何れの国も選挙を意識しての議員の行動は同じである。サブプライム問題に端を発した世界的な金融危機に対しての危機感と責任に対する反省がない。日本も同様だが、政権を担っている政党だけの責任ではない。国から手当てを得ている国会議員の責任は重い。米国で言えば、クリントン政権時代の金融自由化政策にサブプライム問題があると思うが、国会議員としてその危険性をチェックしていたかと言うことである。尤も、共和党の議員から見ると、金融業界は民主党の牙城であり、金融業者であるユダヤ人の道徳のない行為から起きた金融危機に国民の税金を使うのはとんでもないと言う事なのだろう。その憤りは分かるが、世界的に信用不安を起こした責任は米国にあり、共和党の議員もそれを阻止できなかった責任があるのに、危機を省みない姿は情けない。然も、ここ8年は共和党政権であったので尚更である。この様な状態が続けば民主主義の危機である事に誰も気づいていない。独裁者は国民の不満を集めて民主主義の欠点を付いて出現するのである。翻って、日本の民主党が年金問題等で政府の責任を追求しているが、それでは民主党の議員は日頃何の政治活動をしているのか聞きたい。自分が選挙に当選する事を目的化した議員活動しか行っていないのが現実であろう。特に、小選挙区になって弊害が出ている。危機については誰もが分かっていながら個人のレベルでしか物事を考えない民主主義と言う制度は、近年発達した第4の権力となったメディアの影響を受けて一層政治家のレベルが下がってきている現在、過去にない危機にあると言える。
小泉引退と息子の後継
小泉が引退を表明したが、当然であろう。もともと郵政民営化しか政治課題を持たなかった男に今後を期待できるわけがない。今回の引退は、地方に渦巻く小泉批判に対する自民党否定の矛先をかわす狙いと、自分が父親が亡くなってから出馬して落選した苦い思い出があるため、息子が丁度自分が選挙に出た年齢になったから引退を決意したのであろう。しかし、国会議員と言う職務はそれ程楽なのかと思ってしまう。私の亡父も若い時から地方政治に関心を持ち、地方議員として功績を残している。議会議長も何期か勤めたので長生していれば勲章も貰えたかも知れない。亡父の学生時代の友人は同様に地方議員を長く務めたので、「紫綬褒章」、「勲五等瑞宝章」を授かっている。私も事業家と言うより政治家向きと思っている友人知人に選挙に出ないのかと良く尋ねられる。母も自分の父親が地方議員であり、伴侶も地方議員だったので、私に期待するところはあったと思われる。これに対する答えは出ないである。亡父の選挙を見て育ち、この国の選挙民に対する蔑視が生まれたからである。子供から見ても亡父は議員として私利私欲なく地方自治のために頑張った。しかし、その見返りは首長選、県議会議員選に出馬しての落選であった。私は頭を下げて「お願いします」を連呼しなければ当選できない選挙などに出る考えはない。今の政治家は皆本音は選挙民を馬鹿にしている。一回でも選挙を遣ってみると、この国の民のために良い政治を行うと言う考えがなくなるのではないかと思える。2世。3世議員が悪いとは思わない。問題は本人の資質である。しかし、選挙民は利権を尺度に考えるので、政治家の世襲制が生まれるのである。特に、小選挙区になってからは政党政治の復活で個性が排除される。中選挙区を壊した愚策は誰なのかを見極めて投票することが大事である。
手嶋龍一著「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」を読んで
自宅の近くの書店で偶然に手にした本だが、最近になく感銘を受けた。日本にもこの様な本を書ける人物がいたのかと思う。タイトルだけでは、一瞥して通り過ぎるだけであったが、不思議な題名のため手にしたところ、内容は世界の政治家や官僚に対する人物評であった。尤も、購入したが、直ぐには読まずに積んで置いて暫し忘れていた。それが、当面読みたい本を読み終えたので、何か買ってなかったと思って探して見つかったのがこの本であった。通勤の行き帰りに読むので時間が掛かったが、読後は現在の混迷した世相を読み解くには非常に参考になったと思う。その中の最終ページには、今の日本が「愚者の楽園」と化した姿を憂いて世を去った人物の事にも触れている。この中には今度、新総理となった「麻生太郎」の人物にもページを割いている。これには麻生に対してマスコミが報道している姿とは異なる面が書かれている。麻生家は明治維新後の家系としては群を抜く名門である。麻生太郎と言う人物について、麻生グループを率いた経営者として世間は余り評価していないが、斜陽の石炭からセメント産業にシフトし、バブル経済崩壊後には逸早くグローバル経済に対して布石を打っているのである。勿論、現経営者は弟だが、兄と言う存在から麻生太郎の意向を無視しては出来なかった筈である。この一つとっても、麻生太郎と言う人物は非凡と思える。政治家という資質も、祖父の吉田茂、更に先祖が大久保利通、牧野伸顕であるので充分と言える。世間は、庶民の味方は貧しい家庭から出世した人物と言うが、私は逆であると考える。下から這い上がってきた者には他者に対する優しさはない。逆に、育ちが良い人こそ他人に対して優しいのである。お金に対してもクリーンである。小沢一郎と言う人物の危険さを私は知っているので、麻生太郎に頑張って貰いたいと思う。
実務家も判断が難しい今回の米国発の金融危機の行方
今回の米国発の金融危機については今後どの様な収束を見せるのか判断が難しい。特に、不動産証券化などのスキルに精通していない欧州の金融機関に今後の金融危機波及の不安を見ている識者もいる。米国一国で牽引してきた世界景気がベトナム戦争時と同様なイラク戦争で体力を消耗している米国を襲った金融危機は、大きな変革を齎すことになる可能性は高い。大恐慌も懸念されているが、過去の時と比較して情報化の時代であるので、其処まで悲観的になることはないと思われる。問題は"合成の誤謬"などで金融危機の処理が遅れることである。一方、日本は自民党政権が続くか、民主党政権が発足するかによって今後の対応が異なると思われる。自民党政権のように官僚の発想通りでも駄目だが、民主党政権が本当に官僚を御する能力があるかどうかも疑問である。大事な局面に政治が混迷していると、バブル経済崩壊時の政治と同様に失政を繰り返す事になる。グローバル経済に合わせた透明性が高いと言われる投資用の会計基準が金融危機に拍車を掛けているのも気になる。何れにしても、ベトナム戦争の時は、為替の変動相場制などが導入されたが、今回の米国発の金融危機で金融のビジネスモデルが変わる可能性もあり、その動向に注視する必要はある。
小泉改革以降は誰も責任を取らない風潮を生み出した
今の日本には「責任倫理」と言う言葉がなくなった。結果に対して責任を持つ事が指導者たる地位に就いた人の責務である。何時からかと振り返ると、不祥事を起こしても大臣が止めなくなった小泉政権以降と思われる。最近の例では、五輪の野球監督であった星野仙一の言動であろう。日本人の美徳であった「敗軍の将兵を語らず」の姿勢は何処に消えたのか。相撲界に到っては、理事長始め多くの親方と呼ばれる人が指導者としての教育を全く受けていない様な言動には驚く。名選手が必ずしも名監督になる訳でないが、世間は名選手が名監督になるのを期待する。戦後の日本ほど指導者の教育を疎かにした国はないかもしれない。責任を取らない風潮が、多くの現場でケアレスミスを引き起こす。小泉は今でも海外では改革を行った政治家として評価が高いが、昔から「お前は良い奴」と言う言葉は、「自分にとって都合の良い奴」と言う言葉である。小泉時代にどれだけ国富が海外に流失したか後世の歴史家は驚くであろう。利口な人は己を知るが、馬鹿は己の力量を知ることが出来ない。自民党の総裁選にも多くの己を知らない者が立候補している。小泉クラスが出来たのだから俺でも出来ると思っているのだろうが、この考えも「責任倫理」の喪失から来ているのであろう。そうでなければ国民の運命を左右する指導者に簡単に名乗り出れる訳がない。絶望的な時代である。
リーマンとAIGの違い?
今回の米国の金融機関(リーマンとAIG)に対する対応はダブルスタンダードと言われているが、真相は分からない。リーマンの代表は民主党よりとも言われ、現政権の共和党にパイプがなかったことも一因としてあろう。勿論、金融規模にも違いはあるが、それでは公的資金で救済されたベアスターンズとリーマンの違いはどうなのかと思ってしまう。ひとつ確かな事は、リーマンは資金繰りに苦しかったために原油にも投資して更にその下落で失敗してしまったことである。公的資金を入れて救済するのにも大義名分が必要なのは何処の国も同じである。スケープゴートにされるかどうかの分かれ道は政治とのコネクションもそうだが、国民の反発を受けるような行為があったかどうかと思える。リーマンがなりふり構わず原油などの資源に投資して暴利を貪ろうとした時点で破綻が見えていたのである。翻って、日本法人のリーマンブラザーズは3.5兆円もの残高を抱えて民事再生法の申請となったが、この倒産の影響は色々な所に出てくると思われる。経済成長を議論する上で規制緩和が依然として有効需要を生み出す手段として必要視されているが、今日の金融問題は全て金融の規制緩和から生じていることを考える必要がある。勿論、規制緩和は金融ばかりでなく、多くの業種で規制緩和が進んでいるが、その規制の緩和から生じる不正は後を絶たない。規制緩和によるグローバル経済は一方では寡占化が進み、物資の高騰を招く恐れがあることを肝に銘ずるべきである。
バブル経済崩壊の後遺症
不正を行えば金儲けは誰でも出来る。ここ数年嫌になるほど不正による経済犯罪が多発している。この原因は、バブル経済崩壊後の社会に問題があると思われる。このブログで何度も書いたが、バブル経済は国民や企業が起こしたものではなく、政府の政策によって引き起こされたにも拘わらず、バブル崩壊後の責任は国民と企業が負わされたことに帰結する。企業が合法的に利潤を求めるのは正当な行為であり、同様に国民が富を求めるのは正常な姿である。しかし、失政で引き起こされたバブル崩壊後の魔女狩りとも言うべき社会現象は国民に正義の心を失わせたと思われる。周りを見るとお金亡者ばかりで、人間の価値観までお金に換算されている昨今は異常である。今の世の中は心優しき人にとっては住みにくい社会である。電車を降りる時でも平然と入り口に立って邪魔しているのを省みない姿や、体がぶつかってもお詫びの言葉もない人達など他者に対する思い遣りがない社会になっている。この謝らない姿は米国流の誤ったら認めてしまうと言う法律社会の悪影響であろう。そう言えば、ロシア人の相撲取りが大麻の検査結果を否定している醜い姿は、現代の日本人を投影した姿であろう。特に、昨今は然るべき地位に相応しくない能力の人が就くと言う不思議な現象も起きている。何れにしても不正を生み出しているのは、誤った社会システムの構築にあるのは自明の利であり、国民の信頼を失った政治と行政の責任は重い。
上場会社のレベル低下?
先日、外資系の投資ファンドの代表とお会いした時に日本の上場会社のレベルが低下している事で意見が一致した。勿論、上場会社ですから見た目は立派ですが、組織として機能していないのに驚く事が多い。終身雇用制の時代は会社が社内外の研修や社員教育に費用を掛けたために、仕事における基本的なものを学ばせてくれた。また、年功序列制度が守られていたので、先輩社員も後輩に対して多くの経験を社内外で語ってくれたものであった。さて、今はどうかと見ると、終身雇用制や年功序列制度が崩壊したため、全ての社員がライバルとなり、若い社員に親切に仕事を教えてくれる先輩・上司の存在がいなくなった。このため、今の若い社員は驚くほど基本的なものを身についていないので、業務上のミスを生みやすい環境にあると言える。人材の流動化とは聞こえが良いが、仕事の基本が出来ていない社員に社運をかけたプロジェクトを任せるリスクは恐ろしいの一言に尽きる。どんなに頭が良くても最初の一が分からなければ十を知る事は出来ないのである。経験が配慮に結びつきリスクを回避できるのである。トヨタが省資源でパワーポイントの使用を禁じたが、実際はパワーポイントで作成するプレゼン資料が体裁だけで内容が伴わないのに気付いたからではないかと思える。
日本国の本当の借金はどの位か!
今回のテーマは検証した内容ではなく一部の方が指摘している事が本当かどうかを述べることにする。日本国の借金は増加し続け、今や800兆円の大台となり、消費税の大幅アップしか打開策がないと言うのが一般的に知られていることである。しかし、これは決算した数字でなく借金だけを公表した数字で、資産を考えると全然違うと言った声が聞かれる。資産とは何かと言えば、大きな物は国が保有する米国債である。この米国債の残高が500兆円あると言われている。このため、実際の借金は差し引きすると270兆円程度と大幅に減少することになる。もちろん、米国債が簡単に売却できる代物かどうかの議論は抜きにしてであるが。この270兆円から更に国内の国有財産分を差し引くと幾らになるかは知らないが、推測するに大した残高にはならないと思える。これで政治家と役人が危機感を持った政治を行わない理由も分かると言うものである。然も、今の日本の政治は生命の危険と背中合わせの状況にはないので、真の政治かも官僚も育たない。自民党総裁選挙の候補者5名に関しても一国の宰相になる器の人材ではない。一方、民主党の小沢一郎も官僚を支配するために国会議員100名を官庁の要職につけるなどの馬鹿な政策を打ち出しており、これまた期待する様な人物ではない。予算資料を読めれば官僚など簡単に支配できるのである。勉強もしない政治家が多いので官僚に嘗められるのである。国の真の借金の残高の知らない国民は不幸である。
何のための条例「神奈川の禁煙条例」
神奈川県の松沢知事も他に遣る事があるだろうと思う。道路や公共建物内の「禁煙条例」なら未だしも飲食店内など民間施設の禁煙など余計なお世話である。飲食店などは分煙を認めると言った案が出ている様だが、飲食店などは営業上既に分煙などを行っている店は多い。バーやパチンコ店、マージャン店の禁煙なども然りであるが、「シガーバー」はどうするのか。狭いバーで分煙などのスペースが取れる訳がない。今回の条例は表面的には県民の健康を維持して健康保険料の軽減が目的なのであろうが、実際はこの様な愚策を行うのは選挙に向けた資金集めと支持の拡大のためであろう。この条例が施行されれば改修工事をする必要があり、儲かるのは建築関係業者である。松沢の正体見たりである。物価高の消費不況に陥り、売り上げ減少に泣いている飲食店舗に対して配慮するどころか足を引っ張る政策を立案するとは言語道断である。この様な知事は再選させるべきでない。