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マスコミ各社が米国の自動車販売台数の減少で大騒ぎしているが、金融バブルで生じた過剰の需要が回復するわけでないのは自明の利なのに今更ながらマスコミの報道に疑問が湧いた。日本経済バブルの時には、記憶ではマスコミ各社は過剰需要の減少などに関して冷淡で、バブル経済で設備投資を行なった企業に対してバッシングの嵐だった。それが世界的な金融バブルの需要に対する設備投資に関しては報道のスタンスが全く異なる。日本国内で起きた経済バブルであろうが、世界的に起きたバブル経済だろうが、バブル経済なのは変わらないからバブルが弾ければその分の需要が減少するのは当たり前の事である。世界経済の回復は、バブル需要部分の過剰分の在庫が整理され、且つ過剰設備が償却されて元に戻るまで時間が掛かるのである。この様に考えていた時に、広告の電通の「戦略十訓」を思い出した。この十訓は電通でも既に死語になっていると思われるが、この中のひとつに「混乱をつくり出せ」の言葉がある。この十訓の言葉をつくり出した原典は、1960年代のヴァンス・パッカード著「浪費をつくり出す人々」と言われている。この教えからすれば、今回の世界的な金融危機に際してマスコミは、需要を引き出すために「混乱をつくり出す」役割を担っているのかも知れない。確かに,日本経済はバブル経済崩壊後は15年もの間マスコミによる「混乱をつくり出せ」の渦中に置かれていると思った。古い時代の考えでシステムされているマスコミには未来がないことが分かったが、その報道で動かされている大多数の日本人は海外の餌食にされてしまうと今更ながら思った。

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最近世の中は全て極論に走りすぎていると感じる。その中のひとつに"効率"と言う言葉がある。確かに、IT社会になってひと昔前に比べて時間軸が速くなったので、全てがその時間軸に従わなければ否定されて仕舞う現実がある。しかし、スピードが効率と言う言葉に置き換えられると違った意味になることの重要性に気づいていない様に思われる。安全性を重視する事業に効率の概念を導入すると間違いなくリスクが大きくなるのは自明の利である。困るのは人間はこの様なリスクに対して楽観的になると言う歴史的事実である。然も、IT社会は経験者の記憶などの価値観を吹き飛ばした為に多くの事故が起きたことさえ気づかない。IT社会の大きな問題点はシステムの構築に対費用効果の面から人間の経験知を越える事が出来ないと言う現実である。最近発生している事故の多くは効率と言う面から起きていると考えられるが、効率主義の問題点は人間は効率的に出来ていないと言うことであろう。人間が効率的でないので機械的にスケジュール管理を行なったり、様々なセンサーで異常に気づく様に工夫をしているのだが、システムの誤作動が「狼少年」となり、重大事に機能しない面も否定出来ない。私が何を言いたいかと言うと、効率と言う言葉が人の判断力を阻害し、思考能力を退化させている危険性に対してである。荘氏の書物に「無用の用」と言う言葉が書かれていた。今の現代社会に一番忘れている言葉ではないだろうか。本当に無駄なものは当然に省く必要があるが、目先だけで「無用」と判断したものに本当は欠かせないものが含まれている場合が多い。格差社会では一人が多額の報酬を得ているが、その分を社員の雇用に使ったほうが余程会社のためになると思われる。一人の人間が出来る範囲などたかが知れている。金と人材があれば上に立つものは誰でも務まるのである。頭が良くても経験がなければ机上の理論の域を出ないし、成功体験はどの事業でも効果を発揮する訳ではない事を理解するべきである。勿論、「後藤新平翁」の様な逸材であれば別だが、それには人間としての教養や現場主義の経験が必要なのである。お金に拘る様な者に社会のトップが務まるわけがないのに、今の時代はその様な経営者や官僚や政治家ばかりである。その様な者の言う「効率主義」など間違いだらけである。

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職員の給料が高い役所ほど住民に対する公共サービスが悪い。本来なら税金で給与を得ている立場からすれば逆なのだが、全部とは言わないが給与と公共サービスは反比例しているケースが多いと思われる。もう10年以上前の話だが、当社が四国に所在する特別養護老人ホームの経営者から東京都内の特別養護老人ホームの調査を依頼されたことがある。この時の都内23区と都下の市の役所の職員の対応には色々と違いがあり驚かされた記憶がある。何故今頃になってこの様な事を書くのかと言えば、群馬県伊香保市の特別養護老人ホームで焼死した老人が墨田区の住民であったことが書かれていたからである。先の調査で最も職員の対応が悪かった区役所が墨田区役所であったからである。税金で暮らしている公務員が、住民に対する思い遣りもない冷たい言葉が出るのも言語道断だが、当時墨田区区役所は豪勢な庁舎を建築して快適な職場になっていたのにである。下町の区役所の中で葛飾区役所の応対は立派であったので今でも鮮明に記憶している。この調査の質問は、奥多摩に出来ている若しくは計画中の特別養護老人ホームに対する区内に住む老人の受け入れ先としての対応に関してであった。この時の葛飾区の職員は、"区内で苦労して生活をして来た方々の老後を家族と簡単にあえなくなる他の地域で過ごさせるのではなく、区内に施設を設けて老後を過ごして頂く考えです"と回答されたのであった。この回答に私は思わず感激したのであった。此れに対して墨田区の職員の冷たい対応は今でも忘れない。墨田区の職員は高い給与を受けているのにである。浅草などを行政区域とする下町なのに人情の欠片もないのには驚いたものであった。群馬県伊香保市に区民を追いやる行為は正に現代版の「姥捨て山」である。尤も、この現象は公務員だけでなく日本人全体に及んでいる。当社はブッテックデベロッパーとして市街地の再開発も行なっており、開発の過程で多くの家族と出会うのだが、お金を持っていない家族ほど子供達は親孝行であり、お金持ち程家族関係は希薄で醜い開発利益の争いを行なうのを見たものである。公務員は下僕であるのに今や区民の平均所得を大幅に上回る給与を得て区民の事を考えない輩が増えている。情けない話である。国や地方自自体の借金が900兆円を越えた今、大胆な公務員の給与削減と人員削減を断行する様に国民は立ち上がらなければ全てが駄目になると考える。

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3月21日に千葉県のゴルフ場に予約を入れていたため、偶然通行料1000円に引き下げられた東京湾横断道路を早々に利用して帰りには渋滞に巻き込まれた。私が東京湾横断道路計画を初めて知ったのは、今から38年前に大学の入学に伴い田園都市線の大学の最寄り駅から登戸経由で南武線の各駅を順次下り乍アパートを探して武蔵新城駅の不動産仲介業者の店舗に入った時であった。壁一面に東京湾横断道路計画図が貼ってあり、私が工学部の学生と知った業者の方は学科名も聞かずに貴方の様な学生さんがこの様な道路を造るんだねと感心された記憶がある。その後、社会人になって再度横断道路計画の現状について聞ける機会があったが、この時には事業採算的に絶対実現しない道路計画と言われていた。しかし、1985年のプラザ合意後の日米会議で米国から強力に内需拡大を要請され、日本政府は公共事業500円プロジェクトを打ち出したが、その中に「東京湾横断道路計画」も入った。この道路計画は民活の考え方を取り入れて建設される事になったのは自明の事だが、当初から事業採算性が疑問視されていた道路計画に民活の考え方を導入したのは狂人沙汰であったのである。今更いっても仕方がないが、本来なら東京湾横断道路を有効に活用するためには利用者負担の石油特別会計の全額負担によって建設し、低料金で利用できる計画にする必要があったのである。今回、通行料を1000円に引き下げたら報道によれば20%の通行料が増えたとのことであったが、この報道で疑問が湧いた。普段利用客が少ない横断道路がたった20%アップで渋滞を引き起こしたのであれば、建設計画時の通行量予測に関してどの程度であったか大きな疑問が湧いてくる。引き下げ前の料金と通行量で採算が取れていたかどうかは情報がないので分からないが、若しかしたら最初から低料金の利用による通行量など考えていない道路かもしれないと思った。そうでなければ20%アップで渋滞などならない筈である。ちなみに、横断道路の渋滞は外部の接続と関係なく起きていたのである。専門家愚昧と言う言葉がある。専門家と言う言葉で信じると世の中ではとんでもない事が結果的に起きている。専門家になるほど頭が固くなり、自由度が失われてプロジェクトに大きな欠陥を持つことが多いことを素人は肝に命じるべきと考える。

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平成19年度(2007年度)の国内総生産(Gross Domestic Product)は約514兆円であった。このGDPが30%ダウンすると約340兆円で、このGDPは昭和62年度(1987年度)と同じ数値である。ご記憶と思うが、この年度を振り返ると日本では円高効果や原油価格低下の恩恵を受けて内需を中心に景気の拡大が進んでいたのである。ちなみに、バブル経済が崩壊した平成4年度(1992年度)のGDPは約484兆円、金融機関の不良債権処理が本格化した平成10年度(1998年度)のGDPは503兆円、米国の同時多発テロの平成13年度(2001年度)のGDPは約493兆円とマイナス成長であったが、その後は500兆円を下回ることなく推移している。ここで疑問に思うのは、失われた10年間とか日本全体にバブル経済崩壊後の長い不況感は何故起きていたのかと言う事である。バブル経済崩壊後の14年間のGDPの増大は30兆円と新興国から比べれば決して小さくない。しかし、長い不況感と地方経済の疲弊の原因を考えると、バブル経済後の低金利政策がすべてに影響していると考えざるを得ない。尤も、自動車産業などに従事していた者はGDPの推移を見る限り不況感は経験していないと理解出来る。先日、いわき湯本温泉に行った時に浴場で60歳前後の2人が朝風呂の中で話し合った言葉が印象的であった。一人の方が、"昔は本当に貧しかった。温泉などには入れなかった。何であんなに貧しかったのだろう。"としみじみと言っていた。貧しい時代は何時頃かは聞けなかったが、バブル経済前の昭和57年度(1982年度)のGDPは約275兆円であった。実に平成19年度の50%強であった。もし、日本経済のGDPが30%位ダウンしても1987年レベルの生活が出来るならば不安になることはないと数字が物語っている。問題は不安を煽っているマスコミや財政再建論者であろう。増税には行政改革と政治改革が必須条件であり、サラ金財政を続けてきた政治家と役人から財産を没収すべきである。金融破たんした銀行マンが責任を取らせられているのに、政治家と行政マンが責任を取らないから不平等になるのである。マスコミに関しては優遇税制を撤廃して他の業種と同様に税金を支払わせるべきである。兎に角、内需拡大には金利を引き上げないと国民は消費に流れず、海外の投資信託などで日本の富が消失するだけである。

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構造改革ばかりが話題になっているが、企業の活動や個人の事業活動に関して現在の日本の税体系はインフレ経済前提と徴収面のウエイトが強く害となってきている。況してや、国際会計基準と税体系の不一致による企業が受ける不利益は話にならない。企業や個人の活動によってもたらされる税金なのに国家は当然の如くに会計基準やデフレ経済に合っていない税体系下で強引な徴収を行なっている。今年は予算に税収入の見込みが追いつかないので必死になって税収を高める行為を行なっているが、この事柄も本末転倒である。予算などは税収に合わせて立てるもので、先ず予算ありきなど聞いたことがない。今年の税収見込みが大きく違っているとすれば、金融危機に対して何も考慮していない能天気な馬鹿野郎どもが日本の舵取りを行っていることになり、許せないことである。行政現場では担当者レベルで色々と判断して決定していることを聞いているが、その決定事項に企業や個人が異議を唱えて裁判になるケースの場合、役所だけでなく担当者の個人にも結果に関する賠償責任の責めを求めるべきと考える。この国はそうでもしないと良くはならない。税収不足だから予算に合わせるために赤字国債を発行するなど本末転倒である。また、現在の状況にあっていない税体系を放置している行政に対して「無作為の責任」で賠償責任を負わせることも必要と考える。行政の自分達に都合の良い学者で構成された委員会や審議会に対しても同様に何らかの法的責任を取らせることが必要である。マスコミ同様無責任な連中に鉄槌を下すべきである。

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最近、故安岡正篤氏の著書を手にする事が多い。安岡氏の著書に触れるに付け、生前にお会いしたかったと思う。世界的な金融危機が起きている今こそ、安岡氏の著書から今後についてのヒントを得るのは有意義と思っている。安岡氏は東洋民族の先覚者には"思考の三原則"とも言うべき共通の考え方が見られることを指摘しており、その三原則とは「目先でとらわれないで、できるだけ長い目で観察する」、「一面にとらわれないで、できるだけ多面的、できるならば全面的にも考察する」、「枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察する」ことの様だ。特に、事業の問題や困難な問題などを目先で考えたり、一面的に捉えて観察したり、枝葉末節をとらえて考えるのと、少しながい目で見る、多面的・全面的に見る、あるいは根本的に見るということでは非常に違ってくる。ことによると結論が反対になる場合もあることを指摘している。多くの著書のホンの一部を例に上げると、安岡氏の偉大さが消え、名声を失わせる行為となってしまうかもしれないが、今の日本人の多くがお金亡者になり、今回の金融危機による不況で先が見えない時に安岡氏の著書は読むのは有意義と考える。戦後の日本は米国の寛容な占領政策によって親米的な国民・国家になったわけだが、米国の良い面だけでなく悪い面も多く学んでしまった。特に、バブル経済崩壊後の20年は「倫理観の喪失」、「拝金主義」が横行し、米国の短期利益主義の社会経済システムに追随して"砂上の楼閣"造りに走ってしまった。この米国至上主義はマスコミが煽ってポピュリズムを助長し、政治家も企業と同じように短期的な成果が求められて長期的な政策が打ち出せない状況で政治も混乱している。米国のオバマ大統領はIT社会のポピュリズムを利用して当選したが、今後は逆にポピュリズムによって自縄自縛に陥る可能性も予想される。現に、ポピュリズムを意識して政府スタッフに多くの大物を起用しているが、日本の格言(?)の「船頭多くして船進まず」の状況になっている。更に、新ニューデール政策を掲げて全米の橋梁の更新や環境・省エネの推進を謳っているが、この政策を実施するには海外から資機材を多く輸入することになり、結果は貿易収支の赤字を拡大してドル安を招いてしまう危険性を孕んでいる。勿論、ドル安は景気対策の財源である米国債離れの原因となるので絶対に阻止する必要があり、オバマ大統領の手腕が問われることになる。米国民はオバマ大統領はハーバート大学ロースクールの教授まで勤めた天才だから、金融危機で危機に陥った米国を救ってくれる事を期待しているのだろうが、忘れているのは米国を危機に落としたのは天才と称された人達であったことである。長い歴史を持つ東洋文明は多くの危機を克服してきた知恵を持っていることを思い出し、再度東洋的な考え方で問題を処理する事は如何であろうか。

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最近、バブル経済で破綻した日本住専の元社長の自伝とも言うべき"懐旧九十年「燃える魂の告白」"を読んだ。東大法学部卒の大蔵官僚出身者である著者の"庭山慶一郎氏"の実像と古巣の大蔵省の政策の数々の失敗が述べられている。今の若い人達は過去を振り返っても仕方ないが言い分であろうが、歴史を知らずして今日の世界的な金融危機は乗り切れないと考える。責任を取らない行政マンが多くの政策を実現させている事や、法律以上に行政指導で民間企業や金融経済をコントロールしている日本の姿を危険として何度も指摘している著者の言葉には重みがある。また、マスコミの無責任さも事例を上げて指摘しており、此れに関しては私も再三ブログで指摘している事なので、同士を得た様な思いがした。庭山さんは大蔵省や日銀などがマスコミを過剰に意識して不動産バブルに対する誤った金融政策や土地に対する課税を実施したことを指摘しているが、全くその通りと当時不動産業界で仕事をしていた者として共感した。フィールドワークの情報でなく、ペーパー類での情報によって行なった政策はタイミングを見誤ったものであることも指摘している。更に、政府に関わる学者や弁護士についても碌な人間がいないことも整理回収会社(RCC)の中坊弁護士を事例に上げて指摘している。100年に一度の金融危機に見舞われた最悪の状況にあって庭山氏の本は一読に値するものと思われる。

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良く政府高官筋とか、政府筋とかと言うニュースが流れるが、読者を愚弄するのも甚だしい。新聞は匿名の情報に対しての信憑性など確認する暇はないだろうからそのまま報道するのだろうが、恰も真実の様に流すのは言語道断である。日本の大手の報道会社は全て記者クラブで配布された記事を掲載するだけだから、匿名の情報なども同様に何等信憑性を考えないで載せる習慣が出来たのであろう。日本のマスコミは海外のインテリジェンスに思うように操られているのが現状であろう。今回の小沢一郎の事件も、オバマ政権にとって邪魔な政治家と位置づけさせられた結果、日米の利害が一致して近年は某宗教団体の子弟が増えていると言われる日本の検察が動いたのであろう。今回の様に日本のマスコミが動かされた図式は枚挙に暇がない。小沢一郎も過っての親分「田中角栄」が石油資本の逆鱗に触れて失脚した事を記憶していたと思っていたが、馬齢を重ねて忘れてしまったのだろうか。尤も、田中角栄の事件は笹川良一の船舶振興会を田中角栄が後藤田正治と共謀して乗っ取ろうと画策したことが、田中角栄を危険視していた米国と笹川の利害が一致して起きた事件であったと言われている。日本は学生時代にCIAの手先だった亭主のクリントンに遣られ、今度は国務長官になった女房に翻弄されるとは本当に情けない。今回の事件で分かった事は、オバマ政権は日本の政治的混乱を望んでおり、更に小泉の様な中国を牽制する様な首相を求めており、麻生首相は小泉の代わりを期待されている節がある。何故今頃に白州次郎が浮上してきたのかと思っていたら、麻生の爺さんの吉田茂が間接的に評価される図式は、今後麻生の支持率アップに貢献するのであろう。小沢事件は、今後の日本経済を動向を考えある上で大きなヒントがあるかもしれない。

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3月5日(木)の日経新聞「大磯小磯」欄に掲載された匿名(吾妻橋)の意見には呆れた。匿名で書くのだから小泉インチキ改革に加担した者かもしれないが、全くナンセンスな意見である。構造改革は現在の仕組みで恩恵を受けているもの以外は誰もが望んでいる事である。小泉インチキ改革で一番許せないのは、米国の圧力とそれを利用した財務省の財政再建を優先した間違った改革であったために、真の改革が出来なくなってしまったことである。以前にもブログで書いたが、日本道路公団の民営化を行なうなら首都高速道路公団なども含めて行い、すっきりした組織にするのが国民のためには当然である。しかし、日本道路公団の民営化は、石油特別会計の財源を一般会計に簒奪するためだけに行なったことなので、国民の利益にならない改革となってしまった。建築基準法改正然りである。米国の圧力で準備も出来ていないのに建築確認申請手続きを民間に委託したことから、構造偽造事件が起き、逆に建築設計の自由度と行政の規制が強化されてしまった。その上、民間委託の建築確認申請手続きの会社に関しては審査能力に疑問を残したままである。郵政の民営化に到っては、ブログに書ききれない程の間違った民営化を促進した。「大磯小磯の吾妻橋」の指摘では郵便貯金や簡易保険が巨大化したと言っているが、原因は財務省が郵便貯金を予算に利用したからであり、その責任を追求しないで破綻の矛先を民営化で誤魔化すのは言語道断である。吾妻橋は色々な分野で政府の保護や規制に縛られて効率が悪い社会となっていると述べているが、机上で物を見て現場を見ていない者であることが直ぐ分かる。小泉の行なった構造改革は財政再建と言う観点から全て行なった改革であるので、国民のためになった改革はひとつもない。現場に行けば改悪ばかりであるのが分かる。介護サービス現場でインチキが横行しているのは、今の制度では成り立たない地域が多いからである。吾妻橋は余程小泉インチキ改革の恩恵を受けた者と予想が付く。郵政民営化など多くの規制緩和の中でで起きた小泉と竹中の秘書達の利権に絡んだ動きを検察は捜査すべきである。民主党の小沢一郎の比ではないダーティな姿が現れる筈である。