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成田空港には海外に行く時に訪れる場所なので、此れまでは空港施設を時間を掛けて見学する機会を持たなかった。尤も、海外に行く以外に過去に2度ほど成田空港に行ったことはある。一度目も二度目もパートナーの帰国を迎えに行ったのだが、今から23年前の一度目の時は自宅を出て首都高に乗る前に事故を起こして仕舞い、迎えに行ったのは飛行機到着後5時間以上が経過したために親を巻き込んでの大騒ぎになった。当時は携帯電話が今の様に普及していなかったので連絡できなかったためである。二度目は今から12~13年前になるが、やはりパートナーを迎えに行ったのだが、この時にも空港内を見学する考えはなかったので時間に余裕を持たなかった。そして今回が三度目のお迎えなのだが、三連休の中日と言うこともあり、また空港内駐車場の位置にも気がかりなことがあったので、今回は十分時間を取った。この為、余裕を持って空港内の駐車場に着き、その後空港施設内のレストランで遅い昼食を取り、更に時間が余ったので施設内を物見遊山し、駐車場の精算機を確認した後に、屋上のテラスで飛行機の離着陸を楽しんだ。私は知らなかったが、飛行機に乗る乗客や迎えの人以外に多くの人達が飛行機の離着陸を見学に来ている。今回はパートナーがデルタ航空を利用したので第一ターミナルだが、そう言えば一回目の時は第二ターミナルがなかったので、南ウイングか北ウイングの何れかで良かった。しかし、二回目は確か第二空港に迎えに行った様な記憶がある。それにしても何時も思うのだが、空港内の駐車場の出入口のアクセスは不親切である。推測するに、合理的に考えた結果が利用者にとっては不便極まりない設計になったと思われる。又、時代の流れと言えば仕方がないが、今頃になって羽田空港が国際便の離着率を増やして名実共に国際空港になった。今の若い人達は成田闘争など知らないと思われるが、私の世代は成田空港建設反対運動の真っ只中で学生生活を過ごした。国が地元の意見を聞かずに勝手に候補地に決定したことが波乱の幕開けだった。然も、候補地の住民達の多くが満州からの引揚者であり、不毛の地を与えられて漸く作物が取れるようになった時に空港建設計画が持ち込まれたので、引揚者達の国に対する不信もあって成田闘争が起きた。政治家と役人がお上意識で進めた成田空港計画はその後多くの時間と多額の費用を投入して漸く国際空港として機能して未だ十数年しか経過していない。この間、東京湾の漁業も衰退し、漁業権を消滅させる事が可能になったことにより、東京湾の埋め立て計画が進み、同時に羽田空港の拡張計画もプラザ合意後の公共投資拡大とも相俟って規模を拡大し、国際空港としての整備がなされた。無駄な時間と多額の税金を投入した事業は成田空港や羽田空港ばかりではない。多くの公共事業が同様なお上意識で計画され、その結果が大幅な財政赤字と大量な国債発行となり、今日増税と言う形で国民に犠牲を強いる計画を進めている。従来の様に黙って国民が政府や役人のツケを受け入れては何も国家は変わらない。今こそ、過去の公共事業とその推進しか地方が成り立たない様な行政の仕組みに対してノーを突きつける時がきたと考える。

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日本のマスメディアはすべてにおいて真実を伝えてないが、特に中国報道に関しては意図的な情報操作が感じられる。この為、自らが中国の意図と実体を考察する事が重要であり、欧米の謀略に嵌まらないことになる。中国は紀元前から栄えた国である事を思い出さなければならない。日本の高齢者世代は戦前の中国蔑視の環境で育ったので直ぐに対抗意識を持って中国に反発する。又、若い世代は逆に歴史観が希薄で、到底中国人の考えを理解できない。然し、歴史的に見れば、他のアジア諸国と比較して中国の経済・文化は突出していたのである。況してや、中国にとって欧米諸国など紀元後、良いとこ数百年の経済・文化と見ていると推定できる。中国人がプライドが強いのは当然なことと考えなければならない。何せ中華思想を実践した歴史があるのだ。その中国のプライドを打ち砕いたのは近代文明であり、特に明治以降の日本であった。前段が長くなったが、結論から言えば中国人の時間は明・清の時代で止まったままであるという認識が必要と言うことである。政治的にも、近代国家として生まれ変わった様に見えているが、中国人の意識では国家と言う概念が未だ未成熟であり、明・清の封建国家とその後の国民党支配、共産党支配も何等変わっていないと言う現実である。更に、現在の共産党指導者の悲願は欧米と日本の侵略を受ける以前の状況に国家の勢力範囲を回復することであると考えると、中国はマスメディアが報じる覇権主義でなく、侵略以前に戻す事である事が理解できる。その様に考えると、尖閣諸島問題は現時点では中国は日本に譲歩していると推察出来るので、今後の日中関係にとっては重要な点である。島国の能天気な日本人は現在の民主国家の日本との比較だけで中国と中国人を見ているので間違った判断と言わざるを得ない。勿論、現代中国が世界中を敵にして明・清時代の勢力圏を回復するとは思わないが、動きは間違いなく回帰本能であることが分析できる。なお、中国人の意識は封建社会から近代社会に急速に変わってきているが、悪い事に途中で金融資本主義に感化されたので、価値観がお金になり、道徳観が急速に衰退してしまった感がある。中国は今でも中央国家が地方に対して完全な支配権を確立したと言えないが、逆説的に言えば、ITCの情報化時代にはネットワークで結ばれたローカルが重要な意味を持って来ると推定できるので、漢民族と他民族との関係をネットワーク的に結べば未来が見えてくると思われる。日本にとってはそれを期待したい。

 

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赤字国債の発行は今から遡る事34年前に自民党の福田赳夫内閣の時に開始された。第一次オイルショックによるインフレから一転して第二次オイルショックでスタフグレーションの様相を帯びてきたので、景気の梃入れに建設国債として発行された様に記憶する。この時に国債発行に上限枠を設けなかった事が今日の膨大な国債発行残高になったのであるが、1985年のプラザ合意に伴う国内需要の喚起、そして日本経済バブル崩壊後の景気回復などの為の公共投資事業の拡大などで急激に国債の残高が増えていったのも確かである。然し、2000年以降の小泉内閣による規制緩和や郵政民営化、更には地方地自体への交付金の削減などを進めたにも関わらず国債の発行は減少することはなかったのである。本来ならば、この時点で国民は可笑しいと気付く必要があったのだが、マスメディアは何も報道しないどころか赤字国債を次の世代に残しては駄目的な論調で国民を増税に対する洗脳工作を進めてきたのが実情だ。何故、低金利なのに赤字国債が増え続けるのか。結論的に言えば、日本の予算の支出の仕組みを変えないで、収入などに対する手段を変えた結果なのである。日本の国家予算は一般会計と特別会計で成り立っているが、実は予算は税収入と他に財投と言う資金の二本立てであり、財投と言う借金分が常に水増しされていた。喩えて言えば、サラ金財政なのである。何故、借金を前提にした予算であったかは推測の域を出ないが、戦後の税収不足の中で考えられたものであり、その前提にはインフレ経済を想定していたものと予想される。問題は財投の導入先なのだが、財投の借入先は郵便貯金であった。日本は国債残高の発行は他国より少なかったのは財投と称して郵便貯金の資金を借りていたからなのである。所謂、間接的な国債発行と言えるもので予算が編成されていた。然し、郵政民営化により財投資金と言う借金の代わりとして国債発行が出てきたのであり、急に国債残高が増えた理由は公共投資の増大ばかりが原因でないのである。日本の行政機能はすべてインフレ経済が前提で仕組まれていたので、経済が資産デフレから本格的なデフレになったので、すべての組織に矛盾する問題が起きているのである。予算編成などは典型的な問題である。勿論、経済自体が実需と金融が整合していないので、税収入と支出をイコールにする必要はないが、少なくてもデフレ経済の時点と郵政民営化を進める時点では、ベーシックな問題にメスを入れる必要があったのである。それが、財務官僚の誤魔化しで国民が騙され、急激に増大した国債残高の理由も開示されないで、すべて国民のおねだりの理由に責任転嫁されたのである。野田総理が次の世代に借金を持ち越さないなどと戯言を言っているが、インフレ経済時代のサラ金財政を改革しないで放置してきた財務官僚の責任は重い。財政難なのに政治家は相変わらず無駄使いをしており、官僚も官舎を新設したりしているのは、赤字財政など昔から財投と言う資金で存在していたから危機感がないのである。日本は高齢化社会を迎え、国内の工場や企業が減少する中で、消費税など幾ら上げても赤字国債の問題は解決しないのである。早急に21位世紀に通用する国家のグランドデザインを作り上げて対応する必要がある。情報化のネットワーク時代にに中央集権的な行政組織は不要であり、ローカルを核とするネットワーク国家の樹立が求められているのである。赤字国債の縮小には、現行の予算的な発想ではなく、別途な機関を設立して一定の税率を充当すること以外に解決策はない。既存の体制を維持しての日本経済復興はない。

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知人が東京都港区青山5丁目に出しているお店です。

居酒屋と謳っていますが、オーナーの本業がファッション関係の会社経営ですので、こじんまりとした

オシャレな店です。シェフは素敵な女性です。

店の位置づけは、洋風小皿料理とアルゼンチンワインですが、リーズナブルな価格で楽しめます。

お薦めしたいお店です。以下は1周年のメールを頂いた内容です。

皆様 

いかがお過ごしでしょうか。
先週末、ショーウインドウのアンテ作品の入れ替えをしました。
タイトルは「私の好きなもの」です。子供の心を持った大人の方に喜んで頂ける作品です。
logo_FIXwindow
さて、来る10月1日(土)で東京十月は開店一周年を迎えます!
いつもご贔屓にしていただいているお客様、お友達をご紹介下さったお客様、そしてしばらくご無沙汰しているお客様にも支えられ、一周年を迎える事を大変嬉しく思うと共に皆様への感謝の気持ちで一杯です。
十月は日頃の感謝をこめていくつかのスペシャルイベントを開催致します!

【info】その1・・・   10月1日(土)ウエルカムドリンクサービス
                          急ですがこの日は一周年を記念してご来店のお客様全員にお好きな一杯目をプレゼントいたします
                          皆様のお越しをお待ちしております!

【info】その2・・・   期間限定アルゼンチンワインフェア開催します。
                         十月一杯、すべてのボトルワインを20%Offでお楽しみ下さい。メルマガ限定サービスです。 

            「メルマガ見たよ」とスタッフへお伝え下さいませ。   
                         

【info】その3・・・   期間限定アルゼンチンスペシャルコースをご用意いたします!   
                          新作アルゼンチン郷土料理を織り交ぜた3,800円(5,000円相当)のフルコース、只今準備中です。 
            新メニューはもちろんアラカルトでもご注文いただけます。
            ※詳細は間もなくWEBサイト/女将のブログでご紹介します。乞うご期待! http://www.tokyo-jugatsu.com/
 
本当に、本当に感謝しております!ありがとうございます!  
それでは、皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。

P.S.居酒屋 東京十月では、お誕生会、同窓会、結婚式の二次会、三次会も承っております。 

日曜祝日、日中の団体様(15~40名)のご利用もご相談をお受けいたします。
また、セミナーなど貸切でのご利用も承っております。(プロジェクタ用の大型スクリーン有り)
ご予算に応じて、居心地の良い時間のお手伝いをさせていただきます。
どうぞ、お気軽にご相談くださいませ。

居酒屋 東京十月
東京都港区南青山5-7-17小原流会館地下1階
TEL 03-3409-6077 FAX 03-3409-6076
www.tokyo-jugatsu.com
OPEN 17:00-23:00 CLOSE Sunday&Holiday

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先週週末に大学の学窓5人と神田の居酒屋「旅籠屋次郎」で久し振りに飲んだ。今回の飲み会の友は今は消滅した協栄生命保険会社本社(現ジブラルタル生命)の夜警のバイト仲間でもある。学窓の構成は建築学科3名、電子工学科3名の6名である。偶然だが、建築学科3名は都立大、芸大、筑波大の各大学院に進んだのに対し、電子工学科の3名は卒業後就職した。今回の飲み会は筑波大学の大学院に進み、その後茨城県に会社を作って活動している伊藤君の呼びかけであった。この伊藤君の呼びかけによる通知が電子工学科の3人には誤解を与え、滑稽な飲み会の始まりとなった。電子工学科の3人は当然に店の予約は伊藤君が行なったものと考えて店でその予約を確認して部屋に案内されたのだが、私は一番最初に入ったためか予約人数の多さに疑問を感じて他のお客が来る前に退散し、携帯電話で連絡を取り伊藤君が待つ部屋に移った。然し、電子工学科の他の2人南雲君と工藤君は違和感を覚えながらも間違った部屋で見知らぬ人達と歓談し、その後に間違いに気付いて漸く合流したのであった。伊藤君の舌足らずの案内が誤解を生んだのだが、実際の予約者は建築学科の佐藤君だった。このため、佐藤君が連絡した建築学科の松岡君は間違いなく目的の部屋に入ったので恥をかかないで済んだのだが、それにしても間違った部屋で2人が歓談した飲み会は彼等に最初は違和感を与えなかったそうなので、何の集まりだったのかも妙に気になった。何はともあれ、今回の飲み会は最初から大笑いで始まったのである。尤も、工藤君の生家は岩手県大槌町であり、ご母堂が3月11日に津波で行方不明と言うことを聞いていたので、今回の飲み会に参加するのかどうか気になっていた。飲み会の時間が大分経過し、それぞれで話が分かれた時に工藤君に聞いた所、1ヵ月後の4月に遺体が確認出来たとの事であり、然も幸運にも荼毘に付される前であった事も聞いた。彼によれば、遺体は棺桶の中にビニール袋に入れられて保管されていたとの事で、ビニール袋に入れていたのは腐敗しない為に液体を使用していた為であるらしい。又、ご母堂の顔の表情は海水から顔を上げて息を吸うような苦しい姿と説明してくれた。彼は他に親戚でも数人亡くなくなっており、不意に訪れた不幸に多くの言葉はなかったが、寂しそうに田舎に帰る故郷(家)がなくなったとポツリと言った事が印象的であった。勿論、工藤君は飲み会においては悲しみなど微塵に見せずに明るく振舞っていたが、私としては入学後に知り合った最初の同級生であり、私の田舎に泊まりに来た事もある友なので世の中の不条理に改めて怒りを覚えた。なお、飲み会は懐かしい話で盛り上がり10時近くで開きとなったのだが、学生時代に夜警のバイトをした協栄生命本社ビルも今は建替えられてビジネスホテルになっている寂しさもあり、皆で神田駅周辺を暫し歩き回った後に分かれた。尤も、協栄生命のアルバイトでは私が一番短かったのだが、不思議な縁で解体前に一度訪れている。経済バブル崩壊で金融機関が倒産する中で、協栄生命も貯蓄型の保険を売っていた為に経営難となり、米国のプルデンシャル生命に売却された。プルデンシャル生命では社名をジブラルタル生命と変更しリストラを進めたのだが、そのジブラルタル生命の財務担当役員が私の友人の知人であった。このため、懐かしさもあって友人と一緒にその知人を訪問して25~26年振りに旧協栄生命本社ビルに入ったのである。学生時代には威厳があり綺麗であった役員フロアも、経年劣化と経営難でメンテナンスが不足していたためか、精彩を欠いていた。しかし、20代の社会人になる前に企業の表と裏の現実世界を見せてもらったのは勉強になった。勿論、その経験を生かした人生ではないが、久し振りに会った学窓との飲み会は心地よいひと時を与えてくれた。

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日本が機能しなくなったのは政治のお粗末さだけではない。政治など田中角栄以降機能していない。問題は中央官庁の組織が現代社会に通用しなくなったのである。民主党の小沢一郎はそれに気付いて政治主導を掲げたのだろうが、官僚より知識と経験が不足している今の政治家に出来るわけがない。中央官庁の何が問題化といえば部分最適で重要な政策を行なっていることだ。20世紀のハードの時代から21世紀のソフトの時代に変わり、且つ情報通信の発達によって社会経済のグローバル化が一挙に進んだのだが、中央官庁の組織は旧態依然のままである。少なくても一部の民間企業は垂直的な組織からフラットに移行し、尚且つ全体を統轄する司令塔を設けている。しかし、多くの民間企業、特に中央官庁は旧態依然の組織で政策立案を行なっているために部分最適に陥って日本を悪い方向にリードしてきている。中央官庁の部分最適とは課長クラスが日本の運命を左右する政策を立案し、その政策には官庁同士はもとより、同じ省庁内でも整合性を持たせたものでないと言う現実である。複雑化した社会では中央官庁の課長クラスが部分最適で作り上げた政策など通用しないし、逆に他の政策に対して悪影響を与える可能性がある。然し、中央官庁には司令塔が存在しないのである。いや、財務省と言う予算でしか物事を見れない司令塔しかいないと言うべきであろう。この結果が、失われた10年どころか20年になろうとしている。財務省の主計局が全ての省庁の予算を審査しているが、主計局の役人に他の省庁の政策など深くは理解できるわけがない。厄介なのは自分達は頭が良いと錯覚しているので、合成の誤謬などに気が付かない。部分最適と合成の誤謬に陥っている役人に国家の運命を委ねている怖さがある。行政改革とは単に省庁を統合するだけでなく、情報化やグローバル化に対応した組織に変えることを意味する。然し、現時点では行政改革は予算の無駄しか議論されず、旧態依然の組織には言及していない。経済産業省が進めようとしているTPPも然りである。TPP問題は経済産業省単独でなく関係省庁が参加するプロジェクトチームによって議論されるべきなのにである。全てが部分最適の政策で日本の未来を損ねている意識がない役人には日本を任せられない。本来ならば、旧態依然の組織を正すのは政治なのだが、天下国家を考えられる政治家は一人もいなく、野田総理の様に財務官僚の言いなりの政治家しか生まれない。今期待できる政治家の一人としては、橋下大阪府知事位と思われる。日本を良くするには第二、第三の橋下さんの出現である。

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敬老の日が長年親しんだ15日から三連休を作って敬老の日が変わってから違和感を覚えているが、今年は偶然に見たTV番組で二人の老人の老後を見て考えさせられた。一人は御年93歳の女流画家ともう一人は御年75歳の主婦兼夫の会社の事務を今でも行なっている女性であった。二人の生き方を比較するには年齢さが18才異なるので意味がないが、二人の共通点は年齢を感じさせない飽くなき挑戦かもしれない。勿論、女流画家の方は哲学的境地に入っており、死に対しても理解を深めており、93才にも拘わらず頭脳の明晰さと世界中を旅してきた人だから言える文明論や人生感に関しては素晴らしいものであった。一方、75才の方は登山の素晴らしさに目覚めて挑戦する姿をTVでは追い続けていた。登山と言っても当世風の山ガールの類ではなく、ロッククライミングであるのには驚いた。私も学生時代から社会人に掛けて山登りを趣味として続けていたので、山の見せる優しさと凶暴さは痛いほど分かっていた。体力が充実していた20代の時でさえ山の天候次第では遭難する可能性があり、体が冷えることの恐ろしさを嫌と言うほど体験した私にとっては、御年75歳で始めたロッククライミングは無謀のひと言の様に思えた。TVは敬老の日に合せて放送するのにこの女性の姿を追い続けたと推測するが、TV番組では多くの人達に何を伝えたかったのか最後まで分からなかった。勿論、75才の女性が単独でロッククライミングに挑戦したわけではなく、高齢者の登山愛好家の「エンドレスGチーム」と言う団体に所属してトレーニングを重ねたのである。このチームリーダーは若いときから世界中の山に挑戦してきた方で御年は68才であった。TV番組では南アルプスの駒ケ岳で初のロッククライミングする75才の女性を撮影するために準備を進めて実現はしたのである。然し、映像の中の女性は数十メートルのロッククライミングに6時間以上も掛けて岩壁に悪戦苦闘する顔には疲労感と後悔の念が起きていたと思われた。最後にはキャンプ地に戻る時間の関係から自力では無理となり引き上げられたのであった。撮影後の感想として75才の女性は再度挑戦したいと述べていたが、気持ちだけが若い高齢者の出現は何なのだろうかと考えさせられる。確かに、今の高齢者は若い時に仕事や子育てに時間を取られ、今の若い人の様に人生を楽しむ時間は少なかったのは確かである。その為か、今の高齢者を見ると青春時代を取り戻すかの様な外見や服装を良く見かける。そうは言っても明治、大正、昭和、平成と時代は戦中戦後の一時期を除けば常に先の世代が恵まれた生活を送ったことは間違いないのである。その様に考えて過去を振り返ると、明治大正時代に育った人は、今の昭和生まれの高齢者の様な人生を取り戻すような生き方ではなかった様に思われる。この違いは何なのかと考えてしまう。私の母は若いときには良く働いた人で、外見や動作において今でも相当若く見えるが、年齢を取り戻す様な生き方は見られず、年齢は80才半ばを迎え静かな人生を送っている。尤も、髪の毛だけは白髪を好まず染めているのが唯一の若さに対する執着かしれない。又、敬老と言う言葉が嫌いなので、一度も敬老の日をお祝いした事はなく、多分一生敬老のお祝いをすることはない思っている。勿論、元気なお爺ちゃんやお婆ちゃんは好まれるが、先の75才の女性の様な果たせなかった青春を取り戻すかの様な生き方には複雑な思いがする。現代日本が高齢化社会に入り到る所で老人達を見るが、若い時なら許される様な他人に配慮出来ない姿を見るにつけて情けない思いがする。本来の高齢者の生き方は若く見える事を自慢する事ではなく、年齢とともに備わった経験が生きる内面的に美しく見えることの筈だ。今の社会が不完全燃焼に見えるのは高齢者達の生き方が生臭すぎるためかもしれない。良い社会とは女流画家の様な方が多くなることではないかと思った次第である。

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財務省は消費税を上げて財政再建を行いたい意向だが、増税ありきの再建は成功しない事は欧州各国の現状で分かるとおりだ。財政再建を謳い文句に欧州各国は放漫財政を放置して増税を繰り返し、今では日本の消費税に相当する税金の税率は20%を超えている。馬鹿な日本の政治家も日本の財政再建には消費税を20%以上に上げる必要があるなどと言っているが、それなら何故欧州の国々は財政破綻に向かっているのかと聞いてみたい。増税は公務員にとって麻薬と同じと言う事を国民は理解しなくてはならない。政策の立案に実質的に関わっているにも関わらず失敗に対する責任を問われない公務員制度にあって増税で身分が安定することは麻薬を吸っていることと同じ効果を齎す。欧州各国で財政削減でデモが起きているが、デモ隊に参加しているのは皆公務員と言う事実を日本人は考えるべきだ。冷静に考えると、財政破綻した国家の再生にIMFが関与してきたときには増税でなく国家のリストラだ。増税が財政再建に効果があるならIMFは何も厳しい財政支出の削減を要請しないだろう。基本的には財政再建には行政改革が重要になるのだが、問題は公務員主導の行政改革では公務員の無駄使いを放置して国民が必要とする医療や年金に皺寄せが来ることだ。本来なら、国会が機能して行政改革を進めるのだが、行政機能を公務員に握られている上に国税や警察、検察権力で国会議員の生殺与奪を左右しているので、国会議員で遣れる事は少ない。勿論、後ろめたい事がない国家議員なら財務官僚に対抗できるが、今の政治家を見る限りダーティな連中ばかりなので、財務官僚の軍門に下ったも同じだ。しかし、国民は行政改革を放置して国家の破綻目前の欧州各国が増税で財政再建が出来なかった事実を重く見て、増税ありきの流れを食い止める事が肝要だ。公務員や政治家にとっては増税は麻薬と一緒で、財政再建どころか今以上に財政悪化が起きる可能性が大きい。増税で次世代に借金を残すなの嘘を見破れ。

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NHKのインタビューで茨城県の東海村の村上村長が福島第一原発事故処理の政府の対応に怒って言った言葉である。東海村は日本で最初に原子の火を点した歴史的な場所である。その後も原子力関連施設が立地し、財政的には恵まれた自治体である。しかし、数年前にJOCの臨界事故が起きて放射能が拡散すると言う災害が発生している。村上村長によれば、原発事故による避難エリアは3kmを想定して避難訓練を実施してきたそうだが、今回の福島事故の避難エリアは30kmに拡大した事に驚愕したとのことだ。その上に福島原発事故に対する政府の対応を見て住民無視に怒りを覚えて「こんな国が原発なんか持つんじゃねえよ」と言う発言になった。私も同感である。文部科学省はSPEEDIで早くから放射能拡散を知っていたにも拘わらず、住民の避難に繫がる行動を起こしていない。然も、経済産業省がSPEEDIのデータを求めたにも拘わらず、データの開示は24時間後と言う緊急事態など考慮していない対応だった。菅前首相や前内閣の重要閣僚が退陣後に原発事故に対する政府対応などに関して弁解の発言が目立つが、実際には彼等の初動対応の失敗が全ての原因である事は間違いがない。菅前首相などが東京電力が職員全員を福島原発から避難させる意向であったのを食い止めたと言っているが、政府が何も対応してくれない憤りが東電の一斉退去示唆に繫がったと推定される。大地震後のインフラ遮断時において東電と言えども単独では事故処理など出来ようもないのが事実であった。然も、政府が平時の縦割り行政に対して非常時の体制に移行しなかったので、東電が直接自衛隊に協力要請を行なっても動かなかった事実に対して菅前首相はどの様に答えるのかである。又、東電の清水社長の帰京に対して自衛隊機を使用したことに防衛大臣が途中から飛行機を戻したと言う行為そのものが政府が一丸となって動いていなかった証明である。菅前首相の最大の間違いは原発事故に対して地域住民の避難が遅れたことである。公表するとパニックが起きるからとの理由からだそうだが、逆説的に言えばパニックを恐れて住民を被爆させたと言う事実は犯罪行為である。特に、菅前首相は事故発生後に東工大の学者の意見しか聞かず現場を混乱させた反省もない。マスメディアも報道していないが、東電本社内に設置された原子力事故緊急対策本部では何等の対策も議論されず、その時に行なっていたのは大地震後の給電に対する需給想定作業であった事である。東電本社にはその時点で原子力技術など分かる役員がいなかったのに、何が緊急災害本部設置かと笑止千万である。国民を騙し続けた政府の原発事故対応であるが、今回の福島原発で分かるのは政治家も役人も国民など信用していないと言う事実である。電力会社や行政などは原発立地住民など難癖を付けてお金を出させる人々と軽蔑していたのではないかと思われる。確かに、原発の安全神話とは裏腹に何時の間にか地域住民と電力立地関係者との間には相互不信が芽生えていたのかもしれない。私の友人が電力立地の電力交付金を指して麻薬みたいに作用して次々と増設を受け入れなければならなくなると言うことを指摘していた。今回の福島原発事故ではあまり言及されていないが、規制緩和による電力自由化が福島原発事故の一因になっていると言う事実である。各電力会社は国策に沿って電力の安定供給のために多額の投資を行なってきたが、突然グローバル化の中で起きた電力自由化が各電力会社の将来計画に暗雲をもたらすことになった。特に、原子力に関しては廃炉に要する費用や高レベル放射能貯蔵施設の建設などにも多額の費用が見込まれるために、今後の電力自由化の流れに際しては従来の様な放漫経営は許されなくなり、効率経営が求められる様になったことである。電力自由化と言う規制緩和がなければ、福島原子力第一発電所に関しては使用延長でなく、廃炉にした可能性が大きいと思えるからである。日本の場合には全ての事で言えるが、民営化や規制緩和においては保護して来たために過剰な投資債務を抱えてると言う事実を無視して行なってきていることである。尤も、国鉄の民営化だけは債務を国が引き受けた特異な例だが、この時点では財政再建など必要としない国債発行残高であったためと推定できる。その後の電電公社の民営化、郵政民営化などにおいては国の負担に関しては言及されていない。逆に、民営化後の株式上場による利益の計算しか行なっていない様に思われる。翻って、電力自由化を推進するのであれば、各電力会社が有する多額の投資に対する問題にまで言及しなければ出来ないのである。それが電力会社任せで電力自由が進められた結果、安全を無視した経営が進められ、最悪の事故を招いたと言っても過言ではない。グローバル化の中で縦割り行政所か、同じ省庁の中でも縦割り行政が行なわれていたのでは、時代の流れに翻弄されてしまうだけと思料する。同じ茨城人として東海村の村上村長の言葉に共感を覚える。

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20年近く迷走した政治の帰結は自民党政治型の回帰となった。戦後に採用した中間選挙区制度を改正して小選挙区導入で二大政党政治を目指したが、二大政党の一つの民主党は党の綱領も定める事が出来ない烏合の衆の政党となり、党の混乱を納めるために発足した野田政権は正に自民党型の政治の回帰であった。国民としては野田政権の発足で何のための長い年月の政治空白かと憤りを覚える。そもそも情報化時代になり、価値観が多様化してきた現代において二大政党などの実現を目指したのは誤りであったのである。尚、百歩譲って自民党の単独政権を壊すために小選挙区制度を導入したのかもしれないが、しかし民主党を見る限りその後の戦略が見えない。野田政権の発足で一番がっかりしたのは、自民党が官僚に支配を許す契機となった田中角栄の政治手法を踏襲していることであった。自民党政治が官僚をコントロールできたのは、それぞれの省庁の政策に通じていた優秀な大臣を任命してきたからであった。今から40年前の佐藤栄作首相までは当選回数で大臣にさせる情実人事はなかったのである。しかし、田中角栄が総理となった時点から、自民党の総裁選挙に貢献した議員を大臣に就任させるシステムとなり、勉強してきた政策と関係がない省庁の大臣に就任し、結果的に官僚の言いなりになるお飾り大臣の出現となった。多くの国民は忘れている出来事だろうが、政治が駄目になったのには理由があるのである。野田内閣の大臣の人事では正に田中角栄型を踏襲しており、防衛大臣が防衛政策を知らないのがシビリアンコントロールだと居直る姿には呆れて物が言えない。野田総理は松下政経塾出身と聞くが、松下幸之助は経済人で成功した人である。経済人で成功した人は強烈な個性の持ち主が多いが、野田が松下翁から学んだ事は選挙に勝つことであると推定され、政治とは何かを学んだとは思えない。確かに、松下翁はビジネス社会においては神様なのであろうが、晩年に危機を感じた日本の政治に関しては一般人の域を出ていなかったのではないかと思料する。日本が政治を間違えたのは、田中角栄を出現させたことなのである。そう言う意味では、田中角栄の政治を学んだ小沢一郎にも期待できる事は何もない。優秀な官僚を使うのはその省庁の政策を熟知している政治家だけが出来る事である。勉強してきた政策と関係ない議員が大臣になったら、逆に官僚に支配されるだけとなる。今の日本は責任を取る事がない官僚が政策を進めてきたから間違ったのである。野田政権も発足当初から大臣就任の動向を見る限り期待できない。然も、最悪な事には、馬鹿の一つ覚えの増税一辺倒の財務官僚に洗脳された野田だからと思ったが、財務官僚に洗脳された最初の国会議員が田中角栄だと気が付いた。財務省を解体しなければ日本の夜明けはないと言える。