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デフレ経済で失職する人が多くなったのでインフレ経済で構築された教育システムにも問題が出てきた。民主党は高校の義務教育化をマニフェストに掲げているが、人材教育を考えた場合に本当に18歳迄義務教育を続ける必要があるのだろうかと考えざるを得ない。私の時代には金の卵と言われた中学卒業の集団就職が存在した。私の故郷は茨城県北部の寒村であったために高校の進学率は50%は超えていたと思うが、大学進学率は20%以下であったと記憶している。この時代には能力があるにも拘らず進学できなかった者も多くいたので、その後の豊かな社会で進学率が上がった事に関しては否定しない。しかし、文部科学省は教育の質よりインフレ経済下の予算増により教育の量を求めてきた結果、高校進学率や大学進学率は向上したが、自発的に進学を希望しない子供達まで進学させる教育制度が親子関係を崩壊させ、教育者の無気力を生じさせてしまった責任は重い。戦後の教育制度は米国の教育システムを導入したものだが、基本的に米国と違うのは日本の教育制度にはレベルアップの柔軟性と入学後の厳しさが欠如している点である。高学歴イコール高収入・安定と言う幻想を作り上げた結果、普通教育偏重の教育評価システムとなり、我々の時代にはレベルの高かった工業高等学校、商業高等学校、工業高等専門学校などが普通高校と比較して地盤沈下してしまった。本当の教育制度とは普通課教育に偏重することなく低年齢における専門教育制度を充実させて子供達の選択肢を広げることと考える。大学進学を前提とした普通課教育偏重は間違っており、専門学校からも優先的に大学進学のルートを設けておけば偏重することはなかったと思われる。米国では軍隊に入って一定期間勤務して奨学金を得て大学に進学している者もいると聞くので、日本でも自衛隊に入隊して一定期間勤務すれば大学進学と奨学金が得られるようにすれば、親の負担も無くて良いと思われる。何れにしても、親の資力と関係なく専門教育を得る事が出来る制度を作る必要もあると考える。今回の経済不況では、親が失職して学校を中退を余儀なくされる子供達も多いと思われるが、経済的に問題があって中退する必要があった時には①夜間部の転入、②再入学の権利によって救済する制度も必要と考える。なお、夜間部の開始時間が早いので勤務している場合には問題が多いので、少なくても開始時間を午後7時にする配慮も必要である。財政難もあって教育に対しての予算も今後は縮小を余儀なくされると思われるので、教育制度自体を大幅に変更して子供達にとって有意義な教育システムにすることが重要であり、見直す好機と思われる。

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日本の高齢化社会到来は20年以上前から予測されていた。しかし、政治家と行政はこの間に何を政策として実現してきたのだろうかと考えざるを得ない。昨日のTVで東京都品川区役所が高齢者用賃貸住宅の建設に着手した事が放送された。その放送の中で高齢な女性が不動産屋に賃貸住宅を依頼しても殆んど断られると発言していた。若い方がこのTVを見ても深刻に考えることはなく、「逆になぜ借り難いエリアに住んでいるのかとか」、「子供と一緒に住めば良いのにとか」、「若いとき浪費して家も買っていないのだから仕方ないとか」考えて聞き流すのではないかと推測できる。同様に、長く政権を担っていた自民党の政治家連中の口癖が、若い時に倹約した生活を送らなかった人達まで救済する必要があるのかという発言であった。更に、現代社会は能力のある人達が高収入を得られる様なシステムでなければ社会が活性化されず経済成長も望めないと言う意見が主流となる格差社会が現出して弱者に対する救済が形骸化してしまった。経済バブルが崩壊した15年以上前に「勝ち組」、「負け組」などの言葉が流行語になり、日本社会は優しさを失っていった。私が若い頃上司から「給料以上の仕事が出来る社員は2割」、「給料に見合った仕事しか出来ない社員が6割」、「給料以下の仕事しか出来ない社員が2割」と言う話を聞かされた。私も若かったのでその上司に駄目な社員の2割をなぜ首にしないのかと質問したのである。その質問に対して上司は2割を辞めさせても組織と言うのは必ず又給料以下の2割りの社員が出現すると言うことであった。この話はイソップ物語と混同するが、子供にでも分かるのは一所懸命努力しても報われない事があり、社会は必然的に「負け組」を作り出して全体のバランスを保っていると言う現実である。このために、行政機関はセーフティネットを構築しているのであるが、弱者の痛みを理解出来ない政治家や行政マンによって高齢者用の賃貸住宅問題は放置されてきたのである。財政難で高齢者用賃貸住宅建設が難しいと言うなら未だ建替える必要のない議員宿舎の建設は何なのだと言いたい。独立行政法人の都市整備機構など高額な賃貸住宅を建設しているが、民間が出来る事業など機構などが行なう必要はないのに、なぜ定額の高齢者用賃貸住宅の建設を行なわないのかと憤慨する。高額の税金を納めた人達だけに行政サービスを行なえば良い様な考え方は国家の喪失に繋がるのである。今の政治家と役人に聖徳太子を学べと言いたいと思ったが、連中は聖徳太子を煙たがって紙幣から肖像画を消してしまったことに気が付いた。地方行政でも心ある所は高齢者用住宅の建設などに乗り出しているので、民間側としても企画力や知恵で側面支援を行う事が出来ればと考える。

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過去の予算編成によって生み出された巨大な国家借金は国民がおねだりした結果の様な論調であるが、八ツ場ダム計画一つとってもが地元住民の要請で始まったものではなく、官僚と政治家が勝手に地元の意見など無視して決定したものである。道路計画でも予算ありきから地元に要望を聞いたのである。逆に、国民が希望した施設などは無視されるか、受け入れられたとしても話にならない程小規模な事業なのが現実であった。「おねだり民主主義の限界」などと書いた記事を見ると、現場を何も知らない記者や学者が意図的に政治家や官僚でなく国民に責任転嫁させる悪質な世論誘導と思わざるを得ない。民主党政権になって「子供手当て」や「農業個別所得補償制度」などが予算計上される様だが、国民は財政赤字を拡大してまで要求していないのである。又、高校まで義務教育化に関しても国民が優先的に行なって欲しい事でもないのである。今の政治は正に街頭で行なわれているアンケート調査と同じで、本人が答えを出す前に意図的に答えを誘導するやり方である。今、国民が一番願っているのは国会議員から地方議員までの大幅な議員数の削減であり、行政組織の整理統合である。私の故郷の茨城県の県会議員どもは県の住宅供給公社が1000億円ものの赤字を作っているにも拘わらず放置しており、市町村議員が合併により削減されているのに議員定数を減らす考えもない。もちろん、それらの議員を選んでいるのは県民なのでそういう意味では県民の責任ある。しかし、マスコミなどが報道を行なわなければ国民は日常生活に追われて県や国の財政問題などは普通は考えられないのが実情である。現行制度では投票率に拘わらず議員が選ばれてしまうことや拒否権はない。このため、政治を良くするには選挙イコール議員選出でない制度の確立を求めることが必要であり、その実現を約束する政治家を選べば社会は変わると考える。

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今朝電車の中で工事現場で働く作業員の方が仲間と雑談をしていたが、一人の年配の作業員が「人格がない奴は上に立ってはいけないよ」と大きな声で言っていた。作業員の方の指摘は正にその通りであるが、彼が憤って言ったのを聞くと彼等の職場も上に立っている者に人格者はいないのであろうと思われた。最近、書店では"人格"とか"品格"とかを取り上げた本が多く並んでいるのを目にする。私の理解では人格や品格の喪失は高学歴の人達の問題と思ったら今朝の作業員の会話で社会全体であることが分かった。そう言えば、当社が管理しているビルのテナントで同じ職業なのだが好対照の事例があった。それぞれのテナントの入居しているビルは違うのだが、職業は同じ弁護士である。両弁護士とも個別的な事情があり賃料の引き下げを要請してきたのである。一人の弁護士は当社担当者に対し横柄な態度で一方的に大幅な賃料引き下げを要請してきた。もう一方の弁護士の方は、現行賃料がビルの格から言えば妥当と思うが、諸般の事情により多少でも賃料を引き下げて頂けないかと当社担当者に対し低姿勢で要請してきた。当然に両物件共に管理物件であるため要請に対してはオーナーの了解が必要であるので、当社ではオーナーに要請を伝えたがこの要請に対してオーナーの方も又対応が好対照であった。良いテナントには良いオーナーが、人格に問題があるテナントには同様なオーナーの典型的な例となった。結果は言うまでもなく、良いテナントの方はオーナーの理解を得て直ぐに解決したが、悪いテナントの方は現在調停に入っており、間違いなく調停は不調に終わるので裁判となるものと推測される。しかし、本当に現在の社会は地位に相応しくない者が地位を得ているので良い社会にはならないと思われる。人格、品格そして器量が上に立つ者や経営者の資質であることを肝に銘じたい。

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先日TVを見ていたら海外の日本大使館付き料理人に関する番組を放送していた。危険な地域の大使館には日本の料理人が募集に応じないので、アジア人の料理人に日本料理を覚えさせて派遣するためにアジア人料理人達に日本料理を指導している番組であった。料理人派遣の目的は、海外の諸国の政府要人に日本料理を食させて友好を図ることと説明していた。派遣料理人はパーティ以外には大使や公使の家族に料理を作ることの仕事も兼務しているらしいが、実際には大使等の家族用の料理人であろう。今は日本国家が経費節減しなければならない時であるので先ず切り捨てなければ成らないのはお抱え料理人制度であろう。日本料理を食させて親交を深めるなどお笑い種であるのは、国賓ないしは国賓待遇が来日した時に迎賓館で出す料理がフランス料理であることで自明である。確か、有名なフランス料理店キハチのオーナーシェフは大使館のお抱え料理人出身と雑誌に書かれていたので、何がお抱え料理人は日本料理人かと言いたい。日本航空の救済と同様で、政治家の馬鹿野郎共は海外に行った時に大使館員に世話させるために出先の大使館に対する厚遇措置を継続しているのである。民主党も無駄使いを失くす作業を行なうなら国益を得るのに役にも立っていない海外の大使館の人数や施設、システムに対して合理化を行なうべきである。大使婦人も外交を担っているから専属の料理人が必要と言うかもしれないが、女性が必要なら女子職員を使うことで充分である。お抱え料理人を必要とする時代ではないことを知るべきである。

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イラン問題、日本国債、増税問題などの記事を読むと何処の国の代弁者かと勘違いする内容である。耳学問だけで記事を書いている新聞記者が外国の情報機関に取り込まれるケースは今に始まったことではないが、最近の記事を読むと特にその傾向が強まっている。イラン問題然り。欧米諸国が北朝鮮の核問題に対して日本を無視した頭越しの外交を非難せずに、イランの核問題では必要以上に危機感を煽り、日本も同調するのは当たり前と言わんばかりの論調である。イランの核問題などユダヤ・キリスト教とイスラム教の争いに日本が巻き込まれる事は国益を損なうのである。フランスとドイツなどイラク攻撃に対してはイラク国内に利権を有していたので攻撃に対して反対したが、イランに対しては利権を有していないので一転して今度は米国に追従している。日本がイランにおいてどの位国益を有しているかを考えれば制裁強化などに同調する事は出来ないのは自明の利である。他国が国益で動いているのに、日本のマスコミはその様な事を無視してイラン問題を欧米に同調させる論調を展開する事は国賊ものである。日本国債問題でも然りである。悪戯に危機感ばかり煽って増税が避けられないとの論調だが、その前に国会議員数の大幅な削減と行政組織の大リストラが前提であるのに、その様な記事を書いた新聞を読んだことがない。民主党が2大政党のモデルにしている英国など両党の国会議員が歳費の増大ばかりを行なっているので、両党とも過半数を取れない状況に追い込まれている。その様な状況を承知の上で2大政党論を支持しているマスコミなど過去の遺物に過ぎない。普天間基地問題でもマスコミは大騒ぎしているが、グローバル経済にあって局地戦以外の戦争など起こりはしないのに必要以上の冷戦前の危機感を煽らせている。局地戦の戦力位自前で行なわなければ世界から相手にされないのに属国意識が抜けないマスコミには呆れる。欧米諸国は北朝鮮を利用して北東アジアの分裂を考えているので日本の意見など無視されるのは当然なのにマスコミはその延長の報道ばかりである。国益とは国民の生命財産を守る事も意味しているが、日本のマスコミなど口先ばかりで真の国益を考えた報道など一つも行っていない。新聞報道など信じないことが人生を間違わない方法である。

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大阪高裁が更新料の支払は消費契約に抵触するとして無効判決を決定した。判決文を読んでいないので詳細は不明だが、インターネット情報を見ると契約概要は賃料38,000円、契約1年毎に更新料賃料の2ヶ月、他に定額補修分担金なるものを課していたとのことである。確かに、契約1年毎に更新料として賃料の2ヶ月分、更に定額補修分担金を見る限り、一般的な契約から逸脱していると判断出来る。しかし、契約形式は様々な形態があった方が借りる人に取っては選択肢が広がるのでプラスの面がある。今回の契約で問題なのは、通常の契約と比較して賃借人が著しく不利な契約を強いられていると言う事なのであろうが、現代は多くの賃貸しマンションが様々な条件で入居者を募集しており、賃借人はこの物件以外の選択肢が無かったわけではないと推測する。誰が見ても、賃料38,000円は安いと判断できるので、1年毎の更新料として支払った賃料の2ヶ月分を月額に換算すると6,333円であり、この金額を賃料38,000円に加算した場合には、賃料は44,333円となる。入居物件の相場としてこの賃料が高いのか安いのかであろう。この契約方式は後払い方式の変形と看做すことも出来る。厄介な問題は定額補修費の徴収と考えられるが、此れにしても上記の考え方で月額に均したとすれば賃料は相場と比較して高いのか安いのかと言うことであろう。選択肢の多い時代に消費契約から判断すれば違法であると結論付けられては、管理会社の企画力が否定されてしまう。高齢化社会で判断が劣る高齢者の保護のために成立したと考えられる諸費者契約法が過剰な消費者保護となれば企業の自由度が失われてしまい、日本全体の活力がなくなる恐れがある。実務を知らない裁判官が誤った方向に導いてしまう怖さがある。

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政治家の人気取りや馬鹿さ加減には本当に呆れる。この法案は推測するに弁護士に意見を求めた結果であろうが、弁護士が商売になる件を弁護士に聞くのは「泥棒に店番させる様なもの」であることを分かっていない。最近、賃料を延滞した賃借人に対して強引に部屋を明渡させる業者がいることを新聞で取り上げられているが、この強引な明け渡しを行なっているのは殆んどが賃料保証会社である。従来の建物管理を行なっている不動産業者ではないことにTVや新聞では触れていない。日本の場合は既に借家借家法で賃借人は手厚く保護されているにも関わらず、民主党は大衆迎合主義的な発想で屋上屋を重ねる賃借人保護法など成立させようとしている。賃料延滞の件に関して行き過ぎ行為を規制するなら保証会社に対して行なうべきであり、新たな賃借人保護法案などモラル欠如の助長を促すだけである。当社も長く建物管理を行なってきているが、問題となる滞納者は連絡が取れなかったりする悪質者が多い。特に悪質者は契約書を逆手にとって小額のお金を振り込んで滞納額を減らさない者がいるからである。尤も、同法案に反対する最大の理由は、この法案により入居審査が厳しくなり賃借人に不利な状況が起きる可能性を憂慮するからである。一つの法案がどの様な結果をもたらすかのシュミレーションも余りせずに場当たり的な発想で問題処理が行なわれていることを思うと憤りを感じる。

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民主党は財務省主導で増税路線に舵を切ろうとしているが、この政策は企業と国民を苦しめるだけで何の益ももたらさない。景気回復の大義名分で財政赤字を垂れ流し、金銭的な感覚を失った官僚は更に財政危機を助長している。日本はサラ金財政を続けているので更に赤字国債を発行するのは緊急的な一時的な措置以外考えられないものであった。しかし、驚くべき事に過去15年で600兆円の財政赤字を増やしながら政治家も官僚も無責任な先送りに終始してきた。それは増税すればどうにかなると言う資産家の馬鹿息子が親の財産を当てにして放蕩を繰り返す様と何等変わらない考えである。その状況に対し国民は期待して民主党政権を選択したのではなく、自民党では国が消滅する危機感でやむを得ない選択であったが、民主党もパフォーマンスだけで財務省主導の増税路線に舵を切ろうとしている。増税によって国民から富を奪い、企業から含み利益をを収奪した後は日本と言う国の未来はない。極めて遺憾なのは、全政党が赤字財政を改善するのに増税しか念頭にないことである。増税こそ官僚の思う壺である事に気づく政治家は一人もいない。馬鹿な政治家は行政にもバランスシートを導入して赤字の事業をなくすると言っているが、利益を出せる事業なら行政機関が行なう必要はないことにも気づかないでいる。独立行政法人で民間企業と同様な事業を行なっているにも拘らず民営化しないのは言語道断である。新聞報道によれば民主党は予算の仕分け作業の強化で無駄を省く様だが、先にやる事は自分達国会議員に対する各種手当てのカットからである。身を正しくしなければ人は付いてこないのは自明の理である。また、仕分けのパフォーマンスで誤魔化されて行政機構の大リストラが手付かずになっていることに国民は危惧すべきである。民主党政権は労働組合の支援を受けているので基本的には高級官僚の天下りの規制は出来るが、公務員の民間レベルのリストラなど出来はしないことが明確に分かった。増税の前に政治と官僚組織の大リストラが先である。増税しなければ国が滅ぶと言っているが、滅ぶのは国会と官僚組織であり、国ではない。

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マスコミは盛んに民主党のマニフェストに対して理想と現実対応を指摘してマニフェスト通りに政治を行なう弊害を報道している。マスコミのこの様な無責任は今に始まった訳ではないが、フザケルなと言いたい。選挙民が唯一政党間の政策の違いと将来を託して投票の基準にするのがマニフェストであろう。ただ政権交代だけすれば良いと言う考え方で投票している訳ではない。それがマスコミは学者などの言葉を借りて現実的でないマニフェストなど守らなくても良いとか見直すべきだと紙面で扇動している。国民に選ばれた存在でもないのに偉そうな態度で無責任に報じている姿は国民を馬鹿にしたものである。IT社会では新聞の存在感は薄れており、どうにかチラシの存在で生き残っている程新聞と国民の考え方は乖離していることをマスコミは知るべきである。特に、記者クラブ制度で碌に取材もしないで発表記事しか書いていない記者など時代遅れの遺物である。情報化時代になって多くの情報が新聞以外に得られる時代になったので、漸く国民は自分の頭で考えられる様になった。上から目線でなく国民目線で考えられるようにマスコミに高い給与を払わせないように広告料を下げさせるべきである。