地球温暖化抑制対策として経済産業省の「省エネ法」、環境省の「温対法」、地方自治体の環境条例改正などに伴い、貸ビル業としては多額の対策費用が求められる事になる。貸ビル業は経済の影響を最も受け易い業界であり、百年に一度の大不況と言われる時期に賃料に転化できない環境対策費を計上しなければならない負担は極めて大きい。もちろん、行政側では努力目標位にしか考えなくても事業者の貸ビル業者としては、テナントサービスの必要性から見て対策を進めなければビルの評価が低くなり、賃料にも影響が出てくる恐れがあるので対策を進めなければならない。しかし、米国などを見るにつけ日本の行政の硬直性には驚くしかない。米国などは、今回の危機において早々と会計基準を含めて危機に対応させた臨時措置を打ち出しているのに、日本では「馬鹿の一つ覚え」の様な一度決めたことに対する柔軟性は全く欠如している。「角を矯めて牛を殺す」の類の政策実施が多すぎる。もちろん、行政が考えた補助金制度などがあるが、実際の負担額や適用基準などを考えると意味を成さない代物である。日本の行政組織の欠陥は以前から指摘されている縦割り行政であるので、行政を横断する政策の場合には関係役所のスタッフで構成するプロジェクトを立ち上げて行なうべきと考える。尤も、その様なプロジェクト方式は行なわれているかもしれないが、問題は参加してくるスタッフが自己利益の追求だけに終始して成果があげられないのであろう。デフレ経済やスタフグレーションにおける政策の遂行に対しての知識がなく、何時まで経ってもインフレ経済の頭の行政では企業が潰されてしまう。極論から言えば、現代の行政組織はガン化して正常な社会システムを破壊して来ている。ガン細胞を殺すには除去するか栄養源である血液を遮断するかであるので、行政組織のガンを殺すためには血液である予算の大幅削減を行う事が必要である。行政組織は国民や国民の生活を維持する企業に対する裏方であるが、何時の間にか自分達の方が偉いと勘違いし、理論専攻の政策を強引に国民や企業に押し付けてくる。グローバル経済になって時間軸が速くなった時代には新しい行政組織に変える必要がある。私も温暖化に対する対策は必要と考えるが、問題は企業活動と整合性を図る必要があり、目標数字を企業に押し付ける方式には賛成できない。
官の暴走は全ての政治家の責任
役人の勝手な振る舞いを見ると日本には本当に政治家がいないと思う。司法・行政・立法の三権分立は小学生の教科書にも出てくる基本であるが、近年、司法もいい加減になってきており、立法に至っては行政のチェックどころか役人の言いなりである。野党の政治家が与党に対して官の暴走に対して批判しているが、政治家は与野党問わず調査権を有しているので、与党でなくても仕事は出来るのである。政権を取らないと官僚が言う事を聞かないと言う輩は与党になっても何も出来はしない。今の政治家は本当に胆力のある者がいなく、喧嘩も出来ない者ばかりである。与野党問わず、今回の衆議院選挙では2世議員の事を問題にする様だが、確かに辛い職業なら子供は後を継がないし、親も子供に後を継がせないであろう。今の国会議員が如何に仕事をしなくても多額の報酬を得られて威張っている事が出来る証である。先日、北海道選出の国会議員と話す機会があり、彼は道会議員から上がってきただけあって見識があったが、党の中では少数意見として扱われてるのが歴然であった。彼とは小選挙区制度が政治家を駄目にし、中選挙区の方が立派な政治家を作ることで意見が一致した。情報化時代に多様化した世界に2大政党が適合しなくなった時に日本は、小選挙区制を導入して党に従うだけの政治家を作り出す事になった。その結果が、似たような自民党と民主党と言う2大政党を生み出しただけで国民には何等利益をもたらしていない。然も、今日的な世界情勢では大連立が必要とマスコミなどが言い出したが、戦前の大政翼賛会の反省があって戦後の政治があった事と、否定した55年体制のことは忘れたのかと言いたい。歴史的な観点からすれば、55年体制前の民主党の鳩山一郎と自由党の吉田茂の争いを投影したような彼等の孫である現代の民主党の鳩山由紀夫と自民党の麻生太郎の戦いは、民主党が選挙に勝って政権を取り、自民党との大連立となるならば悪夢としか言いようがない出来事になる。今求められるのは既成政党の交代でなく、官の暴走に鉄槌を下す真の政治家を目指す人達の出現である。
住宅建設会社倒産による被害に思う
住宅建設会社の倒産によって建築工事費を全額支払ったにも拘わらず、住宅の建築が中断したり、未着工であったりとで被害が増えていることをTVニュースで取り上げていた。不動産会社や建築工事会社が倒産すると決まって被害者が出るので、行政側では保証制度などを設けてきた。しかし、被害者側による想定できないような支払の被害に対しては救済措置がないのが現状である。常識的に考えれば着工前に全額建築費を支払うなどは考えられない行為であるが、実際にはその手の被害が大きい。当社の様な小企業にとってこの種の事件が起きると、お客が安心感を求めてコストの高い大手の会社に建築工事を発注する様になるので、腹が立つがどうしようもない。普通の人ならば家を建築するのは一生に一度の大事業である。このため、慎重に物事を進めるはずだが、此処に落とし穴があると考える。一つには予算以上に建物の内容を望む事であり、二つには慎重さ故に出会った営業マンと必要以上の人間関係が出来てしまって疑いを持たなくなってしまうことである。行政側が住宅取得に対するリスクを軽減する制度を導入しても意味を持たないのである。米国の様に全て保険でカバーする考え方もあるが、問題は保険料の額である。倒産の確率からすれば多くの人は加入しないと思われる。このため、建築工事を発注する上でリスクを少なくする方法として出来形払いの工事契約を締結する方法がある。もちろん、素人では工事の進捗を判断するのは難しいので、専門家がいる建築設計事務所に依頼すると良いが、設計事務所によってはその様な依頼を断ったり、設計の発注を勧める事務所もあると思うので、事前に電話や問い合わせメールで確認すれば良いと思われる。住宅取得だけでなく全てに言える事だが、営業マンがどれほど良い人でも常に距離を置く姿勢と、世の中には旨い話などないことを肝に銘じていれば被害に遭う確率は低くなる。
構造設計士制度と問題点
構造偽装事件の結果、国土交通省の責任逃れとして建築士の資格関係が強化されたが、構造設計士制度もその一つである。建築士の業務を分かりやすく専従業務別に「建築設計士」、「構造設計士」、「建築設備設計士」に位置づけたのは評価できるが、これで構造偽装様な事件を防げるかどうかは各資格者に対して発注者がどの様な評価を行なうかである。私のblogで執拗に行政側の責任転化と天下り先の確保のために建築士の資格者に対する研修制度の実施など断行されたことを書いて来た。当社の業務の一つに設計業務があるので、構造偽装事件を機に設計に対する感心と重要性、更には業務委託フィーの適正な支払いに帰結すれば言う事はないが、日本社会における建築設計業務に対する報酬に関しては必ずしも適正な評価に繋がらない。寧ろ、プロジェクト費用の中で節減対象となり安いのである。特に、構造設計業務の設計士に対する委託費は仕事の割には低コストを強いられてきたのが現実である。今回の構造設計士の位置づけが報酬の適正なアップに繋がるならば一定の評価するが、実務者として見る限り発注者側が設計業務に対する価値観が変わらない限りは何等変わらないと思えてならない。行政と建築士協会の利益が一致して改定された制度と思うが、民間の審査会社に対する目に見える改革が行なわれていないので、近い将来に色々な問題点が起きる可能性が危惧される。
グローバル経済での商品価値とは
米国のメーカーでは海外で販売している自社の製品の価格差を利用された逆輸入のために国内の販売が影響を受けているので取締りを強化していると言う記事を目にした。確かに、この現象は米国ばかりでなく先進国で海外展開している企業にとっては避けられないのであろう。尤も、スターバックスの様に世界の販売価格を統一している企業もあるが、世界での販売価格統一に関しては所得格差がある中で通用するとは思わなかった。殆んどの企業は海外展開では進出先の所得に合わせて同じ製品を国内より安く販売しているケースが殆んどである。しかし、ブランド名や品質を変えないと逆輸入によって国内の市場が荒らされるリスクは常にある。尤も、この様な逆輸入ばかりでなく、海外委託生産に関しては委託先の工場から流失する製品の数も多いと考えられ、企業も多くのリスクを抱えることになる。そう言えば、日本国内の日本酒の話だが、新潟県では県外に出荷する酒に関しては周辺の地酒をブレンドすることを義務付けていたことを聞いた事がある。このため、同じ酒でも県内で購入した方が旨いと言われたものである。また、山口県の造り酒屋の社長に聞いた話では、地元の造り酒屋では東京に出荷するには生産量が足りないので、県外に出荷する酒に関しては統一した銘柄で生産量の条件を満たしていたとの事であった。何故こんな話を出したかと言うと、海外企業の有名製品でも国内で生産している比率は小さくなってきていると思われ、発展途上国などで生産しているケースも多い筈である。もちろん、全製品の関税が0%ではないので、関税が地域の価格差を解消しているケースも多いが、国内で生産するよりは品質は落ちているのは間違いない。日本酒で言う所のブレンドや別な生産者が統一した銘柄で出荷する様なものである。同じ企業の製品でも生産地によって本来は商品価値は異なるのが普通だが、実際の販売価格には大きな差異がない。グローバル経済になって商品の価値の見極めが出来にくくなってきている。その上、同じデザイナーや低価格路線、更には販売戦略なども情報化の時代にあっては差別化が見えなくなってきており、物が売れないのは不景気な要因ばかりとは言えないと思うようになった。陳腐な言い方だが、情報がありすぎると言うのは迷って決断できないために安いものでなければ衝動買いは少なくなるのかもしれない。
行政の構造改革には民間と同様な経費や制度の導入を抜きにしては効果が薄い
役所は公共サービスを行なう組織だから民間と異なる経費や制度を導入しているが、行政改革が一向に進まない大きな要因の一つが経費や制度に問題があると思われる。一つには、名刺の作成費用であろう。尤も、現在は台紙位は提供されているが、以前は名刺作成費用は自前であった事を聞いた。更に、役所には交際費がないが、役所も民間の情報を得て仕事を行なう必要があるので、最低限の交際費は認めるべきと思われる。また、給与についても色々な強制力のある積み立て金の控除があるので、民間企業と総額で同じであっても手取額が少ないために低い給与の様な錯覚をもたらしている。役所にも「貸借対照表(BS)」や「損益計算書(PL)」が導入されてきているが、細目で大きく違えば意味がないものとなる。もちろん、多くの面を民間企業と同じシステムにしても一つだけ違うのは、売上高として税収があるが、民間と異なるのは不足分を税収増とするのではなく無駄な支出を抑えることで税金を有効に使うと言う発想である。特に「私立為業」の考えで不必要となった外郭団体を解散させることである。今の日本は平時の国家や経済しか考えない人達が指導者になっている。長いインフレ経済のために減点主義が一般的になり、乱世の指導者を淘汰してしまった。このために、国民は無気力になって強い政治批判も行なわなくなってしまった感がある。しかし、誰かが叫ぶ事によって国が変わる事を自覚しないと日本は滅びてしまう。先ず、税金を無駄使いして平気で自己弁護する公務員の意識を変えないと始まらないので、個人の経費で行なわなければならない経費を見直し、不公平感の意識改革を断行する必要がある。総てはそれからである。
マスコミのGDPマイナス報道の誤魔化し
515兆円規模のGDP(国内総生産)なのに1-3月期は大きなマイナスで、戦後初めての大幅なダウンとかマスコミは報道している。バブル経済間真っ只中のGDPは385兆円である。デフレ経済で大変だと騒ぎながら115兆円も上昇しているのである。しかし、この間の日本経済は低成長とデフレで苦しみ、地方経済は疲弊するばかりであった。20年前のマスコミの報道では、大きくなった日本経済はこれ以上の成長は期待できないので内需によって安定した経済を目指すべきだと喧しかった。確かに、日本経済のGDPの年間上昇額はオーストラリア(?)経済に相当する規模であったので、この様な成長は望めないとの見解は国民を納得さるものであった。しかし、実際にはバブル経済崩壊後にも生産は拡大していたのである。此処で誰しもが思うのは、この成長分の富は何処に消えたのかということである。この分が格差社会における富裕層に渡ったのならば、今後GDPが30%ダウンしても360兆円規模であり、このGDPは1985年頃の規模なので一般国民は心配する事はないのである。尤も、生産性を伴わないマスコミの社員などが格差社会の富裕層に属するので、自分達の報酬が少なくなるのを恐れての事であろう。この他には人事院勧告で給与が上昇した公務員も恩恵を受けた部類である。この様なマスコミや行政のお為ごかしに国民は騙されてはならない。
日本が新しい国つくりのモデルにした英国の惨状
英国の労働党が国民の非難を浴びて支持率が急低下している。英国は日本より早く小さな政府を標榜し、行政のスリム化と規制緩和を進めて今回の金融危機が起きるまでは各国の模範となっていた。日本も2大政党の有り方や、行政組織の独立行政法人化を模倣したのである。それが、政党を見ると公私混同する様な必要以上の手当てを付けるなど国民を無視した自己利益の追求には目を覆うものがある。日本でも色々な手当てを付けて国会議員の報酬・手当ては肥大化しているが、正に英国を見習っての事の様だ。この様な有様からすれば、独立行政法人に関しても観察する必要が出て来るだろう。小さな政府を目指して規制緩和を進めた英国が腐敗に直面しているとすれば英国の規制緩和をを模倣した日本も他人事ではない。英国の惨状が即日本の惨状になるであろう。小さな政府に関しての大きな間違いは、規制緩和で多くの業務を民間に移行したのだが、それに伴って行政組織のスリム化と税金の歳入を減らさなかったから、政治家も役人も余剰税金を自分達の手当てなどに転用したのである。今盛んに消費税の値上げを口に出しているが、国民として重要な事は国会議員の定数の大幅削減と行政組織の大幅な縮小を行なわない限り認めるべきでない事が英国の例でわかる。
夢のない時代の若者の住まいは集団化に向かう!
今の若者は夢がなく現実的であると言われて久しい。確かに、豊かな社会に育った人達は物に対する執着が少ないが、豊かさを実現できる「お金」に対しては少なからず執着が見られる。翻って、住まいに関してはどの様な変化が起きたのか漠然と見渡すと、フリーターの住まいは進化するどころか後退している感があるが、正規雇用の社員の住まいで人気が高いのは、デザイナーズマンションである。デザイナーズマンション需要はある意味では現実逃避の象徴かもしれないと考える。最近ではコンセプトマンションなる造語も出現し、マンションの屋上で野菜つくりやメゾネットスタイルで1階にオートバイ駐車スペースを設けた住まいなどが人気である。デザイナーズマンションよりコンセプトマンションの方が現実的な趣味を住まいに反映させているので評価は出来る。尤も、価格的に提供するサービスと見合ったものかどうかが問題だが。一方、今の若者は全く見知らぬ他人と部屋をシェアする事も平気な現実がある。シェアなどと外来語で書くと新しい時代の社会システムの出現と思えるが、良く考えると殆んどデフレ経済であった江戸時代は「長屋」と言う住宅システムがあり、現代のシェア住宅の大型版の様なものと気づく。日本は農村型のムラ社会の共同生活の生き方が長く、戦後に工業化による高度経済成長を通して核家族化が進み、「集団から個」の生活に大移動した。しかし、格差と賃金の上昇が止まった社会の出現で「個から集団」に先祖がえりが一部に見られる。もちろん、貧しさの象徴である長屋でなく、住む人達がお互いにコミュニケーションが図れる新しい長屋の出現である。アジア人は西洋的な個人主義的な住まいより、集団主義的な住まいの方が心の安らぎが得られると思われる。
時代を見る視点とは!
金融危機の騒ぎで時代の流れが見えなくなっている懸念が起きている。21世紀ではあるが、現時点では20世紀の経済を引きずっているために多くの事で問題が生じているのかもしれない。米国の「クライスラー」と「GM」を見ても破たん処理は金融危機で多少早まった位であろう。米国車が日本車に負けた理由の一つには電子回路を利用した制御装置によって後発メーカーの追従を許さなかった油圧制御技術に優位性がなくなったことである。勿論、巨大なマーケットに安住して生産現場に良い車を造ると言う意識が欠如したことも大きな要因ではあるが。況してや電気自動車の出現は世界中の自動車メーカーの優位性を一瞬で喪失させる力がある。技術革新と先進国の国民の生活水準を維持するために発生したグローバル経済の流れは今回の金融危機で止まらないと判断するのが賢明であろう。特に、ナノテク、IT技術などの技術革新は目を瞠るものがあり、その実用化は目前に迫っている。21世紀に入っても20世紀の経済を引きずっていたので金融資本主義を出現させて経済成長を促すしか方法がなかったと思われるが、此処に来て漸く21世の技術革新が始まろうとしていると考えられ、それらの技術を駆使した社会経済システムが構築されるものと予測される。当社が活動する建築・不動産業界でも当然に21世紀の新技術を導入した作品を提供する事が使命であろう。金融危機は何れ収束するのは間違いないので、金融マン的な短期視点ではなく、メーカーの様な中長期視点で判断する事が今は必要であり、特に次の時代に対する視点を持って行動する事が重要と考える。