グローバル化と言った言葉が一般的になって久しいが、グローバルを進めた米国はグローバル経済を他国に押し付けただけであったので失敗した。真のグローバルを考えると、正にアジア的な文明の発展形態だが、特に日本が世界の中で最も実践してきた民族であると思われる。米国と同様に欧州各国もキリスト教と言う一神教の国々はグローバルに不向きであることは自明の理である。グローバル化は植民市時代にもあったことであるが、この時にはキリスト教の布教で植民地と言うグローバル化を進めたのである。しかし、1929年の金融大恐慌が当時のグローバル経済を崩壊させたのだが、今回のグローバル化は情報社会がキリスト教の布教の代わりとなって役割を果たしたが、今度も金融危機によってグローバル経済の先行きが危ぶまれている。尤も、前回と違って今回のグローバル化は情報と言う世界の共通価値観で以って浸透した現象であるので、グローバル化が衰退する事はないだろうが、今後主導権を握れるのは他国の文化を排斥するのではなく、多神教的な文化を有するアジア、特に日本がリーダーになるのは歴史から見て相応しいと考えられる。欧米人にとって日本人を理解出来難いのは日本は神仏習合の様な全てのものを混同する文化であり、欧米の一神教の様に他者を敵対関係として滅失する文化とは異なるからである。グローバル化が本当に根付くのは経済だけでなく文化も融合することであり、その見本は日本にあるのである。最近の日本及び日本人は米国を真似したグローバル化が正しい考え方と思っているが、真のグローバル化は経済だけでなく文化の融合が必要だと言う事を忘れている。もちろん、この様な考え方は日本だけではないが、このためにグローバル化と言いながら反対に民族意識は高まり紛争が絶えないのは何かを考えるべきである。
民主党の予算仕分け作業は枝葉末節の対応であり効果がない!
自民党政権と違いを見せるために民主党は予算の仕分け作業で無駄をなくす事をアピールしているが、この様な仕分け作業は予算の仕組みを抜本的に変えることにはならないので大して効果がない。何故、国家財政が膨大な赤字に到ったのかは、現行の中央集権的な予算計上の仕組み自体に問題があるので、本体の構造を抜本的に変えないとサラ金財政から脱却する事は出来ない。国家財政が膨大な赤字なのに公務員や国会議員の宿舎の建設の予算計上などしている自体が話しにならないのである。民間企業ならば借金で利払いや元本償還が厳しいなら社宅の建設など行なわない。今の行政は何かを行うとする時には既存施設で遣り繰りする考えはなく、直ぐに新しい施設を求めて予算計上するなど危機感が薄い。此れは民間企業と異なり、自分達の報酬と関係なく予算が計上され使われるからである。このため、国家予算の無駄をなくすには税収と連動して公務員や議員報酬、更には政党助成金や議員定数を決めるシステムを決めることが先決である。今の日本に欠けているのはお金ではなく、予算編成に携わる人達の意識の問題である。民主党の女性議員などは仕分け作業において鬼の首を取ったかの様な尊大な態度で仕分け作業を行なっているが、基本的には何も分かっていない。税収に匹敵する国債の元利返済などは通常ならば考えならない緊急事態なのに枝葉末節な対応で国民を騙すなどもっての他である。予算を縮小するには、国と地方自冶体の施設や機能の統合を行う他、各省庁の総ての事業に対して優先順位を付けて不要不急な事業は先送りすべきである。勿論、現在は未曾有の世界的な経済不況なので、景気浮揚に対する事業や制度は期間限定で集中的に行なう必要があるのは当然である。問題は有効需要に結びつく政策の実施である。規制緩和の後に問題が出て消費者庁を新設するなどの政策は百害あって一利なしである。JALを潰せない民主党政権などは国家の改造など出来ない相談なので、新しい第三の政党の出現を期待したい。
環境税の導入反対
ガソリン税の暫定税率の廃止の代わりに税収入不足分を環境税の導入で議論されているが、導入絶対反対である。反対は小さな政府や大きな政府などの議論ではなく、行政改革は税収に従った支出でしか行なえないからである。勿論、膨大な赤字国債の利払い等で多くの支出分が発生し、多額な赤字国債の発行で財政を遣り繰りしている現状は理解しているが、サラ金財政化した責任を誰も取らない現状では増税などもっての他である。民主党政権になって初めての予算編成では90兆円を超える予算要求となっているが、それを仕分け作業と言うビジュアルで国民に無駄使いをなくすパフォーマンスを民主党が行なっているが、この作業などは全くナンセンスである。先ず必要な事は国会議員を初めとする議員報酬や政党助成金、更には議員定数のなどを削減から作業を開始し、公務員の報酬体系の見直しも行なうのが筋である。更に、税収不足が分かっている段階で各省庁に対して一律的に減収分に対する減額率を設定して予算要求させれば90兆円になることはないのである。パフォーマンスを見せて本音の増税の遣り方は国民を騙す手法である。そう言えば細川政権の時にも福祉税などを持ち出したが、今回は環境税などと見た目で誤魔化す手法は相変わらずである。グランドデザインを持たない民主党政権に参議院まで過半数を取らせると危険であることが分かったので、来年の夏の参議院選挙は重要と思える。
オランダに学べ
NYの友人からメールが転送されてきた。転送メールはNYに40年以上住んでいる方がオランダを訪問して清潔感と笑顔で応対してくれる親切さに感激した内容であった。欧米諸国はチップが常識だが、オランダはデナーでは10%のチップが必要だが、昼のランチやその他のサービスに対してはチップがいらないのにも驚いた様だ。翻って、米国社会はサービスが悪い上に街は汚く、地下鉄車両の損壊部分の修繕などは放置されたままであり、これで世界で一番豊かな国家と言えるのかと改めて考えさせられた様だ。日本から見たオランダは日本の鎖国時代にも唯一貿易の相手として交流が継続した国であった。継続できた理由は宗教を持ち込まなかったとか色々な説があるが、他の欧米諸国と違ってオランダは自分の遣り方を相手国に対して押し付けなかったからかもしれないと今回の転送メールで考えるようになった。その点からすれば米国主導のグローバル経済社会などは富豊層中心で評価に値しないと思われる。日本では不況で米国流の雇用切りが増加しているが、一部の企業ではオランダが導入した時短による雇用確保も行なっているのが救いである。米国流では競争社会が経済の発展を促し豊かになる道と宣伝するが、過度の競争は"百害合って一利なし"である。欧米社会でもオランダの様な精神的に豊かな社会があると言う事実にホッとさせられる。NHKでは「坂の上の雲」で明治期の日本を国民に見せて鼓舞しようとしているが、貧しくても精神的な豊かさがあった明治期以前に目を向ける事が重要かもしれないと思える。オランダの現代社会の感想から長きに渡った鎖国時代のオランダとの貿易に思いを馳せた。
明治神宮建設を自然再生手法で行なった明治人の叡智を思う
明治時代の日本人は現代人と比較して何故こんなに質が違うのかと考えさせられる。戦前の教育や社会が良かったのかと言えば大正時代の日本人や昭和初期生まれの日本人を見る限りそうでない事は一目瞭然である。この様に考えると、近代以前の日本人の生き方が再考に値するのではないかと思われる。最近、財界人でありながら民俗学の研究を行なった渋沢敬三(渋沢栄一の孫)と市井の民俗学者であった宮本常一の交わりの本を読んだが、宮本常一によれば日本の社会には貧しさの中に相互互助の精神や皆で決める民主主義的なルールが存在していたとのことであった。現代人の我々が考える以上に明治時代以前の人々は人間として質が高かったと思われる。最近、行政の予算の無駄使いが指摘され、民主党政権になって無駄を是正する事業の仕分け作業などを進めているが、本当に生きた予算を考えるならば明治神宮の建設時に明治時代の行政マンが常に考えていた建設後に維持費を掛けない思想を学ぶべきと思われる。驚くべき事だが、明治神宮の建設に際して自然再生で失った森を復活させようとしていたドイツに学者を2人留学させてその技法を修得させたことである。私の記憶違いでなければ、明治神宮は建設後の維持に最低限の費用で行なえる自然再生の技法で代々木の一角に作られた鎮守の森なのである。商品経済が発達すれば貨幣経済となりお金の重要性が高まるが、少なくても税金で構築する施設に関しては建設後の維持費用が掛からないように配慮するのが当然の義務である。しかし、資本主義の隆盛と伴に行政に携わる人々も何を勘違いしたのか企業の経営者の様な発想で税金の無駄使いや外郭団体が民間企業と競合する事業を展開してきたのである。その結果が膨大な赤字国債を生み出した訳である。血税の意味も風化してしまったのかもしれないが、行政の堕落と相俟って国民も倫理観を喪失してしまい、大阪府の様に100人1人が生活保護者と言う驚くべき状況を現出させている。この様な状況が生じた一番の責任は政治家であることは自明であり、二番目は行政に携わる公務員であろう。勿論、最悪な政治家を選挙で選んだ国民も責任はあるが、今の選挙制度では候補者を選ばない権利がないので20~30未満の投票率で然もその内の50%も満たない候補者が議員になる仕組みそのものが議論されるべきと考える。明治以降は豊かさを求めて中国大陸に進出し太平洋戦争に突入し、戦後は再度豊かさを求めて経済活動に邁進し人間としての尊厳と倫理観を喪失してしまった。明治と言う年号は、「明るく治める」の字義であるが、現代の日本人にも明るさを取り戻す様に叡智を期待したい。
民主党の予算の仕分け作業が財務省主計局指導では予算が生きない!
民主党は90兆円に膨れ上がった各省庁から上がってきた来年度予算要求に関して無駄をなくす事を大義名分にして仕分け作業なるものを公開したが、この短時間の聞き取り調査で予算に対する必要や不必要が理解できるのかと言う疑問が誰しも持つと思う。確かに、予算の無駄を解消する事は重要な事だが、問題は仕分け作業にあたった民主党の議員の多くが予算の使われる先に対して何を根拠に削減してるのかであろう。どうも漏れ伝わったところに依れば、財務省の主計局が予算切りのマニュアルを作成して指導していたということである。日本の予算の使われ方が駄目になった張本人の一人が財務省主計局にあったことを民主党政権は忘れているらしい。鳩山首相は仕分け作業は今年限りのパフォーマンスと正直に答えたらしいが、民主党は野党時代に予算の無駄使いの追跡調査作業を行なっていなかった証が今回の仕分け作業なのである。私は財務省主計局の予算に対する従来の削減方法が誤っている考え方に基づいているために財務省の指導を受けた仕分け作業では本当に必要な予算もカットされると考えるからである。財務省主計局の何が駄目かと言うと先ず目先の数字しか見ていないことと、帳尻合わせの削減に終始してきたからである。財務省主計局の担当者は必要以上にエリート扱いされたために誰しも分かる事が理解出来ないと言う弊害をもっている。各省庁の予算を見るのに配属されている人数を見れば幾ら頭が良くても現場を見ないで担当官庁の全事業の是非が分かる筈がないのにである。私が中央官庁の役人と話した経験から言えば財務省役人は人を馬鹿にした様な言い方をする輩が多かった。連中からすれば私の質問に対してもっと勉強してから出直して来いかもしれないが、私から言わせれば民間の業務と異なり、百年一日の如くの業務を行なっている財務省の仕事など分かっていて当たり前なのが理解していないのに驚いた。特に、昔と違って偏差値教育で高学歴となった今の世代では知識があっても知恵がないので尚更である。国民は予算の無駄をなくす事と同時に生きた予算編成を望んでいることを忘れたのでは政治家でないことを民主党は肝に銘じるべきである。
政府税調が”私立為業”を阻害している
民主党政権になっても自民党時代と政府税調は変わらない様だ。尤も、私は政府税調の発足経緯を知らないので、その役割を省みないでの意見であることを前提としている。今般、民主党がマニフェストに書いた中小企業に対する減税措置の実現について税調が噛み付いたのである。税調の減税反対の理由は景気悪化で税収が40兆円規模に減少する可能性が高いためである。基本的に税調に係る委員は無知の集りであるとしか言い表せない。そもそも、行政の無駄使いは何故起きたのか委員連中は知らないらしい。税収が多いから無駄使いに走ったのである。自民党から民主党が政策転換を図るには、日本は発展途上国とは異なるから官で行なう役割や事業を最低限まで縮小すると同時に、税金を大幅に減らして民の活性化を促すことが必要なのである。それが、税調如きが"私立為業"を阻害する様な発言を行うとは言語道断である。赤字国債の返済のために現状の税体系を維持したり増税を行なうのは本末転倒である。何故、赤字国債が膨大になったかは一目瞭然である。国民に富があり、税金でその富を吐き出させれば国家財政の破綻が防げると思っていることに問題があるのである。税収を減らせば自ずから行政組織も簡素化するし、議員定数なども削減するか報酬を引き下げなくてはならなくなるのである。それが税調の見解は財政再建を理由に増税であり、民間の経済活動を圧迫する各種制度の強化を促し、「私立為業」を邪魔しているのである。民主党は改革で色々行なっているが、何故税調など残しているのか気がしれない。それより大事なのは、行政組織と議会を縮小して経費節減を図る事である。今回の予算の仕分け作業にさして財務省の役人が馬鹿の一つ覚えで事業の是非を赤字かどうかを基準にして判断していたらしいが、黒字の事業を行政組織が行なう必要はないのである。黒字の事業なら民間に委ねるべきなのである。行政が行なうのは事業を行なう必要があるが、民間企業では採算が取れない事業に対してだけで良いのである。行政にも民間企業と同様に貸借対照表と損益計算書が必要と指摘され、全てにその考えを導入しているが、必要なのは全体の収支に対してだけで、個々の事業に適用する話ではないのである。個々の事業に適用し、赤字事業なら行なわないなら民間と行政の役割が一緒になってしまう。そのような考えなら行政のすべての業務を民間に委託すれば良く、その方が断然税金が安くなるのである。そう言えば行政の一番の無駄は御用学者や御用経営者が名を連ねている各種委員会であるので、先ずこれらの委員会を廃止すべきである。
大きな曲がり角に来た日本のもの造りの考え方
日本のもの造りは岐路に立たされてている。私はドメステックな分野で見ているだけなので必ずしも的を得ていないかもしれないが、全ては消費サイクルと消費者の低価格指向に起因していると思われる。確かに、日本の製品や建築物はフル装備が当然とされてきた歴史があり、反面価格が高い難点もあった。大分前になるが、液晶TV画面を日本で販売していた韓国の業者と日本製品より安い秘訣について聞いたことがあった。その答えは、韓国の液晶画面は正面から見るだけに機能を限定してコストを下げている事であった。韓国の家電メーカーはこの考え方で価格を下げて日本家電メーカーを圧倒している様だ。確かに、日本の電気製品類などは消費者の要望以上に機能がついており、不必要と思われる機能も多い。勿論、フル装備が欲しいと言う需要とのバランスなのであろうが、生産ライン的には少量多品種製造はコストが掛かることになり、どちらかに決めなければならないのも真実である。一歩進んでオプション部分をどれだけ増やすかが消費者のニーズを考えた物づくりかもしれないが、これは口で言うほど製造ライン的には難問なのであろうと思う。翻って、当社の分野の建築・不動産に関しては、極端に言えばマンションなどは中国の様にスケルトン仕様にして内装・付帯設備工事を完全にオプションにすることは可能である。然し、問題は工事や設備機器類は個々に発注するより一緒にした方が安くなると言う現実である。更に、マンションなどは水周りなどは騒音の関係から自由に設定する訳には行かない事である。販売の面から見るとオプション制は必ずしも業者にとっては不利ではない。逆に、購入者はオプションによってはフル装備のマンションより高く付く可能性もある。長々と纏まりの無いblogを書いたが、結論から言えば、安くて良いものはないし、オプションは自分で決めた満足感は持てるが、必ずしも安く出来る訳ではないことも考える必要がある。また、余程マニアでない限りは経験を有した専門家のアドバイスを受ける必要があることも認識すべきである。インフレの時代には価値が上がったのでフル装備でも良かったが、グローバル経済で商品類のデフレが進行する過程では、先ずコストあり気であり、付加価値はオプション制で求める事が主流となってきている。この様な世界では完璧主義の日本人の性格は災いとなり、世界のマーケットから取り残されてしまう可能性がある。建築・不動産業界などは真面目に行なってきた技術者や会社は高コストの悪玉と思われ排除されてきているので、現代の社会では気をつけないと整形美人で喜んでしまう結果になりかねない。
情けない日本人
NHKが年末に司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」を放送する。何故今再び、この作品を国民に見せるのかは言うまでもないと思われる。明治時代と言う貧しき時代に頑張った明治人の生き方を今の日本人に再認識させることが必要と感じたからであろう。勿論、明治時代にも清清しい出来事ばかりでなく現代と同様に卑劣な日本人はいたと思われるが、問題は明治人の方は現代の日本人より遥かに崇高な意思と目的を持って存在していた事は事実である。私の母方の祖父も明治人であったが、現代の様に孫を馬鹿可愛がりする人ではなかった。私にとって祖父は親以上に厳しい存在であったが、この年になってもその教えは生きている。確かに、現代の日本人は豊かになったと思うが、教養と言う尺度からすれば最低レベルで生きている。米国資本主義を信奉した似非学者や評論家が跳梁跋扈して馬鹿の一つ覚えで「選択と集中」や「短期的な利益の追求」などを鸚鵡返しに叫んでいる。英語が話せるだけで無能な連中が高額な報酬を取ったり、パソコンを使えるだけで実務能力が無い者が実績を上げて来た者を馬鹿にする図式は呆れてものが言えない。PCが入り込んできたためにデータ重視の社会となり、恰も実務経験など必要がない様に思われてきているが、その延長線上に人間も必要ないことを忘れるべきでない。データなど採用の仕方で如何なるものにもなることを忘れているし、データは過去を語っているに過ぎないことも忘れている。実務経験軽視くらいは許せるとしても、企業のリストラ推進のために行なっている"虐め"は本当に情けないの一言に尽きる。日本経済バブルが崩壊してから日本人は自信を失って米国に盲従して来ているが、当の米国の政治経済を見ると何も学ぶべき事はないことに気づいた。米国経済は人を大事にする社会ではないからである。資本家の利益を確保するために実務経験者を切り捨てて安い未経験者と交代させるために経験を重視しないデータ中心の社会を築いてきたのである。米国が日本に持ち込んだのは格差社会と犯罪増加、更に人間不信である。尤も、米国でもGEの様な企業もあるので学ぶ企業や人を間違えた結果と思われる。嘘を言っても騙しても平然としている金融業界などのシステムを金科玉条として受け入れた企業とその経営者が日本を駄目にした輩である。
未来のOFFICEとは?
先月末に森ビルが自社オフィスに実験場「MORI WORKING LAB」を開設し、「働きやすさ、業務効率、環境対策など」を追求したワークスペースの提案を行なって行く事を発表した。オフィスの利用の仕方は業種によって大分異なるので一概にモデル化出来るものでもないが、確かに当社もPM業務や内装工事業を通してオフィス内の利用の仕方や省エネ、更にはリラックスルームの確保など貸し手と借り手の境界、更には貸し手側のサービスの拡大を考える時期に来ていると思う。未来のOFFICEの姿を想像する事は出来るが、現実的には理想のOFFICEは経済コストが絡んでくるので貸し手と借り手のコラボレーションがないと難しい。PCのクラウドコンピューティングについてもコスト削減や社内の情報管理において導入する会社が増えてくると考えられ、現在のサーバー室のスペースが減少することになるが、全ての情報管理を外部に依存する事は不具合の出た時の回復時間を危惧すると万一の場合のバックアップ機能が求められる。勿論、このバックアップ機能まで外部に依存すれば良い事だが、後はコストとスピードの問題となる。何れにしても、現在の様に会社側が大小に拘わらず社内に一通りのOA設備やリラックスルーム、会議室を設けているには無駄を省くと言う観点からすれば他社と共有した方が安上がりである。ソフト面では既に多くの業務が外注化され、PCを通して遠隔地の業者に委託している。その様に考えると、未来のOFFICEとは、ハード関係に関して共有化や統計的に算出した在席率によるデスク予約管理システムの導入などの姿が見えてくる。この様に考えてくると、過っての貸ビル業界においては大型ビルに必ず貸し会議室を設置していた事を思い出した。高度経済成長を遂げて会社の規模も利益率も増加してくる過程で、会議室スペースは社内に置けるようになり、大型ビル内の貸し会議室の需要は減少した。しかし、ここ数年を見ると事務所の需要減少による空きスペースを利用した貸し会議室専門業者が現れてきており、グローバル経済とは先祖帰りの面もあるのかと驚かされる。尤も、若い世代からすれば新鮮なビジネスに写るのかも知れないが。此れまではビルはオペレーションに関しては金食い虫の様な面があったが、省エネを考えると地域とのビルとのコラボレーション、周辺環境を変化させることによるエネルギーのコントロール、自然エネルギーの利用は最低限取り入れる必要が出てくる。森ビルなどは大規模開発の自己完結型の街づくりだが、当社では大型規模以下のビルが林立するエリアに快適な空間を作り出し、自然エネルギーの利用なども複数のビルがコラボレーションする未来都市を創造するプロジェクトを行ないたいと思う。農業と街づくりは同様で農業の様に一種類の作物しか作らないと害虫が押し寄せてくるが、同じエリアに多種類の存在こそが益虫と害虫のバランスが取れた空間が出来るのである。未来のOFFICEに対する街づくりは自然に則った形で配置するビルが理想的と考える。荘氏の"無用の用"を忘れてる様な街づくりに未来はない。