えさせられる。

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最近は高層マンションの購入が相続対策に有効として新聞や雑誌を賑わしている。直近でも完売との記事を目にした。確かに、相続対策としては有効なのだが、問題は実際の価値と販売価格との乖離さが大きいのは何を意味するのかを考えてみたい。

安倍ノミクスの経済再生を邪魔するために高層マンションにケチを付けるわけではない。大きな相続対策効果があると言う事に対する高層マンションの実際の価値について言及されていないからである。

不動産の価値は当然に公共的な機関で決められる代物ではない。一般的には、需給と供給のバランスや収益不動産ならば築年数や利回りなどで決まる。欧州では1600年代に発明されたキャッシュフローから見た現在価値の手法もバブル経済崩壊後に日本でも一般化しているのに、高層マンションだけは別世界の様に喧伝されているのは不思議な感じがする。経済の崩壊はチョットした切っ掛けと言われるので、経済の安定を望む中小企業としては、敢えて高層マンションの誰も触れない実際の価値について言及したい。高層マンションの真実が実体経済を不安に陥れない為である。

不動産は土地+建物で構成される。高層マンションも同様だ。高層マンションが何故相続対策に有効かと言えば、高層に成れば成るほど一戸当たりに付帯する土地持分が少なるからである。勿論、その分建物の工事費が高くなるので、家屋に対する評価は中低層マンションよりは高くなる。

一般的には、分譲マンションは原価に対して30%程度(過去は20%程度)の利益を載せて販売されている。原価とは土地取得費+建設費+経費である。高層マンションも基本的には同様な図式と思われるが、問題は土地取得費が中低層マンションと比べてどうなのかと言う点である。勿論、土地の価値は容積率と比例することは百も承知だが、高層マンションは特別に容積率を緩和を受けて建築されると考えられるので、土地の取得原価は高層マンションの建築許容容積率では取得はしていないと考えられる。尤も、入札方式による高値掴みも全くないとは言えないので、土地の取得価格には幅があるとは思われる。

何れにしても多くの大手デベロッパーが高層マンションの建築を推進しているのは旨味があるからであり、相続対策に成りえる程の利益を貪っていると言っても過言ではない。大地震が懸念される首都圏で最初に高層マンション販売をおこなったのは中堅デベロッパーの大京で、埼玉県の川口市に建築したマンションである。高層マンション建設が本格化したのは東京のベイエリア開発に伴ったもので億ションとして人気が高まった。バベルの塔ではないが、人は高い場所から下界を見下ろす優越感を持ちたいものらしい。しかし、東日本大地震で高層マンションは値崩れして一時は購入時の価格の30%以上も下落した物件も現れた。ところが、地震時の対策を考慮した高層マンションを建築し手安全性を強調したことあり、また安倍ミクスと東京オリンピック誘致で不動産価格の上昇も見込まれると考えた富裕層が相続対策のメリットを加わったので需要が急上昇している。

話を戻すと、高層マンションは一坪当たり600万~700万円に上昇しており、1戸当たりの価格は1億2千万~2億1千円となっている。推定だが、1億2千万円クラスで相続税評価額は7千万円前後と見られており、実に5千万円の節税商品となっている。マンション価格が大きい程節税金額は大きくなると思料されるので、富裕層にとっては魅力なのであろう。しかし、常識的に考えて、不動産における相続税評価額と時価の乖離は20%~30%と推定されるので、上記の例にとれば少なくても22%~12%高層マンションは実際の価値より高いと考えられる。高額な高層マンション程差額は大きくなるのは自明である。

さて、実際の価格との乖離より問題なのは、築年数が経過する程高層マンションは修繕費の支出と比例して売却価格が下がると思われるので、中低層マンションとは比較にならないほど資産変動が大きい商品として考える必要があるという事を最後に付け加えたい。