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ゴルフ仲間のMさんが茨城のゴルフ場のメンバーコースでシニアチャンピオンになった。昨夜は上野で私を含め7人がやはりゴルフ仲間の会計士の顧問先の居酒屋でお祝い会を催した。Mさんんは私が知り合った24年以上前に既にクラブハンデが6になっており、スイングフォームが綺麗なゴルファーだった。しかし、理事長杯もクラブチャンピオン選手権も2位があるが、1位にはなれなかった。クラブチャンピオン選手権ではメダリストになったこともあった実力者なのにゴルフで頂点に立つ難しさを見せられた。彼はゴルフばかりでなく仕事も一生懸命であり、現在はお兄さんの会社を継承して優れた経営者でもある。アマチュアゴルフでシングルになるのは夢と言う人も多いが、シングルになるのは並大抵の努力ではなしえない。ちなみに、私はと言うと残念ながらシングではなく、今は名誉シングルとしてゴルフ仲間に加えて貰っている立場だ。尤も、我々のゴルフ仲間は性格が良い奴の集まりなので、此れまで大きな賞には縁がなかったので、Mさんのシニアチャンピオン獲得は私の仲人さん以来の獲得であり、感無量であった。そう言えば、今年5月には久し振りに上野の寛永寺に仲人さんのお墓参りをしたことを思い出した。奇妙な縁は重なるのであろうか。

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当社が管理するビルに設備管理要員として17年間精勤した老兵が来訪した。老兵は御年75歳だが、未だ週3日働いている現役でもあった。老兵は工場勤務が長く、ビル管理要員としては色々な資格を持ち、且つ管理ビルを工場の設備点検の方法で管理したのが有効であったので、彼の点検方法のノウハウが当社の設備管理の規範の一つとなった。当社が建物管理業務に進出して規範とした従業員は2人いたが、彼がその一人であり、もう一人は大手建設会社の設備担当を退職して当社に再就職した者であった。彼等から多くの事を当社が学び、建物管理について当社独自のモデルを構築した。老兵は当社の建物管理に従事していた時に記録していたノートを持参してきて当時改善されられなかった事項に関して気になっていたとのことであった。正に、職人と呼ぶに相応しい仕事が髣髴とする出来事であった。然も、現在週3日入っている現場が照明をLEDに変え、電気料金が3分の1近くになった情報をもたらしてくれた。当社の現場を離れて8年以上経つのに来訪して色々と助言してくれるのには頭が下がる思いである。彼を老兵と書いたのは、当社の建物管理業務に関しては現場は戦争の最前線であり、現場要員は兵士であるという意識で行なったからである。戦争現場であるから部品なども現場にある物を利用して応急措置をし、その後に部品供給を受けて改善するのは当たり前であった。管理する建物が一時的にも使えないと言う状況は避けることが至上命令であった。正に現場は戦争の最前線に相応しい気持ちでおこなうことを要求した。それに答えてくれたのが彼の様な得がたい老兵であった。

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グローバル化は良い事ばかりでなく、多くのマイナス面もある事が分かる。現在欧州で拡散している腸管出血性大腸菌O104は何処から出現したのか、又何から感染したのかが非常に分かりにくくなっている。正に、グローバル化のマイナス面の一つであろう。情報社会で情報機器を通して繫がるに転じて絆などの言葉が盛んに飛び交っているが、世界に繫がる事がそれほど大事な事なのであろうか。皆が画一的になり個性が失われるとしたらそれこそ世界中に金太郎飴の出現だ。確かに、グローバル化はローカルの重要性が増す事は理解するが、それを維持出来る保証は何もない。バングラデシュで貧しい者に資金を貸すマイクロファイナンスは世界中からの小額資金で運用されているが、安易な借り手を苦しめている姿は誰もが参加出来る金融資本主義において成功者は少ない事に触れないからである。世界が同じベクトルで豊かさを追求できるほど地球は大きくはない。理由は不明だが、地球が変動期に入ったと言われ、大地震や火山の噴火などが世界中で起きている。この現象がグローバル化に相俟って起きてきたと言ったら考えすぎであろうか。勿論、過去にも幾たびか大きな災害が発生しているので、グローバル化が全ての原因とは言わないが、少なくてもグローバル化による発展途上国や中進国の急激な経済成長が地球のバランスを壊していることは否定できない。若し現在のグロ-バル化が行過ぎているならば自然は是正する方向に作用するものと考えられ、多くの天変地変や病気などが蔓延する可能性はある。この考え方を進めるとオカルト的になるのであるが、世の中には理解できない現象もあり、想定外などない事を知る必要がある。人類の歩みを見れば、その時点の科学力では分からなかっただけであり、遺伝子組み換えの副作用などもあるかもしれないのである。大航海時代に従来なら局地的に閉じ込められていた風土病も世界に伝播していった様に、グローバルの現代は時間軸的にも早くなったので一歩対応が遅くなると取り返しがつかなくなるのである。世界中のリスクが対岸の火事とならなくなった世界感を持ち、あらゆる面で事前に備える必要があると思われる。

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最近、若くして逝去した金子みすずの詩が良くCMなどに使われている。特に、東日本大震災以降は頻繁にTVを通して耳に届く。又、一時は公共広告機構などの「こんばんわに」、「おはよううなぎ」などの癒し系CMが流され、対極のCMの「頑張れにっぽん」や「頑張ろうにっぽん」の五月蝿さに対して心が和んだ。今回の大震災においては若い方のボランティアの参加が多かったと言われているが、ヴァーチャルな社会の中で生きている傾向が強まっているので、実際の経験を重視する流れに合致したと考えられる。最近、或る雑誌で群馬県出身の詩人「高橋元吉」を知った。高橋は偶成の詩人と呼ばれたらしい。明治生まれで戦後の1965年に72歳で亡くなっている。多くの作家や詩人などが今回の大震災に関してどの様に書き留めるべきか悩んでいると言われるが、高橋元吉の詩は日本の四季の移り変わりと厳しい自然環境に生きる術を語ったものと思われる。又、戦争の時代を生き抜いて戦後の平和の時代も経験している。彼の代表的な詩のひとつ、「なにもさうかたをつけたがらなくてもいいではないか  なにか得態の知れないものがありなんといふことなしにひとりでさうなってしまふといふのでいいではないか 咲いたら花だった 吹いたら風だった それでいいではないか」がある。私はこの詩に触れた時に肩の力が抜けた。高橋元吉の詩集を入手するのは今では難しいと書かれていたが、一度じっくり読んでみたい詩である。

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人類が音楽に何時頃から親しんだのか知らないが、音楽は脳内をクリアにし、明日への活力を生み出してくれると私は思う。偶然の縁で目黒GTで開催された日曜日の小規模な音楽会であるバンドネオンのタンゴ演奏会を楽しんだ。バンドネオン奏者は平田耕治と言う若い方で、彼を評価した方曰く「野性味のあるバンドネオン奏者」だと。この演奏会には、他にピアノ、バイオリン、コントラバスが加わり、更にタンゴ歌手の方も参加した。私がアルゼンチンタンゴを聞いたのは確か中学生の頃だと記憶している。聞いた時には体が震えるほどのインパクトを受け、早速レコードを購入した思い出がある。私は学校の授業としての音楽は嫌いであった。理由としては学科と実技があり、学科で100点をとっても実技が不得意なら最高の評価が得られなかったからである。実技とは歌唱とか笛とかハーモニカであり、あがり症の私に取っては辛い評価であった。この為、学校の音楽の授業からは興味が離れ、逆に母にねだって買って貰ったギターなどを自宅で弾いて楽しんだ。更に、中学時代にはエレキバンドの全盛期だったので、当時は不良と言われたエレキバンドを友人達と結成したが、才能がない私は途中で離脱してしまった。高価なエレキギターまで買って貰ったが、母には聞かせないでお蔵入りしたので今でも慙愧の念に耐えない。しかし、その後も音楽に関しては興味が続き、大学時代から社会人に掛けて長く「題名のない音楽界」などをTVで楽しんだ。私の場合、西欧の音楽よりは南米、アフリカ、アジアなどの音楽に興味があり、大分前の事だが街頭で南米音楽に使われる"ケーナ"と言う縦笛を買い吹こうとしたこともあった。アルゼンチンタンゴは最近は熟年のダンスブームで有名だが、魂が揺さぶられるような音楽はバンドネオンと伴に脳裏に残る。不思議とここ数年、アルゼンチンタンゴに関してはミュージカルを含めて定期的に楽しむ機会が得られている。又、クラッシクに関しては、若い頃には余り興味がなかったが、年とともに良さが分かり、最近はコンサートにも顔を出している。3.11の後には一斉に音楽会などが自粛されたが、それは行き過ぎの感がある。厳しい時こそ音楽を聴いて心を奮い立たせる必要があるのではと考える。特に、ストレス社会には音楽が必要であり、音楽を聴くことで絶望を希望に変える事が出来るのではないかとアルゼンチンタンゴを聴いて再認識した。

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日本政府や東京電力は自分の誤りを反省もしないで電力が足りないから節電しろと強要している。最近の草食系の人々は大人しいので唯々諾々と節電努力をしている。翻って、海の向こうの米国・NYに眼を転じれば、電力供給会社が報奨金付きで省エネを消費者に要請している。この差はなんだろうと考える。民主党政権の左翼的な考え方だと、電力は消費者のエゴにより増大したのだから原発事故による電力不足は諸費者にも責任があるので、節電をしろと言うことになる。この様な議論はフザケルなと言いたい。電力の供給の主体は工場などである。工場に安い電力を供給するために国民は高い電気料金を支払ってきたのである。然し、いまや工場の海外移転等で過去に予想した電力など必要なくなり、電力設備は過剰投資となっているのが実情だ。福島原発事故直後の計画停電などは原発事故に対する問題を電力不足に置換した悪質な詐欺的行為だ。節電の強要は電力不足ではなく、原発事故による他のエネルギー調達コストの上昇の負担を軽くするために呼びかけているものと推察され、実際に電力供給不足が起きるかどうかは不明だ。本来ならば、今回の原発事故を契機に一時的な節電ではなく、省エネの強力な推進を考慮して米国・NYの供給会社の様に報奨金付きの呼びかけが必要だ。工場は兎も角として、オフィスビルに関しては、①照明が40%、②空調が28%、③その他設備が32%の電力消費割合とされている。節電15%の実現は照明から始めるのが効果的と考えると、LED照明に切り替えると行政が助成金を出す事により促進させれば、一時的な節電ではなく、省エネ効果を高め、東京電力が発電設備を減らす効果が期待できる。その他にも省エネ対策に対して行政が報奨金なり助成金を出せば一挙に省エネが進むと思われるので、今回の原発事故を単なる事故に終わらせずに日本のエネルギー使用に関して大きな転換点となる政策を打ち出す必要がある。政治家や官僚にもっと知恵を出せと言いたい。

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大阪府・橋下知事の県議会議員の定数は人口10万人に一人にすべきだは正しい。橋下知事の発言に鳥取県知事や議長は反発したらしいが、同知事が指摘した市町村議員の存在を考えれば現在の県議会議員の定数は多すぎる。私の出身地の茨城県でも県議会議員は50名を越えるので、10万人に一人を摘要すると人口は230万人位なので半減し、正に適正規模となる。以前から指摘されていた様に市町村議員は合併で削減されたが、どうして県議会議員は財政難にも拘わらず定数の是正が行なわれないのかだ。橋下知事は正論を吐いたのである。これに対して、官僚上がりの知事や既得権者の県議会議員などは何れも定数削減に反対している。本当に地方自冶体を考える人は県議会議員の定数削減に賛成な筈だ。選挙でお願いしますの候補者に投票した結果が、既得権者となって定数削減に反対している。橋下知事の維新の会が明治維新の時と同様に御旗を立てて大阪から東京に上り政治を変えてくれる事を期待したい。勿論、財政の観点から見た定数削減だが、この定数削減が地方自治を弱めることを意味するのではなく、逆に贅肉を削いで現代に相応しい議会制民主主義の構築にすることである。中央政府に権限を集中させるのではなく、地方自治体に権限を移譲して地域の再生を促すことを目的とするものといえる。真の改革とは、全く新しい発想で臨む事であり、既存の体制を疑う事から始める必要がある。本当に必要なものならば否応なしに残るのであり、何も恐れる必要はないのである。橋下知事の発言に反発するのは必要でない証である。

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サムスンと聞いて分からない人は少ないだろう。韓国の世界的企業だ。書店で眼に止まった一冊の本「サムスンの孤独な帝王 李健煕」を購入した。父親の時代に韓国のトップ企業になり、二代目の息子「李健煕」が世界的な企業に成長させた。グループ企業から見れば日本のソニーやパナソニックを凌駕している。何故この本に興味を持ったかと言えば、私が20代後半に日本と韓国の経済交流情報の収集の仕事をしていたからである。サムスン、漢字では三星と書くが、第二次世界大戦後に韓国で生まれた財閥企業の一つである。創業者は李秉喆 で厳しい人と聞いていた。韓国の財閥企業の中でサムスンは日本の歴史や日本企業を研究して成長した事は聞いていたが、今回購入した本を読んで改めて多くの事を日本から学び、今では日本企業を凌駕し反面教師としているといるのが分かった。私が韓国経済を学んだ時代は正に軍事政権絶頂期である朴正煕が大統領の時であり、「漢江の奇跡」と言われた経済成長を遂げている時であった。然も、その朴大統領が暗殺され、後継を巡ってクーデターが起こり、全斗煥が大統領に就いた激動の数年間だった。奇しくもこの時代に私の大学の同窓が韓国に販売した機器のメンテナンスに渡韓していたのだが、彼は正に朴正煕の暗殺時にソウルにいてホテルに缶詰となった。学窓は今では時効だからと話したのは、彼はKCIAの盗聴設備のメンテナンスで渡韓していたとのことであった。日本と韓国は色々な事で戦後も交流していた事が理解できる話だ。サムスンも日本企業に追いつき追い越せと社員に号令を掛けて何度もの危機を乗り越えて大成長した。正に日本から見れば「出藍の誉れ」であろう。サムソンは戦前の日本の財閥企業と似ている。逆に現在の日本企業は財閥時代の社員が居なくなり、戦後教育の社員が経営者となったのだが、それと伴にサムスンが羨望した企業風土や社員の姿が消えた様だ。その事が、現在のサムスンの経営者「李健煕」から日本企業は怖くないと言われてしまったのであろう。サムスンと言う企業は実は昔の日本企業に近いのかもしれない。勿論、サムスンも成果主義や事業の選択と集中を採用して急激なグローバル化の経済に対応してきたが、企業の根底に流れる意識は常に韓国及び韓国民に置いており、日本企業の様にグローバル化の中で米国方式に盲従し、国家及び国民を蔑ろにしたのとは基本的に違うと思われる。人を大事にする企業は困難を乗り越えて進んでいる。同様に人の弱さと強さを熟知した経営者によりサムスンはひたすら変化に対する対応を続けている企業と推察できる。"事業(企業)は人なり"を痛感する本であった。

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3.11から2ヶ月が過ぎた。東日本大地震後には国もマスコミも意図的に想定外を連発したので国民も想定外なら仕方がないと思ってしまった。その後は、「がんばれ日本」や「がんばろう日本」のオンパレードで人災である福島第一発電所の事故による放射能拡散まで想定外としてしまった。マスメディアは混乱を避けるために国家との共同歩調を取った報道を行なったのかと考えたが、大手マスコミなど所詮は記者クラブという報道管制下に置かれているので、それ以前の問題かと思い直した。大地震後の津波を想定外だから防げなかったと一様に報道したが、公共事業は経済コストを考えて実施しているので、防波堤や防潮堤の設計基準は決められているのである。勿論、一部の地方政治家の強い思いによる経済コストを無視した防潮堤なども造られてはいるが、大半は経済コストに見合った施設しか作っていないのである。本来ならば、行政はこのエリアはどの程度の津波しか対策効果がないので、それ以上の津波が来たら防げない事を日頃から知らせる義務があったと考える。最近は公共事業を無駄として考える風潮が強かったので、先日起きた焼肉店の食中毒と基本的には同様な効率一辺倒が人命軽視に繋がったのである。国家にとってもマスコミにとっても国民はお客である。お客の事を考えないで、逆に国民は馬鹿だから啓蒙するなどと言う時代遅れの考え方では現代は通用しない。現代社会での問題点は人間の質が低下し、国会議員や官僚や経済人までも人命より自分の事しか考えられないレベルの人が多くなったことである。パブリック・サービスなど合理化と効率化の中で吹き飛んでしまった感がある。東京電力の福島原発事故は防げなかったにしても最小限の放射能拡散(10km圏内)で納まった筈なのに、廃炉を決断できない社長と海外出張中で連絡つかない会長の指示待ちが対策の遅れとなり、必要以上に被害を大きくしてしまった。勿論、それ以前に、設計基準が古く廃炉にすべき原発を何等の設備更新しないで10年使用延長を決めた東電の経営陣に全責任がある。枝野官房長官が東電の失態に対し債権者の金融機関も責任がある様なことを発言しているが、東電の経営陣の責任は万死に値するのである。その告発をしないで債権放棄や国民に電気料金の値上げをもとめるなど言語道断である。然も、今回の東電の福島原発事故に関しては菅の責任も重大であり、本当の政治家なら言い訳せずに責任を取るべきだ。それがマスコミも一緒になって大災害時に首相を変えるべきでないなどとインチキ報道を行なって国民に啓蒙するなど許しがたい暴挙と言える。特に、北澤防衛大臣が清水社長を乗せた自衛隊輸送機を官僚の独断と称して戻した行為はマスコミも敢えて重大視させない報道を貫く姿勢は酷いと言わざるを得ない。更に、マスコミは浜岡原発の停止を求めた菅を評価し、インチキ世論調査で国民の多くが賛成したと報道しているが、中部電力では福島原発第一と同じ設計基準の原子力は1号機と2号機であるが、それは既に賢明な措置として廃炉を決断しているのである。今回停止した3号と4号機は福島第二原発と同様の設計基準であり、本来停止させなければならない古い設計基準の原子力発電所は日本海などに多く存在しているのである。日本全体が大地震の危険性があるのは当然なのに比較的新しい設計基準の浜岡3,4号機を停止させて他の旧式な設計基準の原子炉を停止させない一貫性のない菅内閣の対応に問題視している報道は少ない。特にマスコミは悲観的な報道が日本国民を発奮させて大きな力を発揮すると言う過去の経験を踏襲して悪戯に危機感を煽るだけである。この危機感が不動産取引などのマーケットを縮小し、経済の動きを止める役割を果たしていることも省みない。国もマスコミも大地震後は真実を伝えていないと言う理解でいることが判断を間違わないことである。

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浦安の液状化のニュースを聞いた時に最初に頭に浮かんだのは、浦安の埋立地の地盤は砂地で埋め立て造成費用を安く出来た場所かも知れないと言う事であった。阪神・淡路大震災の時に神戸ポートアイランドの埋立地で液状化が起きた時には港湾関係者は驚いた筈である。神戸は阪神地区では砂地で地盤が良く、港湾の護岸建設に関してもケーソンなど必要なく、鉄材を打設するだけで堅固な護岸を造る事が出来ると聞いた事があった。このため、神戸ポートアイランドの埋立地も大した地盤改良工事を行わないで埋め立てたものと推定できた。しかし、阪神・淡路大地震では液状化の現象が生じたので、港湾関係者は地盤が悪い場所でなくても手厚い地盤改良工事が必要な事を認識したと思っていた。勿論、認識したのであろうが、日本の縦割り行政や当時は今程情報化になっていなかったので、神戸ポートアイランドの液状化現象を教訓にする事が出来なかったのであろうと思料する。浦安地区の埋め立て計画は重工業産業全盛時代の臨海工業の企業立地の需要を当てにした千葉県企業庁が行なったものだが、完成した時には重工業産業が衰退し、広大な埋立地は無用の長物となり、千葉県の財政を圧迫する要因にもなっていた。その状況が一変したのは、浦安地区に三井不動産が誘致したディズニーランドであった。都心から近く手付かずの広大な埋立地の利用としての着眼点は流石と言えた。ディズニーランド東京は予想以上の成果を上げてスタートし、その成果と相俟って浦安地区の住宅開発は進んだのである。しかし、浦安地区の住宅開発で気になるのは、浦安地区にディズニーランドを誘致した三井不動産の存在である。本来ならば、ディズニーランド東京の副次効果を考えて浦安地区の住宅開発は三井不動産の独壇場になっても可笑しくはなかった。私は浦安地区の住宅開発に三井不動産がどの程度注力したかを何等検証しないで、飽くまで推定であることを前提にblogを書いていることを先ずお断りして置く。茲20年の浦安地区の住宅開発では、不動産業の後発の野村不動産が注力していたように思われる。ご存知の通り、野村不動産は野村証券グループの会社である。今回の東北太平洋大地震において浦安のディズニーランド東京はTVで放送された様に駐車場が液状化現象を起こしたのである。私はこの放送を見て内部の娯楽施設も被害を受けていると勝手に想像していたら、三井不動産に近い業者の方から、ディズニーランドの内部は大規模な地盤改良工事を行ったので娯楽施設は全く被害を受けていない事を聞いたのである。私の推測が当っているならば、三井不動産は浦安地区の住宅開発には地盤リスクがある事を認識し、積極的に取り組まなかったと思われる。特に、阪神・淡路大震災における神戸ポートアイランドの液状化を見たならば、浦安地区に関してもヤバイ事を想起した社員が居たと考えられる。野村不動産は優秀な人達が良い仕事を行っているが、残念ながら後発の悲しさで企業の歴史から作られるリスク認識は持っていないので仕方がないと思われる。何れにしても、浦安地区の液状化の責任は民間企業のレベルではなく、埋め立て事業者の千葉県に帰結する者と思われ、工業用地から住宅用地に大きく変わる過程で埋め立て地盤の再検証を行なわなかった行政の責任は重い。特に、阪神・淡路大震災における神戸ポートアイランドの教訓が少しも生かされずに、逆にその後に浦安地区の住宅開発が進んだ事を考えると尚更である。勿論、行政が民間企業と同様な効率一辺倒の仕事を要請される時代では、気が付いた職員がいても握りつぶされたと思われるので、国民の一人として考えなければならないのは自分でリスクを取る習慣を身につけることである。国もマスメディアも信用しない事に尽きる。