政治家や公務員が無責任になっているのは景気と関係ない報酬制度で守られているからだ。少なくても、連中の報酬を「失業率」、「倒産件数増加率」、「円高上昇率」、「デフレ率」など景気関連指数と関連付ければ現在の様な能天気な生き方が出来ない筈だ。高度経済成長以前には、公務員の報酬は民間企業と比較して低く、政治家も議会開催日に支給される日当制であった。それが高度経済成長によって税収が増加するに従い、公務員の給与は鰻登りになり、政治家も月給制度になって職業政治家が生まれた。特に、公務員の報酬は大企業を基準としており、国民の大多数が勤務する中小企業の給与基準を大幅に上回ったものとなった。また、職業政治家の出現は己の生活が優先となり、高邁な思想や信条をもった者が少なくなり、政治家を矮小化した。国民の知らないところで政治家や公務員の利益が拡大されてきている。因みに、公務員の高額退職金や高額年金は給与が低い前提で、老後に恵まれた待遇を与える制度であったが、何時の間にか老後の手厚さを維持して現役時代の報酬を大手民間企業並みに引き上げてしまった。更に、天下りや70歳まで働けるシステムも維持されてきているのである。この様に公務員天国にしたのは何等問題にしないで議案を通した馬鹿な政治家達である。尤も、政党助成金や国会議員一人当りの報酬や手当ての増加を餌にして公務員は自分達の待遇を改善させた知能犯だ。しかし、政治家も公務員も大幅な赤字国債発行を懸念して自分達の高待遇が近い将来には損なわれる危機感から、赤字国債の借金を国民に転嫁して自分達の利権を温存するために消費税を大幅にアップすることをマスコミなど通じて国民に危機感を煽り立てて企んでいる。民主政治とは国家を食い物にする政治家と公務員を生み出す装置と言える。政治家が"よいデフレ"とか役人が"円高容認"するのは、大企業の分析から言えることであり、中小企業にとっては死活問題だ。二大政党になり、中小企業の保護を求める政党が存在しなくなったことを考えると、中小企業は税金などを支払う考えは捨てるべきであり、消費税のアップなどを認めるべきでない。日本を変えるには、年金や医療費を餌に己の利権を守るための施策には絶対反対を唱える必要があり、政治家と公務員の給与を景気変動指数に連動させることを主張すべきだ。
偉そうな貧乏人がいなくなった!!
ある雑誌を読んでいたら日本が駄目になったのは「偉そうな貧乏人がいなくなったからだ」と書かれていた。蓋し名言だと思った。逆説的には、日本人はお金を追い求めすぎて社会を駄目にしたと言いたいのだろう。確かに、政治家と官僚が国民を本音で馬鹿にする様になったのは、"偉そうな貧乏人"を見なくなったからであろうと思料される。政治家も役人も後ろめたい事をしていれば内心は忸怩たる思いに捉われるであろう。しかし、国民がお金でしか物事を評価しなくなり、「Give me money」になった現代社会においては、政治家も役人も国民に対して一生懸命働こうとする考えはなくなり、自己の利益の拡大に邁進するようになった。今の政治家や役人が平気で国民に対して嘘を言うのは国民を蔑視している証拠であり、国民の為に働く意欲など消えていると考えられる。国民は政治家や役人に対して怒っているが、その前に自分自身を見つめなおす事が重要だ。政治家や役人の姿は国民を写した鏡だ。私は別に豊かさを否定している訳ではない。努力して成功してお金を稼いで悪いわけがない。問題は、お金に執着しない人や金儲けの下手な人を蔑視する社会であってはならないと言うことである。現代社会はお金を持っていないだけで無能力とする風潮がある。逆に、金さえあれば無教養な人でも尊敬される時代である。この結果が現代日本の社会の縮図である。政治家や役人が一番怖いのは「偉そうな貧乏人」なのだ。明治の元勲の西郷隆盛が、「欲もなく、名誉も欲しくない人は始末に困る」と言った正に「偉そうな貧乏人」の存在なのである。より豊かになりたいために目指した顛末は今の社会だ。人は長生きすると視力が落ち、聴力が衰える。この現象は老人になってからは嫌な事を軽減する天が人に与えたプレゼントと思料する。自然に逆らっているから多くの問題を解決出来ないのであり、日本人は貧しかった時代を再度認識して豊かな社会に感謝することが未来の姿を描く事が出来きて平安を得られるのではないかと思うのである。
ユーハイムのゲーテの詩の朗読コンテスト
お菓子のバームクーヘンで有名なユーハイム主催の「第30回ゲーテの詩の朗読会」に今年も一般審査員として参加することが出来た。1982年にコンテストが開始されて今年で30回目を迎えるそうだ。30年も続いている割には意外と知られていなく、コンテスト参加者もお菓子の事で検索していたらコンテストのことが分かり応募した方が多い。私はゴルフの縁で河本社長夫妻と親しくさせて頂いているので、20年以上前からコンテストの事を知り一般審査員として毎年楽しみにして参加している。本コンテストはゲーテの誕生日「8月28日」の前後の土曜日に毎年開催されてきているが、30年の歩みの中では社内で開催の是非が何度も議論されて来たことを聞いた。会社としては昨今の利益主義の観点から言えば、社名を高める有効な宣伝となるイベントを開催した方が得であり、文化事業の側面を持つコンテストなど金融資本主義の中では評価されなくなっているのが実情だ。しかし、河本社長は社内におけるコンテスト開催の疑問視する声に対し、ユーハイムの創業者の故郷でもあり、ユーハイムの原点とも言えるドイツのお菓子「バームクーヘン」を作っていることに意義を重視して開催を継続している。自然の素材を使って安全なお菓子を提供しているユーハイムの理念が本コンテストに参加すると良く理解できる。今年の30回目は例年以上に決勝進出の方の朗読が上手であり、また25名の決勝に選考された方の内、21名が女性であったのも此れまでにない特長であった。更に、朗読が終わり、いよいよ優勝者と準優勝者を決める段階になって予想も付かないことが起きた。それは第一回目から審査委員長として大任を果たしてきた慶応大学の名誉教授が病気のために今年限りで委員長を辞する挨拶であった。委員長ありきのゲーテの詩の朗読会であり、彼が居たからこそ河本社長も30年もの長い間コンテストを続けて来れたと思われるので、聞いた瞬間コンテストは来年開催されるのだろうかと言う不安が頭に一瞬浮かんだ。しかし、その後に河本社長が委員長に対する感謝の気持ちを述べる挨拶で来年に第31回を開催する予定である事を告げたのでホッとした。また、ゲーテの詩の朗読会はユーハイムの本社がある神戸において神戸淡路大地震で被害を受けた時にも開催したので、今回の東日本大地震においても開催した事を話され、コンテストが長く続いたのは、ゲーテに絞ってコンテストを行なったことであることを話された。確かに、河本社長が指摘するように年毎に詩人を変えて開催することにしたのでは、社会的な変化や時代に翻弄されて中止に追い込まれていたかもしれないと言う言葉には重みがある。コンテストのみならず、企業の存続も又然りである。目先の事を追い続けると独自性が失われると同時に、時代に翻弄され目的を見失う恐れも出てくるし、顧客にも信頼されなくなる可能性もある。今日の様に大きな変化が起きている時こそひとつの事を遣り続ける大切さを思い知らされた感がする。来年の開催が今から楽しみだ。
東日本大地震の南北の揺れで明暗
誰もが気付いていることなのだろうが、東日本大地震の揺れは南北に揺れた為に新幹線の脱線事故や高速道路を走行中の車にも被害がなかった。マスコミなどは中国の鉄道事故と比較して日本の新幹線の運行技術は優れているので、東日本大震災でも地震を予知して停止したために脱線事故などはなかったと自慢げに書いていた。しかし、新潟中部地震の時には脱線事故があったので、東日本大地震で新幹線が無事だったことは理由があった筈である。このため、専門家の間では検証済みであろうと推定されるが、一般には流布されないので多くの人が技術を過信して本質を見失う恐れもあると思われるので、地震に対しては素人あるが、次の地震のために揺れに対して考察して見たい。地震の一定方向の強い揺れは過去の地震では思い出さない。都内において経験した強い地震は今から遡る事24年前に起きた直下型地震であるが、この時には最初が縦揺れであったために、一瞬40~50cm下に沈んだ様な経験をした。その後に大きな横揺れの地震に見舞われた。この時の地震は震度5クラスで、都内のエレベーターが全部停止した程の大きさであった。この時の印象では縦揺れが強烈であったために横揺れの方向の記憶がない。今回の大地震で南北の横揺れであったと気付いたのは、ひとつは事務所内の設置物の保管位置による落下状況であり、ふたつには大地震時に常磐高速道路を日立からいわきに掛けて走行していた人の意見であった。今回の地震時の落下物についてふり返って見ると分かると思われるが、南北に直角に配置していた棚などの場合には、棚の上に置いていたものが飛んで落ちた筈だ。しかし、南北に平行に配置した棚などのものは影響が少なかった筈である。また、私が驚いたのは仙台市内で一般道路を走っていた車で地震時に緊急停止していたにも拘わらず車内で左右に大きく揺れたと発言しているのに、常磐高速道路を南から北に走行していた車に乗っていた人達は地震に気付かなかった事である。この事に関しては、今回の揺れが南北であったのに感謝しなければならないと思われる。もし、東西の揺れであったらと考えると恐ろしい大惨事に巻き込まれた可能性がある。尤も、地震は南北の揺れであったが、東日本の国土は東に移動しているのである。また、地面が沈んでもいるのである。素人の私では現象面だけしか語れないが、今後に地震の専門家のコメントなどを収集してみたいと考えている。なお、今回の大地震に関して当社の専門である建築物について言及すると、入居しているアーバン虎ノ門ビルは地形が四角形に近く建物も正方形であるのでどの方向の地震にも強いと考えられているが、今回の南北の揺れの地震でも影響が少なかった。最新のビルと比較すると大きな柱が設置されているが、この柱は耐震性の強化のために意図的に設計されている。確かに、今風の無柱空間のオフィスなら有効面積が多くなり、レイアウトの面で便利かもしれないが、耐震性に限れば弱いことを認識する必要がある。デザイン重視の現代ではややもすると安全重視の建物は否定されがちであるが、変形した建物や細長い建物は地震に弱いことも理解して入居ビルを選択することをお勧めしたい。現代社会はコスト削減のために重装備の物に関してガラパゴスと言う呼称を付けて時代に取り残される様な意見が主流だが、ガラパゴスは滅んだのではなく今でも存在し続けていることを忘れてはならない。21世紀はデザインとソフト重視の社会だが、20世紀のハードの経験があってこそと理解しないと非常時には役に立たない物で溢れる事になる。コスト削減の前に昔の人の教えである「備えあれば憂いなし」の意味を考える必要がある。
デフレや円高が解消しないのは役人(政治家も?)が望んでいるからだ
日本経済がデフレに陥ってから10年以上経過した。与謝野大臣が日本のデフレは良いデフレなどと記者会見で言ったらしいが、資本主義経済の利息が伴う社会で物の価値が下がり続ける現象は間違っていると考えるのが普通だ。勿論、日本は資産デフレに始まり、IT技術によってグローバル経済が促進されたこともありデフレ経済に陥ったのであるが、バブル経済時代に偶然に地下鉄車両の中で役人と見られる二人が話していた会話を思い出し、デフレを喜んでいるのは高い給料と失業に不安のない役人の本音ではないかと気が付いた。その時の二人の役人は土地の高騰に対して怒っており、社会主義的な制度の土地政策を論じていた。この様に書くと高尚な議論を行なっていた様に思えるが、実際には都内に持ち家が変えない不満であった。20年前のバブル経済が吹っ飛んで資産デフレが起きた時には役人は経済全体の悪影響などより都内に持ち家が買えることで喜んでたのを記憶している。政治家同様に今の役人が天下国家を考えて仕事に従事している人は少なく、大半が個人の生活に重きを置いていることは間違いない。そうすると、デフレなのは物を安く買えるので役人に取ってはデフレは悪くないのである。また、円高も海外旅行に行くには最高だ。役人も多少の給料が安くなったが、これまではデフレ経済にも拘わらず、人事院勧告で給料は上昇し続けたのである。役人にとって現況は笑いが止まらないほど美味しいのである。尤も、日本社会ではデフレで求人率が落ち込んでおり、民間企業の給料は大手企業を除けば大幅に下落しているので、役人やそれに準じる人達はデフレを継続させる理論が必要となり、それが日銀マンが著した「デフレの正体は人口減」であったと考えると分かり易い。マスコミと大衆は馬鹿だからこの本はベストセラーとなったのである。与謝野大臣も耄碌して本音が出たのであろうが、「よいデフレ」などと本音を口走ったのであろう。政治家も政党助成金や議員報酬も手当てもデフレの方が価値を維持するので、政治活動(?)や生活が楽なのである。デフレや円高を解消するには、政治家や役人の得る報酬を大幅に下げることであり、絶対に消費税などを上げさせてはならないことである。
hpgrp GALLERY東京 展示会とイベント開催
hpgrp GALLERY東京があります青参道よりIOSSELLIANI T-02-IOS新展示と
イベント開催のお知らせです。
是非この機会に青参道へお越しくださいますようお願いいたします。
■IOSSELLIANI T-02-IOSより展示のご案内■
赤池完介「日々ステンシル、サーカスの来た町」
会期:2011年8月26日(金) – 9月21日(水)
オープニングレセプション:2011年8月26日(金)18:00 – 21:00
会場:IOSSELLIANI T-02-IOS(hpgrp GALLERY東京のビル2F)
国も時代も特定できない平凡な町にサーカスが突如と現れ、
人々は心を躍らす。そしてサーカスが立ち去ると、また淡々と続く日々
が町に戻る。そこには騒ぎの後の哀愁ある光景が広がる…。
IOSSELLIANI の今シーズンテーマであるモダンサーカスからイメージを
膨らませた本展では、ジュエリーと赤池のステンシルワークが交わることにより、
高揚と虚無がダイレクトに伝わる内容となっております。
是非ご高覧ください。
———————————————————————–
■AOSANDO’s NIGHT MARKET開催■
2011年8月26日(金)-8月27日(土)17:00-21:00
hpgrp GALLERY東京のある「青参道」の11店舗でナイトマーケットを開催いたし
ます。照明をいつもより少し落とし、キャンドルが並ぶ青参道でH.P.F,スタッフ
蚤の市や家具の市など、各店企画をご用意してお待ちしております。
是非この機会に青参道へお越しください。
詳細はこちらのURLをご覧下さい。
http://www.aosando.com/news/
————————————————————————
アッシュ・ペー・フランス株式会社
hpgrp GALLERY 東京
director 戸塚 憲太郎
150-0001 東京都渋谷区神宮前5-1-15 CHビル B1
Tel:03-3797-1507
Fax:03-6805-0840
Email:art@hpgrp.com
URL: http://www.artdiv-hpf.com/tokyo
Blog: http://blogs.brash.jp/totsuka/
米価に対する無知
米価は食糧管理制度によって長い間決められてきたが、日本の農業が衰退したのは米価が政治価格として高い扱いを受けてきたことが一因だと暴論を吐くものがいる。然し、本当に米価が高い扱いを受けてきたのなら農村に後継者がいなくなり、兼業農家になる訳がない。米価が政治価格としてマスコミが取り上げるので、都会の人達は米の価格は高いものと錯覚してしまった。私が学生時代に都会出身者とよく米の価格で議論した事があった。先ず、米が主食と言う考え方が間違った時代になっていることを改めなくては議論が進まない。江戸時代や明治時代、更には太平洋戦争時代なら兎も角、高度経済成長を遂げた後の日本では米が主食ではなくなった。主食の意味は食費の割合が高い事を指すと考えると、米は40年前以上に主食の座は失っているのである。数字的に分かりやすく説明すると、一汁一菜の食事の時代には大人が1年間に食べる米の量は3俵と言われている。又、子供の場合は2俵と言われている。この時代でも夫婦と子供3人が食べる年間の米の量は12表になる。1表は60kgであるから12表/年×60kg=720kg/年と計算される。現行価格を見ると標準米で10kg3500円位であるから、親子5人が食べる年間の米の総額は、720kg/年×3,500円/10kg=252千円/年である。月額に換算すると、252千円/年÷12ヶ月=21千円/月である。ただし、この金額は一汁一菜の時代に置き換えての話である。現代は大人でも年間に食べる米の量は1表半でも多いと言われているが、一応、米を多く食べる家族を想定して改めて現代の家族5人が食べる米の量を推定すると上記の時代の半分程度となるので、年間に食する米の量は6俵となり、月額に要する米の購入価格は10,500円/月と算出できる。家族5人が自宅で食べる食事費は平均で7万円とすれば、食事費に占める米の割合は15%である。一汁一菜の時代と同じ位米を食べても30%の割合である。農業が駄目になったのは、米価が高く買い上げられたために生産システムの向上の努力が足りなかったのでなく、主食でもないのに食糧管理制度で価格が決められたために、主食の地位を失ったにも拘らず付加価値の米を生産して高い価格で売る事が出来なかったからである事がわかる。農業政策を司る農水省が家庭にパン食が普及してきた時に農家に米作りでなく、パン食で需要が高まる野菜作りを奨励したるすることを怠り、逆に米の需要減による過剰生産に対して休耕補償で誤魔化したために農業が一層衰退したのである。日本の場合全ての行政組織が同様だが、東大法学部卒に農業の現場や変化が分かるわけがない。私が感心したのは、大手商社の食糧部門に拘わってきた人の洞察力である。パン食が増えると生野菜が売れるのは商売の方程式であることを理解しているのである。実際の現場で起きている事を熟知しているからこそ分かる事である。日本の行政マンは何時の間にか現場を馬鹿にする風潮が生まれ、国民の足を引っ張る事としか出来なくなってしまった。農業の再生には国民が行政と真っ向から対立する姿勢が必要であり、国民も自給自足の大切さを理解し、米が高いなどの思い違いを訂正して欲しいと考える。
財務官僚の円高容認は戦前の金解禁の悪夢と同じ
財務官僚が円高容認の発言をしたと言われて急激な円高となっている。リーマンショック後の円高の図式は簡単である。欧米諸国がリーマンショックの経済悪化を防ぐためにお金をジャブジャブ流して過剰流動性にしたが、日本だけは相変わらず小刻みの金融緩和政策だけなので、デフレ経済も解消しないので、世界中の通過の中で円だけが価値が下がらない通貨として買われているのである。この様な背景にあるのでは、ドル買い円売りなどを日銀が行っても焼け石に水だ。リーマンショック後の日本の金融政策を見ていると、戦前の大恐慌時代に無謀な金を解禁した井上準之助大蔵大臣を想起する。経済学者によると、井上準之助の金解禁は理論的には正しかった様だが、第一次世界大戦で焼け太った日本企業の真の実力を過信したために多くの企業が倒産して裏目と出たのであった。今の財務官僚や日銀マンを見ていると、国内で円の過剰流動性を高めても投資先がないので無駄と考えていると推定できる。その根拠のひとつとしては、日銀マンが書いてベストセラーになった「デフレの正体は人口減」である。また、財務官僚などは大手企業の内部留保資金を見て市場に金が不足しているのではなく、投資先がないから過剰流動性を高めても仕方ないと考えているものと推察される。日本の官僚の間違いは大企業中心の考え方であり、中小企業など眼中にないために起きているのである。今正に、中小企業には資金がなく、東日本大震災と福島原発事故による消費減少に対して苦しんできている。それなのにこの急激な円高である。金解禁の金融政策の失敗は井上準之助の暗殺と後任の高橋是清の金融政策によって修正され、国民は救われたのである。高橋是清は子供時代から苦労した人で、世間に精通していたからこそ大恐慌から脱する政策を理解していたのである。頭でっかちで机上の理論先行で実社会を理解していない財務官僚と日銀マンが日本の金融政策を牛耳っている限り本経済が回復する事はない。多くの馬鹿な政治家が財務官僚の尻馬に乗って増税発言をする姿は亡国の輩以外の何者でもない。円高は円の過剰流動性で阻止できるのである。日本の金融政策を変えるには戦前の様な荒療治が必要である。
天竜川の水難事故を考察する
天竜浜名湖鉄道会社の運営する天竜川の急流船下りで事故が起きた。社長会見では船頭のミスと釈明された。確かに事故だけに焦点を絞って見ると会社側の説明通りと理解すると思われる。然し、天竜浜名湖鉄道が3年前まで赤字鉄道会社であり、2009年に今の名倉社長が就任してから2期続けて黒字化を実現したことを聞くと、事故の原因が単純な船頭のミスと言い切れるかどうか疑問が湧いてくると思われる。新聞報道などによれば、名倉社長は内部昇格ではなく、他所から来た方らしい。前職は分からないが、鉄道の再建を委託される位だから優秀な経営実績があるであろう。私が注目した点は同鉄道会社を経費節減で直ぐに黒字にした件である。長年の間赤字会社であった鉄道を手品を使うように黒字化した手腕には驚くが、誰しもが思うのは急激な企業改革と大幅な経費節減に無理はなかったのかと言うことである。勿論、私が言いたいのは、急激な改革と大幅な経費節減を断行しても問題ない業種とそうでない業種があることである。鉄道事業や急流下り事業は共に人命に関わる業種である。特に、急流下り事業は集客が増大し、黒字化に大きく貢献していると聞いて尚更今回の事故には船頭のミスを誘発した会社側に問題があると思われて仕方がないのである。赤字が続いた会社が何も行なわないで来た訳ではない事を考えると、名倉社長が行なった経費節減は現場の非正規社員の増加であり、安全対策として必要なお金を使わないことではなかったかと推察できる。尤も、救命具の着用は会社側の自由裁量であった事には驚いたが、この制度も古きよき時代に通用したものであるのを行政側が見落としていた事例であろう。日本人の責任感を期待した制度など今日では通用しない事は自明である。会社の利益を上げるために同じ仕事をさせるにも拘わらず、正規社員と非正規社員との格差を考えただけでも自由裁量の制度など危険極まりないのである。天竜川の事故の原因は色々と推定されるが、ひとつには急激に増加したお客に対する船頭教育や確保に問題が無かったかと言うことである。然も、高齢化社会の日本では当然高齢者の船頭が多いこと直ぐに分かり、健康管理の面で会社側がどの程度考慮していたかである。日本の社会も金融資本主義が導入され格差社会になったにも拘わらず、自由裁量制度や事故に対する経営責任の罰則規定が弱い。米国の様に、自由を与える代わりに罰則規定も整えていることを日本でも早急に見習う必要がある。東日本大震災で日本人の我慢強さや礼節などを海外から評価されたが、それは一般市民の礼節である。日本企業の経営者のモラルの低下は酷く、全く一般市民と異なり、人命より数字の人達である。古きよき時代は二度と来ないのであるから、事故に対する経営責任を問う罰則規定を強化すべきである。東京電力の福島原発事故然りである。
hpgrp GALLERY 東京の展示会
■窪田美樹 「人の山」■
会期:2011年8月26日(金) – 9月19日(月祝)
オープニングレセプション:2011年8月26日(金) 19:00~21:00
会場:hpgrp GALLERY 東京
家具を用いて、「実在と虚構」を暗示する作品を中心に発表して来た窪田美樹の新作
展をご案内申し上げます。
目の前に実在するかたちと、かたちの中に埋もれるイメージを混在させることで強い
個性と存在感を放つ窪田の作品は、常に現代彫刻の新しい可能性を示唆しています。
本展では、数年前から取り組んでいる、平面的な要素にボリュームを持たせて立体化
し、それらを集積させることで彫刻を成立させる新たなシリーズを展示します。
量塊や、素材と形の関係という彫刻的概念を独自のアプローチで展開している窪田美
樹の新作展をこの機会に是非ご高覧ください。
<作家コメント>
見る事で衝動的に起る感覚というのは、何に由来しているのだろうか。例えば、初め
て見るから驚くと言うが、実際感情は既存の記憶になぞらえて動くものではないか。
既に知っている何かと重なる、だから驚く、怖がる、面白がる。見る行為と感情の間
に、対象だけでなく別の何かがあるとするなら、一体何を見ているのか。あるように
見える事と、実際にある事の違いに興味を持っている。「虚像で実像を作る」という
言葉をイメージして、紙に焼かれた写真や絵画のコピーを握りつぶして形を与える。
写真や絵画におさめられた空間を素材として彫刻作品を制作する。
―窪田 美樹
窪田 美樹
1975 神奈川県生まれ
2001 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コース修了
展覧会履歴
2010 「よりあい」grisette(東京)
「皮膚と地図(あいちトリエンナーレ入選企画展)」
愛知芸術文化センター(愛知)
2009 「かげとりと、はれもの」 hpgrp GALLERY 東京(東京)
「Haptic – 触覚」ヴィック・ムニーズ キュレーションによるブラジル・
日本アーティスト、トーキョーワンダーサイト本郷(東京)
2008 「DESHADOWED かげとり(第2回ARTEGG)」資生堂ギャラリー(東京)
「所沢ビエンナーレ・プレ美術展-引込線」(所沢)
2007 「かげとり」新宿眼科画廊(東京)
他多数
———————————————————————–
■IOSSELLIANI T-02-IOSより展示のご案内■
赤池完介「日々ステンシル、サーカスの来た町」
会期:2011年8月26日(金) – 9月21日(水)
オープニングレセプション:2011年8月26日(金)18:00 – 21:00
会場:IOSSELLIANI T-02-IOS(hpgrp GALLERY東京のビル2F)
国も時代も特定できない平凡な町にサーカスが突如と現れ、
人々は心を躍らす。そしてサーカスが立ち去ると、また淡々と続く日々
が町に戻る。そこには騒ぎの後の哀愁ある光景が広がる…。
IOSSELLIANI の今シーズンテーマであるモダンサーカスからイメージを
膨らませた本展では、ジュエリーと赤池のステンシルワークが交わることにより、
高揚と虚無がダイレクトに伝わる内容となっております。
是非ご高覧ください。
———————————————————————–
■AOSANDO’s NIGHT MARKET開催■
2011年8月26日(金)-8月27日(土)17:00-21:00
hpgrp GALLERY東京のある「青参道」の11店舗でナイトマーケットを開催いたします。
照明をいつもより少し落とし、キャンドルが並ぶ青参道でH.P.F,スタッフ蚤の市や
家具の市など、各店企画をご用意してお待ちしております。
是非この機会に青参道へお越しください。
————————————————————————
アッシュ・ペー・フランス株式会社
hpgrp GALLERY 東京
director 戸塚 憲太郎
150-0001 東京都渋谷区神宮前5-1-15 CHビル B1
Tel:03-3797-1507
Fax:03-6805-0840
Email:art@hpgrp.com
URL: http://www.artdiv-hpf.com/tokyo
Blog: http://blogs.brash.jp/totsuka/