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日本経済に対する多くの論調が日本経済を立て直すには海外からの投資が必要不可欠であるとしているが、本当にそうかと疑問が湧いてくる。新興国に流れるマネーに負けないように日本企業もアジアで見劣りしない収益力へ経営を立て直す考え方は一見正しいように見えるが、新興国と先進国の日本とは経済成長率一つとっても同じではなく、幾らグローバル経済と言っても投資効率から見たら新興国の方が良いに決まっている。投資家とすれば日本はリスクマネーの投資先ではなく、逆にリスクをヘッジする資金の投資先としてのポジションではないかと考える。リーマンショック以来円高になっているのはリスクヘッジの期待度が高いことを証明している。もちろん、日本企業に株の配当や株価の上昇を期待できる経営内容がなければ問題外だが、日本の株式市場が規制緩和以降の安易な企業の上場推進と上場企業の倒産の増加で新興国と同様のリスクマネー対象の市場に変貌してしまったことにも問題があると思われる。日本人や日本企業がリスク投資を好まないのは国民性もあろうが、それ以上に政治を信頼していないことが最大の原因である。世界に類を見ない金融資産を国民が保有している日本においてリスクマネーを導入しなければ世界の中で日本が沈んでしまうなど論説はナンセンスである。日本が経済も含め国民が内向きになったのは20年前の経済バブルの後遺症もあるが、それ以外にも教育や行政の腐敗、政治の貧困さに大きな原因があり、国民が将来に不安を覚えているからである。アジア各国が成長してきている今こそ日本が主体的にアジア各国にリスクマネーを注ぎ込んで日本とアジア諸国が一体化する経済の構築を推進することが大事なのである。リスクマネーを日本に呼び込んで経済を活性化するなどは時代遅れの発想である。グローバル経済の本質を見誤った論調など百害合って一利なしである。

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自民党執行部に若い人を起用しろと言って受け入れらずに党を割った与謝野議員だが、与謝野・平沼新党の発足を見ると、正に高齢者党に相応しい陣容である。良く考えると高齢者が増加する中で高齢者を代弁する政党がないことに気づいた。選挙民は自分達の考えを代弁する政党を選ぶ儀式なのだから高齢者の意見を政策に反映してくれる候補者は高齢者ではないかと考える。若い人に高齢者の問題が理解できるとは思えないし、今は鎖国後の明治維新ではないのだから全て若い人に託せば良いと言う考え方がそもそも間違っている。与謝野・平沼新党も若い人に媚びず、自分達が培った経験と知識をフルに活用して新しい日本を造る気概を持って欲しい。逆に、50才以上の候補者しか擁立しない政党でも良いと考える。若いから全てが良いなどは幻想である。特に、経済成長を遂げた後の世代の教育を受けた人達は政治家の適性を持っている人は少ないと思える。もちろん、利権三昧の高齢な政治家や候補者を指して高齢者政党を造れと言っている訳ではない。高齢者でも若い人が適わない頭脳と斬新な考え方を持っている人はいるのである。高齢者が全て時代遅れの考え方を持っていると決め付けるのは間違っているし、その反対に若い人でも保守的な考え方であれば期待できるわけがないからである。TVや新聞では明治維新期を殊更取り上げて社会を鼓舞しているが、あの世代と今の若い世代は似て非なる存在と気づかないと日本の先行きは悲観的に成る。

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不動産の仲介や開発などで多くの人達とお会いしたが、初めてお会いする人を判断するのに今でも役に立っているのは先代の教えです。先代も誰かから教えを受けたことかどうかは知りませんが、少なくても人生を長く生きて来ないと出ない知恵です。科学的な根拠はありませんが、顔の似た人は考え方が似ていると言う人生観です。閑話と言いながら何故今頃になってblogで書くのかといいますと、最近の出来事でその教えが蘇えったからです。その出来事とは、今後の展開の予測はつきませんが、現状ではビジネスのパートナーとして歩む方向で協議している人を観察した結果です。二人とも営業力は抜群であるが、専門家と呼ばれる人を直ぐ信用して過大な評価をしてしまう。又、セッカチであると同時に気に入らない話は聞かない。人情味があるので部下には慕われるが、結構人の好き嫌いが激しい。人間的な長所は沢山あるものの、経営者として見た場合には重要な判断に専門家の意見を聞きすぎると言う致命的な欠点を持っています。また、一度自分の中に築き上げた人の評価はどんな事があろうとも変えない。この欠点は優れた営業マンに多く、頭は良いのだが、大手会社のサラリーマンの如く専門的な知識を自ら勉強するのではなく、専門家を信頼過ぎて任せてしまうことです。若くして経営者になった人は専門家を余り信用しません。その理由については本blogでは言及せず別な機会に述べることにします。この様に書き進めてきて気が付いたが、二人に大きな違いがありました。それは一人は酒が強く毎晩晩酌を欠かさないタイプだが、もう一人は余り好きではないとのことであった。勿論、車の運転が好きな事やゴルフの腕前が違うことなど枝葉末節なパートナーとしての評価には関係ないことでの違いはあります。一番重要な事は、思考能力において似ていることなのです。そう言えば、人を褒め上げる事も上手ですが、仕事が上手く行かないと直ぐにけなす癖もあります。一人の方は他界しましたが、その方は私にとっては仲人であり、後年はビジネスパートナーであった恩人です。新たなパートナーなる人は既に私の恩人ですが、気になるのは余り性格が似ているので錯覚しそうな事です。

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日本人はと言うより世界はと言った方が良いかもしれないが、人は河川の洪水を防ぐために堤防を構築して災害を防いできた。自然からすれば大きな迷惑だが、人は水資源がなければ豊かな生活が得られないので水をコントロールすることが重要な事であった。しかし、自然から見れば河川が洪水して土砂が四方に散乱するのは土地の豊饒さの上で良い事であった。自然のシステムでは山の恵みが河川を通して海に流れ魚が育つサイクルがある。この自然のサイクルをダムや河川堤防、更に海岸堤防などを構築して壊しているのが人間である。以前、元長野県知事の田中康夫がダムを造らず河川堤防で自然を守ると宣言し、民主党の国土交通省の前原大臣が別な視点ではあるが、ダムを造らず河川堤防で対応することを同様に説明していた。確かに、ダムは水をコントロールするには役に立ったが、その反面海資源に対しては大きなマイナスを生み出した。田中氏と前原氏が口を揃えて河川堤防で自然災害に対応する方法は大丈夫なのかとは一般国民は誰も考えていないと思われる。都市部の公共事業の減少に伴って国土交通省などは20年以上前から上部に建物を構築出来るスーパー堤防の築造計画を推進しているが、正にこの様な堤防の建設計画は河口付近に堆積した河川土砂の捨て場に利用すると言う代物であった。殆んどの人は知らないのだが、ダムの影響で河川の土砂が問題になってきており、その土砂の捨て場に困って堤防付近に浚渫土砂を積み上げているのが現状である。近年は首都圏に大きな台風が到来していないので現時点では問題になっていないが、河川土砂は大きな災害リスクを孕んでいると言われている。また、堤防の巨大化は堤防周辺の地下水にも影響があると言われており、知らずにいるうちに災害リスクを大きくしている可能性が高い。良かれと思ってきた事やそれに伴うマイナス部分の対策が結果的に別な大きな災害リスクを造ってきていることを考えると従来の国土改造の遣り方は人間だけしか見ていない方法であったために問題が生じてきたと断言できるので、今後は自然と人間の両方を考えたバランスが取れた対策が必要と思われる。しかし、行政の都合の悪い事は国民に明らかにしない考え方は国を滅ばすことになると改めて思料する。今回のblogは長く民間の立場で活躍してきた技術士の方との雑談で教えて頂いた事柄である。