政府が景気回復刺激策のひとつとして自動車の新車購入に必要な取得税などの軽減に対する予算を計上した。これ以外にデジタルTVなどの購入に対しても購入支援金も出るらしい。経済評論家や野党の国会議員などは購入時期に不公平な政策だと非難しているが、どの様な政策でも平等であるわけがないので、先に購入した人は運がなかったと思うほかないが、問題は自動車税の取得税の課税方法に対する問題点を指摘する人はいない。今回、景気回復に対して自動車税の軽減が話題になったのでこの点に関してグローバル経済に必要なのは何かを問いたい。私が日本と米国の自動車に係る取得税の違いを知ったのは11年前のことであった。不動産ファンドのアドバイザリーで一緒に仕事をする事になった相手が長く米国に滞在していた人で、彼が久し振りに帰国して知人から中古自動車を安く買った話を聞いてからである。彼は、「日本の取得税は自動車の排気量で課税するので中古自動車の購入金額より高い」と怒っていた。私は初めて日米の自動車取得税の違いをその時知り、米国と言う国の課税方式は合理的に出来ていると思った。その後、私の専門である不動産の取得税・固定資産税を調べたら、やはり日本と異なり、基本的に売買価格に対する課税方式であった。勿論、税率には色々な要素が加味されているので金額的には米国も安くないが、売買価格に対する課税方式は現実的であると評価した。日本では不動産取得に際してはデスカウントキャッシュフローの考え方が主流になったが、良く考えるとこの方式は不動産の課税に関して売買価格での課税コストで組み立てられており、時価会計には売買価格での課税方式が不可欠ではないかと思った。米国の方式を単純に導入すると、格言にある様に「仏を作って魂入れず」になる恐れがある。構造改革とは本来課税方式も含めなければ効果が発揮できないと考えるが、どの様な理由があるのか小泉・竹中の似非改革にも触れられてはいない。ちなみに、彼の中古自動車の購入金額は6万円であったが、取得税は10数万とのことであった。彼の怒りは当然と思われる。日本の構造改革は"木を見て森を見ず"の類であり、真の構造改革など行なってはいない。そう言えば、最近竹中平蔵がやたらTV出演して見苦しい自己弁護を行なっている。今日の不況が小泉・竹中以降の政権が構造改革を遣らなくなった事が原因と指摘しているが、そう言えば海の向こうでも前FRB長官のグリンスパンが自己弁護に奔走している。人は正しい事を行った自負があれば自分に対する評価は歴史に委ねるものである。両人とも、何か疚しいことがあるので必死になって自己弁護を行なっているのであろう。この様な人物が重要な地位を得ていた時代とは何か考えさせられる。兎に角、景気回復は企業に委ねるしかないので、企業の足を引っ張る様な法律・制度を改善する事が緊急の課題であると考える。
米国人の信頼性の尺度
昨日、投資家を訪問して雑談していた時である。その投資家の本業は建築機材の製造販売リースなのだが、最近米国企業と大きな取引を行なった話が出た時のことである。この米国企業とは初めての取引で金額も大きかったので最初は心配したとのことであった。受注に到った経緯は、米国で展開している日本の大手ゼネコンに建築機材を提供していたのに注目され、その米国企業はその製品が他国の物より性能が良いので発注して来た様だ。本題は此処からである。その米国企業は投資家の企業を訪問してきた訳でもなく、工場を見学した訳でもないのに前渡し金として発注金額の20%を振り込んできたとのことであった。投資家の初めての取引の不安を一掃するかの様な行動はそれに止まらず、中間金、最終金の支払方法も見事であった様だ。正に、グローバルに展開する米国企業の真骨頂を見た思いがしたと同時に、日本人の疑い深さを改めて思い起こした。日本社会では信頼感が欠如する故に発注先の信頼性を企業規模に置いている。我々の不動産業界は特にそうだ。我々からすれば大手企業はコスト的に同じ依頼を行なっても高く付くのは自明の通りである。然し、日本では安心料が優先して知名度が低い企業は同じ事を提案しても相手にされない。良く考えると、この違いは「狩猟民族」と「農耕民族」の違いであり、米国人は日本人と異なり、外見でなく中味を評価する能力に長けていることに帰結する。良い製品や良い仕事を行っている会社に対する信頼である。米国は金融危機で苦しんでいるが、投資家から今回の商談を聞き、改めて米国企業の凄さが分かり、米国経済が遠くない内に復活する予感を感じた。もちろん、これは個人レベルの話であり、国家が信頼できるかは別の次元の問題であるが。
地域再生のひとつには観光資源の活用が必要
先週末に知人が主催するディナーセミナーに参加した。フランス料理店を貸し切っての主催のため参加者は35人程であった。セミナーのテーマは、「日本における観光立国は成就できるか?(観光ビックバンと地域再生の行方)」についてを講演した北海道大学大学院観光創造専攻長の石森秀三先生を囲んでの"観光立国"であった。講演の中でも指摘されていたが、2010年代にはアジア大交流時代による旅行客の増加が見込まれると言う。確かに、北海道はオーストラリア人や台湾の観光客で賑わいを見せている。問題は現状の様な観光客の受け入れ体制では、観光資源を活用した地域再生は容易ではないことである。特に、行政などは観光を民間の問題として考えており、観光立国としての予算も碌に計上していない。日本の場合は東京一極集中主義になっているので、先ず観光による地域再生を考える場合には改善しなければならない課題が多い。石森先生曰く、フランスなどの欧州などは一番美味しい食材は地元でしか食べられないが、日本の場合には一番の食材は東京に運ばれてしまう様な問題である。この事は何も外人の観光客ばかりでなく、日本人の国内旅行にも言える事である。地域の再生には、他県の人が足を運んで来てくれる様な環境にすることが大事である。地方を旅行すると分かるのだが、行政や商工会議所が観光客を誘致する考え方は全て箱物投資の延長であり、観光客の利便性などが余り考慮されていない。ある地域で驚いたのは、街並みが昔の家屋で統一されて観光客に喜ばれる景観であるが、日曜なのに飲食店が殆んど営業していなかったことである。この現象は、「鶏が先か、卵が先か」の議論と同じなのであろう。当初は観光客を見込んで営業していた店舗もお客が少ないので止めてしまったと思われる。大分前の話だが、休日に観光地に行った時にお年寄りが多かったので、平日に来た方が施設の料金が安く便利なのではないかと質問した事がある。その時にお年寄りから私は嘲笑されたのであった。嘲笑の理由は、平日には観光地でもケーブルカーなどの施設が営業されていないのを知らないことであった。高齢化社会と成熟社会が到来し、然もアジア経済が成長してアジア人の観光客を期待できる今日では、地域再生には観光資源の活用が欠かせないと思われる。しかし、現状の様な観光に対する官民の姿勢では覚束ないので、今後は官民一体となって観光産業の育成に力を注ぐ必要があると考える。少なくても、地元で採れる食材を一番美味しく食べれるレストランの育成や、平日と休日に関係ない施設の運営、更には地元ボランティアによる観光客に対するガイドなどが必要である。日本には美しい自然が多くあるので、後は最近の話題の映画「おくりびと」で描かれた「優しい心」で観光客を迎えることであろうが、小泉時代に破壊された内面世界の再生が一番困難かもしれない。
タイミングが悪い東京都の固定資産税額(土地)のアップ
百年に一度と騒がれている経済危機の真っ只中で東京都は固定資産税(土地)に係る税額を上げた。確かに、ここ3年は地価が上昇傾向にあったが、昨年後半以降は逆に下落に反転していたのは周知の事実である。しかし、この様な情勢の時に税額を増やす事に対する都民や企業の反発を軽減するために建物に関しては税額を下げると言う悪質な実施である。本当に行政と言うのは民間企業の足を引っ張る事しか出来ない存在だと嫌になる。多分、値上げに関して都庁に質問すると3年毎の評価替えに基づいた増額と答えると思うが、IT社会の到来で時間軸が速くなった現代での税額の徴収方法に関して新しいシステムを導入するのが行政の義務である。確固たる経済予測もなく予算を決めているからタイミングが悪い税収のアップで個人や企業を苦しめるのである。役人が分かっていないのは、都民や企業が活動するから税収を得られるのであって、今回の増税の様に足を引っ張る行為は近い将来の都税の大幅な減収を招く結果になる事をである。尤も、本来は知事と議員が議会での論戦を通して政策の良し悪しなどを決めるのだが、120名を超える議員がいるにも拘わらず何の役にも立っていない事の方が問題なのであろう。今の日本は下は村役場の役人から上は霞ヶ関の役人まで首長と議員を馬鹿にしているのだから始末に悪いし、碌に勉強をしないで役人に借りばかり作っている議員では期待できない。今年は都会議員の選挙があるので、議員報酬の減額や議員定数の削減を公約する候補者に投票したら如何であろうか。
専門家と言う素人
一般の人達は専門家と称する人に弱い。人に依っては、専門家を「神」扱いである。しかし、専門家とは広義的には何かしらの専門的な技術を有する人と解釈できるが、その道の専門家だから全てを知覚し、実践的知識を有しているのではない事に気づいている人は少ない。例えば、弁護士と言えども資格を取得して法律事務所に属すれば、どの分野でも通用するようなゼネラリストはいない。少なくても得意分野として刑事訴訟法か民事訴訟法かを選び、更には労働法専門の場合もある。近年は時流の知的所有権で稼いでいる弁護士もおり、得意分野は細分化されている。ちなみに、労働法専門の弁護士に不動産関係のトラブルを聞いても実務的に不案内の場合が多く、一般の人はそれさえ理解していない。当たり前の話だが、弁護士は判例や法律的な事は詳しいが、建築知識などの専門知識は素人レベルである事には依頼者は無頓着である。それでも優秀な弁護士は友人・知人のその道の専門家に聞いて対応するので問題は少ないが、その方法は付け焼刃に過ぎないので他の専門業種の知識は一般の人と同じ素人レベルと考えて相談したほうが無難である。弁護士だけでなく、会計士に関しても同様である。会計士で不動産などの資産に関して実務的に詳しい人は少ない。殆んどの会計士は、決算業務が仕事の主体であり、不動産資産などは相続税の申告の時しか関わらないからである。最近は時価会計制度の導入で如何にも会計士は不動産の時価に詳しいかのような錯覚を多くの人に与えているが、不動産業を知っていれば棚卸資産に時価会計など導入しない。翻って、我々の建築業界も又然りである。建築士は住宅関係は別として事務所ビルや商業ビルなどに関しては、完成後のオペレーションに関わっていないので多くの設計がメンテナンスに関して不案内である。しかし、この様な不案内は未だ良い方で、最大の問題は専門家故に見逃してしまうミスがある。このミスは複数の専門家の現場会議を経ても起きる事である。このため、当社などは敢えて専門家集団の会議に素人を入れてチェックするシステムを採用している。素人の疑問は正しい場合が多いからである。専門家のために見えなくなってしまう或いは見逃してしまう怖さが現実にはある。特に、最近は規制緩和がどの業界にも行き渡り、職人的な執拗さでより良い物を目指す姿勢の欠如や安易に物事を判断してしまう傾向が強いので尚更専門家を信用するにはリスクが大きい社会となっている。専門家の言葉だからといって簡単に信じない事が重要だが、医療と同様にセカンドオピニオンの考え方も色々な分野の専門家に対しても必要な時代と思える。
聖徳太子の17条の憲法
今改めて聖徳太子の"17条憲法"を読んで驚くばかりである。聖徳太子の生きた時代は1400年以上も前で、現代から見ると物質的には恵まれなかったのは言うまでもない。聖徳太子の様な人物の政治家を今の時代に欲しいと思うのは私だけであろうか。今回の金融危機を契機に日本人は東洋回帰する事が必要なのではなかろうか。そう言えば、小泉・竹中のブレーンとして多くの規制緩和に関わった元財務官僚の大学教授が、スーパー銭湯で窃盗で捕まった記事が新聞に掲載されていた。この人物は多くの図書を出版して多くを語っていた様だが、何とも情けない人生の結末と言える。バブル経済崩壊後には社会の倫理感が一層消失し、何事も「勝てば官軍」の風潮が蔓延し、この時世に乗った人間的に問題がある人物が跳梁跋扈してきた事が良くわかる。この様なブログを書いているとお前はそんなに聖人君子かと言われそうだが、少なくても人を「騙したり」、「泣かせたり」、「困らせたり」、「人の物を盗んだり」して生きてはいない。私は、この様な人間に育ててくれた両親に感謝している。今の世の中は、"分からなければ何を遣っても許される"的な考え方の人が多い。インサイダーの取引を行なって「お金儲けが悪い事ですか」と居直った人が居た。この人は親からどの様な教育を受けてきたのかと思う。良く教育は学校と言われるが、この事は大きな間違いと思う。道徳教育を否定した現代の学校は知識の修得の場でしかない。教養ある人間に育てるのは家庭教育であろう。子供は親の背中を見て育つとは蓋し名言である。今の日本社会に欠けているのは倫理感であろう。そう言えば、「類は友を呼ぶ」と言う言葉も思い出した。小泉・竹中の類友が窃盗犯では世の中が可笑しくなる筈である。
グローバル経済での低価格製品輸入と雇用喪失の悪循環の解消はあるのか
今朝のTVニュースで某企業が中国の生地をカンボジアで縫製して日本に低価格で商品を供給する事を放送していた。企業にとっては生き残りをかけた企画なのだろうが、この様なグローバル経済を活用した企画を見せられる度に「猟犬と獲物の話」を考えてしまう。獲物がいなくなれば猟犬は不要となるのは自明である。米国のビジネスモデルを追い続けた結果が金融危機であった。良く考えるとベトナム戦争後の米国のビジネスモデルは株主優遇と短期利益追求主義による企業の海外流失とその結果の雇用喪失であり、また資本主義が内蔵した金融破たんを前提にした不良債権による不動産の再生であったと思われる。特に、レーガン大統領以降は規制緩和によって資本主義が内蔵する金融破たんの危機を拡大して来たのである。日本も米国のビジネスモデル教崇拝者の連中によって全く同じ道を歩んでいる。安ければ買うと言う考え方は雇用が安定しての話であり、景気悪化の入り口には成り立つモデルだが、不況が長期化した場合にも大量販売の前提でなりたつ低価格路線は生き残れるのであろうか。物を売るという行為は、現場のスタッフの役割は大きいのに、単に安いだけでは双方向時代以前のモデルである。成熟した社会でお客のニーズを捉えるには双方向による情報の活用は重要であり、その情報が雇用の拡大につながると思われる。消費者の一人としては、消費者のニーズを理解して心のこもった応対の店の商品を買いたいと思う。某コンビニで驚いたのは、外国人スタッフが寿司弁当をマニュアルとおりに温めましょうかと聞いたことである。また、DVDレンタル店では不具合のDVDのクレームに対して確認もせずに所有機器の原因にする様な対応に驚かされる。低価格商品の販売会社は安いのでお客が来る意識を持っているからか、お客に対するスタッフの対応が悪くなる傾向があるが、その様な会社は最終的には淘汰されるのであろう。日本には存在した従前従後のサービスが求められる時代が間違いなく来ていると思うし、それがグローバル経済での生き残りの必要条件であろう。