1970年代に米国で始められた住宅ローンの証券化は1990年代後半から勢いが付き、2000年以降にはあらゆる債権が証券化されて販売された。リーマンショックの引き金となったサブプライムローンは証券化の一部に過ぎない。証券化の問題はお金の貸してである金融機関や建築主のデベロッパーの無責任さを助長させた。今となれば誰でも分かる事だが、証券化以前は住宅ローンは貸してが30年の年月を掛けて元利を回収したのである。しかし、証券化以降は直ぐに資金の回収と利益をもたらしたので審査基準が甘くなった。銀行の審査が甘くなると建築物の作り手のデベロッパーも時間と手間隙を掛けて良いものを作る考えが希薄になった。この様に書くと、識者は証券化に対しては厳格なデューデリジェンスを行なっている筈ではないかと反論が出ると思うが、組成する金融機関や企業は裏づけとなるローンを完済させる監督やデューデリジェンスを行なうインセンティブを殆んど持たないので、義務を果たす存在ではなかった。本来なら証券化を支援する証券会社がチェック機能を持つべきだが、この義務を果たさず、関係者全員がローンをまとめて販売し、簿外に移すことだけを意図していたのである。格付け会社なども格付けすることで大きな手数料を稼げるので、インチキ格付けを平気で行なったのである。ちなみに、米国では「職なし、所得なし、資産なし」の人に貸したNINJAローンあったそうだからモラルハザートどころではない。日本のバブル経済崩壊の金融機関のモラルハザートに対して米国などは非難を浴びせたが、日本の貸付や建築の状況は今回の米国ほど酷くはなかった。米国の証券化手法が日本にも導入された結果、物づくりの心を忘れたデベロッパーが多く出現し、リーマンショックで多くが消えていった。しかし、証券化が作り出した無責任社会はまだ続いており、この弊害は今後も続くと考えられる。要注意である。
世論とは
情報化の時代になり人々もマスメディ以外のインターネットによって情報を得ることが出来る様になり、マスメディアが提供する情報で世論が操作されていた事実をしることになった。基本的には新聞など営利事業であり、広告を抜きにして経営が考えられないことを理解すると日本で言えばトヨタに対する悪い記事には手心を加える可能性はある事は承知の事実である。翻って、新聞などに広告を出さない企業が何か社会的な問題を出すと一面に書かれてしまうことも事実である。更に、日本の記者クラブ制度は最も世論誘導する情報の提供の場であり、記者クラブ制度の互助会組織がなくならない限り日本の報道機関の中立性など笑止千万である。日本人は古来から教育水準が高く識字率も世界で最高水準であるがために一般紙の購読者は世界に類を見ない程である。日本人の多くは新聞報道を信じているがために無批判的に受け入れ、それが世論となっている。そう言えば、毎日新聞記者上がりの「鳥越俊太郎」氏などは、世論はリークされた新聞記事で動くので信じないと言っているが、語るに落ちた発言であろう。私自身も高い学歴と職歴を持っている人達が新聞報道の記事のままに自分の意見を構成しているのには度々驚かされた。この様な日本人に対して米国が世論を旨く誘導して日本をコントロールしている事は良く知られた事実である。以前にも書いたことがあるが、国税庁と税法的な解釈で争った会社が新聞に脱税報道をリークされ、その結果金融機関から融資を拒絶されて倒産したことがあった。この会社の社長が東京国税局で自殺を図ったことを後で知った。権力者側が一方的に情報をリークし、新聞などのメディアが何等の検証しないで報道する姿勢は憤りを感じるものである。勿論、情報化の時代になって漸く国民の新聞以外の情報も入るようになり、新聞などの情報を無批判的に受け入れる姿勢は一部ではなくなってきた。しかし、未だ大半の人は新聞・TVの報道を疑問を感じないで信じており、そういう意味では世論の信頼は低い。特に、マスコミが報道する世論調査などは質問設定如何によって何とでもなるので最も信用が出来ない代物である。選挙期間中には世論調査の発表など百害合って一利なしなので規制するべきと考える。この様にマスコミ批判を展開してきたが、良く考えると情報化時代のIT技術は米国の軍事技術から生まれたことを思い出し、米国などはマスコミ操作ではなくIT操作によって一国を情報操作する技術を確立しているのではないかと危惧を感じた。このため、流される情報に対しては直ぐに反応しないで誰が得するかを考えて真偽を判断するべきと思っている。そうすれば大きな間違いは犯さないと考えられる。また、blogのテーマが横道にされてしまったが何時の事なのでご容赦願いたい。
中国の不動産バブルは当面崩壊しない!!
中国の不動産バブルは何時崩壊するのかと相変わらず誌面を賑わしている。これまでの予想だと上海万博後と言われてきたが、その予想を裏切るように中国政府は上海万博閉会前に市場金利を上げてきた。中国の不動産バブルは中国政府が指導してきたものである。日本など欧米諸国の様に市場原理主義では動いていないので、市場の声で翻弄されるリスクは小さい。資本主義と民主主義を取り入れた国では歴史的に見ると大小はあるものの定期的なバブルと崩壊によって苦しまされてきた。資本主義は人間の欲望を肯定した制度なので果てしない欲望がバブルを発生させ、然る後に崩壊すると言う流れは防ぎようが無い。1929年-1933年の大恐慌はその後の世界経済の低迷の中で第二次世界大戦を引き起こしたのは承知の事実である。この反省により、これ以降は人間の欲望を抑える制度(銀行業務と証券業務の分離など)やバブル崩壊後の救済制度(IMF、世界銀行の創設など)によって30年程度は日本やドイツの様な高度経済成長はあったが、世界にバブル発生~崩壊はなかった。しかし、貿易の機軸通貨となったドルの発行国の米国がベトナム戦争の深入りで戦費が嵩み財政赤字となっために世界は再び為替の自由化が始まりそれまで安定していた世界経済は不安定になってきた。米国はその後20年掛けて財政収支と貿易収支の双子の赤字の解消を進め、2000年には財政黒字を実現したのは評価できる。だが、財政赤字を解消するために小さな政府と金融緩和がその後のリーマンショックを引き起こしたのは否定できない。この辺の事情は多くの書物に書かれていることなので割愛するが、中国は資本主義だが民主主義ではなく共産党一党独裁である点である。中国は歴史を学んでいるので何がバブルを発生させ崩壊させたかは熟知していると考えられる。1929年の世界大恐慌時に無傷であったのは世界経済から孤立していたソ連だけであった。勿論、今の中国は世界経済と連動しているので今回のリーマンショックは影響を受けているが、問題は民主主義の国家と異なり、危機に対して敏速に対応できる点である。今日の情報化の時代には日本企業も合議制のサラリーマン役員の会社でなく、敏速に決断できるオーナー企業の会社が評価されるようになった。政治体制も同様であろう。情報化の時代には敏速に対応できない民主主義は合わなくなってきている。尤も、資本主義と民主主義の結合が経済バブルと崩壊の原因かもしれないと最近考えてきており、それが経済の需要を生み出しているかもしれないと考える。何れにしても、中国の貿易収支が大幅な黒字である限りは不動産バブルに対して調整が可能と思われるが、中国の経済バブルを崩壊させて不良債権のホールセールで儲けたい連中との今後の中国政府との攻防は見物である。
週刊誌掲載の記事で質問する無能な国会議員を見るに付け故郷の大先輩「大森創造」氏を想起する
今の国会のお粗末な議論をTVで見るに付け、私の故郷の茨城県が生んだ尊敬できる政治家として「大森創造」氏を思い出す。大森氏は地主の息子として生まれ、水戸中学(現水戸一高)から中国に開校した東亜同文書院で学んだ方で、戦後は20代で村長、30代で県議会議員、40代で国会議員(参議院)になった故郷の立志伝の人物です。私の亡父も同年代の地方議員であり、30代で村議会の議長にも就任した傑物だったので、お互いに評価する間柄でありました。大森創造氏が国会議員を辞めた後に亡父が政治的手腕を惜しみ、彼を水戸市長選に担ぎ出した経緯もあります。残念ながら僅かな票差で負けてしまいました。彼が当選していれば水戸市政も今とは大分違っていたかもしれません。今の世代には大森創造と言う名前を聞いても分からない人が大半と思いますが、昭和40年初頭に国会で「共和精糖事件」などを追求し、新聞紙上で「黒い霧」として賑わし、国会を解散に追い込んだ国会議員と説明すれば興味がでると思います。大森氏は旧社会党の参議院として茨城選挙区から出ていたが、この黒い霧事件にはマスコミも書かない後日談があり、彼はマスコミと組んだ与野党の政治家及び官僚によって政治家としての道を絶たれてしまいました。大森氏は天才肌の人であったので、奇想天外の行動に出たこともあり、地元民にとっては別段なんでもないことでしたが、これを新聞紙上で精神異常として書かれ、次の選挙には公認されない理不尽なことが起きました。亡父から聞いた話ですが、大森氏が国会議員汚職の不正を追求した時に自民党だけでなく社会党からも逮捕者が出ることが分かり、当時の社会党の幹部から国会での追求を止める様に圧力が掛かったとのことです。これに対して、大森氏は譲歩せずに国会で弾劾したので社会党からも逮捕者が出てしまい、結果的には次の選挙には公認が得られない理不尽な結果となったとのことでした。大森氏は不正の情報を入手した時に大森機関と言われた調査スタッフを結成し、徹底的に調査した上で国会質問を行なったのです。翻って、昨今の国会での野党議員の質問は週刊誌に書かれた記事を鵜呑みにして単に質問するだけであり、何も仕事をしていない姿には唖然します。然も、大森氏の国会議員当時とは比べも無い多額の報酬や秘書手当てが支給されているにも拘わらずです。私は子供の頃亡父からマスコミなどが不正を暴くより別な意図で記事を作ることを教えられ、政治家も国会議員の様に上に行けば行くほど与野党問わず国民など考えない連中が多くなることを知らされた。この状況は最近の政治を見るに付け過去より良くなるどころか寧ろ悪くなっていると考えざるを得ない。このblogを見た方が一人でもおり、他者に大森創造の様な国会議員がいたことを伝えてもらえればと思う次第です。
近代日本を創った男「伊藤博文」を読んで
亡父が私に名づけた名前なので感心はあったが、書店でこれまで伝記らしきものを目にしていなかったので人並みな断片的な知識しかなく、その生涯については触れる機会が無かった。今回、書店で偶然に伊藤之雄氏が書いた伝記、特に主観を排除するために彼が接した人達との書簡の遣り取りから実像を描いた点に興味が引かれて購入した。読み進むうちに伊藤博文と言う人物が正に副題の「近代日本を創った男」に相応しく、そこには私が知らなかった伊藤博文がいた。伝記を読むと人の成長には何が必要かも理解できるが、伊藤博文に対して明治の元勲の木戸孝允の言葉「剛凌強直(強く厳しく正直)」は従来の歴史的な評価とは異なる人物であったことが分かる。明治新政府の要人になっても憲法を作るためにドイツに留学し、1年半以上も一学生の様に学ぶ姿勢には驚かされる。また、行政の実務から入り指導者になったのでリアリストでありながら理念を持った政治家であった。勿論、リアリスト故の現実的な段階的な対応が大正、昭和に対して彼の理想と違った方向に行ってしまった責任もあると思われた。しかし、江戸時代の封建社会を明治と言う近代民主主義に変えた中心人物として伊藤博文が存在した意義は大きいと思わざるを得ない。時代が人を作るとは言い古された言葉ではあるが、現代を見ていると本当にそうなのかと考えてしまう。尤も、明治時代に憲法が公布され議会政治が始まったのであるが、この始まりの時から現代の政治と変わらない国民を無視した党利党略と自己の栄達だけを希求した国会議員を見ると、議会制民主主義とは何かを考えてしまう。また、近代日本の行政組織も現代の組織と変わらず膨張主義であり、その縮小に対して国益を無視して反対する姿も愕然とさせられる。しかし、伊藤博文は悲観的な状況にも拘わらず理念を求めて行動する姿には良い国を作るには何が必要かも教えてくれている。日本の平和を維持するには隣国の近代化が不可欠と考えて晩年になりながらも朝鮮、清に対して啓蒙を進めた姿にも悲壮さがある。現代の日本の政治家はちっぽけな領土問題で目くじらを立てる様な小人物しかいない。尖閣諸島の周辺に資源があるなら共同開発すれば良いだけのことである。アジアの問題はアジアの国々が解決しなければ歴史が逆戻りする。日本と中国が対立して喜ぶのは誰かを考えるべきである。良い時期に良い伝記が出たと考える。
「都市再生機構(UR)のあり方に関する検討会」のインチキ報告
「都市再生機構のあり方に関する検討会」は、独立行政法人の都市再生機構(UR)の業務見直しについての報告書を発表したが、相も変わらず御用委員による見解であった。この結果を見る限り、民主党政権になっても何等変わることなく必要ない金食い虫の組織が温存される事が分かった。URなど今の社会に必要がない。民営化が事業資金の大半を国に依存している現状では難しいとの結論であるが、民営化でなく解散を前提として資産の売却と人員整理を提言すべきものである。20年以上前に住宅ローン会社が役目を終えたにも拘らず定款変更で貸付先を拡大した結果、不良債権の山を作って失われた10年となる原因のひとつとなった。同様に官僚の天下りに過ぎないURを存続させると無理やり仕事を作ることになり、財政難の国から無駄な資金が流失する事になる。政治屋もURの利権を利用するために官僚のUR存続に異議を唱えない。マスコミも検討会の報告に対して記者発表を掲載すだけで何等のコメントも載せていない。この国では亡国の輩が権限を持っているので私の意見などは蟷螂の斧に過ぎないが、それでも書き続けないとこの国は間違った方向に行くと思うので続けるのである。民間の不動産会社と変わらない業務を行なっているURの存続に反対である。
人権を大義名分にした米国のイラン攻撃に対抗できない情けない日本人
パキスタン、インド、北朝鮮との米国の外交対応を見るとイランが核開発に対して執着するのは当然であろう。米国のイランに対する執拗な原子力発電所に対する攻撃は、イスラエルによる要請なのは誰の目にも分かる。イランが指摘するようにイランに対して原子力発電所査察を強要するならばイスラエルに対しても核保有の疑惑を正す必要がある。人権を盾に日本企業などに原油開発から撤退させる米国の行為に対してイランとの仲介も果たせない日本政府を見ると政治家を辞めろと言いたい。今回の日本の石油開発国策企業のイラン撤退の報道を聞くと、戦後イランから英国の海上封鎖の中で原油を購入した出光興産の故出光佐三翁を思い出す。出光佐三翁は伝記を読むと反骨の人でもあった。行政の大手企業を利する制度に対して真っ向から戦いを挑んだ人でもあった。グローバル経済の中で多額の資金を必要とする石油開発には海外から資金を集めないと事業を推進できないとの理由でイランから撤退を考えている様だが、その様な理由は建前なのは子供でも知るであろう。資源開発競争の時代に海外の資金を充てにした開発など出来るわけがない。200億円以上の資金を投下した開発から撤退するなどの決定は一企業経営者の判断で出来る訳がないので、政治家と官僚が決定したものであろうことは直ぐに推察できる。少なくても、知恵のある日本人なら中国との提携を模索することも考えたのだろうが、今の日本の指導者にはその芸当が出来る人物がいない。米国は現在景気悪化の中におり克服するには戦争しかないのが現実である。米国の戦争屋がイランをターゲットにして事を構えようとしている中で、イランに原油などの権益を有する日本が取る立場はイランの擁護と米国との仲介役であろう。日本人が戦後失ったものは本当に大きいと今更ながら思う。
不正を行なった特捜検事に見た日本の将来
孔子は40歳過ぎたら自分の顔になると弟子に説いたそうだが、不正検事3人の顔を見る限り社会の正義を守る面構えでないのに気が付いた。そう言えば、バブル経済崩壊後の経済人の容貌を見るに付け、その地位に相応しい顔付きに出会うのは稀なのにも気が付いた。戦後の学校教育は知識の修得に主眼を置いた「知育」、「体育」に偏っているので、「徳育」、「食育」に関しては家庭教育に依存していたと考えると不正3人組の検事のそれぞれの親の生き方を知りたい思うのは私だけだあろうか。もちろん、江戸時代や明治時代にも不正はあり、何時の時代にも社会を騒がす輩がいるが、問題は検事と言う職業を選択したにも拘わらず、平気で証拠を改竄する人間がいたと言う驚きである。日本にはバブル経済崩壊後に米国の合理主義的な効率を目指した考えからが経済に導入されたが、小泉純一郎という男はその効率主義を行政にも取り入れた。その結果が今回の特捜検事の不正に繋がった考えられる。もちろん、検事の不正の前に効率主義は民事裁判の裁判官の判決にも現れてきており、効率の前に必ずしも正義が行なわれなくなった恐るべき事実も目にしていた。しかし、幾ら効率主義が導入されたからと言って本来の人間性が失われることはないと考えると、不正を行なった3人の検事や和解を蹴った訴訟人に対して間違った判決を出す裁判官の存在は何なのかと思うのである。核家族の増大と学力偏重の社会がもたらした個人主義が人間性も喪失させたと考えると日本の将来は悲観的にならざるを得ない。子供時代に祖父祖母や両親から受けた教えは何時までも忘れないものである。社会が良くなるには常に実務能力の他に人物評価を行なって地位を与えることが必要に思える。不正した検事の様な人間が出世コースにのる社会では日本の将来はないと思われる。尤も、今回の事件は特捜の内部の検事の告発によって発覚したのが救いであるが。
マスメディアが作りすぎる世代間の格差
先日、20代の住宅販売の営業をしている若い方と話す機会があった。彼は俺達はバブル経済崩壊後の世代ですから少しも良い目を見ていないと社会に対して被害者意識が強かった。私はその話しを聞いて懸念した事は、バブル経済など数年間のことであり、確かにその時期に就職した人達は恵まれていたかもしれないが、バブル経済だからと言って全てがばら色であったわけでもなく、何時の時代でもそうだが、バブル経済のために破綻している人も多いのであり、良い世代と悪い世代などと考えたら果てしない論争になるのに、マスコミが作り上げた世代間の格差で不満が募っている社会現象であった。私の世代を振り返ると子供の頃は政府が所得倍増の政策を打ち出すほど未だ貧しい時代であり、高校~大学時代は学園紛争の真っ只中で過ごし、更に大学時代には田中角栄の日本列島改造計画で大インフレに直面し、挙句には就職時にオイルショックに遭遇して就職難であった。社会に出ても第二次オイルショックに見舞われ、福田内閣のデフレ政策で経済は低迷していた。然も、年功序列主義のために20代には安い給料で働かされた。我々世代も決して恵まれた世代ではなかったが、今の20代の人達の様に生まれた時から良い事は何も無かった世代とは考えなかったし、マスメディアもその様な位置づけをしていない。確かに、今の20代の人達は生まれて物心付いた時にはデフレ経済であったかもしれないが、年功序列制度が崩壊し、明治維新の時の様に若い世代が評価されて多額の収入も得るチャンスが生まれているので本当に良いことがひとつも無い世代と言い切れるのかと疑問に思ってしまう。最近20代、30台の人達を取り上げたTV番組を見ると、仕事を評価されないとかで簡単に会社を辞めるケースが多いのに驚くと共に資格を取れば簡単に高収入の人生が待っていると安易に考えている人が多いのに驚く。ひとつの仕事を覚えるには最低でも3年位の年月を必要とすると思われるし、幾らドッグイヤーの時代でも人の上に立つには5年の歳月は必要と思われる。また、現在は企業の方でも正社員と派遣社員の区別をしていないで使っているので自分の立場を誤解している派遣社員の方も多く、勘違いして仕事を辞めてしまう方も多いようだ。我々の世代は簡単に会社を辞める考えはなく、辞めたら希望する再就職は出来ない時代であったので我慢して頑張った。資格を取得しても実務経験を積まなければお金を稼げないくらいは誰も知っていたことなのだが、今の世代は良い事はひとつもなかったと言う割には考え方が甘いのには驚くのである。我々の世代からすれば今の20代、30代の人達は転職の自由もあるし、頑張れば高収入の道もあるので羨ましくて仕方ないのである。今の若い世代には、メディアが作った世代間の格差などを信じるのではなく、歴史を学んで何時の時代にも厳しい面がある事を知り、自分達の恵まれた経済環境に感謝する心が大事であることを言いたい。
尖閣諸島事件を起こした管内閣の馬鹿大臣どもと国民を煽る国賊マスコミ
今回の尖閣諸島事件では大きな点が一回も論じられていない。石垣島の漁業関係者がTVのインタビューで答えていた様に尖閣諸島周辺で中国や台湾の漁船が操業したのは今回が初めてではない。何度も繰り返されていることと言う事実である。海上保安庁は尖閣諸島周辺で外国の漁船を見つけた時には幾ら日本の領域とは言え政治的な問題に発展する可能性が高いので同庁長官に報告し、同長官は大臣に報告して対応を求めていたと推測できる。それが今回に限ってはなぜ中国漁船に停船命令を出したのかが大きな問題と言える。勿論、当初は停船命令で臨検し、本来の目的の漁業だけなら解放する予定であったのかもしれないが、問題は停船命令に従わなかった時の対応などの不測の事態を想定していなかった事にある。前原前国土交通大臣の愚かさは中国の出方を見誤ったことであると思われる。歴史を学んだ者ならば中国が領土に拘る理由は痛いほど分かる筈である。蒋介石が戦争終了後に国土を侵略した日本兵を無事に帰したのは戦後に欧米諸国と対抗するには日本と組まなければ出来ないと言う判断からであった。戦後の日本は米国の支配下にあり、現在も状況的には何も変わっていないのである。それが民主鳩山政権になって中国も日本に期待した面もあったのであろうが、管内閣になって自民党と同様な対米追従主義に方向転換したことが分かり、今回の強硬手段となったのであると推測される。中国も当初は日本の政治的な早期解決を望んでいたのだろうが、管内閣の馬鹿大臣どもは政治問題にも拘らず司法に任せて状況を悪化させて最終的には検察に圧力を掛けて釈放すると言う世界に恥を晒した方法で解決した。弁護士上がりの法律論で行なった処理であろうが、官僚の入れ知恵に任せた愚かな判断と言えよう。政治家としての器の片鱗も見られない。前原外務大臣、仙谷官房長官の様な愚かな指導者に国を任せるリスクは高い。勿論、事件が大きくなって右往左往した管首相などは亡国の輩そのものである。これに付随して愚かなのはマスコミの報道であろう。日本政府が弱腰などと言いたい放題である。政治の延長が戦争であることを自覚して報道しているのかと言いたい。マスコミが尖閣諸島問題で囃し立てるなら、竹島に関しても奪いとる報道をしろと言いたい。尖閣諸島は日米防衛の範囲などの米国側のコメントを掲載しているが、中国に対しては今回の問題を余計に刺激する結果になるだけであろう。"トラの威を借る狐"としか写らないマスコミの報道は笑止千万である。中国に侵略戦争を起こした日本に対する中国国民の隠された怨念を忘れたのでは、危険この上ない。侵略した方は忘れても侵略された方は忘れるはずが無い。石原東京都知事の様に喧嘩も碌に出来ない輩が威勢の良い事を言っているが、喧嘩を遣ってきた者は悪戯に相手を刺激して喧嘩に誘うようなことはしない。前原外務大臣などもその類であろう。ペーパー試験で成績が良かった喧嘩も出来ない輩だ。仙谷官房長官の様に学生運動や労働運動に関わって来た者もいるが、学生運動や労働運動の指導者には碌な奴はいなかった。正義ずらした偽善者ばかりである。にマスコミも戦前に盛んに国民を煽り立てて国民を戦場に送り出した反省もなく又尖閣諸島事件を煽り立てるのは国賊者である。中国の当初の姿勢は偶発的な事件としての対応を日本に求めたのにそれを理解できずに司法処理を粛々と進めた結果が、腰砕けでは喧嘩も出来ないアホである。然も、司法に政治的な判断をさせた誤りは今後後悔することになろう。司法も身内がインチキを行なった事件もあったので内閣の意向に沿ったのだろうが、この国に人物はいないのかと考えてしまう。明治維新に生きた山岡鉄州のような「命もいらず、名もいらず」の様な人物の再来を願うのは現代では無理なのであろうか。この様に行き着くと戦後教育の間違いは取り返しが付かない。