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消費税の増税前には更なる行政改革も必要だが、消費税自体の中身の再検討も重要なのである。しかし、今回の増税には福祉と税の一体改革と称して議論されている為に5%以上にアップする際に検討しなければならない消費税の中身については全く言及されていない。海外の消費税は衣食住に掛けていないので20%以上になっても大きな反対運動は起きていない。マスコミは意図的であろうが、海外の消費税率は日本と比較して高いとだけ報道し、日本も国が多額の借金を抱え、然も高齢少子化社会に入ったので増税は必要の一点張りだ。特に、御用新聞の日経新聞の記事は読むに耐えない。業界紙だからと見過ごすには日経新聞は一般紙並みの信用性を持ってきたので看過するわけには行かなくなっている。日本人は忘れやすい国民と言われるが、特にTV文化が浸透してからは顕著と思える。自民党の竹下内閣の時に消費税が導入されたのであるが、この時の計画では3%などと低い数値ではなかった。しかし、国民の猛反発を受けて当時の大蔵官僚は将来に託して3%で妥協したのである。この妥協の産物が5%に引き上げられる時も今回の増税の時にも何等省みられることはない。妥協の産物とは、予定税収を確保する為に衣食住に掛けたことと二重課税の問題、更には売上げ税的な性格に変えてしまったことである。ガソリン税に課税するなど論外なのだが、自動者を乗らない人には関係がないので今でも改定されていない。都会の住民が田舎の住民より多くの税金を支払っていると不満を口にするが、都会の住民は田舎では車なしでは生活できない為にガソリン税に課税されている消費税の二重課税の負担を強いられている現実を知るべきと思われる。日本の消費税は売上税なので赤字会社でも当然に消費税は発生する。消費税の還付は物品を購入すると受けられるので、キャッシュフローが多い会社は有利な税金だ。中小企業などは常に資金不足に悩まされているので投資を増やすことは厳しいが、そうすると消費税の支払いが増えてくることになる。一方、個人も衣食住に課税されるので、増税は生活に直接影響が出てくる。特に、先進国では景気対策に住宅政策を織り込まなければならないのに、住宅取得に対する課税が増えれば景気回復にも悪影響を及ぼすのである。本来、3%の消費税だから許された衣食住に対する課税や二重課税問題も10%に引き上げられるとなれば話は違ってくるのである。民主党の藤井裕久議員は消費税アップで住宅取得に負担がますならば分割納税も考慮すべきと発言しているが、本末転倒の議論だ。幾ら間接税と言っても衣食住に対する課税は成長なしの経済で給与が上がらない状況では生活が苦しくなるだけである。本来、消費税とは贅沢税的なものとなるはずである。それがいつの間にか弱者を苦しめる税金に替えられ、金持ちの個人や企業が得をする税金に変わってしまったのである。財務官僚は知恵が回るので、消費税の本質的な問題で議論されるのを避ける為に、福祉と税の一体改革などと国民の目を誤魔化す方法を取ったと思われる。尤も、馬鹿な国会議員も同様に消費税の欠点を問題にするどころか現状ままで10%、更にはそれ以上にアップする考えでおり、消費税の真実が見えなくなっている。この為、消費税増税の反対ではなく、消費税の中身の議論に持ち込んで、増税の影響が弱者に及ばないようにする議論が必要な事を訴えかけるべきと思料する。

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“サンモール&BROADWAY"とは東京都中野区のJR中央線中野駅北口を出て目にするアーケード商店街の名称である。私は学生時代の一時期にアーケード商店街を横目で見て通学する場所に住居を構えていた。先日、設計士と打ち合わせていた時にこの商店街の事を設計士は「中野BROADWAY」と言ったので"?"と思った。私の学生時代には確かに「中野ブロードウェイ」と言ったのだが、卒業数年後に「中野サンモール」に名称が変わった記憶があったからである。この事が気になったので、先週土曜日に春真っ盛りの桜の花見とメタボ気味の体をスリムにするための一石二鳥を兼ねて自宅から中野まで散歩することにした。散歩ルートは自宅から高千穂大学と善福寺公園を通り抜けて善福寺川の桜並木までを一応考えたが、後は自由に動くことにした。この為、善福寺川の桜並木が一望できる五日市街道の橋から観桜した後は、取り合えず五日市街道を高円寺方面に向かった。同街道沿いには未だ昔懐かしい古い店が所々に残されてはいるが、全体的には新しい建物になり、個性がない街道沿いになってしまった。只管歩いていると青梅街道に交差したので、今度は青梅街道を新宿方面に向かった。環七を超えて少し歩くと、東高円寺商店街の町並みが見えたので散歩の時間は決めていなかったので寄り道を決めた。都内には未だこの様な商店街が結構残されてるが、東高円寺商店街も生き残っているひとつと思われた。面白いことに斜めの商店街を進んだ先の住宅街を行くと、このルートが意外と中野の近道であることが分かった。適切でないかもしれないが、頭に「急がば回れ」と言う言葉が浮かんだ。そう言えば、中野はクレジットを考案した丸井の本社がある町でもある。中野駅に近づくにつれて建築中の2棟の高層タワーマンションが見えてきた。反対運動も起きている様だが、工事はお構いなしに進んでいる。圧倒的な低層階の建物の場所に突如出現した様な29階建の2棟のマンションは確かに違和感のある光景となっている。不動産業界にとっては高層マンションは利益のでる美味しいプロジェクトだが、街つくりを考慮していない高層マンションの立地は論外と思われた。なお、今回の散歩は途中で花見をしたこともあり中野駅の到着には2時間位要した。中野駅北口に回り商店街の看板を見ると「サンモール」であった。変わっていないと思い乍ら、サンモールに入り散歩で喉が渇いたことと小腹も空いたので、先ずは喫茶店を探した。昔と違って何処でも喫茶店は少なくなっているが、サンモールにも同様であることが分かったが、1階には正に1件だけ昔の喫茶店が残っており、然も店内は新しい空間も演出されていた他、従業員のマナーも良く、更にコーヒーや軽食の類も美味しかった。腹を満たしサンモールを通過して反対側の看板を見ると「BROADWAY」となっていた。通りの何処で切り替わったのかと再度アーケード街を戻ったら、建築当事は高層マンションで有名になった側の入り口に「BROADWAY」の看板があった。学生時代にはカタカナの「ブロードウエイ」であったが、サンモールと棲み分けしてからはローマ字の「BROAWAY」になって復活したことを理解した。間際らしいと言えば間際らしいが、商店街の意見を纏めるのには両方の名前を付けることで解決したものと推測できた。サンモール商店街は2階位までだが、マンション階の部分は4階部分まで店舗があって昔は繁盛していた。卒業後大分経ってから一度懐かしくて来た時には3階以上は店舗の営業が少なかった記憶があった。今回も久しぶりに2階、3階、4階に上がったのだが、驚いたことに完全に店舗街として復活していた。復活の理由は外国製の時計売り屋とフィギアやマニアックな店舗がずらりと並んでいた。合間に占いの店もあった。中国人のお客もいた。そう言えば、中野サンプラザに事務所がある若い行政書士の方がfacebookに仕事を頑張った時には高級時計を買う事を載せていたが、成る程、BUROADWAYの商店街の時計売り場に触発されたことが分かった。何店舗もある高級時計店のお客は皆若い方であった。彼らが何十万もする高級時計を購入しているのには改めて時代の差を感じた。同時に中野BROADWAYの復活にも驚いたと同時に地方も商店街も含めて再生には何が必要かも考えさせられることであった。勿論、若い人にとっては中野BROADWAYは復活したのではなく、存在しか知らないのも事実なことも認識した。

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東京タワーは、日本の経済成長の象徴的な存在として長い間親しまれてきた。小学生の修学旅行に上野動物園と浅草の浅草寺、そして東京タワーを見学した。初めて東京タワーに上った時には高いのに驚いた。当時の建物の大半は建築基準法の制約もあり、9階建てが最高の高さであったと記憶している。このため、高台に建設された東京タワーは一際高さの存在感を増していたのである。次に、東京タワーを訪れたのは中学3年の時であるが、東京の越中島にあった東京商船大学(現海洋大学)で行われた国立鳥羽商船高等学校(現国立鳥羽商船高等専門学校)の受験で上京した際に上った思い出がある。三度目は18才になり、東京の大学に入学する前の予備校時代に東京タワーを見学した記憶がある。この時代には既に千代田区の霞ヶ関に三井不動産が建築した日本の超高層建物の曙になった霞ヶ関ビルがあり、又上京した年に浜松町の世界貿易センタービルが竣工し、その翌年には新宿での超高層ビル第一号の京王プラザホテルが開業したが、東京タワーの美しさは貴婦人の如く衰えなかった。その後、大分時間が経過し、今から25年前に会社の本社
から東京タワーが見える港区虎ノ門1丁目で仕事をすることになった。特に、
社長室のデスクから見える東京タワーは格別であった。それが規制
緩和の悪影響で隣接の土地に従来にない高い
建物の建築が可能となり、会社からの東京タワーを眺望できる風景が失われてしまった。今では会社近くの路上でビルの谷間に上部だけ見えるのが精一杯となってしまった。直下型震度7以上の地震に怯える人々を見ると、何で地震の巣の上の東京で超高層ビルやマンションを造り続けたのか気が知れない。超高層ビルの林立でデジタル放送において東京タワーの高さでは難しくなり、スカイツリーの建設が行われて今年完成した。偏見かもしれないが、スカイツリーは東京タワーの様な美しさがなく、私から見ればお墓に聳え立つ塔としか見えない。職人技で建築した東京タワーに人間味が感じられ、コンピューターを駆使した多くの新技術で建築したスカイツリーに空虚さを感じるのは年を取った為なのであろうか。多分、私はスカイツリーに上ることはないと断言できる。単なる大人になる時代に東京タワーに出会ったノスタルジアで両タワーを比較しているのではない。東京タワーに温かみがあり、スカイツリーに寒々しさを感じるのは正に現代の世相を反映していると思われるからである。
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月曜日の朝突然にTVの画面が真っ黒で映らなくなり、出社前の天気予報とニュースが見れなかった。以前に電源の入り切りで直した経緯があるが、今回は音だけ出ているので基盤か何かが故障したものと推定され、買い替えなければならないと言う思いが過ぎった。出社して午後には地権者の方が来社され、今回の新規契約について説明を行ったのだが、80歳になられた地権者の方の頭の良さには敬服した。この方は文部科学省のつくば研究所の教授を勤められたかたで、定年後の10年間は私立大学の数学の教授であった。今は悠々自適の生活だが、今でも最新の技術に目を通して知識の豊富さには驚かされる。偶然なのだが、この方は私の出身地に所在した旧制水戸高等学校に学んでおり、その後東京工業大学の物理学科に進まれた。人生の大半を研究に費やされ、記憶ではノーベル賞を受賞した益川さんとはつくばの研究所で一緒だった事もある。私が最初にお目にかかったのはつくばの研究所に在籍中の今から25年前であった。当社が開発した共同開発ビルの地権者の一人であった。その後は共同ビルの管理組合の理事をお願いしたこともあり、管理組合の運営にも力を尽くされてきた。今回の契約の話は直ぐに終り、何時もの通り雑談に入ったのだが、政治経済はもとより、専門の領域の物理の最新動向や複雑性科学など知見の豊富さには恐れ入った。弟夫婦から80歳のお祝いを貰って初めて80歳になったことに気が付いたとのことで、頭の中は今でも青年なのかもしれないと思われた。しかし、この方と話をする度に人間の質について考えさせられる。この方の父親は朝日新聞に勤務していた方だが、当社が開発にお伺いした時に健在だったのは母親だけであった。私はお会いしていないが、先代社長からこの方の母親の頭の良さについて聞いていたので、その母親ありて息子かなと言う気がした。帰宅してTVが壊れたので何時もの生活とは変わり、ラジオをつけて音の世界で食事をし、その後寛いだ。この時にTVを見ていた時の素通り感と異なり、耳で聞いた音が頭の中で色々な物を想像しているのに気が付いた。学生時代にマクルーハンのこれからは映像の時代という事が指摘され、現代は正にその言葉が具現化した社会だが、それ以前にTVが出現して一般大衆に入り込んできた時代に大宅荘一と言う評論家が、TVについて「一億総白痴化」をもたらすと警鐘を鳴らしていたことを思い出した。TVが故障した為にラジオを聞いていたが、最近ボケ気味のパートナーも食事後に新聞などを読み出して面白いことが書いてあると言った時には、大宅荘一の言葉が改めて偉大な批判と気づかされた。現代人が昔の人のように思慮がなく、且つ配慮に欠け、知恵が不足しているのは正に映像社会の弊害と考えさせられた。推測だが、先の年配の地権者の方は余りTVを見ていないのではないかと思われた。残念ながら当家のパートナーはTVなしの生活には耐えられない見たいで、今日にも家電大量店に駆け込む勢いである。やれやれである。

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 先週、福井大学で原子力学会があり、学会に参加する知人から誘われて初めて福井市を訪れた。距離的に飛行機で行く事を考えて調べたら福井空港はあるのだが規模が小さく一般旅客の空港ではなかったことが分かった。この為に、最寄の空港を探したら石川県の小松空港であった。飛行機は移動時間は早いが、搭乗時間や空港から目的地までの走行距離を考慮したら新幹線で行く方が良いことが分かった。勿論、北陸新幹線は開通していないので、東海道線経由で行く時は京都乗換え、帰るときは米原乗り換えと言う選択をした。

今回の福井行きは最初にトラブルに巻き込まれた。不運にも新富士と三島間で人身事故が起きて1時間以上の足止めを喰らった。当然に京都乗り換えの予定の特急サンダーバードには間に合わず、京都駅で僅か15分で次の特急電車の乗車券に取り替えて漸く目的地の福井駅に向かうことが出来た。以前は新幹線で自殺など起きなかったが、ここ数年新幹線で起きている。然も、不思議なことに新富士と三島間である。

漸く、福井駅に着き、先ずは駅近くに取ったビジネスホテルにチェックインして市内の散策に出かけた。予定より1時間以上到着が遅れたので、先ずは福井城跡に行き、その後は幾つかの神社に参拝した。途中で小雨が降ってきたので、アーケードの商店街に飛び込んだが、休日の為に殆どの店が閉まっていた。尤も、良く見ると閉鎖している店舗が多いのに気が付いた。福井はメガネ製造で有名な町であり、全国の中小企業の社長の出身地としてトップになったこともある所だ。その福井でさえ市内はシャッター通りが多く、町に活気がないのが良く分かった。

 
福井城1.jpg地方を訪れて何時も思うのだが、休日に店が休んでいるケースが多い。以前、大分の杵築に行ったときにも丁度日曜日で飲食店も開いてなく難渋した。一応、杵築は観光地としての位置づけと思われたのにである。

逆に、温泉場などは逆に日曜・祭日しか開いていないレジャー施設も多く、働いていないお年よりも平日に楽しめないちぐはぐな現象がある。

行政も最近は変わりつつあるが、以前は土・日、祭日は一切業務を行わなかった。この為に、役所から書類を取り付ける為に貴重な有給休暇を取って対応したものである。役所もサービス業なので業務によっては平日に休んで土・日、祭日に仕事をするのが普通と考える。それが出来なければその業務を民間委託か自動化を図れば良い。

確かに、地方の疲弊は円高で海外に工場移転した事も原因の一つだが、過剰な公共投資で地方経済を牽引してきたビジネスモデルにも問題があった。地方が公共投資に依存する体質は中央から地方に権限と税の移転を行わない限りなくならない。

地方都市の再生には全国共通化した考え方の除去が必要だが、新築の家を見る度に空しくなってしまう。地域の独自性は地産地消から始まって地域の伝統的な物を復活させることが重要だが、町の商店街が消えて大型スーパーで買い物をする限り無理なことが分かる。良く例えに出るが、地方鉄道の維持を叫ぶ人達が電車に乗らないで自動車を乗り回している現状だ。経済成長がマイナスになり、所得が減少する中では安い商品に頼らざるを得ないが、その事が悪循環となって地方経済を疲弊させているのが現実だ。今更ながらの議論だ。マスメディアは無責任に地方の努力が足りないと批判するが、公共投資経済のビジネスモデルを変えるには、中央集権化した行政を先ずなくすことから始める必要があるということに触れない。江戸時代の様な一つの藩が国であった時代に地方を戻すことが地方の活性化には必要なのである。ITC時代には、地方が一つの核となり中央を介さずに必要に応じて結びつくことが効率の良い在り方なのである。その点から言えば、二重行政は失くすべきだが、道州制は必要がない。行政区分は小さくして小回りが聞く効率の良いシステムを構築すべきだ。

さて、話は逸れてしまったが、福井で驚いたことがあった。市内で知人たちとミーティングを兼ねた夕食を鮨屋で採ったのだが、先ずこの鮨屋が分かりにくいのには難渋した。スマートフォンがなければ夜なので辿り着けなかったと思われた。

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 写真では看板の明かりが灯っているが、満席の時にはこの明かりも消えており、然も暖簾も中にあるので店内の入り口は暗く、営業していないと勘違いする店であった。知人は良くこんな店を見つけたかと驚きだが、上手い鮨を食べながら更に驚いたことがあった。

鮨屋での食事で皆酒飲みなので自然に地酒に思いが行くことになる。

福井には黒龍などの銘酒もあることを知っていたので、仲居さんに地酒を注文したら、店では置いていないとの返事が帰ってきた。店内を見回すと確かに他県の酒で東京でも飲める酒しか置いていなかった。

その時に、同伴していた方が昨日の飲み屋にも地酒が置いてなかったことを不満顔で言った。これでは地方再生の意味がないと改めて感じてしまった。幾ら福井人は経済に長けていても、地元の酒を飲まずに安い他県の酒を飲んでいたのでは、論外と思われた。

この様なケースは全国津々浦々で見られる光景ならば、地方再生など夢のまた夢と思わざるを得なかった。

 

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財務省の消費税アップのシナリオが最終段階になったと思われる。財務省は東日本大震災と福島原発事故を巧みに利用して消費税アップのシナリオを描いたが、どうやら景気指数によって増税の実施を最終的に判断すると言う誤魔化しで成立の見通しだ。今回の財務省の役人の増税シナリオには隙がなかった。勿論、国民など無視した遣り方は悪例として残り、官僚と国民の乖離は一層増すであろう。民主党反対派の小沢一郎もホッとしている事だろう。消費税反対の拳を上げたものの、自民党の谷垣総裁と野田総理の謎の会談をマスコミがリークして周章狼狽したと推定される。小沢一郎自体は消費税の増税には反対ではなく、飽くまでタイミングの問題と言明している。それが、景気指数と言う実施に条件が付いた事で直ぐには拳が下ろせないものの、最終的には自分だけ国会決議に欠席して終わらせる事になるものと推察される。財務省官僚と野田は最初から決めていたシナリオであろう。小沢にとっても野田総理にとっても早期衆議院解散は避けたい所だ。然し、真っ向から小沢一郎が消費税のアップに反対している状況では、小沢が一番不安がっている解散を持ち出すのが良い方法であり、解散できないと高を括っていた小沢に対して、自民党の谷垣総裁との解散密約会談を流布して小沢に一撃を加えた。日銀が景気回復に向けて動き出したから可笑しいと思っていたら、消費税増税の道筋が見えて来たから、円安を誘導して株高に持って行き、野田政権の支持率アップに転換したのであろう。世論誘導で一役買ったのは財務省次官が天下りした読売新聞であり、情報操作でも事前に手を回していた。今回の消費税の増税で一番の問題点は、二重課税の問題その他を見直す必要があったのに、増税に反対か賛成か終始し、その手の議論が余り行われずに消費税の増税が決まることである。財務官僚は小泉純一郎と言い、野田圭彦と言い、馬鹿な国会議員を篭絡するのは上手い。

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政治家で大成するのは昔から厚顔無恥の人間という言葉があるが、民主党の野田政権に係わる国会議員を見て改めて思い出した。当初は国民も福島原発事故は想定外の津波によるものとして理解していたが、これまでの多くの調査や有識者の分析で防げる事故を起こしてしまったと言うことが分かりつつある。国会で進められている黒川委員長の事故調査委員会がどこまで事故の真相に迫れるかだが、政府の事故対策本部に議事録が残されていなかったり、東電の録画ビデオに肝心の箇所で声が録音されなていなかった事を聞くに連れて情けないのひと言に尽きる。子供でも嘘をついているのが分かる事を平気で言うのを聞くに及び、この様な国民が原発など保有してはならないと改めて怒りを感じる。然も、野田総理は福島原発事故の総括も終えていないのに原発再稼動を政治判断すると言明するに至り、野田と言う人間は政治家に最も相応しくないと驚いた。民主党の野田政権の行動を見ていると正に法非官僚そのものの考え方だ。原発再稼動に向けたストレステストに関して原子力安全委員会の見解が一次試験では容認できないと言う言質に対して、二次試験を実施しても同じことの繰り返しであり、短期に解決できない見解を受け入れる訳には行かないと嘯いた。野田と言う男は原子力について何が分かっているのかと言いいたい。政治家として原発の早期の再稼動を行いたいなら福島原発事故の総括を行い、総力を挙げて事故を防ぐ体制を構築し、再稼動は最低でも最新の原子力発電所に限定するべきだ。9電力会社の電力設備は全体的には過剰なことは周知の事実だ。全国の電力需給網を構築するには東日本と西日本を分断している周波数問題を大至急解決させることが必要なことだ。25年以上前に円高で海外に工場移転が始まったにも拘わらず、電力長期需給計画を修正もしないで電力会社に指導してきた政府の責任は重い。特に、グローバル経済や少子高齢化により電力需要が急速に先細りするにも政府は電力会社任せで何も手を打っていなかった。それどころか電力自由化などを推し進め電力会社に効率経営を求めた結果が津波対策投資の先送りによって福島原発事故を誘発してしまった。政治家として原発の再稼動に対して遣らなければならない事は目白押しだが、何も遣らないで政治的決断とは恐れ入谷の鬼子母神だ。野田は松下政経塾で学んだそうだが、実業家の松下幸之助が国家や国民を考えた人物は思えない。一介の町工場から大企業に成長させた事業家の手腕は評価するが、飽くまで実業家としての手腕だけだ。政治家としての才能が有ったかどうか知らないが、松下政経塾の政治家が悉く国家と国民の役に立っていない事を考えると晩年に松下政経塾など余計な道楽をしてくれたと思わざるを得ない。今の政治家は官僚に聞くから法律の法を越えることが出来ず、国民の為になっていない。政治家は官僚の様に法律を守るのが仕事ではない。国民生活の為に法律を変えたり作るのが仕事である。議員立法の作れない政治家など国民に不要と言われる事を肝に銘ずべきだ。

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前回のblogで"文系と理系の対立"を書いたが、私が批判した文系とは法律至上主義者のことと訂正しなければならない程、構造構成主義のメタ理論は衝撃だった。私は最近1冊の本を手にした。書店でタイトルは見かけたが、余りにも野暮なタイトル「人を助けるすんごい仕組み」が付けられていたので、興味はあったが買うまでには至らなかった。この本は既に20万部以上も売れているとの事なので、人口に膾炙していると思われ改めて紹介する必要もないのだが、本の中で述べられている構造構成主義と幾つかの言葉にこの年齢で気づかされた事があったので敢えて書くことにした。著者は哲学・心理学を学び、現在教える立場になっている少壮の学者さんだ。彼は東日本大震災のボランティア(ふんばろう東日本支援プロジェクト)で驚くべき大きな組織を作り上げ、行政など足元にも及ばない活躍をした。何が凄いかは構造構成主義という理論を駆使して学問の世界以外に経験していない著者がソフトバンクの孫社長の様な事業家に匹敵する手腕を発揮したことである。勿論、事業家の経験がなくても研究会で1000名規模の人を統括する組織の責任者の経験はあるのだが。何れにしても、彼が指摘する時代の変動が大きいときには哲学が必要であると言うくだりは、哲学に対する私の考え方が間違っていた事に気づいた。哲学がこれ程実践的なものなら若い時に勉強しておけば良かったと悔やまれた。著者が社会正義に不審を抱いていたボランティアの方にニーチェの言葉を引用して話した戦略的ニヒリズムなどに関しては私自身も社会の見方に対する考え方を変える契機となった。折角、構造構成主義という哲学に触れる機会が出来たので、著者流に言えば私も何かの呼びかけがあった一人と考えてもう少し構造構成主義を学んで見たいと思った。なお、本の終章では理系を学んだ者からすれば同調できないかもしれない運命論的な話題が出たが、著者からすれば偶然か必然かも構造構成主義で考えると対立する概念ではなく建設的な方向に導くことが出来ることになる。正に、複雑性の科学の二者択一理論と言い、今回の構造構成主義と言い、新しい時代を予感する学問が育ってきていることが分かる。

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米国の上下院議員の構成は文系出身者と理系出身者がほぼ拮抗していると聞いたことがあった。私はその話を聞くまで米国の議員は弁護士出身の文系が圧倒的に多いと勝手に誤解していた。翻って、米国の議員構成を聞いた当時の日本は圧倒的に文系出身の議員が多かったと記憶している。最近、日米の政治についてNY在住の友人と話していた時に米国の議会も文系と理系の構成に変化がおきて今では文系出身者の方が多いと指摘し、米国が可笑しくなったのはその影響もあるかもしれないと彼は言った。それでは日本はと言えば、鳩山元首相と管前首相が理系出身の為に政治家として理系は向かない様な印象を与えてしまった。私は理系と言っても理学部系と工学部系があり、鳩山と管は理論重視の理学部系だから工学部系であれば違ったのではないかと思うのだが、理系の政治家は駄目だという声が大きくなり、鳩山も管も日本の政治における理系出身者にマイナスイメージを与えてしまった事は否めない。それでは過去の政治家、特に戦後の首相で理系出身者はいるかと探すと田中角栄がいる。私自身は田中について総体的には金権主義で官僚を堕落させ、無能な大臣を就任させて日本を駄目にした筆頭の政治家としてマイナスの評価であるが、個別的な政治課題の解決に振るった手腕は評価している。特に、日米繊維交渉では前任者の宮沢喜一が解決策を見出せなかったのに快刀乱麻を切る如く解決した手腕は見事であり、中小企業の経営者として経験と知恵が生かせた実績であった。この他にも、田中角栄と言う政治家は文系の政治家では考えられない様な多くの知恵を出した。田中角栄は理系出身と言っても建築工学なので芸術的な才能もあり、建物を設計すると言うより田中土建の経営者として工事施工で多くの経験を積んだために、時間軸やコストの意識が強かったと推測される。文系出身の政治家は法定主義に陥りやすく、時間の意識も希薄になる傾向が強い。今の国会を見ていると正に時間に関する意識が欠如していると思わざるを得ない。文系と理系の均衡がバランスを取ることは何も政治の世界ばかりではない。企業も同様に思われる。特に、米国主義の最近の経営は株主重視の短期利益を追求するもので法定主義の傾向が強い。このため、コンプライアンスなどを過度に重視し、マーケティング重視のガバナンスになっていると思われる。戦後の日本の経済成長は戦争で有能な文系出身者が失われ、理系出身のウエイトが高かったために成し遂げられたとも言われている。然しながら、バブル経済崩壊後に米国式経営を目指した日本企業はマーケティング重視と法定主義に陥り、日本企業の長所も失われてしまった。典型的な企業はソニーであり、長期的な視点にたった技術よりマーケティング重視で普通の企業になってしまった。当社の建築・不動産業界にも物づくりを軽視し、マーケティング重視に走り、コンプライアンスなどの法定主義に陥って破綻した会社も多い。勿論、私自身が理系出身なので理系出身者の欠点も熟知しているので、理系出身者を一方的に評価しているのではない。バランスを言っているのである。その様な視点から言えば、日本の官僚組織は文系重視に偏っているので法定主義に陥り自縄自縛となり、国民からバッシングされる存在になってしまった。この為に、福島原発事故に対する新たな原子力規制も法定主義の視点で進められており、技術的な視点が欠けた極めて問題が多いものとなっている。最近良い言葉を知った。出光興産の創業者の出光佐三翁の「モラルの奴隷になるな」である。内閣法制局が力を持ち、国会議員に対して悉く異議申し立てる姿は亡国そのものである。国会議員もダラシがないから最近は議員立法も作れない。文系出身者の現状維持を壊せるのは理系出身者であることを訴え、社会がバランスの取れたものになることを願いたい。

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民主党と自民党が話し合い解散で動き始めた。今年7月をターゲットに解散総選挙になる可能性が高い。理由としては、民主党は来年の任期まで待っても選挙に勝つ可能性は低く、この為に党の再生を掛けた勝負に出ると言う深読みだ。将来に掛けて打って出たのは消費税アップだ。次の次の選挙では評価されると考えて現状は憎まれ役を買って出る心境と思われる。更に、民主党の再生には小沢一郎を切り捨てることが重要との認識を高めたものと推測できる。仙谷議員が語った様に政権を獲得する為に政党を合併してから可笑しくなったとのことで政局を読むことが出来る。確かに、仙谷議員のみならず民主党の良識な議員なら誰しもが思う感想だろう。小沢一郎は一見して正論を吐いている様に国民には見えるが、民主党が政治主導で動いた時に小沢は何を行ったかである。政治主導として行った事は自民党の選挙地盤を切り崩す為に地方からの陳情窓口を官庁でなく民主党に切り替えたことである。この遣り方は昔の自民党の遣り方そのものだ。小沢の政治主導は政治改革でも行政改革でもなく、自民党と官僚の利権を民主党に奪うことであった。又、政治活動は野党を攻撃する代わりに民主党の反対派を攻撃することばかりに専念し、政権党の民主党を壊しただけである。この事に気づいた野田総理を取り巻く連中が漸く小沢を切る事を決断したと思われる。小沢としては、100名規模の議員がいるが殆ど一年生で次の選挙には勝てない連中だから民主党内に力を残す為には解散総選挙は避けなければならない事情がある。小沢は解散などさせないと発言しているが解散を決断した野田総理からすれば正に犬の遠吠えしか聞こえない。マスコミは野田が当初の発言の解散を引っ込めたと報道しているが、私から見れば逆である。解散総選挙を決断したからこそ解散に触れなくなったと推定できる。勿論、民主党の幹事長が小沢と親しいと言う理由で小沢が解散阻止できると読んでいる者もいるが、旧社会党の日教組上がりの幹事長は利に聡い筈だ。自分が選挙に勝てるかどうかが一つの判断であり、幹事長としてお金が使える立場で選挙を打ちたいと思われ、小沢の思惑が消える。野田総理としては解散総選挙を自民党に約束することで消費税増税の法案を通すことを決断したが、一方の自民党も橋下維新の会の動きに神経を尖らせた結果と思われる。解散総選挙が遅くなれば維新の会が勢力と支持を拡大するのは目に見えており、維新の会の準備が整わないうちの今年7月迄に選挙を行いたいと考えていると推定出来る。何れにしても、今後の政局は小沢切りと橋下維新の会の出鼻を挫くことで動くと思われる。