定額給付金を必要ないと言う恵まれた人々は公務員か高給取りのマスコミ関係者だろう。米国と違って才能がなくてもコネクションが通用する日本の社会は、地位に相応しくない親の七光りの人々が多い。2世・3世の国会議員を非難しているマスコミ人の中にも親の七光りで入社している社員が多い。尤も、最初からコネクションがなければ優秀でも役員面接迄行けないのが、日本の社会である。そうは言っても、偶に実力で入社した社員も自分の立場を勘違いしてしまって尊大になるケースが多い。大体マスコミのアンケート調査などは誘導尋問で行なわれるケースが多いので信憑性にかける。今の日本で定額給付金を欲しくないと言うのは、少数意見の筈である。景気対策の効果として考えると色々な意見が出るのであろうが、一部に反映する様な対策より、誰もが貰える定額給付金の方が公平である。定額給付金が要らないというお金持ちは、資金を必要としている孤児院や片親の家庭に寄付をすればよいのである。格差社会の上位に位置するマスコミ関係者などの意見は「百害合って一利なし」である。
百年住宅の実現
デフレ経済が日常的になると必要になるのは長持ちする住宅であろう。尤も、デフレ経済が長かった江戸時代には庶民は持ち家に住むと言う考えはなかったので、長屋と言う便利な賃借の共同住宅が多かった。一部の金持ちは別として明治時代・大正時代・戦前の昭和時代迄は、長期間の借り入れで家を買う考え方はなかったのだろう。企業は長屋の代わりに社宅を社員に提供したと思われる。戦後の高度経済成長によるインフレ経済で先見の明があった人は借金して家を購入したが、それでも大手企業に勤務していないと銀行からお金が借りられず簡単には家など買えなかったのが実情であった。それが1970年頃から個人が自動車を購入出来る所得水準となりモータリゼーションが起き、その後は持ち家購入出来る所得水準となっていった。勿論、国による政策もあって住宅ローン会社の設立が認可され、持ち家の人が年々増加した。1994年位迄はインフレ経済であったので、10年位で住宅を買い替える事を念頭に置き、2度目で終の棲家の戸建を購入するのが一般的な考え方であった。このため、供給者の住宅販売会社も耐久性のない安普請の住宅を造り続け来た経緯がある。然し、1996年以降はデフレ経済で住宅価格が上昇しない前提での購入のため、一生に一度の買い物として住宅を考えるように変わったので、購入者はインフレ経済時代と比較すると住宅の品質を重視するようになって来た。インフレ経済時代より品質は良くなっても近年の住宅は設備的な面で建築コストが掛かるようになったために躯体的には耐震基準をクリアしているが必ずしも長期的に耐えられるとは言えない見掛けだけの住宅も多いのが現状である。21世紀に入り、グローバル経済による格差社会の中で住宅、更に今回の様な大きな経済変動が周期的に起きる事を考えると親子三代が使える様な頑丈な住宅の建築であり、この住宅に付くローンの実現を提案したい。100年の耐用年数の住宅の建築となれば、現行の様な人に貸す住宅ローンでなく、建物に付帯するローンにすれば、中古住宅として次の購入者に自動的に安いローンを提供することが出来て理想的と考える。環境的にも住宅資材を消費財として浪費することがなく、住む人にも負担が少ない「百年住宅」の普及を考えようではありませんか。
短期利益の追求がすべての分野に弊害を与えている
金融的な発想である短期的な利潤の追求の考え方が経済を破壊した。先輩から聞かされてきたのが、金融機関の企業の再建手法は縮小均衡方式であるので真の企業の再建にはならない。確かに、「人員削減」、「不採算部門の切捨て」などを行なうと短期間に会社は再生した様に見えるが、会社の再生は「経費節減」や「赤字部門の切捨て」だけでは直ぐに経営に行き詰まる。本当に重要なのは組織の活性化である。今回の金融危機でホンダの福井社長の言葉に胸を打たれた。世界的な経済不況で売上げが大きくダウンしたのに伴って人員の削減に多くの企業が踏み切る中でホンダは先ずF1レースからの撤退を決断したと言う。人を大事にするホンダの創業者の精神が生きている。物つくりの現場で一番大事なのは人である。我々の不動産業界でも同様である。建築物を造ると言う事は、金融機関の様に中途採用の人材で通用する様なことではない。最近、ファンド事業に携わっている方の話を聞いて考えさせえられた。今回の金融危機で収益物件の買手はファンドでなく個人が多くなったので建物の評価が厳しいとのことであった。確かに、ファンドは短期所有であるので厳しいように見えても表面的形式的だが、個人の所有者は中・長期的に所有するので建物に対する評価の仕方が違うのであろう。不動産業界にも金融機関出身者が多くなり、短期利益を追求する余り物づくりの姿勢を失っている会社が多くなった。建築物は40年~60年は風雪に耐えるのである。いい加減なものを造れば長く恥を晒す事になるのである。何時の間にか建築業界と不動産業界にも短期利益の嵐が吹き荒れ、物づくりの精神を忘れた会社が多くなった。一度信頼を失うと回復するには多くの時間が掛かる。物づくりの経営者は企業価値とは何かを考えるべきである。人財が企業価値を造り、信頼と言う財産が会社を助けてくれるのである。
国民と乖離した公務員の存在に対して抜本的な行政改革が必要
最近、鹿児島県阿久根市の市長が公表した市職員の給与に驚いたのは私一人ではないだろう。田舎の市役所の職員の54%が700万円の報酬を得ている事は尋常ではない。バブル経済崩壊後はデフレ経済なので一般企業は社員の給料は増加していなく、逆に正社員を減らし派遣社員制度の導入で固定費を下げているのが実情である。勿論、給料に恵まれた大手企業に勤務できる者は全体の30%であるから70%の中小企業に勤務する社員の平均給与は400万円以下であろう。尤も、公務員給与の高さに対しては一公務員の責任でなく、人事院の世間離れした感覚であろうと思われる。先般も内閣に公務員の人事権を移そうとしたら人事院総裁が反対しているとの報道を目にしたが、選挙に選ばれてもいない役人が政治家に反旗を翻すなどは以ての外である。政治家も嘗められた話であるが、碌に政策の勉強もしてないで選挙の事しか考えていない政治家だから仕方ない。しかし、国民と乖離した行政組織は百害合って一利なしと思われるので、過って行われた行政改革などインチキであるので、税収に合わせた組織に縮小すべきである。税収が足りないのに、予算を赤字国債の発行で対応する今の政治は完全に狂っているのである。特に、ここ数年の中央官庁の建て替えを見ると、数百兆円もの借金がある国とは思えない。そう言えば、御用学者の元慶応大学教授の加藤寛が政治家や官僚の報酬など削減しても大した金額ではないと言って増税を唱えていたこと思い出した。この馬鹿学者は国民の意識と乖離した公務員の姿を見てどの様に思っているか聞いて見たい。税調の会長を長く務めた御用学者だから当然と思っているかも知れないが、この様な官僚の代弁者となって利用されている学者に対しても国民は糾弾すべきである。省庁の審議会などは官僚の作文を鸚鵡返しに言っているだけなので、マスコミがニュースに流しても信用しない方が良い。今回の世界的な不況を契機に抜本的な行政改革を行う政治家を支持するべきと考えるが、残念ながら見渡しても渡辺義美代議士位しかいないのは情けない。