マスメディアは嘘を承知で日本の停滞を政治の責任にして政権の交代が日本を変えると叫んでいる。何時の間にマスメディアは官僚に支配されたのであろうか。記者クラブの制度だけの理由ではマスメディアの堕落は論じ得ない。今でも大多数、特に高齢者の多くがマスメディアの報道で社会の出来事を判断している。このために、官僚に対する批判は起きても最終的には政治の責任に帰結してしまい、本質が語られることはない。中曽根内閣で行政改革が行われたが、この改革も所詮は官僚機構に依存した改革であるので、省庁の統合と独立法人などに組織が変わっただけで中身は少しも変わっていないのが実情だ。官僚組織を変えられない原因のひとつには、官僚組織を変える法案作りを官僚に任せるしかないことである。尤も、官僚組織が機能しなくなったのは昔からではない。元官僚の方に聞くと、官僚になった人には左翼主義の考え方の人が多く、日本を良い方向に持ってゆこうとする気概があったとのことであった。それでは何時から官僚組織が自己利益の追求に也、国家国民を考えなくなったのかと言うと、ターニングポイントは田中政治に尽きる。給料が安いので公務員は汚職などを起こすととの考え方と優秀な役人を獲得するには高い給料が必要との理由から公務員の給与は大手企業並みに引き上げられてきた。この結果何が現場で起きたかと言うと、次官レースに蠢く官僚の姿である。学校の教師も同様だが、お金のために公務員の職業を選ぶ者に国家国民の利益を考えるわけがないことに誰も気が付かなかった。給料が安くても国家国民のために働く意志を持った人達を排除し、机上の学問だけが優秀な者を採用し続けた結果が今日の官僚の姿である。勿論、今の官僚の中にも立派な人はおり、国家国民の為に働こうとするのであるが、"悪貨は良貨を駆逐する如く"排除されている。官僚でさえ、政府案を検討する省庁会議が骨抜きにする癌であると言明するのであるから、官僚組織は末期症状である。この状況を打破するには、本来は米国の政党の様に政党自身が政策立案の機能を持つ組織を有するべきだが、実際には多額の資金が必要であり、今度は企業に依存することが大きくなり、米国の様に政治と企業の癒着が起きて国益を損なうので難しい問題なのは確かだ。この為、省庁の人事に政治が関与し、場合には拠ってはOBに再度次官に就任させて行政の改革を断行する必要がある。この様なことに対して官僚組織はマスメディアを利用してネガティブキャンペーンを繰り広げると思われるので、官僚のネガティブキャンペーンに加担するマスメディアに対して国民は購読や視聴を含めて"NO"を突きつける必要がある。日本の改革に対して一番の敵は官僚組織であり、二番目の敵はマスメディアだ。何れも机上の空論の輩であり、日本社会を外国勢力にコントロールされる素地を作っている。マスメディアを信用しないことから真の改革が始まる。
日本社会に見る大きな勘違い
当社が本社ビルを置く虎ノ門1丁目では環状二号線計画(通称・マッカーサー道路)の一環として道路上に超高層ビルの建築が進められている。事業主の森ビルは東京都の事業を受託したものであるが、建物自体は店舗、事務所、住宅、ホテルを包含した20世紀型工業化社会の概念を継承した評価に値しないものだ。この建物の建築のために長年親しまれてきた路地や色々な店や建物が消えた。シュンペンターの創造的破壊を不動産に持ち込んだわけではないだろうが、企業経営と異なり、不動産の創造的破壊は文化的破壊に直結するものであり、無機的な空間しか残らない街づくりと思われる。私も勉強不足であったが、日本の建築に関する用途地域の設定は米国の方式を導入したものであり、正に工業化社会に都合の良い方式であった様だ。然し、この用途方式は無理やり人の生活の場を区分することになり、昔の様な混然一体と化した街は消失することに繋がる。米国は歴史がない国だから破壊することには抵抗がなく、機能的な都市計画が受け入れられたものと考えられる。これに反して欧州は歴史があり、歴史的な建造物や人の営みは街並みに溶け込んでいるので、米国とは異なり、破壊でなく"つなぐ"建築が主流であり、今も同様らしい。翻って、日本は歴史が長い国ではあるが、自然災害の多い立地なので欧州の様な"つなぐ"文化はなく、壊れても直ぐに建て替えられる木の建築物が主体となってきたと言われている。しかし、日本は欧米の様な区画文化ではなく、襖や障子を外すと多面的な用途に使える文化を作ってきており、日本人の柔軟性が形成された由縁かもしれない。それが明治維新以降に近代社会を目指す過程で次第に柔軟性が失われて来て、更に第二次大戦以降は米国流の考え方が浸透した結果、街づくりに関しては創造的破壊どころか日本文化の良さを失った将来スラム化する高層マンションや人のつながりを消失させうる超高層ビルの建築を推進している。3.11で日本人は自然の怖さを改めて認識したにも拘わらず相変わらず米国主義的な20世紀型の建築物を造り続けている。21世紀に入り工業化社会から情報化社会に移り、環境に対する問題も意識に上り始めた今こそ日本文化を見直すべきであり、日本人の知恵を再度検証必要性があるもとと考える。路地をなくし人々の生活観をなくした街に未来はないはずである。日本人は稀に見る柔軟性や多様性を持った国民であり、その文化にこそ限られた資源の中での生き方に学ぶべきところがあると思料する。そう言えば、わが母校の校歌に「雪折れあらぬ柳見よ柔よく剛を制せずや」の一節があったことを思い出した。正に、日本の文化は剛の文化でなく、柔の文化であったものが、米国流の剛を追求した結果が現代の閉塞感を産んだものと推察される。経済大国世界2位などと有頂天になっている間にちっぽけな島国であることの己を見失い、他国の資源で贅沢三昧したのが長屋の花見であることも忘れたツケが今の結果か。それなのに、未だに大国気分が抜けず中国と張り合っている姿は見苦しいのひと言に尽きる。
不動産屋の独り言
スカイツリーの開業で東日本大震災の悪夢を一掃するかの様に高い建築物に対する憧れが戻ってきた。上から見下ろすと言う行為自体が権力的であり成功者に実感を与える存在になっている。昔は城の天守閣が高く聳え立ち人々を見下ろしていた。現代は高さを競うように世界各国で超高層建物が建築されている。日本では建築技術の発達により地震国でありながら高層建築物が建てられ人気を博している。現代社会は多くの分野で技術レベルが高くなり、多くの人は仕組みについて全くと言ってよいほど無知になっている。無知と安心感は表裏一体なのかと思えるほど高層建築物に対する不安な声は聞かれない。しかし、米国では9.11以降、日本では3.11以降に間違いなく高層建物に対する不安感を持つ人々が増えてきた。特に、最近のオフィスビルのテナント募集で感じることは、3.11以前と異なり、低層階を求めるテナントが確実に増えてきている。話は変わるが、格差社会と高層建築物の人気には相関関係があると思われて仕方がない。高層マンションはバブル崩壊後に埼玉県にマンションデベロッパーの大京が建築したのが最初で、その後は多くのデベロッパーが高層マンションを分譲している。この時の高層マンションは内陸部であり、今の様に臨海部ではなかったのは何を意味しているのかだ。高層マンションの増加は建築技術の発達が後押ししたのだが、一番の要因は高い地価を下げる意味もあったからである。専門家でなければ高層建物の建築にはコストが掛かるので価値があると思われがちだが、高層化する程に土地の持分は少なくなるので、日本的な不動産価値から言えば逆に高層化する程に原価は安くなるのである。本来ならば、高層化するに従いマンションの分譲価格は安くなり、オフィスビルの賃料は低くなって良いはずなのだ。然し、実際には高層化するほどマンションの分譲価格は高くなり、オフィスビル賃料は高くなる。デベロッパーは高層建物には笑いが止まらないのである。この為、何時起きるか分からない大地震のリスクより建築計画を優先するのである。万が一大地震で倒壊したりすれば想定外と言う便利な言葉が既にあるからである。尤も、土地の地盤が余り良くない場所に建てたスカイツリーは人気があるが、同じ敷地内に建てた高層オフィスビルは人気がない様だ。押上に何故オフィスビルだと言う指摘もあるだろうが、常駐する場所でなければ高い場所も相変わらずの人気だが、翻って常駐するとなれば人の意識が変わってきたのかもしれない。高い場所は確かに成功者の心を捉えるが、少なくても地震多発国の日本では企業の事業継続の観点から高層ビルにオフィスを構えるリスクについて考えられ始めたのかもしれない。インターネットで見たアップルの新本社ビルのイメージ図は森の中に4階建の円筒の建物であった。時代の最先端の企業が造る新本社ビルは今後の建物を暗示しているかもしれない。確かに、自社ビルであれば高層ビルでなければならない理由は何処にもない。環境や安全を考慮すれば、低層階の環境に良い建物を計画することになるのは必然だ。日本は少子高齢化社会に入り年間20万人規模で人口が減少して来ているのに、今更高層建物かと考えてしまう。近年の高層建築ブームはデベロッパーが多額の利益を生むために造っているもので、日本の未来社会を想像しているものではない。都市計画の観点がない日本だが、そろそろ成熟した社会にとって老朽化したインフラに対するメンテナンスの配慮を含めた建物や街づくりを考える時期に来ているのではないかと独り呟いてしまう。
笑止千万の中国スパイ事件報道
読売新聞やサンケイ新聞系の新聞が中国大使館の一等書記官のスパイ事件を報道しているが、内容が余りに牽強付会で現実無視なので驚いてしまう。日中国交40周年の祝い事に水を差したい連中のやらせ記事なのが一目瞭然だ。スパイが外国人登録証明を不正に使って商業活動するかと言いたい。スパイの定義も変わったのかもしれないが、スパイとして活動するには目立たないことが重要なのは過去も現在も変わらないと思うのは私一人であろうか。尤も、そのあたりを付かれると想定して中国のスパイは活動費が少ないので商業活動して稼いだ金をスパイ活動に充当していたのだろうとは何時の時代の中国を指しているのだろうかと笑ってしまう。今の中国人は米国の中華街に行けば資金力に圧倒される。中華街は拡大し、ベンツなどの高級外車を乗り回している中国人が本土より流入している現実だ。読売などの記者は井の中の蛙らしい。報道記事など常識的な目線で読むと嘘記事かどうか良く分かる。しかし、それに付けても中国大使館の一等書記官のスパイ事件報道は新聞自体の劣化と思わざるを得ない。昔は嘘記事でも今回の報道よりはましだった。そう言えば、反中の先頭にいる石原都知事は東京都の五輪招聘に日本国民が消極的なのに対し、自分の事ばかりしか考えない連中が多くなったと発言しているが、先の五輪招聘工作での多額な不明金や自分の息子の画家紛いを税金を支払ってまで委託しているのを見ると、何を偉そうにと言いたくなる。雉も鳴かずば撃たれまいと言う諺がある。石原都知事も肝に銘じた方が良い。尤も、本人は今の日本を進駐軍時代の日本と耄碌して理解しているので、米国だけに阿れば良いと考えているかもしれないが。不動産業界にも偉そうに言う輩は信用するなと言う経験知がある。長い人生でこの言葉だけは今でも真実だ。
財政赤字が政治の本質を勘違いさせている
財政赤字は予算の正しい使い方で陥ったのならば増税で解消することは当然である。問題は官僚の天下り先のためや政治家の選挙のために費やされた無用な予算の為に赤字になったのなら増税で解消など言語道断であり、その根を絶たないと再度赤字財政になるので増税など認めるべきではない。官僚も政治家も国民が過剰な要求をしたので財政赤字に陥ったなどと昨今は考えているらしいが、国民の大多数はサラ金財政なども求めてはいなかったし、何の対策も打てないで1000兆円近くの借金を国がするとは思いもしなかった筈だ。国会議員どもは自分の選挙の為に甘い言葉で国民に道路や橋などの建設を安請け合いして来たにも拘わらず、自分の責任を否定をするかの様な国民は国家に甘えてばかりで厳しさが足りないなどと放言している。此処での議論は過去に遡ることではないのでこの批判はいったん矛に納めて次の議論を展開したい。国も地方も箱物や過剰なインフラの投資で軒並みに財政難に陥っている。この現象は何も日本ばかりでなく世界的な問題だ。金融資本主義的な考え方はこの様な財政難から生まれてきたといっても過言ではない。国家や地方自治体が財政難に到った理由は色々とあると思われるが、今の問題は国家や地方自治体の財政難の解消の仕方である。行政も民間企業と同様にバランスシートを作るべきだとか企業の経営的な手法で支出を大幅に削減する方法とかが指摘されている。又、平行して運用益で支出過剰な分を補填する金融商品に投資する方法も提案されている。確かに、財政難を解消するには支出を大幅に減らして増税しか方法がないのは確かだが、最近の政治の動向を見ると財政難解消が目的化し、政治が行われていない危惧を感じる。無駄な支出を削減するのは当然なのだが、良く分析すると縦割り行政の中でバランス良く支出を削減しているので、本当に必要な所にお金が回っていない面も出てきている。又、制度を変えたことにより、弱い人達に皺寄せが出てきている面も多く見られる。
政治とは何かと問われれば、弱者の救済なのである。資本主義の中の競争社会にあって誰もが勝者になれる訳ではないし、社会は無用の用の様な存在があって初めて成り立っているので、そこに政治が必要なのである。企業経営者は弱者など省みることはないのである。無用な支出を切り捨て不要な社員を辞めさせて黒字経営になれば名経営者と呼ばれるのである。然し、政治家は企業経営者とはことなり、不法な競争を監視し、企業が切り捨てた弱者の再生や老後の仕組みを作ることなのである。尤も、企業経営者の中にも優れた人がおり、企業人でありながら政治家としての素質を兼ね備えて経営にあたった者もいる。戦前では、カネボウの中興の祖といわれている武藤山治、渋沢財閥を作った渋沢栄一、戦中戦後に出光興産創業者の出光佐三などである。ちなみに、松下政経塾を作った松下幸之助は先の人物と比較したら企業人としては上かも知れないが、政治は飽くまで企業の為と考えた人物なので、私の中では高い評価をしていない。翻って、最近話題の橋下大阪市長はどうかと言うと、彼も本質的には政治家とは言えない。その理由としては、彼の政策は金融資本主義的な考え方が根底にある様に見れるからであり、政治の本質を理解しているかどうか疑問だからである。勿論、私は大阪フィルハーモニー交響楽団の解散に反対している橋下市長は文化を蔑ろにしていると批判している人達とは考えを事にする。全国で最大の生活保護者を抱えている大阪市に対して文化云々の批判は当らないと思うからである。文化を守るには行政のアシストは必要だが、基本的には豊かな社会になって尖閣諸島の購入に短期間で5億円以上も寄付金が集まる日本なので、どうしても必要なら多くの人の寄付により財団を設立して守れば良いのである。全部税金で守る必要はない。大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽家たちも大阪市の職員に甘んじた為に採算を度外した演奏活動しか行わなかったと推定されるので、楽団員にとっては不幸なことと思われる。私は自助努力を怠るものを救済しろとは言わない。問題は財政赤字解消が目的化した政治が横行するのを懸念するからである。政治の世界は数の必要性を痛感するが故に小沢一郎の様な選挙に勝つだけを目的化した政治家を生み出したのである。同様に、財政赤字解消だけを目的化した政治家の出現は貧富の差を生み、犯罪を増やすだけだからである。日本人は世界にも類を見ない80%の国民が中流意識の社会を実現した国である。インフレ経済でない低成長経済において同様な社会を実現する政治を考える必要があると思料する。
尖閣諸島購入を巡る寄付金に対する疑問
石原都知事が尖閣諸島の購入を米国で宣言して以降、東京都には購入資金に対する寄付金が寄せられ、現時点で4億円に上るという。マスコミなどは領有権に対する日本政府の弱腰に対する国民の憤りが寄付金の形で現れたと言う報道をしている。しかし、私はこの俄か愛国心に対して全てがマスコミの報道する様な善意の寄付とは到底思われないのである。尖閣諸島は中国がどの様に主張しようが日本の領土であることは疑いもない。中国としても尖閣諸島の領有権を主張しているが、韓国の竹島占有の様な強引な手法を取ることは国際法上難しいのは確かである。今回の展開を冷静に分析しないと戦前に間違った方向に導かれた事の二の舞となる。先ず石原都知事が尖閣諸島の購入をこの時期に宣言した理由である。然も、米国において何故宣言したかであることを考える必要がある。石原と言えば、三男か四男か知らないが、選挙に落ちて浪人している息子がいる。先の都知事選の出馬や今回の新党に対する動きも全ては可愛い馬鹿息子の為といっても間違いはないだろう。その様な時期に尖閣諸島購入問題に言及したと言うことは、裏で何かの取引があったと考える必要がある。尖閣諸島問題はに日中間の大きな政治問題になっている。この問題に火をつけるのは日本と中国との政治的な関係以上に企業における経済的な関係に影響を及ぼすことは目に見えている。敢えてその様な問題提議を地方政治家である石原が行うことは国家に対する越権行為である。先ず、この様な問題を分析する時に必要なのはマスコミの動きである。日本のマスコミは間違いなく米国の情報戦略に組み込まれているので、石原都知事の尖閣諸島購入に対してどの様な報道姿勢かで判断できる部分もある。面白いのは尖閣諸島購入宣言に端を発した寄付金である。いち早く取り上げて報道するところを見ると、石原都知事の発言には外国勢力が絡んでいると分かる。東京都に要請したいのは、奇特な寄付者の氏名公表を是非行って欲しいことである。国際謀略に石原都知事が加担していなければ公表できるし、逆に寄付金が疑わしくないと分かれば、今の時代に身銭を切ってまで愛国心を持っている人達に敬意を表したい。日中間で紛争が起きれば得をするのは日本人ではない。外国勢力である。中国の経済に奥深く進出し他国の追従を許さないほど先行利権を有している日本を外国勢力が黙ってみている訳がない。民主党の前原誠司が起こした尖閣諸島における中国漁船の拿捕も京大の米国シンパの流れを汲む事件である。日本人は明治維新の時には優れた人達が国際謀略を乗り越えて国を守ってきたが、大正、昭和と変わり、島国の悪い面が出て国際謀略に弱くなった。況して戦後の平成の時代では、外国勢力に利用される国賊紛いの政治家や官僚、そして学者で溢れている。勿論、日本国民を無防備にしてコントロールしているのは米国だが、それに一役買っているのは電通など広告会社とマスメディアだ。最近の動きとして日本における中国シンパに対する攻撃が激しくなってきていることから、欧米諸国は中国に対して人権問題で揺さぶる計画であり、それに日本を尖兵として遣う考えと推測できる。尤も、フランスではサルコジに変わり社会党の大統領が出現したので中国に対する欧米の中国に対する足並みが揃うかどうか不明だ。何れにしても、東京都は尖閣諸島購入に対する寄付金の氏名を公表し、外国勢力の謀略に乗じていない事を証明すべきだ。
過去を語ることの大切さ
私は戦前生まれでないので残念ながら戦前戦中の事は経験していないので経験談として話す事は出来ない。勿論、戦後の事も少なくても1965年以降でないと記憶に残っていないので語れない。人の記憶も年月が経過すると塗り替えられて"虚偽の記憶"が形成されるとの事なので、その事を理解して過去については語るべきと思われる。なお、経験しない時代の記憶でも親などからの情報で記憶されることになるので、先の虚偽の記憶を踏まえても書籍の情報よりは確かな過去の記憶をを入手していると言える。私が過去を語るときは少なくても書籍を通して得た知識ではなく、私自身の経験や身近な人達から聞いた事実を通してである。尤も、身近な人達からの過去の経験だけでは世界観が狭くなるので、ドキュメンタリーの本や過去を記した資料なども渉猟して過去を広げてはいる。しかし、責任をもって言えるのは少なくても私自身の記憶と経験した本人から聞いた記憶と言える。何故、過去を語る事に拘るのかと言えば、最近は余りにも過去の出来事が歪められて伝えられてきている怖さを感じるからである。終戦後に20歳であった人達も今や87歳である。一方で平成生まれの人達は23歳になるのである。過去を語る事は後世の世代が同じ過ちを繰り返さないことに繋がるので大事な事と考える。特に、最近は明治維新に習って改革を推し進めようとする人達が多いが、その人達の歴史認識や当時功績のあった歴史的な人物に対して学んだ形跡が少ないと感じるのは私一人であろうか。維新や改革の言葉は今や安売りの商品の如くチープなものに成り果てている。情報が氾濫する時代にあって偽の情報に惑わされずに知見を育てるのは難しい時代になった。しかも、議論のすり替えの類の情報で溢れている。この様な時代には、それぞれが過去を語る事が重要であり、真実を見極めるのに役に立つからである。地位の高い人や有名人が語ると真実と錯覚する間違いを指摘するにも役立つからである。
関越自動車道で起きたバスの事故に見る小泉改革の弊害
建築確認申請・承認の民間委託で起きた構造偽造事件を始め、小泉改革が社会に害をなした事例は枚挙に暇がない。今回の関越自動車道のバスの事故も規制緩和の弊害が出たと思わざるを得ない。法律の改正で免許制度から登録制度に変更したことで免許制度の利権構造にメスを入れたことは理解できる。問題は規制緩和後の安全などに対する配慮が著しく小泉改革には欠けていると言う事実だ。今回の事故に繋がる運転手一人の問題も法律的には違反でないと言う。どの様な法律かと言うと、道路法による走行距離で決めているとのことの様だ。この走行距離以外に運転手の健康問題や渋滞問題を絡めていれば今回の様な事故は防げたと思えてならない。先の建築確認申請の問題も然りである。準備(=能力)も整わないのに時間軸で規制緩和を行ったために、構造偽造を起こしやすい状況を作り出してしまった。法曹界でも裁判の判決を時間軸で評価する様になったために正義ではなく、裁判官の出世競争に巻き込まれて不正義が罷り通っている。検察然りだ。マスメディアはデフレ社会に陥り、グローバル経済についてゆけない日本に対し、明治維新の改革を期待するかの様に世論を誘導しているが、江戸時代に教育を受けた日本人と現代社会の日本人との人間の質の違いを考えているのかと言いたい。今回のバスの事故を起こした会社の名前は、「陸援隊」と言うのを見ると、明治維新に憧れた社長だと直ぐに分かる。この社長が2002年にバス会社を設立したのを見ると正に小泉改革が産んだ申し子だろう。
小泉改革で良く言われる民営化とは、言葉を変えれば資本主義化と言うことだ。今の若い世代は社会主義と共産主義を混同して一方的に社会主義が悪いと批判している。明治維新で資本主義の欠点を見抜いていた経済人に渋沢栄一がいる。彼は資本主義に論語の考え方を入れることを唱えたのである。現代社会に明治維新と同じ改革が出来るわけがない。その大きな理由は人間の質の問題である。現代社会の日本人は倫理観も喪失し、「他人くたばれ、我繁盛」の連中が金儲けに走っている。尤も、日本人だけでなく世界中の人々が熱に浮かされた様に倫理観なき競争に陥っている。
私自身は規制緩和や競争を否定している訳ではない。問題は規制緩和を主導している人達の人間の質や能力を問題視しているのである。勿論、マスメディアに踊らされて効率主義や安い商品を血眼になって追い求める大衆にも責任はある。この様に書いているのも馬鹿らしいほど、人と言うは忘却することで生きている人種と言わざるを得ない。バスの事故の被害者には悪いが、安いものにはリスクがあると言う現実を突きつけてくれた事例としては少しの期間は人の記憶に残るのであろう。正に、現代の政治は大衆の忘却や表面の姿を変えただけで誤魔かせる中で行われている。維新を唱える前に倫理観について議論しろと言いたい。
久しぶりに登山家の伝記を読んで
メタボ対策で毎日ひと駅前で降りて帰宅するのだが、週末にはその駅ビルの本屋に立ち寄って面白い本があれば購入するのが習慣となった。先週末は購入してまでも読みたい本もなかったので店を出ようとした時に山岳コーナーが視界に入った。時間もあるので偶には山岳の本でも見るかと足を向け、「単独行者」の本のタイトルに惹かれて手に取った。本の主人公は、昭和初期に活躍した伝説の登山家「加藤文太郎」の生涯が書かれたもので、副題に「新・加藤文太郎伝」と記されていた。タイトルの単独行に惹かれたのは、私自身が学生時代に単独登山を多く経験していたからであった。私の山登りは18才になってからであった。東京の高田馬場の下宿先で出会った同郷の小野君に誘われて丹沢山系に足を踏み入れたのが登山に目覚める切欠だった。その後、彼とは秩父山系や南八ヶ岳などを一緒に登ったが、後は大学の同学科の南雲君を誘った以外は常に単独行であった。単独行は若さゆえの無茶であったかもしれないが、大学の山岳部やワンダーフォーゲル部に所属して集団で登山する事を好まなかったので、単独行は自然な成り行きであった。しかし、今考えると指導者もいない登山で何度も未熟さゆえの危険な目にあったことは確かであり、私クラスの登山で大袈裟かも知れないが、現在生きているのも不思議なくらいの体験も有している。今振り返ると、会社経営にも山登りの体験が生きていることは確かで、人生に「if」はないが、それでも私が山登りをしていなければ、現在と違った経営者になっていたことは間違いないと断定できる。その様に思えるほど自然に立ち向かった時の人間の弱さを思い知ったからである。今でも大学の同学科の南雲君と会えば、当時の登山の話が出て貴様の為に死ぬ所だったと酒の肴として皮肉を言われる。彼との登山は二回だけであったが、その二回とも私の無謀な計画で彼を窮地に追いやったことは否定できない。確かに、春山の北八ヶ岳と南八ヶ岳の縦走ではその年には例年になく残雪が多く、硫黄岳から横岳に入り赤岳に到る過程では困難を窮めた。然も、ピッケルもアイゼンも持たずに入山した報いが堪えた。死ぬ思いで赤岳山荘に着いた時に、山荘の主人に我々の軽装を見て驚かれ、山荘の土間に土下座をさせられて説教させられた苦い思い出である。遭難者を探すのには二重遭難のリスクもあり、我々の様な無謀な登山家に対して山荘の主人は腹が立ったのであろう。昭和初期の伝説の登山家の新伝記を読んで、登山の危険さが一方では登山の魅力であることに改めて気が付かされた。人と言うのは危険の中に身を晒すことで存在を確認するのかもしれない。勿論、登山の途中の絶景や登頂時の達成感は何事にも替えられないものであり、北アルプスの槍ヶ岳山頂に早朝一番乗りをして日の出を迎えた壮大なパノラマなどは言葉にならない程の感激である。又、雪渓の下を流れる水と雪渓の氷で飲むウイスキーは一番美味い酒であった。社会人になってからは組合活動で執行入りして文化部長時代に組合員を連れて登山したこともあったが、それも30才を過ぎて辞めてしまった。登山は不思議なもので辞めると急に熱が冷めるものである。しかし、バブル経済が崩壊後に一度山登りを再開したことがあった。多摩山系から始め、丹沢山系、秩父山系と足を伸ばしたのだが、日本アルプス山系には体力的に戻れずにその内に仕事も忙しくなり山登りを辞めてしまった。見果てぬ夢かもしれないが、もう一度北アルプスなどに登り美味い酒を飲んで見たい誘惑に駆られる。