中国に偏見を持った歴史を知らない若い人に薦めたい1冊である。この本は明の時代の倭寇から中国の「反日」の源流があることを書いている。現代の中国の軍備拡張は過去に他国から植民地同様に扱われ、日本軍に国土を蹂躙された苦い経験からなので、歴史を学ばない若い人が米国と同様に中国の軍拡に反対しても意味がない。本を読むと、今の中国指導者層が懸念しているのは、中国の国体の存在が日本などと違い、明と清の時代と変わらず、人民と国家に一体感がない事であるのが分かる。国家と人民が一体化でないのは中国人に刻まれたDNAであり、短期間には変えられないと思われる。中国の指導者にとって米国的民主主義を受け入れるには国家と人民の一体化を確立する必要があり、それには国の豊かさが必要と考えていると推定できる。江沢民が進めた愛国反日教育も国家と人民の一体感を何とか構築して外国の干渉から国を守る意図があったと考えられる。この本を読むと、中国指導者の防衛ラインは明の時代にあることも分かり、朝貢していた琉球を独立国として保護の対象としていた中国からすれば、尖閣諸島は明治時代に日本に簒奪された領土になる。このため、今後とも日本と中国は尖閣諸島で争いが起きる事は明白であり、尖閣諸島防衛に際しては、現在の様に米国の軍事力に頼るのか、独自に中国に対抗する海上防衛力を強化するかで議論が分かれると思われる。中国としては、江沢民前国家主席の様に日本が米国の支配下に置かれて独自の軍事力を強化しない方を望む勢力と、胡錦濤国家主席の様に日本が米国の支配から脱し、真のアジアの国家として欧米諸国と対抗できるパートナーになることを望む勢力が存在すると考えられる。欧米諸国からすれば、経済大国の日本と中国が手を結ぶより、歴史的な経緯から対抗することを期待していると思われ、日本国内に反中国の声が大きくなる事を喜んでいる。アジア経済を支配したい米国などは本音では日中の軋轢で双方が足の引っ張り合いをすることを望んでいるはずだ。日本は過去150年の歴史を振り返り、中国との理想的な関係の構築に注力し、二度と武力で争う愚は犯さないことを肝に銘じるべきだ。隣国の中国が大国化するのは地政学的に日本に有利に働くことを忘れてはならない。
現代日本の今昔物語
日本人が豊かさの階段を登り始めたのは何時頃からなのかと考えると、一般大衆的には今から41年前の1970年のモータリゼーションの始まりと言える。日本が豊かになりつつあったと言っても、東京都内の練馬区や板橋区でも未だ下水道が100%普及していなかったのが現実である。先進国の目安は上下水道の普及率と言われた時代であったので、その点から言えば日本は先進国には程遠いインフラ未整備国家であった。今でこそ公共投資は悪者扱いだが、今から41年前の日本は高速道路網も少なく、舗装道路も国道止まりと言った具合であった。そう言えば、今は地下鉄車両に冷房が入っているのは当然と思われているが、豊かさの階段の入り口時代には地下鉄車両には冷房が入っていなくて夏は蒸し風呂状態であった。その当時聞いた話では地下鉄車両には冷房を入れることが出来ないとの事であったが、人の話とはいい加減なものである事が良く分かる。日本人が本当の豊かさを感じるのはモータリゼーションから15年後の1985年ではないかと考える。1985年はプラザ合意で急激な円高となり海外の製品が安く入手出来る様になった時代である。又、海外旅行も手軽に行ける様になった時代でもある。時代を振り返ると、日本は1984年頃から土地バブルが始まり、企業の株も鰻登りに上がり、ゴルフが大衆スポーツとして人気が出てきた。この時点では高速道路も日本中で繋がり、港湾整備や空港整備、そして地方の上下水道の普及工事も達成した感があった。しかし、プラザ合意後の内需拡大の日米合意500兆円公共投資事業計画が新たに浮上し、この時期から無駄と言われる公共投資事業が始まったのである。この事に関してはマスコミも一切報道しないので、無駄な公共事業は政治家とゼネコンと官僚が仕組んだものとの誤解がある。勿論、米国の圧力合意に便乗した政治家やゼネコンや官僚が居た事も確かだが、遣らなくても良い公共事業を進めた背景には米国の介在がある事を忘れると今後の日本再生で誤る事になる。経済バブル開始から10年後の今から16年前の1995年にバブル経済は崩壊し、直ぐに阪神大震災が起きるなど日本の前途に暗い影を落とした。話は変わるが、焼肉屋のユッケ事件の牛肉に関しては、36年前は高級食材で気軽に庶民が食べられなかった記憶がある。26年前の時点でも焼肉店は高級なイメージがあり、主として接待などに利用していた。偶然のだが、1987年にインテリジェントビルと呼ばれた大型ビルを虎ノ門に竣工させた時に入居したテナントが牛肉の輸入業者であり、それで牛肉の輸入は割当制度の利権であった事を知った。尤も、記憶ではその1~2年後に牛肉の輸入自由化が始まり、その種の利権がなくなり、スーパーの牛肉が大幅に安くなったことを覚えている。勿論、幾ら安くなっても牛肉は牛肉なので、その20年後に280円で食べられるユッケが出回るとは思いもしなかった。話を本題に戻すと、バブル経済崩壊後の10年後の2005年は当時は未だ実感がなかったが、デフレ経済であるものの、不動産に関しては底をって反転したターニングポイントと言える。経済のグローバル化によって海外から安く物が入るのでデフレが止まらなかったが、3年後にリーマンショックが起きなければ日本経済はプラス成長に転じた可能性はあった。残念なことである。日本政策投資銀行の職員がデフレの原因は人口減と一部だけを捉えて論じた誤りの本がベストセラーになっているが、日本のデフレの原因は過去の経済学の本に書かれているように需要と供給のアンバランスから起きているとは必ずしも言えない。情報化社会が齎した世界平準化への過程で進んでいる現象として捉えないと本質が見えないと思われる。情報化が多くの雇用を奪い、格差社会を生み出したために、一部の金持ちと高齢者に偏った富も配分の不均衡により需要が減少している。本質的な問題が解決されない中で企業間のパイの奪い合いが有り得ない低価格を産み出し、モラル無き危うい社会を作り出した。過去を振り返るとドックイヤーと言いながら10年ごとに変化の流れが起きている。2005年から始まった10年は途中でリーマンショックに遭遇し残すは4年である。この4年後とは正に東北太平洋大震災による東北復興がなされる時期と同じなので、日本の新しい国づくりの行方がこの4年間で決まるかもしれないと予想される。大事な4年間になるかもしれない。
キャンディーズ
キャンデーズの田中好子こと好ーちゃんが亡くなったのをTV局が行った一般人のインタビューで知った。キャンディーズの歌は学生時代に良く聞いたことを思い出す。特に、「春一番」は好きな曲の一つだった。訃報を偶然聞いた翌日は群馬県に仕事があり社用車で行ったのだが、向かう途中で運転をしていた社員が仕事先の元社員のIさんの消息を突然聞いてきた。理由を聞くと、好ーちゃんの訃報の新橋でのTVインタビューにIさんと似た人が出ていたからとのことであったので、それは本人であると教えてあげた。Iさんは押し掛けでインタビューを受けたもので、正かそれが放送されるとは思いもしなかった。数日後に好ーちゃんの葬儀が放送され、出棺時に亡くなる前に録音していた肉声を映画の撮影時に合わせた遣り方で流したのには違和感を感じた。その時にTVはコンビの蘭ちゃんと美樹ちゃんを写していたが、好ーちゃんが二人に対して礼を述べた下りで示した美樹ちゃんが蘭ちゃんを振り返って見せた表情にも違和感を覚えた。しかし、それ以上の想像力は働かずに記憶から消えていった。それが経済誌の評論記事ににお堅いNHKのニュース番組でもアナウンサーが好ーちゃんと言った事が書かれ、コンビの蘭ちゃんが送る言葉の中で好ーさんと言った事を比較して論じていた。その記事で好ーちゃんが最後に残した言葉が本人の言葉でなく旦那の脚本を読んだのではないかと言う疑問が湧いてきた。推測だが、三人が引退するときにファンの前で普通の女の子に戻ると宣言したときから、三人の間では「ちゃん付けで呼ばない」ことを約束したのではないだろうか。確かに、好ーちゃんが、二人に対して「蘭ちゃん、美樹ちゃん有り難うと言った」時に見せた美樹ちゃんの険しい表情の謎が解けた様に思える。勿論、飽くまでも推測の域を出ないが、前代未聞の葬儀での肉声の謎は深まるばかりだ。そう言えば、社会人になってからは、ピンクレディの全盛期であり、新宿の吹き抜け地下三階での飲み屋で素人の女性がテーブルに乗りUFOを歌っていたのを思い出した。若き日の良き思い出が蘇った。
日本製品の高品質や食の安全は高々40~50年の成果!
マスコミなどは日本製品の高品質や食の安全が昔から存在していたかの様に報道しているので、年配の人達まで間違った情報を刷り込まれてしまい、若い世代と同様に中国などと日本は違うと思わされている。しかし、日本製品が飛躍的に高品質になったのは戦後に米国から入ってきた品質管理運動(QC)の成果であり、日本の食の安全は高度経済成長以降の豊かになった日本人が総中流階級意識を持つに到った時点からである。日本のマスコミはアーカイブスがない報道なので、日本人は恰も古来より高品質の製品を作り、食に対する安全を確保してきたと錯覚してしまうが、歴史を読めば高品質や食の安全は高々40~50年での成果であることが分かる。勿論、長い年月を経た個々の技術においては高い評価が出来る物もあるのは確かであるが、茲での議論は全体の話であり、日本人の意識の話である。明治維新の成功は、江戸時代に学んだ中国の論語など道徳的な背景に西欧の科学を取り入れた事によるものである。明治維新後の学校教育では道徳を重んじたものの、それ以上に西欧の学問を重視したので大正から昭和に移るに従って日本人は倫理観を失ってきているのである。第一次世界大戦時に西欧に輸出した日本製の缶詰には石が入っていた事で欧州国から非難されたのも事実である。戦前は軍事費に国家予算の50%を投入していたので、日本のインフラ整備は遅れ、更に地主制度が多くの日本人を貧困状態に陥らせていた。正に、現代以上の格差社会であり、典型的な資本主義社会であったので、日本人は次第にお金中心主義に傾いていった。その結果、中国進出であり、太平洋戦争に突入していったのである。尤も、戦前の資本家と呼ばれる人達は高い教養を持った人が多かったので、渋沢栄一の様に経済人として論語の必要性を説き、事業と社会奉仕を一体化して考えた人が多かった。しかし、戦後の新興企業のオーナー達は少なからず事業資本の元手を軍隊の隠退蔵物資を掠め取ったりや闇市で稼いだり、泥棒紛いの商売で儲けた金で得たこともあり、事業の柱に倫理観など期待できるものではなかった。勿論、戦前の財閥企業の高学歴社員などは倫理観を持って経営者になった者も多かったのでその点は救いであった。戦後の経済発展の過程は正に論語の「衣食足りて礼節を知る」を地で行く状況であった様だが、次第に豊かになり、製品の品質向上や食の安全にまで気配りが出来る様になったのは承知の事実である。戦後の教育では倫理観の授業には余り時間を割いていないので、社会に出てからの価値の基本は豊かさと共にお金中心となっていった。その典型的な政治家として田中角栄の出現がある。盟友の企業人の小佐野賢治は泥棒で捕まった事もある人物である。日本人の心にはキリスト教的な博愛主義がないので、事業でお金儲けをしても社会に還元する意識がない。それでも戦前には孔子の論語などを尊ぶ風潮が残っていたので、事業家は儲けたお金を学校を作る資金などに寄付して社会に還元してきたのである。しかし、戦後の金持ち達は自分の事以外にお金を使う教養がなく社会奉仕など皆無に近かったが、その代わりに行政が機能して社会を豊かにしたのである。バブル経済の崩壊後は戦後では経験していないデフレ経済となり、更には米国経済の成長を促した規制緩和による金融資本主義が台頭し、格差社会を生み出したのである。現代の社会は先祖がえりの面があり、格差社会の出現により、戦後生まれの倫理観のない日本人に食の安全など期待する方が可笑しいのである。それでも製品類に関しては未だ高品質が維持されているが、マスコミの報道によりその高品質もガラパゴスと言う表現で一掃され様としており、駄目になるのは時間の問題と思われる。その魁が、福島第一原子力発電所の人災による事故である。日本人が古くから高品質な製品を作り上げてきた神話を作ったマスコミの責任は重い。社会に豊かさがあり、行政が機能していたからこその成果である事を忘れた結果が原発事故による放射能拡散である。40~50年の成果など長い歴史から見れば数秒の事である。日本自身が自分手で折角作り上げてきた成果を今正に壊そうとしているのである。
焼肉店の食中毒事件は今の飲食店チェーン店では何処にも存在する危険
焼肉店チェーンえびすのユッケによる食中毒事件は起こるべきして起きた事件と考える。貸ビル業界にいる者として懸念していたのは、バブル経済崩壊後に飲食店業界に多くの素人が参入してきた結果、厨房内の清潔整頓が失われ、ゴキブリが蔓延する他、ネズミまで引き込んだ有り様は食中毒を懸念させるものであった。特に、若手経営者の多店舗展開の飲食店チェーンはコスト削減からアルバイトで構成され、厨房内の清掃の基本など問題外と思われた。又、経営者自身が料理人でない場合が多く、事業収支や仕入には精通しているが、お客に対するサービスや安全などは二の次になっている様に思われた。店舗を貸す側としては、グリストラップの清掃なども余り行わない他、平気で排水管に油を流すなどビル側の使用細則などを守らないテナントが多いので、現場の管理要員は施設の維持管理に大変苦労しているのが現状である。特に、最近は単価引き下げ競争になり、薄利多売の傾向が強く、お客に対する安全が蔑ろにされている心配が増していた。確かに、今の飲食店はデザイン思考であるので見た目は良いが、内部を知るものに取っては評価できる代物ではなかった。デフレ経済の影響で人々は原因も考えずに全ての物に価格ダウンを求めているが、当然、そこには限界があり、それを越えると誰かが犠牲になって支えているのが実態だ。それを理解せずに安さを追い求める社会は危険が増しているのであり、被害者になってから気がついても遅いのである。提供する側も低価格競争に疲れ、いつの間にか安さを追い求めるお客に対して敬意を払わなくなり、逆に軽蔑する気持ちも芽生えているかもしれない。今年早々に起きたおせち料理事件もその延長と思うのは飛躍しすぎているだろうか。何れにしても長いデフレ経済が食の安全を失いさせたのは間違いない。大平洋戦争前の日本は正に格差社会であり、そこには品質や食の安全などに現代ほど重きが置かれていなかった。今の日本人は戦後の豊かさによる大多数の中産階級の意識が品質の向上と食に対する安全を築き上げてきたことを忘れている。今回の焼肉店の食中毒事件を切っ掛けに日本人の価格意識が変わることを期待している。安いものには危険が背中合わせであることも然りである。
震災復興も財政再建論で中途半端になる!
財務官僚の懲りない面々が財政再建を旗印に日本経済を駄目にしてきた。東北震災復興も財政再建論で中途半端になる可能性が出てきた。この財政再建論にはマスメディや御用学者も追随しているから至極当然と思われ、然も年金支払を人質にされているので高齢者も財政再建には増税しかないと思い込んでいる。財政再建の良い見本は米国にあるのに財務官僚はそれを無視して増税論議で世論操作してきている。財務官僚は数字を扱う職業だが、この職業は会計士や税理士と同様に入力結果が明確に出力結果に出る方法しか選択出来ない訓練を長く受けてきているのでボケる確率は高いと言われている。数字を扱っていると頭を使っていると考えられているが、一つの事しか遣らないでいると人の頭脳は退化するらしい。財務官僚など典型的な動脈硬化を起こして財政再建には増税しかないと思っているので始末が悪い。米国が長く苦しんでいた双子の赤字から脱却できたのは経済成長であった。この経済成長には、レーガンの小さな政府から始まり、IT関係の起業を助成したことにより、改善不可能と言われた双子の赤字をクリントンの政権で解消し、財政の健全化を成し遂げた。尤も、ブッシュになってイラク戦争とアフガン戦争で積み上げた国の財産を再び浪費し、再度双子の赤字に舞い戻ったが。何故、日本経済がデフレ経済の罠に入ったかは議論が錯綜しているが、当初のデフレは景気回復より国際会計基準などや財政再建を優先した政策により始まったのは間違いない。岐路に立っていた総理大臣は橋本龍太郎である。財務官僚に騙されて消費税値上げを初めとして多くのデフレ経済になる政策を実施した。橋本龍太郎も退陣後に財務官僚に騙された事に気付き復讐を誓ったが、橋本の復権を恐れる財務官僚が小泉を支援したために総裁選挙に敗れて再起出来なかった。小泉の小さな政府は米国のレーガン政権と同様に思えるかもしれないが、財務官僚主導の小さな政府は誤魔化しであり、似て非なるものであったために多くの金持ちだけを輩出し、一般国民の生活は苦しくなっただけであった。然も、悪い事にはブッシュ政権の金融自由化促進が世界経済を混乱に落としたために、小泉改革は悪い事だけが残る結果となった。このため、民主党政権になってからは財務官僚は一層動脈硬化を起こして増税しか能がない政策を遮二無二推し進めているのが現状だ。菅政権は米国と財務官僚の言いなりになれば長期政権が作れると勘違いしてますます国民から乖離し、日本の全てを壊す破壊者になりつつある。将棋や碁で言えば、震災復興は攻めであり、財政再建は守りである。将棋や碁を聊かでも遣った人ならば中途半端に攻めと守りを繰り返したら負けるのは承知の事実だ。財務官僚の若手は特に入省してから財政再建しか教育されていないので最悪な世代である。若手の記者や学者も同様だ。高齢化少子化で経済成長は望めないと言われるが、正に公理で決められた方程式しか解けない優等生の答えである。その様な頭しかなかったら中小企業は潰れてしまう。最初から結論決めて行なう日本の官僚の頭では無理と思われるが、考え方や見方を変えれば答えなど無数にある。日銀の社員が上梓した「デフレの正体は人口減」がベストセラーになっているが、一部の原因をすべてに置き換えた主張が横行しているのが怖くなる。考え方を単純化するのは良いが仕組みを単純化したのでは国家は危うくなる。国民が考えなくてはならないのは増税による財政再建ではなく、デフレ脱出による景気回復であり、その結果の財政再建である。知恵のない増税による財政再建なら政治家や官僚不要だ。震災復興の財源を増税に置換した政策は否定するべきである。そうでなければ未来に向けた東北震災復興が中途半端になる。
twitterのバイアス
twitterが東北太平洋広域大地震の災害時に役に立ったのは確かだ。お年よりは全く関与できなかったが、若い人たちやボランティアなどの人達が呼応した影響力は従来にないものと思えた。マスメディアは同じ報道を繰り返すだけであったが、電気などインフラが遮断された地域の人達にもtwitterは希望の光を送り続けた。確かに、庶民が手にしたある意味では大きな力であると思ったが、使い続けている内に色々と気が付いた点があった。twitterが生まれたのは米国である。facebookも米国だ。米国の若者が自分達が使うのが便利な道具として開発されてきた。古くはアップルもそうだ。いまや世界的なアップルも当初はマニアックな仲間が集り、その内に企業化していったのである。アップルの創業者のスチーブ・ジョブスも企業家の顔の他に今でも少年の様な気持ちで自分が欲しい物を追い求めた結果が大きな成功となっている。勿論、少年の様な気持ちで追い求めても成功する訳ではない、スチーブ・ジョブスの様に並外れた妥協しない物づくりの心とデザイン思考が相俟って初めて成功に辿り着けるのである。更に、企業化には能力を評価する投資家も存在しなければならないのだが、twitterを成功に導いた投資家の存在こそ標題に掲げた「twitterのバイアス」である。twitterを利用している誰もが意図的にtwitter上の発言はコントロールされているとは思っていない。良く考えれば、Eメールは米軍が構築した情報伝達技術がベースである。以前からEメールは米国の軍事用サーバーでチェックされていると言われたものだが、中国も正に国外に出るEメールに関して不都合な部分がある時には消している。私も体験的しているので確信をもっているが、米国は中国の様に露骨な干渉はていないが、当然に他の方法で対応している事は確かである。その様に考えると、twitterの中味についても、バイアスが掛かっていることが理解できる。米国を非難したtwitterの拡散を見れば分かる。逆に言えば、米国が意図する方向のtwitterは驚くほど拡散すると言うことである。単なる若者が作ったtwitterとfacebookがこれ程までに広がった原因は米国政府の支援があったからと推測するのは被害妄想であろうか。私の見解を疑うなら自らtwitterで色々な発言を試せば良い。拡散を検証してゆくと反米的な意見は拡散しない。しかし、米国が叩きたい政治家などに対する批判的なつぶやきは驚くほど拡散する。若者の夢を壊すようだが、現実の社会はパワーゲームであり、競争に勝つためには何でもありの国であるので、万事疑うってかからないと遣られてしまう。
非科学的な現象を全て否定できるか!
六本木ヒルズの高層建物が福島原発の事故による電力不足で節電を強いられる中でガス発電システムのコジェネレーションで評価を受けている。建築した森ビルとしては竣工後に起きた色々な事故の忌まわしい記憶を払拭するのには好都合と思われる。しかし、建物造りを長く行なってきた当社としては、六本木ヒルズの事故などはお祓いでもしないと拭えない嫌な事件である。六本木ヒルズの建設地は土地履歴的には、大名屋敷や寺社があった場所であり、因縁話をすれば、江戸時代の忠臣蔵で有名な赤穂浪士達が死罪を受けた毛利藩邸があった場所でもある。不動産・建築の仕事を行なってくると、多くの非科学的な現象に遭遇し、因縁話を簡単に切り捨てられない経験をする。特に、土地に纏わる話は時系列的に言い伝えられるので良く記憶に残る。私が子供の頃に曾祖母や祖母に聞かされた土地の話としては、所有するのを嫌う土地の存在があった。所有を嫌う土地とは、そこを所有すると何代目かで血族が途絶えるということである。六本木ヒルズの場合、考えられない回転ドアの事故で子供が亡くなったことであり、エレベーターの事故、高層階のレストランの火災など竣工後に多く起きた。又、入居テナントの破綻が異常に多く、縁起を担いだテナントは退出している。六本木ヒルズは敷地内に高層マンション等も建っており、その内の1棟で芸能人が引き起こした女性の薬物死も話題になった。身近なところでは、私が管理しているビルにテナントとして入居していたことがある飲食店の社長がヒルズのマンションに住んでいたのだが、これ又経営破綻してしまった。勿論、大きな敷地に大高層ビルと高層マンションが林立して利用者も多いので、確率論から言えば、根拠がある事件の発生なのかもしれないが、何も起きない縁起の良い建物もあるので、確率論では割り切れない思いが残るのも事実である。私自身は若い頃は無神論者であったが、祖母の危篤で帰郷中の出来事などからこの世には科学では解明できない現象があることを理解した。人や会社によっては悪霊などに負けない強さがあると思われるので一概には言えないが、私自身は因縁の土地や建物は敬遠したいと考えている。運気を逃す原因にもなるからである。
東北太平洋大地震による津波の過去との比較の間違い
東北太平洋大地震による津波に関して多くの識者は過去との比較を論じているが、この議論では比較データに関して前提条件が抜けている。明治時代の三陸沖の大津波は38m規模であることが地層や崖に残されていた標しで判明しているらしいが、冷静に考えれば明治三陸沖地震から100年以上経過し、この月日の中で強固な防波堤や防潮堤などが造られているのである。今回の大津波には役に立たなかったと言われているが、少なくてもその防波堤や防潮堤があったから今回の被害で済んだとの考え方も出来るのである。その様に考えると、今回の大津波は過去に例がない規模と推定され、近年世界中で起きている災害の大型化と相関する。数年前に米国のフロリダを襲ったハリケーン「カトリーナ」の事を思い出す。このハリケーンは史上最大規模といわれ、ニューオーリンズの大堤防が決壊して大きな被害となった。災害の大型化は温暖化現象によるとの説もあるが、現状では解明されていないのが現実だ。太陽の活動が活発化している影響もあると推定されるが、太陽の活動は周期的なものであるので災害の大型化の原因とするには説得力が弱いと思われる。しかし、間違いなく災害の大規模化は世界中で起きている現象なので、東北の復興計画に対するインフラ復旧に関しても単なる過去の比較と今回の津波の大きさだけで結論付けて行なうのは間違いとは言わないが、配慮が足りないように思われる。況して、財政難が前面に出され、予算ありきから復興計画を立案したのではお金の無駄使いとなる可能性が高い。人類が誕生して1万年、その内科学が発達して森羅万象を解明してきた時間は2千年前後だ。人類誕生以前に滅亡した恐竜の時代もあるが、その滅亡に対する明確な科学的な答えは推定の域を出ていない。話題が飛躍しすぎてSF的な内容になってしまったが、結論から言えば、今回の大津波は過去との比較で論じる以上の規模の大きさであり、この現象は世界的な災害の大型化と相関している恐れがあるので、少なくても復興計画には地球規模の大異変も頭の隅に置いて欲しいと言うことである。日本列島が今回の大地震を機に変動の時代を迎えたならばエネルギーの確保には従来の発想では役に立たなくなる可能性もあり、近代化による社会システムの普及も考え方を改める必要が出てくる。杞憂になって欲しいが、地球が何らかの活動期に入り今後とも大災害が起きると仮定すれば、多くのインフラの大規模化と集中は危機管理に対してはマイナス要因になる。豊かさの追求から生存可能なインフラが必要となると考えれば、少なくてもローカルの強化による東北復興が今後の指針といえそうだ。
飲食店の賑わい
東北太平洋大地震から1ヶ月以上経過してマスコミ報道と違う動きが東京では起きている気がする。尤も、4月の時期特有の動きなのを誤解しているのかもしれないが、少なくても飲食店は懸念された様な売上げの落ち込みにならないのではないかと思われる。確かに、3.11直後は自粛ムードで飲食店には人が少なかったかもしれないが、都心に限れば計画停電や余震で何時電車が不通になるか分からない状況では帰宅が早くなるのは当然と考えられる。しかし、余震は続いているが、地震に対する馴れの感覚と計画停電の取り止めなどから多くの人の生活が通常に戻りつつあり、次第に冷静になると消費の落ち込みによる経済悪化の懸念の方が気になり、自粛ムードに反対する意見が出てきた。この流れが飲食店の賑わいに繋がってきている様に思える。確かに、今回の大地震や原発事故を見ると、明日の運命など誰も分からないと言う思いが強くなったのではないかと思料する。年金受給の不透明さや高齢化社会による経済悪化などの予測から、リーマンショック以降は老後の事を考えて外食などの消費を控えてきたのが実情であった。しかし、大地震以外でも交通事故や通り魔に遭遇しないとは断言できず、刹那的とは言わないが一日一日を悔いのない生き方をする考えに変えたことが飲食店の妙な賑わいになっている気がする。勿論、個人の生き方以外に大災害後のビジネスの今後の動きに関する情報を求めて人の交流を増やしているのも事実であり、その動きも飲食店の賑わいを後押ししている面がある。何れにしても、以前はインフレで見た目の給与が上がった事や豊かな社会でない中で育った世代は将来に対する不安がなく思い切り消費にお金を注ぎ込んだのが経済成長を促したのである。今回の大災害で日本人の考え方が変われば社会が変わるかもしれない。期待したいものである。