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今の日本には「責任倫理」と言う言葉がなくなった。結果に対して責任を持つ事が指導者たる地位に就いた人の責務である。何時からかと振り返ると、不祥事を起こしても大臣が止めなくなった小泉政権以降と思われる。最近の例では、五輪の野球監督であった星野仙一の言動であろう。日本人の美徳であった「敗軍の将兵を語らず」の姿勢は何処に消えたのか。相撲界に到っては、理事長始め多くの親方と呼ばれる人が指導者としての教育を全く受けていない様な言動には驚く。名選手が必ずしも名監督になる訳でないが、世間は名選手が名監督になるのを期待する。戦後の日本ほど指導者の教育を疎かにした国はないかもしれない。責任を取らない風潮が、多くの現場でケアレスミスを引き起こす。小泉は今でも海外では改革を行った政治家として評価が高いが、昔から「お前は良い奴」と言う言葉は、「自分にとって都合の良い奴」と言う言葉である。小泉時代にどれだけ国富が海外に流失したか後世の歴史家は驚くであろう。利口な人は己を知るが、馬鹿は己の力量を知ることが出来ない。自民党の総裁選にも多くの己を知らない者が立候補している。小泉クラスが出来たのだから俺でも出来ると思っているのだろうが、この考えも「責任倫理」の喪失から来ているのであろう。そうでなければ国民の運命を左右する指導者に簡単に名乗り出れる訳がない。絶望的な時代である。

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今回の米国の金融機関(リーマンとAIG)に対する対応はダブルスタンダードと言われているが、真相は分からない。リーマンの代表は民主党よりとも言われ、現政権の共和党にパイプがなかったことも一因としてあろう。勿論、金融規模にも違いはあるが、それでは公的資金で救済されたベアスターンズとリーマンの違いはどうなのかと思ってしまう。ひとつ確かな事は、リーマンは資金繰りに苦しかったために原油にも投資して更にその下落で失敗してしまったことである。公的資金を入れて救済するのにも大義名分が必要なのは何処の国も同じである。スケープゴートにされるかどうかの分かれ道は政治とのコネクションもそうだが、国民の反発を受けるような行為があったかどうかと思える。リーマンがなりふり構わず原油などの資源に投資して暴利を貪ろうとした時点で破綻が見えていたのである。翻って、日本法人のリーマンブラザーズは3.5兆円もの残高を抱えて民事再生法の申請となったが、この倒産の影響は色々な所に出てくると思われる。経済成長を議論する上で規制緩和が依然として有効需要を生み出す手段として必要視されているが、今日の金融問題は全て金融の規制緩和から生じていることを考える必要がある。勿論、規制緩和は金融ばかりでなく、多くの業種で規制緩和が進んでいるが、その規制の緩和から生じる不正は後を絶たない。規制緩和によるグローバル経済は一方では寡占化が進み、物資の高騰を招く恐れがあることを肝に銘ずるべきである。

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不正を行えば金儲けは誰でも出来る。ここ数年嫌になるほど不正による経済犯罪が多発している。この原因は、バブル経済崩壊後の社会に問題があると思われる。このブログで何度も書いたが、バブル経済は国民や企業が起こしたものではなく、政府の政策によって引き起こされたにも拘わらず、バブル崩壊後の責任は国民と企業が負わされたことに帰結する。企業が合法的に利潤を求めるのは正当な行為であり、同様に国民が富を求めるのは正常な姿である。しかし、失政で引き起こされたバブル崩壊後の魔女狩りとも言うべき社会現象は国民に正義の心を失わせたと思われる。周りを見るとお金亡者ばかりで、人間の価値観までお金に換算されている昨今は異常である。今の世の中は心優しき人にとっては住みにくい社会である。電車を降りる時でも平然と入り口に立って邪魔しているのを省みない姿や、体がぶつかってもお詫びの言葉もない人達など他者に対する思い遣りがない社会になっている。この謝らない姿は米国流の誤ったら認めてしまうと言う法律社会の悪影響であろう。そう言えば、ロシア人の相撲取りが大麻の検査結果を否定している醜い姿は、現代の日本人を投影した姿であろう。特に、昨今は然るべき地位に相応しくない能力の人が就くと言う不思議な現象も起きている。何れにしても不正を生み出しているのは、誤った社会システムの構築にあるのは自明の利であり、国民の信頼を失った政治と行政の責任は重い。

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先日、外資系の投資ファンドの代表とお会いした時に日本の上場会社のレベルが低下している事で意見が一致した。勿論、上場会社ですから見た目は立派ですが、組織として機能していないのに驚く事が多い。終身雇用制の時代は会社が社内外の研修や社員教育に費用を掛けたために、仕事における基本的なものを学ばせてくれた。また、年功序列制度が守られていたので、先輩社員も後輩に対して多くの経験を社内外で語ってくれたものであった。さて、今はどうかと見ると、終身雇用制や年功序列制度が崩壊したため、全ての社員がライバルとなり、若い社員に親切に仕事を教えてくれる先輩・上司の存在がいなくなった。このため、今の若い社員は驚くほど基本的なものを身についていないので、業務上のミスを生みやすい環境にあると言える。人材の流動化とは聞こえが良いが、仕事の基本が出来ていない社員に社運をかけたプロジェクトを任せるリスクは恐ろしいの一言に尽きる。どんなに頭が良くても最初の一が分からなければ十を知る事は出来ないのである。経験が配慮に結びつきリスクを回避できるのである。トヨタが省資源でパワーポイントの使用を禁じたが、実際はパワーポイントで作成するプレゼン資料が体裁だけで内容が伴わないのに気付いたからではないかと思える。

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今回のテーマは検証した内容ではなく一部の方が指摘している事が本当かどうかを述べることにする。日本国の借金は増加し続け、今や800兆円の大台となり、消費税の大幅アップしか打開策がないと言うのが一般的に知られていることである。しかし、これは決算した数字でなく借金だけを公表した数字で、資産を考えると全然違うと言った声が聞かれる。資産とは何かと言えば、大きな物は国が保有する米国債である。この米国債の残高が500兆円あると言われている。このため、実際の借金は差し引きすると270兆円程度と大幅に減少することになる。もちろん、米国債が簡単に売却できる代物かどうかの議論は抜きにしてであるが。この270兆円から更に国内の国有財産分を差し引くと幾らになるかは知らないが、推測するに大した残高にはならないと思える。これで政治家と役人が危機感を持った政治を行わない理由も分かると言うものである。然も、今の日本の政治は生命の危険と背中合わせの状況にはないので、真の政治かも官僚も育たない。自民党総裁選挙の候補者5名に関しても一国の宰相になる器の人材ではない。一方、民主党の小沢一郎も官僚を支配するために国会議員100名を官庁の要職につけるなどの馬鹿な政策を打ち出しており、これまた期待する様な人物ではない。予算資料を読めれば官僚など簡単に支配できるのである。勉強もしない政治家が多いので官僚に嘗められるのである。国の真の借金の残高の知らない国民は不幸である。

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神奈川県の松沢知事も他に遣る事があるだろうと思う。道路や公共建物内の「禁煙条例」なら未だしも飲食店内など民間施設の禁煙など余計なお世話である。飲食店などは分煙を認めると言った案が出ている様だが、飲食店などは営業上既に分煙などを行っている店は多い。バーやパチンコ店、マージャン店の禁煙なども然りであるが、「シガーバー」はどうするのか。狭いバーで分煙などのスペースが取れる訳がない。今回の条例は表面的には県民の健康を維持して健康保険料の軽減が目的なのであろうが、実際はこの様な愚策を行うのは選挙に向けた資金集めと支持の拡大のためであろう。この条例が施行されれば改修工事をする必要があり、儲かるのは建築関係業者である。松沢の正体見たりである。物価高の消費不況に陥り、売り上げ減少に泣いている飲食店舗に対して配慮するどころか足を引っ張る政策を立案するとは言語道断である。この様な知事は再選させるべきでない。

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新聞報道も政治家も国民の預貯金を投資に振り向けないと日本の企業と国家は駄目になると喧しい。日本国民は堅実だから低金利でも投資は行わないと言う見方は否定しないが、預貯金が投資に行かない最大の原因は国民の政治不信・行政不信にあると言う事実である。20年前のバブル経済は企業や国民が引き起こした様に言われているが、プラザ合意による内需喚起などによる実際は政策の誤りであり、責任は行政と政治家に帰すべきものである。しかし、バブルの後始末の負担を企業や国民に転化して犠牲を強いたのである。バブル経済崩壊後の14年間の政策も国民を騙し続けている。規制緩和と言って上場企業を簡単に増やし、簡単に潰す政策を見ている国民が株式投資に積極的になる訳がない。外国投資がないと日本は潰れる様な大袈裟な評論家が多いが、日本における外国投資は発展途上国と違い日本国民のプラスになっているとは思えない。今回の株の暴落も企業業績と関係なく空売りを掛けて儲けている外資系証券会社の実態を見るとこの状況に株式投資を促している政治家などは国民に損を承知で勧める詐欺師と言わざるを得ない。日本経済の停滞は政治不信が背景にある。政治家は改革と言っているが国民に痛みを強いるだけで政治家と役人は何の痛みも受けていないのを国民が良く知っている。財政再建も本当に危機感があるなら政治家も役人も今の様な無責任な予算を組まない。実際は国民に煽っているほど心配事ではないのである。心配なのは財政再建を行わなければ利権が縮小するからである。言葉でなく真の改革として国会議員定数の半減や不要な行政組織の解体をすれば国民の信頼を取り戻せる。政治と行政が国民の信頼を得れば多くの問題は解決に向かうのである。本末転倒の議論はいらない。

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読売新聞の「明日への話題」に掲載された作家「長部日出雄」氏の現在の経済に対する意見は説得力があった。世界経済を危機に陥れたサブプライムローンと言う問題に対して専門知識がないと言いながらこの様な金融商品を考え出した人も受け入れた人も、マックス・ヴェーバーが資本主義の発展の最終段階に登場すると予言した「精神のない専門人」であるとしか思えないと論じ、古典派経済学の学問の経済学は道徳哲学の一部であり、人間に関する科学として何より問題とするのは、経済的・社会的な生活条件によって育て上げられる人間の質だ、と言う認識をヴェーバーがフライブルト大学の教授就任講演において述べた事を指摘している。更に、ヴェーバーの経済学は財貨より先ず「人間」に関する学問だった述べ、翻ってサブプライムローンや日本の医療制度を崩壊に導きかけている政治家と官僚に共通するのは専ら数字上の計算に終始し、最も本質的な人間の姿を完全に無視していることであると指弾している。確かに、長部氏の指摘している通り今の日本の政治には人間と言う存在はない。最も、近年の経済学は複雑化した社会に対応するために学問的には社会科学の分野の範疇で研究が強化されてきたが、政治に関しては相変わらず人間不在である。今回の選挙に関しても党利党略で国民を考えた動きではない。福田総理の辞任は、公明党の圧力で遅くても来年1月に選挙を実施しなければならなくなり、支持率の低い福田では選挙を戦えないためである。今回の衆議院の選挙は自民党に不利だが、民主党の代表選で「小沢一郎」の他候補を認めない手法に対し、自民党は開かれた政党と差別化できる千載一遇のチャンスが巡ってきた事に活路を見出したことによる。世界政治経済情勢の最も重要な時に国内の党利党略で国益を失する両政党を支持する考えはないが、他に支持する政党が出てこない状況は嘆かわしい。コンピューターの発達が社会現象の分析を容易にし、人間より数字を重視するようになった事が悲劇を生んでいる。特に、若い世代はPCを通して安易に情報を得られたり伝達できるためにあやふやな人間の記憶に頼る経験を軽視しがちだが、コンピュータを万能視するととんでもない間違いに気が付かないで事故を起こす可能性は高い。また、重要な情報は人と人との交流から得られということも忘れてはならない。人を大事にしない組織は未来がないことに気付くべきである。我々の生きている世の中はやり直し出来るバーチャルではないのだから。

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最近、不動産業界を取り巻く環境が著しく悪化したためマスコミを始めとして地価大暴落の合唱で五月蝿い。銀座など一部の高騰した土地についての地価に限定しての話ならば間違いとはいえないが、土地全体の話ならばあり得ない事が誰でも分かる。しかも、バブル経済の崩壊時と異なり、不動産現物の取り扱いの市場以外に不動産証券化の市場や不動産ファンド市場も確立されていることと、今回の不動産会社の破綻は大部分が債務超過でなく、運転資金の不足による倒産であるので不動産の投売りが行われる可能性は少ない。しかし、今の購入希望者は地価暴落を期待しているので高い利回りの物件を追い求めているが、良い場所の物件はどの様な状況でも利回りは低いと言うことを理解するべきである。高利回りの物件を購入しても入居者の退出後に入居率が上がらないような物件では意味がないのである。良く掘り出し物件を求められるが、何らかの瑕疵がなければ不動産は必要以上に安くなることはないのである。もちろん、瑕疵といっても認識には個人差があり、自殺した家でも良いと言う人には良い場所を安く買える可能性はある。それ以外では、100年に1回の大洪水が起きれば家屋が水浸しになる場所とかである。自分の価値観を持って不動産投資を行うのが賢明である。マスコミも他者もそれぞれの思惑で動いているので、それに惑わされると投資機会を失う事を忘れない方が良い。

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最近良く官製不況と言われる。確かにその通りと言えるが、その原因を深く追求したコメントにはお目にかかれない。日本の役人がバブル経済崩壊以降に財政再建を優先したり、最も悪い時期に会計基準を改正したりと現状を無視した政策を実施してきた事は周知の事実である。しかし、今回の不動産会社に対する融資規制(金融庁は否定しているが!)に関しては、ミニバブルやサブプライム問題を利用しての新興不動産会社の淘汰ではないかと最近思う様になった。今から20年以上前のバブル経済時の不動産に対する融資規制については、その時の事を言えば「全ての不動産会社を対象にした訳ではなかった」のである。当時の大蔵省銀行局の各銀行に対する指示は、「何の独自な技術も持たない会社や社会に貢献しない単なる地上げ業者」をターゲットにしたのであって「社会に貢献している不動産会社」に関しては支援するように指導していたのである。今回の不動産に対する融資規制は「雨後の竹の子」の様に増えた不動産会社に対して行われているが、その理由は「建築偽造事件」の様なモラル欠如の会社が増えたことと思われる。このため、金融機関側は、既に支援すべき不動産会社を選別しているものと思われ、支援されない不動産会社が全て破綻した段階で不動産に対する融資は正常に戻るものと推測される。勿論、この淘汰には依然として需要より多いと思われる建設会社も不動産会社の破綻を受けて倒産することも承知の上であろう。今回の倒産の多くが債務超過でなく運転資金の不足なのが全てを語っていると思われる。今後も新興不動産会社の破綻が続くと思われるが、破綻した会社を分析すると「裏社会との関係」、「モラルの欠如」、「土地転売屋」、「何のスキルも持たない会社」などである。この範疇に入っていなくても担保不動産がない会社は生き残れないであろう。オフバランスは一時流行ったが、非常時の資金調達には固定資産が必要なのである。何事も極端に走るとリスクを招くことになる。