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欧米の経済危機の報道と相俟って欧米諸国から独裁政治国家と名指しされている国々が倒れたり混乱している。ICTなどの情報技術がアラブの春など民衆の蜂起の原因と言っているが、シリアとリビアで異なった現象が起きている。シリアの様に資源がない国には欧米諸国は武器等を供給するなどの支援を行わないが、リビアには人まで送って支援している。勿論、欧米諸国はリビアから原油を輸入しているので、内紛が続くと経済がより悪化するので沈静に手を貸したと言う大義名分はある。然し、米国のイラク戦争が捏造した情報で開始された様に、真実は別な所にあると見るのが常識だ。欧米の経済危機と資源争奪戦争とが平行して起きていると見るのは穿ちすぎだろうか。昔から経済危機を乗り切るのは戦争が一番効果的と言われている。米国の9.11事件も未だにCIA関与説が消えないのも、イラク戦争は9.11によって引き起こされたもので、その背景には米国のITブーム崩壊の不況期に入っていたからである。その様な視点で見ると、次のターゲットはイランであることは間違いない。今朝のNHKニュースで野田政権は欧米に追随してイランに対して経済制裁を強化したことを報道していた。これにより、野田総理のスタンスが見えたのだが、野田が公務員の息子、然も自衛官の息子であることが米国追従政治になり、今後は中国と軋轢を生む可能性が高いことを予想される。日本の間違いは明治維新後にロシアと戦うために英国と同盟を結び植民地主義政策を進めたからに他ならない。日清戦争後、日本が中国と手を結んで中国の近代化に協力したならば全く別な日本社会が存在していたと思われる。日露戦争に戦時国債を購入して資金を出したのはユダヤ人であったが、購入したのはロシア内に生存していた500万人のユダヤ人がロシア帝国の圧制から解放したい一念からであったことが現代になり分かった。マスメディアも金融もユダヤ人が支配している状況は現代でも変わらない。尤も、エジプトの様にイスラエル国家に対してプラスに働かない動きもあるが、欧米政治が関与しているので、それも織り込み済みかもしれない。過去の歴史から見れば、イスラエルを脅かすイランの存在は看過できないと思われるので、イランの原子力開発に難癖を付けて戦争を仕掛ける可能性は高いのである。然も、欧米諸国は戦争をしたくて獲物を探し求めている。野田総理は父親に勧められて政治家の道を目指したと述べているが、父親が自衛隊でどの様な職務についていたか一切報道されていないことに疑問を感じる。穿った見方をすれば必要以上に米国に協力する自衛官であったならば、その息子の野田総理も自ずからその道が正しいと信じて突き進むかもしれない。消費税値上げの一直線、TPP参加問題、今回のイラン経済制裁強化と見てくると、米国は野田総理を親密なパートナーとして機密情報を提供する代わりに、日本のコントロールを強める可能性がある。もし、現防衛大臣が辞職し、次の防衛大臣に誰を就任させるかで推測が当っているかどうか分かる。その観点から言えば、大阪市長選の橋下攻撃の主体は米国であったと思われる。橋下大阪市長の動きは米国にとっては日本支配において目の上のタンコブと言えそうだ。荒唐無稽と言われそうだが、ひとつ言えるのは欧米諸国のイラン攻撃が迫っていることだ。欧州のソブリン危機ばかりに気を取られていると間違った見方をしてしまうので要注意だ。

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30台の若手女流作家「中村安希」の書いたノンフィクション"Beフラット"を読んだ。日経ビジネスの誌面で採り上げていたので、興味が湧いて週末に住まい近くの書店を覗いたが置かれてなく、アマゾンで購入するしかないのかと考えていたら隣駅の駅ビル内にある書店で1冊だけ置かれていたのを見つけて購入した。本の内容は日本の若手国会議員、世襲政治家でない者を対象にインタビューしたものだが、単なるインタビューの記載ではなく、作家の留学体験や帰国後の派遣社員の体験、そして海外諸国訪問の体験を交えながらの国会議員の考え方に言及したものであった。著者の中村安希は高校を卒業後米国の大学に留学し、卒業後3年間米国で働いて帰国し、その後は派遣社員として色々な体験を積んでいる変わった経歴の女性だ。彼女は当然に米国社会の良い面と悪い面を見てきている。帰国後の派遣社員として働いて日本社会の酷さも知った。そして海外諸国を歩いて多くの国で日本の評価も体験した。この様な体験の持ち主の作家が若手国会議員18人にインタビューして感じた日本の政治の印象は私が想像したことと同じであった。少数の議員を除けば殆どの議員は通常の社会ではうだつの上がらない連中が政治家になっていたと言う現実だ。この本を読むと日本の政治は変わらないと言う思いを強くした。実社会の経験が少ない者が机上の理論を唱えている姿にはあきれる他ない。その様な者が国民が国家に甘えているとか、耐える精神が欠如しているとか非難する自体に呆れる。この本の中に実名で登場している政治家は評価できるとしても「良貨を悪貨が駆逐する」と言う諺を思い浮かべると日本の将来は暗い。著者は特に最初から政治家を目指し政経塾などに学んで政治家になった人物に対して批判的であり、少なくても政治家として志すなら実社会を経験する必要があると書いた場面である。私も同感であるが、その観点から言えば、実社会経験のない現在の野田総理は最悪になりかねない。尤も、官僚にとっては洗脳出来やすいので好都合であろう。官僚の催眠術に掛かった様に行政改革など無視して消費税の増税一直線であり、国民の議論など無視したTPP参加の決定など単細胞の理由が理解できる。みんなの党の若手議員が消費税の増税でフラットな社会造りを唱えているが、理論は正しくても行政改革や予算の仕組みを変える発想がなければ、逆に財務官僚に利用されるだけであろうと思われた。何れにしても実名で登場した国会議員達は人物に優れていると思われるので、政治に失望しないで頑張って欲しいと思う。然し、著者の見た政治家は若手ばかりでなく、中高年の政治家の殆どが実社会では通用しない人物が国会議員であることに敷衍するとこの国の将来に不安が起きる。特に小選挙区制度になって国会議員の質が落ちたと思われるので、国民は最悪の選択を行ったと考えざるを得ない。国民は議員削減と同時に「選ばない権利」を主張し、選挙制度の改革を国会に求める必要がある。

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ギリシャに端を発した国の信用不安は金融機関を巻き込んでEU内の各国に波及し、更に世界経済に悪影響を及ぼそうとしている。この混乱をどの様に見るかで今後の世界経済を行く末を見るのが大きく変わる。EUの通貨統合で指摘されていた欠陥が正に露呈している訳だが、全く別な観点で読み解くと違った姿が見えてくる。確かに、リーマンショックがEU経済の混乱の引き金にはなったが、本当にその事が全てであろうか。情報化技術の急速な発達で世界経済はグローバル化したのは事実である。そしてグローバル化が時代の流れと見るとEUの進めていた政策は流れに逆らっていたと見える。メディアの報道では世界共通のスタンダード作りが進んでおり、その中に参加していないと多くの面で主導権が奪われ、従属的になってしまうことを指摘していた。表面的に見るとその通りであるが、よく考えるとIMFの唱える自由貿易とは相反する面があると思われる。その理由としては、世界経済は現時点では各国の国内法や制度で差別化されており、その差別化には理由がある訳だが、その理由を無視したEU内で通じるスタンダードを国際標準にする遣り方は無理があると考えられる。国際標準とは聞こえが良いが、よく考えるとEU内に製品などを輸出するにはEUが打ち出したルールに従えと言うことであり、見方によってはブロック経済の変形と思われる。このEUの動きに一番危惧したのは米国であると思われる。米国は世界貿易に必要な通貨を供給し、第二次世界大戦以降は常に世界経済の主導権を握ってきたからである。特に、ブロック経済を危惧しているのは世界の金融やメディアを牛耳っているユダヤ人達であると推定できる。穿った見方をすれば、リーマンショックを引き起こしたサブプライムローンなどやCDSなどの商品はEUがブロック経済化するのを壊す役割で開発されたと考えても可笑しくない。実際の所、正にリーマンショックはEUを揺さぶっており、崩壊の危機に直面している。この点から言えば、米国のTPPもブロック経済になるので、時代の流れに逆行したものと考えられる。陰謀説は余興だが、時代の流れに逆らうと破壊されると言う観点から見れば、EUの混乱は正に経済圏の拡大と貿易囲い込み的な方向に向かったのが天の怒りをかったと考えられる。何れにしても、グローバル化では国際基準が必要なのは当然だが、その基準がひとつの経済圏を基準にしたものではブロック経済化する恐れがあり、IMFの自由貿易に反することになる。更に、貿易の主導権争いが米国のTPP推進の様な新たなブロック経済化になるのでは、日本の様な加工貿易立国が成り立たなくなる。情報化の時代になりグローバル化が世界に君臨した独裁者を放逐し民主化が進んでいるが、一方では新保護貿易主義となる国際標準作りと言う名の下にブロック経済の芽が出てきている。IMF理事長が自由貿易を守るためにEUを救済する必要があると言う言葉には説得力がない。

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今回の大阪市長選及び大阪知事選のW選挙ほど行方が気になった選挙は過去になかった。世界中で転機が求められている中で、日本も漸く時代に追いついて行けそうな主役が登場した。橋下さんは今後明治維新に習って現代の坂本竜馬などの呼称で呼ばれるかもしれないが、私が思うには維新の言葉は良いが、橋下さんには反幕府の既成勢力を結束させた過大評価の坂本竜馬ではなく、新時代に活躍した人ではないが、上杉鷹山の様な指導者を目指して欲しい。今の日本は先ず、官僚支配の無責任な無駄使いの予算主義を打破しなければ真の改革とは言えない。グローバルと言う言葉で国内の問題より外の動きに目を奪われているが、政治とは足元を堅固にしてこそグローバルに打って出られるのである。現代の日本は明治時代の様に闇雲に西洋化を目指すのではなく、逆に日本文化にアイデンティティを求め、グローバル化に対応する政治が必要なのである。西欧の真似事をしてきた結果が今の日本の閉塞状況だと言う認識が先ず必要なのである。それには官僚政治の脱却が必要であり、市民に政治を戻すことである。勿論、現代日本が駄目になった原因のひとつには、西欧の日本化の過程で歪曲したものもあり、それが日本文化否定になっている誤解があるので、日本及び日本人とは何かを考える必要もある。日本は移民の文化から独自の日本文化を築きあげてきたのであることを再認識し、現代西欧のシンプル文化の上を行くエンプティの日本文化をグローバル化の中で活用することである。現代の維新は西欧に追いつく維新でなく、日本が世界に向けて発信する維新になるべきと考える。橋下さんの政治にはそれを期待したい。

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指導者として以前から興味を持っていたので、中日監督退任と同時に発売された著作「采配」を購入し、23日の勤労感謝の日に一気に読んだ。私自身は野球と言うスポーツには子供の頃から余り興味が無かった。成長過程で野球と自動車に興味がないのは時代的に子供同士のコミュニケーションに欠ける嫌いもあったが、好きになれないものは仕方が無かった。尤も、自動車嫌いは父親との関係で生じたものであるから野球とは別な理由であった。振り返ってみると、私自身は団体スポーツが好きでなかったのである。団体競技で行ったスポーツは唯一中学時代のバスケットボールである。小学生の時には高学年で剣道を遣り、中学時代には趣味的には色々な運動をしたが、クラブ活動としてはバスケットボールに所属した。勿論、個人競技として卓球部があったが、不思議と眼中に入らなかった。高校時代は体育の授業で剣道と柔道を学び、部活動としては応援指導部に入った。そして大学時代は運動としてはボクシング部に入り、趣味として登山に熱中した。話が大分横道にされたが、野球に関心がない私でも落合博満と言う人物には興味があった。落合監督は秋田県立秋田工業高校出身で東洋大学中退なのだが、大学は野球で入ったと思われるので、学力を見るには秋田工業高校になる。落合世代は未だ大学進学率は低く、学力があっても家に資力がなければ実業学校に入った時代である。私の優秀な同級生も資力的に大学に進めない者は水戸工業高校、水戸商業高校や水戸農業高校に入学している。落合監督は県庁所在地の秋田市内の工業高校に入学できたのであるから中学時代の成績は良かったと推定できる。今話題の読売新聞の渡辺会長が、巨人軍の原監督と落合監督を評して言った「落合の方が頭が良い」の言葉を思い出した。確かに、落合監督は頭が良いと思われるが、それ以上に"采配"に書いている通り、落合監督は最初から野球エリートでななく、紆余曲折を経てプロになり、その後は誰も成し得なかった三冠王3度を獲得して漸く野球エリートの道に乗り、45歳迄現役を貫いた。この経験が監督として生きていると書かれているが、正に努力の人である落合選手を名監督に育んだ環境があったと思われる。落合監督自身が語っている様に確かに野球選手は個人事業主であり、1年毎の契約の世界であり、競争社会である。当然に若い世代との時代ギャップもあるのだろうが、そのギャップを克服している姿には驚く。又、コーチに関しても仲間を呼ぶと言う考えは全くなく、実力主義を貫いている姿にも孤独に強い落合監督が見えてくる。私自身も経営者の端くれだから落合監督の「孤独に勝てなければ勝負に勝てない」と言う言葉は身に染みる。当社の先代社長が私に残した言葉も「経営者は孤独である。孤独に勝たないと経営者になれない。」であった。当社の先代社長も自ら自覚しないと仕事は出来ないと言う考えの経営者であったので、私が入社しても何も業務について細かい指図は呉れなかった。このため、自分の立場を考えて業務の指図を仰いだのだが、落合監督も正に同じような考え方をする人である様だ。自らが考えて動かなければ身に着かない事を良く知っている人である。"采配"の中で器用で勘が良い者に対して面白い見方をしていたのに興味がそそられた。「勘が良く直ぐに覚えるものは直ぐ忘れるが、覚えが悪い者は只管練習するので覚えると忘れない」と書いていた。スポーツ選手は器用貧乏では大成しないと言うことであろう。本を読み進むに連れて分かったことは、落合監督も団体スポーツの野球を選んだが、本質的には個人競技の人ではないかと言うことであった。当社の先代社長も個人競技の柔道部に入り、茨城県で勝ち抜いて全国大会に出場した程の猛者であった。勿論、大学時代も柔道で汗を流し有段者であった。個人競技者は人と群れることを好まない。落合監督の書籍から判断してだが、個人競技に進んだ人は孤独に強く、指導者に向いているのかもしれない。翻って、最も指導者に向かないのは団体競技のプレイヤーで最初からエリートの人かもしれないと思った次第である。何れにしても、落合監督の「采配」を読んで彼が優秀な指導者であり、然も人間自身を良く知っているのには驚かされた。

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hpgrp GALLERY東京の11月からの展覧会情報をお送りいたします。
また、下記のとおり、オープニングレセプションを開催致しますので、
ご多忙中とは存じますが、皆様お誘い合わせの上、是非とも
ご来廊賜りますようお願い申し上げます。

■伊藤 一洋 「unknown touches」
会期:2011年11月30日(水) – 2012年1月15日(日)
オープニングレセプション:2011年11月30日(水) 19:00~21:00
※今回のオープニングは水曜日に開催いたします。
また、19:00まで準備のため閉廊させていただきますのでご注意ください。
会場:hpgrp GALLERY 東京

ブロンズの可能性に挑み続ける彫刻家、伊藤一洋の新作展をご案内申し上げます。
黒く佇み現在の人間(我々)を表す「Dear Blind Phantom」シリーズ、
未来に現れるであろう新種の生命体の象徴として黄金色に輝くまで磨かれた
「Liquid Golden Baby」シリーズ、そして未知の存在、宇宙人として白銀色に輝く
「Starman Loves You」シリーズを中心にブロンズ彫刻を作り続ける伊藤は、
本展でも引き続き「彫刻は最終的には一枚の板、一本の棒になる」という
自身の彫刻哲学に基づいた作品を披露致します。

原型を作らずにブロンズの塊そのものから形を見出していくその手法は、
ブロンズ=鋳造という概念を覆すだけではなく、素材の永遠性と技法の即興性
という時間軸のコントラストを含みます。
制作過程で生まれる偶発的な形状と、磨きあげられた部分との視覚的対比も
重なり、単一素材とは思えない程豊かな表情を見せてくれる伊藤彫刻をこの機会に
ぜひご高覧ください。

伊藤一洋 Kazuhiro Ito
1972年  福岡県生まれ
1997年  武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業

【個展】
2010 「fallen genius」hpgrpギャラリー東京(東京)
「The return of the thin bright duke」 ヤマネアートラボ(福岡)
2009 「Evidence」 hpgrpギャラリー東京(東京)
2008 「The baby can dance, phantom cry」 hpgrpギャラリー東京(東京)
2007 「LIQUID GOLDEN BABIES」ギャルリー東京ユマニテ(東京)
2006 「LIQUID GOLDEN BABY」to.ko.po.la(福岡)
2005 「彫刻の本能 vol.2」 なびす画廊(東京)
2002 なびす画廊(東京)
2000 「焼かれ猿、立ち眩んで半歩」田中画廊(東京)
1999 「焼かれ猿の顎」田中画廊(東京)

【グループ展】
2010 「love and punishment」 aura gallery (北京)
   「久月」 aura gallery (北京)
   「DIMENSIONS-版表現、その広がり-」
東京日本橋高島屋6階美術画廊X (東京)
2009 「掌9」ラディウム レントゲンヴェルケ(東京)
2008 「Moeglichkei(t メークリヒカイト)」
ラディウム レントゲンヴェルケ(東京)
   「無題/UNTITLED」 hpgrpギャラリー東京(東京)
2007 「彫刻の本能 vol.3」 hpgrpギャラリー東京(東京)
2005 「奇妙な庭、にて」田中画廊(東京)
2004 三人展「火群の芽」桃林堂画廊(東京)
2003 二人展「彫刻の本能」なびす画廊(東京)
ギャラリーなつか(東京)
「Melting Pot」田中画廊(東京)

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■伊藤一洋展示情報
本展覧会に引き続き、1月13日(金)より佐藤美術館での展覧会
「sogno・夢~彫刻家二田原英二と次代を担う作家展~」に参加いたします。
こちらも合わせて是非ご覧いただきますようお願いいたします。

「sogno・夢~彫刻家二田原英二と次代を担う作家展~」
会期:2012年1月13日(金) -3月4 日(日)
会場:佐藤美術館 160-0015 東京都新宿区大京町31-10 TEL.03-3358-6021
website: http://homepage3.nifty.com/sato-museum/index.html
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■冬季休廊のお知らせ
hpgrp GALLERY東京は、12月30日(金)より1月3日(火)まで
冬季休廊とさせていただきます。
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■twitter、Facebookでもhpgrp GALLERY東京の情報をお知らせしております。
是非ご覧ください。

twitter: http://twitter.com/hpgrpgallery
Facebook: https://www.facebook.com/H.P.FRANCE.hpgrpGALLERYTOKYO
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アッシュ・ペー・フランス株式会社
hpgrp GALLERY 東京
director 戸塚 憲太郎

150-0001 東京都渋谷区神宮前5-1-15 CHビル B1
Tel:03-3797-1507
Fax:03-6805-0840
Email:art@hpgrp.com
URL: http://www.artdiv-hpf.com/tokyo
Blog: http://blogs.brash.jp/totsuka/

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大阪市長候補の橋下さんを潰す為に大きな力が動いている。全く関係ないと思っていた島田伸介の暴力団交際による芸能界引退劇も敵の本能寺は橋下徹と言う政治家に対する攻撃の幕開けであった事が今では分かる。最初は大阪市長選相手の平松候補の仕掛けかと思ったのだが、平松候補の立候補演説を聴いて買いかぶりなことを理解した。尤も、一時は平松候補が米国NYに駐在していたことがあるためにCIAとの関係も疑っては見た。しかし、メディアを通した執拗な橋下候補攻撃には疑問が湧いてきた。ひとつ言える事は今回の橋下候補の攻撃には警察官僚が絡んでいる事実だ。警察を動かせる存在となれば限られてくる。遠い日々になるが、私の亡父が警察官僚の陰謀によって選挙違反を仕組まれ、21日間警察署の留置所に拘留されたことを思い出した。この事件は亡父が参議院全国区から立候補した人物を仕事の関係で茨城県における選挙対策本部を引き受けることになったことに起因した。亡父は当時村議会議長であったが、思想的には革新系であり、革新無所属であった。しかし、参議院立候補者は自民党から出馬していたので、亡父は知人の茨城県の古参の自民党党員である町議会議長を選対の本部長に立て、本人は事務局長として実質的に選挙を仕切った。私は当時学生だったが、東京から戻り兄とともに選挙を手伝った。最初に後援会事務所を開き、選挙開始時には同所を選挙事務所とした。後援会活動のときに午前中に事務所に車で来た時に運転手つきの警察官が道路に停車して後援会事務所を見上げていた。その時は何とも思わなかったが、後日考えるとその警察官は茨城県警の本部長で敵情視察であったと気がついた。応援した参議院候補は30歳の若さで立候補し、義父の兄は右翼の大物であった。亡父はこの右翼が持つ利権を収奪しようとした田中角栄と後藤田正晴の争いに巻き込まれたのである。この時に警察を糾弾すべき事が起きた。警察が右翼活動している男を亡父の選挙事務所にスパイとして送り込んだのである。この男は後援会本部事務所に来訪し、右翼の大物を尊敬しているので選挙活動を支援したいと申し出てきた。亡父は何の疑いも無く選挙活動の一員に取り立て、右翼活動しかしていないこの男の家族のために報酬まで支払ったのである。この男が警察のスパイと分かったのは、亡父が逮捕されて警察から選挙違反の証拠として示された書類等を見せられたときである。この男は後援会活動の時の書類を保管し、指示されたことをその時に行わず、選挙開始後に実行したのである。明らかに亡父が選挙違反を行ったかの様な既成作りの行為であった。亡父は一本気な男であり、曲がった事が大嫌いな性格であり、然も気性が激かしかったので、選挙の投票日に投票所で逮捕されて警察署で取調べを受けた時には徹底して警察と戦った。警察の拘留が終わり、検事拘留になり、厳しい検事の取調べを受けたが、亡父は断固として否認し、21日間の拘留を受けた。当時は今と違い、検事が証拠を捏造したりする時代ではなかったので、最終的には警察の反対を押し切って拘留を解き、否認調書を作成して起訴猶予となった。私は警察の卑劣さに今でも憤りを持っており、国家権力で人を陥れるのは共産主義の警察国家だけでなく民主主義の日本で堂々と行われる事を知ったのである。田中角栄や後藤田正晴の卑劣な姿を知らない人達は評価しているが、私はあれほどの糞野郎を見たことがない。田中角栄の晩年が惨めな姿になったのは天罰であろう。後藤田正晴はその後も官界に影響力を及ぼしてなくなったが、天罰は女性問題で世間を賑わした孫の後藤田国会議員に下ると信じている。天網恢恢疎にして漏らさずとはよく言ったものである。大阪市長候補の橋下さん攻撃に警察官僚を動かし、またメディアを動かすのを見てこの行為を断固許すべきでないと思った。現時点では、関西電力や財務省の影がちらついているので、何れかかそれとも両者が絡んでいるかもしれない。このため、橋下候補に警告したい。警察のスパイが選挙違反をでっち上げるために入っているかもしれないので注意しろと。そしてその後ろにいる巨悪を叩けと言いたい。遣られたら遣り返せが鉄則だ。

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TPPのTrans Pacific Partnershipは、所謂多国間自由貿易主義と名付けられているが、実態は囲い込みの新保護貿易主義に他ならない。IMFのトップが来日して自由貿易を維持するためにECを支援して欲しい旨の発言をしたが、EUこそユーロを統一通貨として保護貿易に向かいつつあったのではなかったか。1930年の大恐慌後の保護貿易主義は英国など植民地を有している国々が植民地貿易を盟主国が独占したもので、現代の様相とはまるっきり違う。米国のTPP推進はEUを睨んでの貿易国の囲い込み競争の感がある。EUが貿易において基準作りを始め、各国がEU内の諸国と貿易する為にはその基準を守らなければ行わせないと言うことを進めた。このことは一種の保護貿易主義の変り種なのに、日本の政治家や官僚、そしてマスコミも能天気に単なる基準作りと考えている節が見える。しかし、米国はEUの狙いを読み、更に中国の台頭を抑止することを目的にTPPを打ち出したのである。自由貿易主義を推進するのは各国に違いがあるのは当然なので国対国の交渉で行うべきものである。ロシアも新保護貿易主義の匂いを感じ、旧ソ連時代の衛星国との再連携を打ち出した。この流れから中国もTPPと同様の経済圏の囲い込みを開始すると想定できる。日本の政治理念からすればTPPの参加は理念から外れるものであり、危険な新保護貿易主義の競争に加担することになってしまう。日本は明治維新後の国づくりで大きな誤りを犯したのに、再度TPP参加で誤りの道を歩もうとしている。日本はアジア人である。中国と韓国、そして台湾を貿易関係国とし、更に東南アジアの国々との経済連携を強化することが重要なのである。米国はアジアの国ではない。太平洋国家の一員でもない。米中に対し等距離を置く事こそ日本が世界経済に貢献できることである。馬鹿な政治家と馬鹿な官僚がマスメディアに誤魔化されて間違った道を進んでいる。絶対に阻止する必要がある。多国間自由貿易主義とは新保護貿易主義の台頭であることを理解すべきだ。

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2011-11-13 09.06.10.jpg8年振りの尾道行きだった。パートナーの故郷なのだが、私が同伴するのは法事だけである。今回も前日に法事を済ませ、翌日に尾道散策をした。尾道には福山から自動車で行くことが多かったので、林芙美子の「放浪記」の冒頭に出てくる"海が見える、海が見えた、5年振りの尾道の海だ、なつかしい"は在来線の電車で行かなければ見れない風景だった。今回は林芙美子の世界に触れたくて在来線の電車で尾道に入った。まさに、林芙美子が見た風景が現在でも変わらなくあり、尾道に行くには新幹線や自動車ではなく、はやり在来線の電車で行くべきと痛感した。尾道駅に降り、1km離れた船着場に行き、渡し船に乗船し、向かい側の向島に渡った。この島に渡ると尾道の町が一望できる。パートナーはこの向島に育ち、高校には毎日渡し舟で尾道の町に渡り、2km位の道のりを通った。途中から急な坂になるので、逞しい足になったのであろう。子供の頃育った向島の船着場周辺を歩き、再度渡し船で尾道市街に戻った。NHKの朝ドラの「てっぱん」で尾道の風景が良く流されたが、実際の撮影は周辺の島の造船所などの風景を使ったので、朝ドラの風景を見ようとすると尾道市内と向島だけでは見れないそうだ。海運輸送の江戸時代には潮溜りの停泊地であり、尾道商人が財をなし、多くのお寺さんを山の斜面に造った。明治以降は回船の輸送が寂れたが、日立造船が進出し、戦後の造船ブームには景気が良かった。しかし、何時も思うのだが、尾道水道は海ではなく、川の様に見えて仕方がない。尾道を訪れる人は誰しもが思える風景と言える。文人、志賀直哉も「暗夜行路」に同様の感想を書いている。現代の尾道は造船業の衰退で商店街は他の地域同様に寂れ、シャッター街となっている。しかし、昨今は観光ブームで若い人たちが頑張って来ており、懐かしい街として少しは良くなっている様だ。昼にお好み焼きの尾道焼きを食べることにし、商店街で聞いた店に入ったが、パートナーの評価は厳しく、然もへらで鉄板の上から直に食べれなくて憤慨していた。私は皿でも十分に熱いままで食べれたので良かったのだが、作り手の手先が不慣れだったこともあり、パートナーは納得していなかった。極めつけはおたふくソースではなく、カープソースを使用していたのにも憤慨していた。広島人のお好み焼きに対する拘りを見せ付けられた思いであった。今回の尾道散策は満足すべきものであったが、途中で尾道出身の漫画家のかわぐちかいじ、代表作は"沈黙の艦隊"、が尾道美術館で「尾道の人物誌」を描いていたのを知ったが、山の上であったので行けなかったのが残念だった。次は3年後に来る予定であるので、今度はどの様な旅にするか今から楽しみだ。
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TPP推進派の国会議員はTPP参加で国を開き国家の構造改革を進めると騒いでいるが、この推進派の声を聞いた国民はその様な手順でしか構造改革を進められないなら国会議員など不要と考えることに思い及ばないのだろうか。衆議院参議院を合わせて800名近くの国会議員に血税を与えて国づくりを任せているのに、米国の作った米国に有利なシナリオのTPPに参加しなければ国を変えられないと思うなら、国民として思うことは即時に推進派の国会議員は職を辞すべきだということだ。第二の開国などと暴言が罷り通っているが、現代は封建時代とは違い、議会制民主主義の社会である。国民から多額の報酬を貰って何もできないなら国会議員など不要の一言に尽きる。東日本大震災での復興計画の遅れや福島原発事故に対する放射能対策の遅れなどで国民から国会議員に対して不信感をもたれているのに、外国からの圧力がなければ構造改革も進められないと言うなら国会議員連中に言いたいのは、国会議員の職を辞して下さいしかない。TPP交渉は誰が行うかと言えば、実務者レベルで行うので官僚になる。国会議員が出るときには重要な交渉は終わっており、単なるセレモニーであることを考えると、構造改革を邪魔し、責任をとらない官僚に交渉などさせて良い結果が出る訳がない。TPP参加するなら、国会議員の定数を半減してから行うのが正論だろう。マスメディアも国民にTPP参加を訴えるなら国会議員の無能さも報道して定数削減を訴えろと言いたい。この国の議論は本当に誤った視点で行われてる。