ロシアのウクライナ侵略に触発されて戦記物を読んでおり、イアン・トールの「太平洋の試練」は真珠湾攻撃から終戦までを描き切った大作ですが、過去に書かれたものではなく、2012年に第1部、2015年に第2部を上梓し、第3部は更に5年の歳月を掛けて完成したものです。著者は父親の仕事で子供時代に日本に住んでいた事が本自体は米国の視点で書かれてるが、日本に関しても良く理解されているのには驚きます。ストーリーは局部と全体を上手く組み合わせて進めているが、その整合性には驚きます。また、色々な真実が書かれており、太平洋戦争に関してはこの本以上のものが出ることはないと思われました。国家同士の戦争ですが、戦争の去就は人間個人の思惑で左右されることが書かれており、実に興味深くありました。日本は陸軍と海軍の仲が悪かったのは歴史的な事実ですが、米国も同様に陸軍と海軍が指導権争いをしていたことが書かれていましたので、その様な問題は国家として考えるものではないことも理解しました。ローズベルト大統領が海軍を好み、その後を継いだトルーマン大統領が陸軍出身なので意見を聞く相手先が変わっていったことにも興味を覚えます。太平洋戦争を起こした日本の失敗と日本軍の迷走は日本人の学者などにも研究されていますが、太平洋の試練を読むと日本軍の不可解な部分も良く理解できた他、日本人が日本を研究するには洞察に限界があることも分かりました。戦争もゲームと一緒でミスをした方が敗者になりますが、ミスしても物量的に勝った米国の強さは論外でした。日本は米国と戦争するならば中国大陸の戦争を休止して臨む必要があったにも拘わらず、国力の違いが大きく違うのに二方面の戦争したのは不可解ですが、ドイツの戦争を見れば自分達にも出来ると考えたのでしょう。日本人の精神論は戦後にも企業の中に生き続けていますので、日本人の言語が生み出した文化と言えそうです。そう言えば、米国海軍は台風で艦隊に被害が出たことが記載されており、この台風こそ蒙古襲来での神風であり、太平洋戦争でも神風が吹いたのですが、近代的な軍艦と海を埋め尽くすほどの船舶量では日本の勝利には程遠いものでした。原爆に関しては広島、小倉が対象であったようですが、二番手の原発投下に際しては離陸時からトラブルが続き、一度は行方不明とされた飛行機であり、沖縄の占領基地に戻るだけしか燃料がなくなり、第二候補の長崎にどうにか落としたことが書かれていました。ブログでは書ききれないほどの情報が入った本です。良い本に出合ったことに感謝です。
チャーチルの「第二次世界大戦」を読んで!!
ロシアのウクライナ侵略を見てチャーチルがノーベル賞を得た「第二次世界大戦」を読んでみた。その後に、現在の英国のジョンソン首相が書いた「チャーチルファクター」も補完的な意味で読むことにした。欧州にヒットラーが出現し、短期間に武力で欧州の大半を手中に納めたが、欧州大陸から離れた島国である英国の宰相のチャーチルが徹底抗戦することによってヒットラーの野望を砕いて民主国家を守ったのには不思議な力の存在を感じざるを得なかった。チャーチルの人生は第二次世界大戦で民主国家を守るためにあったような気がしたからだ。チャーチルは英国では名門の貴族の家に生まれたので、本来ならば父親と同様にオックスフォード大学かケンブリッジ大学の何れかに進学して政治家の道を目指したのだろうが、チャーチルは軍の士官学校に入り、軍人としての経験を学んでいる。著書には軍の士官学校に進んだ明確な理由は書かれていなかった。しかし、先祖が欧州の戦いで勝利した家柄を誇りにしていたので、戦争を経験できる軍の士官学校を意図的に目指したと推定も出来る。チャーチルの評伝には学力の面で劣っていたと書かれているものもあるらしいが、多くの著作を見る限り能力がなかったとは思われず、然も金銭的には問題ない家柄であったことを考慮すれば戦いの場に行きたい希望が強かったのかもしれない。チャーチルの個性で興味があるのは母親は米国人であり、その父親は銀行を作ったりしたビジネスで成功した血を引いていることだ。戦闘的な性格や不屈の精神は英国の貴族の先祖と米国の開拓魂を持つビジネスマンの両方の血を引いた結果とも思われる。戦場に臨んだ人の感想は民族を問わなく、最近読んだ辻正信の評伝にも書かれていたが、銃弾から逃げようとすると逆に弾が当たり、銃弾に向かうと意外と弾に当たらないことをチャーチルも書いている。勿論、銃弾が怖いことには違いがなく、怖い以上に他の人とは違う精神を持っているのかもしれない。チャーチルの非凡さは日米のミッドウエイ海戦における日本軍の不可解な行動に関して言及したことを読んで驚くべき洞察力を持っていたことが分かった。チャーチルは日本語が指示伝達に不都合な言語と理解していた。確かに、日本語は英語と比較して曖昧な両方に取れる表現が可能であり、責任の所在が不明確になるし、本来の意図が伝わらない可能性もある。チャーチルはインドは別として黄色人種の日本人や中国人に関心が薄かったとは事実のようだ。それなのに、戦時には不利になる日本語の欠陥を分かっていたのだ。日本は英国と同様に大陸から離れた島国であるのは似ており、大陸との関係も共通点が多い。しかし、米国の支援を得るまでに1年間の間ドイツ・イタリア同盟国と1年以上に亘って孤独な戦いを推進したのには驚くが、それもチャーチが居なかったら展開が違っていた。翻って、今回のロシアとウクライナの戦いは、プーチンをヒットラーに重ね合わせると正に民主国家と専制国家の再現なのだが、プーチンは古ロシアの復活であり、ヒットラーの様な野望は持っていない様だ。しかし、ヒットラーも最初は恐る恐る領土を広げていたので、その時点でフランス等が強硬に対応していれば違った世界があったことを理解いており、欧州各国はプーチンに対する譲歩はない。しかし、今回の火種を作ったのは間違いなく、引退したメルケルドイツ首相だ。メルケルは東ドイツに生まれ、統合後のドイツで首相迄上り詰めた女傑だが、専制国家の中国とロシアに肩入れしていた。メルケルは東ドイツで専制国家が民主国家に敗れたのを経験しているが、物理学者であったメルケルの頭の中に専制国家の郷愁が残っていたのか生まれたと思われる。チャーチルが指摘した様に民主国家は欠点だらけの制度だが、専制国家の様に自由を束縛するのではない大きな利点を見出している。チャーチルが米国人の血を引いている証であろうと推定できる。驚くべきことに、チャーチルは政治家として今の職業安定所や失業給付金など社会福祉制度を1900年に実現している。資本主義の自由な競争社会には救済措置の必要なことを理解しての事だ。軍人として経験を積んできたチャーチルが社会福祉制度の必要性に何時気が付いたのか興味がある。メルケルは中国とロシアに対する経済的な交流で専制国家の新時代の実験を夢見たのかもしれない。メルケルはプーチンは別な世界に生きているとまで分かっていたのに経済交流を進めたのには理由があるはずだ。今回のプーチンの行動もメルケルには分かっていた筈だが、欧州と米国が一体となってウクライナの支援に動くことは想定していなかったと思われる。動かなかった時にはドイツにメルケル主導の専制国家が生まれたかもしれない。現在の英国のジョンソン首相はチャーチルを政治家の師としているので、プーチンの野望の阻止に期待したい所だ。
今回のインフレ現象と45年前の経験が有効か
米中対立、パンデミック、ロシアのウクライナ侵略の結果、経済のグローバル化は見直しを迫られており、物流コスト高、資源エネルギーコスト高などにより日本経済も長きにわたったデフレ経済からインフレ経済に転じようとしています。この間、中間層が減少し、高額所得者層と低所得者層の二極化が進みました。更に、少子高齢化社会に移行し、少子化は加速度的に進んでいます。この様な社会状況下で急激なインフレは日本社会にどの様な影響を及ぼすかを判断するのは重要と言えます。現役世代が定年延長で70歳くらいまでになっていますが、インフレ経済(バブル期を除く)を体験的に知っているのは65才以上であり、特にオイルショックを経験し、急激なインフレと不況によるスタフグレーションを社会人として経験している世代は70才以上となります。日銀はインフレを容認する構えをみせていますが、インフレやデフレの開始時期は緩やかに始まるのではなく、急激に起きて一定段階までは止まりませんので、日銀がインフレ抑制の為に金利を上げるタイミングを間違う可能性は高いと推測します。現時点では、商品価格の値上げが始まっており、予測では5~15%の物価上昇が見込まれています。しかし、値上げは値上げの悪循環が起きますので、今後は物流コストの上昇も相俟って更に物価の上昇が起きると思われます。日本の経営者は50才台が主流になっていますので未経験な今後の状況に素早く対応が出来るかどうかが危ぶまれます。インフレは物価情報ばかりでなく、現金の価値が下がることを意味しますので、インフレヘッジにはお金を物に変える必要が出てきます。過去のインフレ時の様な何でも不動産に投資すれば良いかは少子高齢化社会では出口の問題もあり悩ましい所です。尤も、日本の不動産に投資しているのは過去と違い海外勢がウエイトを占めてきており、香港、台湾からの投資は今後増大することが見込まれますので、海外勢が気に入る物件を購入すれば出口も見えて来ると推測します。ウクライナ戦争以前から地域の紛争の影響から金の価格が既に上昇して来ており、新冷戦の状況が生まれれば持ち運びが便利なダイヤモンドの貴金属も需要が高まると思われます。過去のオイルショック時代と大きく異なるのはリーマンショックなどで各国が財政出動してばら撒いた資金が世界中にフローしており、実体経済と大きく乖離した過剰のドルが存在していることです。供給が不足すればその解消に投資資金が動きますので、供給不足による物価上昇が長期化することはないとも考えられます。この為、日本国内で急激なインフレが生じ、景況が悪いためにスタフグレーションに陥っても中期的には解消される可能性があります。この為、不動産投資などに関しては売買のタイミングを見る必要があります。特にインフレ抑制には金利を上げる事しか方法がありませんので、借入金に関してもキャッシュフローのある投資が必要になります。この為、時間が掛かる開発の投資には要注意かもしれません。
四方田犬彦の”戒厳”を読んで思い出した記憶②
韓流ブームがあり今では韓国語を学ぶことは珍しくないが、私が韓国に関わりを持っていた1970年代に韓国語を学ぶ人は少数派であった。当時はマイナーな外国語を学べる学校も少なく、私は拓殖大学が行っていたアジア語の夜学研修に参加して韓国語を学んだ。尤も、発音が難しく、また仕事が忙しいことと夜の酒席も多かったので、研修に参加する回数が少なく、中途半端に終わってしまった。なお、韓国内では未だ新聞にも漢字が使われていたので、辞書を引けば新聞位は読める程度にはなった。この時期は丁度、作者が日本の大学を卒業して韓国の大学に日本語講師として1年間いた時期と符合する。大分年月が過ぎて分かったのだが、この時期には私の大学の同窓も納入したコンピューターのメンテナンスで韓国に何度も通っていた。今だから話せると聞いた話はKCIAの盗聴用のコンピューターのメンテナンスであり、"戒厳"の作家が日本語検定で内密に呼ばれたKCIAの本部に友人も関係していた。私はKCIAと関りがなかったが、勤務していた会社に韓国のKCIAの職員(軍人「中佐」)から履歴書が送付され、コンサルタントとして雇ってほしい旨の書面が送付されたのを社長から見せられた記憶がある。なお、韓国大使館を訪問した時にトイレを借りようとフロア内を探していたら開放されたドアに髑髏と骨のマークがついている部屋にいた拳銃を持った韓国人にその先に行ってはダメだと咎められたことがある。若しかしたら彼はKCIAの職員だったかもしれない。民主国家になった韓国の今では考えられない世界であったことは確かだ。北朝鮮の工作も盛んに行われており、私にも北朝鮮系の在日の人が接触してきて韓国に行ったときに産業データの資料を入手して欲しいとの依頼があった。驚いたのは私が専門誌の会社を退職して先輩達と創業した会社に彼が訪ねてきたことであった。退職した会社にも言っていないのにどうして居場所が分かったのか不思議であった。彼が来訪した時に事務所に私の兄が偶然来ていて遭遇したのだが、彼が帰った後に素性を聞かれ、人を殺しそうな顔をしていると不気味がられた。なお、韓国と関係ない仕事と分かってからは二度と現れることはなかった。情報を求められたと言えば、KDDが韓国との提携で汚職の疑惑が上がり、共同通信社の記者から食事をご馳走になり、KDDの当時の社長の件に関して韓国でのことを聞かれたことがあった。"戒厳を"読んだ後に当時の色々な事が走馬灯の様に浮かんできた。確かに、当時は反日を思わせるものは見受けられず、多くの年配の韓国人は日本語を話した。尤も、韓国大使館でインタビューした参事官の方は日本語より英語が得意なので、良ければ英語で話したいと言われたので、次世代は日本語より英語を学ぶ傾向が強かったと思われた。日本に駐在していた韓国大使館員の方達は日本人は兄貴、韓国人は弟との言い方もし、日本の労働争議は一定の所で治まるが、韓国では会社が危なくなるまで治まらないと嘆いていた。特に、興味深かったのは、韓国人は日本人の違いに対しては、新築した家に招待された時に韓国人はこの部位はこの素材を使った方が良かったのにと褒めないで貶すことの国民性を指摘していた。良く考えると妬みの感情が強いことが分かる。日本に対する妬みが反日になったのかとも考えるが、当時は日本に対する妬みより長所を理解して我々も日本に学ぶ必要があるとの姿勢が強く感じられた。軍事政権から民主的な政権に変わってから反日が浮上してきたことには違和感を覚える。特に、全羅南道と言う古代の百済国のエリアの人達が特に反日が強いとも言われており、聖徳太子時代には兄弟国の様に親しかったのを考えると複雑な思いである。しかし、在日の方で日本の大学で学び会計士として事務所の経営を行っている方の結婚式に参列した時に奥さんは日本人であったのだが、韓国人の来賓の方の挨拶で日本と韓国は再度合併するべきだと話された時には驚いた。北朝鮮系の朝鮮総連の人達と韓国系の民団の人達とはかなり日本人に対する考え方に違いがあり、韓国で起きている反日は正に北朝鮮系の人達と考え方を一にしていると思われる。現在の韓国の反日は民主政権が意図的に韓国と日本を乖離させようとしているのではないかと思われる。
四方田犬彦の”戒厳”を読んで思い出した記憶①
小説かノンフィクションか不明な本だが、購入動機は書評で立った1年しか滞在しなかった外国の昔のことを今頃になって執拗に書いたのか分からないと言う点と外国が韓国であったこと、更には本で書かれている時代に私も韓国に関わっていたことによる。遠い記憶、今から45年前の事だ。韓国は今年の3月に大統領の選挙があり、保守系の伊氏が当選したのだが、相当きわどい選挙だった。尤も、民主主義的な選挙によって選ばれた大統領の時代になって韓国も長いが、今から45年前の韓国は軍事政権の朴大統領が君臨していた。それが、"戒厳"の中でも書かれているが、朴大統領が部下のKCIAの親玉に暗殺され、その時に私も専門誌の記者として韓国と関わっていたので懐かしい記憶と今では想像がつかないと思われるが、北朝鮮と韓国が厳しく対峙していた時であったので様々な体験もした。朴大統領は過去の韓国の大統領の中では唯一私欲を持たずに国家の事だけを考えた政治家であった。勿論、北朝鮮と厳しい対立をしていたので、国内の治安に対しては必要以上に厳しく、若い世代が望んだ自由な民主主義を実現する余裕のない状況であった。軍事クーデターで政権を作った時には韓国はアフリカと同等の貧しさであり、朴大統領が日本から賠償金を取り付けてその資金を基に国家の経済基盤を整備し、漢江の奇跡と言われた経済成長を実現して国家を豊かにした。しかし、軍事政権時代の圧政だけに注目されて最後には非業の死を遂げたのには同情せざるを得ない。朴大統領の暗殺事件には当時の米国のカーター大統領の影響があったと思われる。敬虔なプロテスタントであったカーター大統領が韓国を訪問し、朴大統領に民主化を求めたのを時期尚早と拒絶したことがカーターの怒りを買ったと言われている。そのことが朴大統領に不満を持つ勢力に暗殺と言う手段を実行させる動機になったのは事実と思われる。朴政権は本人は精錬潔癖であったが、政権を構成する人達は金儲けに励み、ダーティな人物が多かった。(②に続く)
歴史から学べるか
コロナ下でロシアのウクライナ侵攻で戦争が始まりエネルギー資源、農産物などに関しては価格の上昇が始まりました。日本はデフレ経済から脱却できず価格を商品に転嫁できずに推移してきましたが、パンデミックに続きロシアのウクライナ侵攻で起きる物価上昇には従来の対応では乗り切れず、バブル経済以降の物価上昇が起きる可能性が強くなりました。問題は物価上昇が経済低成長率下ですのでスタフグレーションになることが懸念されます。ロシアとウクライナの停戦が成立しても欧米諸国のロシアに対する経済制裁は続きますので、少なくても3年はロシアに対する経済制裁により世界経済の悪影響が続くと予想されますので、企業個人がスタフグレーションを乗り切るかが問われそうです。日本におけるスタフグレーションは今から45年前に起きています。当時はオイルショックで原油価格が高騰し、世界経済が不況に陥りました。この時には福田内閣が赤字国債(建設)を戦後初めて発行し、原油に変わる代替エネルギーの開発など推進し、企業は技術開発によるコスト削減を進めて世界に先駆けてスタフグレーションを克服しました。尤も、これがその後にバブル経済を生むことになったのは皮肉な歴史です。今回は当時と異なり膨大な赤字国債発行残高を抱えており、政府主導のスタフグレーションの克服は厳しいと思われます。この為、幸いにも過去にないAI技術など技術革命が進んでいるので、民間企業主導でスタフグレーションの克服が求められそうです。この企業活動で懸念されるのは金利の動向と推定されます。現行金利水準の維持を日銀が出来るのかが最大の課題と言えそうです。企業はデフレ経済下の低金利を前提とした事業を推進してきたので、金利の上昇が起きると多くの企業が経営難に陥る可能性が高くなります。物価上昇が先行し、次に人件費の上昇、更に金利の上昇と続くことが予想されますが、問題はこの状況の中で借入金は増やした方が良いか減らした方が良いかと言うことです。単純に考えれば、物の価格が上がるインフレ時には借入金の返済は軽くなるのですが、今回の場合いには金利負担の増加の克服が明暗を分けると思われます。要はキャッシュフローが潤沢ならば借入金を増やすべきだが、その反対ならば借入金を出来るだけ減らすのがリスク軽減になると思われます。勿論、以上の予測は飽くまで現時点での見方であり、今後の状況次第で見方を修正する必要がありますことを申し上げます。
不動産仲介業の未来
NY在住の知人から日本に居るご子息が不動産管理のプラットフォームの立ち上げに関係しているメールが入り、私に意見が聞きたいと言うものであった。今流行りの直接業者とユーザーを繋ぐプラットフォームだが、登録業者の与信管理や修繕工事のチェックをどうするのか気になった。その様な中で不動産仲介業にもプラットフォームの構築が進んでおり、既存の仲介業者を除いて取引コストを安くすることを謳い文句にしている。このプラットフォームで評価したのは、物件の室内にAIセンサーロボットを配置し、「騒音」や「日照」について環境データが取れることだ。不動産業者として物件を視察する際には騒音と日照が気になるので何度か現地に赴いたものだが、AIセンサーロボットが代行してくれるので買い手や借主は現地に何度も足を運ぶ必要がなくなる。更に、ロボットにカメラをつけて室内を見ることが出来ることも可能としている。今でも物件にWEBカメラを設置して室内を遠隔地から見ることが出来るサービスがある。借り手や書い手は時間が取れる時に物件内を視察できるので相当に便利と言える。物件の内覧に関しては仲介業者が不要と言えるが、残るは物件自体の調査と言える。重要事項に記載する事項に関してはデータ化出来るのはAIによって可能と思われるが、想像力が必要な事項に関しては当面は人の力に依存するしかないと思われる。AIに関しては専門分野の単独の問題は可能だが、総合的なAIの出現の目途はたっていない。この為、現在では、それぞれの専門的なAIを複数設置して統合的な活用を模索している。何れにしても仲介業務の多くが人の手から離れると思われるが、不動産仲介業務がなくなるかどうかはデジタル社会で育った世代が必要と考えるかと思われる。
サービス業の究極的な顧客対応
ホテルなどのサービス業は今回の新型コロナ感染で大きな影響を受けたのだが、その中でも流石に帝国ホテルは顧客の情報を大事に取り扱っていると改めて再確認した。今から34年前の先代社長時代にアーバン虎ノ門ビルの落成式祝賀と開発会社の創立8周年を兼ねて帝国ホテルで式典を開いた。この時は私は取締役統括部長の職責にあり、壇上で出席の方々に会社の後継者としてお礼のご挨拶を述べた。バブル経済の真っ只中であったので、多くの方々の出席を得て盛大に行うことが出来た。しかし、その後はバブル経済の崩壊や先代社長の早い永眠もあり、帝国ホテルで宴を開くこともなかった。当時は開発会社として宴会を開いたので、持株会社である親会社に関しては帝国ホテル側ではあまり認識はなかったと思われる。しかし、現在親会社の後継者になっている甥が子供時代に参加した帝国ホテルでの式典に強い印象を受けていたのか分からないが、この度帝国ホテルで記念式典を開く計画を立案し帝国ホテルに打診した所、34年前の式典の内容を持参して営業マンが来社した。当時の統括部長の私が現在会長になっていることも確認しての資料で、甥の社長は感激していた。正に一期一会の再来だ。確かに、帝国ホテルではないが、同様の格式のあるホテルに先代社長と一緒に車で行ったときに、ホテルのドアマンが私に先代社長の姓を聞いてきたことがある。帰りにドアを出た時にドアマンが名前を告げて運転手を呼んだのを聞いてサービスの仕方に一流は違うと思ったのを思い出した。その後、そのホテルに再度行った時にドアマンは名前を記憶していて再度聞かなくても運転手を呼び出した。新型コロナでサービス業が大きな影響を受けたので、アフターコロナの社会変化でホテルのサービスも変わる可能性もあるかと思いを巡らした。帝国ホテルは建て替え計画が予定されていることが新聞記事に出ていたので、現行の建物で式典が行えれば先代社長に良い土産話になると思った次第だ。
日本語は高文脈言語
日本語は高文脈言語だそうだ。それに対してグローバルな言語としての英語は低文脈言語と言われている。日常使う言語で思考も形成されるので、言語文化の違いで意思疎通が図れない場合も起きそうだ。日本では"忖度"が話題になるが、英語の言語を使う人にとってはではありえない世界だ。もっとも、日本語を使う日本人でも地域差があるのは確かだ。それを理解したのはパートナーとの出会いだ。私は出身が茨城県北部だが、パートナーは広島県出身だ。茨城県に北部を加えたのは茨城県の中でも違いがあるからだ。実は茨城県北部の人達は、明後日のことを明日明後日と表現する。当然に一昨日を昨日一昨日と表現する。この表現は正に英語の表現と同じだからだ。明後日は英語で「The day after tomorrow」、同様に一昨日は「The day befor yesterday」、英語圏の人と同様に茨城人は忖度しない県民でもある。反対に広島県人は忖度の典型的な県民だと思われる。以前に、一級建築士で故郷の建設会社に転職した人から聞いた話では、「のう↗)」、「のう→」、「のう↘」の3通りの言い方で通じるらしい。その知人は転職前に長く東京の会社に勤務していたので、転職して最初は戸惑ったらしいが、改めて余計なことを言わずに通じる文化を思い出したらしい。勿論、広島県人は比較的に口数が少ないが、上記の3通りで全てが通じるわけではない。私の経験では、義兄と義姉の会話で尾道ラーメンが食べたかったのに日本蕎麦屋に連れられてしまった出来事があった。然し乍ら、日本人は古来「沈黙は金」、「雄弁は銀」の表現があるので、私の様な茨城人は日本人としては少数の部類かもしれない。過去に米国人の女性と結婚し米国から帰国していた秋田出身の知人に、関さんと出会って「沈黙は金」と言うのは間違いだと気が付いたと冗談で言われたことがある。知人は米国人の女性と結婚して口数が少ないから大変ではないかと思っていたら、知人の奥さんが彼の事を余り話さないので困ると言っていた。英語圏の人は無口ではないのだと思った次第だ。そう考えると、中国人は良く喋るので、英語圏の人達とは相性が良いのではと思ったが、中国語自体は饒舌な言語ではないと思われる。ビジネスでは互いに理解しないと商談にならないが、茨城人は忖度も出来ない上に媚びないので生き方は下手で、事業家としては大成した人は少ない。英語圏に生まれたら成功していたかもしれないが。
行政の財政問題に会計学を持ち込むのは正しいのか
中央官庁や地方の自治体に財政検証に関して会計学を採用する事例が多くなった。会計学といってもBS(貸借対照表)・PL(損益計算書)を予算の中に取り入れろと言う主張だ。この主張は借金ばかりを強調するのではなく、資産も公表して財政の健全化を見るべきとの事なので、一見すると正しいように思ってしまう。しかし、文芸春秋に矢野財務次官がばらまき政策を批判した投稿に対して元財務官僚の高橋洋一と言う人が"矢野財務事務次官は会計を知らない"と言って投稿記事をメディアで非難した。高橋洋一は会計上で見ると国には膨大な資産があるので1000兆円などの赤字国債は問題ないと発言した。これに対して、メディアのMCの方が資産と言っても道路など直ぐに換金できないものが多いのではないかと意見を述べた所、高橋洋一は金融機関から資産を担保にして借りれば良いとの回答であった。確か、高橋洋一は日本維新の会のアドバイザーとして有名な方で、その他の地方自治体のアドバイザーにも名前が出ていたことを思い出した。財政検証に行政が破綻するかどうかの目安に資産を確認しておく必要はあるかもしれないが、一つ大きな誤りを犯しているのが分かった。それは資産があれば金融機関は金を出すと言う昔の時代の考え方で話していることだ。バブル経済までは担保主義で金融機関は貸し出していたが、現在はその反省を踏まえてキャッシュフロー重視になっているのにである。日本国は収入約50兆円に対して支出は100兆円と言うサラ金財政を行っている。企業で言えばキャッシュフローが大幅なマイナスであるので、もし資金を借り入れたとしても金利と元本返済には資産を食いつぶして凌ぐしかないのだ。高橋洋一は更に財政投融資にも言及していたが、過去の財政投融資の資金源は郵便貯金であったことを忘れているのかと思った。郵政民営化で財政投融資の資金は何処から出ているかだ。維新の会は明治維新の再生を狙ってのネーミングなのだろうが、明治期は民間資本が少なかったので国家資本が事業の本を作り出して民間に払い下げたのだが、令和の時代に国家の資産を売却すると言うことは国民の生活に負担を掛けることだ。明治時代とは全く状況が異なる。行政は赤字でも金融機関は金を貸すだろうが、それは甘えに過ぎない。1000兆円の赤字国債発行に問題ないと言うならば、企業と同等の目線で物事を判断するべきだ。話にならない議論で国民を騙すには国家反逆罪だ。